明大前駅
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明大前駅(めいだいまええき)は、東京都世田谷区松原にある京王電鉄の駅である。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
2階が京王線ホーム、1階が改札口、地下1階が井の頭線ホームの3層構造になっている。
朝夕のラッシュ時は、駅構内の通路や井の頭線上りホームの一部などが狭い事もあり、乗降客などでごった返すので、乗り換えに時間が掛かる場合がある。
地下1階の井の頭線下りホームには売店と無事湖という小さな池があったが、共に2007年5月下旬に開業予定の商業ビルを建設するため閉鎖された。なお、この無事湖を取り壊してから京王線で事故が頻発した事から(2006年には4月5日と11月27日の2回踏切で乗用車との衝突事故が起きている。[1])、池の祟りではないかと噂されている。
エスカレーターは井の頭線下りホーム~改札内コンコース間と井の頭線上りホーム~京王線上りホーム間を結んでおり、前者は上り専用で、後者は渋谷寄りが上り専用、吉祥寺寄りが下り専用である。エレベーターは井の頭線下りホーム~改札内コンコース間、改札内コンコース~京王線下りホーム間、井の頭線上りホーム~改札内コンコース~京王線上りホーム間を結んでいる。
2007年3月31日に、井の頭線下りホームの中央に新しい改札口、フレンテ口が設置された。この改札口は出口専用で、同年5月下旬開業予定の商業ビルに直結している。
[編集] のりば
1 | ■京王線 | 調布・橋本・京王八王子・高尾山口方面 |
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2 | ■京王線 | 笹塚・新宿・都営新宿線方面 |
3 | ■井の頭線 | 久我山・吉祥寺方面 |
4 | ■井の頭線 | 下北沢・渋谷方面 |
[編集] 駅周辺
- 和泉給水所
- 明治大学和泉キャンパス(人文・社会科学系学部の1・2年生が使用)
- 日本大学鶴ヶ丘高等学校
- 日本女子体育大学附属二階堂高等学校
- 日本学園中学校・高等学校
- 国道20号(甲州街道)
- 首都高速道路4号新宿線
- 築地本願寺和田堀廟所
駅前の広場は進入のための道路の幅が狭かったため、駅前ロータリーとしては役に立っていない。現在は進入路の拡幅工事が完了し、アクセスの向上が図られたものの、車両用ロータリーは作られなかった。
北に明治大学があるため、学生向けに喫茶店やアイダホ文具店、ファーストフード店、安価な食堂などがあるが、駅前商店街としてはそれ程大きいものではない。
[編集] 歴史
元々明大前駅(松原駅)は、東京山手急行電鉄の第二山手線構想の中で、山手急行との分岐駅になる予定であった。そのため、駅から吉祥寺寄りにある玉川上水の水道橋の部分は、複々線(帝都鉄道=井の頭線と山手急行の4線分)のスペースが確保されている。現在、未成線である山手急行の唯一の痕跡と言える。また、ホームの渋谷寄りにある京王線との立体交差部分も複々線分のスペースが確保されていたが、現在はエレベーター設置スペースに転用されている。
[編集] 京王線
[編集] 井の頭線
[編集] 駅名の由来
1935年に、明治大学予科(当時)が駅の近くに移転して来たのに伴い、「明大前」(明治大学前)と名付けられる。名前の由来となった明治大学和泉キャンパスは、甲州街道を挟んで北側にある。
また、開業時の駅名「火薬庫前」は少々ものものしい名前だが、甲州街道(国道20号)沿いに江戸時代に徳川幕府の煙硝蔵(鉄砲火薬などの貯蔵施設)があった事に由来する。この周辺地域では野火などの火の用心のためか、特に禁猟となっていた。明治時代になり、火薬庫は陸軍管轄になったが、あまり使われなかった様である。その後の関東大震災を機に被災した築地本願寺の墓地が当地に移転し、現在の築地本願寺和田堀廟所となっている。
[編集] 将来の予定
- 前述した通り、商業施設が入居する駅ビル(名称は「フレンテ明大前」)が2007年5月下旬に開業する予定である。
- 京王線下高井戸寄りの線路際にある商店街の垂れ幕に「京王線立体化の早期実現を」というメッセージが掲げられているが、当駅付近の立体化が具体化されるかどうかは現在のところ未定である。
[編集] 隣の駅
- 京王電鉄
- ■京王線
- ■井の頭線