小林武史
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小林 武史(こばやし たけし、1959年6月7日 - )は日本の音楽家。音楽プロデューサー、作詞、作曲、編曲、ミュージシャン(キーボーディスト)。特にMr.Childrenのプロデューサーとして有名である。
MY LITTLE LOVER、Lily Chou-Chouの元メンバーで、Mr.Children・MY LITTLE LOVER・レミオロメン・Salyuなどが所属する事務所「烏龍舎(ウーロンシャ)」代表取締役(創設者)。ap bank代表理事。音楽制作者連盟理事。山形県新庄市出身。山形県立新庄北高等学校卒業。
Mr.Childrenの全作品の編曲に携わり、一部作品では作詞・作曲も手掛けているため、しばしば「第5のメンバー」と称される(Mr.Childrenでは全てのライブ・プロデュース(演出)も手がけ、またサポートキーボードとして参加することもある)。サザンオールスターズのプロデュースで評価を集め、現在はMr.Childrenの他にレミオロメン、Salyuなどのプロデュースを行っている。自身もメンバーとして加わっていたMY LITTLE LOVERでも大きな活躍を見せた。
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[編集] 経歴
[編集] 幼少期~音楽界へ
5歳からピアノを始めた。兄の影響もあって多くの音楽、特に洋楽を聴いていたが、特に影響を受けたのはジョン・レノンの『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』(1970年)、ピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon(狂気)』(1973年)という。
音大に行き、バンドを組んで自作曲を演奏したり米軍キャンプ回りをする一方、20歳頃にはスタジオミュージシャン(キーボーディスト)としても活動を始める。その頃杏里への楽曲制作を依頼され、初めて作曲を手がけた「思いきりアメリカン」(1982年4月21日)がヒット。これを機に作曲家としても活動を開始。(この曲以外の杏里への提供楽曲では、作曲のみならず、全て作詞も手がけている。)また、この時杏里のアレンジをしていた佐藤準のすすめでアレンジャー業も開始した。
25歳の頃、大村憲司との出会いをきっかけに、井上陽水、坂本龍一、高橋幸宏、大貫妙子ら、数多くのアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加したり、松本隆・筒美京平コンビの楽曲の編曲を手がけるなど、あっという間に引っ張りだことなる。
1988年、1989年には、小林自身が歌っているデモ・テープを聴いた大貫妙子の勧めで「小林武史」としてソロアルバムを2枚出したが、ほとんどプロモーションが無かったこともありセールス的には大きな影響を生み出せなかった。しかしこの世界は後のMY LITTLE LOVERに繋がる。
[編集] 日本を代表するプロデューサーへ
初めてプロデュースを依頼されたのは、パンクバンドであるザ・ロック・バンド(旧 アナーキー)のアルバム『四月の海賊たち』(1987年8月発売)である。
1987年に桑田佳祐と出会い、桑田の1stソロシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年10月6日)、2ndソロシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」(1988年3月16日)のアレンジを担当し、ヒット。続く桑田の1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』(1988年7月9日)のアレンジ、プロデュース業を任され、当時あまりメジャーではなかった小林が高く評価されるきっかけとなった。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と桑田は語っている(桑田著:『ただの歌詞じゃねえかこんなもん~』より)。
この頃からサザンオールスターズの編曲にも関わるようになり、長らく活動を休止していたサザンはシングル「みんなのうた」(1988年6月25日)で復活する。桑田が「あの曲はサザンとして、開き直りだった」というように、小林によるアレンジはそれまでにないアップテンポで斬新なものだった。その後サザンのコンサートの定番となり、必ずといっていいほど要所で歌われる曲になっている。
続く、サザンのアルバム『Southern All Stars』(1990年1月13日)ではほとんどの曲のアレンジを手がけた。桑田が監督した映画『稲村ジェーン』の音楽監督も務め、同映画のサントラ『稲村ジェーン』(1990年9月1日)をプロデュース。映画主題歌だった「真夏の果実」(1990年7月25日)もヒットし同曲と、「希望の轍」はサザンライブの定番の曲となった。翌年1991年は、原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』(1991年6月1日)をプロデュース、ほとんどの曲のアレンジを手がけた。
この頃に桑田佳祐らとSUPER CHIMPANZEEという(小林曰く、“冗談のような”)バンドを組んで活動。シングル「クリといつまでも/北京のお嬢さん」をリリース、日清パワーステーションで洋楽、NHKで邦楽のカバーライブをしたりした。このライブの模様は桑田圭祐『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』(DVD/VHS/LD)で見ることが出来る。
1992年は「涙のキッス」「シュラバ★ラ★バンバ」(ともに1992年7月18日)などを含んだ『世に万葉の花が咲くなり』(1992年9月26日)のアルバムプロデュースを手がけたが、桑田とのコラボレーションアルバムとしてはこれが最後となり、シングルとしては「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」(1993年11月20日)を最後に、桑田との共同作業から離れることになった。
この頃他にプロデュースを手がけていたアーティストとしては、大貫妙子、渡辺美里、小泉今日子などがおり、作曲・編曲を手がけ、小泉の初ミリオンセラーとなる「あなたに会えてよかった」(1991年5月21日)で日本レコード大賞編曲賞を受賞。後に「この曲でメロディーメーカーとして世間に認知されたことが大きな自信になった」と小林は語っている。
[編集] TK時代
Mr.Childrenの資質を見抜いていた小林はデビュー時(1992年)からプロデュース。当初はなかなかヒットしなかったが、アルバム『Atomic Heart』(1994年)の頃より大ブレイク。また、かねてよりデビューさせたかったAKKOとギタリスト藤井謙二をMY LITTLE LOVERとしてデビューさせる(1995年)。曲はほとんど小林の作詞作曲による。シングル3作目の「Hello, Again ~昔からある場所~」(藤井との共作)、1stアルバム『evergreen』ともに200万枚を超える大ヒット。ヒットメーカーの名を不動のものとし、当時trfやglobeのプロデュース業で大ブレイクしていた小室哲哉とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。MY LITTLE LOVERはその後、以前ほどの売れ行きを見せなくなったが、Mr.Childrenは依然として大きなセールスを続け日本を代表するアーティストとなった。
また1995年には桑田とMr.Childrenを共演させたシングル「奇跡の地球」を発表。また岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996年)の音楽監督を務め、同映画の主人公を演じたCharaがボーカルを務める架空のバンド・YEN TOWN BAND名義で出したシングル「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」(1996年7月22日)、アルバム『MONTAGE』(1996年9月16日)をヒットさせた。岩井とは映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)でもタッグを組み、映画と連動した架空の歌手・Lily Chou-Chou(役はSalyu)の作品をリリースした。
[編集] 近況 (2000年以降)
その他にもエレファントカシマシのアルバム『ライフ』(2002年5月2日)、SMAPのシングル「友だちへ ~Say What You Will~」(2005年1月19日)など多くのアーティストを手がけた。
SalyuはLily Chou-Chouとしてのデビュー時(2000年)よりプロデュースを手がけ、ほぼ全曲で作詞・作曲・編曲をしている。
レミオロメンはシングル「モラトリアム」(2005年1月12日)、アルバム『ether』(2005年3月9日)以降の作品で全面的に関わっている。
「ap bankfes '05」をきっかけに知り合った一青窈へは、「指切り」(2005年12月7日)、「てんとう虫」(2006年11月29日)、「冬めく」(発売未定)と立て続けに楽曲提供・プロデュースを行っており、一方で彼女に対しても、小林がプロデュースするSalyuや綾瀬はるかの楽曲への作詞依頼を行うなど共作が続いている。なお2007年1月26日発売の写真週刊誌「フライデー」、及びそれを後追いしたスポーツ新聞や雑誌等において、小林と一青の不倫疑惑がスクープされた。小林の所属事務所烏龍舎(社長は小林自身)はこの件に関し「プライベートのことなのでコメントしません」としている。
なお上述の通り女優・綾瀬はるかの1st、2ndシングルをプロデュースしており、デビュー曲「ピリオド」(2006年3月24日)ではEvery Little Thingの持田香織、2ndシングル「交差点days」(2006年9月13日)では一青窈と共作するなどの活動を行っている。
しばらく休止していたMY LITTLE LOVERは2006年7月、AKKOのソロプロジェクトとしてエイベックスに移籍することが発表された。再始動シングル「り・ぼん」(2006年11月8日)、アルバム『akko』(2006年12月6日)では小林は作詞・作曲は行わず、一部の曲でキーボーディストとして参加、エグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされている。復活第二段シングルとなる「あふれる」(2007年3月7日)では作曲・編曲・プロデュースを手掛けている。
2007年2月20日、約2年半に渡って活動休止状態にあった鬼束ちひろのプロデュースを手掛けることが明らかになった。
映画音楽の製作にも意欲的であり、『深呼吸の必要』(2004年) 、『地下鉄に乗って』(2006年)、『幸福な食卓』(2007年)の音楽監督を務めている。
2001年に桜井和寿・田原健一とAcid Testとして活動したことがきっかけとなり、2003年、桜井・坂本龍一らと共に非営利金融機関ap bankを設立。それに関連して雑誌『SWITCH』に連載を持ったり、「ap bank dialogue」と題した講演を行うなど、その活動は多岐に渡る。2005年及び2006年には多数のゲストアーティストを呼んで野外フェス「ap bank fes」を成功させた。2007年3月16・17・18日には場所をクラブに移した「AP BANG! 東京環境会議 vol.1」を開催した。
また桜井らと結成したBank Bandでは日本のロック・ポップスをカヴァー。アルバム『沿志奏逢』(2004年10月20日)、ライブDVD『BGM Vol.2~沿志奏逢』(2005年3月30日)をリリースしている。Bank Band with Salyu名義のシングル「to U」(2006年7月19日)は、反戦や環境問題などをテーマにしたBank Band唯一のオリジナル曲で、ニュース23(TBS)のテーマ曲としても使用され、ヒットした。
[編集] エピソードなど
[編集] エピソード
- FMラジオJ-WAVEで、「Sign of Thursday」という番組のナビゲーター(DJ)を一年手がけたことがある(1998年4月-1999年3月、木曜の20時からの一時間番組)。この番組では毎週音楽的テーマをあらかじめ決め、それについて曲を紹介しながら小林がコメントするという内容であった。主に海外の著名アーティストや、プロデューサー、またMr.ChildrenやMY LITTLE LOVERのCDが発売される時は番組で特集も行った。この番組でのBGMも小林が手がけ、それらの一部はMY LITTLE LOVERの『The Waters』で聞ける。
- 身長が高く183cmほどあるとされるが詳しくは不明。
- 目つきが鋭く、初対面したMr.Childrenの田原は目を合わせられなかったらしい。小林は「何故か田原だけ、空気中のある一点をずーっと凝視してた」とそのことをたびたび笑い話として語る。
- 髪を中ほどまで伸ばす独特のヘアスタイルを長く維持している。
- 「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」で松本人志に、「ひとりごっつ」を見ていると語った事がある。
- 「ミュージックステーション」でタモリに「俺、小林君みたいな(寡黙な)人好きなんだよ、いじりがいがあって」とよく言われる。
- 桜井らによれば、普段の小林は非常に雄弁だが、テレビの前ではおとなしくなるという。
- 喋り方が独特で、その巧みな話術はミスチルのメンバーから「催眠術のようだ」と言われている。
- 「“水”がとにかく好き」であり、趣味は水泳・ダイビング。その為か小林の関わる作品には「水」に関する詞やイメージが多数登場する。「宇宙」の話も好き。
- 「将来的には珊瑚を植える人になりたい」と語る。(2006.9.2 「ap bank dialogue '06 vol.4 in シブヤ大学」)
- 大の野球ファン(特に巨人軍)であり、楽曲や物事をよく野球に例える。
- 麺類が好きで、特に日本そばには拘りがある。お茶も好き。酒もたしなみ、酔うと饒舌になるらしい。2007年3月の「AP BANG!東京環境会議 vol.1」のリハーサル時は、1週間以上毎日牛丼を食べ続けた。
- サザンと同じ事務所に所属していた女優・松下由樹とは8年間交際し、結婚寸前と言われていたが1995年に破局。直後にMY LITTLE LOVERのAKKOとできちゃった結婚をする。なお1988年5月10日、『ザ・ベストテン』に桑田佳祐「いつか何処かで」がランクインし、桑田・小林・松下の3人で出演。小林はキーボードとコーラス、松下はピアニカを演奏した。
- 桑田佳祐の『Acoustic Revolution Live 』 (1991)で桑田による小林のメンバー紹介で、「キーボード、ベース、グロッケン、横森良造のモノマネ。全てやってくれます!小林武史!」「彼とは僕がソロアルバム作った時からの仲で、今も原坊(原由子)のアルバム作ってるんですけど、朝7時、8時まで一人コツコツ作ってくれてます。これからも、彼が嫌だといっても(笑)、サザン関係に巻き込んでいきます!」とコメントされた。
- 二人の娘はアメリカ生まれ。
- 血液型はB。
[編集] 音楽的エピソード
- 専門の演奏楽器はピアノ、キーボード、シンセサイザー、アコーディオン、グロッケンといった鍵盤楽器であるが、ベースやギター、コーラスを担当していることもある。
- 一番好きな楽器はピアノとのこと(一台で多くの事ができるから)
- 近年は電子的なキーボード音色よりも、弾き手の感情がより緻密で繊細に音に表れ、時を経ても鮮明さを失わないアコースティックピアノに魅力を感じると言い、自らも積極的に演奏している。
- ピアノで伴奏をする際などには、わざと出だしをずらしたり独特の間を作ることで、歌い手への効果を狙うことがしばしばあるという。
- スティーヴィー・ワンダーの『Songs in the Key of Life』(1976年)に影響を受け、MY LITTLE LOVER『Topics』の冒頭にその影響が見られる。
- アメリカよりはUKの音楽が好きらしい。
- ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンとラジオで対談し、「君はこっちじゃもう有名だよ」と褒めて貰ったことがある。
- 「スティーリー・ダンは自分にとって聖域」とその音楽的完成度を賞賛している。
- 日本のアーティストでは元はっぴいえんどの大滝詠一らを尊敬しており、広告代理店の紹介で共作の相談に自宅まで行った事がある。その際、大滝も小林を知っていたが、「今はまだ自分にしたりないことがある」ということで、小林曰く「気持ちよく断られた」とのこと。
- 作曲家デビュー当初からイントロ等のキャッチーなフレーズ作りには定評があり、桜井らからは「イントロ大王」と称される。編曲を手がけた多くの楽曲でそのフレージングセンスは伺えるが、ミスチルでは「Tomorrow never knows」、「innocent world」、サザンでは「希望の轍」、「真夏の果実」などが有名である。ミスチルの初ブレイクとなったアルバム『Atomic Heart』では小林が「このアルバムの始まりはジャジャジャジャーンで行こう」と決定、そこから一曲目「Dance Dance Dance」の残りのメロを桜井とともに仕上げていった。
- 作詞する速度が驚異的に速く、AKKOによると「私が2行書く間に彼が全部書き上げてしまうので出番がない」という
- Mr.Childrenの「I'll be」という曲では桜井に酒を飲んで酔わせリラックスさせて歌うことを提案した。(アルバム版のみ)
[編集] 発言
- 「プロデュースというのは、例えば誰かが肩が凝ってると、僕はツボを押してあげて血行をよくしてそのアーティスト本来の良さを引き出す作業のようなものだと思います。ただ、「また凝ったんですよ。」としょっちゅう言われるとこっちも「またかよ」ってなりますけど」
- 「日本音楽界の大きな部分を小室さんが担ってて、そして小さな一角の部分で僕がやってるって感じ」(1990年代中期、TK時代と呼ばれていたことについて)
- 「僕は楽器が多く鳴ってる曲を、整理することによって楽器数少ないように感じさせるのが得意なんです」
- 「わくわくするポップ感覚って、高いところから人を見下ろすんじゃ駄目で、視線を下げて、どんな人とも同じ視点で通じてくものにしないといけない。それじゃないと共感は生まれない」
- 「on/offの快感が好きなんです。」
- 「自分は音楽に出会えたことを本当に嬉しく思う。音楽をやってなかったらまともな人間にはなってなかっただろう」(ラジオ番組より)
- 「桑田さんは歩く電通」(桑田佳祐の詞はどの言葉も広告のキャッチコピーのようにキャッチーである、ということを桜井にそう表現した)
- 「いつかまた彼と仕事ができたらと思うんです。何しろ、偉大なボーカリストだと思いますから・・・」- 桑田に対してのコメント
- 「優しいだけの男なんて誰も求めてねぇよ」- Mr.Childrenのデビュー当時、20歳そこそこの可愛い恋愛の詩を書いていた桜井に対して
- 「ミスチルの影響で、その後の(日本音楽界の)フォーキーな流れが始まった」
- 「自分を突き放すだけじゃなくて、そこに希望を見出すんだ」 - シングル「innocent world」の歌詞に悩んでいた桜井に言った言葉
- 「深海はコンセプト色の強いアルバムで、僕が意図的に桜井をそういう方向に引っ張っていったというのもある。それ位当時の彼は無軌道だった」- Mr.Childrenのアルバム『深海』について
- 「(ベスト盤的な要素のある、)このアルバムはいいものなのかどうかわからない・・・」- Mr.Childrenのアルバム『BOLERO』について
- 「これまでの活動休止を補って余りある、最高のシングルが出来たと思います」 - Mr.Childrenの「終わりなき旅」を初めてラジオで流す前に言ったコメント
- 「これまでのMr.Childrenで最高のアルバムができた」- Mr.Childrenのアルバム『DISCOVERY』『IT'S A WONDERFUL WORLD』『シフクノオト』『I ♥ U』完成後のコメント
- 「今度はアフリカや国際問題に目を向けてはどうだろう?」(2006年、Mr.Children「箒星」作成後に次のアルバムを方向性を議論する際に小林が提案した案、ただし桜井はそのテーマにあまり乗り気ではなく「HOME 」が作られる)
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
[編集] アルバム
[編集] ドラマ音楽
- 『ずっとあなたが好きだった』(TBS系、1992年7月~9月)
- 『ダブル・キッチン』(TBS系、1993年4月~6月)
- 『誰にも言えない』(TBS系、1993年7月~9月)
- 『終わらない夏』(日本テレビ系、1995年7月~9月)
[編集] 映画音楽
- 『稲村ジェーン』 桑田佳祐 監督 (1990年)
- 『スワロウテイル』 岩井俊二 監督 (1996年)
- 『リリイ・シュシュのすべて』 岩井俊二 監督 (2001年)
- 『深呼吸の必要』 篠原哲雄 監督 (2004年)
- 『地下鉄に乗って』 篠原哲雄 監督 (2006年)
- 『幸福な食卓』 小松隆志 監督 (2007年1月27日公開)
[編集] その他の主なプロデュ-ス(アレンジ参加含む)
七尾旅人、観月ありさ、高野寛、安田成美、BEGIN、牧瀬里穂、鈴木祥子ほか
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- MY LITTLE LOVER Web Wonderland
- ap bank ホームページ
- ap bank fes ホームページ
- AP BANG! 東京環境会議 TOKYO CREATORS MEETING
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