福原忍
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福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は平成期(1999年~)の阪神タイガース所属のプロ野球選手で投手。背番号は28。メディアからは「右のエース福原」(左のエース井川に対して)と言われる。
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[編集] 来歴・人物
現巨人の二岡智宏とは、小学校から広陵高まで同窓だったことで知られる(小学校1、2、5、6年生の頃はクラスメイトだった)。二岡と二枚エースだった広陵3年最後の夏は優勝候補筆頭だったが、新井貴浩のいた広島工業に県予選で敗れた。現在よりかなり細くドラフトには掛からなかった。東洋大学4年の時、東都大学2部秋期リーグで6連勝をして1部復帰の原動力となり、1998年のドラフトで3位指名を受けて阪神タイガースに入団。
入団当初からその速球は注目されており、ルーキーイヤーの1999年は当時の野村克也監督に抜擢され、新人投手で4月中に初勝利と初セーブを挙げるという、阪神史上初の快挙を成し遂げ、中継・抑えとフル回転し10勝7敗9セーブの好成績を残した。2000年、2001年はシーズン当初先発でスタートしたものの、援護に恵まれず、後半はリリーフに回るようになる。 また徐々に右肩に違和感が生じるようになり、2002年オフに手術。翌2003年8月31日の対ヤクルト戦で先発として復帰戦に臨み、見事勝利投手となる。かつて阪神で同じ背番号をつけていた往年の剛速球投手江夏豊と左右の違いはあるものの、速球王としてファンの人気が高かった。
2004年シーズンは先発でキレの良いストレートとスライダーのコンビネーションで相手をねじ伏せ、4月成績、5勝0敗 防御率2.43で月間MVPを受賞した。 この活躍により監督推薦で、サンヨーオールスターゲームに出場、第2戦で先発登板し、3回を新庄剛志のホームスチールの1失点に抑え、サンヨーオールスター新人賞を受賞した。しかし、ここでも援護に恵まれず、1失点で敗戦投手になる。シーズン後半に入り調子を落とし、好投したときは援護のない試合が続き勝ち星は伸びず、10勝15敗の成績に終わった。またこの年、対巨人戦には滅法強く8試合登板6勝無敗防御率1.73と脅威の強さを誇った。
2005年は好投するも勝ち星に恵まれない試合が続いた。この『力投したときに限って打線の援護に恵まれない』『炎上する時は突如派手に』と言う傾向が、2004年まで阪神に在籍していた先輩の藪恵壹そっくりと指摘するファンもいる。8勝14敗の成績を残した。同年、4月14日巨人戦にて清原和博(現オリックス)にホームランを打たれ、清原がホームランを打った投手の人数が200人に到達(史上初)した。
2006年は腰痛で約一ヶ月半出遅れるものの、カーブを主とした緩急を使ったピッチングで阪神投手陣の中では抜群の安定感を見せ、勝ち星に恵まれるようになる。ペナントレース終盤は安定感に欠ける井川慶を押しのけ、優勝争いの先発ローテーションの中心を担い、9月10日の横浜戦で自己新となる11勝目をあげた。最終的に12勝5敗、防御率2.09の好成績を残した。
球種はストレート、カットボール、カーブ、スローカーブ、スライダー、フォーク、と多彩に操る。特にスローカーブは球速が100km/s台とストレートとの緩急の差が大きいうえ制球力が高いため、多くの打者の脅威となっている。
また打撃も上手く、2006年シーズンまでに2本の本塁打を打っている(2本とも、東京ドームでの対巨人戦)。さらに2006年8月19日には、タイムリー2本を含む3安打を放ち勝利投手になるという一人舞台となった。
オフには矢野輝弘・関本健太郎らと共にバスフィッシングに勤しむことでも有名である。
おはぎが大好物で、一部では愛称になっている。
2007年はポスティングでメジャーに移籍する井川に替わってエースを張ることが期待されている。中西清起コーチから「イニング数が少ない」と注文され、200イニング登板を目指す。
[編集] 略歴
- 身長・体重:180cm/86kg
- 投打:右投げ右打ち
- 出身地:広島県三次市
- 球歴・入団経緯 広陵高-東洋大-阪神(1999年~)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1998年(3位)
- 推定年俸:1億3000万円 (2007年)
[編集] 年度別成績
年度 | 所属球団 | 背番号 | 登板 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 完投 | 完封 | 投球回数 | 奪三振 | 失点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999年 | 阪神 | 28 | 54 | 10 | 7 | 9 | 0 | 0 | 70.1 | 53 | 33 | 4.09 |
2000年 | 阪神 | 28 | 36 | 5 | 9 | 3 | 1 | 1 | 117.2 | 119 | 55 | 3.29 |
2001年 | 阪神 | 28 | 39 | 9 | 12 | 1 | 0 | 0 | 129.1 | 104 | 55 | 3.13 |
2002年 | 阪神 | 28 | 25 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 30 | 30 | 20 | 5.10 |
2003年 | 阪神 | 28 | 5 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 22 | 27 | 9 | 2.86 |
2004年 | 阪神 | 28 | 29 | 10 | 15 | 0 | 2 | 1 | 181.1 | 148 | 88 | 3.87 |
2005年 | 阪神 | 28 | 28 | 8 | 14 | 0 | 3 | 2 | 171.2 | 124 | 74 | 3.51 |
2006年 | 阪神 | 28 | 24 | 12 | 5 | 0 | 3 | 0 | 154.2 | 119 | 44 | 2.09 |
通算 | ― | ― | 240 | 57 | 66 | 13 | 9 | 4 | 877 | 724 | 378 | 3.34 |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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80 監督 岡田彰布 | 91 島野育夫 | 84 久保康生 | 76 吉竹春樹 | 71 中西清起 | 87 正田耕三 | 85 広澤克実 | 86 和田豊 | 83 嶋田宗彦 | 81 吉田康夫 | 90 続木敏之 | 78 二軍監督 平田勝男 | 88 立石充男 | 70 星野伸之 | 82 葛西稔 | 73 町田公二郎 | 89 山脇光治 | 72 平塚克洋 | 97 加藤安雄 | 74 伊藤敦規 | 75 遠山奬志 | 79 筒井壮 |
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