連合艦隊 (映画)
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『連合艦隊』(れんごうかんたい)は、1981年(昭和56年)8月8日に劇場公開された、東宝製作・配給の特撮戦争映画。真珠湾攻撃前年の日独伊三国軍事同盟の締結から戦艦大和の最期までの太平洋戦争における日本海軍連合艦隊の興亡史を、2つの家族のドラマを中心にして描いた作品である。
劇場公開時の配給収入は約19億円(興行収入に換算すると28.5億円)で、1981年に公開された日本映画(同年12月に、1982年の正月映画として公開された、薬師丸ひろ子主演の角川映画『セーラー服と機関銃』を除く)の中では、配給収入(興行収入)・興行動員数ともに最高(第1位)を記録した。
目次 |
[編集] あらすじ
(映画の途中までのあらすじであり、あえて結末までは記述していない。)
1940年(昭和15年)、連合艦隊司令長官・山本五十六大将らの反対にも関わらず、時の海軍大臣・及川古志郎大将の「やむを得ない」の一言により、日独伊三国軍事同盟が締結された。 その頃、船大工の小田切武市は、息子の正人が海軍兵学校に合格したので、一家全員で有頂天になっていた。18年間の海軍勤務でも下士官止まりであった武市は、「正人の将来の出世は約束された」と信じて疑わなかった。 翌1941年(昭和16年)の春、海軍中尉に昇進した本郷英一は、弟の眞二が三高(第三高等学校=旧制高校)に合格し、学問の道を志すことを、奈良博物館の館長である父親の直樹や婚約者である早瀬陽子とともに喜んでいた。 やがて、ナチス・ドイツのソビエトに対する宣戦布告や日本軍のフランス領インドシナ(仏印。現在のベトナム)南部への進出、そして、それに対するアメリカ側の対抗措置としての日本への原油などの資源の輸出禁止措置実行などをはじめとして、世界情勢は日毎に緊迫の色を強め、アメリカとの戦争の予感は現実のものになろうとしていた。日米和平維持派である山本は、もしも、日米開戦となった場合に備えて、早期和平を実現させる目的から、アメリカ海軍太平洋艦隊の本拠基地であるハワイ・オアフ島の真珠湾を空母機動部隊により奇襲攻撃するという作戦計画を立てた。軍令部首脳と連合艦隊司令部との間では、対米戦争計画について意見が対立することもあったが、最終的には、山本以下の連合艦隊司令部による真珠湾攻撃の作戦計画が採用されることになった。 やがて、日米交渉が決裂し、1941年12月8日、空母機動部隊による真珠湾攻撃が決行され、太平洋戦争に突入した。英一は、空母瑞鶴飛行隊の九九式艦上爆撃機搭乗員の一員として真珠湾攻撃に参加した。日本海軍は真珠湾に停泊していたアメリカ海軍太平洋艦隊の主力戦艦の大部分を全滅させる大戦果を挙げた。次々と炎上する米海軍の戦艦群を、英一は興奮の面持ちで上空から見つめていたが、この時、真珠湾には、米海軍の空母群は停泊していなかった。 真珠湾攻撃と同じ頃(同年12月16日)、5年の歳月と造船技術の粋を集めて、極秘のうちに建造されていた巨大戦艦大和が竣工し、翌1942年(昭和17年)2月12日、大和は連合艦隊の旗艦となり、山本長官ら連合艦隊司令部要員が乗り組んだ。大和の乗組員の中には、召集令状により予備役下士官から現役下士官に復帰し、大和の工作科分隊士として海軍に復職した武市の姿もあった。 日本軍の連戦連勝の破竹の快進撃の最中、同年4月18日の米空母ホーネットから発進したB-25爆撃機16機の編隊による日本本土初空襲の衝撃を機に、軍令部は、早期和平のためにも、空母を含む米太平洋艦隊の残存部隊を完全に全滅させるという山本の提案によるミッドウェー攻略作戦を了承し、5月下旬、連合艦隊の主力部隊の大部分は、ミッドウェー島沖に向けて出撃した。しかし、6月5日・6日のミッドウェー海戦では、事前に日本軍側の作戦情報を入手していた米軍の待ち伏せにより、赤城以下計4隻の主力空母を失ない、作戦は大失敗に終わり、戦局は泥沼の消耗戦へと突入していった。 やがて、同年8月、米軍は、ソロモン諸島のガダルカナル島に上陸し……。
[編集] 本作品の特徴
本作品は、太平洋戦争を描いた戦後の東宝の特撮戦争映画としては、日米開戦前年の日独伊三国軍事同盟の締結から始まり、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、ソロモン諸島攻防戦(い号作戦)、ブーゲンビル島上空での山本五十六の戦死=海軍甲事件など(マリアナ沖海戦はナレーションと米軍撮影の記録映像のみ)を経て、レイテ沖海戦、そして、沖縄水上特攻作戦である菊水1号作戦(坊ノ岬沖海空戦)における戦艦大和の最期に至るまでの日本海軍連合艦隊の興亡史を、ダイジェストながら完全に描いた初めての作品であり、東宝の特撮戦争映画の集大成作として、また、松林宗恵監督自身の戦争映画の集大成作として製作された。 なお、レイテ沖海戦は、日本の戦争映画では、この作品で初めて映像化された。
また、この映画は、日本映画では初めて、ドルビー・ステレオ方式の音響が採用された作品でもある。
この映画のレイテ沖海戦のパートに登場する、予科練出身の少年飛行兵・中鉢二飛曹(二等飛行兵曹)の名前は、松林監督の海軍時代の部下であった中鉢一水(一等水兵)なる実在の戦傷死した少年兵の名前に由来するものである。
[編集] 特撮技術
この映画の特撮シーンの撮影で使われた戦艦大和の模型は、石川島播磨重工業の子会社(IHIクラフト)において9000万円の製作費を費やして作られた(船体はIHIクラフトが製作し、艦橋や煙突、砲塔やマストなどの上部構造物は東宝美術(現:東宝映像美術)が製作した。完成は1981年1月20日)。縮尺は1/20で、2005年4月23日に開館した広島県呉市の呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)において1/10の模型が公開されるまでは、製作された模型としては最大のものであった。既存の組立模型の拡大コピーで考証や模型の精度には難があった(実際の大和は、戦況に応じて最上甲板の艤装が数度にわたり変更されている。本作での大和の初登場時のシーンは、これまでほとんどの大和映画で描かれることがなかった、最初期の艤装=2番・3番副砲を備えたもの=の姿で登場している。その後は、2番・3番副砲を撤去し、12.7cm連装高角砲や25mm機銃などの対空兵装、ならびに、電探などを増備してからの、レイテ沖海戦時の艤装の姿を経て、菊水1号作戦(坊ノ岬沖海空戦)時の最終状態の艤装の姿となっている。ただし、本作では、最終状態の艤装でも、第二・第三主砲砲塔上の各2基ずつの特設25mm三連装機銃群は再現されておらず、また、艦尾端部の2基の特設25mm三連装機銃群も、この当時は存在が確認されていなかったために再現されていなかった)が、小型漁船用の水冷ディーゼルエンジンを動力とし、内部に3人が入って時速6ノットで自走操船航行できたほか、火薬を用いて46cm三連装主砲の発射シーンを再現することができた(なお、沖縄水上特攻作戦=坊ノ岬沖海戦の戦闘シーンのうち、遠景、あるいはロングショットで全景が映るシーンや、ラストの爆沈シーンなどの撮影に使用された大和の模型は、縮尺1/40の模型である)。
この縮尺1/20の大和の模型は、映画の公開終了後、東宝から東武動物公園に寄贈され(東武動物公園に展示されていた頃には、1983年1月2日に放送されたテレビ東京の新春12時間超ワイドドラマ『海にかける虹~山本五十六と日本海軍』(製作:東映)の特撮シーンの撮影にも使用された)、その後、船の科学館に譲渡されて玄関脇の屋外に展示されていた。しかし、2004年末に激しい暴風によって上部構造物が大破し、修理不能と判断され廃棄された。
また、同じく小型漁船用のディーゼルエンジンを動力とし、内部に人(1人)が入って自走操船航行できる空母瑞鶴の模型も作られた。
なお、瑞鶴については、艦橋や飛行甲板、対空機銃などが神奈川県茅ヶ崎市の柳島海岸に実物大セットで再現された他、大和についても、艦橋下部周りや、高角砲、シールド付の25mm三連装機銃が並ぶ船体中央部の最上甲板付近、また、1番副砲、さらに、艦橋最上部(防空指揮所、15m測距儀、21号電探など)が、東宝撮影所敷地内に実物大セットで再現された(大和の第一艦橋内部や司令長官室なども、同じように東宝撮影所内にセットとして再現された)。
[編集] DVD
現在は、東宝からビデオソフトやDVDソフトが発売されている(DVDソフトは2003年12月25日に発売)。ただし、ビデオソフトやDVDソフトでは、真珠湾攻撃のシーンなどは、諸般の事情により、劇場公開時、ならびに、テレビ放映時の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』のフィルムを流用したバージョンではなく、『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』の真珠湾攻撃の特撮シーンのフィルムを流用している。正確に言えば、劇場公開版とテレビ放映版では、真珠湾攻撃のシーンは、『トラ・トラ・トラ!』のフィルムと、『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』の真珠湾攻撃の特撮シーンのフィルムの両方を流用し、それらのフィルムをシーンに応じて使い分けているが、ビデオソフト版やDVDソフト版では、真珠湾攻撃のシーンは、劇場公開版やテレビ放映版の、『トラ・トラ・トラ!』のフィルムを流用したシーンの部分も含めて、全て『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』の特撮シーンのフィルムに差し替えられている。
(*スカイパーフェクTV!の「日本映画専門チャンネル」では、過去の放送において、劇場公開版とDVD版の両方が、いずれもノーカットで放送されている。)
[編集] 本作品の評価
以前の太平洋戦争をテーマにした戦争映画においては、山本五十六などをはじめとして、歴史に名を残す軍人を主役に置いて表現される物が多かったが、本作品では本郷家と小田切家の2つの家族を中心に表現され、太平洋戦争に巻き込まれる市井の人々の悲劇や葛藤を中心に描かれている。その2つの家族の物語は、戦艦大和に着任したばかりの本郷眞二少尉(金田賢一)が、呉軍港の桟橋で偶然に小田切正人中尉(中井貴一)と出会い、さらに大和の艦内で正人の父親である小田切武市兵曹長(財津一郎)と対面したことを経て、最終的には、第五航空艦隊司令長官・宇垣纏中将(高橋幸治)の独断により、沖縄水上特攻に向かう大和以下の第二艦隊の上空直衛に派遣され、その上空に飛来した零戦部隊の編隊の中に、神風特別攻撃隊に志願した正人がおり、正人たちが艦隊上空直衛の任務を終えて鹿屋基地に帰投していくところを、眞二と武市が他の乗組員たちとともに大和の最上甲板上で見送るシーンからラストシーンにかけて一つに結び付く。
それまでの戦争映画とは大きくかけ離れた内容に挑戦しており、山本五十六等の著名な軍人は、むしろ脇役として取り上げられている(エンディングクレジットに表示される配役のトップは、山本五十六役の小林桂樹となっているが、実質的な主演は、永島敏行、金田賢一、中井貴一、財津一郎の4人である)。 これは、監督の松林宗恵・脚本の須崎勝彌両氏が旧海軍の出身者であり、自らが製作に関わった戦争映画があまりにも英雄談に固執して来たこと、現在の日本は無名の戦死者の命で成り立っているのではないかという疑問から製作された理由が大きいと思われる。(DVDのオーディオコメンタリーを参照)
しかし、無名の家族の悲劇を表現したい余り、敵側である米国側から見た表現が無く、客観的に見て全ての戦闘シーンがまるで自然災害や怪獣と闘っている様な感じを受けてしまい、本当に戦争をしているのか(映画『タイタニック』の様な印象を受ける)どうか分からないという批評や、多額の製作費用(当時としては破格の10億円が使われた)の割には過去の東宝の特撮戦争映画で使用された映像シーンの使い回しが多く、「以前に見た戦争映画と変わらない」という辛辣な評価もある。
とは言え、先述の松林・須崎両氏による「あの戦争とは、果たして何であったのか?」という思いは、空母瑞鶴や戦艦大和の戦闘シーンに表現されており、主人公を市井の人物に置いたことにより大勢の戦争体験者の共感を得ることとなり、現在でも東宝戦争映画の秀作との評価は高い。
[編集] 製作
- 配給
- 東宝株式会社
- 製作
- 株式会社・東宝映画
- 製作協力
- 東宝映像株式会社(現:東宝映像美術)-特殊技術・光学ステレオ技術
- スタッフ
- 製作:田中友幸
- 製作補:高井英幸(現:東宝社長)
- 企画協力:児島襄、豊田穣
- 監督:松林宗恵
- 特技監督:中野昭慶
- 脚本:須崎勝彌
- 音楽:服部克久、谷村新司
- 演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
- 主題歌:谷村新司 「群青」
- 本編スタッフ
- 撮影:加藤雄大
- 美術:阿久根厳
- 照明:小島真二
- 録音:矢野口文雄
- 編集:黒岩義民
- スチール:橋山直己
- 監督助手:今村一平
- 製作担当者:森知貴秀
- 効果:東宝効果集団
- 整音:東宝録音センター
- 現像:東宝現像所
- 資料提供:NHK、東京12チャンネル(現:テレビ東京)
- 協力:極東コンチネンタル株式会社(現:コンチネンタルファーイースト株式会社) (森幹生)
- 特殊技術(特撮)スタッフ
- 撮影:鶴見孝夫
- 光学撮影:宮西武史
- 美術:井上泰幸
- 照明:森本正邦
- 操演:松本光司
- 特殊効果:渡辺忠昭
- スチール:中尾孝
- 作画:塚田猛昭、石井義雄
- 監督助手:浅田英一
- 製作担当者:柳沼延之
[編集] キャスト
- 【ハワイ・ミッドウェイ作戦】
- 山本五十六(連合艦隊司令長官) 小林桂樹
- 宇垣纏(連合艦隊参謀長) 高橋幸治
- 南雲忠一(第一航空艦隊長官) 金子信雄
- 草鹿龍之介(第一航空艦隊参謀長) 三橋達也
- 永野修身(軍令部総長) 小沢栄太郎
- 及川古志郎(海軍大臣) 藤田進
- 福留繁(軍令部部長) 藤岡琢也
- 富岡定俊(軍令部課長) 橋本功
- 野元為輝(空母瑞鶴艦長)長谷川弘
- 【レイテ作戦】
- 小沢治三郎(第一機動艦隊司令長官) 丹波哲郎
- 貝塚武男(空母瑞鶴艦長) 神山繁
- 下田久夫(空母瑞鶴飛行長) 平田昭彦
- 武田上整曹(瑞鶴飛行隊整備士の長) 長門裕之
- 森整長(瑞鶴飛行隊整備士) なべおさみ
- 大林末雄(第一機動艦隊参謀長) 織本順吉
- 栗田健男(第二艦隊司令長官) 安部徹
- 小柳富次(第二艦隊参謀長) 近藤宏
- 豊田副武(連合艦隊司令長官) 田崎潤
- 神重徳(連合艦隊先任参謀) 佐藤慶
- 【沖縄作戦】
- 【激動の時代を生きた人々】
- 本郷直樹(奈良博物館館長) 森繁久彌
- 本郷歌子(英一・眞二の母) 奈良岡朋子
- 本郷英一(海軍大尉 瑞鶴艦上爆撃機隊の隊長・飛行士) 永島敏行
- 本郷眞二(海軍少尉 瑞鶴・大和の航海士。慶応義塾大学在学中に徴兵された予備士官) 金田賢一
- 本郷(早瀬)陽子(英一の婚約者。後に眞二の妻となり、男児を設ける) 古手川祐子
- 芸者・鈴川 松尾嘉代
- 工藤飛曹長(英一の部下で無二の戦友。瑞鶴艦上爆撃機隊・偵察員) 佐藤允
- 茂木大尉(英一の戦友。瑞鶴及びブイン基地戦闘機隊の隊長・飛行士) 丹波義隆
- 小田切武市(海軍兵曹長 大和工作科分隊班長) 財津一郎
- 小田切照代(正人の姉) 友里千賀子
- 小田切美代(正人の妹) 里美奈保(現:鶴田さやか)
- 小田切正人(海軍中尉。特攻出撃した戦闘機搭乗員) 中井貴一(中井は、この作品がデビュー作であり、第5回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞した)
- 【その他の主な出演者】
- 大江中尉 佐久田修
- 中鉢二飛曹(当初の脚本では青木二飛曹) 遠藤公一
- 大川一整曹 伊藤敏孝
- 野村飛曹 長谷川論
- 新聞記者 石田茂樹
- 町内会長 浜田寅彦
- 黒島亀人先任参謀 南道郎
- 渡辺戦務参謀 北浦昭義
- 大石先任参謀 六本木真
- 源田実航空参謀 斎藤真
- 大前先任参謀 加地健太郎
- 大谷作戦参謀 伊吹徹
他
- ナレーター
[編集] 主なロケ地
- 奈良県奈良市
- 東大寺(南大門)、水門町
- 広島県宮島町(現:廿日市市宮島町)・宮島-劇中では2回登場した。
- 厳島神社、他
- 神奈川県横須賀市
- 海上自衛隊第2術科学校(田浦地区。眞二が正人と偶然に出会う呉軍港の桟橋という設定で、敷地内にある専用桟橋においてロケ撮影)
- 神奈川県茅ヶ崎市
- 柳島海岸(空母瑞鶴の艦橋や飛行甲板などの実物大セットが作られた)
- その他
- 某大学の校舎(当時は、昭和の戦前期に完成した校舎が建っており、海軍に入団する直前の眞二が、三高の図書館で父親の直樹とともに語り合うシーンなどで撮影に使用)などでもロケ撮影が行なわれた。
[編集] 余談
中谷一郎扮する沖縄水上特攻作戦(坊ノ岬沖海空戦)時の戦艦大和艦長・有賀幸作大佐の衣装は、史実(ならびに多くの大和映画)での第三種軍装姿とは違い、この作品と同じく松林監督がメガホンを取った『太平洋の翼』での有賀艦長と同じく第一種軍装姿となっているが、これは、「彼らに『”死に装束”である第一種軍装』を着せてあげたかった」という松林監督の意向が反映されたものとなっている。
また、この映画の大和が登場する特撮シーン(航行シーン、戦闘シーンなど)の映像(フィルム)の一部は、1990年8月に、終戦45周年記念のスペシャルドラマとしてフジテレビ系列とTBSテレビ系列とで放送された、大和を題材にした2つの3時間テレビドラマ(ともに、この映画を製作した東宝の製作作品)にも流用されている。フジテレビ版は、吉田満氏の『戦艦大和ノ最期』を原作とした『戦艦大和』(監督:市川崑、主演:中井貴一。8月10日に放送)であり、TBSテレビ版は、『愛と哀しみの海・戦艦大和の悲劇』(監督:堀川博通、主演:藤竜也。終戦記念日の8月15日に放送)である。なお、この時は、これら2つの3時間ドラマとともに、同年8月3日の日本テレビ系列の『金曜ロードショー』(当時の解説者は水野晴郎氏)でも、この映画が2時間30分枠で放送された。
[編集] 外部リンク
東宝アミューズメントパークHP内の『連合艦隊』のDVDの商品紹介ページ