1969年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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[編集] 試合概要
前年、連続4回目の日本一に輝いた読売ジャイアンツ(巨人)の川上哲治監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、パ・リーグ連覇を達成した阪急ブレーブスの西本幸雄監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いたオールスターゲーム。 この年10月10日、史上唯一の400勝を達成して引退した金田正一(巨人)にとってはこれが最後の球宴であり、また弟で東映に入団したばかりの金田留広にとっては初めての球宴。兄弟対決もひとつの見所だった。第1戦5回裏、全パ5番手として好投していた留広の前に全セ・武上四郎(アトムズ)の代打で兄・正一が登場。川上監督の粋な計らいで実現した金田対決は留広が正一を内野ゴロに斬って取った。そして第3戦には兄弟ともに登板した。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
7月19日 東京スタジアム 開始19:00(試合時間:2時間50分) 観衆数/29,043人
全セ | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全パ | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | X | 7 |
(セ) 小川(中)、外木場(広)、石戸(ア)、●村山(神)、高橋一(巨)-田淵(神)、森(巨)
(パ) 成田(ロ)、田中(映)、木樽(ロ)、金田(映)、○清(近)、鈴木啓(近)-醍醐(ロ)、岡村浩(急)
MVP 土井正博(近)
[審判] セ富沢(球) パ坂本、セ平光、パ久保山(塁) セ柏木、パ吉田(外)
[編集] 第2戦
7月20日 甲子園球場 開始19:02(試合時間:2時間40分) 観衆数/35,050人
全パ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全セ | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
(セ) 小野(中)、若生(神)、●江夏(神)、平松(洋)-田淵、伊藤(洋)
(パ) 鈴木啓、佐々木(近)、梶本隆(急)、○米田(急)、金田-岡村浩、醍醐
MVP 船田和英(西)
[審判] パ吉田(球) セ有津、パ田川、セ柏木(塁) パ久保山、セ富沢(外)
[編集] 第3戦
7月22日 平和台球場 開始19:03 (試合時間:3時間17分) 観衆数/25,878人
全セ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全パ | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
(セ) 堀内(巨)、高橋一、星野仙(中)、金田(巨)、外木場 、平松 -田淵、森、伊藤
(パ) 池永(西)、清、田中、成田、金田、佐々木-村上、岡村浩、醍醐
MVP 該当者なし
[審判] セ平光(球) パ田川、セ有津、パ坂本(塁) セ柏木、パ久保山(外)
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:7月19日
- 第2戦:7月20日
- 第3戦:7月22日
[編集] ラジオ中継
- 第1戦:7月19日
- 第2戦:7月20日
- 第3戦:7月22日
[編集] ハプニング
- 第3戦、全パ1点リードで迎えた9回表、全セ3番の王貞治(巨人)が同点本塁打を打ち込んだことで試合は振り出しに。延長に突入し、迎えた13回表全セの攻撃中に照明が全てストップし球場全体が真っ暗になった。主審の平光清も煙草を吸って試合再開を待つより他なかったとのこと。結局、試合が終了したのは10時20分。しかも17年ぶりにMVPの該当者なしという結末だった。
[編集] エピソード
- 第2戦後の移動日である7月21日(アメリカ時間では20日)はアポロ11号の月面着陸の日であり、全世界の人々がこの着陸中継に熱狂した。勿論、選手、監督・コーチも練習の手を止めてその様子に見入った。翌日の第3戦開始前は平和台球場のあちこちで月面着陸の話題が持ちきりでそのことについてインタビューされる選手もいた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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