南紀 (列車)
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南紀(なんき)とは、東海旅客鉄道(JR東海)が、名古屋駅~新宮駅・紀伊勝浦駅間を関西本線・伊勢鉄道伊勢線・紀勢本線経由で運行する特急列車の列車愛称。
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[編集] 運行概況
[編集] 運転本数・列車番号
- 名古屋駅~新宮駅間 1往復(2・7号)
- 名古屋駅~紀伊勝浦駅間 3往復(1・3・5~4・6・8号)
多客時には、下り2本(81・83号)上り2本(82・84号)の合計4本が臨時列車として運行される。
なお、紀伊勝浦駅には車両基地がないため、下り列車到着後はいったん新宮駅まで回送し、そこで整備・点検・清掃を行う。その後、再び紀伊勝浦駅へ戻り、折り返し上り列車となる(ただし、紀伊勝浦駅ホーム長時間留置で折り返す場合もある)。新宮~紀伊勝浦間もJR東海の乗務員が担当しているが、運転士はJR東海管内の多気駅で交代する。紀伊勝浦駅ホームにはJR東海乗務員の詰め所がある。
列車番号は、3001D~3008Dと運転線区等で変更がない。下りは号数+3000の奇数、上りは号数+3000の偶数となる。1号=3001D、2号=3002Dとなる。また臨時列車(81・82・83・84号)は、この規則に準じて8001~8004Dとされる。
[編集] 停車駅
- 定期列車の基本的な停車駅を記載する。
[編集] 使用車両
全車、キハ85系(名古屋車両区所属)を使用している。通常は普通車のみの3両編成で、そのうち1両が自由席である。
多客期に増結されるグリーン車は今までの実績ではキロハ84(半室グリーン車、4列座席、運転台無し)である。多客期の編成は今までの実績では、5両ないし6両である。普通車のみ1両増結(名古屋方)の4両編成で運転されることもある。
[編集] 利用実態
近鉄名古屋線と競合する名古屋~津間は行楽期を除いて利用は少ない。
車内が混雑するのは、津駅および松阪駅より南の区間で、三重県東紀州地方から県庁所在地の津市および中勢~東紀州の経済拠点の松阪市への用務客や大阪方面と松阪駅までの間、近鉄を利用して、松阪駅で近鉄と乗り継ぐ乗客が利用の中心である。松阪駅と熊野市駅間は三重交通の南紀特急バスと競合している。
[編集] 特定特急料金
名古屋~新宮間で、30kmまでの区間の自由席特急料金は通年310円と割安になっている。
しかし、伊勢鉄道を経由すると同社の特急料金310円が加算されることや、名古屋~四日市間等ぎりぎり30kmを越え適用外の区間があったため、爆発的な利用増には結びついていなかった。2005年10月1日より、同じく名古屋~新宮間で31km~50kmの区間の自由席特急料金が通年630円に値下げされた。
[編集] 担当車掌区
[編集] 沿革
[編集] 「南紀」という名の列車の沿革
元々「南紀」と言う名称は、「くろしお」と同じく、天王寺駅~白浜口駅、新宮駅間を走る準急列車・急行列車の愛称として使用された。変わったところでは、1974年より1978年10月1日まで名古屋駅~天王寺駅・和歌山市駅間を関西本線・紀勢本線経由で運行する寝台車を連結した夜行普通列車の愛称として使用されていた。
- 1953年(昭和28年)5月1日 天王寺駅~白浜口駅間を運行する臨時準急列車として「南紀」運行開始。
- 1953年(昭和28年)11月11日 「南紀」、定期列車化。但し、列車番号上では臨時列車扱い。
- 1955年(昭和30年)8月1日 「南紀」、列車番号上でも定期列車化。
- 1956年(昭和31年)11月19日 新宮駅→天王寺駅間運行の準急列車として、「はやたま」の運行を開始する。
- 1959年(昭和34年)7月15日 天王寺駅→新宮駅間運行の夜行普通列車を準急列車に格上げし、「はやたま」の名称を与える。
- 1959年(昭和34年)9月22日 「南紀」気動車化。運行区間も天王寺駅~新宮駅間となる。
- 1960年(昭和35年)6月1日 準急「はやたま」を吸収し、「南紀」昼行1往復と天王寺駅→新宮駅間運行の夜行列車の運行となる。
- 1960年(昭和35年)10月28日 「南紀」、臨時列車を1往復増発。
- 1961年(昭和36年)3月1日 「南紀」に南海線難波駅発着列車を併結開始。
- 1966年(昭和41年)3月5日 準急列車制度の改変に伴い、「南紀」急行列車に昇格。
- 1968年(昭和43年)10月1日 「ヨンサントオ」ダイヤ改正に伴う列車名称整理に伴い、「きのくに」へ統合。「南紀」の列車名は一時消滅。
- 1974年(昭和49年)10月1日 指定席発券システムの拡充により座席指定席を有する普通列車にも列車愛称を与えることとなり、名古屋駅~天王寺駅・和歌山市駅間を関西本線・紀勢本線経由で運行する寝台車を連結した夜行普通列車に「南紀」の愛称を与える。
- 1978年(昭和53年)10月2日 紀勢本線新宮駅~天王寺駅間電化工事完了に伴い、同線の特急「くろしお」が電車化されるが、新宮駅以西は系統分離することになって名古屋駅~紀伊勝浦駅間を関西本線・伊勢線・紀勢本線経由で運行する気動車特急の名称として「南紀」の運転を開始。従来の「南紀」は「はやたま」に改称。
- 1987年(昭和62年)4月1日 JR各社発足に伴い、「南紀」の運行はJR東海の担当となる。
- 1992年(平成4年)3月14日 キハ85系気動車導入。キハ80系の定期運用が「南紀」を以て消滅。
- 1996年(平成8年)7月25日 列車名に“ワイドビュー”が冠され「(ワイドビュー)南紀」となる。
[編集] 紀勢本線新宮以東優等列車沿革
(大阪・京都・名古屋方面から参宮線へ直通する列車に関しては、「みえ」・近鉄特急の項目を参照)
- 1959年(昭和34年)7月15日 紀勢本線、三木里駅~新鹿駅間を最後に全通。天王寺駅~名古屋駅間に、それまで天王寺駅~新宮駅間を運行していたのを延伸する形で、準急列車「くまの」運行開始。また、名古屋駅~紀伊勝浦駅間に不定期の夜行準急「うしお」を1往復、東京駅~新宮駅間に臨時夜行急行列車「那智」新設。
- 1959年(昭和34年)9月22日 「那智」、定期列車へ格上げ。
- 1961年(昭和36年)3月1日 「くまの」を「紀州」に改称。同時にキハ55系を使用して気動車化。同年10月実施の「サンロクトオ」ダイヤ改正までにはキハ58系へ置き換えられる。また、新たに新設された鳥羽駅→紀伊勝浦駅間片道運行の準急列車を「くまの」とする。
- 1961年(昭和36年)10月1日 「サンロクトオ」ダイヤ改正。「うしお」は上りを廃止し、定期列車に格上げ。
- 1963年(昭和38年)10月1日 「うしお」、名古屋駅~紀伊田辺駅間に昼行1往復増発。「くまの」は「なぎさ」に改称。新たに新設された京都駅~紀伊勝浦駅間(草津線経由)の準急列車を「くまの」とする。
- 1964年(昭和39年)7月 新婚旅行客の需要もあって、「紀州」はグリーン車(当時は1等車)を2両連結にする。
- 1964年(昭和39年)10月1日 「那智」、紀伊勝浦駅まで運行区間を延伸。
- 1965年(昭和40年)3月1日 天王寺駅~名古屋駅間で、同線初の特急列車である「くろしお」が運行開始。
- 1966年(昭和41年)3月5日 「うしお」・「くまの」を急行列車に格上げ。
- 1967年(昭和42年)10月1日 紀伊勝浦駅~亀山駅間で「くまの」、亀山駅~名古屋駅間で「はやたま」の増結車とされていた車両を、紀伊勝浦駅~名古屋駅間運行の「うしお」とし、「うしお」は2往復運転になる。
- 1968年(昭和43年)10月1日 「ヨンサントオ」ダイヤ改正により、「紀州」は「うしお」を統合して増発が図られ、4往復体制になる。「那智」を「紀伊」へ、「なぎさ」を「はまゆう」に改称。
- 1973年(昭和48年)9月1日 河原田駅(国鉄時代の起点は南四日市駅)~津駅間を短絡する伊勢線(現・伊勢鉄道伊勢線)が開通したことにより、特急「くろしお」と急行「紀州」5往復の内3往復が、亀山駅経由から同線経由になる。
- 1975年(昭和50年)3月10日 このときのダイヤ改正で、「紀伊」は14系客車を使用して寝台特急列車に格上げ。
- 1978年(昭和53年)10月2日 「ゴーサントオ」ダイヤ改正。紀勢本線新宮以西の電化が完成したことにより、同線の運転系統を分断することになった。「くろしお」の新宮駅以東の運転は廃止され、伊勢線経由名古屋駅~紀伊勝浦駅間に特急「南紀」を3往復新設。「紀州」は亀山駅経由名古屋駅~紀伊勝浦駅間運行の3往復へ削減。
- 1980年(昭和55年)10月1日 この時実施された減量ダイヤ改正により、「くまの」廃止。
- 1982年(昭和57年)5月1日 夜行の「紀州」廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 減量ダイヤ改正により、「紀伊」廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日 この時のダイヤ改正により「紀州」を「南紀」へ統合、「南紀」は4往復になる(トータルで1往復削減)。「はまゆう」廃止。
- 1989年(平成元年)3月13日 この時のダイヤ改正で、「南紀」を5往復に増発。
- 1990年(平成2年)3月20日 名古屋駅~紀伊勝浦駅間に、快速「みえ」を1往復新設。(特急「南紀」の1往復を格下げ)
- 1992年(平成4年)3月14日 「南紀」にキハ85系投入。1往復の「みえ」も特急「南紀」へ格上げ統合し、「南紀」は6往復となる。また、この時から特急料金がA特急料金に変更。スピードアップが実施されて名古屋~紀伊勝浦間はキハ80系と比べて28分短縮の3時間23分で運転。
- 2001年(平成13年)3月3日 「南紀」の通常期のグリーン車連結を廃止(繁忙期は連結)、上りの始発(2号)と下りの終発(9号)新宮~紀伊勝浦間(この区間は普通列車扱い)を廃止。
- 2006年(平成18年)3月18日 ダイヤ改正により、「南紀」鈴鹿駅と三瀬谷駅を全列車停車。
[編集] 列車名の由来
(五十音順)
- 「うしお」 海水を表す「潮」にちなむ。
- 「紀伊」(きい) 三重県・和歌山県の令制国名「紀伊」にちなむ。
- 「紀州」(きしゅう) 令制国名「紀伊」の別称「紀州」にちなむ。
- 「くまの」 「熊野市」・「熊野川」に因む。
- 「くろしお」 太平洋を流れる海流の「黒潮」にちなむ。
- 「なぎさ」 波打ち際を表す「渚」にちなむ。
- 「那智」(なち) 目的地の吉野熊野国立公園の「那智滝」・「那智山」にちなむ。
- 「南紀」(なんき) 紀伊半島の南部を表す言葉の「南紀」に因む。
- 「はまゆう」 暖地の海岸に生息する植物の「ハマユウ」にちなむ。
- 「はやたま」 新宮市にある熊野速玉大社にちなむ。
- 「みえ」 県名の「三重」にちなむ。
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