世界基督教統一神霊協会
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世界基督教統一神霊協会(せかいきりすときょうとういつしんれいきょうかい)は、韓国発祥の、キリスト教系宗教団体。一般に、統一教会(とういつきょうかい)または統一協会(とういつきょうかい)との名前で知られる。(ただし一般のキリスト教会はキリスト教の一教派とは認めていない。詳細は教義の節を参照。)
長老派のキリスト教徒であり、抗日運動活動家でもあった文鮮明(ぶん せんめい / 문선명、ムン・ソンミョン)により、1954年5月1日に韓国ソウルで創設された。世界本部はニューヨーク(かつては韓国のソウル)にあり、世界193か国に支部(協会)がある。
韓国では1997年4月に、名称を「世界平和統一家庭連合」に変更した。韓国ではこれまで「統一教(トンイルギョ)」と呼ばれてきた。日本では、1959年10月2日に設立され、1964年7月15日に宗教法人として認可された。現在の日本の本部は渋谷区松涛にあり、公認教会数は日本全国で95ある。
2006年現在、日本の教会長は大塚克己(おおつか かつみ)。教団の活動は「原理運動」とも呼ばれる。
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[編集] 略称
略称は「統一教会」と「統一協会」の2通りがあるが、教団側は前者を、反教団側は後者を使う傾向がある。
しかし、教団側も過去には「協会」の略称を使っていた時期がある。これは同教団が『超宗教的団体であって単なる一宗教ではない』と自らを位置づけていることによる。逆に当時は、批判者も含めて教団の部外者が「教会」と記述する例が多かった。
しかしその後、教団側での略称は「統一教会」(英名 Unification Church)として定着していった。これに対し反教団側は『世間に教団を普通のキリスト教の一教派と見せかけるために、意図的に「統一教会」と名乗るようになったのではないか』との見方から、それに対抗して「統一協会」の呼称を使う者が多くなった。
本記事においては、正式に略称を示す場合は「統一教会(統一協会)」と表記し、それ以外は単に「教団」とした。
[編集] 信徒数
2006年現在、教団は「世界 190余ヶ国に宣教師を送り、150万名の信者がいる」としている。 過去の年代における信徒数については、(1995年)12月31日現在の文化庁統計によれば、日本の信徒数は47万7000人。 教団の元広報局長であった副島嘉和の 1984年の告発手記[1]によれば、「日本に8000人、米国と韓国にそれぞれ2000人、ヨーロッパ全体で2百数10人」と言われ、浅見定雄の1987年の著書では「多めに見て日本が数万、米国と韓国が2000から5000、ヨーロッパ全体で1000そこそこ」としている。[2]
[編集] 日本の歴代会長
- 久保木修己(くぼきおさみ、430組、既成祝福)(1964年~1991年9月25日)
- 神山威(かみやまたける、43組)(1991年 9月26日~1993年 1月6日)
- 藤井羑雄(ふじいみちお、777組)(1993年 1月7日~1994年4月)
- 小山田秀生(おやまだひでお、43組)(1994年5月~1996年5月)
- 桜井設雄(さくらいせつお、43組)(1995年6月7日~1996年6月25日)
- 石井光治(いしいみつはる、777組)(1996年6月26日~1998年3月13日)
- 江利川安栄(えりかわやすえ、1800組)(1998年3月14日~1999年1月13日)
- 大塚克己(おおつかかつみ、6000組)(1999年1月14日~2001年6月10日)
- 小山田秀生(おやまだひでお)(2001年6月11日~2006年8月8日)
- 大塚克己(おおつかかつみ)(2006年8月9日~)
[編集] 概略
「統一教会(統一協会)」の教祖、文鮮明はイエス・キリストから神のみ旨を果たす使命を託されたという。すべての宗教の中心であるキリスト教徒が自分を再臨のキリスト(メシア)として受け入れれば、7年間で地上天国が完成したが、それが果たせなかったので、その代わりに設立したのが「統一教会(統一協会)」だとする。
そのために、教団の正式名称である「世界基督教統一神霊協会」はキリスト教の統一を目指すという意味が込められている。 しかし、韓国では教団設立から43年目にして、「世界平和統一家庭連合」という宗教色のない名称に変更した。(日本の統一教会(統一協会)も名称変更を望んでいるが文化庁は未だ変更を認めていない。)しかし、教団自体は国内のほとんどのキリスト教会からは依然として異端とみなされており、名称変更に関しては、「正体を隠して活動するためだ」といった批判もある。 教団の目的は神の理想とする地上天国を実現することである。そのために、全宗教・思想の統一を初め、政治、経済、文化、言語等、様々な分野に向けて活動を展開している。 言語に関しては、メシアであり、全人類の父母である文鮮明が話す韓国語が未来において世界共通語になるべきだとされており、信者は韓国語をマスターすることが奨励されている。
教団は宗教活動以外に、多国籍企業を上回るほどの、実に幅広い事業を手がけ、多くの関連企業や関連団体を持つ。それらの資金は「日本には“母の国”として、韓国を初め世界に経済的貢献をすべき責任がある」という教えに従う日本の信者の献金や経済活動に負うところが大きい。しかし、これらの企業や団体は教団との関連を注意深く隠したり、否認することが多いので、社会的評判の悪さを隠して活動するための、ダミー団体、偽装組織だという批判がある。
教団は草創期から社会との摩擦が絶えず、韓国では、「洗脳している」、「家庭を破壊する」、「“血分け”をしている」と言われたりして世間を騒がせた。
日本においても、信者が学業や職業を捨てて、教会活動に献身するため、「親泣かせ原理運動」などと呼ばれ、家庭を破壊する団体という社会的批判を浴び、反対運動をする父母の会までできた。 また、一部の親族が教団から子供を取り戻すために、キリスト教の牧師や精神科医師などの相談をあおぎ、ホテルや病院などの施設に長期間監禁して子供を説得すること(「デプログラミング(脱洗脳)」)が頻発した。これを教団側は、特定の牧師や医師が積極的に関与し、監禁の方法などを指導していることから「信者に対する拉致監禁・強制改宗」であり、「信教の自由」を犯す人権問題だと非難し、訴訟も起している。(詳細は「教団をめぐる裁判」の節を参照)
1970年代からは、文鮮明はアメリカに居を構えて、伝道と経済活動を活発に行い、政治的には共和党を保守系新聞『ワシントン・タイムズ』などのマスメディアで一貫してバックアップし、政界を初め、各界との関係を深めてきたが、多くの反対も受け、文鮮明は脱税の罪で、1年余りの懲役刑を受けるということも起こった。[3] 1980年代には日本において、壺や多宝塔などを先祖の因縁話などを使って法外な値段で売る、いわゆる「霊感商法」による被害が社会問題となり、国会でも、その取締りを求める質疑が幾度もなされた。この霊感商法の最盛期には一時は月に100億円を韓国に送金していたという。 また文鮮明の長年の悲願である朝鮮半島の「南北統一」へ向けて、民団や朝鮮総連など、在日コリアンへの働きかけも行ってきた。
また、教祖が何代も前の先祖の因縁などを見抜いてカップルを決める「合同結婚式」はこの教団独自のものであり、世界平和の基礎となる理想家庭を創ることを目的として、国際カップルを含む多くのカップルを結びつけてきたが、多くの家庭問題が起こって来たことへの批判もある。また、元信者によって、献金や勧誘や合同結婚式における違法性を訴える民事訴訟が起され、統一教会(統一協会)自体に使用者責任があるとされ、損害賠償を命じた判決が出ている。[1]
1990年代に入ってからは、アメリカでの入獄のため、日本を初め文鮮明が入国できない国での運動を進めるために、妻の韓鶴子(ハン・ハクジャ)が表舞台に出るようになり、世界各地で講演を行っている。 この頃から、献身者の制度が解消され、それぞれが、故郷に戻って、定職につき、親族を伝道するように方針転換がなされた。 1991年の文鮮明の訪朝後は北朝鮮の国営ホテルの経営を任されるなど、北朝鮮との関係が深まったため、警察、公安からも注視され、1994年からは日本政府の監視対象になっている。
1997年の韓国の経済危機のあおりを受けて、韓国の統一グループの企業の多くが倒産したり、経営が危うくなった。 この頃から、日本の信者に対し、いろんな名目での多額の献金要請がしばしばなされるようになった。
また南米に地上天国のモデルを作るとして、韓国を中心にするこれまでの方針を転換し、ブラジルのジャルジンに信徒たちのための集団村を建て、夫婦で参加する修練会を行ったり、南米各地に女性宣教師を送って活動した。 また、文鮮明が再臨主であることを主張する本を出したり、霊界の宗教者や政治家達が文鮮明をメシヤと崇めているという「霊界通信」本を続々と出している。
2004年からは「人類の家族的な統一にはモンゴル(蒙古斑族)が重要な役割を果たす」として、モンゴルに関して運動を進めている。近年は韓国のリゾート地買収に力を入れているほか、2006年には韓国で「本殿聖地」という王宮を建てた。学校、病院、老人ホームなどが揃うこの地域一帯に、宗教と人種を超越した『平和村』を作る計画だという。 文鮮明は高齢になったこともあって、アメリカから韓国に戻り、公の場に出るのは控えてゆくという。
教団は世界各国に進出しているが、日本の信者が最も多いと思われる。教団に否定的なマスコミ報道や度重なる多額の献金要求、文鮮明の実の娘や嫁などが文鮮明ファミリーのスキャンダルをマスコミで告発した影響もあって、信者数は減少したといわれる。また、教祖存命中にもかかわらず、分派の活動が盛んになり、教団は対策に力を入れている。
統一教会(統一協会)は設立以来50年以上、世界各地で活動して来たが、依然として社会的には洗脳(マインド・コントロール)を行うカルト宗教と見られることが多い。フランスの「反セクト法」(2001年6月制定)を初めとして、ヨーロッパではセクト(カルト)による人権侵害を規制する対策が進んだが、それは1980年代に、EC議会が、頻発する統一教会(統一協会)の問題の対策に関する決議にその端緒を発している。[4]
しかし、1960年代の冷戦時代にあって、北朝鮮の南侵に危機感を覚える韓国、ソ連の脅威と対峙するアメリカ、安保闘争のような社会的混乱を押さえ込もうとする日本になどにおいては、共産主義対策は切実な問題であった。そのような時代に、教団は韓国と日本で「国際勝共連合」という政治団体を設立し、それぞれの政府が推進する反共運動に協力して来たため、世間での強い批判がある一方、韓国、日本、アメリカにおいて、それぞれの与党を初めとした保守勢力との関係を築いてきており、教団関連の団体に著名な政治家や学者や宗教家などが参加したり、協力したりすることも多い。
文鮮明の後継者は、本来の候補であった長男の文孝進(ムン・ヒョウジン)が教団の教えにもとる様々な不祥事を起こしたため、教団の青年団体「World CARP」(世界大学原理研究会)の会長などを務める三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)が先頭になり、他の息子たちが、芸術・政治・宗教・経済など様々な分野に分かれて引き継ぐ予定である。
[編集] 沿革
(文鮮明個人の詳しい半生は、独立した項目である文鮮明の「来歴」を参照)
[編集] 教団設立まで
- 1935年
- 1943年
- 1944年 (24歳)
- 1945年
- 1946年
- 1948年
- 4月7日 文鮮明は、「社会秩序を乱したという社会紊乱罪で、重労働5年の実刑で興南(フンナム)収容所に収監された」と教団では教えているが、実業家の人妻、金鍾和(キム・ジョンファ)と怪しげな儀式をしているところを警官に踏み込まれ、強制結婚の現行犯で逮捕され、夫の告訴による公判で懲役5年の実刑。相手の人妻も10ヶ月の実刑となり共に収監されたとも言われる。
- 文鮮明が収容所に送られてきた朴正華(パク・チョンファ)を弟子にする。
- 1950年
- 1952年
- 1953年
- 12月 ソウル大学出身の劉孝元(ユ・ヒョウウォン)が入教。
[編集] 教団の草創期
- 1954年
- 1955年
- 年初め 金明熙が下宿していた梨花女子大学校の音楽家講師、梁允永(ヤン・ユニョン、)の家を出て、釜山で暮らす。
- 3月24日 当時のエリート校であった梨花女子大学校の教授や生徒が次々と統一教会(統一協会)入信し、大学は異端の信仰をやめないことを理由に、崔元福(チェ・ウォンボク)・金永雲(キム・ヨンウン)・梁允永ら5名の教授・助教授や14名の学生免職.退学分とする。延禧専門学校でも教授が免職処分、2名の学生が退学処分となる。この時期、文鮮明が「血分け」をしているとの噂が広まり、教会に対する社会的批判が高まった。
- 7月4日 警察(治安局特殊情報課)が文鮮明を、兵役法違反、某大学生を3日間不法監禁したという容疑で逮捕。後日、劉孝元、金百弼、劉孝永(ユ・ヒョウヨン)の弟子3人も逮捕される。
- 8月17日 金明煕が日本に密入国した直後に東京で、文鮮明の子、文喜進(ムン・ヒジン、男) を産む。[5] (教団では「真の母」としての第2候補であったが、外国で滞在中不幸な事件に巻き込まれたため、その立場を続けられなくなり自ら身を引いたとしている。([6] 金明煕は1998年の合同結婚式で霊界のソクラテスで夫婦になったとされる。)
- 10月4日 ソウル地方院の結審公判で、文鮮明は無罪放免となるが、劉孝元は罰金を科せられ、他の2人は懲役8か月となる。
- 10月7日 文鮮明は出監直後に本部教会をソウルの龍山区青波洞(チョンパドン)1街71番地に移転する。
- 12月 文鮮明の現在の妻、韓鶴子の母である洪順愛(ホン・スネ)が入教。
[編集] 韓鶴子との結婚(聖婚式)以降
- 1960年
- 1963年
- 児童舞踊団「リトルエンジェルス劇団」を創設。
- 6月26日 文鮮明が『天勝号』の進水式を行う。船舶事業をスタートさせるが、負債が膨らみ、事業は失敗する。
- 10月4日 教団設立から9年目にして韓国で財団法人として認可される 。文化観光部宗教課に登録された公式名称は「世界基督教統一神霊協会有志財団」。
- 1964年
- 1966年
- 韓国で機械製作会社「統一産業」を創設し、銃の製造を始める。代表理事は文鮮明の又従兄弟の文成均(ムン・ソンギュン)。
- 1月10日 韓国においても「原理研究会」を設立。
- 5月1日 韓国において、『聖書』の奥義を解明したとされる教理解説書『原理講論』の初版が出る。
- 1967年
- 1968年
- 1月1日 文鮮明の妻の韓鶴子が7年間の試練を乗り越えて、真の女性として完成し、この地上に初めて“神の家庭”が立ったとして文鮮明が「神の日」を宣布。
- 1月13日 韓国で反共団体である国際勝共連合を設立。
- 4月 自民党の岸信介、笹川良一、児玉誉士夫らの協力を得て、日本でも「国際勝共連合」を結成。会長に久保木修己統一教会会長が、名誉会長に笹川良一が就任。
- 2月22日 436組の合同結婚式が行われる。久保木修己が日本人として初めて参加。
- 7月7日 江利川安栄が東京都小平市の朝鮮大学の正門前で共産主義を批判する勝共講義を始める。
- 10月5日 教団関連の商事会社、「統一産業」株式会社(渋谷)がエアライフル2,500丁を輸入し、教団の信者がセールスに歩いて売る。[12]
- 11月 「統一教会(統一協会)」の学生組織である「原理研究会」のメンバーが「鋭和B3」という散弾銃を一般の銃砲店を通さずに会員だけで1,000丁所持したいと許可申請を出したが、警察庁保安課が「単なるスポーツ用の銃とみるには不自然」と判断し、既に許可済みだった3,050丁分の許可が取り消される。
- 1969年
- 8月1日 文鮮明と金明煕との間の子、14歳の喜進が、開拓伝道に行く途中で列車から転落死。(忠清北道梅浦駅)
- 1970年
[編集] アメリカ進出以降
- 1971年
- 1月3日 文鮮明がイエス・キリストを韓国の女性信者、張貞順(チャン・ジョンス)と祝福したという。(1972年、1973年にも同様のことが語られる。)[13] [14] [15] [16]
- 年初め 韓国で「一信石材」を設立。(霊感商法で販売された大理石壷や多宝塔などを製造)
- 1月8日 「リトルエンジェルス劇団」の日本講演を当時の皇太子夫妻(今上天皇と皇后)が鑑賞。写真
- 2月13日 『読売新聞』で「でたらめ街頭募金追及。“本家”が厳重抗議、「北方領土」のでっち上げ団体、金の使い方も不明」との記事が出る。国際勝共連合を母体とする「北方領土復帰推進連盟」という団体で募金運動を行ってることに対し、51団体が加盟している全国組織の「北方領土問題連絡協議会」が厳重に抗議。募金で集まった金の使途を明らかにせよと迫ったが、勝共連合側は明確な回答をせず。
- 5月25日 教団の第2事業部が高麗人参茶及び高麗大理石壺の販売等を業とする「幸世商事株式会社」になる。[17]
- 3月26日 統一教会系の輸入会社「幸世物産」(のちのハッピーワールド)が2,500丁の鋭和B3という空気銃を輸入していたことが国会で問題となる。さらに15,000丁輸入の申請が出ていたが、この空気散弾銃は狩猟用としても、また競技用としても不適切であるとして猟具としての所持が認められなくなり、その申請は不許可となった。[18]
- 12月6日 韓国において、高麗人参製品を中心とした製薬会社「一和製薬」(後に一和と改称)を設立。文鮮明は薬学博士号を持っていた洪性杓(ホン・ソンピョ、36家庭、洪蘭淑の父)に500ドルを手渡し設立を命じた。[19]
- 「全国大学原理研究会」を設立した小宮山嘉一(元立正佼成会)が脱会
- 12月18日、文鮮明夫妻がアメリカ進出を目指し渡米。ワシントンDCに到着。
- 1972年 年頭標語 : 「統一戦線守護」
- 2月3日~3月6日 文鮮明がアメリカの7大都市で講演。
- 笹川良一が「反共運動から手を引く」と「国際勝共連合」名誉会長を辞任。共産圏とのスポーツ交流を優先したいことが理由とも言われる。
- 11月22日 教団関連企業、「世界のしあわせ」(後のハッピーワールド)」の営業部長でキャラバン隊のボス的存在であった曹又億万(ソウマタオクマン、日本名は大山高誉)に1971年8月27日から1972年5月27日にかけて、教団の幹部3名と共謀し、小切手2億3千万円を韓国へ不法に持ち出した外為法違反容疑で逮捕状が出る。海外逃亡したため国際指名手配となる。兵庫県警は総額で6億9,414万円を捜査の対象にしていた。[20]
- 11月 文鮮明がニューヨーク州の郊外にあるウエストチェスター郡のタリータウンに部屋数25の豪邸を62万5千ドル(当時のレートで約1億8千万円)で購入。[19]
- 12月 古田元男が「幸世商事株式会社」(後の「ハッピーワールド」)代表取締役に就任。
- 12月8日 神戸で統一教会(統一協会)幹部3人{石井光治(「勝共連合」渉外部長)、増田勝(教団の伝道師)、藤本三雄(教団の伝道師)}が外国法違反容疑で起訴されたが、「額面2億5千万円の小切手を不法に持ち出したとされる相当の嫌疑が有することは否定できないが、有罪とするのに十分な証拠を欠く」として無罪になった。捜査の過程で統一教会(統一協会)の経済活動の実態が明らかにされる。[21]
- 1973年
- 米国でCARP(原理研究会)創設。
- 日本、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア等から伝道師が米国に集い、「世界統一十字軍」という伝道機動隊が編成される。その責任者には、各国の43三双(1969年の43組の合同結婚式の参加者)の信者が、日本部隊の責任者には神山威が立つ。
- 10月1日~ 文鮮明が、「キリスト教の危機と新しい希望」というタイトルで、全米21都市で講演会を行う。最初のカーネギーホールでの大会は、ホールの外で、反対デモが連日起こる。
- 11月30日 文鮮明がウォーターゲート事件で糾弾されているニクソン大統領を擁護する声明(「ゆるせ、愛せ、団結せよ」)を『ニューヨーク・タイムズ』と『ワシントン・ポスト』に出す。
- 12月18日、文鮮明の子供たちが、韓国から米国のベルベディアに移住。
- 1974年
- 1月 アメリカに観光ビザ等で入国していた教団の信者、582名(281名は日本人)が、伝道修習生というビザへの切りかえを申請したが、アメリカの移民帰化局は、本当の目的は花売りや新聞売り等の経済活動や募金活動等にあると判断し、資格変更の申請を却下する。
- 3月5日 韓国で「リトルエンジェルス芸術学校」を開校。(教団が所有し運営するが教師と学生のほとんどは一般人で、カリキュラムに宗教はない)。[19]
- 4月4日 北朝鮮へ嫁いだ日本人妻の帰国実現を目指す「日本人妻自由往来実現運動本部」(後に「~実現運動の会」と改名)を結成。代表の池田文子の本名は江利川安栄。日本人妻からの手紙を出版。(機関誌『望郷』(1974年)や『鳥でないのが残念です』(1979年))
- 4月12日 韓国の『東亜日報』で韓国のキリスト教界が合同で統一教会(統一協会)に関する意見広告を出す。「文鮮明は、人類の血管にヘビの血が流れている、これが罪の遺伝であり、そのため文鮮明の聖なる血を受けて血分けをしなければならないという混淫の主張をしている」という内容。[22]
- 5月7日 東京の帝国ホテルで、『希望の日』晩餐会と題する文鮮明の講演会が行われる。(名誉実行委員長は岸信介) 福田赳夫大蔵大臣は「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返す。安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(大阪日々新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らの他、40名ほどの小学校、中学校、高校の校長達が出席。
- 5月9日 埼玉県の狭山湖畔で大会が開かれ、全国から7、8千人の信者が集まる。文鮮明は自分にはお金がないから、みんなで高麗人参茶を売るよう指示し、5月から8月にかけての90日間で、400箱売るという“誓約書”を書かせる。[23][24]
- 9月18日 文鮮明がニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで「希望の日」講演会を行う。2万数千名が集まる。
- 11月14日 岸信介元首相が統一教会(統一協会)を訪問し、文鮮明と会談。当時の写真
[編集] 日本で経済活動が中心になって以降
- 1975年
- 経済一本化方針が出され、統一教会(統一協会)所属の経済活動従事者がハッピーワールドに吸収される(副島嘉和の手記による)
- 1月1日 日本において、日刊紙『世界日報』が創刊される。
- 1月 信者になった娘を持つ本間てる子が「原理運動反対父母の会」を結成。
- 5月 コロンビア大学クラブを100万ドル(約4億円)で買収し、アメリカ統一教会本部とする。
- 7月 教団関連の商事会社「統一産業」株式会社(渋谷)が銃砲販売専門の子会社「アングス」を設立。統一教会の会員が35の直販店の経営にあたり、年間約1万丁を1丁2万円で輸入、主に信者向けに販売する。翌1976年に『朝日ジャーナル』(12月号)が報じる。[12]
- 9月20日 アメリカで「統一神学校」が開校する。(バリータウンにあるカトリックの教育団体クリスチャン・ブラザーズから買収した)
- 世界127か国に宣教師を派遣。
- 1976年
- 2月 旧ティファニービルを240万ドル(約9億円)で買収。
- 「 ニューヨークセイロモータース」設立。後にシカゴ、ヒューストンでも営業。
- 4月 旅行会社「世一観光株式会社」を設立 。
- 5月 マンハッタンのニューヨーカーホテルを500万ドル(約15億円)で買収。世界宣教本部や原理研究会・日本統一教会のニューヨーク・オフィスがあるほか日本から派遣された信者が多く住む。
- 同年後半 朴正煕(パク・チョンヒ)政権下の韓国において統一教会(統一協会)に対する批判が解禁になり、「リトル・エンジェルス劇団」の海外公演が禁止される。[25]
- 9月6日 米国に滞在している原理運動「統一教会」の外国人信者(大半は韓国人および日本人)700人に対し、連邦判事が「宣教師見習」としての資格を認めないとの裁定を下したため、移民局は国外追放の手続きに必要な措置を直ちにとるよう関係機関に指示する。
- 9月18日 文鮮明がワシントンDCで講演会。50万人が集う。ユダヤ教とキリスト教と「統一教会(統一協会)」が一つとなって、世界の宗教を統一すべきと訴える。
- 11月15日 衆議院議員選挙の公示日直前に、宇都宮徳馬議員を批判した記事を載せた「国際勝共連合」の機関紙『思想新聞』(同年11月13日付号外)が数十万枚配られるという組織的な選挙妨害が行われる。
翌12月の27日、宇都宮側は8人の連名で、警視庁に選挙妨害として告発する。[26] - 12月18日 警視庁は教団の信者たちが一般家庭を訪問して、一和の高麗人参濃縮液を高血圧、がん、肩こり、肝臓などに効くという薬効を謳って販売していたことを薬事法違反として、新宿区、杉並区、大田区の3店舗を捜査。
- 12月31日 アメリカで日刊紙『ザ・ニューズ・ワールド』を発刊。
- 1977年
- 反共の国、台湾で統一教会(統一協会)の活動が禁止される。
- 1月27日 「原理運動被害者父母の会」が内容証明郵便で福田赳夫総理大臣宛に統一教会(統一協会)への対策を求める陳情書を送る。
- 1月下旬 数カ月前から内偵が続けられていた韓国の「一和製薬」に一斉捜査が入り、社員40人が連行、20人が拘束され取調べを受ける。
- 2月3日 東京都の北区の議会で、北区の教育長が統一教会(統一協会)の信者の伝道部隊である「世界統一十字軍」に対して推薦の言葉を書いたことが議会で問題になる。教育長は、教育上共鳴する面があったので書いたが、宗教団体とは全く知らなかったと謝罪。
- 2月 「一和製薬」が59億ウォン(約36億円)を脱税した容疑で幹部5人が拘留・起訴される。治安本部特別捜査班によれば、1972年から原料購入費の偽装支出、偽装増資などによって脱税をした疑いがあるとされる。
専務・洪性杓(36家庭)ら5人が逮捕され、日本に逃亡したとみられる金元弼(キム・ウォンピル)社長も起訴される。 - 鹿児島教会の信者たちが高麗人参茶を、効能を謳って販売していたことが、薬事法違反に問われる。
教団は東京都庁に、高麗人参茶販売を法人の収益事業として許可してもらうように相談したが、規模が大き過ぎる等の理由で、許可されず。[27] - 2月24日 サンフランシスコの裁判所で、5人の親が教団に入信したわが子を30日間手元におく権利を求めた訴えを認める。教団は直ちに控訴したが、同年4月3日の サンフランシスコ上級裁判所も親達の訴えを認める判決を下す。統一教会(統一協会)側はカリフォルニア州高裁に控訴。『東京新聞』が報道 。[28]
- 2月7日 衆議院予算委員会で、日本社会党の石橋政嗣書記長が、「原理運動被害者父母の会」の「世界基督教統一神霊協会の日本に於ける不法活動を調査し・摘発し・処分し・禁止を求める請願書」、に基づき質問。福田赳夫総理は「実態調査をした上どうするかを判断する」と答弁。[29]
- 4月4日 アメリカの下院の外交委員会(フレーザー下院議員を委員長とする国際機構小委員会)は「米韓関係の調査について」の中間レポートで 「統一教会(統一協会)」の政治工作を報告。
- 4月6日 衆議院の法務委員会で日本社会党の西宮弘が福田赳夫大蔵大臣と統一教会(統一協会)の関係を追及。政府側は福田蔵相の文鮮明への賛辞の記録はないととぼける。当委員会の委員長上村千一郎も参加していたが、「記憶がない」ととぼける。
- 4月11日 東京法務局が教団本部で、橋本総務部長、副島嘉和公報企画部長、佐川部長と会い聴取を行う。入信を強制してはいないか? 修練会について、親、親族、先生との音信や面会、街頭販売と教団の関係、入信に当っての親子の意見対立、「原理研究会」と教団の関係、資金源についてなどに関して質問した。
- ニューヨーク州が「統一教会(統一協会)」が集めた年間150万ドル(約3億円)の募金のうちで本来の目的に使われているのは7 %程度しかないと認定して、教団の募金を禁止する。『ワシントン・ポスト』が報じる。[28]
- 5月4日 神奈川県警環境課と横浜・寿署は、「ガンに効く」など言って、医薬品ではない高麗人参エキス(一和)を大量に売っていた横浜市の教団関連の会社とその責任者を薬事法違反容疑で摘発、身柄を横浜地方検察庁に送検する。新聞でも報道される。 5月18日に責任者と会社に罰金が科せられた。 [26]
- 5月7日 文鮮明とウォーキートーキー(小型無線機)を持った護衛を含む教会員10名(2名は日本人幹部)がニューヨーク市北部のバード・カレッジという大学の構内に不法侵入した疑いで逮捕される。『毎日新聞』が報じる。(同上)教団側は不法侵入ではなく観光、滝を見ていたと説明した。保釈金を積んで釈放される。
- 1978年
- この頃から、先祖の霊が苦しんでいるとか、先祖の因縁を説かれ、高価な印鑑、壺、多宝塔等を購入した多くの者が、国民生活センターや各地の消費生活センターに苦情を寄せるようになる。
- 3月 「幸世商事株式会社」を「世界のしあわせ株式会社」に商号変更
- 3月23日 アメリカのフレーザー委員会、米下院国際関係委員会国際機関小委員会において、教団のフロント組織と見られる韓国文化自由財団とKCIAの関係を全面否定していた朴普煕が、厳しい追及によって、 担当の金相根駐米大使館参事官からワシントン郊外の自宅で3000ドルの現金を受け取ったことを認めたと新聞で報道される。 朴普煕は女性信者{江利川安栄、(777双)}をソウルに呼び寄せ、その3000ドルを手渡したという。朴は「彼女にKCIA の金を手渡したのは、あとにも先にも、この一回だけだった」と語ったという。[30]
- 4月 江利川安栄がコリアゲート事件に関連して、3000ドルを朴普煕を通して受け取ったと記者会見で告白する。
- 6月22日 朴普煕がフレーザー下院議員を名誉毀損罪で訴える。
- 9月 統一教会(統一協会)に対する批判者、卓明煥(タン・ミョンファン)新興宗教問題研究所所長が、「一部の統一統一教会(統一協会)離脱者たちが提供した資料には多くの誤りがあった」として、謝罪文を『朝鮮日報』ほかソウルの5大新聞にに掲載。[2]
- 10月1日 統一教会(統一協会)出版局が「日本共産党の宗教迫害」と題する冊子を発行。“「文鮮明が血分けと称して混淫していた」とか「統一教会がKCIAによる政治的謀略組織である」といった宣伝は全くの事実無根であり、日本共産党の宗教弾圧政策のはしりである”などと記載。[3]
- 11月1日 アメリカの下院の外交委員会(フレーザー下院議員を委員長とする国際機構小委員会)は「韓国の対米関係に関する調査」と題する報告書(フレーザー報告)を発表。文鮮明が主宰する統一教会その他多数の宗教・非宗教団体が実質的に一つの国際組織を形成していること、文鮮明組織の目標の中には文鮮明とその信者によって統合される世界政府の樹立が含まれていることなどを報告。
- 米国統一教会(統一協会)は、フレーザーらに対し、損害賠償訴訟を提起。
- フレーザー報告の内容を『読売新聞』が、夕刊一面トップで報道。久保木会長が中曽根康弘を通じて読売新聞の渡辺恒雄に猛抗議。
- 「国際勝共連合」がスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を展開。
- 11月 原理運動による社会的なトラブルの対策のため、参議院議員の市川房枝らの呼びかけにより、「原理運動を憂慮する会」が発足。早稲田大学総長の村井資長が会長に就任。神学者浅見定雄らが参加。
- 11月 「世界のしあわせ株式会社」を「株式会社ハッピーワールド」に商号変更。
- 1979年
- 1980年 年頭標語 : 「家庭教会、天国基地」
- 文鮮明の指示で経済組織が教会組織の上に立つ体制になる。桜井設雄伝道局長が古田元男の部下になる。
- 1980年代前半に 日本で「国際機動隊」が結成される。マイクロバスに乗って、全国を周り、戸別訪問で、難民のための募金や、珍味、印鑑、靴下、ハンカチなどを戸別訪問で売って回る。
- 「しんぶん赤旗」・元特派員でジャーナリストの萩原遼が書いた『淫教のメシア・文鮮明伝』が出版される。
- 10月20日 海洋訓練による教育を行うオーシャン・チャーチを開始。
- 12月 布教が認められていないアフリカのタンザニアで笹本正樹宣教師が闇ドル売買のおとり捜査にひっかかり、逃げようとしたところを警官に射殺される。統一教会(統一協会)初の殉教者となる。
- 1981年 年頭標語 : 「家庭教会は私の天国」
- イギリスで6年間に渡る名誉毀損裁判で、英国高等法院陪審は統一教会(統一協会)は若者を洗脳し家庭を破壊するカルトであるという全国紙「デイリー・メール」の記事は信頼できると結論。教会を「政治組織」と表現し、慈善団体としてのその免税特権廃止を検討するように促した。統一教会(統一協会)は160万ドル(約3億円)の裁判費用の支払いを命じられる。英国史上最も長く、費用のかかった裁判となった。
- イギリスの内務省が文鮮明の入国申請を却下。
- 日本の法務省は文鮮明の入国申請を却下。
- 5月4日 文鮮明がアメリカ人の愛国心を高める目的で製作させた映画「インチョン! 」がアメリカで公開されるが、興行成績がふるわず、わずか数週間で打ち切られる。
- 5月16日 文鮮明の長女、誉進(イエジン)と洪珍輝(ホン・チンフィ、洪蘭淑の兄)が祝福(教団の結婚)される。マッチング(ペアを決める)の翌日に結婚式が行われたが、祝福関連の儀式の多くは省略されたという。同時に530双のマッチングが韓国で行われる。久保木哲子会長夫人(当時)が日本人150名の写真を韓国に持っていき、その中で25組の韓日カップルが誕生。 [19]
- 11月8日、韓国ソウルで第10回「科学の統一に関する国際会議 (ICUS)」会議で文鮮明は全世界を高速道路で結ぶ「国際ハイウェイ構想」と「日韓トンネル」建設を提唱。
[編集] ビデオ・センターでの伝道体制以降
- 1982年
- 4月 自己啓発のためのビデオセンターという体裁での伝道体制が始まる。全国15か所。その後も各地に開設していった。
- 4月と6月 EC(欧州共同体)会議が、統一教会(統一協会)の活動に対する対策に関する決議案を文教委員会に付託。
1、メディアによる統一教会(統一協会)の活動に対する摘発。2、免税特権や公益法人としての利益を与えないこと。3、青少年への脅威についての調査報告を求める。などの内容。[4] - 5月 アメリカで新聞『ワシントン・タイムズ』を創刊。文鮮明の側近、朴普煕が初代社長に就任。(前年に、米国で唯一の保守系新聞であった『ワシントン・イブニング・スター』紙が廃刊になったことに危機感を覚えた政府が、保守系日刊紙の創刊を財閥など打診したが、採算が取れないことを理由に断られていた中で、統一教会(統一協会)系列のメディア会社、「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社がそれに応じた)
- 8月6日 日本の『世界日報』が侵略を進出と文部省が教科書検定で書き変えさせたというマスコミ報道が誤報であると論じる。
- 秋頃 この頃から教団名を隠した伝道方法を取るようになる。
- 10月 韓国の女性月刊誌『女苑』(ニョウォン)11月号で、「微笑の翼、紫の鶴」と題して文鮮明の夫人、韓鶴子(ハン・ハクジャ)の特集記事が掲載される。日本語訳
- 10月 ビデオセンターの設置について、東京都総務局行政部指導課に相談したところ、ビデオ受講時に受講生から料金を徴収することは収益事業とみなされるので、規則にないことは行ってはいけないとの指導を受け、1983年1月の責任役員会議において、公式にはビデオ受講施設の設置は行わないことを決定した。[4]
- 10月14日 韓国ソウルで6,000組の合同結婚式が行われる。「天運教」(後の「天地正教」)の教主川瀬カヨが独身祝福を受ける。
- 1983年
- 文鮮明が突如、1945年から1985年8月15日までの期間が「荒野40年路程」であると発表し、最後の三年路程の決断式を行う。
- 10月1日『世界日報』事件。教会色を押さえ一般紙を志向した副島嘉和編集局長らの路線を乗っ取りと考えた「国際勝共連合」理事長、梶栗玄太郎ら信者達約100人が世界日報社に押しかけ、副島らを暴力的に追い出す。記者達が殴られ、多数の負傷者が出た。警官80人が出動。以後、『世界日報』は教会色を強める。副島は同月5日に辞任に追い込まれ、7日には統一教会(統一協会)を除名される。
- 家庭を持つ基準についての不公平の是正を求めて教会本部に提出された「しあわせの手紙」が1610双の間で出回り、内部で大きな問題となる。
- 1984年 年頭標語 : 「祖国創建」
- 1月3日 「愛勝日」宣布。 文鮮明は、自動車事故で亡くなった次男の文興進(ムン・フンジン)が霊界で全権大使になったと宣言。イエス・キリストより高い位置にあるとされる。文興進が亡くなった理由は信者達が責任を果たせなかったことの身代わりとなった」とされた。(1988年1月2日)
- 1月12日 青森地裁弘前支部における刑事裁判で、教団の信者らが、主婦に対し、ホテルの部屋で約9時間にわたって、「中絶した子供や死去した夫を成仏させないと、今の子供や夫に大変な不幸が起こる」などと脅かして、1,200万円を献金させた行為が恐喝罪に当たるとして信者3人に有罪判決を下す。信者の一人は、未亡人の女性に御主人の霊が乗り移ったと称して殴りかかった。
- 2月20日 文鮮明は亡くなった次男、興進と側近の朴普煕の娘、朴薫淑(パク・フンスク、当時21歳)と霊界結婚させる。 アメリカの法律では認められないので、文鮮明は朴薫淑を養女にした。
- 6月 この月発行の『原理講論』から「聖書索引」がなくなる。
- 6月2日 統一教会(統一協会)の告発記事の掲載を取りやめるようにという教会側からの要請を拒否していた元『世界日報』編集局長副島嘉和(37歳 777双)が、“韓国の空手を使った”男からメッタ刺しに遭う。(同年8月1日 自ら発行する『インフォメーション』で「犯人は勝共連合の空手使いだと思う」と述べた。)『読売新聞』、『朝日新聞』、『毎日新聞』の各紙が報じたが、『世界日報』は記者が病院にかけつけていたが、この事件を報道せず。他紙もその後、続報はなかった。この事件は犯人を特定できないまま、時効を迎えた。
- 6月10日「世界日報」社を追放された副島嘉和と井上博明(元「世界日報社」の営業局長、元四国ブロック長)が連名で書いた告発手記(「これが統一教会の秘部だ」)を掲載した『文藝春秋』1984年7月号が発売される。教団が韓国中心主義である事、霊感商法のマニュアルや資金の流れなど、教団の内幕を暴露。
- 勝共連合を反共運動の同志と考えていた民族派や右翼が、副島手記にある、久保木修己会長が、天皇の身代わりで、文鮮明に拝礼しているという内容に激怒し、久保木会長に質問状を出す。3ヶ月後に久保木は、副島手記の内容を否定する回答をした。
- 久保木勝共連合会長の講演会、「平和と安全を守る七大都市大会」が行われる。大阪大会では、右翼や民族派が「勝共運動は、文鮮明の手先」「世界を股にかけるペテン師の金集め」などの批判ビラを会場周辺に張り、「大会粉砕」を訴えた。
- 7月20日 アメリカで文鮮明が脱税の罪で懲役1年6ヶ月と2万5000ドルの有罪判決を受け、コネチカット州ダンベリー刑務所に入獄。弟子の神山威も(偽証罪)で共に入獄。
- 9月14日 この日から7回にわたり『朝日ジャーナル』が「原理運動追及」のタイトルで統一教会(統一協会)批判キャンペーンを掲載。教団の抗議に対して、ジャーナル側は訂正記事を出すことを拒否したが、統一教会(統一協会)広報部長(当時)坂詰博の反論のために4ページ誌面を提供する。
- ニューヨーク州マンハッタンに日本食レストラン「黄花(きいろいはな)」を設立する。
- 1985年
- 日本宣教の開拓者である西川勝がニューヨークの文鮮明に脱会の意向を伝えに行くが、弟子を通じて会わないと断られ、静かに教会を去って行く(教団の拝金主義に呆れたと後に述懐している)。[9]
- 1月 民族派団体一水会代表の鈴木邦男が『朝日ジャーナル』2月1日号で、「勝共連合は民族主義運動の敵だ――文鮮明王朝建設に利用される日本の若者」と題して、統一教会(統一協会)の反共は方便であって、実際は共産主義的であり、文鮮明は日本人の贖罪意識を利用して、文王朝を目指していることなどを指摘。民族主義運動家たちが、統一教会(統一協会)を仲間とみなすことに警告を発する。
- 日本の『世界日報』が昭和天皇在位60年・戦後40年を記念して昭和天皇の終戦直後の御巡幸の足跡をたどったシリーズ「天皇御巡幸」を掲載。
- 4月16日~ 米国牧師会議において、米国の牧師たちが統一運動のルーツを訪ねる韓国・日本ツアーが始まる。1988年7月まで、延べ7845名が参加。
- 6月6日 アメリカのレーガン政権が、イランへの武器売却代金を共産化したニカラグアに対する反政府ゲリラ「コントラ」援助に流用していたことが暴露され、議会がイランへの武器販売および「コントラ」への資金提供に反対していた最中、文鮮明は『ワシントン・タイムズ』紙で、「コントラ」に対し、1400万ドル(約35億円)の援助することを発表。
- 『朝日ジャーナル』が統一教会(統一協会)の批判記事を載せた際に、朝日新聞東京本社に1週間で4万6000本の抗議電話がかかり、回線がパンクした。[31]
- 6月22日 「日本カトリック司教団」が信者に向けて「世界基督教統一神霊協会に関する声明」を出す。統一教会(統一協会)がキリスト教でないこと、関わり合いを持たないよう注意を促す。
- タイにおいて、信者になった学生の両親が、「統一教会(統一協会)は、子供に物を売るようにだましたり、両親を尊敬しないように子供を洗脳したりしている」として、公安警察に被害届けを出す。タイの伝道拠点「統一文化センター協会」を始める計画は頓挫する。
タイ政府は国の治安と国民の道徳をかき乱すおそれがあるという理由で、統一教会(統一協会)の活動を禁止する。 - 「日本人妻自由往来実現運動の会」が日本人妻問題を描いた映画『鳥よ翼をかして』を製作。
- 9月 文鮮明の先妻(崔先吉)による息子(文聖進)を筑波大学が研究員として受け入れていたことが発覚し、波紋を呼ぶ。
- 年末 文鮮明が妻の韓鶴子と共にアメリカのベルベディアで「世界皇帝」 と「世界皇后」 の 即位儀式を行う。幹部たちと一部の信者だけに参加が許された秘密儀式で、写真撮影も禁じられたという。[19]
[編集] 荒野40年路程終結以降
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- この頃、文鮮明は1ヶ月100億円の献金を達成するように、信者に強く迫った。“TV100”という合言葉で呼ばれた。(TVはTotal Victoryの略)
- 1986年
- 4月25日 合同結婚式で結ばれた男女の婚姻の無効を認める判決が最高裁で初めて確定。
- 5月15日 国会で警察庁が「霊感商法というのは各種の悪質商法の中でも最も悪質なものだ厳正な取り締まりを行っていく」と答弁。」[32]
- 『朝日ジャーナル』12月5日号で「霊感商法」の追及キャンペーンを始める。朝日新聞社の藤森研編集委員(53)の自宅に嫌がらせ電話が1日百数十本かかった。[33]
- 7月 衆参同時選挙で、霊感商法のトーカーであった信者、阿部令子(6000双)が無所属の新人として大阪3区から立候補するが、7万5,700票で次点となり落選。[5]
- 8月 「世界日報社」が『朝日新聞』の意図的偏向報道を告発する『朝日新聞の「犯罪」―誰がために情報は操作される』を出版。
- 11月、12月 TV100(ひと月に100億円の献金)が達成される。文鮮明は更に、TV300(やはり300億円の献金)を指示したとも言われる。
- 12月23日および翌1987年3月25日 通産省(現「経済産業省」)が霊感商法への対策への一環として、消費者トラブル連絡協議会において、霊感商法に係る相談事例の手口を公表し、参加11団体に対して注意喚起を要請。[34]
- 1987年
- 3月2日 統一教会(統一協会)は東京都総務局行政部指導課から霊感商法問題につき信者に対して指導するよう指示を受け、「ハッピーワールド」に対して、委託販売についての自粛を要請。
- 3月 元信者1人が全国初の「青春を返せ訴訟」を札幌地裁に提訴。
- 3月19日 通産省が杜団法人日本訪問販売協会の幹部に対し、同協会の会員になっている霊感商法に係る株式会社ハッピーワールドと株式会社「世界のしあわせ」に対し、倫理綱領違反がある場合には同協会として処分を行うように指示。[34]
- 4月 有田芳生が『朝日ジャーナル』の「霊感商法」批判キャンペーンに加わる。
- 4月6日 通産省が霊感商法に関わる株式会社「ハッピーワールド」と株式会社「世界のしあわせ」に対し事情聴取及び訪問販売法の遵守について指導。この日を含め3回指導。[34]
- 4月30日 「霊感商法」に関わる「ハッピーワールド」と株式会社「世界のしあわせ」が日本訪問販売協会を退会する。[34]
- 5月5日 朝日新聞東京本社に、2日前に起きた阪神支局襲撃事件で使われた銃弾と同一の薬莢2個を同封した脅迫状が届く。文面には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書いてあった。実物の写真
- 教団と霊感商法との関係を追及している長崎市の地域ミニコミ「ちゃんぽん」が電話攻撃に屈せずに記事の連載を続けていたところ、「いよいよ覚悟しろ」という旨の脅迫が留守番電話に吹き込まれた後に、自宅の裏の薮から空気銃で狙撃された。大事には至らなかったが、家族を避難させることを余儀なくされる。[6]
[編集] 霊感商法自粛宣言以降
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- 5月1日 ハッピーワールドが関連業者に「1987年3月末で『霊感商法』と誤解されるような販売は止めるように」と通達する。厚生省、通産省、国民生活センター にも以後、自粛するという旨を報告。
- 5月 「霊感商法」被害の救済のために全国の約300名の弁護士による「全国霊感商法対策弁護士連絡会(略称「全国弁連」)」が結成される。
- 6月3日 大阪府立労働センターで「霊石愛好会」の集会が開催。ワイドショーなどで霊能者として出演をしていた慈雲法師(本名:青木慈雲)が悟りや奇跡を呼ぶとして多宝塔の功徳を説き、「霊感商法」を擁護する。
- 6月6日 「霊石愛好会」が東京で「霊石感謝、真実の声、全国代表者大会」を開催。
- 8月「霊感商法」批判に対抗するために、教団の婦人信者を集めて、霊石(壷や多宝塔)を授かったことを感謝しているという「霊石愛好会」を作る。「霊石に感謝する集い」を各地で開催したり、自らの道場で壷・多宝塔を授ける。(販売という形でなく、献金という形でお金を受け取る)[7]
- アフリカのジンバブエのクレオパス.クンディオナ (26) に文鮮明の亡くなった次男,文興進が霊的に再臨したとして、文鮮明の公認の下で、幹部や信者らに罪の告白をさせるために1987年から1988年にかけて世界を回る。
- 日本共産党から『原理講論』の日本語版に、天皇批判と韓国中心主義に関する部分が訳出されていないと批判を受ける。(2年後の1981年度版から載せる。)
- 奈良市で結成された「原理運動に反対する被害者家族の会」の旗揚げ集会の際に約30名の集団が押しかけ、会合を流会させる。集団は、自分たちの立場を明らかにせず、教団もその集団との関わりを否定したが、その集団の中に被害者家族の会会長の家族であった信者が混じっていたことが確認された。被害者家族の会の代表者は、職場に嫌がらせの電話が殺到し、職場をやめることを余儀なくされる。[8]
- DIA(アメリカ国防情報局)が「金鐘泌(キム・ジョンピル)は、韓国での大統領選に際して、文鮮明から資金的、組織的支援を受けていた」と報告。
- 1988年
- 1月7日、8日 霊感商法における多宝塔等の販売担当者を対象とした「全国トーカー修練会」が開催。前年に霊感商法を自粛することを教団側が公表していたにもかかわらず、教団の伝道局長、桜井設雄が信者たちに経済活動を奨励する講話を行う。[35]
- 4月 文鮮明の長男、文孝進がニューヨーク市のオールド・ニューヨーカー・ホテルで自らの不品行(ドラッグ、飲酒、女性問題、自殺未遂等)を教会員の前で告白し、涙で懺悔する。p74~76[19]
- 霊石愛好会が霊感商法報道をしたNHKに「霊石を授かって感謝している人の声も公平に報道すべき」と抗議に押しかける。
- 3月3日 前年11月に宗教法人としての認可を得たばかりの「天運教」を、「天地正教」と改名する。「霊石愛好会」の組織をそのまま引継ぎ、本尊を弥勒菩薩に変える。最終的に弥勒の化身は文鮮明夫妻であると明かすという方法を取る。
- 5月頃、クンディオナが「祝福には行かなくてもいよい」、「統一教会(統一協会)とは別組織を作る」などと、反教会的発言をするようになる。
- 中国に「パンダ・モータース」(朴普煕会長)という自動車工場をつくるために、莫大な献金が要請される。信者は家、土地まで担保に入れて借金するものまで出た。広東省恵州に1,500万坪の土地を借りて10億ドル以上の投資で、年間30万台の自動車を作る計画だったが、この計画は後に頓挫した。
- 7月 阿部令子(6,000双)が自民党の渡辺美智雄の秘書となる。
- 7月4日 東京の女性が「天地正教」の不法行に対して、100万円の損害賠償を求めて、「天地正教」の土地、不動産の仮差し押さえの申請していたが、東京地方裁判所は仮差し押さえを認める決定を下す。
- 10月3日 「世界統一国開天日」を宣布する。オリンピックを通して、北朝鮮とキューバを除く共産国家が一つとなり、中国とソ連が「真の父母」(文鮮明夫妻)と一つとなったことで、世界統一国の実現への道が開かれたという。(2004年10月3日第17回 世界統一国開天日より、「天宙統一国開天日」に名称変更)
- 10月30日 6,500組の合同結婚式が韓国の龍仁市(ヨンインし)にある「一和」の工場で行われる。このとき、「交差祝福」と言われる韓日、日韓のカップルを初め、国際カップルが多く誕生した。信者は渡韓の際に、封筒に50万円ほどの現金を持たされて運んだ。
- 12月12日 三重県尾鷲市で、珍味売りのマイクロ隊がドライバーの居眠りが原因でガードレールに激突する事故を起こす。乗員7人の内2人が即死。生存者5名中3名が離教した。[36]
- 霊感商法を批判するミニコミ紙を発行していた長崎市の広告業者「ちゃんぽん」が、激しい嫌がらせ電話を受け、長崎県弁護士会人権擁護委員会に人権侵害救済の申し立てをする。弁護士会は調査の結果、統一教会(統一協会)によるものと判断し、教団に人権侵害行為をやめるよう勧告書を送る。[9]
- 1989年
- 1990年
- 2月 阿部令子(6000双)が大阪3区から衆議院選挙に立候補する。選挙戦中盤で自民党の公認を受けたが、2度目の落選となる。(7万5000票で次点)
- 3月5日 台湾で約15年振りに、統一教会(統一協会)の伝道活動が公認される。
- 4月10日~13日 モスクワで第11回世界言論人会議が開催。文鮮明はゴルバチョフソ連大統領と会談し、支援を表明する。文鮮明はゴルバチョフに「特別な贈り物」だとして、「霊感商法」で売られていたのと同様な龍の彫り物のある大理石の壷を手渡す。
- 教団の教えに反したことを理由にジンバブエの宣教師、神吉秀明とクンディオナを除名処分にする。
- 6月25日 フランスの最高裁判所で統一教会(統一協会)フランス支部会長を脱税で有罪とした高裁判決(1998年1月26日)が確定。宗教を隠れ蓑に新聞販売などで上げた利益を帳簿操作で隠していた。
- 7月22日 文鮮明の長男、文孝進が日本で、「統一教会全国学生一万人大会」を行う。
- 10月 オウム真理教が熊本県の波野村(現「阿蘇市」)に進出をめぐり、国土利用計画法違反事件で強制捜査された件を機関誌『中和新聞』で、国家権力により、宗教弾圧であるとして、オウム真理教を全面擁護する。
- 1991年
- 5月 教団本部の土地、建物に韓国の第一銀行(現SC第一銀行)の13億4千万円の根抵当権が新に設定される。(以前にも同じ不動産に52億4千万円の根抵当権が設定された。)
- 7月1日午前7時、韓国漢南国際研修院において、文鮮明が「七・一節」を宣布。神の祝福はもはや永遠なるものとして揺るがないという意味を込めて「神様祝福永遠宣布式」とも言う。父母の責任時代が終わり、子女の責任時代が始まることによって、新しい時代へ転換したとされる。
- 8月 ソ連内の3千名の青年・学生にソ連反改革派のクーデターに対するデモを指示したという。
- 8月15日 『世界経典』を出版。世界宗教の普遍的な価値的内容を集約したものとされる。
- 8月27日 文鮮明が「世界平和宗教連合」を創設。人間における体の立場にある政治を心の立場にある宗教が主体となって導いてゆくという関係を作るべきだとされる。
- 8月28日 文鮮明が「世界平和連合」を創設。前述の体に当たる政治が神様を中心としたものとなるべきとされる。
- 9月16日~25日 韓鶴子が日本で巡回講演。
- 9月26日 長年アメリカの責任者であった神山威が日本統一教会(統一協会)の会長に就任。
[編集] 「還故郷」の摂理以降
- 1992年
- 3月26日 文鮮明が特例措置で14年ぶりに日本に入国。アメリカで脱税により1年以上の実刑判決を受けているため出入国管理及び難民認定法第5条の規定では原則として終生日本に入国できないが、「北東アジアの平和を考える会」という国会議員の会合に出席する名目で法務大臣 田原隆から同法第12条の上陸特別許可が下りた(自民党の金丸信副総裁の法務省に対する政治的圧力により入国させたと言われる)。しかし、その会合は30日の1,2時間だけで、滞在期間の大半、文鮮明は日本の教団幹部との会合や信者への講和に駆け回った。
- 3月27日 参議院の法務委員会で、日本共産党の橋本敦議員が文鮮明の入国問題に関し質問。[39]
- 3月31日 文鮮明が金丸信、中曽根康弘と会談。
- 4月8日 社会党の佐藤三吾 議員が文鮮明の入国問題に関し質問。[40]
[編集] 韓鶴子が表舞台に立って以降
- 春 「アジア婦人連合」の大会で桜田淳子が講演する。
- 4月10日 韓国で、文鮮明婦人、韓鶴子が総裁を務める女性運動のNGO、「世界平和女性連合」の創設大会が行われる。
- 4月10日~13日 ロシアの新聞社、イズベスチヤが統一教会(統一協会)の教えや活動を載せた『神と私たち 文鮮明師の教え』を10万部発行し、ロシア各地に配布する。
- 4月15日 北朝鮮で金日成主席生誕80年を記念するマスゲームで、日本植民地時代の独立運動家など8人の愛国者の一人として「文鮮明」を称える。
- 5月11日~ 韓鶴子が世界巡回講演。「理想世界の主役になる女性」または「世界平和における女性の役割」をテーマに講演。
韓国、日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ロシア、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、中国。 - 統一グループの「セイロ・マシナリー・ジャパン」社が51 %を出資する「メコン社」がベトナム初の国産自動車工場を完成。
- 6月 『週刊文春』7月2日号に「山崎浩子が統一教会に入信、ソウルで集団結婚!」と題したスクープ記事が出る。
- 6月25日 東京・千代田区麹町の食糧会館で、山崎浩子が記者会見。神様が選んで下さった方なら絶対分かりあえると今回の合同結婚式に参加することを表明。3年ほど前から知人から紹介されてビデオで学ぶようになったことなどを語る。
- 6月30日 東京・赤坂のTBSで桜田淳子が記者会見。見ず知らずの相手でも価値観が一緒であるならば迷いはないと、今回の合同結婚式に参加することを表明。教団に入信している姉夫婦の影響で入信するようになったこと、仕事より、家庭を優先して行きたいことなどを語る。
- 7月3日 文鮮明が自らが再臨主であることをはっきりと公開すると語る。
- 7月6日 文鮮明が自らが再臨主であり、メシヤであり、真の父であり、救世主であり、一族を動員し、歴史を動員して研究しなければならないときが来たと語る。
- 7月12日 東京・飯田橋のホテル・エドモントで徳田敦子 (教団関連のワコム社員)と津谷重典(この年にワコムに入社。ワコムは後に教団との関係を断つ)が婚約発表記者会見。徳田は文鮮明が自分に一番ぴったりの人を与えて下さったなどと語る。津谷は合同結婚式の費用に関する質問に、60万円だけで、多に献金はないと答える。
- 7月19日 新宿のワシントンホテルで山崎浩子と勅使河原秀行が婚約発表記者会見。勅使河原は再臨のメシアである信じている文鮮明に一番相応しい方を選んでもらったと理解していると語る。山崎は合同結婚式に参加するには、再臨のメシアである文先生ご夫妻を受け入れなければならないと語る。合同結婚式の費用に関しては60万円の他には要らないと2人とも回答した。
- 7月28日 日航ホテル大阪で、桜田淳子と東伸行が婚約発表記者会見。桜田は芸能界の仕事は続けたいと語る。東伸行の母と姉(2075組)も会見。
- 7月30日 文鮮明の亡くなった次男、文興進が再臨したと言われていたクンディオナと神吉秀明が東京第二弁護士会で記者会見、8月2日の千葉県の幕張メッセでの反統一教会(統一協会)の特別集会でも講演し、文鮮明の性的スキャンダルを告発。
- 8月24日 合同結婚式の前夜、ソウルのリトルエンジェルス芸術会館で行われた合同晩餐会で文鮮明が16歳の時にイエス・キリストによって召命を受けたことや自らを真の父母・救世主・再臨主であると初めて公にメシア宣言をする。テレビでも報道されたが大きな反響は起こらず。
- 8月25日 韓国ソウルのオリンピックスタジアムでの第一回「世界文化体育大典」において、3万組国際合同結婚式が行われる。桜田淳子、山崎浩子、徳田敦子の有名人が参加することで世間の注目を浴びる。式典の模様が始めてマスコミに公開される。
- 霊感商法問題を初め教団の様々な問題がマスコミで批判され、それまでの霊感商法や戸別訪問による経済活動が困難になる。
- 9月24日 日本における世界平和女性連合創設大会で文鮮明の妻、韓鶴子が東京ドームで講演。その後、日本全国10大都市で講演
- 1993年
- 1月7日藤井羑雄(ふじいみちお)が日本統一教会(統一協会)の会長に就任。
- 2月14日 霊感商法の裁判に関わる弁護士達に、藤井羑雄(みちお)会長名で、統一教会(統一協会)の4,000億円(内、800億円は「天地正教」分)の負債を解決するという旨の封書が内容証明郵便で届けられる。教団は会長に連絡がとれないとして、その文書の真偽を確認させなかった。
- ○月○日 世界日報社が経営難のため、JR渋谷駅前ビルの電光看板を撤去する。
- 山崎浩子の失踪事件についてインタビューされていた神山威会長が、霊感商法について質問された際に、「日本は法治国家だから、裁判で決着をつけましょう」という旨の発言をする。
- 3月10日 山崎浩子の失踪騒動に関して、勅使河原秀行が東京都内の病院で記者会見。強制改宗グループによる拉致・監禁の手口に酷似していると語る。山崎と最後に別れた三重県鳥羽警察署に捜索願いを出したことも明かした。
- 4月21日 山崎浩子がTBSで記者会見を行い、自分がマインド・コントロールされていたと語り、統一教会(統一協会)からの脱会と、勅使河原秀行との結婚解消を涙ながらに表明。[11]。同日、元信者のスティーヴン・ハッサンの『マインド・コントロールの恐怖』が出版される。
- 5月13日~24日 文鮮明が全米12カ国都市講演で、「真の父母と成約時代」のテーマで講演。人類最初の真の家庭の完成を宣布できたことを無上の光栄と思うと語る。
- 5月20日~8月 韓鶴子が米国44ヶ都市で「真の父母と成約時代」のテーマで講演。9月10日~30日には日本の27か所で、10月4日~31日には韓国の主要大学40校で、10月31日には韓国国会議事堂議員会館会議室で、11月2日から12月22日には世界39か国43か都市で、同様の講演。
- 5月31日 教団は俳優のテレビで文鮮明が「血分け」をしてきたなどと語った俳優の中村敦夫を名誉毀損に当たるとして刑事告訴。
- 7月18日 阿部令子(6000双)が3度目の衆議院選挙に挑戦するが惨敗。前回の8万票から半減近い4万4千票にとどまる。「勝共推進議員」100人立候補中19人が落選(菅原喜重郎・大塚雄司・小林興起・牧野隆守・東力など)
- 7月28日 韓鶴子が米国議会ダークセン上院議員会館で、「神様、女性と真の家庭」のテーマで講演。
- 8月9日~29日 日本の女性信者のアラスカでの修練会。
- 9月4日~8日 日本の男性信者のアラスカでの修練会。7日には韓鶴子の国連講演に参加。
- 9月7日 韓鶴子がニューヨーク市の国際連合の第2会議場で、「神、女性、そして世界平和」のテーマで講演。国連議長ストヤン・ガネフが韓鶴子を紹介。
- 9月 北海道の岩見沢教会の裏帳簿の流出により統一教会(統一協会)が経済活動をしていたことが明らかになる。[12]
岩見沢教会が突如、別の場所に移転する。 - 9月 教団の信者ら4人で運営されている商社、「東園商事」(Toen Trading Company、東京都杉並区)が北朝鮮へロシアの潜水艦(廃船)の販売を仲介する。防衛関係の専門誌『Jane's Defence Weekly』、『東京新聞』(1月12日号)などで報じられる。宮内取締役は『週刊文春』の取材に、完全なスクラップなので使用できないため外為法やココム規制という武器仲介にひっからないと答える。
代表取締役の柴田在慶(6,000双)は平壌を訪問して“よど号グループ”が事務所を設けている普通江(ポトンガン)ホテルで田宮高麿と会ったという疑惑について完全否定した。同社は数年前にもロシアの軍用トラックを北朝鮮に輸出する仲介をしていたという。[41]
-
- 9月17日 『週刊文春』が「統一教会系病院、命を弄ぶ霊感商法」というタイトルでホリスティック京北病院の小林常雄(ペンネームの天林は文鮮明が命名)医師の医療のあり方を批判。その後、小林医師はこの記事を名誉毀損で訴えたが、1997年2月24日、東京地裁は「医学界においても異論があり、また、癌でもないのに癌の判決をする結果につながりがちな腫瘍マーカー総合診断法に基づき…患者の不安をあおりたて、その不安に付け込んで本来不要で、かつ高額な費用負担を要する治療を行っていたということができる。」と認定して、訴えを棄却。東京高裁の1998年1月28日付判決、最高裁の同年7月16日付判決で確定した。
- 10月6日~12月22日 韓国の済州島で日本の女性信者の修練会。文鮮明が直々に「日本女性幹部特別修練会」を行う。延べ人数16万人の女性信者を参加させ、教育できるかどうかに、日本の救いがかかっているとされた。翌年の水澤里での修練会と合わせても16万人の参加は困難だったので、数を埋め合わせる為に、同じ人が数回参加したことで、象徴的には勝利したとされた。参加した者には「救国献金」という1万ドル(約110万円)の献金が要請される。(複数回参加した信者はその回数分の献金が要請された。)
- 10月8日 『週刊ポスト』に文鮮明の最初の妻、崔先吉が離婚の真相を語った記事が出る。(大林高士「血分け」論争でさらなる重要証言に遭遇、25歳文鮮明教祖との見合い、「離婚を決意した真相」)[13]
- 11月4日 草創期からの文鮮明の弟子、朴正華(パク・チョンファ)が『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版)を出版。文鮮明が自らの教えを利用して、多くの女性信者と性的関係を持ったことを告発する内容。
- NHK教育テレビスペシャルで「人間はなぜ治るのか」で、ガン克服に大きな成果をあげているとして教団関連の東京の「ホリスティック京北病院」と院長・小林常雄が紹介される。子宮ガンからの奇跡の生還をした患者として教団の信者の長友明美(以前に『神様!産ませて!』という手記を出版)が取り上げられる。視聴者から問い合わせが殺到した。有田芳生によれば番組制作の担当者は京北病院の治療を信じていたという。
- 1994年
- 1月 韓国の済州島の修練所に1,600名の日本の女性信者が集められる。到着したその晩に、文鮮明は突然、1,600名の女性信者を160か国に派遣する命令を下す。後に派遣国はくじ引きで決められた。
- 1月21日 文鮮明が統一教会(統一協会)の反対運動をしていた卓明煥(タン・ミョンファン)と文鮮明の指示を無視して政党をつくろうとした人物が同年2月18日という同じ日に死んだ(卓は新興宗教団体の信者に殺害された)ことに言及し、教団に反対する者はみな、霊界に連れて行かれるという旨の発言をする。
- 1月末 朴普煕と古田元男と金剛山国際グループのマダム・パクこと朴敬允(パク・キョンユン)会長らが北朝鮮の姜成山(カン・ソンサン)首相と会談。
- 警察は脱税問題と赤報隊事件(朝日新聞阪神支局記者殺害事件)に関して統一教会(統一協会)の調査を始める。
- 3月10日~11月20日 韓国の水澤里中央修練院で、日本の女性信者の修練会。
- 5月1日 教団創立40周年記念日。個人としての『私の誓い』が家庭としての誓いの『家庭盟誓』に代わる。
- 5月27日 福岡地方裁判所において、霊感商法をめぐる裁判で統一教会(統一協会)に、信者達の不法行為に対する使用者責任 があるとして、損害賠償を命じた初めての判決が出る。1996年2月19日、福岡高裁への統一教会(統一協会)の控訴が棄却。1997年9月18日最高裁判所も統一教会(統一協会)の上告を棄却し、慰謝料も含めて3,760万円の支払いを命じた高裁判決が確定。
- 6月20日 教団ナンバー2の朴普煕が漢南洞公館で報告された「 カーター元大統領の訪朝の背景」の中で,北朝鮮は、ソウルの1,200万人を一晩で殺すことの可能な2千トンの化学兵器を所有しているので、絶対戦争をしてはいけないと北の脅威を語る。[42]
- 7月4日 『ついに解明された1999年~ノストラダムスを超える南師古、驚異の大予言~』が出版される。(ノストラダムスを超える的中率があるという韓国の予言書『格庵遺録』が文鮮明が再臨のメシアであると予言しているという。
- 7月12日 金日成が死去した直後、北朝鮮政府から葬儀出席の招待状をもらった文鮮明は北京の北朝鮮大使館に弔花を届ける。
- 7月13日 文鮮明は側近の朴普煕を北朝鮮へ派遣。(朴は米市民権を持っているので、韓国政府の渡航許可が不要であった。)朴は金正日と会談。
- 8月17日 勝共連合の幹部の誘いで朴普煕と中曽根康弘元首相が会談。金丸信が失脚したので、北朝鮮と日本を結ぶパイプ役をお願いしたという。
- 『世界日報』(「文春『オウム真理教攻撃』のウソ」9月25日付、10月30日付)と『宗教新聞』が、宮崎資産家拉致・監禁事件がオウム真理教による犯行であるとする『週刊文春』(9月8日号)の記事をウソと批判し、オウム真理教を全面擁護する記事を書く。[14]
- 10月29日 教団に名義を貸した壮年・壮婦の組織、「[全壮協]」が借金問題の解決を求め、集団交渉をするが教団側が誠意ある回答をしないので、江利川会長に詰め寄った緊急集会のビデオが外部に流出する。
- 1977年2月に240万ドル(約5億7000万円)で買収していた「松楓殿」(しょうふうでん、1904年のセントルイス万博の時の日本館の一部)の保存運動でお金を集める。[41]
- 内閣筋が有田芳生に、統一教会(統一協会)と北朝鮮との関係を聞きたいと依頼する。
- 1995年
- 1月11日~20日 韓国の水澤里(ステンリ、すいたくり)中央修練院で、日本の男性信者の修練会。文鮮明が直々に指導。所有権返還として「貯金通帳を出しなさい!」などと語る。献金の使途に不信を持つ信者のために、幹部が文鮮明の口座番号を教えた。
- 1月19日 韓国の清平修練院において悪霊を分立する「特別祈祷修錬会」を始める。日本が韓国の乙女達を従軍慰安婦として蹂躙したため、日本の信者には従軍慰安婦の悪霊が無数に取り憑いているとされる。
- 1月20日 朴普煕が神戸教会で、阪神大震災は日本が文鮮明を入国させないことが原因であるという旨を信者に語る。日本祝福家庭総会長の鄭スウオンも文鮮明が「自分の指示通りにしなかった故の審判であり、悔い改めなければ日本がどうなるかわからない」とも言ったと語る。[41]
- 3月30日 文鮮明が「サンパウロ宣言」。これまでの基盤を南米に移し、理想国家のモデルを創ると宣言する。
- 4月3日 文鮮明が「ニューホープファーム宣言」ブラジルのマトグロッソドスル州のジャルジンを“新しいエデンの園”と宣言。
- 6月18日~7月7日 中南米を巡回講演。
- 8月 洪蘭淑が夫、文孝進(文鮮明の長男)の暴力と不品行に耐えかね、5人の子供を連れて、文家を脱出する。
- 8月8日 洪蘭淑が、アメリカCBS(TV60分)インタビューで文家の家族生活の不道徳性について赤裸々に語る。「文師は決してメシアではないという結論に到逹しました。」「(文師は)詐欺師です。」、「文師の家族と15年間生活して得た私の結論です。」
文鮮明の四女文恩進(ムン・ウンジン)は「文鮮明は、唯私のお父さんだというだけです。それだけで十分な説明になります。」と父親のメシア性を暗に否定し、父親に「サミー(サムエルの愛称)」という私生児がいることを暴露。ヨーロッパの元教団幹部の娘、ドナ・コリンズは「文師の教理と実生活があまりにも差があり、かけ離れているのを目撃したんですよ。」と語る。文鮮明は同番組に「うちの息子の悲劇的な問題で惹起された蘭淑の苦痛を可哀そうに思う」とのコメントを送った。 - 8月25日 韓国における第2回「世界文化体育大典」において、36万組国際合同結婚式が行われる。教義上、最重要な儀式である「聖酒式」を文鮮明が欠席する。2年前に山崎浩子から婚約を解消された勅使河原秀行は教団の関連劇団「世界家族芸術団」に所属する女性と結ばれる。
- 警視庁内部に統一教会(統一協会)情報を専門的に扱う部署が作られる。
- 9月5日 統一教会(統一協会)岡山教会青年学生部長ら2人が信者を取り戻すために、暴行と住居侵入罪容疑で逮捕される。7日には教団幹部ら3人が同容疑で逮捕。同年12月25日 元青年学生部長が懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受ける。
- 9月14日~20日 韓鶴子が日本で、「真なる家庭と私」というテーマで講演。10月6日~11月2日には韓国で講演。
- 10月21日~31日 文鮮明が韓国で、やはり「真なる家庭と私」というテーマで講演。11月5日~12月7日には世界16か国で講演。
- 秋 有田芳生が警察庁幹部の依頼で、千代田区の某会館で、赤報隊事件への疑惑や統一教会(統一協会)の歴史と現状を報告。
- 1996年
- 1月23日 フィリピンのマニラで合同結婚式が行われる。フィリピン政府はフィリピン「妻」約300人の出国を差し止める。フィリピン国家捜査局は、法律で禁止されている「メールオーダー・ブライド」(結婚を希望する男性の要望に応じて、業者が外国の花嫁を通信販売の商品のように斡旋すること)に当たるとして、教団への捜査を開始。
- 4月10日 文鮮明が統一するためのキリスト教の時代は既に過ぎ、世界統一時代にはいってゆくとして、この日から、教団名を「世界平和統一家庭連合」と呼ぶように指示。[43]
- 4月16日 ワシントンDCで行われたワシントン・タイムズ財団創立会での「救援摂理史の原理観」と題する講演で文鮮明はイエス・キリストは母マリアと親族である大祭司長のザカリヤによって、無原罪の神の息子として生まれたと講演。
- 6月7日 教団に入信していた女性(当時31歳)を脱会させようとして、両親と複数の者が鳥取教会へ不法に侵入し、関係者を負傷させ、その女性を連れ去る。教団は、スタンガン、鉄パイプ、チェーン等が用いられたと主張したが、鳥取県警はそうした事実は認めなかった。関係被疑者6名を住居侵入罪や傷害罪で鳥取地方検察庁へ書類送検。
- 7月20日~8月3日 韓鶴子が米国12か都市で講演。
- 7月31日~8月1日 「世界平和家庭連合」185か国結成大会。「救援摂理史の原理観」のテーマで講演。
- 11月23アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスでスペイン語新聞『ティエンポス・デル・ムンド』紙創刊の発刊を祝うバンケットを開催。ゲストとして参加したジョージ・H・W・ブッシュ元大統領は、 文鮮明を「the man with the vision」と形容し、文鮮明が編集者の独立性を尊重していると賞賛。
- 11月20日 日本の女性信者(短大卒以上)4200名を北米、中米、南米の35か国に派遣。宣教する女性信者のために、ウルグアイの首都モンテビデオで世界家族平和連合のセミナーが開かれる。 翌12月2日、日本人女性(38、鹿児島県)が、ホテルの17階から飛び降り自殺。
- 1997年
- 2月6日 東京の「青春を返せ訴訟」において、証人として小山田秀生4代目会長が教団元トップとしては初めて出廷し、霊感商法等は信者たちが勝手にやったことなどと証言。
- 3月10日 韓国の清平において、天城旺臨宮殿起工式。
- 3月23日 李相軒(イ・サンホン、36家庭、統一思想研究院院長)が83歳で他界。
- 4月10日 韓国で教団名を「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」に名称変更。
- 女性信者6,000名を海外宣教師として150か国に派遣。
- 4月16日 奈良地裁は、統一教会(統一協会)の献金勧誘活動を「正体を隠したまま不安をあおり」、「全財産を狙う組織的な違法行為である」として統一教会(統一協会)の「使用者責任」を認定。820万円を被害者2人に支払うよう命じる。 1999年6月29日、大阪高裁への控訴審では原審が被告の直接の不法行為責任(民法709条)を認めた部分を変更し、使用者責任(民法715条)を負うと変更した。2000年1月21日、最高裁へ教団の上告を棄却し、高裁判決が確定。
- ドイツ政府の厚生省的官庁が統一教会(統一協会)の問題を指摘する冊子を作る。
- 5月17日~7月2日「ユニバーサルバレエ」が日本の29か所で講演。
- 5月 オウム真理教の破産が決定し、麻原彰晃こと松本智津夫に対する裁判が開始した翌年に当たるこの年に、教団は元創価学会員の教団幹部、竹内清治の書いたオウム真理教の教義を批判する本(竹内清治『オウム教義の批判と克服』 光言社)を出版。
- 7月30日、メキシコ政府が観光ビザで入国して布教活動していた世界平和女性連合(総裁は韓鶴子 = 文鮮明夫人)のメンバー43人(うち日本人38人)を拘束し、国外退去処分とする。中央アメリカのベリーズは滞在期限の延長を拒否。エルサルバドルは8月2日に同メンバー98人を国外退去にすると表明。
- 8月頃 教団の信者たちが、「真の家庭運動推進委員会」や「世界平和家庭連合」「世界平和女性連合」「世界平和統一家庭連合」「喜びの家庭再建委員会」等の団体名で、戸別訪問や街頭での署名集め活動を全国各地で行う。「不倫しない」「純潔を守る」「離婚しない」等の誓いを記した文書に住所、氏名、電話番号を記入させ、「ワインを味見して下さい」「幸せになるお酒です」「口をつけるだけでもいいです」などと言って合同結婚式で使う「聖酒」を飲ませる。集めた署名を合同結婚式への参加と見なすとして、信者に一人180名などのノルマを課して行わせる。
- 8月6日 静岡地裁で行われていた「青春を返せ訴訟」で、統一教会(統一協会)側が「解決金」500万円を支払うことで同様の裁判で初めて、和解が成立。
- 8月9日 77歳の文鮮明が、1997年(陰暦)7月7日7時7分7秒と、7数復帰を意味する7(安息数)が8つ(再出発数)に重なった時点に合わせて、「7・8節」を宣布。
- 9月4日 「世界平和女性連合」の東京ドーム大会にジョージ・H・W・ブッシュ前大統領夫妻が講演。この後、札幌、名古屋、大阪、福岡でも講演。
- 9月6日 文鮮明が六男の文栄進(ヨンジン)と七男の文享進(ムン・ヒョンジン)を祝福。
- 10月13日 文鮮明が「訓読会」を指示。全国的に祝福家庭は、6時から1時間の訓読会時間を持つように指示する。
- 11月1日 朴正華が前著『六マリアの悲劇』で書いたことは誤りだったと告白した『私は裏切り者 その時私にサタンが入った!』(世界日報社)が出版される。
- 11月17日 韓国の清平(チョンピョン)修練院で「先祖解怨式」が始まる。
- 11月18日 朴正華が東京教会において、『六マリアの悲劇』の出版により、文鮮明の名誉を毀損したこと、会員達に苦痛を与えたこと、神の救いの摂理を妨害したことなどに対して謝罪する。
- 11月29日 アメリカ・ワシントンDCのロバート・F・ケネディスタジアムでの第3回「世界文化体育大典」において、3960万組国際合同結婚式が行われる。32億名の霊人祝福も行われたという。ホイットニー・ヒューストンがゲストとして予定されていたが、統一教会(統一協会)関連のイベントであることを知って、病気を理由に直前に出演をキャンセルする。ジョージ・H・W・ブッシュ前大統領夫妻も欠席
- 12月1日 文鮮明がニューヨークにおいて「霊界開門宣布式」を行う。霊界の文興進(ムン・フンジン)と大母様(テモニム、韓鶴子の母、洪順愛)に霊人祝福の権限を与えたとされる。
- 12月 洪蘭淑が孝進のアルコールと薬物乱用と夫の人格を理由に離婚。孝進は薬物濫用の事実を認める。洪蘭淑は「孝進は私の鼻を殴り血が吹き出した。妊娠7ヶ月でお腹の赤ちゃんが 殺されるのではと怖くて仕方がなかった」と宣誓供述書で述べる。
- 1998年
- 韓国が経済破綻し、教団関連の多くの企業が倒産した翌年にあたるこの年には、神の怨みを解き、天国に入るための条件として「総生畜献納」という160万円の献金が要請された。
- 1月1日 文鮮明は韓国を「アダム国家」から「父の国」、日本を「エバ国家」から「母の国」とすると発表。
- 1月7日 北朝鮮との合弁会社、「平和自動車」を設立。
- 1月15日 劉大行(ユー・テーヘン、430双)が「日本全国祝福家庭総連合会」総会長に就任。韓国の世界宣教師62名が来日、3月11日にも180名が来日。韓国人の幹部が日本の各地区の教会のトップに立つ体制となる。
- 2月13日 久保木修己元統一教会(統一協会)初代会長が他界。昇華式(教団独自の葬儀)に、教団を脱会した西川勝が参列し、信者を驚かせる。.
- 2月23日~3月6日 韓鶴子が日本の12か都市で、「文鮮明先生御言葉訓読大会」を行う。4月1日~16日にはアメリカ、カナダで行う。
- 3月14日 日本統一教会(統一協会)の第7代会長に初の女性、江利川安栄(777双)が就任
- 3月20日 第二次霊人祝福 36億人。
- 4月17日 アメリカのベルベデイア修練所で「子女権、父母権、王権開門宣布式」
- 4月25日 李相軒師の霊界メッセージ『霊界の実相と地上生活』(光言社)が出版される。(後に続々と出版されることになる霊界通信物の第一弾。元教師の金英順(キム・ヨンスン、430家庭)が霊界の-李相軒からの報告を受けたという。)
- 5月2日~12日 リトルエンジェルスが平壌で講演。南北分断以降、民間団体として初めての北朝鮮講演。
- 6月4日 文鮮明の三男文顕進がハーバード大学を卒業。
- 5月13日~15日 文鮮明が長男の孝進と共に、南米の大湿原パンタナールで、聖人・地獄解放のための特別精誠条件を立てたという。
- 6月11日~14日 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで「世界文化体育大典‘98(WCSF)」を開催。
- 6月13日 第一次3億6000万組第1次合同結婚式。1969年に事故でなくなった喜進(ヒジン)を含む92億の霊人が祝福されたという。聖人と殺人魔を共に祝福するとされた。
かつて文鮮明と関わりのあったと噂された女性たち(第二夫人の金明煕、「韓鶴子と共に、“二人お母様”と呼ばれた崔元福、李京俊(イ・キョンジュン)、李貞玉(イ・ジョンオク)」がそれぞれ、ソクラテス、釈迦、孔子、マホメットの妻として祝福され、ヒットラー、スターリンなども祝福されたという。(教団では四大聖人(イエス・キリスト、釈迦・マホメット、孔子)の妻たちの写真を家宝として家に飾るようにと言われている。) - ブラジルのジャルジンで、1億坪(韓国のソウルの面積の半分に相当)の土地を購入し、「ニューホーム村」という集団村を建てる。
- 7月 ブラジルのジャルジンの「世界平和理想家庭教育本部=ニューホープ・イーストガーデン(ジャルジン修練所)」(1998年7月1日に竣工)において、夫婦で参加する「世界平和と理想家庭のための40日修練会」が始まる。
- 7月3日 文鮮明の四女、恩進(ウンジン)が、両親が12年前に与えた祝福(結婚)を破棄し、騎手のRod Jekin(54)と結婚。両親のもとで育てられている、4歳と8歳になる2人の子供の養育を巡って訴訟を起こす。
- 7月19日 文鮮明の三男文顕進が「世界平和統一家庭連合」世界副会長に就任。
- 9月10日から、イタリアのトリノで、マスコミの「反カルト」キャンペーンに対する対応を協議するCESNUR(新宗教研究センター)の会議に参加。
- 9月22日 参議院の法務委員会において、中村敦夫議員(国民会議)が高村正彦外務大臣がかつて統一教会(統一協会)の代理人であり(“強制改宗”訴訟で信者を弁護)、霊感商法の元締めであるハッピーワールドから時価380万円の自動車セドリックを提供されていることを指摘し、日朝問題のさなかの外務大臣としては不適任ではないかと追求した。[44]
- 1999年 年頭標語 : 「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」
- 1月14日 教団の代表者が江利川安栄から大塚克巳・元原理研究会会長へ交替。
- 1月17日~5月28日 韓鶴子が世界80か都市で「真の家庭世界化前進大会」を行う。2月11日~3月4日には日本の16か都市で。
- 2月「世界日報(セゲイルボ)」の創刊10周年記念祝賀会をソウルで開催。国会議員を含む約1000名が集まる。金大中(キム・デジュン)大統領も参加し、「世界日報は国民が必要とする最も貴重な新聞になる」と賛辞を贈る。
- 2月4日~7日 韓国・ソウルで「世界文化体育大典‘99(WCSF)」において、二次3億6000万組合同結婚式。
- 2月22日 韓国の清平修練院で、「直系七代先祖解怨式」が始まる。
- 3月3日 8年前の1991年4月4日に40人が提訴、その後も追加提訴して、東京地裁で争ってきた統一教会(統一協会)に対する損害賠償請求訴訟が、教団関連会社であるハッピーワールドの元社長、小柳定夫の名義で3900万円の解決金を支払うことにより和解。
- 3月11日 教団の上告を最高裁が棄却し、信者による霊感商法と同一の方法による献金の強要に関し、教団に対し、使用者責任を認め、献金相当額と慰謝料を支払いを認めた東京高裁判決(平成10年(1998年)9月22日)が確定。
- 3月21日 悪の元凶であった天使長ルーシェルがこれまでの罪を反省し、神様と真の父母(文鮮明夫妻)と、全人類に謝罪の手紙を書いたとされる。[45]
- 3月24日 岡山地裁での第二次「青春を返せ裁判」で、教団が勝訴。小沢一郎裁判長は「「原告への勧誘は社会的相当性を逸脱したとまではいえない」として、原告の請求を棄却した。
- チェコにおいて、合同結婚式に、向けて1万人の署名を集めたとして、宗教団体としての登録を申請したが却下される。「世界平和統一家庭連合」などの名称で署名を集めたが、「世界基督教統一神霊協会」の名で登録申請していた。[4]
- 4月20日 韓国の済州島の「済州国際研修院」において、「全日本食口修練会」が始まる。
- 5月14日 文鮮明は、悪の本体である天使長ルーシェルが真の父母(文鮮明)に完全屈服したとして、「天宙解放」を宣布。
- 既存の説教集の合本を「聖本」と名づけ、3000万円献金した信者に文鮮明のサイン入りの「聖本」を授けるとして、各地区にノルマをかけて、 献金を奨励。
- 6月2日 江利川安栄前統一教会(統一協会)会長(777双)が佐賀県の嬉野温泉で開催された民団の「全国婦人会大研修会」で「家庭内教育の重要性」と題して講演。
- 7月18日 『週刊読売』(現『読売ウイークリー』)が「驚異 免疫療法で末期がん7割が生還」と題して、トップ記事で統一教会(統一協会)系の「ホリスティック京北病院」を絶賛。
- 8月1日~ パラグアイのオリンポで「日本国家メシヤ40日修練会」
- 9月9日9時9分9秒 文鮮明が「天地父母天宙統一解放式(九・九節)」を宣布。、神側に一から十までの数を天に奉献することによって、神様が天地の主人として登場することができると語る。
- 9月10日午前10時10分 文鮮明が「三・十節」を宣布。
- 10月27日 文鮮明の六男、文栄進(ムン・ヨンジン)がネバダ州リノのホテルから転落死。警察発表は自殺だが、内部では、事故と信者に説明。
- 11月7日 韓国の清平に天上王臨宮殿(一万名聖殿)が完成し、奉献式を行う。
- 11月20日 シカゴで「第4回真の家庭の価値バンケット」に1200名の牧師が参加。ビル・クリントン米国大統領が文鮮明に祝賀品を贈呈。
- 2000年 年頭標語 : 「真の愛の天宙化は新千年天国完成」
- 2月3日 北朝鮮の南浦(ナンポ)で「平和自動車」起工式が行われる。出席した朴普煕(金剛山国際グループ会長、韓国「世界日報社社長)は北朝鮮ナンバー2の金容淳(キム・ヨンスン)書記と南北首脳会談について討議。朴らは帰国後、韓国政府と協議。
- 2月10日 北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)が文鮮明の80歳の誕生日を祝う祝賀メッセージとプレゼントを送る。
- 2月13日 韓国において、4億組第一次国際合同祝福結婚式。
- 2月16日、朴相権(パク・サンゴン)(金剛山国際グループ社長、平和自動車社長)が金正日の誕生祝賀宴に出席。金容淳と会談。
- 2月21日~3月12日 韓国の21か都市で、「真の家庭前進大会」
- 3月7日~10日 韓鶴子が日本の4か都市で、「東西南北統一前進大会」
- 3月31日 文鮮明の三男文顯進(ムン・ヒョンジン)が世界原理研究会会長に就任。
- 4月、教団はマーシャル諸島共和国の大統領を日本や韓国に招待する。
- 4月20日 アメリカのイーストガーデンで文鮮明夫妻の聖婚40周年記念祝賀。
- 4月24日 自民党の桧田仁(ひのきだ じん)が衆院決算行政監視委員会第3分科会において、警察庁、法務省、・国税庁の関係者に統一教会(統一協会)信者に対する強制改宗問題への対応を求める質問を行う。
- 5月5日~21日 文顕進が日本の8か所で、「相続と発展」というテーマで講演。
- 5月15日 統一教会(統一協会)傘下の「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」(NWC)が経営不振が続いていたアメリカの老舗通信社UPIを買収。翌日、同社に57年間勤めたホワイトハウス詰め名物記者、ヘレン・トーマス(79)が退社とフリーランス転向を発表。統一教会(統一協会)教会系のメディア企業による買収への抗議ではとの憶測を生む。
- 5月8日~19日 韓鶴子が南米4か国で「訓読大会」。5月20日~29日には欧州各国で、5月31日にはカナダで。
- 6月23日 韓鶴子が国連NGO(非政府組織)の「世界平和教育者国際連合(IAEWP)から「グランプリ平和賞」を授与される。
- 7月24日~ 「入籍のための祝福婦人特別修練会」(21日間)が始まる。
- 8月18日~20日 ニューヨークの国連第2会場で、国際会議「アセンブリ2000」(「世界平和超宗教連合」主催)が開催。
文鮮明は「国連の刷新と平和の文化建設」と題する基調講演で、宗教指導者たちによる超宗教議会を、国連の上院組織として設置し、国連を上下2院制にすること、世界のあらゆる国境線・紛争地帯を、国連管轄下の平和地区にすることなどを提案。 - 8月18日 文鮮明が自ら組織した「世界NGO連合」(WANGO)から「万国平和賞」を受賞する。
- 8月25日 保岡興治法務大臣の秘書官(1,800双)が統一教会(統一協会)の信者だと写真週刊誌「フライデー」が報道。
- 8月30日 第149回国会 参議院 決算委員会で社民党の福島瑞穂議員が保岡興治法務大臣の秘書官が統一教会(統一協会の)信者で、合同結婚式に出席したという報道について質問。 保岡は秘書の統一教会(統一協会)との関係を否定。[46]
- 9月14日 岡山高裁で、元信者の訴えを棄却した一審を破棄し、統一教会(統一協会)の伝道の違法性を認定する全国初の判決が出る。 正体を隠し、虚言を弄し、不安を煽って高額な献金させ、宗教選択の自由を奪って入信させる教団の伝道の違法性を指摘。また元信者に対する宗教選択の自由の侵害、人格権の侵害などを認め、実損害額72万5000円に加え、100万円の慰謝料請求を認める。日本において、宗教団体による勧誘・教化行為の違法性を認めた初めてのケースとなる。
- 9月24日 韓国の天宙清平修練院で「三時代転換一体圏祝福式」祝福の権限が霊界の文興進と地上の文顕進に与えられる。
- 9月24日~ 全世界祝福家庭特別恩赦集会が始まる。
- 9月26日 「四位基台入籍祝福式」が始まる。(後に「三時代転換四位基台入籍統一祝福式」と改名)
- 10月15日~19日 文鮮明夫妻がマーシャル諸島共和国より、国賓として招請され訪問。
- 11月6日~ ハワイのコナ島で「太平洋海洋諸国の指導者のための40日修練会」を開催。文顯進も講演する。
- アメリカの大統領選挙のキャンペーンの期間中、『ワシントン・タイムズ』は、北朝鮮に対するミサイル防衛に積極的な姿勢を取らないクリントン政権の政策を批判する。
[編集] 天一国年号制定以降
- 2001年 年頭標語 : 「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対・唯一・不変・永遠なるみ旨が完成されますように」
2004年までの第一次四年路程が始まる。- 1月1日 文鮮明が信者に本日から10分の1ではなく、10分の3を献金するように強く要請する。
- 1月13日 清平の天城旺臨宮殿において文鮮明が「神様王権即位式」を行う。歴史上初めて、神様が王の位置に立ったとされる。この日を期して、「天一国」という教団独自の年号が始まる。
- 1月27日 国連本部及び各国会場で4億組第2次国際合同祝福結婚式を開催。
- 2月9日 「青春を返せ裁判」で統一教会(統一協会)側の敗訴が最高裁で初めて確定。最高裁は教団側の上告を棄却し、「不安をあおるなどして自由意志を制約し、宗教選択の自由や、自由に生きるべき時間を奪った」として、統一教会(統一協会)の詐欺的勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められるとして、献金70万円と修練会参加費相当額の損害及び100万円の慰謝料の支払い命じた2審・広島高裁岡山支部判決が確定。
- 2月25日 文鮮明の三男、文顕進が「世界平和青年連合」世界会長に就任。
- 2月25日~4月17日 文鮮明が「米国五十州巡回講演」を行う。
- 3月10日~ 文顕進がカナダで「21日指導者修練会」を行う。
- 4月28日 文顕進の三女、信禮(シニョン)が一歳一か月で他界。
- 5月27日 悪魔払いで有名なカトリックのエマニュエル・ミリンゴ大司教 (71)が、合同結婚式に参加し、聖職者の結婚を禁じたローマ・カトリック教会の教義に反して韓国人の鍼医師のマリー・サン(43)と結ばれる。前日には司祭の独身の誓いを見直し、聖職者も結婚すべきと訴える(式前日に出した声明文)。
- 6月19日 自由党の衆議院議員、菅原喜重郎が警視庁立川少年センターの臨床心理士がシンポジウムでの講演において、統一教会(統一協会)の信者に対する監禁による強制改宗を勧めるような発言があったとして、政府に質問主意書を提出。[15]政府は警視庁職員によって「監禁療法」なる手法が指導されている事実はないと回答する。[16]
- 6月29日 札幌地裁に提訴された「青春を返せ訴訟」で、14年におよぶ審理の結果、元信者らが勝訴。
- 7月 文顯進が日本における関東大会で講演。
- 8月18日から2週間 韓国済州島の国際研修院において、「世界指導者統一思想・勝共理論修練会」が開催。文鮮明が訓読会の形態で直接指導。全世界から約500名の指導者が参加。
- 8月29日 ミリンゴ大司教がローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の説得を受け、結婚を解消し、破門を免れる。
- この頃、文鮮明は原因不明の病気で2ヶ月間入院する。その病床で「十字架を降ろす運動」を指示したという。
- 11月15日 1第42回真の子女の日に当たるこの日に、韓国において、文鮮明は「天一国(天宙平和統一国)」を宣布する。式典の中で、黄善祚(ファン・ソンジョ)・世界平和統一家庭連合世界会長から「天宙平和統一国」(天一国)の国民証(IDカード)が発行されることが発表され、天一国の国民としての4つの実践綱領の説明がなされる。
- 12月25日 クリスマスのこの日に、霊界では「霊界5大宗教代表の決意文採択と宣布式」が行われたという。キリスト教、儒教、仏教 イスラム教とヒンズー教の5大宗教の創始者(イエス・キリスト、孔子、仏陀、マホメット)と代表らが 文鮮明を人類の救世主、メシア、再臨の主、真の父母であられると宣言し、真の父母(文鮮明夫妻)に侍り、神様の国と世界平和のために和合、統一、精進することを決意し、宣布したという。金英順(キム・ヨンスン)が受けた啓示として紹介した。)
- 2002年
- 2月16日 韓国ソウルのオリンピック公園フェンシング競技場及び各国会場で億組第3次国際合同祝福結婚式を開催。
- 4月 週刊文春 4月4日号が自民党の山崎拓幹事長が議員宿舎近くのマンションに囲って夜這い不倫をしていた不倫相手(当時29歳のOL)は、統一教会の信者であること、スパイ行為をしかねない団体に国家機密が漏れる可能性があり、政治家として失格であると批判した記事を掲載。山崎幹事長は事実無根だとして名誉毀損で週刊文春を訴えたが、2003年9月4日 東京地裁は、山崎幹事長側の請求を棄却し、「記事の重要部分は真実であるか、真実でないとしても真実と信じた理由がある」と述べた。
- 7月4日 5大宗教団体の代表たちの決議宣布文を全米50州の、『ワシントン・タイムズ』を初めとした主要日刊新聞に全面広告する。 約1500万軒に直接、配逹した。
- 7月14日 文顕進が埼玉スーパーアリーナで、「SERVICE FOR PEACE WORLD TOUR 2002 日本大会」194を行う。
- 8月21日 東京地裁で「合同結婚式への参加強要は違法」とする全国初の判決が出る。
- 9月18日 教団の関連企業であった「株式会社ワコム」の元従業員30名が、ワコムの社長と従業員持ち株会に対して、株式の持分の確認ないし、8750 万円の支払いを求める訴訟を起こす。ワコム側は2003年1月20日に、統一教会(統一協会)の指示により、株式の店頭公開を妨害する目的で起こされた不当な訴訟だとして、損害賠償反訴請求を東京地裁に提起した。2003年11月18日に、東京地裁は元従業員らの請求とワコム側の請求を共に棄却した。[17]
- 2003年
- 2月6日 「天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を行う。神様と真の父母(文鮮明夫妻)が天地人父母様となり、天の王権が現れることができるようになったとされる。
- 2月12日 世界日報(セゲイルボ)社は「龍平(ヨンピョン)リゾート(ドラゴンリゾート)」(江原道(カンウォンド)平昌郡、オーナーは文鮮明の親戚)を買収。韓国の財閥・双龍(サンヨン)グループの系列会社が経営していたこの会社の株の9割以上を、世界日報社が取得した。龍平リゾートは後に「冬のソナタ」のロケ地として知られるようになる。今後5年間で2千億ウォン以上を投資する計画はこの地域の江原道平昌郡が2014年の冬期五輪誘致に名乗りをあげているからと見られている。
- 韓国の雑誌『女性朝鮮』(2003年3月号)に「13名の子供を産み育て文鮮明氏の妻としての私の42年間」と題する、韓鶴子の単独インタビュー記事が掲載される。
- 3月7日 ヨーロッパの草創期の教団幹部の娘である元信者のドナ・コリンズが第37回 全国霊感商法対策弁弁護士連絡会の東京の集会で講演。幼い頃から間近で見てきた文鮮明ファミリーの実態について、やってることは嘘であり、聖の逆だと非難する。[18]
- 3月10日 浅見定雄が統一教会(統一協会)側のジャーナリスト室生忠と月刊誌「創」を名誉毀損罪訴えた訴訟で、浅見側の勝訴が最高裁で確定。
- 7月13日 韓国・天安市の柳寛順体育館と各国会場で4億組第4次国際合同祝福結婚式
- 5月18日 ユダヤ教とキリスト教の指導者がイスラエルにおいて、これまでの過ちを謝罪し和解する「エルサレム宣言」に署名する。
- 7月15日 韓国のソウルワールドカップ競技場で鮮文スポーツ財団(会長は文鮮明)の主催するサッカー大会「ピースカップコリア2003」が開催される。教団の関連する「一和」のサッカーチーム城南一和天馬を含む、世界8カ国のクラブチームが参加。優勝賞金は200万ドル。
- 8月1日 神様が万軍のエホバの名で、「国連に送る神様のメッセージ」を語ったとされる。
- 10月3日 文鮮明が「平和国連(超宗教超国家平和協議会 : IIPC)」を創設する。
- 9月19日 韓国基督教統一協会対策協議会(代表会長チェ・ジェウ牧師)が日韓国教会言論会(代表会長イ・スンヨン牧師)の事務所で、統一教会(統一協会)の合同結婚式の被害者だとする2人の信者の教団脱退記者会見を行う。元教団幹部の朴俊哲(パク・ジュンチョル)牧師が司会。元信者たちは統一教会(統一協会)による被害者を出さないために社会に告発するなどを語る。「韓国基督新聞」(同年9月23日付け)で報道される。
- 10月10日 札幌の青春を返せ裁判で最高裁判所第2小法廷は統一教会(統一協会)側の上告を棄却、元信者らの勝訴が確定。
- プロサッカーチーム城南一和が、京畿道の城南市を本拠地として選んだことに対し、城南地域の宗教界と既成キリスト教界が連合して城南市に激しく抗議。
- 10月25日 「真の子女の日」の43周年に当たるこの日に、430双の劉大行(ユー・テーヘン)全国祝福家庭連合会総会長を通し、“天の聖書”とされる『天聖経』(文鮮明の既刊の説教集の合本)が日本全国のリージョン(各地区)の責任者たちに、それぞれ1冊ずつ手渡される。
- 12月 イスラエルのガザ地区において中東平和大行進行事を開いた。統一教会(統一協会)の主催だと知らない参加者も多く、賛否両論が出る。
- 12月22日、ユダヤの地においてイエス・キリストの戴冠式を行う。
- 月日不明 文鮮明の四男、文国進が劉順珠{ユ・スンジュ、文鮮明の側近の劉大行(ユ・テーヘン)の長女}と離婚。
- 2004年 年頭標語 : 「神の祖国と平和王国時代宣布」
- 3月23日 米国議会上院オフィスビルで、「平和大使授賞バンケット」(世界平和超宗教超国家平和協議会主催)が開催される。米国の上院と下院議員の80名をはじめユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの宗教指導者約350名が参加。世界各国で平和活動に貢献した指導者らを表彰し、「平和の王冠賞」が授与された。最後に、IIPの創始者である文鮮明のこれまでの業績を称えるとして、ロスコ・バートレット下院議員(共和)とダニー・デービス下院議員(民主)がマントと王冠を授与した。これを教団は「真の父母の戴冠式」として、アメリカの宗教者や政治家たちが文鮮明を再臨のメシアとして受け入れたかのように宣伝したが、市民から参加した議員達に非難の声が上がった。[47]関わりあった議員たちの多くは「私はその日行事がそういう 性格なものだとは分からなかった。」「後で分かって非常に不快だった」などと述べたという。メデイアの報道によって問題化すると、教団関連のウエブサイトから、それらの模様を収めたビデオが削除された。
- 6月25日 札幌で、「信仰の自由侵害回復第2次訴訟」が提起される。原告52名中16名は、入信した家族・友人によって物品を購入させられた人たち。
家族・友人などが統一教会(統一協会)に入信したことにより、被害を受けたことに対する責任を教団に問う訴訟。請求総額は、6億1946万9141円。 - 7月20日 文鮮明の側近で教団ナンバー2の朴普煕が詐欺容疑でソウル東部地区検察に逮捕される。一和の工場隣の土地にマンション建設をする計画でお金を受け取っていながらも、一向に建設が始まらないため訴えられた。
- 7月26日 ソウル及び各国会場で4億組第5次国際合同祝福結婚式
- 8月20日 韓国において、世界各国各界の指導者たちが文鮮明を「平和の王」として推戴する戴冠式が行われたという。
- 9月16日 教団の関連企業、ワシントン・タイムズ・アビエーションと米シコルスキー社が韓国の金浦の航空事業共同開発を合意
- 9月23日 ソウルで「蒙古斑同族世界平和連合」(MPFWP)創設。
- 9月26日 文鮮明の四男、文國進(ムン・クッチン)が再婚。「天宙清平修練苑の天城旺臨宮殿で朴知鋭(パク・チエ)との聖婚式が行われる。大学院時代からのつき合いがあったと言われる。
- 11月 「世一観光」 イラク戦争・サーズ騒動などの影響による業績悪化のため㈱ハッピーワールド・旅行事業本部に吸収される。
- 2005年 年頭標語 : 「内外天一国理想を完成しましょう」2008年までの天一国摂理第二次四年路程が始まる。
- 1月11日 文鮮明の側近、郭錠煥(クァク・ジョンファン)・統一グループ会長が韓国プロサッカー連盟会長に選出される。
- 2月9日 韓国・天宙清平修錬苑にて「天一国5年特別祝福式」。主に韓国・日本・アメリカから代表が集い、113組のカップルが祝福を受ける。
- 2月14日 韓国の清平において、文鮮明は霊界の五大聖人をはじめ,各界,世界各国の指導者たちが、自らを「天宙平和の王」として推戴したとして「天宙統一平和の王戴冠式」を行う。
- 3月1日 韓国の日本からの独立を祝う「光復節」にあたるこの日に、韓国に嫁いだ日本人女性(教団の信者たちと思われる)60人余りが韓服姿で、京畿道(キョンギドウ)・議政府(イジョンブ)のペヨン小学校を訪れ、1000人余りのお年寄りたちを前 に、「わたしたちの先祖が韓国人に働いた数々の蛮行を、心の底からお詫びさせて頂きます。崇高な三一精神と柳寛順烈士の犠牲精神 を模範として、熱心に生きて行きます」と跪いて頭を垂れる「ジョル」という韓国伝統の礼の仕方で涙の懺悔をする。 『朝鮮日報』に掲載された写真
- 3月6~3月29 文孝進が日本各地で、コンサート。テーマは「驛(えき)」。
- 3月18日 文鮮明が統一教会(統一協会)に批判的なウェブサイトを告発し、損害賠償裁判していくことを指示する。翌日のイーストガーデンでの訓読会でも同様の指示を出す。
- 4月25日 新潟県や首都圏 の教団の元信者35人が、だまされて入信させられ、精神的苦痛や経済的被害を受けたとして、教団に総額約3億3500万円の損害賠償を求めた訴訟で、新潟地裁の大工強裁判長は、「違法な勧誘・教化行為で信教の自由や財産権を侵した」として、教団に約8700万円の支払いを命じる。 判決は原告の経済的被害 を認定したうえで「元信者を違法な活動に従事させた」とし、教団に不法行為への使用者責任があると認める。 教団は「主張が認められず遺憾。判決文を検討し、控訴したい」とのコメントを出す。全国7地裁1支部で提訴された「青春を返せ訴訟の一審は新潟の訴訟を除けば、すべて和解か原告側勝訴で判決が確定した。
- 都内一流ホテルの宴会場で毎週水曜日に行われている「世界平和超宗教超国家連合」主催の「日韓交流パーティ」に教会員の桜田淳子が参加し、歌を披露。パーティ出席者は韓国人と日本人の「姉妹結縁」を結んだ。参加者には民主党の室井邦彦、自民党元文部科学副大臣青山丘(たかし)、元文部科学政務官大野松茂らの国会議員が参加。
- 5月20日 前年の7月20日に、韓国人ビジネスマンに巨額の負債を返済することができないことで、詐欺容疑で拘束されていた教団幹部の朴普煕に対して、ソウル東部地区検察は懲役5年の有罪判決を下す。朴はソウル地裁に控訴した。
- 6月 教団の機関誌『ファミリー』5月号に、実態的な血統転換(血分け)があったとも取れるような金明煕の証が載る。
- 6月25日~28日 文鮮明が全米4大都市講演ツアーを行う。 (ニューヨーク、ワシントンD.C.、シカゴ、 ロサンゼルス)
講演の中で、 ベーリング海を橋とトンネルで結び、世界一周ができる世界超高速道路を連結させ、世界を一日生活圏にすることが、戦争と分断がない平和王国創建につながるという「ワールド・ピース・キング・ブリッジートンネル構想」を発表。82kmで22兆円の総工費の巨大プロジェクト。 - 8月1日 韓国・忠南柳寛順体育館及び各国会場で4億組第6次国際合同祝福結婚式。
- 9月9日 『産経新聞』が「在韓日本人2万1000人 10年で倍 半数以上は反日行動が目を引く統一教会関係者」と題する記事を掲載。反日行動の背景には統一教会(統一協会)の集団結婚で韓国に来た日本人女性と、その子供の急増があり、「竹島問題や教科書問題等の日韓関係で問題が起きると記者会見などで反日的声明を発表するなどと指摘。
- 9月12日、文鮮明が「天宙平和連合(UPF)」を創設する。平和軍と平和警察により世界平和を守る番人の役割を果たす国際機関だとされる。
- 9月12日から12月3日にかけて 文鮮明が、世界100か都市を講演。神様から受けたというのメッセージを発表する。
- 9月12日 韓国の『世界日報』(セゲイルボ)は「日帝は自国の少年兵も生体実験の道具として利用していた」と題した記事で、第二次大戦当時、人間生体実験を行ったと言われてきた日本の731部隊が、自国の少年兵も生体実験に利用したという731部隊出身者の証言を紹介。和訳
元記事 - 10月3~14日 日本や韓国で天宙平和連合創設記念大会が行われる。これに対し、海外のキリスト教統一協会対策組織が統一教会(統一協会)が社会に定着するのを防ぐためにキリスト教界が団結するべきだと呼び掛ける。[19]
- 12月1日 韓国の天宙清平修錬苑の情心苑で「本殿聖地タイムカプセル封入式」、翌2日に「タイムカプセル奉献式」が行われる。文鮮明夫妻の手型を印した金型や「天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」 (2003年2月6日 、天宙清平修錬苑 ) で使った王冠と龍袍 ( 御衣)などの他、本殿聖地建築献金を完納した者の名前が記された名簿などが入れられる。タイムカプセルは、1000年後の3055年12月2日に開封されるという。
- 12月 韓国の一山(イルサン)国際展示場(KINTEX)で民団と朝総連系など在日韓国人 1万名余と以北5道民リーダー、嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)リーダーなど 5万名余を集めて大会を行う。「天宙平和連合」の役目と南北統一に対して語る。
- 12月5日 統一教会(統一協会)の信者になった長女(38)が、多額の寄付をしたり行方不明になったりして、家庭が崩壊したとして、神奈川県の夫婦が教団に慰謝料など約1700万円の損害賠償と、長女と毎月2時間面会させることを求め、28日東京地裁に提訴。教団に対し家庭崩壊の責任を問う初めての訴訟となる。長女は夫の預金約2500万円を献金したり、両親に嘘を言って金を借り約385万円を献金した。夫と離婚後、行方不明となっているという。
- 12月29日 韓国・天宙清平修錬苑及び各国で、「世界平和国際合同交叉祝福式」。1147組のカップルが祝福を受ける。
- 2006年 年頭標語 : 「天宙平和理想モデル摂理安着時代」
- 1月15日 崔元福(チェ・ウオンボク)が89歳で他界する。
- 1月18日、19日 日韓両国のキリスト教の牧会者、弁護士、被害者代表が集まり、「統一協会問題日韓教会フォーラム」を開催。日本の「統一協会被害者家族の会」関係者は韓国で統一教会(統一協会)の合同結婚式に参加した後、行方不明になった日本人女性6500人の捜索を韓国教会に要請。 韓国教会側は教団と団体が協力し、問題解決に積極的に対処していくことに合意。 [20]
- 1月31日~2月4日 韓国・ソウルで天宙平和連合(UPF)の第1回総会が開催。約190か国から約300人の指導者が参加。
- 2月9日 統一教会(統一協会)が禹グループ(「氏族教会」、「美しい永遠なる家庭連合会」)が勧誘に使用していた書籍に対し、み言葉の悪用だとして、同書籍の出版、販売、頒布の差止、 廃棄、並びにその原稿等の廃棄を求めて前年11月、東京地裁に提訴していた裁判が「認諾に等しい和解」で終結。文鮮明は禹が自分の庶子だというのは嘘であり、このようなサタンの最後の計略と欺瞞に注意をしなければならないとコメントしたという。
- 3月18日 韓日両国に住む日本人主婦ら(教団の信者たちと思われる)で構成された「柳寛順(ユ・グァンスン)烈士精神宣揚会」がソウルで大会を開いた。柳寛順烈士を“アジアのジャンヌダルク”として、その精神を受け継いで韓日両国の友好増進の先頭に立つことを決議する。
- 4月6~20日 文孝進が日本の6か都市でコンサート。テーマは永遠の愛を意味する「永愛」(ヨンエ)。
- 4月12日 分派活動を続けて来た「氏族協会」が解散を宣言。
- 4月26日~5月10日 韓鶴子(天宙平和連合〔UPF〕共同総裁)が世界120か都市巡回講演を行う。
- 4月28日~5月10日 北米13か都市講演では文顯進が講演。
- 5月3~7日 韓国の天宙清平修錬苑で「天運相続つつじ浄火祭清平特別大役事」が行われる。最終日には信者が自らの願いを書いた「所願成就書」を神様に奉献する「還元祈願聖火式」が行われる。
- 5月13~24日 全国12か都市で「天宙平和連合(UPF)祖国郷土還元日本大会」(主催・同大会実行委員会)が開催。
韓鶴子UPF共同総裁と文国進が講演。講演では、韓総裁、国進を主礼に、参加者を日本の代表として祝福式が行われる。 - 5月29日 韓国の最大手の週刊誌『週刊朝鮮』(2006年5月29日発行)で、統一教会(統一協会)グループが進める事業を紹介する記事が掲載される。
- 6月11日 TBSが「報道特集 再燃! 統一協会による被害」で、韓国の清平天宙修練院などにおける教団の集金術の実態を報道。
- 安倍晋三内閣官房長官、保岡興治の各議員が5月13日の統一教会(統一協会)の関連団体、「天宙平和連合」(合同結婚式も行われたと報道されたが、教団は否定)の福岡大会に祝電(安倍は官房長官の肩書で)を打っていたと韓国の「世界日報(セゲイルボ)」で報じていたとが日本で判明し、社会的に問題のある団体に政治家が祝電を打ったことの是非をめぐって波紋を呼ぶ。
- 6月6~13日 韓国・清平の天宙清平修錬苑で、「天正宮博物館開館式」と「天宙平和の王真の父母様戴冠式」が開催される。
- 6月13日 文鮮明は韓国清平にある天上王臨宮殿(本殿聖地)に入る。「入宮式」と言われる。
- 6月16日 韓鶴子がモンゴル大会から再び世界巡回講演に出る。 子供達も同行。中央アジア、中東と回り、7月に入ってからは欧州諸国で連日、講演。
- 6月19日 安倍晋三内閣官房長官の事務所は「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出す。産経新聞はこの件を大阪版では報じたが、東京本社発行版では掲載しなかった。霊感商法の被害者救済活動をしている全国霊感商法対策弁護士連絡会が、安倍長官と保岡元法相に対し、事実関係の説明を求める公開質問状を出す。
- 7月25日 米朝対話を呼びかけていた山崎拓 元副総裁が友人である朱東文(チュ・ドンムン)『ワシントン・タイムズ』社長と会い、金正日から訪朝を促す招待状を渡される。山崎の事務所は招待状について「一切何も聞いていない」とコメント。
- 7月31日~8月7日 文鮮明の三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)が来日し、「神様の理想家庭と平和王国を実体化しよう!」のテーマで講演ツアーを行う。長男の信元(シンウオン)が7月31日の成和学生大会で講演、長女の信愛(シンネ)がコンサートを、次男の信重(シンジュン)も青年教育プログラムのメンバーとして参加。
- 8月1日 文鮮明の四男の文国進(ムン・クッチン、「韓国統一教会維持財団」理事長)が教団関連企業、「一成建設」社長・方(パン)ヨンソプを「韓国統一教会維持財団」の副理事長・「統一グループ」副会長に任命。就任式で国進は方福会長が昨年、祝福を受けたことを紹介。わずか1年でグループナンバー2になったのは異例の事。
- 8月2日、文鮮明の第一婦人、崔先吉(チェ・ソンギル)との子供、聖進(ソンジン)の長女の信淑(シンスク)と教団幹部大塚克己の長男・洪孝(ひろたか)とを祝福する。
- 8月3日 大塚克己が再び日本「統一教会」(統一協会)会長に就任。9日に松涛本部で就任式。前会長の小山田秀夫は世界巡回師に任命される。
- 8月22日 午前9時頃、韓国の統一教会(「世界平和統一家庭連合」)の信者約700人が、月刊誌『新東亜』9月号の「大解剖・統一教王国」と題した教団に対する批判記事への抗議として、ソウル西大門忠正路の「新東亜」社に押しかける。250人が建物の玄関の窓を壊して進入し、残りの450人は外で座り込みを続けた。信者らは記者らのパソコンや事務室の用具を壊し、当の記事を書いた記者の取材書類を奪ったり、その記者の携帯電話に「殺す」というメッセージを200件も送った。更に記者たちに、輪転機に砂をかけるなどと脅したり暴力をふるった。信者らは、記事が、信者らの意見を完全に排除したまま悪意的に書かれたとして、取材記者の懲戒と同誌9月号をすべて回収するよう求めた。 警察は警察約1,500人を配置して、万一の事態に備えたが、責任者を連行すると信者らを刺激するという新東亜側の意見により、責任者の連行を延期した。統一教会(統一協会)のソン・ジョンイク企画部次長は新東亜側が適切な対応を取るまで、今後も抗議を続けると声明を出す。約8時間にわたる抗議の後、5時30分に解散。
- 8月24日 「新東亜」が「統一教の本社乱入、国民の知る権利に対するテロという社説を掲載。一連の抗議行動を「言論の自由と国民の知る権利に対する重大な威嚇である。」と非難し、統一教会(統一協会)に対し、今回の事件が「世界の平和」という教義に合致するものなのか、それとも一部信徒の脱線であるかを明らかにしなければならないとし、法的責任を問う意向を示す。
- 8月25日 韓国の『世界日報』が「新東亜の暴露ジャーナリズムを警戒する」という社説を掲載。「新東亜」の報道姿勢を非倫理的取材、扇情的、商業的と批判し、問題解決に誠意を見せなかったことが、集団抗議のきっかけになった側面もあると新東亜側にも責任があると反論。
- 9月13日 韓国・清平の天城旺臨宮殿で行われた日本人特別集会で文鮮明が説教する。 米国の霊能者が霊界で見た弥勒仏の姿を描いた絵が文鮮明の若いときに酷似していると紹介される。
[編集] 教典
外部からも信者からも、『聖書』よりもはるかに頻繁に使われる『原理講論』が経典と思われがちだが、教団は公式的には、キリスト教会で用いる旧・新約聖書を教典とし、『原理講論』(著者は世界基督教統一神霊協会)を「教理解説書」としている。
文鮮明教祖の教えを劉孝元という弟子が理論的に編集した『原理講論』は文鮮明が若い頃に学んだ金百文の表した「基督教原理」と用語や構成が似ているので、それを盗作したのではないかという指摘があるが、教団は内容が違うことに加え、執筆年代からしても盗作ではあり得ないと否定している。また、以前から『原理講論』の記述や内容に間違いや矛盾があると反対者から指摘があったが、近年、その教えを独自に解釈した分派などが、いくつか出現してからは、対策として、『原理講論』に書いてある通り以外の講義はしてはならないと、教祖直々の通達があった。
そんな中で2001年からは教祖自身の説教を集めた『天聖経』を“天の聖書”として最重要視すべきとした。(聖経とは朝鮮語で「聖書」を表す。)これにより、『原理講論』よりも文鮮明の直接語った言葉が最優位とする立場を鮮明にした。また、2003年6月9日には、そのような分派活動を防ぐために、み言葉の出版、翻訳、および氏名・写真の使用等に関する諸権利を韓国の教団(韓国世界平和統一家庭連合)に授権・委任した。
[編集] 教義
教団はキリスト教を自称するが、その教義は伝統的なキリスト教とは重要な部分で異なっている。そのため、一般的なキリスト教会にとって共通の正統信仰の基本となっている基本信条(世界信条)とは相容れない。カトリックや東方正教会はエホバの証人やモルモン教を異端であると宣言しているが、統一教会(統一協会)に対しては異端ですらないキリスト教とは別の存在と宣言している。
教団の教義は「統一原理」と呼ばれ、『原理講論』という本にまとめられている。神が世界を創造された目的や法則を述べた「創造原理」、人間の罪の起源を説いた「堕落論」、本来、神が創造されようとした世界を再建するための原理を説いた「復帰原理」の3部からなり、聖書では比喩や象徴で表されていた真理を明らかにしたものとされる。
宗教的な「統一原理」を哲学的に体系づけたものは「統一思想」と呼ばれる。また、共産主義のとの理論闘争のため、その間違いや矛盾を指摘したものは「勝共理論」と呼ばれる。1980年代後半からは、右翼(保守)も左翼(共産主義)も神の愛によって包含するとする“頭翼思想”(「神主義」(Godism)とも呼ぶ)を唱えた。
「統一原理」は朝鮮半島地域の民間信仰である陰陽道との習合がしばしば指摘されるが、最も顕著な差異は、主に堕罪論(堕落論)、救済論(復帰原理)、キリスト論にある。
キリスト教では、アダムとイブが蛇(= サタン)に唆されて「善悪の知識の木」(教団の教典では「善悪知るの木」と表記)の実を食べて、エデンの園を追われたという創世記の失楽園物語を、信仰的寓話とするか史実と主張するかはともかく、文字通りに神の命令に背いたことが罪の起源だと解釈している。
対して教団では、「善悪を知る木」をエバの象徴と解し、蛇の誘惑によってその実を食べた物語は、サタンこと天使長ルーシェルとエバが不倫なる霊的性関係を持った事の比喩であるとし、その実をアダムにも分け与えたことを、アダムとの時ならぬ肉的性関係の比喩とし、それが人間の罪の起源であるとしている。 文鮮明の妻である韓鶴子の母、洪順愛も「原理を学んでみると、聖主教団で聞いていた内容や、腹中教で聞いていた内容と、あまりにも似ていると思いました」と語ったが、このような教義は文鮮明のオリジナルではなく、彼が若い頃通った教会や修道院や平壌で接した「混淫派」、「霊体交換派」と呼ばれる神霊集団の影響だという指摘がある。[21]
一般にキリスト教では、ナザレのイエスを十字架の死と復活によって救済を完遂した救世主(メシア= キリスト)にして「子なる神」として信仰の対象にしている(三位一体)。また、この世の終わりにはイエス自身が再臨するとしている。
対して教団では、十字架による救済は神の本来の予定ではなく、用意されたイスラエル選民が不信したために、イエスは十字架につけられ、イエスは「霊的救い」しかなせなかったとする。イエスは十字架で死ぬべきではなく、本来は結婚し、「神の家庭」を築き、子供を作り、「真の父母」となって「神の血統」を残すべきであったと言う。しかし、イエスは本来的使命を成せなかったために、再臨が必要になり、再臨主は「霊肉ともの救済」を完成させなければいけない、と説く。また、イエスは「神の子」ではあっても神そのものではないとしている。その根拠としてイエスが神に祈祷する福音書の記述を挙げている。もし神であるなら、なぜイエスは神に祈るのであるかというのが、その説明である。救済は神の力だけでは成就することはできず、神の責任分担に(95パーセントと例えている)人間自身の責任分担(5パーセント)が加担されて、初めて救いが完成すると教えている。しかしこの5パーセントは人間自身においては100パーセントに該当すると言う。
なお、新約聖書の「ヨハネの黙示録」(22章)に、聖書に付け加える者には災いが臨み、取り去る者は救いから漏れることを警告しているため、正統的キリスト教では聖書に対する加筆・削除・“新事実発見”などを歓迎しないことも教団が異端と見做されている理由の一つである。(教会も「教理解説書」などを用いたりはない)。
また、教団関連の政治団体である「勝共連合」が大東亜戦争を肯定的に評価したり、憲法9条の改正や核武装を訴える右寄りの主張とは裏腹に、教団自体は、過去の日本の朝鮮半島、中国、東南アジア諸国に対する統治を侵略行為・戦争犯罪とし、その時代に日本は反民主主義的な全体主義によってドイツ、イタリアと結託し、サタンの側に立って、民主主義によって結託した天の側の米、英、仏と戦ったとしている。(『原理講論』P546)特に、韓国に対しては、歴史的に侵略、迫害して来たことを国家的に償わなければならないという。中でも、再臨のキリストのために準備されていた韓国の乙女達を日本が従軍慰安婦として蹂躙したため、その悪霊が日本の信者に無数に取り憑いているため、その怨みを解かないといけないと言われる。このため日本の信者は保守的でありながら左翼のように戦争責任を告白することが多く、一般の保守派の人々とは違いがあるが、そのことは表面上伏せられている。実際、当初、日本語版の『原理講論』の「再臨論」には韓国版にはある韓国中心主義と天皇家批判のくだりは訳出されていなかった。そのことを日本共産党から批判され、2年以上経った1981年度版からようやく載せるようになった。[2]
-
- 「血分け」に関する論争
教団の救いに関する教えの核心はメシアによる「血統転換」である。 「血統転換」とは人類始祖の堕落により、サタンの血統を受け継いだ人類が神の血統に接ぎ木されることを言う。
イエス・キリストが無原罪の神の血統の息子として生まれた理由を、母マリアが婚約者のヨセフを裏切り、親族である大祭司長のザカリヤと性的関係を持つことにより、血統転換がなされたとして説明しているが、文鮮明自身のメシアとしての無原罪性の根拠については今日まで語られたことはない。
文鮮明が女性信者と「血統転換」の実践としての性的な儀式である「血分け」(ピガルム)をしていると草創期から言われて来た。
それは文鮮明が関わった、李龍道(イ・ヨンド)、白南柱、金聖道、黄国柱、金百文などの「混淫派」、「霊体交換派などと呼ばれる韓国独自のキリスト教の影響を受けたと見られている。 [22] 教団はそのような主張をする者を名誉毀損などで訴え、勝訴し、謝罪文を書かせたりしてきた。[23]
しかし、「血分け」の存在を肯定する信者たちの証言も根強くある。
また、弟子の中には「血分け」をした者もおり、教団が「血分け」をしていると見ている分派もある。
また、統一教会(統一協会)に2年ほど在籍していたことのある鄭明析(チョン・ミョンソク)は「摂理 」(モーニングスター、JMS、MS)という教団を作り、『原理講論』と似た教理を教え、自らを「再臨主」と信じる多くの女性信者と性的関係を持ったと言われ、韓国において、強姦容疑などで、国際指名手配され、逃亡中である。日本の「摂理」の女性信者にも同様の被害が出ており、統一教会(統一協会)との関係が取りざたされるが、統一教会(統一協会)は自分たちの教団より、一般のキリスト教会の影響が大きいとして、教えの類似性を指摘するメデイアに再三抗議を行っている。[24][48]
また、文鮮明の長男の元妻の洪蘭淑の告発本によると洪蘭淑が韓鶴子に夫が女性と関係を持つことは父の浮気と同様に神の摂理であると言っていることを告げると、夫、文鮮明の場合は神の計画だが、孝進の場合は違うと答えたという。文鮮明自身も韓鶴子と同様のことを繰り返し語ったという。 [19]
一時は文鮮明の側近の朴正華が『六マリアの悲劇 真のサタンは文鮮明だ!!』で、教祖が多くの女性信者と「血分け」をしていることを告発したが、後に出版した本でそれを否定した。彼の使った「血代転換」という言葉は『原理講論』の元になった『原理原本』に出ているという。 しかし、反対者からは、その後来日したときに、『六マリアの悲劇』で述べた事実が真実である旨証言したとか、一部の信者向けに、「血分け」は事実であるが、原理的な意味があったものだという特別の講義がなされたと言われている。[25][49]
2005年6月に、韓国歴史編纂委員会発行の「史報・通巻号」に掲載された金明熙の証しの一部が機関誌『ファミリー』に載ったが、金明煕の証は実際に、“血分け“があったともとれるようなものである。
金明煕に幻に現れたイエス・キリストが自分が愛する女性と三角関係になっても、最後まで自分を愛しなさいと言ったという。それで、金明煕は夫に愛する女性が出来たとき、互いに愛し合っているならば、2人を結婚させてあげるのが愛であるというように考えるようになったという。宿で2人きりになった席で、妻のいる文鮮明が「理想相対に会いたくないですか?」などと、“露骨なみ言葉”を語ったので、「噂どおりに怪しい人だ」と思ったという。文鮮明は「人間的に考えてはいけない」、「間違えばサタンが侵犯するようなものだ」と言ったという。参照
[編集] 勧誘や教化について
- 勧誘方法
草創期は街頭で黒板講義などをして、教団名を出して伝道していた。 また、印鑑や壺や多宝塔などの霊感商法を切っ掛けに伝道される人も多かったが、世間での評判が悪くなった1982年頃から、教団名を隠した伝道方法を取るようになった。この頃から、自己啓発のビデオセンターという体裁での伝道方法を取るようになった。街頭で生活意識のアンケートなどを切っ掛けに、ビデオセンターに連れて行く。相当教義を受け入れるようになるまでは宗教であることも、統一教会(統一協会)であることも隠し、聞いても完全に否認する。また、ここに通っていること自体を誰にも話さないように口止めさせられる。
ビデオセンターでは最初は、自己犠牲を賞賛するものや、宗教に関連ある作品などで、「情操教育」を行なう。(「情操教育」というよりマインドコントロールの下地作りであるとの指摘もある)。
そして、教団の名前は出さないが、シリーズ化された「統一原理」のビデオ講義を試聴させる。そうする中で、無料の食事を提供したり世間話をしたりして、来訪者との親近感を持とうとする。これは、「来なければいけない」という意識を芽生えさせ、そこに継続して通い続けるように心理的に束縛する為とされている。
ある程度学んだ段階で、合宿形式の修練会に参加させる。それは一日間の修練会(ワンデイ)と3日間の修練会(スリーデイズ)か、2日間の修練会(ツーデイズ)と4日間の修練会(フオーデイ)、もしくは6日間の修練会(シックスデイズ)など、2回に分けて参加させることが多い。1回目の修練会では「再臨のメシア」が来るという話までで、2回目の修練会の直前または最後に、その「再臨のメシア」]が文鮮明であると明かすという方法をとることが多い。これらはほぼ強制参加であり、たとえどんな都合があろうとも言いくるめられて参加させられることが多い。かつては7日間の修練会(セブンデイズ)を行い、その最終日には一人一人、献身する誓いを立てさせられたという。修練会の期間中は、スタッフや参加者同士との会話以外、基本的には外部と連絡させないようにしている。携帯電話の使用も規制させられることとなる。それらについて反対者からは、洗脳しやすくするために軟禁状態にしているとか、教団が最初は正体を明かさず、こういった段階的な勧誘方法を採っているのは、教団自身が反社会的なことをやっていることを自覚しているからだという批判がある。
修練会の後は、ホーレンソウ(報告・連絡・相談)や、「為に生きる」訓練をさせ、祈りを始めさせる「ライフトレーニング」や、住み込みの教義研修などを行う「新生トレーニング」、教団の教義を伝道や経済活動で実践学習していく「実践トレーニング」などのプロセスを経て教化する体制になっている。
教団は、経済活動の実践が困難な身体の不自由な者や病人などは伝道の対象からはずすようにと指示していた。この事実が教団の違法性を問う裁判で、勧誘の目的は献金や無償での物品販売活動等をさせ、経済的利益を上げることを目的としており、宗教の本来の目的から逸脱しているとして、勧誘・教化行為が違法であるという判断の材料になった。(平成14年(2002年)10月28日 新潟地方裁判所 )
教団の社会的評判が悪くなってからは、キリスト教を自認する教団でありながら、日本人に浸透しやすい仏教を利用する戦略で、文鮮明を信奉するようになった川瀬カヨの率いていた弘法大師を奉ずる教団を、弥勒を奉ずる天地正教という宗教法人に鞍替えし、、その団体を通じて統一教会(統一協会)につなげようとしてきた。
「霊妙慈経」というお経は、『原理講論』を要約したような内容であり、その解説書では随所に「再臨のメシア」という言葉が出てくる。教えを深く受け入れた信者に対して、文鮮明夫妻を弥勒の化身として紹介するようにしていた。
- 勧誘の窓口
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- 占い : 「霊感商法」で壷などを買わせるきっかけも、最初は手相や姓名判断などの占いであった。最近でも、繁華街の街頭やターミナル駅のコンコースなどで「手相占い」などをきっかけに水晶玉や数珠や、印鑑や壷などを買わせ、上記の「段階的な勧誘方法」の手順を踏んで勧誘したりしている。一時には日本テレビなどの報道が教団の行う「手相占い」を報道したために、一時は活動は控えめになっていたが、近年、再び「手相占い」を装った勧誘を活発化させている。運勢鑑定を無料でしますという内容のはがきを各戸の郵便受けに入れて誘うことも多い。
最近は風水を通じての勧誘に力を入れている。 - ボランテイア : 近年はNGO、NPO法人などのボランティア団体をいくつも作って、「純潔運動」や「家庭再建運動」などを切っ掛けに伝道を目指している。
また「世界平和のための婦人たちの連合」や「世界平和女性連合」という女性向けの団体を立ち上げ、女性への浸透を図っている。 - 展示会 : 宝石や毛皮、絵画、着物などの展示会をきっかけに
- 整体やエステ :
- 純潔運動
- 大学周辺でのアンケート
- 占い : 「霊感商法」で壷などを買わせるきっかけも、最初は手相や姓名判断などの占いであった。最近でも、繁華街の街頭やターミナル駅のコンコースなどで「手相占い」などをきっかけに水晶玉や数珠や、印鑑や壷などを買わせ、上記の「段階的な勧誘方法」の手順を踏んで勧誘したりしている。一時には日本テレビなどの報道が教団の行う「手相占い」を報道したために、一時は活動は控えめになっていたが、近年、再び「手相占い」を装った勧誘を活発化させている。運勢鑑定を無料でしますという内容のはがきを各戸の郵便受けに入れて誘うことも多い。
- マインドコントロール
桜田淳子らと共に合同結婚式に参加した翌年の1993年、山崎浩子が、統一教会(統一協会)からの脱会記者会見で「わたしはマインドコントロールされていました。」と衝撃の告白をし、同日、元信者であったスティーヴン・ハッサンの書いた「マインドコントロールの恐怖」が発売されてベストセラーになったことから、日本でも「マインドコントロール」という言葉が広く知られることになった。
従来の洗脳は具体的な物理的手段を用いた強制的なものだが、マインドコントロールは物理的手段を用いないので、本人が気づかないうちに取り込まれてしまうというカルトなどによる巧妙な手法を認識される概念として登場した。教団も信者にマインドコントロールや洗脳を行なっていると批判され、大きく報道もされた。
これに対し教団側は、「マインドコントロール」という理論は、もともとアメリカで宗教運動から信者を強制的にやめさせるための理論として出現したものであり、非科学的理論であり、反宗教的なイデオロギーに基づいた空論だと反駁している。(増田義彦著『「マインド・コントロール理論」に虚構』光言社 参照)
統一教会(統一協会)側は米国心理学会では「非科学的」と否定された学説であると述べているが、実際は米国心理学会はその学説自体の客観的な検証が難しいので、肯定も否定もしないで、態度を留保しただけとも言われる。
ビデオセンターに誘い込まれた者の内、献身に至る者は少なく、多くは離れていくのだから、根拠はないと教団は言うが、札幌地裁での「青春を返せ裁判」で、教団の「元教育部長」は「教義が頭に浸透してしまえば、あとはやめる者はほとんどない」という証言した。
「マインドコントロール」はカルトのみならず、自己啓発セミナーやマルチ商法まがいのビジネスなどでも使われていると言われているが、学問的には諸説があり、まだ確立された学説とはなっていない。詳細はマインド・コントロールの記事を参照。
- “親子の話し合い”か?“信教の自由の侵害”か?
教団に入信した信者は実家や住んでいたアパートを出て、教団の施設で共同生活に入ることが多かった。
親にとっては連絡がほとんど取れなくなり、会えなくもなる。 子供は無償で教団の活動に奉仕する献身者になるために、学校を辞めたり、就職しないようになったり、勤めていた会社を辞めたりする。その際に、教団に勧められて、貯金を下ろしたり、保険を解約したりして、財産をすべて献金したりもする。
子供は街頭や個別訪問で販売活動に励む。場合によれば、キャラバン・カーに寝泊りしながら、全国を回ったりしている。福祉を装った募金活動や販売活動や詐欺的な「霊感商法」を行っていることを親が知る。
衣食住には困らないが、毎月1万5000円の小遣いだけで、給与はなく、保険や年金もかけていないことなどを知る。献身者でなくても、銀行やサラ金でお金を借り、多額の献金をしたり、親に無心をしたりする。中には教団の指導によって、まったくウソの理由を作り、緊急な入り用があると無心することもある。また、突然、教祖の指名で見知らぬ人と結婚をすると言い出す。(国際結婚の場合もある)また、海外宣教として、何ヶ月も外国へ行くこともあり、子供たちを夫や親に預けて、旅立った者も多くいた。
「親の背後にはサタンがいる」とか「話し合うこと自体が罪だ」などと指導されているので親の話にもまったく聞く耳を持たなくなっているわが子を見るとき、親は大きな不安を感じるようになる。
教団は信者を実家に帰らせることはほとんど許さなかったので、親はなんとかして、子供と話し合いの場を持とうとし、中には実力行使で連れ戻そうとする者もいた。教団は比較的屈強な男性信者をそのような時の対策に当たらせていた他、そのような親がいる信者に対しては、親に居場所を知られないために、信者の中でも偽名を使わせたりもした。
キリスト教の牧師の中で、そのような親たちの相談に乗る者がおり、実家やホテルやマンションでの話し合いの場で、それらの牧師が『聖書』を用いて教団の教えの間違いや矛盾を指摘したり、教団の隠している情報を提供したりして協力した。
教団はそれらの牧師が強制的に改宗させるのは「信教の自由」を侵害することであり、信者本人の意思を無視して、連れ去るのは“拉致”であり、脱会を決意するまで、“監禁”していると非難し、批判本を出したり、刑事告訴したりしたが、警察が取り上げることはなかった。
そのため、1999年1月以降、信者に自らの親や協力している牧師を民事訴訟で訴えるを裁判を起こさせるようになった。(「教団をめぐる裁判」を参照)
1999年9月9日の米国務省の人権白書の中で「統一教会信者に対する拉致監禁を日本の警察が取り締まらないのは人権侵害である」という指摘がなされた。
2000年4月20日の国会質疑において田中節夫・警察庁長官(当時)が「(統一教会信者に対する拉致監禁事件について)たとえ親族間の問題であっても、違法行為は厳しく取り締まる」旨の発言をした。これらは統一教会(統一協会)を初めとして、カルトとみなされて、社会的反対を受ける教団らの政府への働きかけの成果と見られる。
[編集] 献金・経済活動
教団には地上天国を実現するために“すべてのものを神に返す”という「万物復帰」という教えがある。特に日本は「エバ国家」、「母の国」として、夫である「アダム国家」の韓国を初め、子供たちである世界の国々に経済的貢献をする責任があるとされている。信者は、自分の財産だけでなく、すべて人の財産を神の側に捧げることが救いの条件になると教えられるので、そのためならば、人をだますことも、この世的には違法であっても、天的には善になると指導されており、これが様々な反社会的な問題を起してきた。 国会でも「法的な目から見た場合には、これは旅行ビザでも違うビザをもって来てそれは献金活動とか商売とかそれはできないようになっておる。しかし、これは法的にひっかかっても、アメリカの為に、アメリカの国民以上に先頭に立ったとするならば、神の法にはひっかからない。」と講演会で発言した文鮮明を、福田赳夫を初めとした国会議員が賞賛し、協力することには問題であると国会でも追及された。( 30横山利秋議員の発言)[24]
- 訪問販売活動
これまで、信者たちは「万物復帰」の教えの実践として、様々な経済活動をして来た。草創期はパンの耳を食べて、リヤカーを引いて廃品回収を行っていた。また街頭や個別訪問で花、ボールペン、高麗人参、ハンカチや化学雑巾、コーヒーなど様々な物を販売したり、「北方領土返還」や障害者、難民の救済などの福祉の名目で募金活動をした。
また、数名で「マイクロ隊」と呼ばれる隊を組み、マイクロバスやワンボックスタイプのライトバンに寝泊りしながら、全国を募金や珍味やハンカチ等の販売で回った。
1970年代からは献身者を集団でマンション等に住みこませて、経済活動を行う「店舗」と呼ばれる拠点を全国的に作り、印鑑や高麗人参 茶(エキス)等を販売した。
無償で教団に奉仕する献身者が大多数だった頃は、委託販売形式を利用して、帳簿上は信者に給料を支払ったことにするが、実際は毎月1万ほどの小遣いだけを渡すというような方法で、組織的な脱税ともみなされかねないことを行ってきた。(「[26]」「甲第六号証 資料Iハッピーワールド販売促進資料」参照)「店舗」
- 蕩減(とうげん)商品
教団では日本の朝鮮統治時代の罪を蕩減(とうげん、清算の意)するためとして、韓国の教団関連企業の商品を日本の「ハッピーワールド」を通して、需要や売れ行きに関係なく、一定数の商品を強制的に仕入れさせてきており、これを「蕩減商品」と呼んだ。
蕩減商品には、大理石壷、多宝塔、高麗人参茶(エキス)、「メッコール」等の清涼飲料水や、 工作機械等がある。
- 霊感商法
1980年代初めから、占いなどを切っ掛けに、ゲストを「霊場」と呼ばれる会場に連れて行き、家系図などを鑑定しながら、霊能者を装った信者が聞き出した本人や家族の不幸の原因を先祖の因縁話を使って説明し、先祖が救われるとか、このままでは不幸なるなどと不安を煽り、法外な値段で壷、多宝塔などを買わせてきた。この詐欺的な商法をしんぶん赤旗」が「霊感商法」と名づけ、マスコミ等で批判を浴びた。 国民生活センターや各地の消費生活センター等に多くの苦情が寄せられ、、多額の金銭的被害を生んだこの商法は大きな社会問題となった。教団の関連施設などに、警察の捜査が及び、信者は証拠書類が渡らないように、逃げ回ったという。
また「霊感商法」に関係した各地の販社は、設立後2~3年で次々と解散し、遠隔地に住所移転したり、社名を変えた。
国会でも、幾度も論議され、警察庁の刑事局保安部生活経済課長が「この種の商法というのは人の弱みといいますか、人の不安につけ込むというもので、悪質商法の中でも最も悪質なものの一つということで、全国の警察に繰り返し厳しく取り締まるように指示をしておるところでございます。」と答弁した。[50]
[50]
元信者によれば、霊感商法は高麗人参を効能を謳って販売していたことが薬事法違反に問われ、販売に行き詰まっていたことと、美術品としてはあまり売れなかった韓国の大理石壺の売り上げを上げるために、教義を使って売って行こうということになったという。 [51]
教団側は信者に向けては、日本を共産主義の間接侵略から守るために国際勝共連合が推進してきたスパイ防止法制定運動を攻撃するために、共産党および社会党が「スパイ防止法」制定運動の資金源が統一教会(統一協会)であると誤認し、教会攻撃のために引き起したのが“霊感商法問題”だと説明した。[52] [53]
一方、世間に向けては「教会一切の収益事業はおこなっておらず、教会員の献金によってのみ運営されています。・・・個人の職業に対しては一切関与するものではありません。ゆえにいかなる商法とも教会は関連ありません。」と教団の関与を全面否定してきた。(同上)また、民事裁判では、「“しあわせサークル連絡協議会”という統一教会とは法律上も活動も別個である信者による組織が行ったのであって、教団は,信者がいかなる伝道活動をしているか,いかなる企業を経営し経済活動を行っているかなどについて知る立場にはない」などと主張してきた。(平成14年(2002年)10月28日 新潟地方裁判所)
『中和新聞』1996年12月15日号での「霊感商法問題に関する統一教会の見解」によれば、 販売の際に使用したセールストークは、教団の教義とは似て非なるものであり、、家系図や、手相、姓名判断、四柱推命などの易学や因果応報などは仏教的な教えであり、聖書の教えを根本とする教団の教えとはないとして、教義との関連を否定したが、霊感商法販売マニアルの「ハッピーワールド販売促進資料」には壺の型は文鮮明自ら考案したの作品であり、御言を受け入れていない人達の救いのための条件物として作られたことを説明しており、教会活動の一環として霊感商法が行われていたことの証拠となった。
1994年7月12日、日本社会党(当時)の北村哲男が「霊感商法」などの反社会的な事を行う統一教会に対する政府の考えを質す質問主意書を政府に提出したが、政府は村山富市首相名で「宗教法人法第七十九条は、宗教法人が行う公益事業以外の事業の停止命令について規定しているが、統一協会の所轄庁である東京都知事は、いわゆる霊感商法については、現在、統一協会の規則には事業として記載されておらず、また、統一協会が行っている事業であるという確証もないことから、現在のところ、同条を適用することは基本的に困難であると判断している。」と回答した。(答弁書第九号 内閣参質一二九第九号 平成6年(1994年7月12日 ) しかし、民事訴訟では霊感のない信者を“徳の高い霊能者の先生”に仕立てて売るための詳細なマニュアルがあったことや、「連絡協議会」の存在を教団が主張し始めたのは、民事訴訟が提起されから7年も経ってからであり、当時の「連絡協議会」の存在を示す実体もないと認定されたりしている。(2001年6月29日 札幌地裁)
1993年(平成6年)5月27日の福岡地裁の判決以来、詳細な事実認定に基づき、実質上、統一教会(統一教会)の指揮監督によって霊感商法を初めとした経済活動が組織的、計画的にに行われたとして統一教会(統一協会)の使用者責任を認定し、損害賠償を命じた判決がいくつも出ている。 東京地裁 2000年4月24日判決)
霊感商法以外の問題も含めた統一教会(統一協会)の使用者責任を認めた判決]は2003年11月5日時点でも15もある。[27]
「霊感商法」が社会問題化したことで、表向きは販売を中止したが、その後も「霊石愛好会」や「天地正教」などを通じて、続けれられた。近年も、再び大理石壺を「天運石」と称し、家の中の悪霊を吸いとってくれると言って、信者に買わせ、その壷を韓国の清平(チョンピョン)修練所に持って行き、解怨してもらうように勧めている。 (霊感商法の更なる詳細は独立した項目である霊感商法を参照)
- 定着経済
「霊感商法」が社会的な問題になった頃から、信者達は着物、貴金属、絵画、毛皮、高麗人参等の商品を展示会形式で販売するようになった。これらの販売方法は「霊感商法で行った方法を踏襲している。ゲストを連れて行った信者は商品を説明するトーカー(アドバイザー)の協力者となり、トーカーは席を外し、「タワー長」と呼ばれる指揮者にゲストの状況を報告し、指示を仰ぐ。既に教団の教えを学んでいる信者も展示会に動員され、「この〇〇を買えばメシア(文鮮明)を受け入れることになる」、「この〇〇を買えばあなたも家族も救われる」等と「霊感商法」と同様の説得をして購入させたりもした。
- 献金;
一般のキリスト教は収入の10分の1を献金する伝統があるが、統一教会(統一協会)では1990年代頃からは10分の3献金をすべきとされた他、様々な名目での献金要請が頻繁にある。 内部用語「HG」は“早く現金”の略だと言われ、金融機関から借金して教団に献金することが奨励された。 融資の審査が通るように、架空の名目で見積書や企画書を作ったりもした。 「名義貸し」教団が返済をするので名義を貸してほしいと要請された信者が本人名義で銀行やクレジット会社から借りた金を教団に貸し付ける。返済は毎月教団がが本人に金を渡し、借入先に支払う約束をするが、利息分は本人の自己負担となったり、教団に「献金」を勧められて、結局本人が全額借金を返済することにされることもある。また、教団の必ず返済しますとの約束を信じたものの、借用書の借主は信徒会の信者(一人で、複数の信者から借金したことになっている者もいた)の名前になっていることも多く、教団が返済しないので、金融機関から厳しい支払督促を受けたり、差し押さえ(強制執行)を受けて自宅を奪われたり、自己破産を余儀なくされ、絶望して自殺をした信者が少なからずいるという。 また、教団に入信した妻が、夫の財産を無断で引き出して献金することが家庭問題を引き起こすこともあり、献金したことが家族に知られると行方をくらます事例もあるという。
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- 「救国献金」(1993年) : 110万円。韓国での16万人女性修練会に参加した女性信者が払う献金。複数回行った者はその回数分を要請された。
- 「翼献金」(1999年) : 文鮮明が世界を巡回するための専用ジェット飛行機を購入するための献金。
- 「総生畜献金」(2001年) : 神の怨みを解き、天国に入るための条件としての献金。160万円。
- 「聖本」 : 3000万を献金した信者の信仰を称えるものとして、文鮮明のサインの入った説教集(既刊の説教集をまとめて収録したもの)を授けた。
- 「天聖経」 : 430万を献金した信者の信仰を称えるものとして、文鮮明のサインの入った説教集(既刊の説教集をまとめて収録したもの)
- 「愛天愛国献金」 : 300万円
- 「本殿聖地建築献金」 : 韓国の清平に文鮮明一族が住む王宮を建設するための献金。140万円
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- 教団側は文鮮明夫婦だけではなく、彼らの13人の子女もまた、「統一教会内に自分たち名義の器物を一つももたない」と説明する。 子女たちに譲る財産も、また子女たちが譲り受けた財産もないと言っている。[54]
- 文鮮明は法人税が極端に安いため高所得の外国人や外国企業のペーパーカンパニーが税金逃れに集まるので有名な、西ヨーロッパの小国リヒテンシュタイン公国に口座を持っているという。 [19]
[編集] 合同結婚式
合同結婚式(ごうどうけっこんしき)は教団が主催する結婚式である。正式名称は国際合同祝福結婚式であるが、信者の間では「祝福」と呼ばれることが多い。教祖である文鮮明が霊感で、信者の7代前までの先祖の背景を見て、夫婦となるに相応しい男女を推薦するという。それは個人的に相性がよいということより、それぞれの先祖が怨讐関係である男女が一つになることによって遺伝的罪が清算されるのがよいという。
草創期は目の前で教祖がカップルを指名したり、信者に希望する相手を書かせたりもしていた。1988年頃から参加人数が多くなったこともあって、写真を見てカップルを決めるようになった。 教祖の推薦は断ることも許されているが、多くの信者にとって絶対的権威である文鮮明の推薦した相手を断ることは非常に難しいので、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」という憲法(24条)に反しているとの批判もある。 また、信者が親などに連れ戻されたときに、夫婦として「人身保護請求」できる権利を得るためとか、外国に入国し長期間滞在するために、夫婦としての生活の実態がないのに便宜上に入籍届けを出させることへの批判もあり、元信者が「婚姻の無効」 を求めた訴訟で、原告の訴えの多くが認められている。 信者同士が結ばれる本来の祝福の他に既婚者で祝福を受けた場合を「既成祝福」、夫婦どちらかが亡くなっている場合を「独身祝福」と言う。(現在は「霊界祝福」と言う)また、一時は伴侶に先立たれた信者を他の信者と再婚させ、夫婦として祝福する「慰労祝福」というものもあったが、文鮮明は本来の原則にはないものとして、行わなくなった。
いずれ教祖直接の祝福ができなくなることから、近年は信者自身に「祝福を行う権能」が与えられ、将来的には信者の親同士の推薦で、子供たちを結婚させる計画になっている。
1960年に第1回の合同結婚式が行われて以来、教団の発表では参加者数は回数を重ねるごとに増えているようだが、1997年以降からの祝福は参加条件が次第に緩くなった。必須条件とされた事前の7日間断食や21日修練会への参加や「霊の子」(自分が伝道した信者)を一定数持つこと、女性の年齢が33歳以上等の従来の条件が緩和、ないし撤廃され、一度破局した者の再参加や既婚者で相手の十分な了承なく一人で参加することや、教会員にならなくても、他の信仰を持ったままでの参加も許されるようになった。また参加せずとも、教義上飲むことが必須であるとされる「聖酒」を意味も知らずに飲まされたり、「聖酒」をキャンデーにしたものを舐めただけの人までカウントされたりしたこともあるので、実質上の数は不明である。
式に参加するには、渡航費用の他、「祝福(感謝)献金」と呼ばれる100万円前後の献金が義務付けられているので、反対者からは金集めのイベントだという批判がある。1992年の桜田淳子、山崎浩子、徳田敦子の3人は合同結婚式への参加表明の記者会見で、いずれも、60万円だけで、他に献金はないと答えるなど「祝福献金」の存在を隠したコメントをした。
1995年の合同結婚式では、参加者を集めるために、嫁不足に悩む韓国の農村の男性達を日本人の嫁がもらえると宣伝して、信仰もない“にわか信者”と日本人女性を多数結びつけたことで、結婚した後で、相手に愛人や子供がいることや、病気や借金があることが判明し、夫の酒、たばこ、ギャンブル、家庭内暴力に苦しみ、生活苦を訴える信者が少なからずいることはよく知られる。韓国の幹部も後にその過ちを懺悔した。
教団の機関誌、『中和新聞』1992年9月12日号では「法律的な意味で婚姻届を出した祝福家庭の離婚率は0.7 %前後です。これは社会一般の離婚率から考えると比較にならないほど低い数字であります。」と述べていたが、近年はそれらのカップルの破局も増えたと見られている。 祝福後生まれた子供は「祝福子女」あるいは「祝福二世」と呼ばれるが、既婚後に祝福を受けた両親から生まれた子供は“ヤコブ”と呼ばれ、未婚の男女が祝福を受けて生んだ子供より血統的には価値が低いとみなされていたので、両者がカップリングされることは最近まで殆どなかったが、「既成家庭」の祝福子女も次第に増加したため、2005年末の祝福では両者の祝福が行われる見通しがある。 (より詳しい内容は独立した項目である合同結婚式を参照)
[編集] 霊界に関する教えや活動
- 清平修練会
教団は、1995年から、韓国京畿道の有名な観光地にある清平(チョンピョン)にある「天宙清平修錬苑」で霊的修錬会を始めた。ここでは、文鮮明の妻である韓鶴子の母、洪順愛(ホン・スネ)が再臨する(憑依のような意味)とされる金孝南(キム・ヒョウナム)という女性が修錬会を執り行う。洪順愛]は文鮮明によって、娘の韓鶴子を「真の母」に育てるのに、功績があったということで、偉大な母を意味する「大母様(テモニム)」という称号を与えられた。 信者にとっては、カトリックにおける「聖母マリア」のような存在である。大母様は天使を意のままに動かしたり、霊界の先祖達を地獄から連れ出すこともできる権能があるとされている。霊界では文鮮明の亡くなった次男、文興進(ムン・フンジン)が霊人達に原理講義を行うとされている。
修練所会では先祖の怨みを解く「先祖解怨式」(せんぞかいおんしき)という儀式がある。 信者の先祖達の中には生前、報われないまま怨みをもって悪霊となったものがいるとされ,先祖以外でも、特に日本人信者には、過去に日本人に苦しめられた従軍慰安婦や強制連行労働者など、恨みを持った悪霊が無数に憑いていると言われ、これが不妊、アトピー、精神病を初め様々な病気や不幸を起こしていると言われる。(日本軍が実際に慰安婦を強制連行したか否かについては論争がある。慰安婦の記事を参照)
修練会では、悪霊を体から追い出すために、聖歌を大声で歌いながら、自分の肉体のあちらこちらを力の限りを叩く(按手と呼ぶが本来的なキリスト教のものとは異なる)。そうすることで、天使が自身の身体についた悪霊を取り除くのを助けてくれるという(これを「役事」(やくじ)と言う)。
これらの悪霊に霊界で100日間の教団の教えを学ぶ修錬会を受けさたり、信者達と同様に、文鮮明による祝福を受ける「先祖祝福式」(せんぞしゅくふくしき)に参加させたり、祝福家庭としての教育のため、40日間の修錬を受ける。これらを全て通過する事によって、恨みを解かれた先祖は「絶対善霊」(ぜったいぜんれい)になり、地獄に行かないで済むようになり、地上の人間に善なる協助してくれるとされる。今日まで400回以上行われたこれらの修練会によって、2006年現在で、2800億人の「絶対善霊」が誕生したとされる。
先祖解怨式に参加して先祖を解怨するには内容によって献金する額が規定されており、最終的には210代前の先祖までを解怨すると言われている。 「父方の父を辿る先祖」と「母方の父を辿る先祖」を180代前までの解怨することが望ましいとされ、このうち、1~7代前までは特に重要だとして解怨に必要な献金は70万円とされる。 それ以降の献金は7代ごとに3万円。一度に解怨できるのは原則として7代だけなので、すべてを解怨するには何十回も通わないといけない。 また、先祖以外の第3者(霊人)の恨みを解くことや、土地に憑依した悪霊の恨みを解くことを目的とした「特別解怨」(とくべつかいおん)もある。
金孝南(テモニム)は時折来日し、「霊界解放」や「浄火祈願祭」なる行事を執り行っている。 不治の病が治る、夫婦愛が深まる、子女に恵まれるなどの口コミで、この「天宙清平修錬苑」に世界中から集められる信者の献金は新たな施設を建設する費用に充てられる。 建設当初はテントやプレハブ小屋などの設備であり、いくつかの団体から反対運動があったが、国の建設許可が下りた後は、大聖殿や、老人ホームや教団や世界の指導者を育成する大学院、病院なども併設されている。
なお、今はなき「天地正教」においても先祖供養が行われた。現役信者も「先祖供養祭」などを受けるために、「天地正教」の道場に通わされた。なお、天地正教で行われた「四世代供養」は、川瀬カヨ教主が統一教会と接する以前から行っていた先祖供養をアレンジしたものだが、本来の趣旨から逸脱し、しばしば献金を集めるための手段として使われた。清平における活動に対して、反対者からは、「内部向けの霊感商法ではないか」との批判があるが、内部の信者にも同様な声があるらしく、金孝南(大母様)は「直系7代解怨がお金集めの方便だと感じる人もいるようですが、そうではないというのです。ちゃんと神様と真の御父母様の復帰のプログラムだというのです。」と信者に説明している。しかし、当初の清平では先祖供養は否定されており、日本人から効果的に献金を集める手段として、天地正教の「四世代供養」などを真似て先祖供養を取り入れた可能性が極めて高い。
- 霊界通信
- 1983年に文鮮明の次男、文興進(ムン・フンジン)が亡くなってからしばらくは、興進からの霊界通信が教団の機関誌『中和新聞』にたびたび載ったほか、キリストやパウロなど、様々な霊界の住人のメッセージが伝えられた。
アフリカのジンバブエ共和国の一信者、クンデイオナに興進が再臨したとされ、文鮮明の公認を受けて、「コンフェション」と呼ばれる告白式を全世界的で行った。公金問題、男女問題に関する罪を信者に告白させた。その罰として、多くの信者が殴られたが、頭の骨を折った幹部の朴普煕は入院を余儀なくされた。クンデイオナは「ブラック興進様」と呼ばれていた。 - 文鮮明の六男、栄進(ヨンジン)の死因が自殺だと報じられたときも、霊界通信で、本人がホテルのバルコニーで体操していたとき、誤って転落したと事故の状況を説明した。
- 1998年からは、信者向けの霊界通信の本が頻繁に出版されるようになった。金英順(キム・ヨンスン)という女性信者に、亡くなった李相軒(イ・サンホン、元医者で、教団の教えを哲学的に表した「統一思想」や、共産主義の誤りを批判した「勝共理論」を確立)が現れて、霊界の様子を伝えるという体裁である。
幸福の科学の大川隆法は「霊界通信」の本を多数出し、強勢を伸ばしたが、統一教会(統一協会)は専ら、内部信者向けに出版されている. - 悪の本体である天使長ルーシェルがこれまでの罪を認め、神と「真の父母」文鮮明と人類に謝罪したという話や、霊界の イエス・キリスト、釈迦、マホメット、孔子の四大聖人を初め、キリスト教、儒教、仏教、イスラム教、ヒンズー教の聖徒たちのみならず、マルクス、レーニン、スターリン、ヒットラーなどの独裁者たちまで、文鮮明をメシアとして受け入れ、絶対的に従って行くことを決意しているというの霊界からの報告などがなされている。
- 2002年7月4日にはそのような、霊界のイエスや釈迦やマホメットなどの5大宗教団体の代表たちが文鮮明を再臨のメシアとして受け入れ、従って行くことを決議したという決議宣布文を『ワシントン・タイムズ』を初め主要日刊新聞に全面広告して、ハワイ、アラスカを含む全米50州の約1500万軒に直接、配逹した。
- 1983年に文鮮明の次男、文興進(ムン・フンジン)が亡くなってからしばらくは、興進からの霊界通信が教団の機関誌『中和新聞』にたびたび載ったほか、キリストやパウロなど、様々な霊界の住人のメッセージが伝えられた。
[編集] 予言
『原理講論』には韓国の有名な予言書、『鄭鑑録』(チョン・カムノク)にはメシア思想があることに言及しているが、それについてはほとんど語られて来なかったが、1994年には、 南師古(ナムサゴ)の書いた韓国の別の予言書、『格庵遺録』に文氏が救世主だという予言があるとして取り上げ、高坂満津留という謎のライターによる『ついに解明された1999年』(光言社)、翌1995年には『大予言が証す救世主 奇跡の1999年』、という本を出版した。文鮮明は信者に直々に、これらを親兄弟、知人に配って自分のことを証せよと命じた。
[編集] 政治に関する活動
教団は1960年代に「勝共連合」という政治団体を組織し、韓国においては、「反共法」を制定し、北朝鮮を初めとする共産主義勢力との対決姿勢を取っていた朴正煕政権の政策に呼応する「勝共」運動を強力に行い庇護を受けたと言われる。また、各政権への資金提供やKCIA(韓国中央情報部、現・国家情報院)との関係があると言われる(教団は否定)。また、韓国でも、後に教団ナンバー2となる 朴普熈を初めとした韓国軍の高級将校が入教したりもしている。日本においても、創立から数年で、何の実績もない新興宗教の信者(西川勝)が宣教のために日本に密入国したときも、笹川良一が身元引受人になったり、日本での「勝共連合」の立ち上げにも、笹川の他、児玉誉士夫、岸信介の協力を得た。 後には時の大蔵大臣福田赳夫や安倍晋太郎などが来日公演に出席し、賛同を示した。これらの保守勢力の大物達が協力的だったことは色々な背後関係が考えられる。 韓国では「世界平和統一家庭堂」や「世界平和統一家庭連合」の名で、政界進出を目指してきたが、現在は 「天宙平和統一家族党」という政党をつくっているが、選挙には出ないで、国民への啓蒙活動を行うとしている。
日本では「勝共推進議員」とは勝共連合の趣旨に賛同する議員という意味だが、教団の教えを学ぶことを条件に、選挙で教団の支援を受けているとも言われる。実際、信者は教団の指示で、自民党議員の選挙応援に動員されて来た。特に当落すれすれの候補や組織の弱い新人などへの支援を行ってきたと言われる。
1986年の衆参ダブル選挙では、130人の“勝共推進議員”が当選したと「思想新聞」(同年7月20日号)が伝えた。又、その3年後に東京で開かれた勝共連合推進国会議員の集いには、自民・民社などの国会議員232名が参加した。 応援して来たのは自由民主党、民主党がほとんどであり、総理・閣僚経験者(現職も含む)も多数。信者の中にはそのような議員の「秘書」となった者も相当数いる。霊感商法のトーカーだった阿部令子(6000双)は渡辺美智雄の秘書をしていた上、自らも衆議院選挙に立候補したが、3度とも落選に終わった。2000年 8月25日 保岡興治法務大臣の秘書官(1800双)が統一教会(統一協会)の信者だと写真週刊誌『フライデー』が報道したことを受けて、国会で社民党の福島瑞穂議員が保岡法務大臣に質問。 保岡は秘書がかつて勝共活動で活動していたことは認めたが、現在は関係ないということを確認していると答弁した。[46] また、オウムの重要幹部の早川紀代秀は以前、統一教会(統一協会)に所属していたという説もある。
しかし、オウムのサリン事件への関与が明らかになり、世間の非難が高まって以降は、一転してオウムに対して批判的になり、オウムの教義を仏教との比較から批判する本(竹内清治『オウム教義の批判と克服』光言社1997年)まで出版したりした。
[編集] 教団をめぐる裁判
統一教会(統一協会)に対して起こされた裁判は1986年の初の提訴以来、 100件を越えており、このうち83件で和解。11件で統一教会(統一協会)側の責任を認める判決が最高裁で確定している。
- 教団勝訴の判例
- 人身保護請求が認められた事例(実質的勝訴)
- 統一教会(統一協会)信者(30歳男性)が拉致された上、精神病院に強制入院させられ改宗を強要された事件で人身保護請求訴訟により解放された事例{昭和55年(1980年 )人ナ第1号、東京高裁・杉田洋一裁判長}
- 統一教会(統一協会)信者(26歳女性)が拉致された上、精神病院に強制入院させられ改宗を強要された事件で、高村正彦弁護士等による人身保護請求訴訟により解放された事例{昭和55年(1980年)}人ナ第1号、高松高裁・越智傳裁判長}
- 統一教会(統一協会)信者(25歳女性、小学校教員)が拉致された上、精神病院に強制入院させられ改宗を強要された事件で、上野忠義弁護士等による人身保護請求訴訟により解放された事例{昭和56年(1981年)人第1号、宇都宮地裁・多賀谷雄一裁判長}
- 人身保護請求が認められた事例(実質的勝訴)
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- 強制改宗の違法性
- 献金の正当性
- 2003年11月27日 名古屋高裁、統一教会(統一協会)の献金の正当性を認め、原告の献金返還請求を棄却。
教団の関連する「天地正教」の導師部長を勤めていた元信者が1000万円の献金について、「信者の因縁話によって畏怖して献金したもの」として、「天地正教」への貸付など、約3700万円の損害賠償を求めた事案。
(2001年)2月28日、名古屋地裁は「自主的に献金した」、「統一教会(統一協会)の信者等における脅迫等、違法な働きかけは認められない」として原告の訴えを退けた。1000万円という額についても「宗教活動として許された範囲を遥かに逸脱した違法なものとまでは言えない」と判断した。原告が控訴した名古屋高裁も一審判決を支持。2004年10月22日、最高裁への上告も棄却され、統一教会(統一協会)側が全面勝訴した。
- 2003年11月27日 名古屋高裁、統一教会(統一協会)の献金の正当性を認め、原告の献金返還請求を棄却。
- 教団側敗訴の判例
- 献金勧誘行為の違法性
- 1993年(平成6年)5月27日、福岡地裁において、統一教会(統一協会)の「霊感商法」に対する損害賠償請求訴訟で、全国で初めて統一教会(統一協会)の「使用者責任」と「賠償責任」を認め、3670万円の支払いを命じる判決が出た。信者らは2人の未亡人に対し、亡くなった夫に関して、先祖の因縁話で、不安を煽り、執拗に迫って高額の献金をさせたり、弥勒象等を購入させた。福岡地裁は「献金勧誘行為は、布教活動の一環として行われたものであったとしても、その目的、方法、結果において到底社会的に相当な行為であるということはできず、違法であり、民法七〇九条の不法行為に該当する」、「信者らと教団は実質的な指揮監督関係にあり、信者が献金勧誘行為が教団の教義である万物復帰の実践として理解していたことや献金がいずれも教団に帰属していることなどからみて、原告らに対して不法行為責任を負う」と判断し、教団に献金相当額と慰謝料の支払いを命じた。(判例時報1526号121頁 平成8年(1996年)2月19日福岡高裁控訴棄却 平成9年(1997年)9月18日最高裁上告棄却)
- 元信者が、教団による違法な入信勧誘・教化行為によって損害を受けたとして、不法行為に基づく損害賠償を教団に求めた事案で、2002年10月28日、新潟地裁は「信者らもしくは信徒会の伝道・経済行為は,被告(統一教会)が経済的な利益を追求するという目的のもとになされ」、「信者らが,文鮮明の配下というべき教団の幹部らの意を受けてその指揮・命令の下に実行された結果と認められ,(中略)原告らに対する,法人としての教団自身の故意に基づく違法行為であると評価することができる。」として民法709条に基づいて,その違法行為による損害を賠償する責任を負うと判断された。[29] (平成14年(2002年)10月28 新潟地方裁判所 平成元年(ワ)374号、平成2年(ワ)389号、平成4年(ワ)389、平成5年(ワ)445 損害賠償請求)
- 信者らの違法な献金勧誘行為により、原告らが損害を被ったとして、教団に対して、民法七〇九条又は七一五条に基づき損害賠償を請求した事案で、1997年4月16日、奈良地裁は教団の献金勧誘のシステムの特徴として、
- 1.「万物復帰の教えの下、個々の対象者からその保有財産の大部分を供出させ、被告全体としても多額の資金を集めることを目的とするものである」、
- 2.「対象者がある一定レベルに達成するまで、被告の万物復帰の教えはもちろんのこと、被告や文鮮明のことを秘匿あるいは明確に否定したまま、対象者の悩みに応じた因縁話等をして不安感を生じさせあるいは助長させる方法をとっている」
- 3.「各種マニュアル等により勧誘方法が全国的に共通していて、組織的に行われている」
教団への入会ないしは献金等については「入会ないしは献金等をしようとする者の判断に影響を及ぼすこととなる重要なものにつき、不実のことを告げ、また、被告への入会ないしは献金等をさせるため、対象者を威迫して困惑させるものであり、方法として不公正なもの」と判断し、教団の献金勧誘のシステムは、「不公正な方法を用い、教化の過程を経てその批判力を衰退させて献金させるものといわざるを得ず、違法と評価するのが相当である。」として教団に原告2人に対する損害賠償を命じた。(平成9年(1997年)4月16日判決言渡 平成9年4月16日判決原本交付 裁判所書記官 平成6年(1994年)●第二〇七号 損害賠償請求事件)[30]
- 献金勧誘行為の違法性
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- 伝道に関する違法性 (青春を返せ裁判)
- 元信者らが、教団又はその信者らの違法な詐欺的・脅迫的な勧誘・教化行為によって入信させられ、その後、長期間被告の献身信者として過酷な生活をさせられて信教の自由を侵害され、また、その過程で献金及び合同結婚式への参加を強要されて財産権及び婚姻の自由を侵害されたとして、不法行為(民法709条又は715条)に基づき慰謝料等の支払を求めた事案。
東京地裁は、信者らの伝道活動は、「相手方を畏怖困惑させ、それによって被告の教義からの離脱を困難にすることに主眼を置いていたもの」、「献金及び無償で物品販売活動等を行わせること及びそのような行為をする被告の信者を再生産することによって、経済的利益を上げることもその目的であった」、「(先祖の因縁や霊界等の)非科学的な超自然的な現象についての話は、科学的・論理的な検証が不可能であって、個人差はあっても、これを聞いて漠然とした不安を抱くことになる者がいるのは明らかであり、その上で自分や家族の具体的な事実と結び付けられると、恐怖を感じることは避けられない」「教義に深入りさせる方法としては、相当性を欠くものといわざるを得ない。」として「原告らに対する勧誘・教化行為は、不当な目的に基づく社会的相当性を逸脱した方法で、結果として原告らの自由意思を阻害しているものといわざるを得ず、原告らの信教の自由を侵害する違法な行為というべきである。」と判断した。
また、合同結婚式への参加を勧めた行為についても、「信者の間では、合同結婚式への参加を断る自由があるという理解はなかったものと認められる。」として、「婚姻の自由を侵害する違法があるもの」とした。
損害については「過酷な経済活動や伝道活動に従事して労役の提供を余儀なくされ、さらに、献身するために勤務先の会社をやめることを余儀なくされるなど献身期間中、従前の人間関係や社会生活等を破壊された。」「文鮮明の選んだ相対者を断ると、自己や先祖の救いの道が閉ざされ、病気や怪我をしたり又は死んだりすることになるとか、死後地獄に行くことになるなどと思って苦悩し、相当の精神的苦痛を被った。」などとして、教団に対し原告の3人に対する慰謝料の支払いを命じた。被告の高裁への控訴、最高裁への上告はいずれも棄却された。(平成14年(2002年)8月21日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 平成11年(1999年)(ワ)第18400号 平成15年(2003年)5月13日口頭弁論終結)[31]
- 元信者らが、教団又はその信者らの違法な詐欺的・脅迫的な勧誘・教化行為によって入信させられ、その後、長期間被告の献身信者として過酷な生活をさせられて信教の自由を侵害され、また、その過程で献金及び合同結婚式への参加を強要されて財産権及び婚姻の自由を侵害されたとして、不法行為(民法709条又は715条)に基づき慰謝料等の支払を求めた事案。
- 伝道に関する違法性 (青春を返せ裁判)
(平成15年(オ)第1770号 平成15年(受)第1880号) [32]
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- 強制改宗をめぐる記事の信憑性
- 教団自身が敗訴した例ではないが、カルト問題の第一人者である浅見定雄・東北学院大学名誉教授が宗教ジャーナリストの室生忠が、浅見を「強制説得」を指導する「全国霊感商法対策協議会」の「請負人」かつ「世話人」であると書いた記事を名誉毀損に当たるとして、記事を書いた室生とその原稿を掲載した『創』の篠田博之編集長を訴えた。
2001年12月17日、東京地裁は、「小室(室生の本名)の本件記述は、記載される個人に対する直接の取材と言う基本的ルールを無視し、これを省略して一方当事者の立場にある統一協会からの資料提供に全面依存し、その結果、事実の記載を誤るべくして誤ったものである」として金90万円の損害賠償と『創』誌への謝罪広告の掲載を命じた。2審でも浅見側が勝訴し、室生側の最高裁へ上告は棄却された。強制改宗に関する教団の主張が信憑性に問題があるプロパガンダ的なものであることが明らかになる。尚、室生の担当弁護士の一人は統一教会(統一協会)の合同結婚式(1988年の6500組)に参加した現役信者であった。[33] - 統一教会(統一協会)の現役信者夫婦が、日本人妻の両親と説得に関わった牧師に対し、人格権に基づき、拉致監禁、棄教強要などの差し止めと、牧師に対し約1330万円の損害賠償を求めた訴訟。
2002年3月8日 東京地裁は原告の請求を退け、牧師も両親も全面勝訴した。原告が主張した「S牧師は違法行為の共謀をした」、「原告が監禁されていることを容認した」、「説得を受けた部屋が統一教会(統一協会)信者の監禁場所として常用されていた」、「日本基督教団が統一教会(統一協会)信者を脱会させるために拉致・監禁を組織的に行っている」などがすべて否認された。S牧師が暴言的、脅迫的発言や暴行を行ったという訴えに対しては「穏当性を欠くものであったが、損害賠償請求件を発生させるほどの違法性はない」と判断した。2002年12月26日、高裁への控訴、同年6月27日、最高裁への上告は共に棄却され、被告のS牧師と両親の勝訴が確定した。
- 教団自身が敗訴した例ではないが、カルト問題の第一人者である浅見定雄・東北学院大学名誉教授が宗教ジャーナリストの室生忠が、浅見を「強制説得」を指導する「全国霊感商法対策協議会」の「請負人」かつ「世話人」であると書いた記事を名誉毀損に当たるとして、記事を書いた室生とその原稿を掲載した『創』の篠田博之編集長を訴えた。
- 強制改宗をめぐる記事の信憑性
- 和解の事例
- 統一教会(統一協会)の信者である夫婦が自分達を連れ去り、脱会の説得を行った親、次女、親族、牧師らの8名を被告として,自分達の意思に反する違法な拉致,監禁及び教団からの脱会の強要等の共同不法行為に基づく差止請求及び損害賠償請求を求めた事案。
2004年1月23日 横浜地裁は原告の請求を棄却した。横浜地裁は、「両親の行為がが原告の意思に反する,違法な,拉致,監禁及び統一協会からの脱会の強要とまで認めることはできない」「両親による暴行の事実があったと認めることはできない」と判断し、両親に協力した牧師の行為についても「牧師らの指示,指導があったとは言えない」「統一協会からの脱会の強要にあたらない」とし、原告の請求を棄却した。[34]。
2004年8月31日、東京高裁も原告らの控訴を棄却したが、2006年3月23日、最高裁第3小法廷(上田豊三裁判長)では「信仰の自由に干渉しないことを約束する」という内容を含んだ「法定内和解」が成立した。 - アメリカにおいて、伝道の初期段階に教団の名前を正式に述べなかったこと(不実表示による詐欺)などについて、2人の元統一教会(統一協会)会員が被害を受けたと訴えた民事訴訟。
1審、2審が「訴訟自体が法廷を宗教問題に踏み込ませるものだ」として原告の訴えを棄却したが、カリフォルニア州最高裁は1、2審を破棄し、「たとえ宗教団体による伝道行為であっても、不実表示は伝統的な詐欺事件として扱うことができる」とし、陪審員による事実審理をするようにと差し戻した。結果的に教会と原告は和解したが、「信教の自由」があっても、伝道の方法によっては詐欺にもなり得る場合があることを示唆したものとなった.。(モルコ・リール事件 1998年10月27日 カリフォルニア最高裁)
- 統一教会(統一協会)の信者である夫婦が自分達を連れ去り、脱会の説得を行った親、次女、親族、牧師らの8名を被告として,自分達の意思に反する違法な拉致,監禁及び教団からの脱会の強要等の共同不法行為に基づく差止請求及び損害賠償請求を求めた事案。
[編集] 統一教会(統一協会)の信者たち
- 現役信者
- 桜田淳子 :元アイドル、歌手、女優。教団信者の姉夫婦の影響で、アイドル時代から入信していた。1992年に、徳田敦子・山崎浩子と共に合同結婚式に参加した。現在、3児の母である。教団のイベントや関連企業などにも用いられたりしたことで、“広告塔”になっていると批判された。桜田が所属する事務所の社長に紹介した信者が壺を売ったことや霊感商法について質問されたときに、「普通のビジネス」などと発言したことが顰蹙を買った。桜田の父(故人)は秋田父母の会「陽光会」の会長として、本間てる子と一緒に教会に対する反対運動をしていた。
- 徳田敦子 :元バドミントン世界チャンピオン。1992年の3万組・合同結婚式に参加。相手は津谷重典氏(つや・しげのり、専修大学卒、当時教団系企業だったワコムの経理部社員)。『やっぱりこの人が一番』(光言社、1994)の著書あり。
- ジョナサン・ウェルズ:生物学者。インテリジェント・デザイン(創造科学論)運動の指導者。
- 元信者・元求道者
- 李昌煥(イ・チャンファン) : 韓国の教団設立当時の初代会長。
- 劉孝敏(ユー・ヒョウミン) : (三十六家庭、『原理講論』執筆者の劉孝元のいとこ。)日本のテレビにも出演し統一教会(統一協会)の批判をした。
- 金徳振(キム・トクチン) : 1950年代中頃に入教。教団の聖歌(19曲)の作曲者。教団の歌集は、彼の曲を作者不詳扱いで載せている。教団の教えを利用し、女性問題を起したことで当時の教会長である劉孝元から厳しく叱責され、教団を去ったと統一教会(統一協会)は言う。離教後、統一教会(統一協会)では「血わけ儀式」が行われていて、文鮮明自身関係を持った女性が多くいたと批判した。教団を離れた後に、警察牧師になったとも言われる。
- 朴鍾和(パク・ジョンファ) : 草創期の弟子。文鮮明の中学の同級生。脱会した後、建築業を営む。
- 小宮山嘉一 : 久保木修己らと共に「立正佼成会」から入信した。原理研究会を設立した教団幹部。
- 上田利治の妻 : 野球解説者で当時は日本ハムファイターズ監督であった夫は、妻子の入信が『週刊現代』で暴露されたため、責任を感じ、娘を教団から奪回するため、優勝間違いなしと思われたほど独走していたシーズンの途中で退団した。妻は後年脱会するも、2人の娘が合同結婚式に参加、信仰を続行しており上田とその周辺を心配させていると報じられた。
- 藤岡弘、 : 俳優。統一教会(統一協会)信者でないかと報じられたことがあったが、後に(教団関連のセミナーと多少のかかわりを持ったことはあるものの)信者ではないと判明した。しかし今なおネットには、彼を統一教会(統一協会)信者であるとする怪文書が流布している。
- 三波春夫 : 歌手。かつては勝共連合に賛同し、積極的に応援していたが、「霊感商法」批判報道を期に離反を表明した。
- 飯星景子 : タレント。1992年入信をめぐって失踪騒ぎを起こしたが、父親で作家の飯干晃一の強い説得で脱会。テレビでこのときのことを話したとき、「桜田さんに関しては、まず真実を分かってほしいということですね」とコメント。
- 山崎浩子 : 新体操元選手、現インストラクター、タレント。友人の誘いで入信。桜田淳子・徳田敦子と共に合同結婚式に参加し、勅使河原秀行と結ばれたが、挙式後、親族や牧師の説得を受け、脱会。「マインドコントロールされていました」という記者会見は教団に大打撃を与えた。自著「愛が偽りに終わるとき」(文藝春秋)で、それらの経緯を書いている。
- 音無美紀子 : 女優。「神につながれば息子の病気は治る」と言われて、入教していたが、「教会に行くためには嘘をついても神は非難しません」というような教えなどに疑問を持ち、夫、村井国夫の説得を受けて脱会。[35] 村井国夫との共著、「妻の乳房 ―「乳がん」と歩いた二人の十六年」で[教団との経緯を書いている。
- 恵藤洋治 : 教団関連企業であった「ワコム」の元社長。1997年に会社の運営をめぐり、意見が対立し、脱会。1998年に除籍処分となる。
- 仲正昌樹 現在は金沢大学助教授。18歳の時から29歳まで11年半、信仰していた。 やめた理由は、人間を変えるプロセスがあまりにもプログラム化されていることに疑問を感じ,自分には合わないと考えたこと、メシアというカリスマの指導による弊害や限界を感じたことだという。 [36]
- 早川紀代秀 : 元オウム真理教幹部。早川が所属していた「世界統一通商産業」(1992年 3月15日 設立)は統一教会(統一協会)系の企業とも言われるが、教団は入信そのものを否定している。
- 東純一郎 : 自己啓発セミナー「加江田塾」(宮崎市)の主宰者。死体の蘇りを信じて、腎臓病の少年や乳児らに祈とうを続け死亡させた「加江田塾」ミイラ事件で、東とその妻は死体遺棄罪で「懲役7年」の実刑判決を受けた。教団は東が1986年から1989年まで教会員であったことを認めている。
-
- 内部告発
- 副島嘉和 : 元『世界日報』の編集局長兼、教団の広報局長。777双。『世界日報』の編集方針をめぐって教団側と対立し、暴力的に追放され、教団からも除名された。副島は元営業業局長井上博明と連名で教団の内幕を暴露した「これが統一教会の秘部だ」という内部告発の手記を『文藝春秋』
- スティーブン・ハッサン : (社会心理学者)マンハッタン地区の統一教会(統一協会)の元副教会長。教団の資金集めのチームのキャプテンとしてマイクロバスを運転していたが、その事故の治療静養中に、家族による説得を受け脱会。その後、心理学を学び、『マインド・コントロールの恐怖』という本を出版。カルト教団から信者を救出する組織、「CAN」(カルト警戒網、現在はサイエントロジー含むキリスト教系、仏教系の関連団体がその名を受け継いだまったく正反対の団体となった)で活動してきた。
- 洪蘭淑(ホン・ナンスク) : 教団の熱心な幹部信者である親によって、幼い頃から教団の教えで育てられた。父の洪性杓は文鮮明の指示で、「一和」を設立した。兄の洪珍輝も文鮮明の長女誉進(イエジン)と結婚した。洪蘭淑も文鮮明の長男、文孝進と結婚するも、夫の暴力、薬物やアルコールの濫用、女性問題などの様々な不品行に耐えかね、5人の子供を連れて文家から逃げ出し、離婚した。1998年に文家の偽善を告発する手記『わが父文鮮明の正体』(「In The Shadow of Moon」)をアメリカと日本で出版。テレビや新聞などのインタビューにも出て、文鮮明一族の実態を語った。両親も兄も離教している。
- 文恩進(ムン・ウンジン) : 文鮮明の四女で、教団の祝福を受けたが、乗馬のコーチと再婚した。洪蘭淑と共に、アメリカのテレビに出て、教団とは決別したこと、父親に私生児がいることなどを暴露した。
- ドナ・コリンズ : ヨーロッパの草創期の教団幹部の娘。幼い頃から文鮮明ファミリーと間近に接して来たが、文一族の贅沢ぶりや、不道徳さ、横暴さ、無慈悲な姿を見て、「こんなのがメシアではありえない」と思うようになり、教団を離れた。両親も離教している。[37]
- 朴悛哲(パク・チュンチョル) : 1800双 31年間、教団の指導者であったが、2001年1月9日、教団を脱会し、『奪われた30年』という本を執筆し、文鮮明を告発した。3年間に渡り、韓国の日刊紙、キリスト教の新聞60余の言論機関で、教団の実体を告発した。教団から民事訴訟、刑事訴訟を起こされた。民事訴訟は勝訴。刑事訴訟は係争中。
- 内部告発
- 賛同者・シンパ
- 岸信介(元首相) :
- 安倍晋太郎(故人・衆議院議員) 岸信介の女婿。教団は自分達に賛同的であった岸信介・ 福田赳夫の流れを汲む安倍晋太郎が総理になることに期待をかけていたが、総裁の指名権を得た中曽根康弘が、意に反して竹下登を指名したことを強く非難していた。
- 中曽根康弘(元首相)
- 菅原喜重郎(元衆議院議員、世界平和超宗教超国家連合共同議長)
- 松下正寿(立教大学元総長、元参議院議員) : 「文鮮明・人と思想」(善本社1984)等の著書あり。
- 福田信之(筑波大学元学長、理論物理学者) : 「文鮮明師と金日成主席」(世界日報社1992)等の著書あり。
- ロナルド・レーガン(元米大統領)
- ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領)韓鶴子の世界平和女性連合の講演で、バーバラ婦人と共に自らも家庭の価値を訴える。バーバラ婦人は韓国の清平で金孝南から按手を受けたといわれている。
- 金大中(元韓国大統領)
- エマニエル・ミリンゴ(カトリック大司教) : 2001年5月27日、聖職者の結婚を禁じたカトリック教会の規則を破り、統一教会(統一協会)の合同結婚式で韓国女性ソン・マリアと結婚し。反対するローマ教皇庁から説得を受け、結婚を解消し、カトリック教会に戻り、破門を免れた。2006年7月12日、ナショナルプレスクラブの記者会見で「私の妻と私は分離する事ができないし、妻は常に私と一緒に生活している」と以前の言動を翻し、同席したカトリック司祭らと共に、司祭の結婚を禁じる制度の撤廃運動を再び表明した。
- ジョージ・スターリングス(米国キリスト教イマニ・テンプル大司教) : 文鮮明を「メシヤ」、「神の人」「神そのもの」などと積極的に賞賛している。妻は統一教会(統一協会)の合同結婚式で選ばれた日本女性。統一教会(統一協会)では“大司教”の肩書きで紹介されているが、『ニューヨーク・タイムズ』によれば、スターリングスは1989年に性的不品行を自らの教区で非難され、ワシントンの大司教(枢機卿のジェームスヒッキー)による処罰を拒否し、独自にイマニ テンプルという教会を始めたという。そして自らを大司教に任命したという。それ以来、スターリングスは、カトリックの教義に反して、結婚を願う聖職者を受け入れることで教会を広げようとしてきたという。
- 山谷えり子元サンケイリビング編集長。自民党参議院議員。教団の全面バックアップで国会議員に。教団の推進する、反夫婦別姓、反ジェンダーフリー運動に取り組んでいる。しばしば『世界日報』にコラムを記載。
- 関係を疑われる現役の政治家たち
- 批判者
- 浅見定雄(東北学院大学名誉教授)教団の草創期から反対運動に関わっている統一教会(統一協会)問題の第一人者。数々の著作がある
- 川崎経子(元牧師)NPO法人小諸いずみ会「いのちの家」所長
- 有田芳生(フリーランスジャーナリスト)『朝日ジャーナル』で霊感商法報道に関わったことを機に、「統一教会に詳しいジャーナリスト」として著作やテレビ出演で教団を批判。
- 山口広(弁護士)霊感商法対策の組織「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(被害弁連)を事務局長として主導して来た。
- 紀藤正樹(弁護士)霊感商法「被害弁連」の中心的存在。テレビでも統一教会問題を取り上げた番組によく出演している。
- 郷路征記(弁護士)統一教会(統一協会)の伝道を違法なものとして訴える違法伝道訴訟(青春を返せ裁判)の先駆者。
- 山口貴士(弁護士)被害弁連に所属。紀藤正樹のリンク総合法律事務所に在籍。
- 中村敦夫(俳優・元参議院議員)飯干晃一と共に反対運動に注力した。
- 飯干晃一(作家) : 娘の飯星景子を説得して、離教させた。マスコミや批判書を通じ、統一教会(統一協会)に対する反対活動を積極的に行う。反対集会に参加しては参加者を励ましたり、渋谷の教団本部に出かけて行っては、現役の信者に一人ひとりに「君は間違っているぞ」と説得を繰り返したという。
- 卓明煥(タンミョンハン)(宗教ジャーナリスト)韓国において著作や講演で統一教会(統一協会)を批判。
- 鈴木邦男 民族派団体「一水会」の元代表。1985年に、『朝日ジャーナル』に 「勝共連合は民族主義運動の敵だ――文鮮明王朝建設に利用される日本の若者」と出した批判手記を発表。 [38]
- 田中康夫 (前長野県知事。作家)ゲストとして出演したラジオ番組で何度か教団を名指しで批判した。
[編集] 参考文献
- 教団側の文献
- 世界基督教統一神霊協会伝道教育局訳編『原理講論〔第3版〕』(2003.10) ISBN 4-87656-989-4
- 久保木修己監『為に生きる〔改訂版〕―文鮮明師講演集』(1976.12) ISBN 4-87656-017-X
- 世界基督教統一神霊協会編『日弁連「意見書」への求釈明―統一教会の回答』(1999.11) ISBN 4-87656-083-8
- 増田善彦著『「マインド・コントロール理論」その虚構の正体―知られざる宗教破壊運動の構図』(1996.05) ISBN 4-87656-049-8
- 朴正華『 “私は裏切り者 その時私にサタンが入った!” 』世界日報社 1995年
- 批判側の文献
- 洪蘭淑(著) 林四郎(訳)『わが父 文鮮明の正体』(文藝春秋社 1998年)ISBN 4163546103
- 浅見定雄『統一協会 = 原理運動―その見極めかたと対策』(日本キリスト教団出版局 1987) ISBN 4818421111
- 川崎経子『統一協会の素顔 ─その洗脳の実態と対策』 (教文館 1990年) ISBN 4-7642-6264-9 ※用語集も付き、文体平易
- 朴正華『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版 1993年) ISBN 4765230732
- 山口広『検証・統一協会―霊感商法の実態』(緑風出版 1993年3月) ISBN: 4846193667
- 郷路征記『統一協会マインドコントロールのすべて―人はどのようにして文鮮明の奴隷になるのか』(教育史料出版会 1993) ISBN 4876522502 弁護士である著者が多数の教団の元信者からの聞き取りから、教団が行う「マインド・コントロール」による教化の詳細を説明。)
- 南哲史『マインド・コントロールされていた私―統一教会脱会者の手記』(1996年 日本キリスト教団出版局 1996) ISBN 4818402516
- スティーヴン(スティーヴ)・ハッサン(浅見定雄訳)『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版 1993年)ISBN 4765230716
- 茶本繁正『原理運動の研究』『資料編1・2』(晩聲社 1977)ISBN 4891880155 『原理運動の実態 ファッシズムへの道』(三一書房)ISBN 4380792242
- 有田芳生『統一教会とは何か』(教育史料出版会、 1992年) ISBN 4876522332、『「神の国」の崩壊―統一教会報道全記録』(教育史料出版会、1997年)ISBN 4876523177
- 青春を返せ裁判(東京)原告団・弁護団 (編著) 『青春を奪った統一協会――青春を返せ裁判(東京)の記録』緑風出版 ISBN4-8461-0011-1 C0036
- 全国統一協会被害者家族の会 編『自立への苦闘―統一協会を脱会して 』(単行本) 教文館 2005年ASIN: 4764264072 :(脱会後も後遺症のように続く、「マインド・コントロール」の影響からの立ち直りのための方法を統一教会(統一協会)問題にっ変わって来た牧師や弁護士たちの経験から提示する。)
- 本間てる子『秋田の母ちゃん統一協会とわたりあう』 ウインかもがわ (2003年8月) ISBN 4876997691
- 米本和広『統一教会信者「脱会」後の重い十字架 書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇』(講談社 月刊現代2004年11月号掲載):カルトを批判する立場の著者だが、統一教会(統一協会)が問題のある教団だとしても、親たちが信者を拉致、監禁とも言える強引な脱会方法はゆるされるのか? と批判。)
[編集] 外部リンク
- 公式サイト
- 賛同的なサイト
- 人類史の大真実・文鮮明師と統一原理の真実(統一運動の略史、創始者の紹介、賛同者・反対者のリスト等がある)
- 「神様の真の愛の下、一つの地球家族」心情文化世界の建設!
- 統一運動 Logos & Information
- 天聖経
- 「統一教会ナビ」(統一教会(統一協会)に関する賛同的なもサイトも批判的なサイトも集めたサイトのリンク集)
- 批判的なサイト
- 統一協会問題キリスト教連絡会 (旧・日本キリスト教団統一原理問題連絡会)
- カトリック中央協議会の『世界基督教統一神霊協会に関する声明』
- カルト被害を考える会(旧「青春を返せ裁判」を支援する会)
- 全国統一協会被害者家族の会
- 霊感商法の実体(全国霊感商法対策弁護士連絡会)
- 統一協会情報:(弁護士紀藤正樹のLINCへようこそ!中のコンテンツ)
- 郷路法律事務所(札幌の「青春を返せ裁判やマインド・コントロールについての詳しい資料がある。」)
- 宗教問題研究会(統一教会(統一協会)関連の貴重な資料を掲載。)
- Clue ism(統一教会(統一協会)の献金や文一族に関する内部情報がある。)
- 統一協会研究(教団の多方面に渡る豊富な情報がある。)
- 世界基督教統一神霊協会(新興宗教を考察するページ中の統一教会の概略。)
- Monologue of Oyadi ~reprinted edition(元信者の人気メルマガ「非原理教会 不良食口<おやぢ>の独白」の復刻版)
- 統一教会の霊能者『李相軒先生が霊界から送ったメッセージ』のウソ(佐倉哲エッセイ集の中にある統一教会(統一協会)の霊能者への批判。)
- 日本宗教問題研究所 「統一協会問題相談室」に関連情報がある。
- 新世紀カルト( 「有田芳生の今夜もほろ酔い」中のコンテンツ)
- 統一協会:リンク集が充実。
- 統一教会二世のひろば
[編集] 関連項目
- 「Category:統一教会(統一協会)」内の項目
その他はカテゴリ統一教会(統一協会)を参照
[編集] 脚注
- ^ 『文藝春秋』 1984年7月号「これが統一協会の秘部だ―世界日報事件で追放された側の告発」
- ^ a b 浅見定雄 『統一協会 = 原理運動 その見極めかたと対策』 日本基督教団出版局 1987年
- ^ 文鮮明の脱税に関しては教会側は宗教弾圧による冤罪であると主張している。
- ^ a b c 山口広、中村周而、平田広志、紀藤正樹『カルト宗教のトラブル対策』教育資料出版会2000年
- ^ 『ファミリー』2005年6月号
- ^ 『Sunday世界日報』1992年9月20日号「統一教会史余話」
- ^ 『ファミリー』1998年11月号
- ^ 『中和新聞』(1992年9月12日号)
- ^ a b 別冊宝島編集部 (編集) 『カルトの正体』宝島社 1999年12月 ISBN: 4796616853
- ^ 卓明煥「統一教、その実相」
- ^ 第078回国会 外務委員会 第4号 昭和51年(1976年)10月21日
- ^ a b 第080回国会 文教委員会 第8号 昭和52年(1977年)4月7日
- ^ 『牧会者の道』光言社 1994年11月
- ^ 『ファミリー』1995年2月号 P48
- ^ 『ファミリー』1998年7月号P16
- ^ 『ファミリー』1999年10月号P46
- ^ 機関誌『成約の鐘』昭和46年(1971年)
- ^ 第071回国会 内閣委員会 第12号 昭和48年(1973年)4月5日
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