岡村隆史
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'岡村隆史(おかむら たかし、7月3日 - 、大阪府大阪市東淀川区出身)は日本のお笑い芸人。漫才コンビ「ナインティナイン」のボケ担当である。吉本興業所属。身長156cm、体重48kg。
愛称は「岡村さん」(相 用する)、「オカチン」、「オカちゃん」、「おじいちゃん」、「おかたかリーダー」(ネプチューンの堀内健が命名)、「ダンサー」、「オカム」、「おかっち」、「おかか」、「おかっちFC」(ナインティナインのオールナイトニッポンでサッカーの話題を話すときのみ使用する。由来は相方・矢部が出演している「やべっちFC」からである)。相方は「やべっち」こと矢部浩之である。
身体能力の高さを生かしたコミカルな動きや顔芸などビジュアル的な笑いを得意とする。
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[編集] 来歴・エピソード
受賞歴・出演歴についてはナインティナインを参照。
- 身長156cmだが、これでも岡村家(ちなみに彼が長男)の中では一番身長が高いという。この低い身長から、少年時代に競馬騎手にならないかと誘われたことがある。後、2000年にJRAのCMキャラとして、新人騎手を演じた。因みに、相方の矢部は173.2cm(番組内健康診断で)と平均的だが、岡村が比較的低い為、矢部は「ナイナイの背の高い方」と言われている。
- 普段は口数が少なく、無口な性格である。また「褒められて伸びるタイプ」と言われる。
- 嫌いな食べ物は納豆、とろろ。
- 岡村曰く母・悠美子(ゆみこ)はそのまんまの大阪のおばちゃんらしい性格である。
- 妹・美穂(みほ)に娘がいるため、正真正銘のおっさんになってしまった。
- おニャン子クラブの熱烈なファンであり、一番好きな会員番号4番の新田恵利の結婚発表を知り涙した事がある。
- 柏原芳恵の大ファンでもあり、自身の番組めちゃ×2イケてるッ!で突然「ハロー・グッバイ」をフリ付きで歌い出したり、ディスカバ!99では柏原をゲストに招くようスタッフに懇願し、収録当日、柏原に熱いラブコールをおくっていた。
- 自宅は東京都港区にある高級マンション。
- 運転免許はAT限定であり、愛車はアルファ・ロメオ166。
- テレビに出始めた頃はよく「岡本」と間違えて呼ばれていた。
- 小学生の頃体操教室に通っており、同じ教室に池谷幸雄とソウル五輪でコンビを組んだ西川大輔が通っていた。
- 実家が歌手の相川七瀬の実家と至近距離にあり、同じ東淀中学である。
- 2級船舶免許を取得している。
- 他人のギャグをよく使用する。
[編集] 中学生時代
- マイケル・ジャクソンをきっかけにブレイクダンスに目覚め西日本で1、2を争う、大阪の強豪チーム「エンジェルダストブレイカーズ」(ガレッジセール・ゴリとのダンス対決企画の際、岡村は当時のチームジャージを着用して登場)に所属し、梅田阪急ナビオ前で毎夜練習に明け暮れて関西2位になる。当時は今のような短髪ではなく、茶色くした長髪で「キッド」の愛称で呼ばれていた。
- 今でも鋭い身のこなしを見せたり、バック転が得意なのは、先述の体操教室在籍歴とこのダンス経験から。また、『めちゃ×2イケてるッ!』の企画やキリンビバレッジ・NUDAのCM、応援ゲストとして出演した第57回NHK紅白歌合戦等で、切れ味の鋭いダンスを披露している。
[編集] 高校・大学時代
- 大阪府立茨木西高等学校に進学し、マラドーナに憧れサッカー部に入部。相方・矢部浩之の兄矢部美幸(ファンタスタープロモーション社長、1年上)と相方・矢部浩之とはここで出会う。その為、岡村は矢部兄弟のことを一番知っている。高校時代の親友とは現在も付き合いがあり、ラジオでも度々話のネタにしている。
- 大学受験の為に1日10時間の猛勉強。一浪を経て、立命館大学経営学部第二部(夜間部)、関西外国語大学、大阪芸術大学に合格。本人は大阪芸術大学に進みたかったが、父・治雄(はるお)の勧めで立命館大学経営学部第二部(夜間部)へ進学。しかし、相方の矢部に誘われ吉本興業に入った事で中退した。その為、岡村の父・治雄は「隆史をヤクザの世界へ連れ込みおって、矢部を絶対に許さん」と激怒し、矢部の事を最近まで嫌っていた。
- 茨木市内のローソンで2年間、深夜のアルバイトをしていた。
[編集] 東京進出
- 1990年
- 矢部浩之とナインティナインを結成し、吉本印天然素材に参加し東京進出。
- 1992年
- 第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞し、感極まっていた岡村は司会の桂三枝にインタビューされると号泣した。
- 1994年
- 現在も放送されているニッポン放送系の深夜放送、ナインティナインのオールナイトニッポンが放送開始。
- 1996年
- 現在も放送されているフジテレビ系のバラエティー番組、めちゃ²イケてるッ!が放送開始。
- 1999年
- 当時のレギュラー番組「ASAYAN」収録中、ハエを捕まえようとして右肩から床に落ちて強打し、右肩骨折。
- 2000年
- スキミングによるカード犯罪に巻き込まれ、60万円相当の被害にあう。
- 2002年
- 中年としては珍しい亀頭炎を患う。
- 2004年
- 3月末に港区にある自宅マンションが空き巣の被害にあう。被害品はなかった。しかし、本人の証言によると犯人はまたも岡村宅に侵入しようとしたらしい。管理人のおかげで被害はなかったとか(ちなみにそのマンションには、同じ時期に友人の福山雅治が住んでいた)。
- 2006年
- 熊田曜子と自宅マンションでの夕方から翌日昼までの日付をまたいだ17時間にも及ぶ深夜密会(岡村曰く未遂)を写真週刊誌に撮られる。岡村は、熊田以外に自分の友人も交えた、夜を跨いでの17時間にも及ぶ鍋パーティーだったと主張。 オールナイトニッポンでは、熊田が部屋を訪れた時点で取材陣に気づき、部屋を出られなかったと明かした。釈明の言葉は、「不徳の致す限りです」であった。だが2人きりではなく、一緒にいたと主張している友人のみを先に帰したと説明しており、何故その時に一緒に熊田も帰さなかったのか、そうすれば2人きりの密会でないことは簡単に証明できた訳で、矛盾を説明できていない。その場に友人などおらず、最初から2人きりの密会だったからだろう、という見方をされても仕方がない状況である。勿論、岡村の主張する、一緒にいたと主張する友人は目撃されていない。
- 岡村は報道直後、熊田の所属事務所に謝罪の電話を入れた。社長の森山はワイドショーのインタビューに、「わざわざ本人が謝るとは中々男気のある人物だね。(恋愛報道が)遊びではなく、本気ならば任せてもいいと思う」と岡村を評した。
- オールナイトニッポン生放送の際、ニッポン放送の駐車場で自宅と愛車の鍵を約2~3cmの隙間から約15m下の溝に落とす。矢部からは何回も「何メートル下でしたっけ」とふられ、「不注意すぎやからそんなところに鍵を落とすのや」とネタになってしまった。
[編集] オールナイトニッポン
2006年現在、ナインティナインのオールナイトニッポン(ニッポン放送系、木曜25:00-27:00)のパーソナリティを相方とともに務めており、テレビではあまり見せないモノマネ(大方、人がするモノマネのモノマネである)を多数披露したりする。
午前2時の時報と共に「2時!」と言うのが恒例であるが、時報と共に「悪い人の夢」のコーナーが始まることが多く、大抵は「2時!悪い人の夢」と叫ぶ。
エンディングでは、特にスペシャル企画などがあったわけではない週でも「今週は○○スペシャルと題しまして二時間ぶちぬきでお送りしたわけですけれども」という挨拶をすることも多い。○○に入る語句はその週で盛り上がった話題であったり、ゲストの名前であったり、またはその週の放送内容には全く関係のない世間的な話題をそれに便乗する形で当てはめているだけであったりするが、いずれにしてもそれ自体に大きな意味はない。特に、岡村にとって好ましくない(気に入らない)話題が盛り上がった場合には、3つ目のパターンを使うことで気に入らない話題を強引にかき消そうとすることが多い。スペシャルウィークでは、内容に関わらず「今回も無事ケガもなく~」と発言するのが恒例にもなっている。
番組内で「日ハム優勝したの? プレーオフっていまいち盛り上がってませんな。テンションあがらへんもんな」など、サッカー以外のスポーツにあまり関心がないことから不用意な発言をし騒ぎになる事もしばしばある。「ゆとり教育」を批判する発言も多い(「ゆとり教育の敗北者」というフレーズを好んで使う)。更には、浅い知識や思い込みで権力批判(主な対象は政治・公官庁、陸連、高野連、PTAなど)をする癖があるが、分野によってはその都度スタッフやリスナーから訂正・ツッコミを受けて尻すぼみになるパターンが多い。
番組内では総じて「どこかで聞いたような定番のフレーズ」を好んで使い回すケースが多く、その元ネタが時代遅れであったり、あまりにマイナーなものであったりすると、相方やリスナーにからかわれる形で笑いになることがある。
番組初期では、「笑いも好きだが、笑いの歴史も好きです」と言って切り出し、「8年周期説」を提唱している(お笑い業界では8年ごとにスターが生まれるという持論。この説は、明石家さんまなど他の芸人も提唱していたことがある。日本お笑い史等も参照)。また、芸能人の暴露本が世間で話題になるなど、それに便乗して事あるごとに「引退したら吉本(興業)の暴露本を出すわ」などと宣言している。
[編集] おしゃれについて
毎年、年末になると新年に新しく着る洋服を買っている。ご近所に「岡村さんちのボンボン、帰ってきはったわ」と言われる為とのこと。昔は家族で買っていたが、東京に住みだしてからはスタイリストさんに選んでもらっている。本人によれば普段は面倒くさいためジャージ姿が多く、リーバイスのジーンズは夜な夜な自宅の部屋ではいている。最近は、ジーンズが最もオシャレと思い込んでいる。おしゃれさんである相方、矢部浩之を「ステューシーさん」「ポロラルフローレン君」「ローレックス」「吉本のブラピ」などと嫉妬心を抱きながら小バカにしている。しかし、おしゃれには憧れがあり、車を運転する時にはサングラスをかけている。
[編集] 私生活
[編集] 人見知りの一匹狼
- ナインティナインのトークでも散見されるが、岡村は極度の人見知りであり、人間嫌いのところがある。芸能界の友人が多い矢部とは対照的に、他人に対して中々、心を開かないので芸能界の友人は少ない。人見知りについては東京進出後、先輩から受けた数々の理不尽なイジメのような扱いが影響しているようである。その為か、今でも「東京は怖い」と考えている。相方の矢部はそのイジメは受けなかった。また人見知りは女性関係にも現れており、友人・彼女を作るというのが苦痛であるらしい。様々な番組でのコメントから、結婚願望やタレントとつきあいたいなどの夢が全くないわけではないようだが、それも強いものではなく、むしろ自分の生活スタイルや一人の時間を崩してまでは他人と接するということを強く望まない傾向がある。女性については相手の方から半ば無理やり初体験をさせられたトラウマもあるという。
- ちなみに初体験の相手は、雨上がり決死隊の宮迫の紹介した女性である。
- カメラが回っているとき(アッパー)とそれ以外(ダウナー)との落差が非常に大きく、その差を他の芸人からネタにされることがある。海外生活のため、そのことを知らなかった大橋巨泉から「お前(収録前と)全然性格が違うなぁ」とからかわれたときは必死に否定していた。
[編集] 岡村の女性に対する考え
- 上記の様な女性に対する考え方は芸能界に入ってから持つようになったようである。というのも、ある女性タレントの売名行為に利用されたことがあり、それ以来、自分の事を好きだと公言する女性タレントには大方拒否反応を示している。自分がその人が好きかどうかは問題ではなく、自分を好きだと言う人間は全て売名行為なのではないかと言う疑いや、「好きな芸能人のタイプを聞かれると、お笑い芸人の名前を上げておけば無難だから挙げているだけで、心から思っていることはない。しかもそこに自分の名前が使われることは不愉快」という考えがある。
- また、岡村が「好きかもしんない」と言う女性のほとんどは彼がいうところの「透明感」を持ち合わせているらしい。このことから、岡村のタイプの大きな要素としては飾らないというものがあるようだ。これは、芸能人の女性でタメ口で話が出来るのはaiko、江角マキコ、黒谷友香などサバサバした人だということからも推測に易しい。
- 自分の家にいつ同棲してもいいようにと、もう1つベッドを準備してあると「ナイナイサイズ」で語っていた。
[編集] スキャンダル
- 何度かスキャンダルめいた報道はされている。
[編集] 橘いずみ
[編集] 巨乳女釘師
- 自称・女釘師を名乗る素人女性に、スキャンダルをでっちあげられた。素人の立場であるのに記者に囲まれ、関係をにおわせる発言をしており、全くそんな事実はなく異常に怒った岡村は「今度街で会ったら殴ってしまうかも知れん」と言ったほど。
[編集] 葉月里緒菜
- 1998年9月に女性雑誌にて岡村と葉月が交際しているとの記事が掲載された。当時のオールナイトニッポンで岡村が否定し、矢部も「まずありえない」と発言。その後、ラジオにゲストで登場した前田忠明にも強く突っ込まれるが、「(葉月とは)会ってない! 会ったら会ったといいます!」と断言する岡村。しかし、1999年10月の週刊誌にて岡村が葉月を振ったと報道される。さらに翌週葉月が『おしゃれカンケイ』内でこれを認めてしまったため、岡村もオールナイトニッポンで「自分が振られた話ならいくらでも出来るが、振った話は相手に迷惑が掛かるので嘘をついていた。初対面にも関わらず『付き合ってください』と言われ、『無理ですわ…』とお断りした」と記事を認める。尚、相方の矢部や当時のマネージャーには会った事すら内緒にしていた。
[編集] 熊田曜子
- 2006年1月には先述の熊田曜子との熱愛報道があったが、この報道により「もう(熊田曜子を)誘われへんわ」とオールナイトニッポン内で告白した。また、熊田の名前を聞くと「名前を言うなや」と激怒する(特に出川哲朗に対して)(2006年3月28日放送の『踊る!さんま御殿!!』に熊田が出演したが、週刊誌のスキャンダルが出て以来、連絡はまったく取っていないらしい)。
- しかし、めちゃイケではいじられることがしばしばあり、ついに相方・矢部からもいじられてしまった。
[編集] 雛形あきこ
- 2006年3月18日に『めちゃ²イケてるッ!』の雛祭りという企画でサンズの野田義治社長が番組内で「昔好きだった、うちの雛形あきこと事務所公認で付き合ったら?」と言われ、赤面していた。『めちゃイケ』内にて「岡村隆史ヒナにマジ告白」というダマシ企画回が存在したので、馴染みのある話でもある。まだバラエティ慣れしていなかった『めちゃモテ』時代では、岡村にほっぺをつねられ、本気で怒り出し、拳骨で岡村の顔面を殴り返した事は余りにも有名。また、めちゃイケ「やべっち寿司」のコーナーでも、妖怪大戦争の役でもある小豆洗いに扮した岡村が、雛形の胸に小豆をちょこんと乗せるセクハラ芸をすると、矢部から「我慢の限界やろ?」と聞かれ、直後に岡村の額に強烈なグーパンチを見舞ったことがある。
[編集] 深田恭子
- めずらしく岡村の方から好意を持っていた人気女優。しかし自分の仕事の告知の時のみナイナイの番組に出演して建前だけの話でお茶を濁していく印象を持ったらしく、岡村が有名タレントになるほど腹を割るに値しない相手が多いと考えるきっかけになってしまった。
[編集] 加藤あい
- 過去に岡村がタイプだと発言していた。しかし岡村の女性に対する考え方を知り、自身のラジオで「岡村さんの迷惑になってはいけない」と「脱岡村さん宣言」をした。
[編集] 独身貴族のオナニー伯爵
これらのことから相手が有名な芸能人になればなるほど相手にしない確率が高く、さりとて岡村から女性に話しかけることは数少ないので、岡村をよく知る人物でワイドショーや週刊誌などのスキャンダルを信じる人間は、まずいない。トークなどで「独身貴族のオナニー伯爵」だと自称する(友人・福山雅治は「オナニー公爵」を自称)。
- 下ネタをおおっぴらに語るのも、性欲を他人の女性と処理することを嫌い、風俗店や一人での処理を好む傾向にあるためで、矢部も岡村の女性関係については、そのあまりの無さを逆に心配している状況。さらに毎年年末になると、矢部以上に心配している出川哲朗が登場し、SEXとオナニーについての熱い討論を繰り広げるのが恒例となっている。もちろんこれらの下ネタをおおっぴらにすることで、興味本位で近づいてくる人物への予防線を張っている側面もある。オナニーを一日一回から3日に一回にすると公言したが、実現しているかどうかは不明。
[編集] 交友関係
テレビではよく、「芸能人に親友がいない、唯一の親友は矢部浩之だけだ」と言っているが、親友かどうかはともかくかなりの人物との交友がある。お笑い仲間では雨上がり決死隊、出川哲朗、今田耕司、東野幸治、加藤浩次、濱口優(よゐこ)、光浦靖子、品川祐(品川庄司)などとはたまに遊びに行ったりする仲。ほんの何度かだけ先輩の松本人志と飲みに行ったことがあるらしいが、関係を深くするまでには至らなかった。ほかのジャンルでは国分太一、中居正広、福山雅治、加藤晴彦などと遊んだ時期もある。女優の黒谷友香と食事に行ったことも。
めちゃイケでの横峯さくらとの対決企画をきっかけに最近はゴルフにはまり、東野幸治、出川哲朗、蛍原徹(雨上がり決死隊)、田村亮(ロンドンブーツ1号2号)、原西孝幸(FUJIWARA)などとゴルフへよく行く。ちなみにこのメンバーは「東野ゴルフクラブ」と呼ばれている。まれに横峯良郎ともゴルフをする。
特にオセロの中島知子、国分太一とは仲が良く、よく食事をし、泥酔姿を見せるほど心を許している。カラオケなどにも行く。井筒和幸監督とも仲が良い。
2001年10月中旬より加藤浩次、カオリちゃん夫妻の子供が誕生するまで同居していたこともあった。それは極秘結婚を守るためである。第1子だけではなく、第2子、第3子を授かったことを『めちゃイケ』で勝手に発言する。
最近は大泉洋と飲みに行き、珍しく岡村が気を使わずに話せ、しかも普段は暗くしゃべらない岡村が「大阪対北海道」をテーマにケンカコントできる相手とあって、そういう意味で気があうようである。
芸能界以外では茨木西高時代の友人で在京の人達とは今でも誕生日を祝いあう仲。また、番組スタッフと飲みに行ったりすることもあるようだ。
また、ananで「ケチなタレント」第2位に選ばれた通り、相方矢部とは違い金銭に関してはケチである。 徹夜続きと疲労のため現場で仮眠をとっているADをわざわざ起こして缶コーヒーを買わせているほどのケチさで、番組に取り上げられたりしている。
時々実家から父親が泊まりに来るが、勝手に台所や部屋の掃除をし、岡村の大切にしているものを捨てたりして怒られている。しかし親子仲は良く、岡村は収入を全て親に管理してもらっている。
[編集] 趣味
- 漫画
- 一定期間ごとに、ハマっては、ラジオで熱弁している。
- ガンプラ作り
- ラジオ番組で中村俊介と一度ガンプラ討論をしたことがあった。
- 一年戦争が特にお気に入りだそうである。
- 釣り
- 父から影響されて始めた。『ぐるナイ』で趣味の釣りをテーマとした企画を年に数回放送するほどである。
- ゴルフ
- 2005年に『めちゃイケ』の企画で横峯さくらと対決して以降、夢中になっている。
- スキューバダイビング
- 沖縄でスキューバダイビングをすることが多い。2006年夏には何度も沖縄に渡り、スキューバを楽しんでいる。
- 他にもサーフィン、モデルガン、クワガタ飼育にもハマったことがあるが、長続きはしてない模様。
- ゲーム
- ジャンルを問わず、幅広くプレイしている。一時期『ときめきメモリアル』に熱中し、全く興味を示さない矢部に対し、その面白さについて熱弁を振るったがすぐに飽きたようだ。そのほか、オールナイトニッポンでは「岡村隆史のバイオ2倶楽部」という短期コーナーを持っていた。
- 音楽鑑賞
- 学生時代から久保田利伸の大ファン。また渡辺美里の『My Revolution』が最も好きな邦楽曲である。
[編集] 口癖
岡村隆史には「オールナイトニッポン」などのトーク中、ある一定の言葉に反応して芋蔓式に口にしておかないと気が済まないフレーズというものがいくつかある。それをそのときに最後までちゃんと口に出して言っておかないとスッキリしないらしい。
- 「なんていうんですか」、「○○感」→「なんていうんですか○○感」(※「○○感」の部分は「緊張感」、「充実感」、「満腹感」などがあてはまる。DA PUMPのデビュー曲「Feelin' Good」の「なんていうんですか緊張感」という歌詞からきていると思われる)
- 「~だろう」、「~かもしれない」→「だろう運転」、「かもしれない運転」
- 「m.c.A・T」→「アイムm.c.A・T」
- 「三浦知良」→「カズ、三浦カズ」
- 「なんちゅうの」、「なんちゅうのかな~」(話の途中で適切な表現などを探る時)
- 「水・カンパン・ラジオ」(災害関連の話になると必ず言う。)
その他、自分が他人から見下されている、高圧的な態度をとられていると感じたときは「僕は○○を逆に下に見ています」と宣言する。ただし、それは基本的に被害妄想の場合が多い。また、トーク中に演技の話になると必ず「僕はブルーリボン新人賞を獲ってね…」とブルーリボンに関することを長々と繰り返し話しだす。
[編集] 映画
- BeRLiN(1995年)
- 岸和田少年愚連隊(1996年)※ナインティナインでの出演のため、ナインティナインの項目を参照。
- ラッシュアワー2(ポスター出演)
- 無問題(1999年)
- 無問題2(2001年)
- 踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003年・東宝)増田喜一 役(犯人)
- ゲロッパ!(2003年・シネカノン)
- 妖怪大戦争(2005年)小豆洗い 役
- ドラマには出たがらず、オファーを受けても断る事が多いが、気に入った映画(シリーズ)にはほんのちょっとの出演(チョイ役)でも出たがりであると香取慎吾に番組で言われたことがある。
- ドラマ西遊記も最初、岡村に話が来たのだが、それも断っていたらしい。だが、めちゃ×2イケてるッ!内で西遊記の衣装で登場し、同じく西遊記の衣装をしていた香取慎吾らの前で「俺が本物の孫悟空だ」と言っていた。
[編集] CM
- JRA(2000年) 岡村騎手として出演。和田竜二騎手や河内洋騎手(現・調教師)らと共演した。
- KIRIN NUDA(2006年)
- 明治 プッカ
- 任天堂 マリオシリーズ(2005年~2006年)
- 日清のラーメン屋さん(2006年)
[編集] 歌手・岡村隆史
[編集] 放送のエピソード
[編集] 第57回NHK紅白歌合戦乱入
- 「みんなのうた45年!キッズメドレー」の途中からバックの子供に混じって登場した。ちなみに紅白初出場。
- 2001~2005年までの間放送された日本テレビ系の『ナイナイの夢と笑いが丸い地球を救うのだ!!』が放送されない事から出演する事ができた。2007年1月6日に放送されためちゃ×2イケてるッ!の日本一周の企画で大晦日のロケ終了後に中居が「責任もってNHKまで送れ!」と発言し、めちゃイケスタッフとナイナイがNHKの会場まで送り、そのまま中居を追いかけてスタジオの民放カメラ立ち入り禁止区間をも突破して紅白の会場裏で矢部がモニタリングをし、岡村が乱入する事となった。岡村自身もこの直後にニッポン放送で「オールナイトニッポン40周年記念!ナインティナインのオールナイトニッポンずばっと年またぎ!!」(ナインティナインのオールナイトニッポンの特別番組)の生放送があったため急いでいた。最初にこの事が判明したのはその特別番組である。この詳細は2月3日放送のめちゃイケで公開される事が番組内で報道されたが、オナラ王子事件の影響により(後述)放送当日にオープニングで「事情により後日放送します」とテロップに出て内容が全て変更され、結局3月10日に放送となった。また、この乱入は大晦日の新聞などであらかじめ報じられており、NHKのスタッフも乱入する事は知っていたが中居はこの事を知らず岡村などは大晦日などにこの事が知られるのを防ぐため、日本一周のロケに連れ出したと3月10日に放送された。
[編集] 2004年FNS27時間テレビ生放送大激怒事件
2004年7月に放送され、好評を博したFNS27時間テレビのコーナーの一つ、全国一斉テストでフジ系列のアナウンサー・よゐこ濱口優・極楽とんぼ山本圭壱・元モーニング娘。辻希美・加護亜依が出演したときに事件が起きた。その時フジテレビのスタジオにいた、爆笑問題の太田光が登場するや否や、いきなり、「それではモノマネをします。まずは、小倉智昭さんのモノマネから。おはようございます。」と頭を押さえカツラを連想させる仕草をし、次に「植草一秀教授!」と言い、手鏡を持って覗き見をするようなポーズをとった。その時、さまぁーずの大竹一樹にお尻を蹴られる。しかし、事件はこれに終わらず、CM明けに太田が加護に対し「加護ちゃん。初潮は来たの。ねえ初潮は来たの。」と周りを一瞬で凍らせるような発言をする。それに対しMCの岡村は「ちょっと待ってくれー!こっちだけの問題やからー!お前(太田)ええ加減にせえよー!!」と太田を戒める発言をしている。その時、加護は敬礼ポーズをしその場を凌いでいる。(おそらく初潮を、署長と認識し敬礼をしたと思われる)
[編集] オナラ王子事件
2007年1月6日、「SMAP中居くんと日本一周 ○○の旅」にて、2006年全国高等学校野球選手権大会で、優勝した早稲田実業が宿泊した宿舎でロケした際、選手らが宿舎で使用した酸素カプセルでおならを連発したり、大会期間中の食事などを笑いの題材に使用したため、日本高等学校野球連盟は「教育の一環として行われている高校野球の目的から著しく逸脱している」との抗議文をフジテレビに提出することを決めた。
その後、2007年1月11日放送の「ナインティナインのオールナイトニッポン」のオープニングトークで岡村はこのことについて「高野連が文句言わんで、中居が抗議文を送ってくるんやったらわかる」と言い、「逆にぼくが遺憾です」と反論、「高校球児がこれを見て腹立ちますというのならぼくが行って説明します」と答えた。概ね岡村の意見に対して世論は同調しており、むしろ高野連の横暴さや旅館に対する対応などが大きな議論の的となっている。
しかし、このことについて、他の報道ではナインティナインおよび岡村隆史の名前が出ることはあっても同行していた中居正広の名前は「同行したアイドル」などと濁す表現で用いられていることが多く、吉本興業の圧力には関係なく表記しているが、ジャニーズ事務所の圧力を恐れた報道機関の行き過ぎた対応といえる。
なお、高野連とは該当シーンを今後放送しないこと・繰り返さないことを条件に和解が成立している。