門司駅
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門司駅(もじえき)は、福岡県北九州市門司区中町2丁目1番に所在する九州旅客鉄道(JR九州)の駅である。
山陽本線終点駅で関門トンネル開通以来、九州の鉄道の玄関口である。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
山陽本線のうち関門トンネル下関~門司間は九州旅客鉄道の所管である。
[編集] 概要
山陽本線が直流電化であるのに対し九州内のJR線は筑肥線を除き交流電化で本駅構内下関方にデッドセクションが存在する(貨物列車用のために門司駅構内にも設置されている)。そのため寝台特急などの客車列車は門司駅において九州内を走行する交流電気機関車(ED76形)と関門トンネル通過用の交直流電気機関車(EF81形)と付替えが行われる。九州内は路盤が弱いため重量の重いEF81形が入線不能な脆弱な路線が多い事も機関車交換理由である。
[編集] 駅構造
2004年(平成16年)に3階建の橋上駅舎が完成した。1・2階に商業施設、3階に改札口がある。駅舎内にはam/pmがある。
かつては、島式ホーム4面8線の地上駅であったが、のちに7・8番線を廃止し3面6線となっている。
JR九州直営駅。マルス端末機が設備されているほか、自動改札機・自動券売機を備えワイワイカードの使用が可能である。
[編集] 駅周辺
駅は門司区の西端に立地している。駅周辺は市街地となっているが、門司区の中心部は門司港駅周辺地区である。駅南口の前(山側)を国道3号が線路に並行する形で通っている。また駅北口から250mほど海側の海岸沿いを国道199号が線路に並行する形で通っている。駅北口はかってはサッポロビール北九州工場があったが、現在は工場跡地に門司赤煉瓦プレイスをはじめ大規模な再開発が進んでいる。
- 門司郵便局 - 駅南口からすぐ
- JR九州病院 - 南東へ約600m
- 門司区役所大里出張所 - 南西へ約750m
- ハイビジョンシアター門司 - 南東へ約800m
- 豊国学園高等学校 - 南東へ約900m
- 啓知高等学校 - 南西へ約1km
- 敬愛中学校・高等学校 - 南西へ約1.5Km
- 付近ではないが、当駅および小倉駅より新門司港発着フェリーの連絡バスが出ている。
- かつては国道3号を西鉄北九州線が1985年10月20日まで走っていた。
[編集] 利用状況
- 1日平均乗車人員 6,277人(2004年度)
[編集] 歴史
九州鉄道の開通にあわせ、大里駅(だいりえき)として開業した。その当時は現在の門司港駅が門司駅を名乗っていた。関門トンネルが開通する際に門司駅を門司港駅に大里駅を門司駅にそれぞれ改称した。
関門トンネルでは蒸気機関車の運行が不可能であり門司以西は非電化であった事から以前は当駅では機関車交換が必須であり九州初の特別急行列車「富士」や戦後初の九州発着の特急「かもめ」も含めすべての列車が長時間停車していたが、1961年(昭和36年)に門司以西が交流電化され旅客列車は機関車交換の不要な交直両用電車が中心になったことから旅客列車の長時間停車が減少し、1975年(昭和50年)の山陽新幹線開業以後は旅客流動も求心力の高い隣の小倉駅に集中した事で旅客駅として衰退した。
- 1891年(明治24年)4月1日 - 大里駅として九州鉄道(初代)が開設
- 1897年(明治30年)4月20日 - 門司(現「門司港駅」)~小倉駅間複線化
- 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁が所管
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 門司駅に改称
- 1942年(昭和17年)7月1日 - 関門トンネルが正式開通し山陽本線終点となり同時に直流電化
- 1944年(昭和19年)9月9日 - 関門トンネル区間複線化
- 1961年(昭和36年)6月1日 - 門司港~久留米駅間交流電化に伴い構内内側線除き交流電化
- 1962年(昭和37年)3月2日 - デッドセクション移設により駅構内を全線交流電化
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承
- 2004年(平成16年)3月30日 - 橋上駅化
[編集] 駅弁
北九州駅弁当が販売業務を行っている。
- かしわめし
- ふくめし
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
博多臨港線(貨物線):香椎 - 千早(操) - (貨)福岡貨物ターミナル