都営バス深川営業所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
都営バス深川営業所(とえいバスふかがわえいぎょうしょ)は、りんかい線東雲駅至近の江東区東雲2丁目にある営業所である。江東区の深川、臨海部地域と、中央区、千代田区など都心を運行する都営バス路線を担当している。正式名称は、東京都交通局深川自動車営業所である。営業所記号は「S」を用いる。
営業所には、東京都交通局の職員研修所と職員住宅である東雲寮、都営バスの整備工場がある。
目次 |
[編集] 沿革
- 1942年2月 旧東京市内の路面交通事業統合により江東区東陽町に洲崎自動車営業所を設置。
- 1942年9月 太平洋戦争により洲崎自動車営業所を廃止。
- 1949年3月 洲崎自動車営業所を再開。
- 1968年5月 洲崎自動車営業所を江東区東雲に移転、局有地にあった同東雲分車庫と統合するかたちで深川自動車営業所に改称。
- 1972年11月 ハイブリッドバス試験運行
- 1991年6月 東雲庁舎竣工
- 1991年7月 東雲庁舎に港区芝浦から自動車整備工場と職員研修所が移転
- 1992年 リフトバス導入、中央区より「銀ブラバス」運行委託
- 1994年 CNGバス導入、CNG充填設備新設
- 1999年 CNGノンステップバス導入(いすゞS-E400,三菱ふそうS-F464)
- 2003年8月 燃料電池バス試験運行(2004年12月まで)
[編集] 現行路線
[編集] 都03系統(グリーンアローズ)
本系統は、都電11系統(新宿駅前 - 月島)の代替路線銀71系統が始まりである。都心を横断するドル箱的路線のため、1988年3月21日に都市新バスシステムの第3期導入路線となり、これを機に系統番号を都03系統に改め、後述する都04系統・都05系統とともに「グリーンアローズ」の愛称が付けられた。晴海通りの需要のほか、新宿駅発着の私鉄線から三宅坂にある国立劇場への足としても重宝され、最盛期には銀座数寄屋橋 - 勝どき橋間の晴海通り上では昼間でも時間をおかずに3系統の内のどれかのバスが来るほどであった。
利用率こそ高かったものの、利用客のほとんどが長距離利用のため、客の回転率が悪い上、晴海会場の有明移転後は利用客の減少も進んで、営業成績は悪化の一途をたどり、平成が二桁に入るころから、晴海方面からの四谷駅止まりが増えていった。そして、2000年の都営大江戸線開通時の再編で、従来杉並営業所(現:早稲田営業所杉並支所)の担当だったものを丸ノ内線と重複する新宿駅西口 - 四谷駅間を廃止の上、担当営業所を深川営業所に変更し、運行回数を半分以下(6割減)にまで削減した。その後のダイヤ改正でも減回が繰り返されており、現在では日中の一部時間帯では40分以上間隔があき、「待たずに乗れる高頻度運行」が理念の都市新バスの定義から外れている。2007年3月の改正では土曜日曜の本数がさらに減少し、1時間に1本程度となる。
なお、この系統を含め深川営業所の都市新バス路線の車両は、杉並営業所から転属した日野自動車製の専用車(現在ではD代 - F代車)と新型のノンステップバスを使用している。行先方向幕の色は、青明色である。
[編集] 都04系統(グリーンアローズ)
- 都04甲:東京駅丸の内南口 - 銀座四丁目 - 勝どき駅 - 豊海水産埠頭
- 都04乙:東京駅丸の内南口 - 銀座四丁目 - 勝どき駅 - 勝どき五丁目 - 豊海水産埠頭
- 1982年12月26日:旧・東16系統東京駅南口 - 勝どき五丁目と銀86系統渋谷駅 - 豊海水産埠頭を統合整理し、銀16系統東京駅 - 豊海水産埠頭が開業する。江東営業所に移管される。
- 1988年3月21日:都市新バス化され都04系統に改番される。
- 2003年4月1日:深川営業所に移管される。
この路線の母体となった路線は旧・東16系統(東京駅南口 - 勝どき五丁目:深川営業所担当)であるが、この路線は朝夕のみの運行であった。そのため、直接的な路線としては1982年の銀86系統(渋谷駅 - 豊海水産埠頭:渋谷営業所担当)及び旧・東16系統を再編統合して誕生した銀16系統が、この系統の前身である。銀16系統は、1988年3月21日に都03系統とともに都市新バス化され、都04系統「グリーンアローズ」となった。なお、グリーンアローズの各系統は、路線の重複区間が多いため、誤乗車を防止する目的で方向幕にそれぞれ別の色を施しており、都04系統の方向幕は深緑色となっている。都営の都市新バスの方向幕に青色以外が採用されたのはこの系統が最初である。
運行区間としては旧・東16系統を受け継いでいるが、運行回数は銀86系統を受け継いでいる。銀86系統は都電代替路線であるが、走行道路の渋滞がひどい為本線の定時運行は不可能であり、統合直前は半数以上が数寄屋橋・虎ノ門折返しとなっていた。このときの再編では銀86系統としての区間で存続した区間は末端の僅かな区間しかなく、実質的には全線廃止となり、運行回数以外の面影は殆ど残っていない。
2000年の都営大江戸線開通時に本数はやや減少し、2003年に江東営業所から深川営業所へ移管され現在に至る。「旧・東16系統」を継承したため朝の東京駅行きと夕方の豊海行きに勝どき五丁目を経由する便がある。
[編集] 都05系統(グリーンアローズ)
- 都05甲:晴海埠頭 - 晴海三丁目 - 勝どき駅 - 銀座四丁目 - 有楽町駅 - 東京駅丸の内南口
- 都05乙:晴海埠頭←晴海三丁目←勝どき駅←銀座四丁目←日比谷
- 都05甲:東京テレポート駅 - お台場海浜公園駅 - 有明テニスの森(→晴海三丁目) - 勝どき駅 - 銀座四丁目 - 有楽町駅 - 東京駅丸の内南口(土休日のみ)
- 都05出入:東京駅丸の内南口 - 有楽町駅 - 銀座四丁目 - 勝どき駅 - 晴海三丁目 - 豊洲駅 - 東雲都橋 - 深川車庫
- 都05出入:東京駅丸の内南口→有楽町駅→銀座四丁目→勝どき駅→晴海三丁目→豊洲駅(夜間のみ)
- 都05出入:晴海埠頭 - 晴海三丁目 - 豊洲駅 - 東雲都橋 - 深川車庫
- 日比谷発晴海埠頭行は都03系統、晴海埠頭発深川車庫行は錦13出入系統として運行される。
- 1988年6月8日:都05系統が開業する。
- 1989年6月19日:深夜05系統(東京駅丸の内南口 - 豊洲駅 - 深川車庫間、東雲都橋経由と辰巳団地経由を設定)が開業する。それに合わせ都05として東京駅 - 豊洲駅間の運転を行う。
- 2007年3月26日:土曜休日に限り、東京駅丸の内南口 - 有明テニスの森 - 東京テレポート駅間の運転を開始する。
この路線の起源は、一部の経由は異なるものの銀71系統の支線であった東京駅丸の内南口 - 晴海埠頭といえよう。ただし、この系統は1988年に本系統が開業する前に、銀71系統が都03系統に変更になる際に廃止されてしまった。そして、その3ヵ月後の有楽町線新富町駅 - 新木場駅間開通と同時に、他の二つのグリーンアローズ都03系統、都04系統より遅れて運行を開始した。本系統は、有楽町線開通で廃止となった東18系統(東京駅 - 銀座 - 門前仲町)の代替の側面を持ってはいるものの、ルートは異なるため、都市新バス路線で唯一新線として開通した路線となっている。
平成に入って少々経ってから2000年の都営大江戸線全線開業までは、杉並営業所(現早稲田営業所杉並支所)も本路線を担当していた。かつて、杉並営業所の乗務員交代の一部は東京駅で行われ、そこから丸ノ内線で営業所に移動する場合もあった。方向幕の色はオレンジである。
出入庫時のみ運転される東京駅丸の内南口 - 深川車庫間の支線は、2006年3月以前は「都05乙」系統と定義されていたが、同年4月以降は出入庫系統扱いとなっている。同時に、都03系統の日比谷→晴海埠頭の区間便が、告示上の「都05乙」系統とされた。
出入庫系統の深川車庫付近での経路は、東15系統と同じ東雲都橋経由である。
[編集] 海01系統
- 海01:門前仲町 - 枝川 - 豊洲駅 - 有明テニスの森 - お台場海浜公園駅 - テレコムセンター駅 - 東京テレポート駅
- 海01(出庫):深川車庫→ジャパンエアガシス→有明テニスの森→お台場海浜公園駅→テレコムセンター駅→東京テレポート駅
- 海01:門前仲町 - 枝川 - 豊洲駅 - 有明テニスの森 - 東京ビッグサイト(国際展示場)
当系統は、門前仲町を起点とし、越中島、枝川、豊洲駅、東雲都橋、有明テニスの森、お台場海浜公園駅、フジテレビ、台場駅、船の科学館駅、テレコムセンター駅を経由して東京テレポート駅にいたる全長10.030kmの本路線と、有明一丁目から分岐し、東京ビッグサイトにいたる折返線からなる系統である。
当系統は、永代通りと清澄通りの門前仲町交差点から、永代通りを東京寄りに約150mほど進んだところから発車する。(なお、到着は、門前仲町交差点から清澄通りを清澄方面に約100mの所である。)門前仲町を出ると清澄通りを進み、越中島交差点で左折する。この先は、東京海洋大学や清水建設技術研究所など学校や工場などの合間を進んでいく。枝川から豊洲は、工場跡地を再開発した高層マンションやららぽーと豊洲などの商業施設が立ち並び、昔と違った活気を見せる。
豊洲駅前交差点を左折し、東雲地区にはいる。この辺りも再開発が進んでおり、都市再生機構のマンションやイオンショッピングセンターなど近年新しくできた施設が並ぶ。東雲一丁目交差点で右折し、片側1車線の道に入る。このあたりは、古くから都橋住宅をはじめとするアパートがあり、一定の利用者がいる。
都橋住宅から先は、埋立地が完成してからは有明テニスの森を除けば、大きな建物がなく車窓が開けていたが、最近ではゆりかもめの開業などにより、徐々に整備が進められている。その後、台場地区に入ると、ゆりかもめの高架橋の下を終点付近を除いて走ることとなる。なお、このお台場と現在で呼ばれる13号地は、開業時は船の科学館付近を除けば更地であり、現在とは大きく道路網が異なっていた。
現在では、門前仲町から豊洲付近にかけては生活や通勤の足として利用客が多く、有明テニスの森まではほぼ終日10分から15分毎の運行となっている。また、2006年度に入ってからは以前のように大型ノンステップバス(いすゞ・エルガ又は日野・ブルーリボンII)が主流ではなくなり、中型車(日野・レインボーHR)が使用されることが増えてきている。
[編集] 沿革
- 1978年07月12日:海01系統品川駅東口 - 海上公園の宇宙博物館臨時便の運行を開始する。なお、その後、定期化される。
- 1982年12月16日:門19丁系統と統合し、門前仲町 - 品川駅東口間の運行となる。
- 1988年06月08日:海01乙系統門前仲町 - 青海流通センター線が開業する。
- この間にも台場地区で経路変更が頻繁に行われた。
- 1995年04月29日:門19甲系統を統合する。
- 1996年08月30日:東京臨海高速鉄道りんかい線開業に伴い、お台場地区で経路変更を行う。その際に、船の科学館駅・東京テレポート駅経由となる。あわせて、海01乙系統は東京テレポート駅 - 門前仲町を短縮する。
- 1997年07月20日:品川駅東口→台場循環を新設する。
- 1999年01月27日:品川駅東口→台場循環を廃止する。
- 2001年04月01日:海01乙系統を廃止する。
- 2002年12月1日:品川駅東口 - 東京テレポート駅間を短縮し、門前仲町 - 東京テレポート駅の運転とする。
開業当初の運行区間は、品川駅東口 - 新東海橋 - (現在の天王洲アイル周辺) - 品川火力発電所 - (首都高速道路湾岸線東京港トンネル) - 海上公園(現・船の科学館駅)であり、所管は品川営業所単独だった。これは船の科学館周辺で開かれていた宇宙博覧会への臨時バスを定期化したものである。当時は、終点以外13号地に施設はない状態であった。その後、門19系統のうち、門19丁系統門前仲町 - 海上公園間を統合し、東京港トンネルを挟んだ品川駅 - 海上公園 - 門前仲町の運転となり、品川・深川両営業所が共同で担当した。このときも、まだ船の科学館以外の施設は見られず、利用の中心は門前仲町 - 有明テニスの森間であった。その後、お台場の開発が進められていていく。その結果道路網に変化が見られるようになり、かつてのお台場のルートは、現在の有明一丁目以西が異なっており、湾岸道路を走行していた。また停留所は、有明一丁目 - フェリー埠頭入口 - お台場海浜公園入口 - 13号地海底トンネル入口 - 海上公園 - 13号地海底トンネル入口 - 八潮団地入口の順番で、13号地トンネル入口は2回停車していた。
お台場の開発が進んだ1990年代後半より、両起終点から東京テレポート駅や東京ビッグサイトなど、お台場地区までの折り返し運用が増えるようになったり、フジテレビやテレコムセンターなどの新しい施設を経由するようルートが一新されたりした。長い間当系統が、台場地区における唯一の公共交通機関であったが、ゆりかもめや虹01系統など、都心側からの速達性の高い交通手段が出来たことや、品川とお台場をレインボーブリッジ経由で結ぶ虹02が開通することとなる。その結果、東京港トンネルの渋滞による定時性の悪化もあいまって、この路線の品川側は利用価値が低下していった。このため、1999年に品川側の折り返し運用を担っていた品川駅 - 台場循環系統が廃止され、同時に品川営業所は当系統の担当から外れた。これにより、品川へ顔を出すのは朝夕のみのごくわずかに運転されるのみとなった、しかし、高速道路を通るためシートベルトを装備した専用車両(X代車)を充当してまでこの便を存続させる必要性は低下していた。その一方で、門前仲町側では利用客が増加しており、輸送力を増強する必要性や門前仲町側でのダイヤの維持が重要視されることとなった。このため、2002年12月に並行するりんかい線の東京テレポート駅 - 大崎駅の開通を機に品川駅 - 東京テレポート駅の区間は廃止され、お台場地区以東が残されることとなった。しかし、2006年3月にはゆりかもめが豊洲まで延長され、門前仲町側でも環境の変化が続いている。
[編集] 虹01系統
※港南支所を参照されたい。
[編集] 波01系統
※港南支所を参照されたい。
[編集] 豊洲01系統
- 豊洲01:豊洲駅→豊洲一丁目→豊洲駅→キャナルコート三街区→豊洲駅(循環)
- 豊洲01(入庫):豊洲駅→豊洲一丁目→豊洲駅→キャナルコート四街区
- 豊洲01(出庫):キャナルコート三街区→豊洲駅→豊洲一丁目→豊洲駅(始発のみ)
- 2000年12月12日:AL02系統豊洲駅→豊洲一丁目→豊洲駅(循環)が開業する。
- 2004年4月1日:AL02系統を豊洲駅→キャナルコート三街区→豊洲駅を延長し、豊洲01系統に系統番号を変更する。
この系統は2000年12月12日に、AL02系統・豊洲駅→豊洲一丁目→豊洲駅(循環)として開通したものである。アクセスラインバスであったため、運賃は100円であった。その後、2003年4月に現在の形態となったが、その際に一般系統化されたため、運賃は他系統と同じとなった。車両は当初日産ディーゼル・RMのCNGノンステップ車が導入されたが、現在は他の系統と共通化され、専用車は臨海支所に転属した。なお、運転時間帯は、平日朝夕のみとなっている。
前身のアクセスラインと同様、方向幕は黄色のものを用いるが文字は黒色である。朝夕の最終二本は、四街区止で深川車庫へ回送入庫する。また、一日数本ではあるが、キャナルコート側からの豊洲止まりがある。なお、この系統は他系統と異なり、豊洲二丁目・深川五中停留所には停車しない。
[編集] 業10系統
- 業10:業平橋駅 - 菊川駅 - 木場駅 - 豊洲駅(←勝どき駅) - 銀座四丁目 - 銀座西六丁目 - 新橋
- 業10出入:業平橋駅 - 菊川駅- 木場駅 - 豊洲駅- (直通表示) - 深川車庫
- 業10出入:深川車庫 - 東雲都橋 - 豊洲駅(←勝どき駅) - 銀座四丁目 - 銀座西六丁目 - 新橋
- 朝の深川車庫発新橋行には東雲都橋非経由(直通)便も存在する。
業10系統は、新橋を起点とし、銀座四丁目、築地、勝どき橋南詰、豊洲駅、木場駅、菊川駅を経由して業平橋駅を結ぶ全長12.770km(業平橋発は13.160km)の路線と、新橋、業平橋駅からの深川車庫への出入庫路線からなる系統である。運転系統は、新橋 - 業平橋駅の運転が中心となるが、新橋および業平橋駅から途中の豊洲駅を介して深川車庫への出入庫路線(ただし、豊洲駅と深川車庫の間の経路が2通り存在する)や、途中の菊川駅・木場駅・勝どき駅折り返しなど多種に渡る運転区間を持つ。
当路線の起点となっている「新橋」は、他の新橋駅乗り入れ系統と異なり、唯一停留所名に駅がつかない。[1]これは、通常使用している乗り場(始発から20時まで)が、駅前のバスターミナルではなく、外堀通りを挟んだ北側の路地裏にあることによる。
20時以降は、新橋 - 銀座西六丁目 - 銀座四丁目は数寄屋橋交差点における右折禁止解除に伴う渋滞の可能性から、新橋駅前 - 銀座六丁目 - 銀座四丁目にルートを変更して運行を行う。このため、新橋の停留所が、駅前にある市01系統の場所へ変更となる。
沿線は、大きく分けて3つに分かれる。一つは、新橋から築地までに至る銀座や有楽町をはじめとした大規模な繁華街と、築地から木場に至る豊洲のららぽーとや木場の深川ギャザリアをはじめとした埋立地や工場跡地などの再開発地域、木場から業平橋までの下町の昔からの住宅街などである。
[編集] 沿革
- 1963年:33系統新橋 - 業平橋駅が開業する。
- 1988年6月8日:業10乙系統(月島駅 - 新橋)を東18系統の代替として新設する。
- 1999年:業10出入(業平橋駅 - 深川車庫)の深川車庫 - 東京ビッグサイト間を一部便のみ延長する。
- 2003年1月14日:業10乙系統を廃止する。
- 2007年3月26日:業10出入系統の深川車庫 - 東京ビッグサイト間を短縮する。
当系統は、1942年に戦時の交通統制により市が継承した城東乗合自動車の路線をベースとしている。城東乗合は、1932年の時点において木場町(電停前) - 緑町三丁目 - 観音裏 - 上根岸間のわずか1路線を有していた会社である。その後、都営となった当初も大きな変化はなく、33系統として木場三丁目 - 日暮里駅間で運行していた。1953年には、新橋 - 木場三丁目が開設され、業10系統の基礎となる区間がこの時点で全線で開通したこととなる。1963年に33系統は、33系統:新橋 - 業平橋駅と12系統晴海埠頭 - 日暮里駅に分割されることとなった。その後、一部区間での経路変更や、区間便の廃止新設などが行われるものの目立った動きは多くなかった。
1988年に、廃止になった東18系統の代替的路線として業10乙系統:新橋 - 月島駅の運転を開始した。有楽町線全通後は早朝のみの運行かつ、路線案内にも記述されない路線となり、2003年に廃止された。1999年には、業平橋駅から深川車庫への出入庫路線を毎日1往復東京ビッグサイトに延長することとなった。ダイヤは、催事に合わせた形になっているものの、一般客への認知度は低い状態である。2007年には、深川車庫どまりに戻されることとなった。
[編集] 木11系統
- 木11甲:木場駅 - 東陽町駅 - 新東京郵便局 - 夢の島 - {新木場駅→東京へリポート→南千石橋→新木場駅}(新木場循環、本数少)
- 木11甲:東陽町駅 - 新東京郵便局 - 夢の島 - {新木場駅→東京へリポート→南千石橋→新木場駅}(新木場循環)
- 木11甲:東陽町駅 - 新東京郵便局 - 夢の島 - 新木場駅
- 木11甲:新木場駅→東京へリポート→南千石橋→新木場駅(新木場循環)
- 木11折返:東陽町駅 - 新東京郵便局 - 夢の島 - 新木場駅(←南千石橋、東京へリポート→)若洲ゴルフリンクス - 若洲中央(休日は非経由) - 若洲キャンプ場
- 木11折返:新木場駅(←南千石橋、東京へリポート→)若洲ゴルフリンクス - 若洲中央(休日は非経由) - 若洲キャンプ場
- 木11乙:東陽町駅 - 新東京郵便局 - 潮見駅
- 1976年10月10日:木場三丁目→新木場埠頭→木場三丁目が開業する。
- 1988年6月8日:東陽七丁目 - 木場三丁目を延伸する。
- 1990年3月10日:木11乙 東陽町駅 - 潮見駅を開業する。
- 1991年7月6日:東陽町駅 - 若洲キャンプ場を開業する。
- 2004年4月1日:東陽七丁目 - 木場駅を廃止する。
木11は、東陽町駅から工場などの多い新木場埠頭を結ぶ路線である。開業当初は、新木場にはまだ木場から木材工場が移転してきたのみであり、利用客はほとんどいない状態のため、大赤字が続いていた。しかし、新木場埠頭周辺は、京葉線や有楽町線がまだ通っておらず、交通アクセスが非常に悪かったため、港湾局から補助金を受けることにで路線を存続していた。その後、新木場埠頭への工場などの集積などもあり、徐々に利用客は増えていった。また、夢の島や若洲などの公園整備などによりこれらへ向かう人々の利用も発生した。その後、京葉線などの開通があったものの、京葉線東京駅の悪条件から、新木場方面へは東西線と木11を利用したルートも利用客は多い。
ダイヤとしては、本線は終車間際はヘリポート方面の循環をしない東陽町駅 - 新木場駅間の運行があり、明治通り沿線の通勤路線に特化した運行形態を採っている。また、乙系統は朝夕のみの運行となっている。また、この路線の東千石橋付近に有楽町線の新木場検車区があり、イベントが同区で行われるとこの路線がアクセス路線となるため、新木場循環の部分のみを運行する臨時便が運行されることが多く、普段の休日は閑散としている循環部分が超満員となる。
路線は、基本的には東陽町駅発がメインであり、東陽七丁目発着は末期は数えるほどでしかなかった。その東陽七丁目発着も豊住操車場が閉鎖となったため、木場駅までの運転に短縮されている。
[編集] 東12系統
- 東12:東京駅八重洲口 - 新川(→住友ツインビル) - 月島駅 - 晴海三丁目 - 晴海埠頭
- 2001年8月1日:東12系統を新設する。
中央区の要請により開通した路線である。晴海ふ頭の東京国際見本市会場跡地に建設されたほっとプラザはるみ等へのアクセスとしての設定である。この路線の開通後に、中央区からCNGノンステップバス(H代)が無償譲渡され、都営バスの路線で最初にバリアフリー車率100%を達成した。この車両自体は他の同型車と同じいすゞ・エルガ(タイプB)であり、中央区のマークが控えめに貼られている以外は一般車と変わりはない(但し、細部の仕様が変化している)。そのため深川所轄の他路線(江東区など、他区の路線を含む)で使用される機会も多く、逆に東12に中央区譲渡車以外のノンステップバスが使用されることも有る(交通局と中央区の協定では、ノンステップバスであれば譲渡車以外の車両で運行されても構わないことになっている。)。
なお、この路線の新設の結果、経路がほぼ重複する東16系統の住友ツインビル発着便が事実上一部本路線に振り替え延長される形となり、東京駅八重洲口 - 月島駅間の利便性が向上した。
[編集] 錦13系統
- 錦13甲:錦糸町駅(←江東橋、住吉駅→)石島 - 東陽三丁目 - 塩浜二丁目 - 枝川 - 豊洲駅 - 晴海埠頭
- 錦13乙:錦糸町駅(←江東橋、住吉駅→)石島 - 東陽三丁目 - 塩浜二丁目 - 辰巳駅 - 東雲駅 - 深川車庫
- 錦13出入:晴海埠頭→晴海三丁目→豊洲駅→東雲都橋→深川車庫
- 1959年7月01日:錦糸町駅 - 晴海埠頭線が開業する。
- 年月日:晴海埠頭・深川車庫行きの経路を江東橋三丁目・一丁目経由から住吉駅経由に変更する。
- 2005年3月28日:深川単独から深川、江東の共管に変わる。
江東営業所と共管の系統である。
本系統は、錦糸町駅から大横川脇の大門通りを直進し、東京湾岸の辰巳、東雲、豊洲、晴海地区を結ぶ路線である。なお、錦糸町駅行と晴海埠頭・深川車庫方面行では錦糸町駅 - 住吉一丁目、中央自動車学校裏 - 東陽一丁目間で一部別経路を通っている。
晴海埠頭 - 深川車庫の出入庫は、入庫は錦13出入を名乗るが、出庫は都05出入を名乗る。
[編集] 東15系統
- 東15甲:東京駅八重洲口 - 新川 - 聖路加病院 - 勝どき駅 - 豊洲駅 - 東雲都橋 - 深川車庫
- 東15乙:東京駅八重洲口←新川←聖路加病院←勝どき駅←豊洲駅←辰巳駅←東雲駅←深川車庫
- 1988年3月22日:東15乙系統東京駅八重洲口 - 住友ツインビルを開業する。
- 1988年12月1日:豊洲駅←深川車庫間で辰巳駅を経由する便を新設し、東15丙系統とする。
- 1993年9月7日:東15乙系統を東京駅八重洲口 - 住友ツインビル - 豊洲駅 - 深川車庫に延長する。
- 1996年8月30日:東16系統が開業し、東15乙系統を東16系統に編入する。その際、東15丙系統を東15乙系統に改番する。
一時期は、さまざまな派生系統を誇ったものの、東16系統の分離や鉄道の新線開業などに伴い、さびしい姿となっている路線である。 朝のみ、東15乙が<辰巳廻り>として運行される。こちらは、側面方向幕では辰巳駅の部分が水色になっている。
[編集] 東16系統
- 東16:東京駅八重洲口 - 新川 (→住友ツインビル) - 月島駅 - 豊洲駅 - 有明テニスの森 - 東京ビッグサイト
- 東16:東京駅八重洲口 - 新川 (→住友ツインビル) - 月島駅 - 豊洲駅 - (直通表示) - 深川車庫
- 東16:東京駅八重洲口 - 新川 (→住友ツインビル) - 月島駅 - 豊洲駅
- 東16:東京駅八重洲口 - 新川 - 住友ツインビル
- 1996年8月30日:旧・東15乙系統を延長する形で、東16系統東京駅八重洲口 - 新川(→住友ツインビル) - 月島駅 - 豊洲駅 - 東京ビッグサイトが開業する。
- 1999年11月21日:東京ダイヤビル前停留所を休止する〔実質廃止される〕。
- 2000年4月1日:東京ビッグサイト - 東京テレポート駅間を延長する。
- 2001年8月1日:住友ツインビル行を除き、東京ダイヤビル前の道路を経由しないこととなる。
- 2003年3月17日:東京ビッグサイト - ジャパン・エア・ガシズ間の経路を変更し、東京テレポート駅 - 東京ビッグサイト - 有明テニスの森 - ジャパン・エア・ガシズ経由となり、東京ビッグサイト - 豊洲駅間では海01系統東京ビッグサイト発着と同じ経路になる。
- 2007年3月26日:東京ビッグサイト - 東京テレポート駅間を短縮する。
当初は東15乙として東京駅八重洲口 - 住友ツインビル間のみの運行であった。その後八重洲通りの延長上に隅田川を渡る中央大橋が開通したため豊洲駅経由で深川車庫まで延長、東京駅から月島・豊洲地区へのショートカット路線となった。その後、臨海副都心開発の進捗により深川車庫より先を東京ビッグサイトまで延長し、これを機に系統番号を東16系統に改め、後に東京テレポート駅まで延長され、東京駅と有明・お台場地区を直結する路線として発展した。
また、2003年には東京テレポート駅発着便の経路を従来の深川車庫経由から有明テニスの森・東京ビッグサイト経由に変更、東京ビッグサイトに立ち寄る形となり、東京テレポート駅発着便の多くが東京ビッグサイト折り返しに振り替えられ、2007年には東京ビッグサイト - 東京テレポート駅間を短縮している。
本系統の東京駅八重洲口 - 月島駅間は需要が高いため、同経路の東12系統と合わせて運行頻度が高くなっている。また、主要路線の一つに位置づけられていることから、CNGノンステップバス(1999年 - )、燃料電池バス(2003年 - 2004年)など最新鋭の車両がよく投入される。
[編集] 門19系統
- 門19甲-2:門前仲町 - 豊洲一丁目 - 豊洲駅 - 辰巳駅 - 東雲駅 - 癌研有明病院 - 国際展示場駅
- 門19甲:門前仲町 - 豊洲一丁目 - 豊洲駅 - 辰巳駅 - 東雲駅 - 深川車庫
- 門19乙:門前仲町 - 塩浜一丁目 - 豊洲駅 - 辰巳駅 - 東雲駅 - 深川車庫
- 1946年5月20日:19系統 東雲 - 豊洲埠頭 - 門前仲町 - 東京駅南口が開業する。
- 1976年10月10日:東19系統を短縮し、有明橋 - 門前仲町の門19甲系統に変更する。あわせて、豊洲鉄鋼埠頭 - 門前仲町を門19乙系統、深川車庫 - 門前仲町を門19丙系統、海上公園 - 門前仲町を門19丁系統に変更する。
- 1982年12月26日:門19乙系統豊洲鉄鋼埠頭発着を廃止する。門19丁系統を海01系統に統合する。門19丙系統を門19乙系統にする。
- 1995年4月29日:門19甲系統を海01系統に統合し、門19乙系統を門19本系統に変更する。
- 2000年12月12日:越中島 - 豊洲駅間において、枝川経由を門19乙系統とし、豊洲一丁目経由を本系統に変更する。
- 2005年3月1日:癌研有明病院開業に伴い、国際展示場駅 - 深川車庫間を延長する。
元をたどると、東京駅から豊洲・東雲地区への足として門前仲町を経由して運行されていた。その後も、膨張を続け、海上公園や豊洲鉄鋼埠頭、有明橋(有明終点)までのさまざまな路線がこの番号を名乗った。しかし、路線再編に伴い、門前仲町駅始発となり、また、一部の路線が海01への統合などが行われ、結局深川車庫行きのみがこの系統番号を名乗る系統として残った。その後、2000年12月12日に海01系統と重複していること、東京駅 - 潮見駅を結んでいた東17(急行)が廃止された代替として豊洲一丁目経由に変更された。そして、2005年の春には、癌研有明病院への足として昼間の時間帯のみ国際展示場駅発着となった。現在では、従来の塩浜一丁目・枝川経由の経路で運行されるものは海01運行時間外の始発・終発の数本に限られ(誤乗防止のため方向幕には主要経由地である「塩浜一丁目」が赤字で強調されている)、門19の車内放送でも運行時間についての注意放送を流している。なお、2006年3月より全便がノンステップバス(主に日野レインボーHRを使用するが、大型車のいすゞエルガや日野ブルーリボンIIが運用に入る場合もある)に統一された。
[編集] 江東区コミュニティバス「しおかぜ」
- 江東01:潮見駅→港湾住宅→辰巳駅→辰巳中央→潮見駅→枝川二丁目→木場二丁目→塩崎荘前→枝川二丁目→潮見駅
- 2003年10月20日:江東区コミュニティバス試験運行を開始する。運行は、都営バス江東営業所が担当する。
- 2004年1月19日:試験運行を終了する。
- 2005年11月1日:専用車両を投入の上、本格運行を開始する。
2003年冬に、都営バス江東営業所の車両を使い、辰巳、潮見、枝川地区の既存交通では不便な地域での公共交通確保の為に、江東区が試験運行を開始したのが始まりである。運賃は100円で、バス共通カードやシルバーパス、一日乗車券の利用はできなかった。当初予定通り、3ヶ月で運行が終わり、期間中のアンケートや議会での議論などで、今後の運行のあり方の検討を行った。そして、2005年11月に本格運行に移行し、担当を都営バス深川営業所にするとともに、車両も専用の日野・リエッセの投入を行った。専用車は一台だけの為、故障・点検時はLED表示器を装備するノンステップ車が代走する。
当バスの愛称およびデザインは、江東区報などを通じて、2005年7月21日から8月5日までの期間で公募され、その結果現在のデザインと「しおかぜ」という愛称に決まった。
なお、系統番号が与えられており、幕などには掲示が無いものの交通局からのリリースなどでは「江東01系統」と称されている。
[編集] 撤退系統
廃止されたものを中心に記す。なお、他の営業所に移管されたものは、原則として系統番号のみを記す。
[編集] 亀21系統
- 江東営業所に移管
[編集] 海02系統
- 海02:国際展示場駅 - フェリー埠頭入口 - 東京港フェリーターミナル
- 1985年7月:東陽町駅 - 夢の島 - 辰巳橋 - フェリー埠頭南ターミナル(のちに東京港フェリーターミナル)開設する。
- 1988年12月1日:京葉線開業に伴い東陽町駅 - 新木場駅間を短縮する。
- 1996年3月30日:りんかい線開業に伴い国際展示場駅経由に変更する。
- 2001年8月1日:新木場駅 - 国際展示場駅間を短縮する。
- 2003年3月31日:海02系統を廃止する。
有明埠頭からのオーシャン東九フェリー(東京 - 新門司航路)およびマルエーフェリー(東京 - 那覇航路)利用者および港湾勤務者のために開設された路線である。東京港フェリーターミナル利用客が少なかったことなどから利用客は多くなく、他系統の「フェリー埠頭入口」から代替できること等から廃止された。なお、当系統廃止後は、フェリー会社が国際展示場駅からフェリーの時刻に合わせた形で無料バスの運行を行い、足の確保を行っている。
[編集] 海03系統
- 海03:東京テレポート駅 - 環境局中防合同庁舎
- 1996年9月1日:海03系統東京テレポート駅 - 清掃局庁舎(後に「環境局中防合同庁舎」に改称)を新設する。
- 2003年3月31日:海03系統を廃止する。
中央防波堤にある清掃局への交通手段として開設された路線である。中央防波堤自体は清掃局を除けば何もなかったため、平日土曜祝日の朝夕に偏った運転となっていた。2003年に一旦廃止となり、代替として東京テレポート駅とタイム24を結ぶ送迎バスの一部を環境局経由に改めて対応した。2006年4月より波01系統を開設、海03とほぼ同一区間を結んで中央防波堤地区へ乗り入れる路線が復活した。
[編集] 深夜05系統
- 深夜05:東京駅南口→銀座四丁目→晴海三丁目→豊洲駅→辰巳駅→深川車庫
- 深夜05:東京駅南口→銀座四丁目→晴海三丁目→豊洲駅→東雲都橋→深川車庫
- 深夜05:東京駅南口 - 銀座四丁目 - 晴海三丁目 - 豊洲駅
- 1989年6月19日:深夜05系統の運転を開始する。
- 2003年4月1日:深夜05系統を廃止する(最終運行日は3月31日)。
[編集] 東17系統
- 東17:東京駅八重洲口 - 新川二丁目 - 湊三丁目(←佃大橋) - 月島駅 - 越中島 - 豊洲一丁目 - 豊洲駅 - 枝川 - 潮見駅(急行運転)
- 1990年3月10日:枝川二丁目 - 潮見駅を延長する。
- 2000年12月12日:東17系統を廃止する。
東京駅付近で急行運転(主要停留所のみ停車)を行い、隅田川を佃大橋を渡る路線であった。東京駅 - 豊洲駅間を結ぶ路線としては晴海三丁目経由の東15系統に対して所要時間が短く、通勤対策の意味合いが強い路線であったが、1993年に主要区間が重複しながらより速達性が高い東16系統(開設当時は東15乙系統の延長便扱い)が新設されたことや、独自性の強い越中島駅、潮見駅付近の経路も大半が京葉線両駅の徒歩圏であるなどの理由から必要性が薄れたため、2000年12月の路線再編で廃止された。なお単独区間のうち、越中島 - 豊洲一丁目 - 豊洲駅間は、同時に行われた門19系統の経路変更(豊洲一丁目経由化)によって補完されている。
[編集] 銀座01系統
- 平日:東京駅八重洲口 - 鍛冶橋通り - 中央通り(銀座通り)往復 - 日本橋 - 日本銀行 - 東京駅八重洲口(循環)
- 休日:東京駅八重洲口→(晴海通り)→晴海埠頭→月島駅→(八重洲通り)→東京駅八重洲口
中央区の委託を受けて1992年3月から2000年3月まで運行されていた観光客向けの路線である。専用車両を用い「銀ブラバス」と名づけられていた。休日に中央通りで歩行者天国が実施される関係で平日と休日のルートが異なり、上記のようになっていた。
車両は日野のセンターアンダーフロアシャーシに東京特殊車体のオリジナルボディを架装したレトロ調バスを投入したが、廃止に伴い現在は岡山県玉野市に売却されている。
[編集] 車両
深川営業所では、かつてはいすゞ自動車の車両を指定して導入(車体は富士重工業製)していたが、車両工場を擁している関係か現在は4メーカー全てを保有している。車内放送装置はクラリオン製である。以前はいすゞBU05のシリーズ式ハイブリッド車をはじめ、銀座地区の観光路線:銀座01系統「銀ブラバス」も配置されていた。
2003年8月にトヨタ自動車および日野自動車による燃料電池自動車FCHV-BUS(S-L111)が試験導入され、東16系統・海01系統で活躍した。この車は愛知万博シャトルバスに改造されることとなったため、(2004年12月まで)J-BUS製のいすゞ・エルガに置き換わり除籍になった。
[編集] 脚注
- ^ 過去には、他の系統でも「新橋」停留所を経由していたものはあった。
カテゴリ: 関東地方のバス営業所 | 東京都交通局 | 東京都の交通