麻原彰晃
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麻原彰晃(あさはら しょうこう、1955年3月2日 - )とは、宗教団体オウム真理教(現:アーレフ)の元代表で教祖(1996年6月19日以降は、教団内部での地位は開祖。同団体は宗教団体アーレフに改組され、アーレフに於いての公式呼称は「旧団体代表」とされた)である。本名は松本智津夫(まつもと ちづお)。血液型はA型。別名,神聖法帝。
著書では「真理の御魂 最聖 麻原彰晃尊師」名義を用いていた。宗教団体オウム真理教の信者からは尊師、もしくは本来ヒンドゥー教の導師を指すグルと呼ばれ、崇拝の対象となっていた(宗教団体アーレフでは、尊師・グルの呼称の使用及び、写真・イラスト・その他その肖像を表わしたものを団体施設の祭壇及び個人所有の祭壇に備え付けを禁じた)。
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[編集] 経歴
麻原こと松本智津夫は、1955年3月2日熊本県八代郡金剛村(現・八代市)の畳職人の家庭に生まれた。
週刊文春2000年新年合併号によれば、「松本の祖父は熊本県出身の警官で、戦前に朝鮮半島に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、熊本に引き揚げた」との記事が掲載された。週刊現代1995年5月27日号「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」記事中で、「父親は、在日朝鮮人である」と栗本慎一郎が主張しているが、オウム真理教大辞典(東京キララ社)の『麻原彰晃』の項によれば「本人による『在日』発言があるという『噂』があったため、『在日説』が浮上したが、これはデマである」と栗本発言を否定している。また、高山文彦は『麻原彰晃の誕生』で、「松本家は朝鮮半島の出自ではなく、朝鮮から引き揚げてきた日本人」との、親族の言葉を紹介している。
視覚障害者(隻眼)であるために、6歳から20歳までを寄宿制の熊本県立盲学校で過ごし、鍼灸術を学ぶ。同校を卒業後、東京大学文科1類受験を目指し、1977年4月代々木ゼミナール渋谷校(現在は無い)に入学したが、受験に失敗する。
1976年7月、知人を殴打する。これにより傷害罪で罰金刑を受ける。1977年頃から仙道やヨガの修行を始める。 1978年、代々木ゼミナール渋谷校で知り合った妻、松本知子と結婚し、千葉県船橋市で鍼灸院「松本鍼灸院」を開業。のちに「亜細亜堂」と名前を改め診察室兼漢方薬局の経営に転じ、経営は順調だったが、1980年保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される。その後、新興宗教団体阿含宗に入信する。
1981年、健康薬品販売店「BMA薬局」を開局したものの、1982年に無許可の医薬品を製造販売したため薬事法違反で逮捕され、20万円の罰金刑を受ける。
1984年、東京都渋谷区にヨガ道場「オウムの会」を結成し、株式会社オウムを設立。松本は「麻原彰晃」と名乗り始める。 1986年、ヒマラヤで最終解脱と称す。同年、「オウムの会」を「オウム神仙の会」と改称。1987年、さらに「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改称する。空中浮遊などのショー的なアピールで徐々に信者を獲得していく。
1990年2月の衆議院議員選挙では、真理党代表として、東京4区から出馬したが落選。
1995年5月16日に山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)のオウム真理教の教団施設で地下鉄サリン事件・松本サリン事件など、オウム真理教が関係したとされる一連の事件の首謀者として逮捕された。
最終的には13事件で殺人罪など7つの罪に問われる。1996年4月24日に東京地方裁判所で初公判。弁護側は「事件は村井元幹部を中心とした、弟子たちの暴走によるもので、一切指示をしていない」と無罪を主張した。しかし2004年2月27日、東京地裁は「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」と認定し、死刑判決を言渡した。
2006年9月15日、最高裁判所は特別抗告を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定した。
[編集] 逮捕後の経過
1996年4月24日、1審の初公判(阿部文洋裁判長)。公判では突如英語を話したり、居眠りをしたりなどの異常な行動が目立ち、しばしば裁判長から注意や退廷命令を受ける。起訴案件の罪状認否に関しては留保した。日本テレビでは麻原被告から松本被告へと呼称を変更した。それを皮切りに、1ヶ月以内に他の民放全局、殆どの新聞社も麻原から松本と本名で報道されるようになった。
1997年4月、保留していた罪状認否について、起訴された17事件のうち16事件で無罪を主張(1事件は保留)。その後、検察側は長期裁判を避けるため薬物密造など4事件の起訴を取下げ、案件を13事件に絞り込む。
2003年4月、1審の論告求刑公判で死刑を求刑され、松本は「わが国の犯罪史上最も凶悪な犯罪者」と指弾された。同年10月31日、弁護側が「一連の事件は弟子たちの暴走であり被告は無罪」旨の最終弁論を行い結審。2004年2月27日、一連の事件に対して東京地方裁判所(小川正持裁判長)は求刑通り死刑の判決を言渡した。これに対し弁護側は東京高等裁判所に即日控訴した。
1審を担当した国選弁護団は終了後全員が辞任し、後を引き継いだ私選弁護団は1審判決後、松本が弁護団の問いかけに一切反応せず意思疎通が不可能であることや、弁護側が依頼した6人の精神科医が彼には裁判を受ける能力がないと意見していることなどを挙げ、裁判の停止を求め、控訴審の開始のために必要な控訴趣意書の提出を、2005年8月31日の期限を過ぎても拒み続けていた。
控訴審の開始手続きに関連して、裁判所側が依頼した医師による精神鑑定も行われたが、この鑑定で松本には裁判を受ける能力があるとされたことを受け、2006年3月27日に東京高等裁判所は、弁護側の控訴を棄却する決定をした。この控訴棄却の決定は、控訴審の審理が結審した後に下される控訴棄却の判決とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、刑事訴訟法の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。
弁護団はこの決定に対し、同年3月30日に東京高等裁判所へ異議申立てを行ったが棄却された。さらに同年9月15日、最高裁判所は特別抗告も棄却し、松本への死刑判決が確定した。また東京高裁は同年9月25日に控訴趣意書の提出遅延に関して、日弁連に対し「審理の進行を妨げた」として、刑事訴訟法に基づく処置請求を行い、担当した弁護士2人の処分を求めたが、日弁連側は2007年2月15日に処分を行わない決定を下した。なお東京高裁は弁護士会にひきつづき懲戒請求をする方針である。
[編集] 起訴された罪状
- 男性信者殺害事件
- 坂本堤弁護士一家殺害事件
- サリン量産プラント事件
- 薬剤師リンチ殺人事件
- 弁護士サリン襲撃事件
- 自動小銃密造事件
- 松本サリン事件
- 男性現役信者リンチ殺人事件
- VX殺人未遂事件
- VX殺人事件
- 被害者の会会長VX殺人未遂事件
- 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件
- 地下鉄サリン事件
(途中で取り下げた罪状は含まない)
[編集] 入学拒否問題
彼の三女は和光大学の入試に合格し、一度は入学を許可されたにもかかわらず、2004年3月12日に大学から入学を拒否された。三女らは和光大学を提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に損害賠償を命じた。
その後、同じく入試に合格していた文教大学からも入学を拒否されたが、学生としての地位保全を求める仮処分を申請。東京地裁がこれを認め、入学拒否は違法であるとの判断が再びなされたため、入学することとなった。
さらに2006年2月7日、今度は次男が春日部共栄中学校に合格したものの、松本被告の息子だという理由で入学を拒否された。次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校に損害賠償を求める訴えをおこした。
[編集] 書籍
1990年代前半に多くの著書を出し、ベストセラーになった。中でも『キリスト宣言』は1991年11月の全国月間ベストセラーランキングで3位を記録した。『麻原彰晃の世界パート13・これが尊師!』は1992年2月の全国月間ベストセラーランキングで4位を記録し、以後5月までベストセラーのトップテンにランクインし続けた。(ランキングは日経産業新聞に掲載されていたトーハン・日販調べによるもの)
[編集] エピソード
- 空中浮遊で40cm飛んだことがあると自称している。3秒間の滞空時間があったともされるが、自由落下する限りは11m跳ね上がる必要がある。
- 秋吉久美子のファンだった。
- 子供のころ、『8マン』をよく見ていたという。
- ハルマゲドン思想は「幻魔大戦」「宇宙戦艦ヤマト」などの影響がある。
- 好きな球団は読売ジャイアンツという説があるが、真相は不明である。
- 若いころ極真会館に入門したが、すぐ辞めてしまった。
- 代々木ゼミナールにいた頃、「麻原彰晃を称える会」があった。
- 『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』内のコーナー『麻原彰晃の青春人生相談』で、女性視聴者の「尊師は髪を洗う時にリンスは使っているんですか?」という質問に対しての「髪を洗う時にリンスを使うかですか? 髪を洗う時にリンスは使っていません。シャンプーはベビーシャンプーを使っています。」と返答した。
- 衆院選出馬していた時、女性記者から「もしも、麻原さんが総理大臣になった場合日本の国民の全員がオウム真理教に入信しなければならないのか」尋ねられたとき本人は苦笑いをしていた。
- 逮捕前、食事はメロンとパーコー麺、ステーキを好んで食べていたという。しかし、本人は「私が好きなのはバナナなのに」と主任弁護人に伝えていた。
- 強制捜査で、麻原は札束を抱えて、第6サティアンの1階への階段途中の、壁の中に隠れていた。また逮捕された際は失禁していたと伝えられている。
- 「思ったことを自由に言ってみろ」と言ったにも関わらず、信者がありのままに言うと「馬鹿野郎。そんなことは聞いていない」と言った。
- 「裁判中に英語を話した」という記事がある。英文法的には間違いが目立っていたが、単語は難易度の高いものを使っていた。さらに基本的な単語をど忘れした時、弁護人が教える場面も見られた。
- 麻原は前世がエジプトの王であったということからエジプトツアーを行ったことがあた。
- 麻原は前世、宮沢りえと夫婦だったと言っていた。宮沢りえのヘアヌード写真集を信徒に購入させたのは前世からの因縁によるものらしい。
- 1審の初公判で裁判長が「(本名は)松本智津夫ではないのですか」と尋ねられたとき「その名前は捨てました。(今の名前は)麻原彰晃です」と言った。
- 拘置所の運動場では、「甲子園の優勝投手だ。大リーグボール3号だ」と発言した。
- 拘置所そばの建物から超望遠カメラにより、車椅子に乗った麻原が確認されている(現在その場所は存在しない)。
- 1審で死刑判決を受けたとき「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだ。
- 精神鑑定で「正常」と判断された根拠の1つには、腕をひねって「痛い」と言った事が挙げられる。
- 現在、オムツを使用していると報じられている。
- 死刑場に連れてけと発言しているが無罪を主張しており心境はよくわからない。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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主な事件 : | 坂本堤弁護士一家殺害事件 | 松本サリン事件 | 目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件 | 地下鉄サリン事件 | シガチョフ事件 | TBSビデオ問題 |
関連項目 | |
団体 : | オウム真理教 | アーレフ | 真理党 | ケロヨンクラブ | 上祐派 |
施設 : | サティアン | マハーポーシャ | うまかろう安かろう亭 |
その他 : | 尊師マーチ | オウム真理教放送 | 教団の音楽 | 教団のアニメ | アンダーグラウンド |