1962年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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[編集] 試合概要
1954年以来続いた2試合制はこの年で一旦終了し、翌年よりオールスターは3試合制となった。全セ(オールセントラル・リーグ)の監督は前年優勝した読売ジャイアンツの川上哲治監督が務め、全パ(オールパシフィック・リーグ)の監督は本来であれば前年優勝の南海ホークスの鶴岡一人監督が務めるはずだが、シーズン途中に休養(のちに復帰)したため、前年2位の東映フライヤーズの水原茂が務めた。オールスターゲームにおいてセパ両軍を率いるのは三原脩に続いて2人目である。ちなみにこの年、東映が優勝したため、水原は翌年も全パ監督を務めた。
第1戦は前年、新人ながら35勝をあげた中日の権藤博とシーズン42勝のシーズン最多勝利記録を作った稲尾和久の投げあいで始まった試合は初回から全パが猛打を発揮し、権藤が打ち込まれた。その後も一方的な試合展開で全パが7点をあげる。全パは4番手投手に17歳ルーキー尾崎行雄(東映)が登板。全セ最後の打者近藤和彦(大洋)を抑え、全セは完封負けを喫した。
場所を広島に移した第2戦は第1試合と打って変わって白熱のゲームとなった。全セが1点リードしていた9回表、全セ6番手の投手大石清(広島)が全パ5番の張本勲(東映)にこの日2本目の2ランホームランを打たれて勝負あり。同じ東映の尾崎がピシャリと抑え全パの連勝で幕を閉じた。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
7月24日 平和台球場 19:02試合開始 (試合時間:2時間37分) 観衆数/29,216人
全セ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
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全パ | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | X | 7 |
(セ) ●権藤博(中)、中村稔(巨)、村田(国)、大石(広)、金田(国)-森(巨)、土井淳(洋)
(パ) ○稲尾(西)、梶本隆(急)、米田(急)、尾崎(映)-野村(南)、安藤順(映)
MVP ジャック・ブルーム(南)
[審判] セ岡田功(球) パ上田、セ竹元、パ小島(塁) セ富澤、パ田川(外)
[編集] 第2戦
全パ | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 |
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全セ | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 |
(パ) 土橋(映)、久保(近)、梶本隆、米田、○尾崎-野村、安藤順
(セ) 小山、権藤正(洋)、秋山(洋)、金田、柿本(中)、大石-森、土井
MVP 張本勲(東)
[審判] パ田川(球) セ富澤、パ二出川、セ島(塁) パ小島、セ竹元(外)
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:7月24日
- 第2戦:7月26日
[編集] ラジオ中継
- 第1戦:7月24日
- 第2戦:7月26日
-
- NHKラジオ第2放送によるプロ野球中継は翌年より第1放送に移行した。また日本短波放送(現・ラジオNIKKEI)によるオールスター中継はこの年をもって終了。その後、1978年に復活した(1985年終了)。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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