スマトラ島沖地震
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スマトラ島沖地震の被害者への募金に関してスマトラ島沖地震募金案内に詳細があります。 |
スマトラ島沖地震は、広くスマトラ島周辺で起こる大きな地震を指すが、複数有り、ここでは
- スマトラ島周辺で起こる地震全体の概要
- 2004年12月26日、インドネシア西部時間午前7時58分50秒に発生したスマトラ島沖地震(スマトラ沖地震、インド洋大地震などとも)
- 2005年3月28日、インドネシア西部時間午後11時10分にスマトラ島西方沖で発生した地震
の3つについて、はっきり分けて説明する。
目次 |
[編集] スマトラ島周辺で起こる地震全体の概要
周辺の地形図 |
ミャンマーから大スンダ列島、小スンダ列島、ティモール島にかけて、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり合うスンダ海溝(ジャワ海溝)がある。ここは世界有数の地震多発地帯で、過去から地震を多数経験してきており、下記の項目の地震も、その一連の流れの一つである。また、この地域では、100年~150年の周期で地震が繰り返されてきており、2004年12月26日の地震や2005年3月28日の地震も、その周期にあわせて起きたとみられている。
2004年12月26日の地震では、スマトラ島北西沖からアンダマン・ニコバル諸島にかけてのプレートの境界(ジャワ海溝)が1000km超にもわたる巨大な範囲でずれ、一気にマグニチュード9を超えるエネルギーが解放された。これにより周辺のユーラシアプレートにかかる力が大きく変わり、2005年3月28日の地震などを誘発していると考えられている(参照)。インドネシアで2004年以降地震が急増しているのは、このためではないかと見られている。
本来、「スマトラ島沖」はスマトラ島北西沖からスマトラ島南東沖までの広い範囲を指すが、2004年12月26日の地震が発生して大きく報じられて以来、「スマトラ島沖地震」は2004年12月26日に起きたマグニチュード9.3の地震のことを指す場合が非常に多くなった。
[編集] 2004年12月26日のスマトラ島沖地震
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スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん、スマトラ沖地震、インド洋大地震などとも)は2004年12月26日、インドネシア西部時間午前7時58分50秒(日本時間午前9時58分、UTC午前0時58分)にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード 9.3 の地震である。このマグニチュードは1900年以降で2番目に大きい規模である。なお、この9.3という数値はモーメントマグニチュード(Mw)であり、例えば兵庫県南部地震(Mw6.9)の約4,000倍、2003年十勝沖地震(Mw8.3)の約30倍に相当するエネルギーである。
また、アメリカ地質調査所(USGS)の暫定発表で当初マグニチュード8.1と発表されていたが、次にマグニチュード8.5、さらにマグニチュード8.9と発表された後、9.0に修正された。さらにその後、アメリカ・ノースウェスタン大学などの研究グループにより、9.3に再修正された。2006年現在、USGSではマグニチュード9.1としている。最終的には米ノースウエスタン大学と同程度の値になる可能性もある。一方、東京大学地震研究所の山中佳子助手によると、まだ最終解ではないが9.4と算出した。これは、震源地でプレートが3回に渡って南から順にずれ、そのずれの継続時間が6~7分にもわたったためと見られている。震源域は南北約1300kmにも達した。
大津波が発生し、インドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイ王国、マレーシア、東アフリカ等でも被害が発生した。この津波のニュースは、全世界に報道され世界中の人が知ることとなった。その後チリで津波デマによるパニックが起こり一人が死亡したほか、世界各地で地震発生後に津波を警戒して住民が早期に避難した事などから、この地震が世界中に知れ渡り、人々の心に強く残ったことを示している。
地震の名称については、決まった名称はつけられておらず、各メディアやウェブサイトによって名称はさまざまである。
- 2005年3月28日に起きたM8.5の地震については、下の大項目2005年3月28日にスマトラ島沖で起きた地震に記述している。
[編集] 地震の概要
- スマトラ島の西方約160km、深さ10kmで発生した地震はマグニチュード9.3という巨大なもので、1960年に発生したチリ地震のマグニチュード9.5に次ぐ真の巨大地震であった。震源はスンダ海溝に位置し、インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことによる海溝型地震の多発地帯の中にあった。これにより、ビルマ・マイクロプレートの歪みがすべて開放された。
- 当初、この地震は震源域の南端にあたる北緯3.298度、東経95.779度付近から始まり、次いで北端のニコバル諸島付近を中心にもう一つの地震が起こり、この二つの大きな地震が連続して起こり未曾有の巨大地震になったと見られていた。
- 岩盤の破壊は大きく分けて3段階で進行した。まず、震源の南半分の断層およそ420km(平均5~20mのずれ量)、次いで中央部の断層およそ320km(同5m)、さらに北半分の断層およそ570km(同2m以下)がずれた。全体として長さ1,200~1,300kmの震源域であり余震域にほぼ一致する。これらは最新の地震波解析でわかってきた。
- 地震動(地震の揺れ)は震源の南端では3分(180秒)ほど、インドネシアのバンダ・アチェなど少し離れたところでは6~7分(400秒)も続いた。バンダ・アチェの揺れは、日本の震度階級に直すと震度5強から震度6弱程度の強い揺れで、しかもその揺れが6~7分も続いたことで、住民に強い恐怖感を与えた。
遠いところではバングラデシュ、インド、スリランカ、マレーシア、ミャンマー、シンガポール、タイ、モルディブまで伝わったほか、地震波は日本でも超長周期振動として観測され、秒速約4km=14400km/h(およそマッハ11)で地球を少なくとも5周したとみられる。(報道によれば、さらに8周目とみられる波形まで観測されているという。)
- 長さ1,200~1,300kmに及ぶ震源域で余震が発生しており、本震発生後24時間以内にマグニチュード5以上の余震がベンガル湾東端のアンダマン諸島付近で13回(最大6.3)、ニコバル諸島付近で5回(最大7.3)、スマトラ島北部西方沖で6回(最大6.2)、スマトラ島北部で2回(最大6.0)発生した他、規模が大きい余震の回数が非常に多くなっている。また、今後1年以内に震源域の北部で最大余震が発生する恐れがある。
- 12月28日、アメリカ合衆国地質調査所は、この地震によってプレートが最大で約30mもずれ、ニコバル諸島等が地図の書き換えが必要なほど移動した、という観測結果を発表した。もっとも1月4日には訂正し、地表面が1~2m以内で移動したに留まるという試算結果を発表した。
以下の表は、アメリカ合衆国地質調査所(USGS)が観測した本震と以後の余震である。(資料元:USGS)
マグニチュード | 日時(年/月/日) | 世界標準時(時:分:秒) | 北緯(度) | 東経(度) | 震源の深さ(km) | 震源 |
9.1(後に9.3に修正) | 2004/12/26 | 00:58:53 | 3.316 | 95.854 | 30.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
5.9 | 2004/12/26 | 01:48:47 | 5.393 | 94.423 | 10.0 | インドネシア、スマトラ島北部 |
5.8 | 2004/12/26 | 02:15:58 | 12.375 | 92.509 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
6.0 | 2004/12/26 | 02:22:02 | 8.838 | 92.532 | 10.0 | インド、ニコバル諸島 |
5.8 | 2004/12/26 | 02:34:50 | 4.104 | 94.184 | 10.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
5.8 | 2004/12/26 | 02:36:06 | 12.139 | 93.011 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
6.0 | 2004/12/26 | 02:51:59 | 12.511 | 92.592 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
5.9 | 2004/12/26 | 02:59:12 | 3.177 | 94.259 | 10.0 | スマトラ島北部西岸海上 |
6.1 | 2004/12/26 | 03:08:42 | 13.808 | 92.974 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
7.1 | 2004/12/26 | 04:21:29 | 6.885 | 92.938 | 39.7 | インド、ニコバル諸島 |
5.7 | 2004/12/26 | 06:21:58 | 10.623 | 92.323 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
5.7 | 2004/12/26 | 07:07:10 | 10.336 | 93.756 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
5.8 | 2004/12/26 | 07:38:25 | 13.119 | 93.051 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
6.6 | 2004/12/26 | 09:19:59 | 8.874 | 92.368 | 6.4 | インド、ニコバル諸島 |
5.5 | 2004/12/26 | 10:18:13 | 8.950 | 93.730 | 10.0 | インド、ニコバル諸島 |
6.2 | 2004/12/26 | 10:19:30 | 13.455 | 92.791 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
6.3 | 2004/12/26 | 11:05:01 | 13.542 | 92.877 | 10.0 | インド、アンダマン諸島 |
[編集] 津波
平均で高さ10mに達する津波が数回、インド洋沿岸に押し寄せた(地形によっては34mに達した場所もあった)。アンダマン・ニコバル諸島近海からスマトラ島北西部近海にかけてのおよそ1,500kmの帯状の地域(上のアニメーション参照)の、およそ海底4,000mの場所で津波が発生、津波発生時には2~3mほど海底が持ち上がり、ジェット機並みのスピード(時速約700km)で津波が押し寄せたと見られる。前述の速さで波が押し寄せたスリランカ、インド、モルディブ、アフリカ諸国などに対して、震源の東側となったタイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなどでは、比較的遅いスピードで津波が押し寄せた。特に、タイのプーケットに津波が到達したのは、地震発生から2時間30分後だった。これは、津波が通過したアンダマン海が、広い大陸棚が広がる浅い海で、津波が進むスピードが遅かったためである。
津波はアフリカ大陸東岸のソマリア、ケニア、タンザニアにも到達し、ソマリアで100人以上の死者が発生。ケニアのモンバサでは避難命令が出された。また南極大陸の昭和基地でも半日後に73cmの津波を観測した。また、アメリカ合衆国の西海岸、南アメリカ大陸でも数十cmの津波を記録した。
インド洋の各国では太平洋側の各国にて整備されている津波警報国際ネットワーク(津波早期警報システム)が無く、2時間後に到達する地域においても避難勧告を出すことができなかった。この為、多くの死者を出す一因となった。しかも太平洋津波警報センター(ハワイ)は津波発生の恐れに気づいたものの、警報を出したのはディエゴガルシア島駐留米軍宛のみで、関係各国には“告知”しか送らず、津波被災経験ゼロのインドネシアではその重大性に気づけなかったとされている[1][2]。
また、津波による被害としては、22,000人以上が死亡したとされる1896年の日本での明治三陸地震、36,417人が死亡した1883年のインドネシア・クラカトア島の噴火をはるかに超える観測史上最悪の惨事となった。
2005/01/20現在、死者の総数は226,566人。
また、津波の被害を受けたインド洋沿岸各国は、ほとんどが熱帯雨林が広がるところで、周囲の環境を調節し多くの生物の住処となるマングローブが減っていることが問題になっていたが、タイで、数少ないマングローブの森が津波のエネルギーを吸収し、後ろ側の陸地は大きな波に襲われずに済んだという出来事があった。この出来事を受けたタイ政府は、マングローブの保護と植樹を推進する方針を打ち出した。
[編集] 地球への影響
- 地球の1日の長さが100万分の3秒程度短くなり、地軸の位置が約2cmずれた可能性があり、理論上は地球の自転に何らかの影響を与えた可能性があると考えられる(米地質調査所のケン・ハドナット博士)。
- 地球全体の縦揺れは地震直後、約20-30cmもあったが、徐々に収束中(オーストラリア国立大学)。
- 震源から離れた日本においても地震の直後、地下水の水位の変動が40箇所以上で確認された。(産業技術総合研究所)
- 地震後、北欧・ドイツ・英国・米国などで豪雪・洪水などの異常気象。日本も寒気に見舞われているという意見もある。ただし地震発生以前から起こっており、因果関係があるかどうかは不明である。
- M 9.3 の地震の後、2月5日にフィリピン付近のセレベス海で M 7.1、3月28日にニアス島北部で M 8.7、1月21日にスラウェシ島南東部で M 7.3 の地震が発生するなど周辺の地域で大きな地震が多発。
- M 9.3 の地震の発生から約3ヵ月半後の3月12日にスマトラ島西部のタラン山が噴火、また翌3月13日にはジャワ島西部のタンクバンプラフ山が噴火するなど近隣に存在する火山の活動が活発となっている。
- 周辺各地で地殻変動を確認。(位置が数センチずれた都市が多数ある事がGPS測定で判明)
[編集] 各国の被害状況
インドネシアのアチェ特別州を除けば、被害はほとんどが津波によるものである。被災地の多くが地震や津波に遭ったことのない地域であったため、津波に関する警報や注意があまりなされず、人的被害を拡大させた。各国政府などの発表によれば、死者は翌2005年1月19日までに合計で226,566人。またインドネシアの一部やモルディブ、ニコバル諸島などでは交通・通信網が破壊されてしまったために正確な情報が入手できていない。このため犠牲者の数は今後さらに増える可能性は高い。そして、地震が発生した時期は、年末やクリスマス休暇のシーズンだったため、犠牲者には日本や欧米諸国などからの観光客も多数含まれている。 最も被害が大きかったインドネシアのアチェ州では独立を求める武装勢力と国軍の対立が続いており、被害状況の調査や救援活動にも支障が出ている。軍事政権下にあるミャンマーや長年内戦が続いてきたソマリアでも、はっきりした被害状況はわかっていない。死者83万人と記録されている華県地震(1556年)や非公式ながら死者60万人以上と云われる(公式には24万人強)唐山地震(1976年)に次ぐ、人類史上有数の震災となるであろう。
また被災者は500万人に達し、うち180万人に食糧援助が必要とされているほか、衛生環境の悪化から感染症や伝染病の発生などの2次災害も懸念されている。さらに一部の被災地では治安が悪化し、性的暴行事件や、誘拐と思われる子供の失踪などが多発しているという。
スリランカ、アンダマン諸島では外界との通信が途絶状態のため、短波のアマチュア無線による非常通信が行なわれており、アマチュア無線を禁止しているインドネシア・アチェ特別州政府に対しても、支援の為に例外的に認めるよう働きかけが行なわれている。インドネシア政府はヘリコプターを使った食料投下を行いつづけているが、その食料の奪い合いで争いが生じる地域が存在している。
(以下、ロイター調べ) インドネシアは1月19日現在[3]、
インド・スリランカ・タイは1月17日現在[4]、
その他の国は1月3日現在[5] など
[編集] インドネシア
被災した各国の中で最も多くの犠牲者を出した。とりわけスマトラ島北端のアチェ特別州西海岸は甚大な被害を受け、州都バンダ・アチェや西アチェ県のムラボなどはほぼ壊滅した。現在のところ死亡者は131,029人、負傷者は最大で10万人、行方不明者は37,603人とされており、政府は「国家災害」を宣言した。1月19日、アチェでマラリアの発生が確認された。またアチェではインドネシア政府との独立戦争が続いており、アチェ人武装勢力は地震直後に停戦を宣言したが政府軍はこれに応じていない。また、震源に近かったシムルー島やアチェ特別州では、津波だけではなく地震の揺れによる被害も大きかった。
[編集] インド
12,407人が死亡した。また、行方不明者は1万人以上、負傷者数は不明である。アンダマン諸島・ニコバル諸島では人口約3万人のカール・ニコバル島をはじめ、一時全島が水没した島が数十あったとの情報もある。
[編集] スリランカ
31,229人の死亡が確認され、死者は4万人を超えるおそれがある。コロンボ発ゴール行の列車が津波に流されて転覆した。この列車は第1波の被害を免れたため、車内は安全と誤解した地元住民が多く、列車内や屋根の上に避難した後で続く第2波の津波に飲まれたため、乗客の他地元住民なども含め1,000人が死亡した。負傷者数は16,637人、行方不明者は5,637人、家を失った者は83万人それ以上だとされている。政府は国家非常事態を宣言した。
[編集] タイ王国
リゾート地として知られるプーケット島など、タイ南部6県のアンダマン海に面する地域(プーケット県、パンガー県、クラビー県、トラン県、サトゥーン県、ラノーン県)に大きな被害が出た。映画『ザ・ビーチ』で有名なピーピー島(ピピ島)もほぼ壊滅した。現地での死者は5,305人、怪我人は8,457人と報じられている。衛生上の理由から十分な身元確認を行わないまま埋葬された遺体も数百体あったと言われている。この震災で孤児となった子供は王室に引き取られ、養育されることになった。
アンダマンに面する地域はリゾート地として知られており、津波の起こった地域では高級リゾート地などで多くの著名人の死亡が確認されている。ラーマ9世(プーミポン・アドゥンラヤデート)の孫であるプム・ジェンセンも津波に巻き込まれ、遺体で発見されている。
政府は津波に対する認識が甘かったために今回の被害が生じたとして、国家気象局長を更迭し、1993年にインド洋での津波被害について警告していた元気象局長を総理府付高官として復権させた。
一方でタイ政府は、総額280億バーツの復興支援予算や政府系、民間系銀行共の低金利融資実施などを行っていることから経済的ロスに付いてはほぼ影響がないと見込んでおり、2005年の目標経済成長率である6.1%を下方修正しないことを明らかにした。政府のこの見方について、リーマン・ブラザーズも、阪神・淡路大震災での例を挙げ支持した。
なお、タイではこの津波が起きるまで津波を「大型の波(คลื่นลูกใหญ่=tidal wave)」と表現することが多かったが、この津波以降は専門用語である「スナーミ(日本語の「津波」の音訳)」が一般的に使われるようになった。
[編集] ミャンマー(ビルマ)
政府発表では80人が死亡、43人が負傷、3人が行方不明とされているが、AFP通信の報道によれば死者は少なくとも90人。また、ココ諸島で数千人が死亡した可能性もある。
[編集] マレーシア
ペナン島で21人が死亡など合計で68人が死亡、299人が負傷。
[編集] モルディブ
津波によって74名が死亡し、首都機能をもつマレ島の3分の2が冠水。空港では航空機が押し流される。政府は災害非常事態を宣言。電話や交通網が寸断されているため、正確な被害状況は把握しきれていない。マレでは日本のODAなどによって建設された防波堤が、同島の被害を最小限に食い止めたと言われている。
[編集] その他の国
東アフリカ(ケニアで2人、タンザニアで10人、セーシェル、ソマリア、マダガスカルでも多数)で合計137人が死亡、ソマリア沿岸で漁船100隻以上が行方不明となっている。ソマリアでの死者は200人以上との報道もある。
バングラデシュで2人死亡との報道がある。
[編集] 観光客などの外国人
クリスマス後、正月前の休暇シーズンということで、ビーチリゾートに多くの外国人観光客が訪れていたため、ヨーロッパからの旅行者を中心に外国人の被災者も多い。
- 日本
- 後述
- スウェーデン
- 60人が死亡、1,800人以上が行方不明。政府は犯罪を誘発する恐れがあるとして行方不明者の個人情報を公開していない。ミュージシャンのミエツコ・タラーツィク(ナザム)がタイのピピ島で津波に巻き込まれ、翌2月17日に遺体で発見された。
- ノルウェー
- 16人が死亡、78人が行方不明。
- ドイツ
- 60人が死亡、970人が行方不明。
- フランス
- 22人が死亡、99人が行方不明。
- イタリア
- 18人が死亡、436人が行方不明。
- スイス
- 16人が死亡、95人が行方不明。
- アメリカ合衆国
- 1月4日の時点で15人が死亡、約5,000人の安否が確認されていない。
- オーストラリア
- 12人が死亡、79人が行方不明。
- 朝鮮民主主義人民共和国
- 3人が死亡、行方不明者なし
- 香港
- 34人が死亡、6人が行方不明。(2005/07/19現在)
[編集] 日本人の被害状況
外務省は12月26日、領事局に緊急連絡室を設置し、インドネシア、スリランカ、タイなど6カ国に対して大使館などを通じて日本人の被害状況を確認した。2005年12月6日現在、日本人は40人の死亡が確認され、依然として2人の安否が確認されていない。
[編集] 救援・復興支援の状況
これまで国連やユネスコ、赤十字、WFP(世界食糧計画)などが食糧支援や医療活動を継続しているが、被災が酷かったスマトラ島北部やアンダマンニコバル諸島では、津波被災から2年が経過した2006年12月現在まで具体的な復興のめどすらついていない。プーケットなどの観光産業地域は以前の半分の規模ではあるが徐々に観光客が戻りつつあり、津波の避難訓練などを行っている。 そんな中、観光客が廃棄した空き瓶やペットボトル、使い古したタイヤなどを利用し、建設費用を極力抑えた廃材リサイクル住宅が被災地における復興の要として期待されている。
[編集] これまでの経過
日本政府は12月26日、スリランカに国際緊急援助隊の医療チームの派遣を決めた。28日にはテロ対策特別措置法に基づいてインド洋に派遣されていた海上自衛隊部隊のうち任務を終えて日本に向けて期間中だった護衛艦きりしまなど3隻をタイ近海に派遣し、捜索・救助および遺体の収容に当たらせている。その後タイにも国際緊急援助隊が派遣され、同救助チームがピピ島で日本人行方不明者の遺体を発見するなどの活動を行った。 1月1日、小泉純一郎首相は「5億ドル(約510億円)の無償供与、津波早期警戒メカニズムを構築するための協力、自衛隊の追加派遣を検討」など最大限の支援を行うとの談話を発表した。
1月4日、インドネシアのアチェ州へ海上自衛隊輸送艦くにさき・護衛艦くらま・補給艦ときわの3隻、航空自衛隊の輸送機2機、陸上自衛隊第7師団など3自衛隊合わせて800~900人を派遣する事が決まり、先遣隊が現地に向かった。
アメリカ政府は12月27日に3,500万ドル(約36億円)の緊急支援を表明したが、内外から少なすぎるとの批判を受け、のちに金額を10倍に引き上げた。ほかに民間からも多額の義援金が寄せられている。また1月から3月にかけて、空母エイブラハム・リンカーンをはじめ艦艇約20隻、航空機約60機など、総勢12,600人の米軍が各地で救援活動を行った。
国際連合は全世界に強力な支援を要請しており、1月2日までに日本を含む約40ヶ国や世界銀行などから計20億ドル(約2050億円)の支援が発表された。
またこの津波により2005年8月15日にヘルシンキにおいて自由アチェ運動とインドネシア政府の間に和平協定が結ばれ、反政府軍の兵士が一般市民へと戻りアチェ復興を目指している。
また、各国で世界中から集まったボランティアが活動しており、被災者へのカウンセリングなども行われている。
この津波によって発生した大量の腐乱遺体によりペストなどの伝染病流行が懸念されたが、現地での早急な身元確認を行わないままの土葬処分や火葬など関係者の努力により、伝染病流行での大量死は2007年1月現在、発生は報告されていない。 日本でも大震災や大津波、有事などによる大量死が真夏に発生した場合の腐乱対策は整っておらず、今後の課題として残されている。
[編集] 各国政府・民間団体等による主な支援一覧
2005年1月7日現在。1,000万US$以上のもののみ(単位千US$)。
45の国・地域及び国際機関 | 4,200,000 | ||||||
オーストラリア | 7億65,00万ドル | (=10億豪$,5年間で)この他救助目的の海軍艦艇1隻派遣 | |||||
ドイツ | 6億64,00万ドル | (=5億ユーロ) | |||||
日本 | 約5億ドル(502,479,970ドル) | 2億5000万ドルを即金で支払う。その他、救助目的の護衛艦2隻、補給艦1隻他自衛隊、国際緊急援助隊等派遣 | |||||
国際連合 | 5億ドル | ||||||
アメリカ | 3億5000万ドル | 当初1500万ドルと発表するも、国際世論の反発を受け増額。しかし、同年1/10には、パウエル国務長官(当時)はその額を撤回し、「6000万ドル程度」と発表している。その他、救助目的の空母1隻含む艦艇20隻及び海兵隊派遣 | |||||
世界銀行 | 2億5000万ドル | ||||||
ノルウェー | 1億8100万ドル | ||||||
カナダ | 1億3600万ドル | ||||||
イギリス | 9600万ドル | (=5000万英ポンド)支援物資輸送目的の海軍艦艇1隻派遣 | |||||
イタリア | 9500万ドル | ||||||
スウェーデン | 7600万ドル | (=5億スウェーデンクローナ) | |||||
デンマーク | 7600万ドル | ||||||
スペイン | 6800万ドル | ||||||
中国 | 6300万ドル | (=5億中国人民元) | |||||
フランス | 5600万ドル | (=4400万ユーロ) | |||||
台湾 | 5025万ドル | ||||||
EU(欧州連合) | 4080万ドル | この他各加盟国独自の支援有 | |||||
オランダ | 3600万ドル | ||||||
スイス | 2380万ドル | ||||||
インド | 2300万ドル | 被災国でもあるが自助可能なため被援助国から外れている。 | |||||
カタール | 2100万ドル | ||||||
ベルギー | 1640万ドル | ||||||
アイルランド | 1600万ドル | ||||||
フィンランド | 1400万ドル | ||||||
ポルトガル | 1100万ドル | ||||||
サウジアラビア | 1100万ドル | サウジアラビア国営テレビの特番の視聴者から8600万USドル | |||||
韓国 | 295万ドル | 当初500万ドルを提示していたが、日本が5億ドルを発表した後に5000万ドルと発表。その後結局610万ドルに減額したが、そのうち支払済みは295万ドルで残額は現在滞納している。 | |||||
民間企業・個人など | 5億ドル | ||||||
ファイザー | 1000万ドル | この他2,500万US$相当の医薬品等提供 | |||||
コカ・コーラ | 1000万ドル | ||||||
ミハエル・シューマッハ | 1000万ドル | ※F1レーサー | |||||
松井秀喜 | 5000万円 | ※プロ野球選手 | |||||
[編集] 緊急に必要とされる支援
2005年1月6日、国連発表による
総額 | 977,000 | |
国別 | ||
インドネシア | 372,000 | |
スリランカ | 167,000 | |
モルディブ | 66,000 | |
ソマリア | 10,000 | |
セーシェル | 9,000 | |
国別に分類できない支援 | 353,000 | |
使途別 | ||
食糧・農業 | 229,000 | |
仮設住宅など | 222,000 | |
医療 | 122,000 | |
経済・インフラ復興 | 110,000 | |
飲料水・衛生 | 61,000 | |
その他 | 233,000 | |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 2005年3月28日にスマトラ島沖で起きた地震
- 2004年12月26日のスマトラ島沖地震(上記)の余震がだいぶ収まり、規模も小さくなってきた2005年3月29日午前1時10分(日本時間)ごろ、同地震の震源の南東約250km沖(北緯2.3°、東経97.1°)で、 M 8.5 (後にM 8.7に修正)の地震が発生した。この地震は、スマトラ島沖地震の余震ではなく、同地震の発生によりプレートにかかっていた圧力が開放され、代わりにプレートの他の部分へ圧力がかかったために、もともとあった断層に歪(ひず)みが溜まり起こった、云わばスマトラ島沖地震が引き金になったものである。ニアス島沖地震と呼ばれることもある。
このことから、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの境界地域で、近年地震が起こっていない部分では、更なる地震に警戒が必要であるといえる。(スマトラ島周辺で起こる地震全体の概要参照。)
[編集] 地震
- 発生時刻:2005年3月28日16時09分36秒(世界標準時)、日本時間2005年3月29日1時9分36秒
- 震源:スマトラ島西方沖の、北緯2.065度、東経97.010度、深さ4.6kmの地点
- M(マグニチュード): 8.7 - (モーメントマグニチュード)(気象庁マグニチュードで M 8.5 )
- インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの境界地域であるスンダ海溝で発生した。
- 地震の揺れはスマトラ島西岸では2分間ほど、バンダ・アチェなどでは3分間ほど続いた。幅の大きな横揺れだった。
[編集] 津波
この2005年3月28日の地震では、発生から数十分後にタイ、インドネシア、ニコバル諸島に向けて津波警報が発令されて、情報を聞いた人々が避難した。タイでは、地震発生直後に非公式ながらテレビなどで津波警報を出し、対応は迅速だった。しかし、最も震源に近かったインドネシアのニアス島のように情報が伝わらなかった地域も数多くあり、避難時にはインド洋沿岸の多くの地域で混乱が見られた。
- 各地の津波の高さと、発生から到達までの時間
[編集] 被害情報
2005年3月31日12時現在、2000人程度が死亡したとの情報がある。
[編集] インドネシア
- 同国スマトラ島の西150kmほどに位置するニアス島は震源から数10kmと近かったため、多くの建物が倒壊し、同島東岸の都市では、建物の大半が倒壊し、多数の火災が発生している。(3月29日15時現在)地震後の集計によると、およそ1000人の島民が亡くなった。
- また、地震発生から1ヵ月程度後の調査により、ニアス島周辺では大規模な地盤の変動が数kmにわたって起こり、島の西が隆起し、東部が沈降したことが分かった。そのため、北西部ラへワでは新たな島が出現し、東部海岸では数集落が海中に没し、土地を失った。
[編集] その他の地域
- 世界中で揺れを観測し、東南アジア西部では大きな揺れだった。インドネシア以外の地域では、津波から逃れようと多くの人々が道にあふれ出し、交通事故が多数起こっている。
[編集] 日本人の被害状況
- 復興支援に当たっていたNGOなど複数の団体が地震に遭遇し、宿舎が倒壊したりする被害があったが、アチェ特別州に滞在していた日本人全員の無事が確認されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク