久保田智之
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[[Image:||久保田智之]] |
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愛称 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県吉見町 |
出身校 | 常磐大学 |
誕生日 | 1981年1月30日 |
身長 | 181 cm |
体重 | 94 kg |
血液型 | AB |
守備位置 | 投手 |
打席 | 右 |
投球 | 右 |
背番号 | 30 |
年俸 | |
デビュー年 | 2003年 |
キャリア | |
所属球団 | 阪神タイガース |
前所属球団 | |
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久保田 智之(くぼた ともゆき、1981年1月30日 - )は、平成期の阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手(主に中継ぎ、2005年は抑え)。背番号30。埼玉県比企郡吉見町出身。
目次 |
[編集] 人物・来歴
[編集] 高校時代
滑川(なめがわ)高校時代は捕手兼ストッパーとして活躍し、3年次の1998年にはチームを初の甲子園出場に導く。甲子園では4番・捕手で出場するも、ピンチになるとマスクやレガースを脱ぎ捨ててマウンドに上がり、野茂英雄ばりのトルネード投法を披露。全国の高校野球ファンを驚かせた。その夏の甲子園出場時に何度も鼻血を出したというエピソードもある。しかし、3回戦で久保康友率いる関大一高に敗れ、姿を消す。だが、大会前は全くノーマークだった滑川高校が、久保田の投打に渡る活躍で甲子園で2勝を挙げたことから、「滑川の大魔神」と名付けられる。
[編集] 大学時代
その後は「投手がやりたい」と、中央球界では無名の常磐大学に進学。投手としての経験不足が心配されたが、飲み込みが早く、僅か1年で駆け引きや連係プレーを覚え、2年次から主戦として活躍する。3年次に東海大学との練習試合で153kmの球速を叩き出したことから、一躍プロから注目されることとなる(常磐大学の所属する関甲新学生野球連盟の試合会場にはスピードガンが設置されていなかったため、本人も自分の球速を初めて知ったという)。2002年の春には巨人のキャンプに招待選手として参加する。結局大学4年間では小野寺力(現西武)とともにダブルエースと呼ばれ、プロからも熱視線を向けられるも、リーグで優勝することはできず、全国大会・国際大会には縁がなかった。一時は数球団から自由枠での声が上がるが、2002年ドラフト5巡目で阪神に入団する(これは本人が熱烈な阪神入団志望だったことと、本格的な環境で野球に取り組んで来なかったため、大卒ながら即戦力として期待しづらい部分があったためだと言われている)。
[編集] 阪神入団後
入団後は、新人合同自主トレに体重オーバーで臨み、いきなり80万円の罰金を科されるも、「活躍して倍以上にして取り返してやる」と発言、話題となる。その言葉通り、ルーキーイヤーの2003年5月11日に初登板を果たすと、5月24日のヤクルト戦では福原忍の持っていた球団最速記録を塗り替える156kmをマーク。星野仙一監督から「球界を代表するスピードボーラーになる可能性がある」と期待され、先発に中継ぎにフル稼働。6月1日の巨人戦でのプロ初先発では同点の二死満塁から高橋由伸をフルカウントから、ストライクからボールになるフォークで三振に取るなど、新人離れした度胸がファンの心を掴んだ。残念ながら優勝決定の3日前となる9月12日の中日戦で故障し、日本シリーズに登板することはできなかったが、1年目としては十分な活躍を果たしたといえよう。
2年目の2004年開幕当初は先発として起用されたが打ち込まれた上に再度故障。復帰後は中継ぎで好投していたが、ジェフ・ウィリアムス、安藤優也のアテネオリンピック代表召集やジェロッド・リガンの故障離脱のために空位となっていたクローザーに転向する。
[編集] 劇場型クローザー
2005年には開幕当初から抑えに定着するも、序盤は登板しては打ち込まれて敗戦投手になるなど、不安定さが目立った。 岩瀬仁紀やかつての佐々木主浩のような絶対的なストッパーとは言いがたく、ひやひやさせる事が多かった。(タイプとしては、小林雅英に似ていると言える)そのような状況で「藤川と役割を交代させた方がいいんじゃないか」とファンからは疑問の声が上がったが、岡田彰布監督は「久保田がストッパーをやめる時はチームが空中分解する時」と頑なに使い続けた。
そんな中で久保田は、何故か三塁ランナーを抱えて『一打同点、あるいはサヨナラ負け』と言う場面になると、それまでの不安定さが嘘のように安定した投球で後続を断ち切って抑えるパターンが多く見られるようになって行った。2005年6月21日(火)、京セラドーム大阪での対中日ドラゴンズの9回表に登板していきなり連打を許した上に暴投までしでかし、観客から『お前は何しに出てきたんや!?』と言う野次まで飛んだが、三塁ランナーを抱えた途端に別人の様に後続を抑えきった事もある。故に一部の実況アナや解説者、ファンなどから『三塁ランナーが久保田のスイッチを入れる』と言われたり、劇場型クローザーと言う称号まで貰う事に。後にこれはピンチになった際のクイック投法が功を奏するとの分析も見られた。これも実況アナや解説者の発言にまで波及した。三者凡退に抑えた試合のヒーローインタビューでは、「やっと3人で抑えられました」と言った事がある。
やがてジェフ・ウィリアムス、藤川球児とともにJFKと呼ばれるリリーフトリオを形成する活躍を見せるようになる。胴上げ投手となった9月29日の巨人戦でも3安打1暴投で1失点してしまったが、ここぞと言う時に剛速球で抑えるのでファンに与える印象度は非常に強い。自身の球団最速記録を更新する157kmをマークするなど、優勝に貢献した。
金看板のストレートは、正に剛速球の名に相応しい球質。球速もさることながら、金属球のようなズッシリと重い球質が打者のパワーを奪う。
[編集] 略歴
- 身長 180cm
- 体重 96 kg
- 投打 右投右打(大学時代、右投両打に変えるが、打球が利き腕に当たる危険性を考え、プロ入り後に右投右打に戻す。)
- 出身 埼玉県比企郡吉見町(※中学、高校の後輩にタレントの若槻千夏がいる。)
- 球歴・入団経緯 埼玉・滑川高-常磐大-阪神(2003年~)
- プロ入り年度・ドラフト順位 2002年(5巡)
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
年度 | 登板 | 完投 | 完了 | 当初 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | S | 勝率 | 打者 | 投球回 | 安打 | 本塁打 | 四球 | 死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 26 | 0 | 6 | 10 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | .500 | 383 | 89.1 | 89 | 5 | 27 | 6 | 100 | 35 | 31 | 3.12 |
2004 | 28 | 1 | 12 | 5 | 0 | 1 | 4 | 4 | 4 | .500 | 298 | 69 | 71 | 10 | 19 | 1 | 69 | 33 | 31 | 4.04 |
2005 | 68 | 0 | 63 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 27 | .556 | 330 | 80.2 | 73 | 8 | 15 | 2 | 97 | 20 | 19 | 2.12 |
2006 | 47 | 0 | 40 | 0 | 0 | 0 | 5 | 7 | 16 | .417 | 221 | 50 | 58 | 4 | 19 | 1 | 57 | 26 | 22 | 3.96 |
通算 | 169 | 1 | 121 | 15 | 0 | 1 | 19 | 20 | 47 | .487 | 1232 | 289 | 291 | 27 | 80 | 10 | 323 | 114 | 103 | 3.21 |
[編集] エピソード
[編集] 松坂世代
いつからか松坂大輔と同世代の選手は松坂世代と称されるようになった。和田毅、木佐貫洋ら、そう呼ばれることを好む選手が多い中で、久保田は「松坂だけでなりたってるみたいじゃないですか。同い年ってだけで繋がりはないし」と、こう呼ばれることを極端に嫌い、面白くなさそうに、松坂に対する話題を避けて通ろうとする。これは久保田の反骨精神の強さと、強烈な松坂への意識の強さの裏返しであると言える。最後の夏、甲子園敗退後は一切試合を見ようとしなかったことからもその意識の強さがうかがえる。
[編集] その他
- 非常に反骨心が強く、高校最後の夏以外だけでなく、2003年の日本シリーズも「自分が出ていないのに見るなんて時間の無駄」と、一切観戦しなかった。あまりの反骨心の強さに、雑誌では「反逆児」などと書かれたこともあった。
- ふてぶてしいポーカーフェイス、どんなピンチでも全く動揺しない強心臓の持ち主ということでストッパーに抜擢された。しかし、本人は「緊張しないわけがないですよ。なのに打者から見たら弱気に見えないらしい。だから抑え向きって言われるんですかね。ちょっと複雑ですね、本当は先発が希望なんですから。これは得なのか損なのか、どっちなんでしょう」と語っている。ただしクローザーにコンバート後は焦っている様子が見た目にも分かりポーカーフェイスではなくなった。
- ストッパーというポジションに強烈なこだわりを持っている。2006年6月12日の楽天戦において、自分がいるにもかかわらず、岡田監督が藤川球児をストッパーとして登板させたことに疑義を抱き、翌日にコーチを伴って監督室へ赴き、その真意を問い質した(岡田監督は久保田の疲労を考慮したとのこと)。
- また、「日本シリーズでは先発したいなぁ。絶対ないだろうけど(笑)」と語るなど、常日頃から先発への思いを隠そうとはしない。
- 久保田の代名詞であるトルネード投法は、高校時代の監督に「エースと違う投げ方をするなら試合で使ってやる」と言われ、監督がある日の練習で投げていたトルネード投法を真似したことから始まった。野茂のトルネード投法を参考にしたことは一切なかったらしい。
- 一見不器用そうに見えるが、実は非常に器用な選手で、トルネード投法はなんと1日でマスターしたという。また、高校では捕手兼任、大学では設備が整っていなかったため、専門的な投手の練習を始めたのはプロに入ってからにも関わらず、既にチームに欠かせない存在となっていることからもその器用さがうかがえる。また、プロ入り時はフォークをほとんど使えなかったが、当時阪神に在籍していた石毛博史に正しい握り方を教わって、即マスターして、さっそく直後のプロ初先発の巨人戦で2アウト満塁フルカウントの場面で高橋由伸をフォークで三振に打ち取るなど、威力を発揮した。
- 久保田が入団当時から付けている背番号30は、実はJFKトリオの一人である藤川が2001年まで付けていたものである。
- 吉本興業所属の漫才コンビ・千鳥のノブ(早川信行)に似ている。番組共演がきっかけで一緒に食事したこともあるらしい。
- 日本代表として日の丸をつけることにはかねてから憧れがあったが、1次リーグ(アジアラウンド)直前の壮行試合で負傷した黒田博樹の代替選手として2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれた。
- 母校(滑川高校 現在は滑川総合高校)での講演会にて、後輩の生徒たちに「年中夢求(ねんじゅうむきゅう」という言葉を残している。
- 2006年5月4日の巨人戦で、同点の延長10回表から登板し無失点に抑え、その裏の攻撃で先頭打者として四球を選び、矢野輝弘の適時打でサヨナラのホームを踏む。リリーフ投手、それもクローザーが得点するというのは非常に珍しい。本人によるとサヨナラのホームインは野球人生で初めてだという。
- 2006年6月21日に利き手の甲を骨折した。これはベビーカーから落ちそうになった娘をかばうために手の甲を地面に強く打ったためである。この行動にはファンのみならず、藤川球児など同僚からも「父親として当然の行動」と評された。しかし、現シニアディレクターである星野仙一氏は、「自分の商売道具である手を大事にしていない」とこの事をあまり快く思っていない。
[編集] 関連項目
- 阪神タイガース
- 星野仙一
- 岡田彰布
- ジェフ・ウィリアムス
- 藤川球児
- JFK
- 福原忍
- 矢野輝弘
- 安藤優也
- 杉山直久
- 江草仁貴
- 松坂大輔
- 松坂世代
- 久保康友
- 小野寺力
- 野茂英雄
- 埼玉県出身の有名人一覧
- 若槻千夏
- 千鳥
[編集] 外部リンク
- 阪神タイガース公式ページ - 球団公式プロフィール
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80 監督 岡田彰布 | 91 島野育夫 | 84 久保康生 | 76 吉竹春樹 | 71 中西清起 | 87 正田耕三 | 85 広澤克実 | 86 和田豊 | 83 嶋田宗彦 | 81 吉田康夫 | 90 続木敏之 | 78 二軍監督 平田勝男 | 88 立石充男 | 70 星野伸之 | 82 葛西稔 | 73 町田公二郎 | 89 山脇光治 | 72 平塚克洋 | 97 加藤安雄 | 74 伊藤敦規 | 75 遠山奬志 | 79 筒井壮 |
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89 監督 王貞治 | 84 武田一浩 | 85 辻発彦 | 86 鹿取義隆 | 87 大島康徳 | 88 弘田澄男 |
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