カレーライス
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カレーライスはカレーソースを飯にかけた日本で日常的に食べられている料理。
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[編集] 日本のカレーライス
カレーライスは日本にはヨーロッパを経由して紹介された。最も有力なのはインドを植民地にしていたイギリス人が日本に持ち込んだ説である。そのためインド風のカレーによる味付けをされながらも、日本では洋食として扱われてきた歴史がある。日本で最初に紹介されたカレーの作り方(『西洋料理指南』という本にレシピが記載されている)には長ネギやカエル肉(勿論食用ガエル)が使われていた。現在一般的なカレーはヨーロッパ経由で入ってきた物とインドから直接伝わった物が合わさって日本で独自に発展した物であり、材料は野菜のほか牛肉、豚肉、鶏肉などがよく使われる。
関西と関東の食肉文化の違いから一般的にカレーといえば関西では牛肉を使用したビーフカレーが、関東では豚肉を使用したポークカレーが定番とされている[1]。
[編集] カレーソース
カレーソースはジャガイモ、玉葱、人参などの具を煮込んだものにカレー粉を入れ、小麦粉を加えてとろみを出したものである。日本のカレーソースにジャガイモを入れたのは滞日中だったウイリアム・スミス・クラークといわれ、米不足を補う目的であった。クラークとカレーについての逸話は後述する。
カレーソースを手軽に作るため、日本では市販の即席カレールーが使われている。製品としての粉末の即席カレールーはハウス食品が1926年に(商品名・「ホームカレー粉」)、固形の即席カレールーは、エスビー食品が1954年にそれぞれ日本で最初に製造した。2004年度のカレールー(家庭用即席カレー)国内出荷額は676億円とされ、各社のシェアはハウス食品約61%、エスビー食品約28%、江崎グリコ約10%と推計される(日本経済新聞社)寡占市場である。
また、完成済みのカレーソースをレトルトパウチで包んだレトルト食品もあり、一般にはレトルトカレーと言われる。1968年には大塚食品工業(現・大塚食品)が世界初の大衆向けレトルト食品として「ボンカレー」を発売している。2005年現在でも多くのレトルト食品のなかで販売高の3割以上を占める人気商品となっている。
[編集] 軍隊とカレーライス
カレーライスが全国に広まることとなった経緯として「戦前、普段米を食べることが少ない農家出身の兵士たちに白米を食べさせることになった海軍だったが、当初カレーには英国式にパンを供していた。しかし、これは概して不評だったため白米にカレーを乗せたところ好評となり、調理が手早く出来て肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを兵員食に採用した。その後、除隊した兵士がこのカレーライスを広めたため、全国に知られることになった」という説がある。
他方、陸軍が普及に貢献したとする説もあり、
- 海軍では炊事も専門の者が行うため、カレーの作り方を覚えた水兵はごく一部であったと推測されるのに対し、陸軍ではほぼ全員が炊事を経験した。
- 海軍は徴兵ではなく志願制の時期もあった上、陸軍に比べると圧倒的に経験者が少ない。
- 陸軍が全国に駐屯していたのに対し、海軍が居たのは大湊、横須賀、舞鶴、呉、佐世保といった限られた地域だけであった。
- 当初はライスカレーの呼称が一般的であったが、陸軍のレシピにはライスカレーと記載されているのに対し、海軍のレシピではカレーライスと記載されている。
といった論拠が示されている。いずれにせよ、日本においては軍隊がカレーの普及に大きな役割を果たしたとみられる。
海軍では土曜の昼食はカレーライスという習慣があり、海上自衛隊にも引き継がれた。長期航海中に曜日の感覚を取り戻すための習慣だとも、休日を前にして食料庫の整理をするためだとも言われている。週休2日制となった現在では、実施する曜日を土曜日から金曜日に変えつつも、海上自衛隊は毎週金曜日にすべての部署でカレーを食べており、今なおその味を艦艇・部隊で競い合っている。また、陸軍でも標準調理マニュアルである「軍隊調理法」にも記載されるなど兵士の人気を博した。陸軍においては太平洋戦争勃発後は外来語の言い換えとして「辛味入汁掛飯」と呼ばれた。
現在、神奈川県横須賀市等、軍港を抱えていた街を中心に「海軍カレー」という名称で缶詰やレトルト食品が販売されているが、これらはカレーライス発祥当時の風味を再現したもので、現在海上自衛隊で食されているレシピとは異なったものである場合が多い。また、一部のコンビニエンスストアが、実験商品として陸上自衛隊のレシピを用いた「陸軍カレー」を売り出したこともあった。
[編集] 戦後以降のカレーライス
日本では軍隊がカレーライス普及の下地を作ったが、戦後に更に普及に拍車を掛けることとなったのは、戦後の復興期に煎った小麦粉を混ぜたカレー粉が販売され、家庭でも容易にカレーライスを食べることができるようになったからである。後に、海軍と同様の理由で学校給食に採用されて児童からも好評を得ており、常に児童が好む献立の上位に挙がるため、国民食のひとつとなった。
カレー屋のカレーとして歴史が古く、有名なものでは、新宿の中村屋で提供しているチキンカリーがある。中村屋の創業者である相馬愛蔵が喫茶部を開業するに辺り、相馬の娘婿でインド独立運動家であったラス・ビハリ・ボースがスパイスの配合からレシピに至るまで関わったものがベースとなっている。
千日前の洋食屋「自由軒」も老舗であるが、この店の「名物カレー」(「混ぜカレー」とも呼ばれる。「インデアンカレー」は全く別の店「せんば自由軒」での同様の料理名称)は最初から混ぜた状態で出され、中心には生卵が乗せられており、普通のカレーライスは「別カレー」としてメニューにラインナップされている。また、この店ではウスターソースをかけることも推奨していたため、この食べ方が広まり、関西ではカレーライスに生卵とウスターソースは付きものと考える人が少なくない。
付け合せには、蜂蜜漬けのラッキョウや福神漬が一般的である。その他の漬物やピクルス、レーズン、ナッツなどもよく合い、カレーの味を一層引き立たせるアクセントとなる。サラダと一緒に食べると、栄養バランスは尚良くなる。豚カツやビーフカツをカレーライスの上にのせたカツカレーをはじめ、唐揚げ、コロッケ、チーズ、野菜などをカレーライスの上にのせたトッピングと呼ばれるオプションメニューも人気が高い。
カレーは作り置きができ、業務用のレトルト食品が製造されていることもあり、喫茶店の軽食メニューとしても一般的である。調理や食べるのも短時間ですむため、駅構内に専門店があることも多い。小規模のチェーン店だけでなく、「カレーハウスCoCo壱番屋」などの全国的なカレー専門店チェーンも登場している。
[編集] カレーライスと福神漬
日本においては、カレーライスの添え物として福神漬が供されることがしばしばある。このカレーライスと福神漬という取り合わせは、明治時代、日本郵船ヨーロッパ航路の船のコック「タキサダ・サダイチ」氏がカレーに福神漬を添えて出したことが発祥とされている。
[編集] 北海道大学とカレーライス
1876年、札幌農学校(北海道大学の前身)に着任したクラーク博士は、パン食を推進し、寮食での米飯を禁止した。『恵迪寮史』(1933年)によれば、開学当初から寮では米食禁止だったが、「ライスカレーは例外」とされ、カレーの日には米飯が供給されたという。ただし、吉田よし子らの研究によれば、クラーク着任当時のカレーの記録は北海道大学には現存せず、それらしい命令も存在が確認できなかったという。吉田の著書『カレーなる物語』によれば、北海道大学に残るカレーに関する最も古い資料は1877年9月のクラーク離日後のカレー粉の納入記録と、1881年の寮食メニューである。ライスカレーという語はクラークがつくったものという説もあるが、クラーク来日前の開拓使の公文書『明治五年 開拓使公文録 八』(1872年)で、「タイスカレイ」(ライスカレーの意味)という語が既に使われている。
[編集] カレーライスとライスカレー
1960年代から1970年代前半くらいまでのライスカレーと呼ばれることが普通であった時代では、子供から大人までもが巷でカレーライスとライスカレーの違いを論争する様子が見られた。その際、主張された意見には以下のようなものがある。
- 家庭(大衆食堂等も含む)で作られるようものがライスカレーであるのに対し、カレーライスはレストラン等少し高級或いは気取った感じの店で出されるような、皿に盛った御飯とは別にカレーソースがソースボートで供されるもの。
- カレーライスが curried rice であるのに対してライスカレーは rice and curry 、つまり皿に盛った御飯とは別にカレーソースがソースボートで供されるもの。
- 高級、ハイカラなものの方がカレーライス。
もっとも、実際のところは双方を分類する明確な定義は無く、存在する違いは名称の登場時期の差ぐらいのものである。ライスカレーという名称は明治期に登場し、カレーライスという名称は昭和初期に登場した。カレーライスという名称が登場した理由は、百貨店のレストランが高級感が感じられるため使い出したのが由来とする説があるが、真偽は不明である。とはいえ、カレーライスという名称を使う飲食店は、大衆食堂よりもレストランの方が多かったのは事実であった。そのため、カレーライスという名称に高級、ハイカラというイメージを抱くようになったと考えられる。
実際には、1872年、北海道開拓使の公文書では「タイスカリイ」(ライスカレーの意味)という語が使われ、樺太の医師三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録では「カレーライス」という語が使われており、カレーが日本に入ってきたきわめて最初期から、「ライスカレー」、「カレーライス」という語が併用されていたことが分かっている。
名称の登場時期の差のせいもあり、以前はライスカレーと呼ぶのが一般的であったものの、1960年代から70年代前半付近を境にカレーライスという名称が広く普及するようになった。名称の違い論争というのは、ライスカレーからカレーライスへの名称移行の時代に見られたものであったといえる。実際に、一部文献等ではライスカレーという名称が死語の一つとされる程使用頻度が減っている現在では、かつてのような論争はあまり見られない。無論、どのような形で供されようがカレーライスと呼んで差し支えない。
なお1970年代前半、ハウス食品がレトルトカレー「ククレカレー」のTVCM中で「ライスが多けりゃライスカレー、カレーが多けりゃカレーライス」というキャッチコピーを用いたため、当時は子供を中心に、両者の違いがそこにあると信じ込んでいた人も多かったと言われているが、全く根拠のない俗説である。
[編集] カレーライスのバリエーション
- 混ぜカレー - ご飯とカレーを混ぜて客にだすもの。大阪市の自由軒など。
- カレー丼 - 皿でなく、丼に入れたご飯の上にカレーをかけたもの。和風の出汁を加えることもある。
- 焼きカレー - 生卵を載せたカレーライスをオーブンで焼いたもの。北九州市の門司港が発祥。福岡県のカリイ本舗の考案といわれる(特許登録第2691213号)。
- 直火焼きカレー - 福井市。
- 石焼きカレー - 石焼きピビンパの様に、石鍋で焼いたご飯の上にカレーをかけたもの。
- スープカレー - 北海道からブレイクした、スープの様に水分が多く、飲むのに適したもの。ご飯と共に食べることも多い。
- ドライカレー
- カレーピラフ
- 合がけ - ご飯の上にカレーと牛丼の具、またはハヤシを半分ずつ掛けたもの。築地の大森や中榮の名物。牛丼の具と合わせたものは松屋やすき家にもあるが、それぞれ「カレギュウ」「牛あいがけカレー」と称している。
[編集] 変わった具入りのカレーライス
- 動物肉
- 魚介類
- 野菜
- 果物
[編集] 行事
カレーライスにちなむ行事としては、日比谷公園にある松本楼のチャリティー10円カレーセールが有名である。 これは、過激派グループの投げた火炎瓶により全焼した松本楼が、1973年に再建されたことを記念し、毎年9月25日に実施される。カレーは4日間煮込んだ本格的なポークカレーで、料金は10円に各自の志を追加して払う。売り上げは交通遺児育英会、ユニセフなどに全額寄付されている。「10円カレー」は俳句の秋の季語にもなっている。
[編集] 日本以外の国のカレーライス
- ハワイ
- 明治初期から日本人移民の多かったハワイにおいてもカレーは日常食として普及しており、日本料理店のみならず大衆的なレストランや伝統的なハワイ料理を扱う店のメニューにもカレーライスの名前を見ることができる。以前は日本人にとっては懐かしい昔ながらのライスカレーを供する店が大半であったが、近年はタイやベトナムなど東南アジア系移民の増加や、日本のチェーン店であるCoCo壱番屋の進出などによりさまざまなスタイルのカレーライスが食べられるようになってきた。
- イギリス
- 日本にカレーライスを伝えた国とされるイギリスには、見た目や味が日本のカレーライスと酷似した料理「curry and rice」が存在する。パブや学生食堂で安い値段で気軽に食べられる点でも日本でのカレーライスと共通する。イギリスには多くのインド料理店が存在するが、それらのインド料理とは別物の大衆料理として親しまれている。
- 香港
- イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レストランにカレーライスを揃えている店が少なくない。日本のものと比べると、若干スープカレーに近い、さらっとしたものが多い。
- 台湾
- おそらく日本統治時代に日本人がカレーライス食べる習慣を持ち込んだと考えられる。そのため台湾では一般的なカレーライスを「日式咖哩飯」と表記し、ごく一般的に屋台や食堂などで昔から食べられてきた。「古典的な日式咖哩飯」は薄口のスープに片栗粉などでとろみを付けているため、現在の日本のカレーライスとは別の料理に変化している。近年では本格的な日本風のカレーライス(こちらも日式咖哩飯とよばれている)を提供するレストランも増加しており、片栗粉でとろみを付けた「古典的な日式咖哩飯」は衰退している。
- 中国
- 洋食のひとつとして、ホテルなどでカレーを食べることができたが、一般の中国人にはあまりなじみのない料理であった。しかし最近は上海に日本資本のカレーショップも開店し、日本風のカレーライスの人気も出て来ている。中国語では「珈竰」もしくは「咖哩」と表記される。
[編集] カレーライスに関する作品
- 楽曲
- 「おかあさんのカレー」 (全力投球ワンダーフォー)
- 「カレーとタンゴ」 (若原一郎&瞳)
- 「カレーライス」 (遠藤賢司)
- 「カレーライス」 (KAN)
- 「カレーライス」 (KAB.)
- 「カレーライスにゃかなわない」 (真島昌利)
- 「カレーライスの女」 (ソニン)
- 「日本印度化計画」 (筋肉少女帯)
- 「カレーの歌」 (くるり)
- 「涙のカレーライス」 (山本正之)
- 「踊れ!モーニングカレー」 (モーニング娘。)
- 「カレーライス feat.IWASA(garblepoor!)」 (ダースレイダー)
- 漫画
[編集] 関連項目
- 種類
- 類似の料理
- 阪急百貨店 - ここの大食堂が関西地方で初めてカレーライスをメニューに出したと言われている。2004年に大食堂が廃止されるまで名物メニューでもあった。
- 山川健次郎 - カレーライスを食べた最初の日本人といわれる。
- スーパー戦隊シリーズ - キレンジャーやバルパンサーなど、「黄色=カレー」というキャラクタ付けがなされている。
- ケロロ軍曹 に登場するクルル (ケロロ軍曹)#カレー好き - カレー好き(特にアニメ版)
[編集] 参考文献
- 嵐山光三郎監修『カレーライス』リブリオ出版、2006年4月、ISBN 4860572483
- 井上宏生『面白雑学カレーライス物語』双葉社、1996年7月、ISBN 4575710792
- 井上宏生『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』平凡社、2000年11月、ISBN 4582850669
- 黒沢薫(ゴスペラーズのメンバー)『ぽんカレー』角川書店、2005年10月、ISBN 4048839411
- 小菅桂子『カレーライスの誕生』(『講談社選書メチエ』243)、講談社、2002年6月。ISBN 406258243-0
- 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会編『カレーブック 本格的カレーライスからデザートまで』生活クラブ事業連合生活協同組合連合会、1993年10月、ISBN 441503652X
- 全日本カレーライス学会編『カレーライス うまさと刺激にこだわる雑学』勁文社、1994年5月、ISBN 4766919645
- とことんカレー研究会編『カレーの雑学王 このネタはちょっと激辛いぜ! どこから読んでも面白い!』青春出版社、2001年6月、ISBN 4413091981
- 浜内千波、竹内冨貴子(共著)『カレー大全科 カレーの魅力再発見 含まれる香辛料の驚くべき多彩な効用』グラフ社、2000年8月、ISBN 4766205820
- 『彷書月刊』第16巻第11号/通巻第182号(特集=カレー三昧)、弘隆社、2000年10月。