1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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[編集] 試合概要
前年、連続6回目の日本一に輝いた読売ジャイアンツ(巨人)の川上哲治監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、10年ぶりのパ・リーグチャンピオンに輝いたロッテオリオンズの濃人渉監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた1971年はオールスターゲーム史上に燦然と輝く江夏豊(阪神)の9者連続奪三振記録が誕生した年であった。 第1戦、江夏による9者連続奪三振が功を奏し5対0で全セが先勝。雨で1日延びた第2戦は逆に各チームの主戦投手をつぎ込んだ全パが全セを2安打完封。第3戦は序盤に全パ・張本勲(東映)と全セ・長嶋茂雄(巨人)のホームランが出たもののその後は0行進。1点多く獲った全パが勝ち越しを決めた。
[編集] 江夏の9者連続奪三振
前年のシーズンで21勝した江夏はこの年の前半戦、絶不調(1971年成績:15勝14敗)。しかし、ファン投票選出されたことでオールスターの舞台に立つことが出来た。第1戦の先発を任された彼にパ・リーグベンチからはふがいない前半戦を揶揄する野次も飛んだ中で試合が開始され、1回表全パ1番有藤通世(ロッテ)、2番基満男(西鉄)、3番長池徳士(阪急)から連続三振を獲った。2回に入っても球威は衰えずリーグ首位打者・4番江藤愼一(ロッテ)からも三振を獲ると益々、波に乗り、土井正博(近鉄)、東田正義(西鉄)らパ・リーグ強力打者のバットが次々と空を切った。その裏、2死1・3塁で打席のまわった江夏は全パ先発米田哲也(阪急)から鮮やかな3ラン本塁打。打撃でもパ投手陣を圧倒した。無論、3回表もマウンドに上がり、狙うは9者連続奪三振!7番阪本敏三(東映)、8番岡村浩二(阪急)からも三振を奪うと残る打者はあと一人。ここで米田に代打が告げられ加藤秀司(阪急)が登場。大記録目前でも江夏は焦ることなく、自チームの田淵幸一のグラブ目掛けて豪速球を投げ込み続けた。そして迎えた41球目、加藤のバットが音を立てて空を切り、9者連続奪三振記録を達成し、江夏はマウンドを降りた。
その後全セ必勝を期して渡辺秀武(巨人)-高橋一三(巨人)-水谷寿伸(中日)-小谷正勝(大洋)のリレーで臨み、全パを無安打に抑え込んだ。
全員奪三振を目指して投げ続けた江夏はキャッチーフライを捕球しようとしようとした田淵に「捕るな!」と言った逸話は有名。但し、のちに江夏はこれを≪「(スタンドに入るだろうから)追うな!」と叫んだものである≫と著書の中で述べている。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
7月17日 西宮球場 開始19:06(試合時間:2時間18分) 観衆数/28,160人
全セ | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 |
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全パ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(セ) ○江夏(神)、渡辺秀(巨)、高橋一(巨)、水谷寿(中)、小谷(洋)-田淵(神)、大矢(ヤ)
(パ) ●米田(急)、鈴木啓(近)、太田(近)、皆川(映)、村田(ロ)-岡村(急)、醍醐(ロ)
MVP 江夏豊(神)
[審判] セ岡田功(球) パ久喜、セ福井、パ加藤(塁) セ山本文、パ中村浩(外)
[編集] 第2戦
7月19日 中日球場 開始19:02(試合時間:2時間5分) 観衆数/30,759人
全パ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 |
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全セ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(パ) ○金田(映)、村上(南)、足立(急)、木樽(ロ)-野村(南)
(セ) ●松岡(ヤ)、伊藤久(中)、渋谷幸(中)、大石(広)、堀内(巨)-木俣(中)、大矢
MVP 長池徳士(急)
[審判] パ砂川(球) セ山本文、パ久喜、セ大里(塁) パ加藤、セ福井(外)
[編集] 第3戦
7月20日 後楽園球場 開始19:04(試合時間:2時間3分) 観衆数/39,035人
全パ | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全セ | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
(パ) 皆川、○山田(急)、村上、村田、成田-野村、醍醐
(セ) ●平松(洋)、堀内、江夏、渡辺秀-大矢、木俣
MVP 加藤秀司(急)
[審判] セ大里(球) パ中村浩、セ岡田功、パ砂川(塁) セ福井、パ加藤(外)
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:7月17日
- 第2戦:7月19日
- 第3戦:7月20日
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- 第1戦はNHK総合の独占中継となったが、オールスターゲームのテレビでのNHKの独占中継は今のところ、この試合が最後である。
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- 第2戦は本来、7月18日に中部日本放送≪TBSテレビ系列≫(出演予定 実況:古賀良彦 解説:杉浦清、松木謙治郎 ゲスト:虫明亜呂無)が中継する予定だったが試合が雨天順延されたことでお鉢がまだネット局がなかった東京12チャンネル(現・テレビ東京)に回って来た。前年の日本シリーズで初めて日本シリーズ放映権を獲得したことでオールスター中継にも乗り出したが、全国ネット網がないため予備カード中継権しか獲得できなかった。しかし、18日の試合が流れたことで運良く中継出来た。無論、愛知県にはまだテレビ東京系列放送局がなかったために中京圏にある独立UHFの岐阜放送、三重テレビがネットした(テレビ愛知開局は1983年になってから)。テレビ東京はその後、オールスター中継を行う事はなかったが1979年から1993年まで、及び1998年にジュニアオールスターゲーム(現・フレッシュオールスターゲーム)のテレビ中継を行なっている。
- 第2戦は本来、7月18日に中部日本放送≪TBSテレビ系列≫(出演予定 実況:古賀良彦 解説:杉浦清、松木謙治郎 ゲスト:虫明亜呂無)が中継する予定だったが試合が雨天順延されたことでお鉢がまだネット局がなかった東京12チャンネル(現・テレビ東京)に回って来た。前年の日本シリーズで初めて日本シリーズ放映権を獲得したことでオールスター中継にも乗り出したが、全国ネット網がないため予備カード中継権しか獲得できなかった。しかし、18日の試合が流れたことで運良く中継出来た。無論、愛知県にはまだテレビ東京系列放送局がなかったために中京圏にある独立UHFの岐阜放送、三重テレビがネットした(テレビ愛知開局は1983年になってから)。テレビ東京はその後、オールスター中継を行う事はなかったが1979年から1993年まで、及び1998年にジュニアオールスターゲーム(現・フレッシュオールスターゲーム)のテレビ中継を行なっている。
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[編集] ラジオ中継
- 第1戦:7月17日
- 第2戦:7月19日
- 第3戦:7月20日
[編集] エピソード
- オールスターゲームが終わって3日経った7月23日、全パを指揮したロッテの濃人渉監督が二軍監督に降格された(後任は大沢啓二二軍監督)。これは7月13日の対阪急戦(西宮)において当時既に禁止された放棄試合をしてしまいロッテは多額の制裁金・賠償金を支払う事態になった。実際の試合放棄を決めたのはフロント側であるにも関わらず、濃人一人が処分される形になってしまった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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