姫路駅
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姫路駅(ひめじえき)は、兵庫県姫路市駅前町188番にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅。アーバンネットワークエリアに属している。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
新幹線は、「ひかりレールスター」のうち速達型を除いた「ひかり」以下の全列車が停車し、「のぞみ」は岡山発着の全列車と広島発着のうち1日5往復が停車する。また早朝に当駅始発の東京行き「のぞみ」も設定されている(深夜には当駅までの「のぞみ」「ひかり」が存在する)。270km/h超の速度を出せるのは当駅以西である。
在来線においても運行上の重要な拠点となっている。JR神戸線の新快速・普通列車(明石より快速列車)は、日中は約半数が当駅より発着する。また、山陽本線の普通列車は、京都・大阪・神戸方面から直通する網干・播州赤穂・上郡行きのものと当駅始発の岡山・三原方面行きのものが混在する。また、当駅始発の播州赤穂・上郡方面行きも若干存在する。特急列車も通過が深夜になる寝台特急「富士・はやぶさ」以外は全て停車する。
播但線と姫新線の起点でもあり、それぞれ寺前駅、佐用駅(一部上月駅)まで運転されている。かつては播但線飾磨港方面ゆき(飾磨港線)が旧7番線西端を切り欠いた西7番線から発着していたが、既に廃止されている。
なお、上郡・播州赤穂以西への普通列車は基本的には岡山電車区所属車のみが運用されるが多客期を中心にごく稀ではあるが網干総合車両所所属車も運行されることがある。冬季の扉半自動扱いも岡山車のみが行っている(気温が極端に低い日は網干総合車両所所属車も半自動扱いを行う事がある)。
なお、Jスルーカード・ICOCA及びSuica(東日本旅客鉄道)・PiTaPa(スルッとKANSAI協議会)が利用できるのは、JR神戸線神戸方面と、西は山陽本線の相生までの各駅及び赤穂線相生~播州赤穂間のみ。山陽新幹線、播但線、姫新線、山陽本線有年以西、赤穂線天和以西では使用できない。
[編集] 駅構造
[編集] ホーム
1989年より、姫路駅とその前後区間において在来線の連続立体交差化工事が行われている。
2006年3月26日にJR神戸線、山陽本線部が5・6番線、7・8番線と貨物列車用の下り通過線(8番線の南隣に存在)の島式2面4線+1線として高架化された。今後2008年に播但線・姫新線も高架化され、最終的に3面7線(通過線1線含む)となって2010年に全体完成の予定。
新ホームには、1面に1ヶ所ずつ計2ヶ所の待合室が設けられた。内部の座席は全て南向きで、冷暖房完備。但し、他駅の物と異なり、車椅子スペースの折りたたみ座席は設けられず、空きスペースとされている。 尚、スピーカーの音質は設置当初からかなり悪い。山陽本線部は青春18きっぷシーズン中には、岡山方面への乗り継ぎを行う旅行者で混雑する。
現在地平部には、播但線、姫新線用の4面5線が残る。0番線~1番線は姫新線の頭端式ホームになっている。31~33番線は播但線用の頭端式ホームとなっている。これらは中央改札口を挟んで全てが地続きになっているのが特徴。これらは駅ビルと直結している。
姫新線用のホームは、高架工事前は、1番線が中央改札口に面した単式ホーム、0番線が1番線西方の切欠きホームであったが、工事の進展に伴い、2006年9月24日から南北改札を平面で結ぶ通路によって1番線は分断されるため、2006年9月10日から1番線は0番線向かい側の仮ホームに移転している。JR神戸線、山陽本線は、高架化以前は地上に2~7番線として存在していた。但し、ホームは島式2面4線(3・4番線及び6・7番線)のみで、2、5番線はホームを持たない通過線となっていた。また、西7番線(かつて旧飾磨港線が使用)跡も立ち入り禁止とされたのみでそのまま残存していた。
旧1番線の東端にはカレーの、31~33番線の西端、5・6番線、7・8番線のそれぞれ中程にはそばの飲食店が設けられている。かつては旧3・4番線、旧6・7番線の中程でもそば屋が営業していたが、新ホーム移行に伴い営業終了・撤去された。そば屋については後のえきそばの部分も参照。
11~13番線(山陽新幹線)は島式・相対式2面3線の高架ホームで、11番線と12番線の間に2線の通過線がある。
連続立体交差化の基本構想は1973年に姫路市から発表されたが、当時は貨物ヤードなどを併設していたうえ、山陽電鉄線の高架橋と干渉するため、工事は難航し、着工から長い年月を費やすこととなった。1994年に貨物駅は別所に姫路貨物駅として、また姫路鉄道部は余部駅近傍に移転した事から工事が本格着工し、山陽電鉄線も飾磨港線の路線跡を利用しての高架切り下げが行われた。
在来線地上ホーム | ||
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0・1 | ■姫新線 | 本竜野・播磨新宮・佐用方面 |
31~33 | ■播但線 | 福崎・寺前方面 |
■特急「はまかぜ」 | 城崎温泉方面/大阪方面(31番線) | |
在来線高架ホーム | ||
5・6 | ■JR神戸線 | 明石・三ノ宮・大阪・京都方面 |
■特急「スーパーはくと」(上り) | 大阪・京都方面 | |
■寝台特急「なは」「あかつき」(上り) | 大阪・京都方面 | |
■寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」(上り) | 東京方面 | |
7・8 | ■山陽本線(一部赤穂線に乗り入れ) | 播州赤穂・相生・上郡・和気・岡山・三原方面 |
■特急「スーパーはくと」(下り) | 鳥取・倉吉方面 | |
■寝台特急「なは」「あかつき」(下り) | 熊本・長崎方面 | |
■寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」(下り) | 高松・出雲市方面 | |
新幹線ホーム | ||
11 | ■山陽新幹線(上り) | 新大阪・名古屋・東京方面 (当駅始発の一部は13番線より発車) |
12・13 | ■山陽新幹線(下り) | 岡山・広島・博多方面 |
[編集] コンコース
高架ホームの真下に作られている関係で、今の所5~8番線の下にあたる南半分のみが完成している。北側出口は駅デパートに直結する地下改札、2階改札も含め、従来の改札を引き続き使用する事となり、新コンコースから旧1番線までの仮設通路が設けられている。
新しいコンコース内には他駅より大きめのデイリーインが造られ、通常の弁当や雑誌の他に姫路のお土産などが売られている。
[編集] 駅ビル
姫路駅ビルは1959年11月に全国23番目の民衆駅として竣工したものである。
[編集] 利用状況
2004年度の1日あたりの平均利用者数(乗車人員)は45,568人である。これはJR西日本の駅では第14位である。
年間乗車人数は次のとおり。
- 1999年度 17,627千人(10,077千人)
- 2000年度 17,357千人(9,946千人)
- 2001年度 17,017千人(9,707千人)
- 2002年度 16,664千人(9,563千人)
- 2003年度 16,677千人(9,545千人)
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- カッコ内は定期利用者の再掲 : 姫路市企画調整局情報化推進室・編「姫路市統計書」による
[編集] 駅周辺
駅の北側は城下町時代からの市街地で、南側は戦後発達した市街地である。東側では姫路操車場跡地の再開発が中途のままの状態となっている。
[編集] 交通
[編集] 観光
- 姫路城 - 駅北口より大手前通り(日本の道100選)の向こう側、真正面に望むことが出来る。駅より徒歩約20分。
- 兵庫県立歴史博物館 - 姫路城北側、神姫バス「博物館前」下車すぐ。
- 姫路市立美術館 - 姫路城東側、神姫バス「姫山公園国立病院美術館前」下車すぐ。
これらと姫路駅の間では神姫バスでは100円運賃区間を特に定めている他、土日祝日に「姫路城観光ループバス」を運行。
[編集] ショッピング
[編集] レジャー等
- 山陽座、姫路OS(映画館)
- ジャンボカラオケ広場
[編集] 歴史
姫路駅が山陽鉄道によって設置されたのは1888年暮れと、全国的に見ても初期の部類に入る。このころの駅は市街地を避けて設置されることが多かったが、姫路駅の場合市街地のすぐ南隣、外堀の南側の田畑の上に作られた。この当時姫路城内には陸軍歩兵第十連隊が設置されており、このことによる必要性もあって市街地に隣接して設置されたと思われる。これは姫路市街の発展に大きく寄与することとなった。なお翌年、姫路駅で日本で初めての本格的な駅弁が発売されたとされる。
1894年から播但鉄道(後に山陽鉄道に合併され、現在は播但線)が姫路駅に乗り入れるようになる。同線は陰陽連絡線であると同時に、生野銀山の銀を運ぶ役割もあった。姫新線の接続は遅れて1930年である。1958年に明石駅から姫路駅までが電化され、東京方面からの列車はここで電気機関車から蒸気機関車への付け替えをおこなっていた。その名残か、高架化前の姫路駅の跨線橋下には多数の洗面台があり旅人が顔を洗う光景が数多く見られていた。さらに1972年には山陽新幹線岡山開業に際して新幹線の駅が設けられ、東京方面と日帰りできるようになった。
一方で近距離輸送に目を転じると、1923年には競合路線である神戸姫路電気鉄道(現在の山陽電気鉄道)が開業、以後長らく神戸までの輸送は山陽電鉄・遠距離は国鉄(当時は鉄道省)という棲み分けがなされていた。国鉄末期において国鉄側は117系による新快速を投入して本格的に神姫間のシェア拡大を図るようになり、次いでJR西日本の手で登場した221系で一気にその流れを加速する。
1995年の阪神・淡路大震災は姫路駅にも重大な影響をもたらした。駅に地震の直接的影響があったわけではないが、震災によって断絶し姫路止まりとなった山陽新幹線や神戸市内で断絶したJR神戸線を迂回するためのルートとして播但線が用いられ、姫路駅は同線あるいはJR神戸線の開通区間に乗り換える博多方面との間の乗客で大変に混雑した。
とはいえ、姫路市とその周辺地域はモータリゼーションの進展が激しく、姫路駅の乗客数は昭和40年代頃をピークに一度大きく減少している。昭和50年代半ばに底を打ち、以降は上記のような積極攻勢もあってピーク時の水準以上にまで戻している。しかし山陽姫路駅側はピーク時の半分以下と大きく落ち込んでしまった。また、みゆき通りを始めとする姫路駅前の商店街は郊外型店舗に客を奪われ苦しい状況である。
かつては当駅にも貨物設備が存在していた。北上する播但線の東側に、コンテナホームや有蓋車用車扱ホームがあり、鉄道貨物輸送の拠点となっていたが、設備の老朽化や市街地に位置することにより設備が小規模であることから、郊外に新設した姫路貨物駅へ機能を譲渡し廃止された。また付属設備として姫路操車場を擁していた。
[編集] 年表
- 1888年(明治21年)12月23日 - 山陽鉄道 明石駅~当駅間開通と同時に開業。旅客及び貨物の取扱を開始。
- 1989年(明治22年)11月1日 - 山陽鉄道 当駅~竜野駅間が開通。
- 1894年(明治27年)7月26日 - 播但鉄道 当駅~寺前駅間が開通。
- 1895年(明治28年)4月17日 - 播但鉄道 当駅~飾磨駅(後の飾磨港駅)間開通。
- 1903年(明治36年)6月1日 - 播但鉄道が山陽鉄道に路線を譲渡、山陽鉄道のみの駅となる。
- 1906年(明治39年)12月1日 山陽鉄道の国有化により国鉄の駅となる。
- 1930年(昭和5年)9月1日 - 姫津線(現在の姫新線)当駅~余部駅間が開通。
- 1945年(昭和20年)7月3日 - 姫路大空襲により初代駅舎焼失。
- 1946年(昭和21年)10月 - 二代目駅舎竣工。
- 1957年(昭和32年)3月27日 - 山陽本線の貨物支線、当駅~姫路市場駅間が開通。
- 1959年(昭和34年)11月 - 三代目駅舎、全国23番目の民衆駅として竣工。
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 山陽新幹線新大阪駅~岡山駅間開通により、新幹線の停車駅となる。
- 1979年(昭和54年)11月1日 - 当駅~姫路市場駅間が廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 播但線 当駅~飾磨港駅間が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR西日本・JR貨物の駅となる。
- 1994年(平成6年)3月21日 - JR貨物の駅が廃止。新設の姫路貨物駅に業務を移管。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災により山陽新幹線新大阪駅~当駅間不通。
- 4月8日 - 山陽新幹線の不通区間が運行再開。
- 2003年(平成15年)10月1日 - のぞみ停車開始。
- 2005年(平成17年)2月22日 - 山陽新幹線に自動改札機導入。
- 2006年(平成18年)3月26日 - 山陽本線部高架切り替え。
[編集] 駅弁・駅そば
[編集] 駅弁
先述のように、日本で初めて折り詰め幕の内弁当を発売したことで知られている。これを販売した「まねき」は、今日では地元食品メーカー「まねき食品」として多種の駅弁を販売している老舗である。昭和40年代頃まで駅弁の立ち売りがおこなわれていた。イベントなどで立ち売りが復活することがある。
- 鮭のおべんとう
- おかめ弁当
- あなごめし
- 味づくし
- 播磨の春夏秋冬(季節ごとの食材による弁当)
- あなご寿司
- 一国一城(姫路城を模した陶器製容器に入っている弁当)
- 元祖幕の内弁当(日本初の折り詰め駅弁の復刻版。まれにイベントで発売される)
[編集] えきそば
この駅の名物として名高いのが「駅の立ち食いそば」である。姫路出身の歌手松浦亜弥が自ら出演する『松浦亜弥のオールナイトニッポン』の中で姫路名物として取り上げたほどである。また、『saku saku』のコナー「駅そばキング」でも紹介されている。
まねき食品が営業する立ち食いそば・うどん店で売られている「えきそば」は、つゆはうどん等と同じながら、かん水を使用した中華そばに近い麺を使っている。このようなえきそばはあまり例がなく、旅行者の間では「姫路のそば」といわれて親しまれている。1949年10月19日より販売されているものである。種類は天ぷらときつねがあり、少し高いがエビ天とイカ天が1本ずつのった上天ぷら駅そばもある。
かん水を使ったのは、戦後すぐの冷蔵庫の無い時代に開発された際に、麺の保存性を高めるために用いられたからである。これ以前は当時統制品であった小麦粉の代わりにそば粉とこんにゃく粉でうどんのようなものを作っていたが、長持ちしないことから試行錯誤の末、かん水を用いた独特の麺へと至った。
汁は関西では珍しく濃い目の色であり周辺の駅とは異彩を放つ。しかし味付けは淡口のしょうゆ味であり、関東風ほど口の中に味が長く残ることはない。なお普通の日本そばも「和そば」の名で供されている。
通常関西ではそばよりうどんの方がよく売れる傾向があり、姫路駅でも一応うどんも販売されているものの、完全にえきそばが優勢であり、売店にも「うどんの方はお時間を頂く場合もございます」との張り紙がされている(うどんは茹でるのに時間がかかるため)。
販売開始当時は立ち売りで、丼鉢は出雲今市(現・出雲市)より仕入れ、店の従業員が列車で出雲まで直接買い付けに行き、列車で丼を運んで姫路に到着後すぐにそばを販売していたと言われている。後にホーム上の売店での販売へと移り変わり、2006年山陽本線の連続立体交差化工事一部完成後も、山陽本線上下新ホームにて新しい売店で営業中である。播但線ホームの付け根でも営業しているほか、駅外の数箇所にもこのそばを売る店がある。容器は薄いプラスチック製であり国鉄時代は車内持込ができたが、現在は車内美化維持のため持込ができなくなったことから、持込ができない旨の張り紙がされている。
同様の中華麺と和風つゆとを組み合わせた立ち食いそばとしては、新潟県の直江津駅、燕三条駅の「和風中華」がある。こちらの麺つゆは濃い口である。これらはあくまで駅構内だけの名物であるが、姫路の「えきそば」は他業者の製品が地元スーパーでも販売されているなど完全に地元に根付いた存在である。
加古川駅でも食べることができるが、改札の外にある。
[編集] その他
第4回近畿の駅百選選定駅である。
「~姫」などの用例にちなみ、多くの人は「ひめじ」のように「ひ」のみを高い音で読むアクセントを使うが、実際の地元でのアクセントは「ひめじ」のようにすべての音を高く読み、また「ひめじ」と後ろ側を若干高く読む場合もある。姫路出身者は「ひめじ」の発音を好まない。近畿圏内の列車案内や車内アナウンスでは地元のアクセントを用いているところが多い(駅構内の列車案内の英語版では「ひめじ」と読む場合がある)。
[編集] 隣の駅
※特急列車については各列車記事を参照のこと。
- 西日本旅客鉄道
- ■山陽新幹線
- ■JR神戸線・山陽本線
- 播但線
- 普通
- 姫路駅 - 京口駅
- 普通
- ■姫新線
[編集] かつて存在した路線
- 日本国有鉄道
- 播但線(事実上の支線)
- 亀山駅 - 姫路駅