とんねるずのみなさんのおかげです
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とんねるずのみなさんのおかげですとは、フジテレビ系列で放送された、バラエティ番組である。略称は“おかげです”もしくは“みなおか”。放送時刻は毎週木曜日の21:00-21:54(JST)。
お笑いコンビのとんねるず(石橋貴明、木梨憲武)と、多彩なゲスト陣によるコントを中心に構成された。
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[編集] 概要
- 元々は同局・火曜日の19:00-20:54に放送されていた『火曜ワイドスペシャル』のスペシャル番組だった(パート1~4まで)。パート4の1コーナー「仮面ノリダー」のウケも良く、パート5を待たずにレギュラー番組へと昇格した。
- レギュラー番組に昇格した1988年10月からは、コントがメインの番組としてはまだ当時珍しかったステレオ放送で放映された。当時は、ドラマコントがメインの番組構成で、番組後半にゲストの歌を1曲流すなどの放送内容が中心であり、音声の臨場感を伝える役割を果たしていた。この体制は後番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」に至るまで続けられた。
- 1990年4月から同年9月までにかけては、とんねるずが日本テレビ系ドラマ『火の用心』の出演に専念するため一旦打ち切り、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば』が代わりに放送され、ドラマ収録の終了後、10月に番組が復活した。
- 他に、1994年4月から9月までに『ラスタとんねるず'94』、1997年4月から7月までに『とんねるずの本汁でしょう!!』が放送された。石橋によれば、どちらも番組のプロデューサー石田弘の糖尿病療養期間のつなぎ番組だとネタにされているが、『ラスタとんねるず'94』放送の裏には、揖保タカ子のロケで富士山麓の天然記念物生息地を爆薬等で荒し、撮影セットのゴミを不法投棄した事が問題となり、スタッフが処分され、番組も半年間収録が出来なくなったというのが実情である。
- その後、フジテレビお台場社屋移転後の1997年7月から『とんねるずのみなさんのおかげでした』としてリニューアル。コントなしで、ゲストの嫌いな食べ物を見抜く『新・食わず嫌い王決定戦』のコーナーが人気になっている。
- コントに登場する名物キャラクターは、他のバラエティ番組の追随を許さなかった。チェッカーズや宮沢りえなど、当時一世を風靡した豪華なゲストも毎週出演していた。
[編集] 放送期間
- 第1期
- 1988.10-1990.03
- 第2期
- 1990.10-1994.03
- 第3期
- 1994.10-1997.03
[編集] コント一覧
- ○○によくある風景(下記「ノリ男」「ノリコ」シリーズなど、多くのコントのタイトルに使用されていた定型文)
- ノリ男(おかげです中学 チェッカーズ出演)
- ノリコ(おかげです高校 宮沢りえ出演)
- ノリユキ(松本伊代の追っかけ。今で言うストーカー)
- 仮面ノリダー(小林昭二が本家と同じ役で出演、岡田眞澄のファンファン大佐が人気を博した)
- 仮面ノリダーV2(「仮面ライダー」「仮面ライダーV3」のパロディ)
- キャプテンウルタカ(「キャプテンウルトラ」のパロディ。小林稔侍が本家と同じ役で出演)
- デビルタカマン(顔が似ているという理由だけで小野みゆきにデビルマンの格好をさせ、顔を緑色に塗りつけた)
- 揖保タカ子(宜保愛子のパロディ、心霊体験バスツアー)
- 太陽にほえるな!(「太陽にほえろ!」のパロディ)
- 新畑任三郎(「古畑任三郎」のパロディ)
- 木曜旅情サスペンス
- 珍義なき戦い(「仁義なき戦い」のパロディ チェッカーズ出演)
- 3年D組憲八先生(「3年B組金八先生」のパロディ)
- 保毛尾田保毛男(HOMO MAN)(バットマンのパロディー)
- 保毛尾田保毛男物語(岸田今日子、小林昭二も出演し、岸田の登場シーンだけは「傷だらけの天使」のパロディ)
- 保毛太郎侍(「桃太郎侍」のパロディ)
- 近未来警察072(無名時代の松嶋菜々子がナナ隊員として卑猥な言葉を連発して(させられて)いた。このオーディションの最終選考に残った2人のうちのもう一人が、遠峯ありさ時代の華原朋美であり、背丈を理由に松嶋菜々子が選ばれたことも後に明かされている)
- 1人オールスターものまね王座決定戦(「ものまね王座決定戦」のパロディ)
- 1人紅白ものまね歌合戦
- ミュージックフェア(石橋と木梨が異なるものまねで異なる歌を2曲同時に歌う。音声は立ち位置に合わせて左右から分かれて流されていた。司会は当時の本家と同じ古手川祐子であった)
- ストロベリー
- テディ・ジャパン・ん~Go
- じじぃとばばぁ
- 貧乏家の人々(荻野目洋子出演)
- 一杯のかけうどん(一杯のかけそば のパロディ)
- バブルス(マイケル・ジャクソンのペットのチンパンジー)
- サンバーダード(「サンダーバード」のパロディ。生身の人間が人形劇のように動いて演じるコントで、清水アキラが出演。オチは自爆するか、救助先でより甚大な被害を与えて逃げるかのどちらかがお決まりのパターンであった。またザ・ワイルドワンズの鳥塚しげきがぺネロープ号の運転手アロイシャス・パーカーに似ていることからゲスト出演し、運転中に代表曲でもある「想い出の渚」を歌ったことも。)
- 演歌のあぜ道(「演歌の花道」(テレビ東京系)のパロディ。本物の「演歌の花道」の如く、凝ったセットと情感あふれるナレーションに続き唄いだした途端、頭にタライが降ってくる・・・)
- ほのぼの演芸(演歌のあぜ道の演芸版)
- ノリゴロウと愉快な仲間たち(ムツゴロウ本人もゲスト出演)
- ロックンロール最高物語(女の子にモテるために、田舎のヤンキー4人組(石橋・木梨・徳永善也・鶴久政治)がバンド「矢島工務店」を結成し武道館デビューを目指すサクセスストーリー。ライバルとしてB21スペシャルが出演。唯一の発表作「みちのく」のCD化が待ち望まれる)
- 新巨人の星(「巨人の星」のパロディ。本家に同名の続編が存在するが、当然まったくの無関係)
- ウルトラマンゼアス・パロディ篇(本物のウルトラ兄弟がゲスト出演。なぜか「仮面ノリダー」と同じ世界)
- 愛のカイロプラクティック
- ゴウゴウガール(「ウゴウゴルーガ」のパロディ、ただし「ウゴウゴルーガ」の元ネタとなった言葉はゴウゴウ(ゴーゴー)ガールとされている)
- 聖オゲレツ学園(ともさかりえが主演。一部では最後のコントらしいコントと言われている)
- ちょっとあぶない刑事(「あぶない刑事」のパロディ。後半は海外ロケでタメ撮り)
- それいけマサカズ!(石橋による田村正和のモノマネ(ニューヨーク恋物語をメインにしていた)。本人はふざけた内容に激怒したらしい。また田村が出演していた東芝のテレビ「バズーカ」のCMのパロディもあったが、後にとんねるず自身が「バズーカ」のCMに出演している)
- SOUL TONNELS(海外番組「en:Soul Train」のパロディ)
- ちょっと北の国から(「北の国から」のパロディ。これでオリジナルの宣伝をしてくれたという理由で、倉本聡はドラマ「火の用心」の主役にとんねるずを選んだといわれる)
- CMパロディ
- PV(プロモーションビデオ)パロディ
- FRANKY&NORI - アメリカのショーパブ風のセットでコメディーショー形式のコント。フランキーというのは全日本女子プロレス(当時)のミゼットレスラー、リトル・フランキー氏。
- 探偵物語'93 - 「探偵物語」のパロディ。予告までパロッた。事件が必ずフジテレビ内で発生。被害者、犯人が全員スタッフという展開で全員いなくなった為終了の中年者層向けコント(子どもには本家の再放送も無かったため、全く置いてけぼりだった)。
- 世にも奇妙な物語Ⅱ(「世にも奇妙な物語」のパロディ)
- FNNNスーパータイム(「FNNスーパータイム」のパロディ)
- ちょっと聞いてヨ!おもいッきりノリ電話(「おもいッきりテレビ」の1コーナー「ちょっと聞いてヨ!おもいッきり生電話」のパロディ、みのもんた本人がゲスト出演して話題を呼ぶ。その後消滅したが2006年11月2日の「おかげでした」で復活した)
- 伊東四朗・小松政夫が出演するコント-シリーズ化されていないが、石橋、木梨共に「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」で育った世代で随所に当時のギャグを入れる。ちょっとした私物化コント。
- 春は、来ない - 名前だけ「春よ、来い」のパロディ。憲武が冴えない文房具店の店員を演じるドラマとコントの中間のようなコント、途中からヒロイン役で片桐はいりが出演しタイトルが春一番に変更された。
[編集] コーナー一覧
- 博士と助手
- ひらけ!ポッキンキン
- 「ひらけ!ポンキッキ」のパロディ
- モジモジ君(モジ男/モジ三)
- 様々なゲームや競技にチャレンジする。ゲストとして小泉今日子や野茂英雄、YMOも出演。
- 食わず嫌い王決定戦
- 実験君(実夫/験三)
- 算数ちゃん(さんちゃん/スーちゃん)
- 涙目怪人選手権
- 人間離れした技を持つ人のコンテスト。審査員に別所毅彦や土橋正幸、大杉勝男など何故かプロ野球解説者が任されていた。
- 強運冒険王決定戦~1/64の真実~
- 電気椅子のスイッチやゴムパッチンのゴム、パネル(片方は鉄板が仕込まれて、突き破れない)等、様々な2択ゲームに挑戦、6回連続で安全な方を引けば賞金100万円。
- 五感王
- 五感の中でも特に「視覚」「聴覚」「触覚」を題材としたクイズで戦った。
- カミカゼ野郎危機一髪
- 簡単なゲームで勝負をして、敗者は罰ゲームとして当時東京サマーランドにあったウォータースライダー「カミカゼ」を滑らないといけない。
- マルガリータブラザース
- ストップウォッチを見ないで指定された秒数を測って、とんねるずよりも誤差が小さければ賞金、大きければ罰として髪の毛を丸刈り。
- ザ・ルーレットショー
- 8人の人物の中から、指定された人物をカジノのルーレット風に当てていくクイズコーナー。
- 翔け!人間黒ひげ危機一髪ゲーム
- とんねるずの片方とゲスト(初期は石橋VS木梨)で対戦。双方、巨大な樽に入って巨大黒ひげゲームで対決する。負けた方は、逆バンジーで飛ばされる。
- ベルトクイズQ&急!!
- とんねるずの片方と一般出場者(芸能人の場合もあり)4人を含めた5人で対戦。各自、プールの上に設置されたルームランナーで走りながら、早押しクイズに挑戦。正解なら自分のルームランナーのスピードが1段階遅くなり、他の人は1段階速くなる。不正解の場合は、自分のルームランナーのスピードが1段階速くなる。ルームランナーのスピードに耐え切れず、後方のプールへ落下してしまった人は失格。最後まで残った1名が優勝。
- へら
- 2組が交互に、相手に牛乳を口に含ませ、一発ギャクを見せて牛乳を噴出させるゲーム。
[編集] 準レギュラー
- 渡辺満里奈
- 宮沢りえ
- チェッカーズ
- 飯島愛
- 田坂都
- 保積ぺぺ
- 森川正太
- 直江喜一
- 小野みゆき
- 地井武男
- 小林昭二(おやっさん)
- 岡田真澄(ファンファン大佐)
- 伊藤淳史(チビノリダー)
- 倉田プロモーション(ジョッカーのみなさん)
- 劇団ひまわり(島田雄一郎/麻生雅人/萩野志保子他)
- 荻野目洋子
- 観月ありさ
- ともさかりえ
- 松嶋菜々子
- 長門裕之
- ベンガル
- 中村江里子
[編集] 番組に出演したゲスト
- 松田聖子
- 中山美穂
- 中森明菜
- THE ALFEE(ビートボーイズ)
- 井上陽水
- 玉置浩二
- 高橋英樹
- 斉藤由貴
- 薬師丸ひろ子
- 小泉今日子
- 沢口靖子
- 田中裕子
- 伊東四朗
- ウォーレン・クロマティ
- 逸見政孝
- 南野陽子
- 三田佳子
- 古手川裕子
- 多岐川裕美
- 大原麗子
- 松本伊代
- 田中好子
- MCハマー
- 岡村隆史
- 工藤静香
- 牧瀬里穂
- 福井敏雄
- 他多数
[編集] おかげです事件史
- 木梨憲武の盲腸緊急追悼特番・騒動事件
- 木梨憲武が盲腸で入院していた1991年10月31日の放送で「緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで・・・」と題し、木梨憲武が死亡したという設定で生放送の追悼特番として放送した。石橋貴明と野崎昌一(当時フジテレビアナウンサー、現・広報局広報部長)が深刻な話をしている途中で緑のジャージを着た木梨が現れる、というコントだった。
- この放送を見ていた元フジテレビアナウンサーの中村江里子は途中まで本当に信じていたという。しかし、これだけのタレントなら新聞やニュースで大きく取り上げられるのが当たり前であるので、ネタであることが誰にでもわかるとスタッフは踏んでいたようだ。また放送途中には「本当ですか!?」という質問の電話が、放送後には「ふざけるな!」との抗議の電話が約800件にも上った。盲腸により木梨が入院していた為、OAするネタが無かったことから、ゼネラルプロデューサー(当時)の石田弘が考えた企画と言われるが、立派な追悼セットを組み、非常に暗いBGMを流し、本物のアナウンサーを登場させるなど、あまりにもおふざけが過ぎるとの声が多かった。ただ実際のところ、放送内に於いて野崎アナは「亡くなられた」とは一言も言っていない(野崎アナは冒頭で「信じられないことになってしまいました」と発言し表現。ただし石橋は「これから実家に焼香に行く」「ハゲる前に死ねてよかったな、と」「安らかに眠って欲しい」などと発言している。しかし野崎アナの発言は木梨登場前で、石橋の発言は木梨登場後である)。この後の木梨は親戚のおばあちゃんにものすごく叱られたという。
- なお、元々は野崎アナではなく露木茂アナを予定していたが逃げ出してしまい、同様の理由で野間脩平アナも逃げてしまったため、夜勤の野崎アナが急遽呼ばれる運びとなった。また、よりリアリティを持たせるために森光子にオファーを出したが断られたという。この日、野崎アナはプロ野球ニュースでパ・リーグのベストナインを発表をすると告知していた。
- それいけマサカズ・ボヤ事件
- 人気コーナー「それいけマサカズ」で、燃えたカツラをかぶりながら石橋扮する田村正和が何食わぬ顔で通り過ぎるというコントを撮影したが、消防法上、大変危険であるとして消防署から大目玉を食らった。
- 石橋貴明の試合放棄事件
- カルトQ「おかげです全般」のとき、石橋貴明が解答者で木梨憲武が司会者という設定で、出題で石橋の答えに対し木梨が「正確じゃないとだめです」と言い何度も不正解とした為、怒った石橋が「もういやだ」と言って途中で帰ってしまい、そのまま試合放棄をしてしまったという事件。このとき石橋は「ひな」という名前で出場していた。退場後は女の子の人形が置かれていた。このコーナーは石橋が退場後、そのまま最後まで進行していた。
- セクシャルハラスメント訴訟事件
- 1992年11月4日、石橋貴明とチーフディレクターを相手に、セクシャルハラスメントをされたとの民事訴訟が東京地方裁判所に提訴された事件。原告は番組に「お帰りおばちゃん」として準レギュラーで出演していた当時56歳の女優の稲村さち子。訴えの内容は、同年10月29日放送の番組内で、露出度の高いビキニの水着を着せられた稲村に対して、石橋が「ヘアが見える」と発言し、さらにテロップで「素人のおばちゃんですからヘアの手入れはしていません」と流されたというもの。稲村の請求は、石橋とチーフディレクターに対して損害賠償と番組内で名誉回復のコーナーを設けるというものだったが、12月8日に提訴を取り下げた。なお、この時期は下ネタが多かったものと思われる。
[編集] 視聴率で見る番組の歴史
1986年秋に石橋が当時フジテレビの編成局長であった日枝久(現・フジテレビ会長)に「僕らにゴールデンタイムの2時間番組を下さい、視聴率30%とってみせます」と編成部まで行って頼み込んだと言うのは有名な出来事。ちなみにこの際、日枝局長に「もし取れなかったらどうする?」と聞かれた石橋は、番組プロデューサーである石田弘を「彫刻の森美術館に飛ばしてください」と言った(石田はその場には居なかった)(一方、30%を達成したらフジテレビの食堂で何を食べてもいいという約束を取り付けた)。その発言が面白かったからかは分からないがまもなく「火曜ワイドスペシャル」で番組を持たせてもらい番組の放送が始まった。結果、視聴率30%には及ばなかったものの常に高視聴率を獲得し(平均20.3%)、定期的にスペシャルを行った後に1988年10月からレギュラー番組としてスタート。
開始当初からたちまち「仮面ノリダー」の人気等で大ヒットし、番組開始から半年が経過した1989年3月30日に最高視聴率29.5%(関東地区)を記録した(但し、普段の時間ではなく午後7時スタートのスペシャル版にて)。その後、「仮面ノリダー」終了後も他のコーナーも大人気となり、1989年~1994年まではバラエティ番組年間平均視聴率トップ10に常にランクインし、幾度かの充電期間を経ても色あせることなく人気を保った。裏番組の「ザ・ベストテン」(TBS系)を打ち切りに追いやった事でも知られる。しかし、次第に度を過ぎたスタッフの内輪ネタが増えていき、笑いもワンパターンになってきたことから一部の視聴者からは飽きられはじめる。
番組晩年にあたる1995年以降も全盛期ほど視聴率は取れなくなったものの安定した数字を残していた。だがその頃、1991年開始の「ダウンタウンのごっつええ感じ」が全盛期を迎え、また1996年開始の「SMAP×SMAP」が大人気となって、人気ドラマ「古畑任三郎」のパロディキャラコント「古畑拓三郎」と同時期に「おかげです」で「新畑任三郎」がされており、人気の面で負けていたため、石橋も「勝てなくなったから打ち切ろうか」という話が出て1997年3月27日に放送終了(4月に内容変更・改題等のリニューアル)した。なお、テレビ番組のパロディーコントは、この番組で先にニューヨーク恋物語で一世を風靡していたため、とんねるずの方が元祖である。
過去には「オレたちひょうきん族」の衰退・終了の一つに「人気の座を『おかげです』に奪われた」との指摘もあったが、双方とも同じ境遇で幕を降ろした。
「おかげです」(8年半を通じて)としての平均視聴率は20.2%であった。
[編集] 最終回
「おかげです」としての最終回(1997年3月27日放送)は、かつての人気コント「仮面ノリダー」、「保毛尾田保毛男」、「最終回によくある風景」、「太陽にほえるな!」、「貧乏家の人々」など、番組の人気コントを全て新作、完結編として放送した。また、番組の冒頭と最後にかつての常連ゲストで番組を愛していた小泉今日子を迎え石橋扮する石田プロデューサーと、木梨扮する小港ディレクターとともに局内に入り「石田Pの引越しと『みなさん』が終わっちまって大変なんだよォ日記」なるコントを放送。最後は番組を作り終えた石田Pがテレビマンとして燃え尽き死んでしまいその霊がバブルスとなって木梨、小泉とともに「最後のバァーイ、センキュー」のコールとともに本編は終了。 ちなみにこの時に石橋が「以上、みなさんのおかげでした」と発言しているが、 これが現在番組のタイトルとして使用されているのと関係があるかどうかはわからない。
そしてラストは、フジテレビ社屋が河田町から現在のお台場に移転したこともあり、とんねるずが歌う番組テーマ曲(テレビ~時々の神よ~)をバックに「おかげです」ともに使命を終えた旧社屋の表情を映し、最後は現お台場社屋の屋上でとんねるずが歌っているシーンに繋がるという映像で番組を締めくくった。これには、ここまで自分らを大きくしてくれた河田町に思い入れがあってのことだろう。
後にコント形態として「おかげでした」に受け継がれたのは「北の国から」パロディと「新畑任三郎」のみである。北の国からパロディに関しては、「ちょっと北の国から'97冬」として1分にも満たない完結編が放送され、「純と蛍が凍死する」というストーリーであったにも関わらず、「おかげでした」では何事もなかったように続編が放送された。 1998年は、前編・後編・完結編と3週に渡って放送されたが、2002年には、「北の国から コントの記憶」として総集編があったものの、本編は1週しかなかった。本家が終了するためやむを得ずやった感もあり、視聴率も思わしくなかったことからそれ以来きちんとコントと呼べるコントは放送されていない。
[編集] スタッフ
- 構成・秋元康、板坂尚、小川浩之、遠藤察男、菊原共基、吉野晃章/玉井貴代志
- TD・堀田満之、馬場直幸
- SW・馬場直幸、石田智男
- カメラ・藤江雅和
- 音声・篠良一
- 映像調整・石井俊幸
- 照明・蓑島公男、小田原敬
- 音響効果・鈴木眞、松下俊彦
- VTR編集・伊五澤守雄(IMAGICA)
- スキャニメイト・後藤和夫(IMAGICA)
- ペイント・菊池大介(IMAGICA)
- MAV・新野真(IMAGICA)
- 美術・石鍋伸一朗
- セットデザイン・根本研二、越野幸栄
- 美術進行・工藤圭介、伊藤則緒
- 大道具・関口正晴
- 装飾・今村文孝
- 持道具・斉藤広治
- 衣裳・沖田正次
- メイク・興山洋子
- かつら・郡司敏幸
- 視覚効果・大関晃
- 電飾・菰原大裕
- アクリル装飾・平山晃哉
- 生花装飾・春川興司
- 植木装飾・須田信治
- アートフレーム・津田忠直
- 楽器・佐野武史
- 特殊美術・中島豪章(CAVIN)
- 特殊効果・水尾一雄
- タイトル・三好登久昭
- タイトルロゴ・染谷淳一
- 広報・石井道夫、丸山修一
- スチールカメラ・村山篤人、半田一道
- タイムキーパー・杉山清美、江野澤郁子
- 制作スタッフ→ディレクター(1989年4月-)・鈴木正人
- ディレクター→演出(1989年4月-第2期まで)・石井正幸
- アシスタントプロデューサー 石井正幸、尾崎充(第3期)
- 演出→兼プロデューサー(1989年4月-)・港浩一
- プロデューサー・石田弘、増田晴男(1988年10月-89年4月)
- 制作協力・東北新社
- 技術協力・ニユーテレス
- それ以外のスタッフは野猿を参照。
[編集] 前後番組の変遷
フジテレビ 木曜21:00枠 (1988.10-1990.03) |
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前番組 | とんねるずのみなさんのおかげです(第一期) | 次番組 |
なんてったって好奇心 ※日曜20:00枠へ移行 |
ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば | |
フジテレビ 木曜21:00枠 (1990.10-1994.03) |
||
ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば | とんねるずのみなさんのおかげです(第二期) | ラスタとんねるず'94 |
フジテレビ 木曜21:00枠 (1994.10-1997.03) |
||
ラスタとんねるず'94 | とんねるずのみなさんのおかげです(第三期) | とんねるずの本汁でしょう!! |