近鉄特急
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近鉄特急(きんてつとっきゅう)とは、近畿日本鉄道(近鉄)が、大阪市・京都市・名古屋市を中心として、各地へ向け運行している特別急行列車(特急列車)の総称とする。
同鉄道では「アーバンライナー」(21000系電車・21020系電車)や「さくらライナー」(近鉄26000系電車)等、特定の専用車両には車両としての愛称が存在するが、系統上の列車愛称は存在しないため、一括してこの頁にて掲載する。
目次 |
[編集] 概要
近鉄の特急列車は、基本的には幹線系の起終点駅から観光地へ向かうものと、都市間輸送を行うものに大別され、昨今ではその他に、通勤時間帯における乗客の着席確保を狙った、JRにおける「ホームライナー」的な性格の列車も設定されている。
大都市近郊以外は路線網の大半を地方閑散線区が占める近鉄にとって、実に全運輸収入の約15%にもおよぶ特急料金収入は経営上不可欠であり、実際にもこれを基金とする内部補助によって長大な赤字支線群が長期にわたって維持されてきた。
このため、俗に「近鉄特急網」とも呼ばれる稠密な特急ネットワークが形成されており、完全に独立したけいはんな線系統を除く基幹路線には原則的に特急が設定され、さらには特急同士の接続を前提とした時刻・料金設定がなされている。
なお、近鉄京都線・奈良線・橿原線などの特急列車は、当初は特別料金不要の特急列車として設定され、後に有料化されたものである(詳細は近鉄特急史を参照)。
[編集] 特急列車の種類・系統
[編集] 名古屋~大阪間特急(名阪特急)
基本的には近鉄名古屋~近鉄難波間を運行し、「名阪ノンストップ特急」(又は、21000系電車・21020系電車を基本的に使用していることから「アーバンライナー」)と称される近鉄名古屋~鶴橋間無停車運行の「甲特急」と、主要駅に停車する「乙特急」とに分かれる。また、乙特急には朝方に桑名・津~上本町間を運行するものがある。さらに甲特急の一部が、津・大和八木に停車する。この列車も「名阪ノンストップ特急」の一部として、時刻表では記載されている(但し駅の案内ではノンストップ特急とは案内せず、只の特急と表示される。一部列車では、「伊勢志摩ライナー」こと23000系も用いられる。
系統自体は、近鉄有料特急の中では最も古く1947年(昭和22年)10月に登場しているが、全区間直通運転開始は1959年(昭和34年)12月である。それまでは大阪線と名古屋線の軌間の相違が原因で、伊勢中川での乗換えを余儀なくされた。なお、乙特急は一時「準特急」と称された時期がある。
近鉄特急の中では花形列車とされるが、東海道新幹線が開通した1964年(昭和39年)10月以降の約12年間は、時間で勝負にならず料金的にも優位性が無かったため、名阪特急は不振を極めた。特に新幹線と直接競合する「甲特急」は大打撃を受け、2~3両編成(大阪万博開催時や国鉄のストライキ時を除く)で細々と運行され、一時は単行運転が真剣に検討される有様であった。
このため、私鉄総連によるストライキの際、列車運行のストは行わない近鉄の中で、利用客が少ないことから唯一の例外とされていたこともあった。
ところが、1975年11月(平均32%)・1976年11月(平均50%)と2回に分けて実施された国鉄の運賃大幅値上げや、この前後に頻発していたストライキを契機として、名阪特急は運賃面での優位性を得て、乗客数が大幅増加に転じた。編成も1980年(昭和55年)3月より3両編成基本となるなど、増結が繰り返されていった。
そして1988年(昭和63年)よりデラックス車2両を含む6両編成を基本とする、画期的な新車である「アーバンライナー」こと21000系電車が「甲特急」で運行を開始し、「アーバン効果」と呼ばれるほどの大成功を収め、この結果甲特急の輸送実績は再び東海道新幹線開業前の水準に達した。このため「アーバンライナー」の一部編成については、中間車2両を増結して8連化が実施される程であった。
1992年(平成4年)、東海道新幹線に速達列車として「のぞみ」が設定された事で、名阪間のシェアは再び減少に転じた。しかし、2003年(平成15年)にJR東海が「のぞみ」増発と引き換えに回数券の割引率を引き下げたことや、その前年の「アーバンライナーnext」こと21020系電車運転開始(同時期に21000系もリニューアルして「アーバンライナーplus」とした)の効果で、現在では名阪間の近鉄のシェアは盛り返している。現在の「甲特急」は主としてJRとの運賃・特急料金面での優位性(割引きっぷ類の宣伝CMも名古屋・大阪地区で放映している)や「ゆったり感」・「リラックス感」といった快適性を軸にして宣伝・告知されている。また、鶴橋~近鉄名古屋間を完全ノンストップで運転する列車も年々減少しており、現在では昼間以外は大和八木、津に停車する列車が大半を占めている。
- 停車駅(甲特急)
- 近鉄名古屋 - (津) - (大和八木) - 鶴橋 - 上本町 - 近鉄難波
(括弧書きは一部が停車)
[編集] 大阪~伊勢志摩間特急(阪伊特急)
近鉄難波・上本町~名張・伊賀神戸・松阪・宇治山田・鳥羽・賢島間を結ぶ。名阪特急同様に停車駅の少ない「甲特急」と、主要駅停車の「乙特急」が設定されている。しかし「甲特急」は昨今大幅に削減され、平日は鳥羽方面1本、土休日は3往復のみとなっている。
有料特急としては1948年(昭和23年)7月に運行を開始。しかしながら、この区間の特急自体は大阪電気軌道・参宮急行電鉄時代の1932年(昭和7年)1月に料金不要の列車として誕生しており、近鉄特急のルーツというべきものである。乙特急のうち、大和八木~賢島間では後述する「京伊特急」と併結するものがある。
年末年始などの多客期や通勤時間帯には10両の長大編成も設定され、通勤時間帯には、上本町・難波~名張・伊賀神戸の系統も設定されている。ホーム有効長の問題から、近鉄難波~鳥羽間では最大10両編成、志摩磯部以南は最大8両編成となる。
また、乙特急は伊勢中川で名伊特急(時間帯によっては料金不要の名古屋方面発着の急行に接続することもある。)はと相互連絡しており、名阪特急の停車しない大和高田、榛原等から名古屋方面へ向かう乗客に対応する、名阪乙特急の補完列車としての役割も果たしている。特に昨今では、近鉄大阪線沿線各都市と大阪を結ぶ列車(特に名張・榛原付近からの通勤客は多い。)としての色合いが強くなってきている。
なお越年終夜運転の際には、一部に桜井停車列車が設定される。またアーバンライナーでの運用もある。
- 停車駅(乙特急)
- 近鉄難波 - 上本町 - 鶴橋 - (布施) - (大和高田) - 大和八木 - (榛原) - 名張 - (桔梗が丘) - (伊賀神戸) - (榊原温泉口) - 伊勢中川 - 松阪 - 伊勢市 - 宇治山田 - 五十鈴川 - 鳥羽 - 志摩磯部 - 鵜方 - 賢島
(括弧書きは一部が停車)
- 布施は鳥羽発着の列車が、大和高田、榛原は賢島、宇治山田発着の列車が停車。また昼間は鳥羽発着の列車が榊原温泉口にも停車するが、早朝深夜は松阪、宇治山田発着の列車なども停車する。
[編集] 名古屋~伊勢志摩間特急(名伊特急)
近鉄名古屋~津・松阪・宇治山田・鳥羽・賢島間を運行。これも停車駅の少ない速達列車の「甲特急」と、主要駅停車の「乙特急」が設定されており、2006年(平成18年)現在、「甲特急」は平日鳥羽方面1本・土休日3往復のみとなっている。
有料特急としては、「阪伊特急」と「名阪特急」との接続を伊勢中川で行う形で1948年(昭和23年)7月に誕生しているが、この区間の特急は伊勢電気鉄道時代の1935年(昭和10年)12月に運行開始した「はつひ」・「かみち」(桑名~津新地~新松阪~大神宮前間)にルーツを持つ。
もっとも前述の名阪特急同様、名古屋線と山田線の軌間の相違から、直通運転が開始されたのは1960年(昭和35年)1月である。名古屋から伊勢志摩方面へのアクセスの他に、東海道新幹線にて東京・豊橋・塩尻方面などからの乗客の同方面への輸送や、人口10~30万台の市が並立する三重県内の中距離移動も担っている。また、伊勢中川で阪伊乙特急と連絡して名阪乙特急の補完的な役割を果たしている。
列車本数は近鉄特急中では最大であるが、本数の多い時間帯は通勤・出張といったビジネス利用の多い上り(名古屋方面)朝時間帯と下り(松阪・伊勢方面)夕方時間帯となっており、日中は上下片道それぞれ2本運行が基本である。
なお1990年(平成2年)から東海旅客鉄道(JR東海)によって、名伊特急の走行区間に並行する関西本線・伊勢鉄道伊勢線・紀勢本線・参宮線の名古屋~鳥羽間に快速列車「みえ」が設定されており、競合関係になっている。しかし、名伊特急の方が本数の面などで優位にたっていることから、昨今では「みえ」のダイヤが名伊特急と競合しない時間帯に移動されている。
(括弧書きは一部の列車が停車)
[編集] 京都~伊勢志摩間特急(京伊特急)
1966年(昭和41年)12月に運行を開始。京都~賢島間195.2kmと、近鉄特急系統の中では最長距離を運行する(名阪特急は189.7km)。大和八木~新ノ口間は大阪線と橿原線を方向転換無しでつなぐ専用の短絡線を走行する。新幹線連絡で、岡山や福岡などの西日本主要都市から伊勢志摩への観光客輸送の使命も担っている。
運行開始当初は京都線・橿原線と大阪線・山田線の架線電圧が異なっていたため、専用の複電圧車である18200系が用いられ、単独運転となっていたが、大阪線の単線区間の運行可能本数の制限から、大阪線系特急が増発された翌1967年(昭和42年)12月より大和八木~宇治山田間について「阪伊(乙)特急」との併結運行に変更され、新青山トンネル開通に伴う大阪線全線複線化完成で輸送力に余裕が生じた事から、再び単独運行に戻された。もっとも、その後の需要低迷で閑散時間帯の一部列車について大和八木~賢島間で「阪伊(乙)特急」との併結が復活している(同時に停車駅も現在のものとなる。以前は朝の1本を除き、大和八木~松阪間はノンストップ)単独運転のものについては大和八木で「名阪(乙)特急」と朝1本を除き相互接続し、名古屋線特急停車駅から大和西大寺・京都への連絡や、阪伊(乙)特急の実質増便の役目を負っている。
- 停車駅(阪伊(乙)特急との併結)
- 京都 - 近鉄丹波橋 - 大和西大寺 - 大和八木 - 榛原 - 名張 - 伊賀神戸 - 伊勢中川 - 松阪 - 伊勢市 - 宇治山田 - 五十鈴川 - 鳥羽 - 志摩磯部 - 鵜方 - 賢島
※大阪・京都寄り4両が京都行き、賢島寄り4両が難波行き。車両番号は京都行きがA~D号車、難波行きが1~4号車(賢島方向が1 (A)号車)
(括弧書きは一部の列車が停車)
[編集] 京都~橿原間特急(京橿特急)
1964年(昭和39年)10月、前年1月に設定された料金不要の「特急」を格上げする形で、奈良電気鉄道からの継承車を改造した680系を用いて運行が開始された。
近鉄特急が都市間速達から新幹線を培養線とする特急ネットワークの形成へ転換する端緒となった系統である。
京都方面から橿原神宮への参拝客輸送の他、後述する「吉野特急」や新幹線などと連携して、東京・広島・福岡・金沢などから飛鳥(明日香)・吉野方面への観光客の連絡輸送を行うという役割も果たしている。
(括弧書きは一部の列車が停車)
[編集] 京都~奈良間特急(京奈特急)
有料特急としては京橿特急より2ヶ月遅れの1964年(昭和39年)12月運転開始。京都線が奈良電気鉄道の運営であった時代の1954年(昭和29年)10月に登場した、料金不要の「特急」を格上げする形で登場した。後述する「阪奈特急」同様、京都駅~奈良駅間39.0kmという短距離を運行する特急ではあるが、こちらは京都・奈良の「二つの古都」を結ぶことから、観光的側面や東海道新幹線にて東京・豊橋・岡山方面などから来た客を奈良方面へ輸送する側面が強く、終日ほぼ30分間隔で運行している。
(括弧書きは一部の列車が停車)
[編集] 京都駅発着特急各列車について
2002年(平成14年)から近鉄丹波橋が標準停車駅となっているが、それ以前は年末年始の終夜運転時の臨時特急のみの停車だった。これは京阪特急が隣接する丹波橋に終日停車となった事に合わせて、京阪沿線からの乗り換え客の特急誘導を狙っての措置であると言われているが、実際にはJR西日本奈良線への対抗措置であると見られている。
なお京都を19時以降出発する下り列車は、高の原にも停車する。これは、JRでの「ホームライナー」同様通勤客の誘導も兼ねているとされる。ただし現在の所、京都~伊勢志摩間特急(京伊特急)に関しては該当時間の列車が無いため、同駅停車列車は存在しない。また上り列車の停車は1本もない。
過去には薬師寺で平山郁夫氏の壁画が公開された2001年、壁画観覧者の利便のため一部の土・休日に一部の特急が西ノ京駅に臨時停車していた事もある。この時には、西ノ京駅にクーポン券端末(F型端末機)が設置され特急券の発売が行われていた。
[編集] 大阪~奈良間特急(阪奈特急)
1973年(昭和48年)9月登場。近鉄難波~近鉄奈良間は32.8kmと近鉄特急系統の中では短距離であるため、この系統はJRにおける「ホームライナー」的な側面が強く、平日の運行はほぼ朝夕の通勤時間帯と深夜に限られている。
かつては平日昼間も1時間間隔で運行されていたが、奈良線は過密ダイヤの上駅間が短く、さらに大和西大寺では京都線・橿原線と平面交差するという悪条件も重なり、遅延が常態化していた。また停車駅が類似する「快速急行」(後述)などとの関連もあり、そのため利用者が少ない時間帯の有料特急を削減してダイヤに余裕を持たせ、一般列車の充実を図るべく平日昼間の列車は廃止された。ただし奈良への観光客が利用できる様、土休日はほぼ終日1時間おきに運行される。
1956年(昭和31年)11月から「阪奈特急」の運転開始される前の近鉄奈良線では料金不要の「特急」が設定されていたが、これは1972年(昭和47年)11月に停車駅追加の上で「快速急行」に種別を改めている。「阪奈特急」の設定されない時間帯には「快速急行」や「急行」が大阪~奈良間の速達輸送の役目を担っており、1997年(平成9年)以降はロングシート・クロスシートの両方に転換可能な座席を備えた一般型車両、L/Cカーが奈良線の快速急行・急行の一部を中心に投入されるようになった。これにより、特別料金不要の同列車が通勤だけでなく特急に代わって観光輸送の役割も果たすようになっている。これは、大阪~奈良間の輸送で競合するJR西日本の221系を使用した「大和路快速」への対抗策と見られている。
なお、阪奈特急では間合い運用として投入されるアーバンライナー・伊勢志摩ライナーのデラックスカーを、追加料金なしで使用できる。
[編集] 大阪~吉野間特急(吉野特急)
1965年(昭和40年)3月に運行を開始。運行する南大阪線・吉野線は、歴史的経緯から(軌間)が1067mm(狭軌)で、他の特急が走る路線の1435mm(標準軌)と異なっているため、直通運転ができず運行系統上は独立している。大阪方面から橿原神宮・飛鳥(明日香)・吉野への観光客輸送と、前述した「京橿特急」との連絡輸送、そして通勤輸送を担っている。
運行開始当初の途中停車駅は、高田市(一部の特急のみ)・橿原神宮前・下市口・大和上市・吉野神宮の4駅(一部列車は5駅)のみであったが、観光客の減少と通勤需要の増加のため停車駅が次々と追加され、1999年(平成11年)のダイヤ変更で現在の11駅となった。このため大阪阿部野橋~吉野間(営業キロ65.0km)の最速列車の到達時間は、運行開始当初の68分から74分に伸びた。
また普段通過する古市駅は、正月に終夜運転される「越年号」(大阪阿部野橋~橿原神宮前間運転。一部は吉野まで運転)のみ臨時停車する。この列車は特急料金は徴収するものの、基本運転区間内では急行と全く同じ停車駅の特急であり、所要時間も30秒程度の差でしかない列車となってしまっている(最高速度の違いによる)。
元来、橿原神宮前~吉野間は吉野線の前身である吉野鉄道開業以来の急峻な山岳線であり、急カーブと勾配の連続する単線である事からその所要時間は他の列車種別と比べてもそれほど短縮されていない。また、南大阪線内においても最高速度が大阪線・名古屋線系統より10km/h低い110km/hに設定されており、全区間複線ではあるが前身の大阪鉄道時代の線形を引き継いでいて急カーブが多いため、他線区の特急と比べて全区間の表定速度が比較的低いダイヤ編成となっている。
1999年(平成11年)から南大阪・吉野線内利用の場合に限り特急料金の距離加算をやめ、一律500円とした。これにより大阪阿部野橋~吉野間の全線を乗車した場合、従来は870円であったことから大幅に安くなった(後述する「吉野路ビスタ4」特急回数券もある)。結果、同線の「特急」は速達列車というよりもむしろ、名古屋鉄道・南海電気鉄道などの座席指定料金を徴収する列車に近くなったともいえる。
[編集] 天理発着臨時特急
天理教月次祭(毎月26日)やその他天理教の祭事時に、天理臨として京都・近鉄名古屋から近鉄天理線の天理まで臨時特急列車が設定される。
天理線内は起点の平端を含め無停車で(名古屋発着列車は構内配線の関係上、天理線への入線は入替が必須のため、平端に運転停車する)、他路線では京伊特急・名阪特急の停車駅に順ずる。また近鉄名古屋発着の列車は団体専用列車扱いとなり、近鉄名古屋~大和八木で名阪乙特急と併結する。
特急券については、京都発着列車は前売りが行われインターネット予約・購入も出来るなど、一般旅客も利用可能。
名古屋発着列車については天理教愛知教区の団体列車として取り扱われているため、駅の時刻表には掲載されず、インターネットでの空席照会の対象外であるなど、原則として一般旅客の利用は不可となっている。しかし、実際には当日空席があれば名古屋発着特急停車駅の駅窓口では特急券の発売が行われ一般旅客でも特急券が購入可能であり、名古屋駅などでも天理行特急、天理駅では名古屋行特急として案内されている。
なお2006年1月26日には、天理教教祖百二十年祭の執行に伴い、名阪乙特急などとの併結を行わず、前売りも行うなど、当初から一般旅客も利用を対象とした近鉄名古屋駅発着の臨時特急も設定された。
[編集] 過去に運行されていた系統
[編集] 大阪・名古屋・四日市~湯の山温泉間特急(湯の山特急)
1965年(昭和40年)7月に設定された。近鉄難波・近鉄名古屋~近鉄四日市~湯の山温泉間を運行していた。難波始発のものは、近鉄湯の山線の分岐する近鉄四日市手前の白子まで前述した「名阪乙特急」と併結して運行し、名古屋始発のものは独立した運行ダイヤを組んでいた。湯の山線内はノンストップで、四日市までの近鉄大阪線・近鉄名古屋線区間での停車駅は「名阪乙特急」と同一であった。
湯の山観光の足として長きにわたって親しまれたが、次第に利用客が減少し、末期には四日市~湯の山温泉間の線内のみを土休日に限り2往復するという運転形態(ただし四日市で名阪乙特急と接続する)となったが、乗客数の減少はいっそう進み、2004年(平成16年)3月のダイヤ変更をもって廃止となった。
[編集] 大阪~京都間特急(阪京特急)
近鉄難波~京都間を運行していた系統で、1973年(昭和48年)3月に設定された。近鉄奈良線の鶴橋~大和西大寺間では初の有料特急列車であった。大阪~京都間を結ぶため、国鉄(東海道本線)・阪急(京都本線)・京阪(京阪本線)に続く「第4の京阪間の特急」とも呼ばれたが、当時国鉄の新快速が同等の区間を29分(京都~大阪間)、阪急の特急が40分弱(河原町~梅田間)、京阪の特急が46分(三条~淀屋橋間)で走破していたのに対し、同特急は近鉄難波~京都間に58分~62分を要していたので、奈良線・橿原線沿線から大阪・京都への「着席確保列車」としての使命が強く、「京阪間輸送」を主目的としたのではないと言われている。しかし、京都から大阪ミナミへは唯一の直通列車であったことから、大阪等での乗り換えを嫌う客の利用も若干あったとされる。
1980年代後半には近鉄京都線南端部分地区と奈良線東部地区が「京阪奈地区」と呼ばれるようになり、「京阪奈特急」と言われるようにもなったが、乗客数の減少等から「阪奈特急」・「京奈特急」に系統分割される形で、1992年(平成4年)3月の改正で消滅した。
[編集] 奈良~伊勢志摩間特急(奈伊特急)
1970年(昭和45年)3月に1往復のみ設定された。京都~伊勢志摩間を走る「京伊特急」の起点駅を近鉄奈良に変更した以外は「京伊特急」とほぼ同一の運行形態であった。またその線路配置の関係で、大和西大寺で方向転換を行った。「京伊特急」同様、大和八木~賢島間は「阪伊乙特急」と併結して運行された。
1972年(昭和47年)11月7日に「京伊特急」に統合されて廃止した。
[編集] 乗務員
近鉄特急運転士は、車掌と運転士を5年以上経験した者で講習・実地訓練を受けた後、特急担当となる。
[編集] 料金制度

近鉄の特急列車は現在すべて有料列車であり、特別急行券(特急券)を要する。特急券は原則乗車日の1ヶ月前から販売である。なお往復同時に求める場合で、難波~鶴橋間の各駅と名古屋間を乗車する場合または伊勢市~賢島間各駅・下市口~吉野間各駅(六田を除く)を往路の着駅とし片道81km以上利用する場合は、復路の分を1ヶ月1日前から発売し往復同時購入が可能。ただし例外的に年末年始の特急券は12月1日発売となる。
- 2007年4月13日現在の特別急行料金(こども半額)
キロ程 | 特別急行料金(円) |
---|---|
1~40 | 500 |
41~80 | 870 |
81~140 | 1,280 |
141~180 | 1,560 |
181~ | 1,850 |
- 特別車両料金(デラックスカー)
- サロンカー(コンパートメント席)
- 特急券の代わりに「サロン券」を要し、利用する際は座席定員分の大人特急料金が必要(2人用・4人用あり、大人・こども同額)。伊勢志摩ライナーに設置。
- 特急の乗継
事前に特急券を購入する時に限られるが、他系統の特急同士を接続駅(伊勢中川駅・大和西大寺駅・橿原神宮前駅など)で30分以内に乗り継ぐ場合は、料金は通算する(回数は問わない)。但し、サロンカーを利用する場合を除く。なお、座席予約システム上3回の乗り換え(4列車)まで(券売機やインターネット予約では2回乗り換え(3列車)まで)を1枚の特急券で発売可能としている。乗り継ぎ料金制度も参照。
- 遅れの場合
事故や天災その他によるダイヤの乱れで到着が所定より1時間以上遅れたり、発車が1時間以上遅れて利用を止めた場合は、特急料金が全額払い戻される。ただし、回数特急券や特急カードの場合は指定取消の処置をとる代わりに、払い戻しは一切行わない。
[編集] 割引切符
- マンスリービスタ14
特急料金の500円・870円区間に関してのみ販売される、14回分のカード式特急料金回数券。500円区間用は6,000円(約14%引)で、870円区間用は9,800円(約19%引)。有効期間は発売から1ヶ月間。
- ビスタカードプラス
特急券・特別車両券・サロン券専用のプリペイドカードで、5,000円で5,500円分利用できる(約9%引)。有効期間は発売日から3ヶ月間。
近鉄難波駅~近鉄名古屋駅間の乗車券・特急券をセットにした回数券タイプのもので、レギュラーシート用とデラックスシート用の二種類が存在し、それぞれ4枚つづりと10枚つづりがある。同区間は運賃・特急料金合わせてレギュラーシート利用で4,150円であるが、レギュラーシート用まる得きっぷだと4枚つづりで14,000円(1枚あたり3,500円・約16%引)、10枚つづりは32,000円(1枚あたり3,200円・約23%引)となる。有効期間は発売日から3ヶ月間。
- 伊勢志摩ビスタ4/吉野路ビスタ4
伊勢市以南の区間および吉野線内で利用できる4回分1,200円の特急料金回数券(通常料金500円の区間で1回あたり300円・40%引き)。有効期間は発売日から3ヶ月間。
[編集] インターネット予約・発売
2001年(平成13年)3月より、インターネット・iモード(後にEZweb・J-Sky(現Yahoo!ケータイ)にも対応)向けに導入された特急券インターネット予約・発売サービス。会員登録を行う事により、インターネットや携帯電話によるネット接続サービスにて特急券の予約や購入が行える。会員には2種類あり、A会員は「クレジットカード」登録または「近鉄特急チケットレス積立金カード」登録が必要で、特急券の購入(クレジットカードもしくは積立金による決済)まで行う事が可能(予約のみも可能)。B会員は、特急券の購入は出来ず、予約のみ可能。利用可能時間は6時~23時30分。受取については、近鉄特急券取扱駅窓口および対応する券売機で可能。
- 近鉄特急netでポイントサービス
2002年(平成14年)3月より開始となったポイントサービス。A会員がインターネット予約・発売で特急券を購入すると、購入額の5%をポイントとして還元するサービス。ポイントの有効期限は1年(取得した翌年同月まで)で、有効期限内に特急券(特別車両料金、サロン料金を含む)の購入(引換え)にあてる事が出来る。
- 近鉄特急チケットレスサービス
携帯電話よりインターネット予約・発売にて特急券を購入した際、特急券の受取をせずとも特急に乗車できるサービス。A会員がクレジットカードもしくは近鉄特急チケットレス積立金カード利用による特急券の受取を一度行うと、チケットレス会員登録が行える。チケットレス会員登録を行うと、次回購入時より駅での特急券受取とチケットレスが選択出来るようになる。ここでチケットレスを選択すると、携帯電話の場合は画面に購入した特急券の内容が表示されるのでその画面を携帯電話の機能(例:画面メモ)で保存するか、パソコンの場合はその画面を印刷することによりそれが特急券になるというもの。特急券を提示する必要がある場合は、この保存した画面もしくは印刷した用紙を提示する。チケットレス購入を行うと通常のポイント5%に加えチケットレスポイント5%が加算され合計10%がポイント還元される。なお、チケットレスサービスを利用する際は、決済に利用したクレジットカードや近鉄特急チケットレス積立金カードを所持する必要がある。これはトラブル発生時に、特急券購入者本人であるかを確認する為である。
2003年3月に吉野特急(大阪阿部野橋~吉野間)で携帯電話利用によるチケットレスが導入され、同年6月に全線に拡大された。なお、2006年(平成18年)12月11日より、パソコンの画面を印刷したものが特急券の代わりとなり、パソコン予約からもチケットレス乗車が可能になった。
- 近鉄特急積立金サービス
2006年(平成18年)12月11日より、従来のクレジットカードに加え、あらかじめ積み立てた現金で特急券(特別車両料金、サロン料金を含む)の決済を行うことが可能になった。このサービスを利用するためには、インターネット会員(A会員)登録をした上で、駅の特急券窓口等に備え付けてある「近鉄特急チケットレス積立金カード」の番号を登録する。チケットレスサービスを利用する場合にはさらにチケットレス会員登録が必要。netポイントもクレジットカードと同様に加算される。
積立は指定の「定期券・特急券自動発売機」・「特急券自動発売機」・「特急券窓口」で現金のみできる。退会時に払い戻しするためには払い戻し手数料500円が必要(積立金残額が500円に満たない場合は払い戻しされない)。
[編集] 車内販売
近鉄特急では、以前は多くの路線で車内販売を傍系の近鉄観光が行っていた。しかし、旅行時に自宅で弁当を作り持ち込んで乗車する習慣があったり近鉄特急の場合平均乗車距離が短い場合が多い事などから、車内販売の売り上げはかんばしくなく車内販売の売り上げだけでは黒字になった事が無い(赤字だった)と言われている。当時、近鉄特急車内で布おしぼりが配布されており、近鉄から近鉄観光への布おしぼり配布委託料でその赤字を埋めていたとも言われている。しかし、1990年代から特急利用者の減少により車内販売の売り上げが落ち、さらに布おしぼり配布の廃止(紙おしぼりのセルフサービス化)や駅売店やコンビニエンスストアなどであらかじめ商品を買って持ち込む客が増えるなどした為、2002年春をもって一旦営業を中止していた。
2006年11月より、土・休日ダイヤの23000系(伊勢志摩ライナー)を用いる阪伊・名伊・京伊特急、計上下12本で営業を再開した。再開した車内販売は、近鉄が運営・実業務を傍系の近鉄リテールサービスへ委託して行われている。
[編集] 特急が運行される路線
- 難波線(近鉄難波~上本町)
- 奈良線(布施~近鉄奈良)
- 大阪線(上本町~伊勢中川)
- 名古屋線(近鉄名古屋~伊勢中川)
- 山田線(伊勢中川~宇治山田)
- 鳥羽線(宇治山田~鳥羽)
- 志摩線(鳥羽~賢島)
- 京都線(京都~大和西大寺)
- 橿原線(大和西大寺~橿原神宮前)
- 天理線(平端~天理)※臨時列車のみ
- 南大阪線(大阪阿部野橋~橿原神宮前)
- 吉野線(橿原神宮前~吉野)
(前述の通り、過去においては湯の山線(近鉄四日市~湯の山温泉)にも設定されていた。)
[編集] 特急に使用される車両
近畿日本鉄道の車両形式も参照のこと。
[編集] 現役車両
- 12200系電車(新スナックカー)
- 12400系電車(サニーカー)
- 12410系電車(サニーカー)
- 12600系電車(サニーカー)
- 30000系電車(ビスタカーIII世・ビスタEX)
- 21000系電車(アーバンライナーplus)
- 22000系電車(ACE)
- 23000系電車(伊勢志摩ライナー)
- 21020系電車(アーバンライナーnext)
- 16000系電車(吉野特急用)
- 16010系電車(吉野特急用)
- 26000系電車(さくらライナー・吉野特急用)
- 16400系電車(ACE・吉野特急用)
[編集] 過去に使用されていた車両
- 2200系・2227系電車
- 2250系電車
- 6301形電車(名古屋線用)
- 6401系電車(名古屋線用)
- 6421系電車(名古屋線用)
- 6431系電車(名古屋線用)
- 680系電車(京橿・京奈特急用)
- 5820形電車 (初代)(南大阪線「かもしか」用)
- 10000系電車(ビスタカーI世)
- 10100系電車(ビスタカーII世)
- 20100系電車(あおぞら・主に臨時列車用)
- 10400系電車(エースカー)
- 11400系電車(新エースカー)
- 18000系電車(京奈・京橿特急用)
- 18200系電車(京伊特急用)
- 18400系電車(ミニスナックカー・京伊特急用)
- 12000系電車(スナックカー)
[編集] 沿革
近鉄の前身である大阪電気軌道・参宮急行電鉄(大軌・参急)は、1932年(昭和7年)から1938年(昭和13年)の間に阪伊・名伊間などで「特急」の種別を持った列車を走らせていたが、この時は特別料金を要さず、JRの快速列車などと同様に速達サービスを提供するために設定されていた。
有料特急の創始は、戦後の1947年(昭和22年)に運行を開始した名阪特急(ただし伊勢中川で乗換)で、終戦後の各私鉄の中では、最も早い時期のものとなった。1960年(昭和35年)に伊勢湾台風の復旧工事と兼ねて名古屋線の改軌を行い、名阪特急・名伊特急の直通運転を実現させている。
車両面では、高度経済成長期の1958年(昭和33年)に「ビスタカー」と称せられた10000系、1959年(昭和34年)にその量産形といえる10100系を開発した。しかしニーズの変化もあって、1988年(昭和63年)には2階席を廃した新しい近鉄の顔となる、21000系「アーバンライナー」を運行に就かせている。
その他にも、奈良線などでは料金不要の「特急」が設定された事があったが、1972年(昭和47年)までに種別を「快速急行」と変更するなどして消滅している。
詳細は近鉄特急史を参照。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 主要参考文献
- 「近鉄特急 上」(著者・編者 田淵仁、出版・発行 JTB)ISBN 4533051715
- 「近鉄特急 下」(著者・編者 田淵仁、出版・発行 JTB)ISBN 4533054161
- 「時刻表でたどる鉄道史」(著者・編者 宮脇俊三・原口隆行、出版・発行 JTB) ISBN 4533028721
- 「時刻表でたどる特急・急行史」(著者・編者 原口隆行、出版・発行 JTB) ISBN 4533038697
- 「東海道新幹線 (2)」(著者・編者 須田寛、出版・発行 JTB) ISBN 4533050573
- 「まるごとJR東海ぶらり沿線の旅」(著者・編者 徳田耕一、出版・発行 河出書房新社)ISBN 4309224199
- 「国鉄・JR列車名大事典」(著者・編者 寺本光照、出版・発行 中央書院)ISBN 4887320930
- 「東への鉄路 上」(著者・編者 木本正次、出版・発行 学陽書房)ISBN 4313830693
- 「東への鉄路 下」(著者・編者 木本正次、出版・発行 学陽書房)ISBN 4313830707
- 「時刻表復刻版」(著者・編者 JTB、出版・発行 同左)
- 戦前・戦中編 ISBN 4533033938
- 戦後編1 ISBN 4533033946
- 戦後編2 ISBN 4533034632
- 戦後編4 ISBN 4533035809
- 昭和後期編 ISBN 4533037259
- 「JTB時刻表 各号」(著者・編者 JTB、出版・発行 同左)
- 「JR時刻表 各号」(著者・編者 交通新聞社、出版・発行 同左)
- 「近鉄時刻表 2004年号」(著者・編者 近畿日本鉄道、出版・発行 同左)