桜田淳子
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プロフィール | |
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生年月日: | 1958年4月14日 |
現年齢: | 48歳 |
出身地: | 秋田県秋田市 |
公称サイズ(出典不明) | |
身長: | ― cm / ―′ ―″ |
体重: | ― kg / ― lb |
桜田 淳子(さくらだ じゅんこ、本名:東 淳子 あずま じゅんこ、旧姓は櫻田、1958年(昭和33年)4月14日 - )は日本の元女優、歌手である。秋田県秋田市出身。 国本学園卒業。サンミュージック所属(活動当時)。重度の近眼。3児の母。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 歌手として・女優として
1972年(昭和47年)、中学2年生(14歳)の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』で優勝し、番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がった。翌1973年(昭和48年)2月25日に『天使も夢見る』で歌手としてデビューし、たちまち人気アイドルとなり、同世代の山口百恵・森昌子と共に花の中三トリオ(当時)と呼ばれた。『わたしの青い鳥』のヒットで、日本レコード大賞最優秀新人賞、日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。
続く4曲目の『花物語』からはヒットチャートのベストテン常連となり、『はじめての出来事』ではオリコンの第1位を獲得。その後も『十七の夏』、『夏にご用心』、『気まぐれヴィーナス』、『しあわせ芝居』、『リップスティック』、『『サンタモニカの風』など数々のヒットを飛ばした。シングルは累計で600万枚近くを売り上げ、18曲をチャートのベストテンに送り込んでいる。1975年(昭和50年)のオリコン・シングルレコード売り上げ年間第1位、ブロマイドや各種人気投票でも女性歌手部門で1位になるなど、文字通り1970年代を代表するトップアイドルのひとりであった。
また、8時だョ!全員集合等ではコントにおいても非凡な才能を見せる。特に志村けんとの「夫婦コント」はお茶の間だけでなく、脚本家や放送作家からも絶賛する声が多かった。演技の素養は早くから注目されており、1978年に東宝歌舞伎の大御所、長谷川一夫の直々の指名により『おはん長右衛門』で初舞台ながら長谷川一夫の相手役を務めて好演、 2年後の1980年には初の主演ミュージカル『アニーよ銃を取れ』で高く評価され、当時史上最年少で芸術祭優秀賞を受賞した。この頃から歌手としてよりも女優としての活動に比重が置かれるようになっていき、1983年に発売された小椋佳作曲のシングル『眉月夜』を最後に歌手活動を止め、完全に女優へ転身。その後、数多くの映画、舞台、テレビドラマに出演した。レコード、映画、舞台、テレビ、エッセイ等の分野で得た賞の質と数は芸能界でも屈指のものである。花の中三トリオの中でも、背が高くスタイルが良かったため、グラビア写真のオファーが殺到し、当時の『週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』、『明星』、『平凡』などで多数のグラビアを飾った。
[編集] 合同結婚式以降
1992年6月30日、5日前の山崎浩子の記者会見に続き、統一教会の合同結婚式に参加することを記者会見で表明して世間を驚かせた。このとき、彼女の姉が統一教会に入信しており、合同結婚式で結ばれた姉夫婦の姿に感化され、桜田自身も15年前(19歳頃)から入信していたことを自ら明らかにした。その合同結婚式で会社役員の東伸行と結ばれ、夫の地元の福井県敦賀市に移り住んだ。
結婚後、統一教会の様々な問題がマスコミで批判されていた中で、社会問題となっていた「霊感商法」についてコメントを求められ「物を売ることのどこが悪いんですか?」「普通のビジネス」などと答えたことが霊感商法を擁護したとして批判を呼んだ。しかし一部マスコミからは発言の前後の流れを無視した言葉尻のみを取り沙汰されることも多く、次第に発言そのものを控えるようになっていった。ちなみに現在まで、桜田自身が勧誘や霊感商法等の裁判で直接告訴された事実はない。[1]その頃、かつて自分の所属していた事務所サンミュージックの相沢秀禎社長に壷を売りつけていたのでは?と報じられたが、これについても「教会の講義を一度聞いてみたい」と桜田本人に頼み、紹介された関係者から後日購入したものであることを社長自身が明らかにしており、さらに桜田、社長双方共に「売りつけた、買わされたということではない」と述べている。その後も桜田が信者の集会や教会関連のイベントで講演したりしたことで、反社会的なことを行う統一教会の“広告塔”となっているとの批判が強くなったが、そのような中で自身の発言が誤解を生むのを避けるためか、結婚後のある時期からは、マスコミ向けに出したコメントはすべて自筆の手紙のみである。
1993年の3月に公開された映画『お引越し』への出演が現時点で最後の芸能活動となっている。騒動の最中、スポンサーが特定の宗教のイメージを嫌ってCMの契約が全部なくなったことや、「迷惑をかけられない」との理由で当たり役だった『細雪』の舞台(四女役)の降板を自ら申し出たことなどから、結婚後は仕事を干されたかのように報じられているが、1994年に長男を、1996年に長女、1998年には次女をいずれも自宅で自然分娩し、子育てに専念していた間も映画出演等の具体的な出演依頼はいくつか来ており、関係者や本人によれば「子育てで身動きが取れない」という理由で全て断っていたという。2000年4月に夫が経営していた会社をたたみ、同年8月、夫の高齢の母の世話をするため、近所の兵庫県西宮市に新築マンションを購入して関西に移り住む。その間2003年9月『桜田淳子BOX~そよ風の天使~』<完全生産限定10,000セット>が発売され、これにも自らの自筆メッセージを寄せて往年のファンを喜ばせた。2004年9月には東京都の世田谷の高級マンションに転居。その後も桜田が統一教会関連の集会で講演したり、歌を披露したりしている姿が報じられ、また日刊ゲンダイの芸能記事では、夫は統一教会の幹部になったとも報じられたが、2006年12月19日発売の「女性自身」での夫への直撃インタビューによれば、現在は株式等の資産運用で生計を立てているとのことである。
[編集] 近況
2006年11月24日には14年間の沈黙を破り、自作のエッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)が発売された。子育ての事、近所づきあい、学校の先生との触れ合い等について書いており、その良妻賢母ぶりに共感する声もあがる一方で、合同結婚式に参加し、マスコミから広告塔として騒がれたことについて一切触れていないとして、ワイドショーや週刊誌記事では軒並み批判的な論調が多かった。もっとも『婦人公論』(2007年1月22日付)のインタビューではこのことについても語っており、著書の中で統一教会に触れなかったことに「隠したつもりはありません、ただ(教会のことについて)発言することでまた泥試合になるのは避けたい、だから弁明するつもりもありません。」と答えている。芸能活動を行いやすい東京都に移住した時から「芸能界復帰を目指しているのでは」という憶測がなされており、この本の出版もその足がかりではないかと見られたが、同インタビューでは芸能界復帰をする意思があると語っている。一部のニュースや雑誌などでは「桜田淳子、芸能界復帰」と報じている。
[編集] 音楽
[編集] 代表曲
- わたしの青い鳥(1973年8月25日) - 日本レコード大賞最優秀新人賞受賞
- 花物語(1973年11月5日) - 初のオリコン・ベストテン入り
- はじめての出来事(1974年12月5日) - オリコン・第1位獲得
- 十七の夏(1975年6月5日) - 日本レコード大賞大衆賞受賞
- 夏にご用心(1976年5月25日) - 日本歌謡大賞放送音楽賞受賞
- 気まぐれヴィーナス(1977年5月15日) - 日本レコード大賞候補ノミネート
- しあわせ芝居(1977年11月5日) - 日本レコード大賞金賞受賞
- リップスティック(1978年6月5日)
- サンタモニカの風(1979年2月25日) - 日本歌謡大賞プロデューサー連盟賞受賞
- 化粧(1981年1月1日)
[編集] シングル
- 天使も夢みる(1973年2月25日)
- 天使の初恋(1973年5月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲:高田弘
- わたしの青い鳥(1973年8月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲:高田弘
- 花物語(1973年11月5日)
- 作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲:あかのたちお
- 三色すみれ(1974年2月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲:馬飼野康二
- 黄色いリボン(1974月5月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:森田公一
- 花占い(1974年8月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲:あかのたちお
- はじめての出来事(1974年12月5日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:竜崎孝路
- ひとり歩き(1975年3月5日)
- 作詞:阿久悠、作曲:筒美京平、編曲:筒美京平
- 白い風よ(1975年5月10日)
- 作詞:石森史郎、作曲:桑原研郎、編曲:竜崎孝路
- 十七の夏(1975月6月5日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:竜崎孝路
- 天使のくちびる(1975年8月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:竜崎孝路
- ゆれてる私(1975年11月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:竜崎孝路
- 泣かないわ(1976年2月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:萩田光雄
- 夏にご用心(1976年5月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:高田弘
- ねえ!気がついてよ(1976年8月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:大野克夫、編曲:大野克夫
- もう一度だけふり向いて(1976年12月5日)
- 作詞:阿久悠、作曲:穂口雄右、編曲:高田弘
- あなたのすべて(1977年2月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:和泉常寛、編曲:船山基紀
- 気まぐれヴィーナス(1977年5月15日)
- 作詞:阿久悠、作曲:森田公一、編曲:船山基紀
- もう戻れない(1977年9月5日)
- 作詞:阿久悠、作曲:筒美京平、編曲:船山基紀
- しあわせ芝居(1977年11月5日)
- 作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、編曲:船山基紀
- 追いかけてヨコハマ(1978年2月25日)
- 作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、編曲:船山基紀
- リップスティック(1978年6月5日)
- 作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:筒美京平
- 20才になれば(1978年9月5日)
- 作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、編曲:船山基紀
- 冬色の街(1978年12月25日)
- 作詞:橋本淳、作曲:中村泰士、編曲:萩田光雄
- サンタモニカの風(1979年2月25日)※ナショナルエアコンCMイメージ曲
- 作詞:阿久悠、作曲:萩田光雄、編曲:萩田光雄
- MISS KISS(1979年5月25日)
- 作詞:阿久悠、作曲:佐藤準、編曲:佐藤準
- パーティーイズオーバー(1979年8月25日)
- 作詞:伊藤薫、作曲:伊藤薫、編曲:松井忠重
- LADY(1979年11月25日)
- 美しい夏(1980年4月21日)
- 作詞:康珍化、作曲:馬飼野康二、編曲:船山基紀
- 夕暮れはラブソング(1980年7月21日)
- 作詞:岡本おさみ、作曲:深町純、編曲:深町純
- 神戸で逢えたら(1980年10月21日)
- 化粧(1981年1月1日)
- 作詞:中島みゆき、作曲:中島みゆき、編曲:大村雅朗
- 玉ねぎむいたら…(1981年5月1日)※ドラマ『玉ねぎむいたら…』主題歌
- ミスティー(1981年6月5日)
- 作詞:小林和子、作曲:小田裕一郎、編曲:大村雅朗
- This is a Boogie(1981年9月21日)
- 作詞:実川俊、作曲:小田裕一郎、編曲:大村雅朗
- 窓(1982年8月5日)
- 作詞:犬丸秀、作曲:犬丸秀、編曲:青木望
- 眉月夜(1983年9月5日)
[編集] 出演
[編集] 映画
- スプーン一杯の幸せ (松竹 1975年)
- 花の高二トリオ・初恋時代 (東宝 1975年)
- 男はつらいよ葛飾立志篇 (松竹 1975年)
- 遺書・白い少女 (松竹 1976年)
- 若い人 (東宝 1977年)
- 愛情の設計 (松竹 1977年)
- 愛の嵐の中で (東宝 1978年)
- 病院坂の首縊りの家 (1979年)
- 動乱 (東映 1980年)
- イタズ (東映 1987年)
- 海へ see you (東宝 1988年)
- 善人の条件 (松竹 1989年)
- 花の降る午後 (松竹 1989年)
- オーロラの下で (東映 1990年)
- 白い手 (東宝 1990年)
- 曼荼羅 若き日の弘法大師 (東宝東和 1990年)
- お引越し (日本ヘラルド映画 1992年)
[編集] ドラマ
- てんつくてん(1974年、日本テレビ)三波伸介、森昌子等と共演。
- あこがれ共同隊(1975年、TBS)郷ひろみ、西城秀樹等と共演。
- かたぐるま(1978年、日本テレビ)
- 愛の教育(1980年、TBS)
- 玉ねぎむいたら…(1981年、TBS)
- 街~若者たちは今(1982年、NHK)
- はらぺこ同志(1982年、TBS)
- 水戸黄門 第13部(1982年 TBS・C.A.L.)第8話「悲願を秘めた蜆売り・吉田」 柏木妙役
- 外科医 城戸修平(1983年、TBS)
- 25歳たち~危うい予感(1984年、日本テレビ)
- 許せない結婚(1985年、TBS)
- 季節はずれの蜃気楼(1985年、NHK)
- 澪つくし(1985年、NHK朝の連続TV小説)
- 独眼竜政宗 (1987年、NHK大河ドラマ)
- ニューヨーク恋物語(1988年、フジテレビ)
- 池中玄太80キロ(第3期)(1989年、日本テレビ)
- 世にも奇妙な物語 『ゴミが捨てられない』(1990年、フジテレビ系)
- 男と女のミステリー『プアゾンの匂う女』(1991年、フジテレビ系)
- 世にも奇妙な物語 『8時50分』(1991年、フジテレビ系)
- 居酒屋兆治 (1992年、フジテレビ系)
[編集] CM
- 井関農機『さなえ』
- 江崎グリコ(マカナッツチョコ、コメッコ、パリポアイス、知床しぶき)
- 尾崎商事『カンコー学生服』(1974 - 1977年)
- 東洋証券
- わかもと製薬 強力わかもと
- 学習研究社 中一コース
- エスエス製薬(エスタック、ブロン)
- 日本ビクター 純白カラーテレビ
- 小林製薬(ハナエ・モリ芳香剤)
- 日本電信電話公社(現・NTT)
- リンレイ
[編集] 舞台
- おはん長右衛門(1978年10月 東京宝塚)
- おはん長右衛門(1980年3月 新歌舞伎座)
- アニーよ銃をとれ(1980年10月 新宿コマ)
- 大奥最後の日(1983.年5月 帝国劇場)
- アニーよ銃をとれ(1983.年9月 シアターアプル)
- 細雪(1984.年2月 東京宝塚)
- リトルショップ・オブ・ホラーズ(1984年8月 博品館劇場)
- 細雪(1985年5月 東京宝塚)
- 細雪(1985年8月 国立文楽劇場)
- エドの舞踏会(1986年2月 東京宝塚)
- 細雪(1986年3月 中日劇場)
- 十二夜(1986年7月 日生劇場)
- アニーよ銃をとれ(1986年10月 シアターアプル)
- 女坂(1988年1月 東京宝塚)
- 細雪(1988年5月 東京宝塚)
- 細雪(1989年1月 国立文楽劇場)
- 野田版・国姓爺合戦(1989年11月 銀座セゾン )
- 細雪(1990年10月 東京宝塚)
- 細雪(1990年11月中日劇場)
- 楡家の人びと(1991年5月 東京宝塚)
- 墨東綺譚(1991年11月帝国劇場)
[編集] 紅白歌合戦
- 『黄色いリボン』(1974)
- 『はじめての出来事』(1975)
- 『夏にご用心』(1976)
- 『気まぐれヴィーナス』(1977)
- 『しあわせ芝居』(1978)
- 『サンタモニカの風』(1979)
- 『美しい夏』(1980)
- 『This is a "Boogie"』(1981)
- 『セーラー服と機関銃』(1982)
[編集] テレビ出演
- 出演1回目(1982年10月4日(月))テレフォンショッキングの記念すべき第1回目に出演、お友達紹介は土居甫。
- 出演2回目(1987年6月30日(火))渡辺謙から紹介を受けて出演、お友達紹介は世良公則。
- 出演3回目(1989年1月25日(水))三田村邦彦から紹介を受けて出演、お友達紹介は小林稔侍。
- 出演4回目(1991年10月1日(火))十周年記念週間に放送第1回目の特別ゲストとして出演。
[編集] 著作
- 『神様がくれた贈り物(シルク)』 角川書店 1992年9月 ISBN:4041834015
- 『アイスルジュンバン 愛する順番』 集英社 2006年11月 ISBN:4087804518
[編集] 受賞歴
- 1973年度
- 1974年度
- NHK『紅白歌合戦』出場 以降9年連続出場(~1982年)
- 1975年度
- 1976年度
- 日本テレビ音楽祭 敢闘賞受賞
- 全日本歌謡祭 ベストアクション賞
- 日本歌謡大賞放送音楽賞
- 1977年度
- 日本テレビ音楽祭 特別賞受賞
- 日本歌謡大賞 プロデューサー連盟賞
- 新宿音楽祭 ベスト10受賞
- 日本レコード大賞大賞候補10曲ノミネート
- 全日本歌謡祭 ベストアクション賞
- 1978年度
- 日本レコード大賞 金賞『しあわせ芝居』
- 1980年度
- 1986年度
- 昭和六十一年度芸術選奨 大衆芸能新人賞
- 1987年度
- 第13回菊田一夫演劇賞 演劇賞 舞台『女坂』の演技
- 1988年度
- 1990年度
- 第14回日本アカデミー賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技
- 報知映画賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技
- 日刊スポーツ映画賞 助演女優賞 映画『花の降る午後』の演技
- 1991年度
- 第12回日本文芸大賞 ルポルタージュ賞 シルクロード探検ルポ『神様がくれた贈り物』
- 1993年度
- 第67回キネマ旬報 助演女優賞 映画『お引っ越し』の演技
- 第48回毎日新聞映画コンクール 助演女優賞 映画『お引っ越し』の演技
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 註
カテゴリ: 日本の歌手 | 日本の俳優 | 日本のアイドル | 統一教会(統一協会) | 過去のサンミュージック所属者 | 秋田県出身の人物 | 1958年生