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自衛隊海外派遣(じえいたいかいがいはけん)では、自衛隊の海外派遣についてを記す。日本は1989年(平成元年)の冷戦終結による緊張緩和および1991年(平成3年)初頭に勃発した湾岸戦争によって、それまでの活動の枠を超えた積極的な国際協力を求められるようになったため、ペルシャ湾での掃海活動を最初として国際貢献のため行われはじめた。なお、海上自衛隊の練習艦隊による遠洋練習航海については練習艦隊を参照。
[編集] 法律
自衛隊海外派遣の根拠となる法律と、成立のきっかけとなった事件を記す。なおこれらは、1954年(昭和29年)6月2日に可決された「自衛隊の海外出動を為さざることに関する参議院決議」に違反するのではないかとの疑いが拭えない。2006年(平成18年)12月15日に成立した改正自衛隊法により、海外派遣が通常任務とされた。
[編集] 海外派遣実績
[編集] 後方支援・復興支援
- ペルシャ湾掃海派遣
- 1991年(平成3年)6月5日~9月11日。自衛隊法99条に基づき、海上自衛隊のペルシャ湾掃海部隊を派遣する。ペルシャ湾(公海・イラク領海・イラン領海・クウェート領海・サウジアラビア領海)で活動。
- インド洋派遣海上支援活動
- 2001年(平成13年)11月~継続。テロ対策特措法に基づき、米軍などへの後方支援。海上自衛隊のインド洋後方支援派遣部隊が参加する。
- イラク人道復興支援活動
- 2004年(平成16年)1月16日~継続。イラク特措法に基づき、陸上自衛隊のイラク復興支援群とイラク復興業務支援隊、航空自衛隊のイラク復興支援派遣輸送航空隊が参加する。
[編集] 国際連合平和維持活動(PKO)
- カンボジア国際平和協力業務
- 1992年(平成4年)9月17日~1993年(平成5年)9月26日。国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に、停戦監視要員8名、カンボジア派遣施設大隊600名が参加する。武装は拳銃(自衛隊9mm拳銃・9mm機関拳銃)・64式7.62mm小銃・82式指揮通信車のみ。
- モザンビーク国際平和協力業務
- 1993年(平成5年)5月11日~1995年(平成7)1月8日。国連モザンビーク活動(ONUMOZ)に司令部要員5名、輸送調整部隊48名が参加する。武装は拳銃・小銃のみ。
- ゴラン高原国際平和協力業務
- 1996年(平成8年)2月1日~継続。イスラエルとシリアの国境地帯のゴラン高原に駐留する。国連兵力引き離し監視隊(the United Nations Disengagement Observer Force, UNDOF)に司令部要員2名、ゴラン高原派遣輸送隊43名が参加する。武装は拳銃・小銃・機関銃のみ。
- 東ティモール国際平和協力業務
- 2002年(平成14年)2月(施設部隊は3月2日)~2004年(平成16年)6月27日。国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET、2002年5月20日以降は国連東ティモール支援団 UNMISET)に、司令部要員7~10人、施設部隊405~680人(1次隊及び2次隊は各680人、3次隊は522人)が参加する。武装は拳銃・小銃・機関銃のみ。
- ネパール国際平和協力業務
- 2007年(平成19年)3月30日~継続。ネパール政府と毛派の停戦監視を行う国連ネパール支援団(UNMIN)に、非武装の監視要員として自衛隊員6人が参加する(他に連絡要員として文民5人)。省移行後初の海外派遣。
[編集] 難民救援活動
- ルワンダ難民救援国際平和協力業務(国際連合難民高等弁務官事務所 UNHCR)
- 1994年(平成6年)9月21日~12月28日。先遣隊23名、ルワンダ難民救援隊260名、空輸派遣隊118名をザイール(現コンゴ民主共和国)等へ派遣する。武装は拳銃・小銃・機関銃・82式指揮通信車のみ。
- 東ティモール避難民救援(UNHCR)
- 1999年(平成11年)11月~2000年(平成12年)2月。空輸部隊113名を派遣する。
- アフガニスタン難民救援(UNHCR)
- 2001年(平成13年)10月。アフガニスタン戦争難民の救援。空輸部隊138名を派遣する。
- イラク難民支援(UNHCR)
- 2003年(平成15年)3月~4月。イラク戦争難民救援に空輸部隊56人を派遣する。UNHCRのための救援物資の航空輸送。
- イラク避難民救援
- 2003年(平成15年)7月17日~8月12日。イラク被災民救援に空輸部隊98人を派遣する。C-130Hによるヨルダンのアンマンとイタリアのブリンディシ間の空輸活動。
[編集] 国際緊急援助活動
- ホンジュラス国際緊急援助活動(ハリケーン災害)
- 1998年(平成10年)11月13日~12月9日。医療部隊80名、空輸部隊105名を派遣する。
- トルコ国際緊急援助活動に必要な物資輸送(地震災害)
- 1999年(平成11年)9月23日~11月22日。海上輸送部隊426名を派遣する。
- インド国際緊急援助活動(地震災害)
- 2001年(平成13年)2月5日~11日。物資支援部隊16名、空輸部隊78名を派遣する。
- イラン国際緊急援助活動(地震災害)
- 2003年(平成15年)12月30日~2004年(平成16年)1月6日。空輸部隊31名を派遣する。
- タイ王国国際緊急援助活動(地震・津波災害)
- 2004年(平成16年)12月28日~2005年(平成17)1月1日。タイ王国におけるスマトラ島沖地震の国際緊急援助活動として、護衛艦「きりしま」、護衛艦「たかなみ」、補給艦「はまな」人員約600名を派遣。同部隊はインド洋における任務を引き継ぎ帰国途中の部隊であった。
- インドネシア国際緊急医療・航空援助隊(地震・津波災害)
- 2005年(平成17年)1月12日~3月22日。スマトラ島沖地震の被災地での救援活動。インドネシア共和国等における国際緊急援助活動として、輸送艦「くにさき」、護衛艦「くらま」、補給艦「ときわ」、人員約640名を派遣して、航空端末輸送により物資約1.3t、人員128名、海上輸送により重機等34両を行なった。
- カムチャッカ国際緊急援助活動(潜水艇救助)
- 2005年(平成17年)8月5日~8月7日15時。ロシア連邦カムチャツカ半島周辺海域におけるロシア海軍の潜水艇(AS28型潜水艇、7人乗組)の救助。日本隊の到着前に英国海軍等の活動により救助されたことから日本隊は帰国。翌2006年(平成18年)1月13日にロシア連邦から、指揮官の木下憲司一等海佐に対してロシア連邦名誉勲章を授与される(授与式には額賀福志郎防衛庁長官も出席)。
- 派遣部隊:カムチャツカ国際緊急援助海上派遣部隊
- 指揮官:木下憲司一等海佐(潜水艦隊第2潜水隊群司令)
- 編成:潜水艦救難母艦「ちよだ」(潜水艦隊所属、艦長は吉岡俊一一等海佐、乗員約120名)・掃海母艦「うらが」(掃海隊群所属、艦長は高橋史克二等海佐、乗員約160名)・掃海艇「ゆげしま」(大湊地方隊所属、艇長は田鹿徹也一等海尉、乗員約45名)・掃海艇「うわじま」(大湊地方隊所属、艇長は加藤寛和三等海佐、人員約45名)の計4隻約370名。
- パキスタン・イスラム共和国への国際緊急援助隊の派遣(地震災害)
- 2005年(平成17年)10月11日長官指示、10月12日(先遣隊20名出発)~12月1日全員帰国。陸上自衛隊北部方面隊第5旅団を基幹として、パキスタン国際緊急航空援助隊(当初UH-1を3機、じ後UH-1を3機増援し、合計6機)を編成。援助活動に関する航空輸送を行う。航空自衛隊はパキスタン国際緊急援助空輸隊等を編成。C-130Hを4機、政府専用機を2機を使用し、陸上自衛隊の国際緊急援助隊の航空輸送を行う。
- インドネシア共和国における国際緊急援助活動(地震災害)
- 2006年(平成18年)5月31日長官命令。6月1日(先遣隊20名弱出発)~6月13日終結命令、6月21日全員帰国。陸上自衛隊は医療部隊50名・追加100名でジョグジャカルタ近郊住民の治療、航空自衛隊はC-130H×2機(予備機としてC-130×1、U-4×1)による輸送活動を行う(空自は6月6日に終了)。
[編集] 関連項目