秀太
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[[Image:||秀太(田中秀太)]] |
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愛称 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県熊本市 |
出身校 | 熊本工業高等学校 |
誕生日 | 1977年2月23日 |
身長 | 179 cm |
体重 | 79 kg |
血液型 | AB |
守備位置 | 内野手 |
打席 | 左 |
投球 | 右 |
背番号 | 00 |
年俸 | 2500万円 |
デビュー年 | 1995年 |
キャリア | |
所属球団 | 阪神タイガース |
前所属球団 | |
Template |
秀太(しゅうた、1977年2月23日 - )は平成期(1990年代後半-)のプロ野球選手(主に内野手)で、阪神タイガース所属。本名は田中 秀太(たなか しゅうた)で、2003年から登録名を「秀太」に変更している。 神奈川県横浜市生まれの福岡県北九州市出身。右投げ左打ち。
目次 |
[編集] プロフィール
- 身長・体重:179cm、79kg
- 投打:右投左打
- 血液型:AB型
- 出身地:熊本県熊本市
- 球暦・入団経緯:熊本工業高等学校 - 阪神(1995~)
- プロ入り年度・ドラフト順位:1994年・3位
- 英語表記:SHUTA
- 背番号:00
- 守備位置:内野手(二塁・三塁・遊撃)
- 推定年俸:2500万円(2007年度)
[編集] 来歴・人物
父親は日産自動車・日産自動車九州・熊本工業高校で監督を務めた田中久幸(2006年9月29日没)。
生まれてから小学校卒業までは、父が日産自動車(横須賀市)の監督であったため、横浜に住んでいたが、父が日産自動車九州(京都郡苅田町)監督に就任し、中学校入学と同時に北九州に移った。その後、父の母校・熊本工業高校へ入部(選手名鑑のプロフィールなどで、出身地が熊本県となっているのはそのため)。高校の1年後輩には二遊間を組んだ中日ドラゴンズの荒木雅博がいる。
ちなみに父の久幸氏は秀太が卒業した1995年3月の後、1995年9月(秀太の二代下)新チームから監督就任し、秋季熊本県大会は初戦で鎮西高校に敗退するも、翌年1996年の夏の選手権で惜しくも松山商業に「世紀のバックホーム」で敗れるも見事準優勝に導いた。
1994年のドラフト3位で阪神に入団。当初の背番号は当時6番をつけていた和田豊にあこがれ60番。何故か野村元監督時代に提唱された俊足7人衆「F1セブン」には入っていない。これは野村曰く「入れ忘れた」ためらしい。 4年目の1998年まで1軍出場4試合、2打数0安打にとどまっていたが、1999年の広島戦でセンターオーバーのサヨナラヒットを放つ。プロ初安打がサヨナラ打であった。これを機に2番打者に定着し、持ち前の走力を活かしてチームトップの15盗塁を記録した。2000年以降は内野手の競争激化、自身の打撃の確実性などの課題もあり、スタメン出場の機会は大幅に減少しているが、現在でも試合終盤における代走、守備要因としてチームに欠かせない存在である。バッティングも長打力こそないものの、バットを短く持って器用に打ち返す小技のセンスには定評があり、貴重なつなぎ役としての活躍も期待されている。 2002年より背番号を現在の00番に変更した。現在は俊足とどこでも守れる器用さを生かしたスーパーサブ、またベンチのムードメーカーとして活躍している。
阪神甲子園球場でバッターボックスに入るときに使う音楽は、一世風靡セピアの名曲「前略、道の上より」であるが、近年打席にたつことは少なく、特に2005年、2006年は1軍で安打がない。2007年のオープン戦ではホームランを放っていることもあり、今後の奮起が期待されるところである。
今までに1000回以上打席に立っているが、一度も死球を受けたことがなく、セ・リーグの現役選手としてただ一人の記録を持っている。
東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する元阪神の山村宏樹投手とは、阪神入団当初から仲がよく、お互い親友と呼び合う仲。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | 阪神 | 60 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
1996年 | 阪神 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
1997年 | 阪神 | 60 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
1998年 | 阪神 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
1999年 | 阪神 | 60 | 116 | 220 | 29 | 53 | 6 | 2 | 0 | 17 | 15 | .241 |
2000年 | 阪神 | 60 | 113 | 307 | 32 | 77 | 4 | 2 | 1 | 17 | 5 | .251 |
2001年 | 阪神 | 60 | 86 | 89 | 13 | 19 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | .213 |
2002年 | 阪神 | 00 | 81 | 155 | 26 | 38 | 6 | 0 | 0 | 5 | 8 | .245 |
2003年 | 阪神 | 00 | 102 | 69 | 24 | 12 | 0 | 1 | 1 | 5 | 8 | .174 |
2004年 | 阪神 | 00 | 27 | 8 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | .125 |
2005年 | 阪神 | 00 | 46 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
2006年 | 阪神 | 00 | 21 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
通算 | 596 | 859 | 134 | 200 | 18 | 5 | 3 | 51 | 38 | .233 |
[編集] 関連項目
00 秀太 | 0 中村豊 | 1 鳥谷敬 | 2 野口寿浩 | 3 関本健太郎 | 4 アンディ・シーツ | 5 濱中治 | 6 金本知憲 | 7 今岡誠 | 8 浅井良 | 9 藤本敦士 | 12 三東洋 | 13 中村泰広 | 14 能見篤史 | 15 太陽 | 16 安藤優也 | 17 金村大裕 | 18 杉山直久 | 19 筒井和也 | 20 正田樹 | 21 岩田稔 | 22 藤川球児 | 24 桧山進次郎 | 25 渡辺亮 | 26 江草仁貴 | 27 岡崎太一 | 28 福原忍 | 29 小嶋達也 | 30 久保田智之 | 31 林威助 | 32 前田忠節 | 33 葛城育郎 | 34 橋本健太郎 | 35 坂克彦 | 36 ライアン・ボーグルソン | 37 野原将志 | 38 橋本良平 | 39 矢野輝弘 | 40 桟原将司 | 41 上園啓史 | 42 下柳剛 | 43 上坂太一郎 | 44 藤原通 | 45 清水誉 | 46 鶴直人 | 47 吉野誠 | 48 相木崇 | 49 若竹竜士 | 50 高橋光信 | 51 桜井広大 | 52 赤松真人 | 53 赤星憲広 | 54 ジェフ・ウィリアムス | 55 喜田剛 | 56 田村領平 | 57 大橋雅法 | 58 高橋勇丞 | 59 ダーウィン・クビアン | 60 小宮山慎二 | 61 辻本賢人 | 62 玉置隆 | 63 大城祐二 | 64 庄田隆弘 | 65 水落暢明 | 66 大和 | 67 伊代野貴照 | 68 横山龍之介 | 92 エステバン・ジャン | 99 狩野恵輔
80 監督 岡田彰布 | 91 島野育夫 | 84 久保康生 | 76 吉竹春樹 | 71 中西清起 | 87 正田耕三 | 85 広澤克実 | 86 和田豊 | 83 嶋田宗彦 | 81 吉田康夫 | 90 続木敏之 | 78 二軍監督 平田勝男 | 88 立石充男 | 70 星野伸之 | 82 葛西稔 | 73 町田公二郎 | 89 山脇光治 | 72 平塚克洋 | 97 加藤安雄 | 74 伊藤敦規 | 75 遠山奬志 | 79 筒井壮 |