江夏の21球
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『江夏の21球』(えなつのにじゅういっきゅう)とは、山際淳司のノンフィクション小説である。また、この作品により、題材とされたプロ野球の試合の模様もこの表現で呼ばれるようになっている。
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[編集] 概要
1980年に発行された「Sports Graphic Number」創刊号に掲載された。読者の反響が大きく、山際淳司をスポーツノンフィクション作家として世に認めさせた作品として知られている。また、1982年にはNHKによって映像化され、『NHK特集・スポーツドキュメント「江夏の21球」』として1983年1月24日に放送された。番組の解説を務めた野村克也は「江夏の21球こそ野球の醍醐味」と語った。この番組は2003年にも再放送された。
また、プロ野球1979年の日本シリーズ第7戦において、投手の江夏豊が9回裏に1点リードで無死満塁というピンチを背負いながらも0点に抑え、チームの日本一を決めたことを表現することがある。
[編集] 題材(実際の経過)
題材とされたのは、1979年11月4日、大阪球場で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、近鉄バファローズ(以下近鉄)対広島東洋カープ(以下広島)の9回裏の場面である。
両チーム3勝3敗で迎えた第7戦は、小雨が降る中試合が進み、9回表を終了した時点で4対3と広島がリードしていた。迎えた9回裏、近鉄の攻撃。広島・古葉竹識監督は万全を期すため、絶対的なリリーフエース、江夏豊を7回裏からマウンドへ送っていた。この回を抑えれば広島は優勝、球団史上初の日本一となる。ところが、同じく球団史上初の日本一を目指す近鉄もただでは終わらなかった。先頭の6番打者・羽田耕一がいきなりヒットを放ち、にわかに場面は緊迫する。以下は、この回に江夏が投げた全21球の様子である。
投球 | 打順 | 打者 | 内容 |
---|---|---|---|
1球目 | 6番 | 羽田耕一 | 羽田、初球をセンター前にヒット。無死一塁。近鉄・西本幸雄監督は羽田に代わってシーズン代走盗塁記録を持つ切り札・藤瀬史朗を代走に送る。 |
2球目 | 7番 | クリス・アーノルド | 初球、広島バッテリーは盗塁を警戒して外し、ボール。 |
3球目 | 7番 | クリス・アーノルド | 広島バッテリー、もう1球外す。ボール。 |
4球目 | 7番 | クリス・アーノルド | 見逃し、ストライク。 |
5球目 | 7番 | クリス・アーノルド | 藤瀬がスタート。投球はボール。捕手・水沼四郎が2塁へ送球するがこれが悪送球となり、藤瀬は一挙に三塁へ達する。無死三塁。ボールカウントも1ストライク3ボールとなった。 |
6球目 | 7番 | クリス・アーノルド | 事実上敬遠となるボール。アーノルドは四球となり、1塁へ。無死一・三塁。西本はアーノルドに代わって代走にこれも俊足の吹石徳一を送る。 |
7球目 | 8番 | 平野光泰 | 初球はストレートが高めに浮いてボール。 |
8球目 | 8番 | 平野光泰 | 平野はハーフスイングを取られてストライク。 |
9球目 | 8番 | 平野光泰 | 一塁走者・吹石がスタート。投球はボール。藤瀬の本塁突入を警戒して、水沼は二塁へ送球せず。吹石盗塁成功。無死二・三塁、すなわち一打サヨナラの場面となる。 |
10球目 | 8番 | 平野光泰 | 水沼が立ち上がり、敬遠開始。ボール。 |
11球目 | 8番 | 平野光泰 | ボール。敬遠四球で平野は一塁に歩く。無死満塁となる。 |
12球目 | 9番 | 佐々木恭介 | 9番には投手・山口哲治が入っていたが、西本は前年首位打者でこの年も.320を記録していた「左殺し」の異名を持つ切り札・佐々木恭介を代打に送る。その右打者佐々木への初球は内角に大きく外れるカーブでボール。 |
13球目 | 9番 | 佐々木恭介 | 2球目は見逃しのストライク。ド真中のシュート。この投球のあと、広島ベンチから池谷と北別府がブルペンへ。リリーフエース江夏の心理に微妙な変化が生じる。 |
14球目 | 9番 | 佐々木恭介 | 3球目、内角ギリギリ、ベルト付近のストレート。佐々木が強振し、バウンドした打球は三塁線へ。三塁手・三村敏之がジャンプするも届かず、ヒットかと思われたが、結果はファウルボール。[1] |
15球目 | 9番 | 佐々木恭介 | 捕手とのサイン交換の前に一塁手衣笠がマウンドの江夏のもとへ駆け寄る。衣笠に励まされた江夏はリリーフエースとしてのプライドのことはふっ切れ、開き直ることができた。投球は内角高めのストレートで、またもやファウルボール。 |
16球目 | 9番 | 佐々木恭介 | 内角低めのストレートが外れてボール。 |
17球目 | 9番 | 佐々木恭介 | 前の球と同じ球道から内角に食い込むカーブが膝元に入り、佐々木は空振り。三振。一死満塁となる。 |
18球目 | 1番 | 石渡茂 | 初球、カーブを見逃しのストライク。 |
19球目 | 1番 | 石渡茂 | 3走者がスタート。石渡がスクイズの構えをする。水沼が立ち上がる。江夏は外した球を投げる。石渡は飛びつくようにバットを出してスクイズ試みるが、ボールは水沼のミットの中へ。藤瀬は三塁に戻ろうとするが、既に二塁走者の吹石が三塁に達しており、戻り得ず、水沼にタッチされ、アウト。スクイズ失敗で二死二・三塁、カウントも2ストライク0ボールとなる。 |
20球目 | 1番 | 石渡茂 | ファウルボール。 |
21球目 | 1番 | 石渡茂 | 空振り、三振。試合終了。広島日本一決定。 |
[編集] 『江夏の21球』
- 表面的な事実としては以上の通りだが、山際淳司は江夏本人に対して長時間インタビューをするなどして、単なる投打のやり取り以外に発生していた駆け引きなどを取材。それらを総合して一つの作品にまとめたのが『江夏の21球』である。具体的には、以下のような場面が描かれる。
- 藤瀬の「盗塁」は、実はヒットエンドランのサインだったが、アーノルドが見落としていた。結果オーライとなったが、近鉄の西本監督は苦笑いした。
- 江夏がアーノルドに四球を与えたときに、広島の古葉監督はブルペンに北別府学を派遣した。ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。これを見て江夏は「自分のことを信用しないのか」と憤り、マウンドに内野手が集まったとき、「自分を信用しないのならば辞めてやる」と言い放った。
- 後で一塁を守っていた衣笠祥雄が一人で江夏のもとに向かい、「(信用されなければ辞めるという)おまえの気持ちと自分も一緒だ、気にするな」と声をかけた。これで江夏は吹っ切れた。
- 古葉監督がブルペンに投手を送ったのは、後日語ったことによると同点延長の可能性を考慮したため。
- 14球目だが、江夏は「あのコースなら打ってもファウルだ」と確信していた(内野でバウンドした打球のフェア・ファウル判定は、打球の着地点で判定するのではなく、ベース上の空間を通過していたか否かで判定するので実際はかなり際どい判定だった)。
- しかし、9回裏に衣笠は三塁から一塁に回り二塁手の三村が三塁に回っていたこともあり、背の低い三村敏之がジャンプして届かずファウルボールだったので、もし背の高い衣笠がそのまま三塁手だったならば衣笠はボールをはじいてフェアとなり近鉄が同点、またはサヨナラ勝ちしてたのではないかともいわれる(さらに、後日三村は「実はあの時打球がグラブに触れていた」と語っている)。
- この14打球目の判定に関して、近鉄ベンチは抗議を行っていない。三塁コーチである仰木彬が判定に異議を唱えるような行動を示さず、そして西本は仰木に絶大な信頼を寄せていたからである。
- クライマックスである石渡への19球目を巡る、投手江夏・打者石渡・監督古葉の証言の食い違いが白眉である。この時江夏はカーブの握りのままウエストボールでスクイズを外している。投球フォームに入った後三塁走者の突入に気づいた江夏の、もはや握りを変える間もない咄嗟の判断であったが、暴投の危険の極めて高いこの行為につき、石渡はその事実を頑として認めていない。また、古葉は「シーズン途中からこのような事態を想定して投手には変化球でウエストを投げさせることを練習させていた」と語っているが、江夏によればそのような事実は一切無かったと言う。江夏は指が短く、しっかりとしたカーブが投げられなかったが、そのカーブがウエストを可能にしたといわれる。
- スクイズ失敗の直後、近鉄監督の西本幸雄の脳裏には大毎監督時代、大喧嘩の末オーナーの永田雅一に解任された1960年の対大洋第2戦(日比谷公会堂で浅沼稲次郎暗殺事件が起こった同日)でのスクイズ失敗がよぎり、「俺はスクイズの神様に見放されているのかなあ…」とつぶやいた、という。
- 水沼氏の証言によると、バッターボックスでの石渡は明らかに緊張しており、スクイズで来るのは見え見えだった、しかも大学の後輩に当たる石渡に対して、「おい!、スクイズやろ!、いつしてくるんや?」と、言葉でプレッシャーを与えてたらしい。石渡にスクイズのサインを伝えた仰木は、石渡の背後で食い入るように自分を見つめる水沼の姿を見て、失敗を予感したという。
- この第7戦の球審が、現パシフィック・リーグ審判部長の前川芳男、二塁塁審が元パ・リーグ審判部長の藤本典征だった(一塁塁審には岡田功(当時は和也)外野右翼外審に福井宏とセントラル・リーグからは名物と呼ばれていた審判が務めていた)。布陣としては、(球)パ前川(塁)セ岡田和 パ藤本 セ山本文(外)パ岡田哲 セ福井
- この試合は当日午後1時(JST)から毎日放送をキーステーションに1959年の南海日本一のエース・杉浦忠(故人)と巨人9連覇の名参謀・牧野茂(故人)の解説、毎日放送アナ(当時)・城野昭の実況でJNN系列全国ネットで生中継された(MBSラジオでは実況・三宅定雄)。ちなみに毎日放送にとっては、この試合が腸捻転解消後、初の日本シリーズ中継となった。
- 2006年8月3日発売の週刊ヤングサンデーに、かわぐちかいじの描いた本作の読み切り漫画が掲載された。
[編集] 関連項目
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