下北沢駅
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下北沢駅(しもきたざわえき)は、東京都世田谷区北沢二丁目にある、小田急電鉄及び京王電鉄の駅である。小田急電鉄の駅長所在駅。成城学園前管区下北沢管内として下北沢~経堂間を管理している。
2006年現在、地下化の工事が始まっている。
目次 |
[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
- 小田急線と井の頭線は立体交差している。
- 小田急線は地上にあり、島式片側利用の下り線ホームと対向式の上り線ホーム(渋谷駅山手線ホームのような構造)。
- 井の頭線は高架の島式1面2線ホーム(吉祥寺寄りのホームの端は地表と同じ高さで、ホームのすぐ脇に踏切がある)。
- 小田急と京王との乗り換えには改札を通る必要はない。
- 南口と北口は小田急電鉄が管理している。
- 西口は井の頭線のホームの出入口であり、改札フロアは地下となっている。
- 小田急電鉄側のトイレは2番線ホームにある。仮設だが、車椅子・オストメイトなどの利用に対応。
- 京王電鉄側のトイレは西口改札外にある。男女兼用。大便器はステンレス製。車椅子などの利用には対応していない。
[編集] のりば
- 小田急線
1 | ■小田急線 | 小田原・箱根湯本・片瀬江ノ島・唐木田方面 |
---|---|---|
2 | ■小田急線 | 新宿・綾瀬方面 |
- 京王井の頭線
1 | ■井の頭線 | 明大前・久我山・吉祥寺方面 |
---|---|---|
2 | ■井の頭線 | 渋谷方面 |
[編集] その他の特徴
小田急線ホームには新宿駅と同様の発車ベルがあるが通常は使用せず各方面最終電車及び輸送混乱時等で使用されている。
対象の列車は次の通りである(2006年3月18日ダイヤ改正現在)
- 平日
- ■各停 新宿行き 0時36分発 上り最終
- ■急行 小田原行き 23時44分発 小田原行き、江ノ島線最終
- ■急行 相模大野行き 0時04分発 本厚木行き最終
- ■準急 相模大野行き 0時13分発 多摩線最終
- ■急行 相模大野行き 0時28分発 相武台前行き最終
- ■準急 相模大野行き 0時46分発 相模大野行き最終
- ■各停 向ヶ丘遊園行き 0時52分発 向ヶ丘遊園行き最終
- ■各停 経堂行き 1時03分発 下り最終
- 土休日
- ■各停 新宿行き 0時36分発 上り最終
- ■急行 小田原行き 23時42分発 小田原行き、江ノ島線最終
- ■急行 相模大野行き 0時03分発 本厚木行き、多摩線最終
- ■各停 相武台前行き 0時11分発 相武台前行き最終
- ■各停 相模大野行き 0時36分発 相模大野行き最終
- ■各停 成城学園前行き 0時46分発 成城学園前行き最終
- ■各停 経堂行き 1時03分発 下り最終
尚、井の頭線のホームにも同じく発車ベルはあるが、朝のラッシュ時間帯に使用している。
[編集] 駅周辺
京王井の頭線の隣の駅である池ノ上駅とは600m、新代田駅とは500mしか離れていない。下北沢を参照のこと。
[編集] 路線バス
駅から徒歩数分に小田急バスが乗り入れる。
「下北沢駅前」と言えども駅から徒歩数分である
[編集] 歴史
- 1927年4月1日 小田原急行電鉄小田原線の下北沢駅開業。
- 1933年8月1日 帝都電鉄の下北沢駅開業。
- 1937年9月1日 小田急、「直通」の停車駅となる。
- 1940年5月1日 帝都電鉄、同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行電鉄に合併して同社の帝都線となる。
- 1941年3月1日 鬼怒川水力電気と小田原急行電鉄が合併、小田急電鉄となる。
- 1942年5月1日 東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(俗に大東急)の駅となる。帝都線を井の頭線とする。
- 1945年6月 小田原線にて、従来、新宿駅~稲田登戸駅(現、向ヶ丘遊園駅)間のみの運行の「各駅停車」が全線で運行されることとなり、「直通」が廃止される。
- 1946年10月1日 小田原線に、「準急」が登場し、停車駅となる。
- 1948年6月1日 東京急行電鉄の解体により、小田原線が小田急電鉄、井の頭線が京王帝都電鉄(1998年に京王電鉄と改称)の所有路線となる。
- 1948年9月 小田急に、「桜準急」が登場し、停車駅となる。
- 1949年10月1日 小田急線に、「急行」が復活し、停車駅となる。
- 1955年3月25日 小田急線に、「通勤急行」が登場し、停車駅となる。
- 1957年 小田急線に、夏季のみ運行の「快速急行」(現在、運行されている快速急行とは、一切、関係なく、単なる海水浴客輸送用の臨時列車である。)が登場し、停車駅となる。
- 1960年3月25日 小田急線に、「通勤準急」が登場し、停車駅となる(この頃まで小田急電鉄としては乗降者数は新宿に次ぎ2位をほぼ維持)。
- 1964年11月5日 小田急線に、「快速準急」が登場し、停車駅となる。
- 1971年 井の頭線に「急行」が登場し、停車駅となる。
- 2002年3月22日 小田急線に、「湘南急行」・「多摩急行」が登場し、停車駅となる。
- 2004年12月11日 小田急線に、「快速急行」・「区間準急」が登場し、停車駅となる。
- 2013年 東京都市計画都市高速鉄道事業第九号線に基づき、東北沢-世田谷代田を含む区間を地下化予定。
[編集] 世田谷区画街路10号線(駅前広場等)整備
当駅は、駅前のスペースが狭小で、駅前広場の整備、鉄道と路線バス等の連携への地域住民の要望が根強い。世田谷区によると、「小田急線の地下化後の鉄道敷地を活用して、南北一体的な歩行者の拠点となる駅前の広場」とのこと。「整備の基本的な考え方」として、次のとおりとされている。
- 鉄道敷地を活用し、南北一体的な歩行者の拠点となる広場の整備を基本とする。
- 商業地における希少かつ貴重な空間として、駅周辺地区の商・住空間の向上、下北沢らしさの魅力を一層高めることをめざして、広域生活拠点としての整備を図る。
2014年度工事完了予定とされている(世田谷区のページ)。
なお、駅前からやや離れて接続する計画の補助54号線については補助54号線、これらへの反対運動については下北沢を参照のこと。
[編集] 駅名の由来
武蔵野台地の中で、特に沢が多かった地域の北側下流ということを受け、地名が「下北沢」となっていたことから。
[編集] その他
[編集] 乗降人員数
- 127048人(2005年度)
- 132404人(2000年度)
- 135014人(1995年度)
- 145762人(1991年度・当駅の乗降人員数最高値年度)
- 144689人(1990年度)
- 139200人(1985年度)
- 135768人(1980年度)
- 129170人(1975年度)
- 121566人(1970年度)
- 84089人(1965年度)
- 62827人(1960年度)
- 46700人(1955年度)
- 36094人(1950年度)
- 24051人(1946年度・<1945年度は資料なし>)
- 15190人(1940年度)
- 7386人(1935年度)
- 5020人(1930年度)
- 2568人(1928年度・小田原線開業年)
1991年度から1997年度にかけて乗降人員数が減少したが、その後増加傾向にある。
[編集] 隣の駅
- ■小田急小田原線