利用者:Duke-Sillywalker
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Duke-sillywalkerとは・・・? | ||||||||||||||
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Duke-Sillywalker(デューク・シリーウォーカー、1971年8月1日 - )は、広島県広島市生まれ岡山県岡山市出身の男性である。血液型はA型[1]、星座は獅子座、動物占いはトラ、G感性[1]はG5[2]である。 専門的に執筆している項目はコサキン、カンコンキンシアター。その他コサキン関連と'80年代〜'90年代中期迄のゲーム関連、及び映画関連に詳しい。好きな女性のタイプはRSK山陽放送の小林章子アナウンサー。
目次 |
[編集] 奇妙なユーザー名の由来
そもそも利用していたネット上の汎用個人IDより。大ファンでもあるモンティ・パイソンの名作スケッチ(コント)と、スターウォーズの主人公から作った。
[編集] 変に細かい生い立ち
父は福岡県大牟田市(出生地は柳川市)出身、母は広島県広島市出身。1969年、結婚を機に水島に居を構える。
- 1971年8月1日早朝、かねてより母親が入院していた、実家に近い広島市内の市民病院にて誕生。3ヶ月後にはレッド・ツェッペリンの広島コンサートが開催されている。
- 倉敷市立第五福田幼稚園→倉敷市立第一福田小学校→倉敷市立福田南中学校→岡山県立倉敷古城池高等学校と進み、高校卒業後は学校法人電波学園東京電子専門学校に進学の為上京(豊島区池袋にて下宿)。一年次を1年留年した末二年次の3月に自主退学。その後は帰岡し20代のほとんどをアルバイトで無駄に過ごす。専門学校在学中に実家が倉敷市から岡山市に転居。
- 1991年3月に電波新聞社刊マイコンBASICマガジンのライター集団「レスキュー隊」に応募し当選。第3期レスキュー隊員となる。実質的には'91年5月・6月号の2号に読者からのダイナソアの質問に解答という形で寄稿したのみであったがこれが事実上初めてのアルバイトであった。[2]
[編集] 他人にはどうでもいい影響を受けた物事
[編集] 絵画等アート
最もリスペクトしているアーティストはアルフォンス・ミュシャ、エミール・ガレ。
[編集] 音楽的趣味
主に洋楽、特にアメリカン&ブリティッシュハードロック及びヘヴィメタルである。これは高校生時代に聴いていたラジオ番組「サンデーベスト」に因る所が強い。
- それ以前はガンダム第一世代という事もあり、当時のロボットアニメソングを、その後はファミコン第一世代でもある所からゲームミュージックを好んで聴いていた。とはいえ、音楽的ルーツはビートルズである。これは、当時の子供向け番組「ひらけ!ポンキッキ」からの影響である。
- iPod購入によって従来より気軽に音楽を聴けるようになった事で青春時代に聴いていた'80年代〜'90年代のゲームミュージックの名曲を再び聴き直したいという思いに駆られ、現在Yahoo!オークションで主に在京時所有していたが'95年秋に中古ショップに全て売ってしまったゲームミュージックCDの再入手に奔走中。現在達成率約70%程度。(そのうちの6割を中古ショップに売却)
- 更に範囲を広げるとブルーズ、ジャズにも一時期傾倒していた。おそらく年を重ねてからじっくり聴く為であろう。つまり、ジジイになっても演歌だけは聴かん、という表明である。
[編集] 好んで聴くバンド・グループ
(太字はライブにも行くバンド・グループ)
- ブリティッシュ・ハードロック/ヘヴィメタル
- クイーン
- ビートルズ
- レッド・ツェッペリン
- デフ・レパード
- アイアン・メイデン
- ローリング・ストーンズ
- エリック・クラプトン
- アメリカン・ハードロック/ヘヴィメタル
- エアロスミス
- ボン・ジョヴィ
- ガンズ・アンド・ローゼズ(カバーアルバム「The Spaghetti Incident ?」迄)
- MR.BIG('02年解散)
- メタリカ
- スキッド・ロウ
- ジャーマン・北欧系ロック/ヘヴィメタル
- ハロウィン
- ガンマ・レイ
- ブラインド・ガーディアン
- イン・フレイムス
[編集] 映画的趣味
映画に関しても造詣が深く、人生で初めて(映画館で)見た映画は「復活の日」である(子供向け映画を除く)。ちなみに劇場版ドラえもん第一作「のび太の恐竜」を劇場まで観に行っている。[3]当時の同時上映で「モスラ対ゴジラ」も観た事から怪獣映画も好んで観るようになる。物心ついた時には既に昭和ゴジラシリーズは過去の物になっていたが、その古さ(程よいチープさ)加減に興味を覚えていたが後に平成ガメラシリーズに感銘を受ける。必ず封切時に映画館に足を運んで映画を観る性分で、「後でレンタル開始になってから借りて観ればいいや」という考えは頭にはない。また、観に行った映画は必ずパンフレットを購入し保存している。
基本的にはアクション・SF系の洋画を好んで観る傾向があるのだが、2006年は邦画隆盛の影響もあり邦画をよく観ていた。最初にハマったのは「スターウォーズ」。
[編集] 今までに(劇場で)見た映画
[編集] ゲーム
自分が生まれた1971年は、米アタリ社の創業者、ノラン・ブッシュネルが最初の業務用ゲーム「コンピュータースペース」を発売した年である。つまりゲームと一緒に産声を上げたといってもいい。生まれて初めてやったゲームはパックマン、その後ゲーム&ウォッチ等で少年時代遊んでいた。近所のデパートのゲームコーナーにもよく行き、ゼビウスやアステロイドなどをやっていた記憶がある。任天堂のファミリーコンピュータは発売の翌年に兄が購入。初めてやったファミコンソフトはF1レースだった。
その後スーパーファミコン→ニンテンドー64→プレイステーション→プレイステーション2→PSXと購入(あくまで購入順。ただしPSXは懸賞の当選品)。
携帯ゲームはゲームボーイ→ゲームボーイポケット→ゲームボーイアドバンスSP→PSP→ニンテンドーDSと購入。
[編集] 落語
小学生時代から古典落語に興味があり、当時から学校の図書室で落語全集を好んで借りて読んでいた。好きな噺家は古今亭志ん生・春風亭柳昇、好きな噺は「芝浜」、「居残り佐平次」、「火炎太鼓」、「干物箱」、「二階ぞめき」、「あくび指南」。自分のiPodに落語のポッドキャストや名人のオーディオブックを入れている。[4]
[編集] 文学的趣味
読書の趣向は主にSF小説。きっかけはフィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とオースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」。専門学校時代には田中芳樹「銀河英雄伝説」全10巻を三ヶ月程で読破。エンダーシリーズは現在も継続して読んでいる。また、浅田次郎「壬生義士伝」を読んで大泣きしてしまった事がある。マイナーな所では宮部みゆき他によるリレー時代小説「運命の剣 のきばしら」等も愛読書。最近ではダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズにハマってしまった。
[編集] マンガ
マンガ雑誌は小学生時代から週刊少年ジャンプの読者。当時はDr.スランプ、北斗の拳、ジョジョの奇妙な冒険、ドラゴンボールを愛読していた。ジャンプ以外の好きな漫画はAKIRA、プラネテス、大使閣下の料理人(ベトナム編)、ファイブスター物語、パタリロ!、トライガンなど。
- 定期購読していた雑誌は模型情報→ファミリーコンピュータマガジン→マイコンBASICマガジン→月刊ゲーメスト→MUSIC LIFE→BURRN!(継続中)→Mac People(継続中)→DTP WORLD→Mdn
[編集] "意味ねー"笑いへの傾倒
笑いの原体験は同世代の大半が語るであろうドリフではなく、ひょうきんである。我が家ではお笑いをテレビで見る事にあまり積極的ではなかった。教育上問題があるからであろう。しかし、なしくずし的に毎週ひょうきんを見ていたものである。他にも、小学生時代から笑点を見ていた。当時最も楽しみにしていた芸人は牧伸二であった。昨今お笑いブームといわれて久しいが、結局はトレンドだから、という気がしてならない。若者で「お笑い通」といっても結局今イキのいい芸人くらいしか知らないのではただのファンである。私は、お笑い史に関してもかなり詳しいと自負している。エンタツ・アチャコ、エノケンからやすしきよし、さんま、タモリ、たけし、そして今に至るまでの全てのお笑い芸人に万遍なく造詣が深い、と言っておこう。 そんな広範囲にわたる中で性格的に最も影響を受けた笑いはコサキンとモンティ・パイソンである。コサキンとの出会いは、きっかけはコサキンの構成作家鶴間政行が出ていた番組ラジオはアメリカンを聴いていたことと、高校時代の友人がコサキンリスナーだったこと。コサキン(当時は「〜無理矢理100%」)を聴き始めたのは1990年1月24日から。[5]この回の放送にその友人のネタハガキ[6]が読まれた事を今でも覚えている。パイソンに関してはコサキンが縁で在京時に関根勤が出演していた深夜番組「MOVE TOWN 2」でモンティ・パイソン特集をやった回[7]を見たのがきっかけだった。
[編集] "歴史"への強い関心
小学生の頃に落語・恐竜関連の書籍と同じ位熱心に借りて読んでいたのは日本の歴史関連のマンガであった。いわゆる古代から現代に至るまでの歴史を全10巻程にまとめた物だがその中で興味を持っていたのが幕末〜明治・大正・昭和初期に至る近代史であった。特に明治〜大正期の風俗が記されている資料を眺めているのが特に好きだった。また戦国時代の武将の名を記憶するのも好きであった。こう書くと文系的頭の持ち主のように思われるかもしれないが基本的には理数系である。但し、理数系であっても歴史に絡めると理解力を格段に高められる傾向があったと回想する。先の怪獣映画の事に関しても、映画の中に描かれているその当時の風俗の方にこそ興味があったのだと思う。
[編集] パソコン、そしてインターネット
- パソコン歴は意外と古く、1990年春に祖母からの進学祝いで購入したPC-8801MC(PC-8801シリーズの最終機種)だったが当時はネットなど普及してもおらず専らゲーム専用機と化していた。当時遊んだゲームはイースシリーズ、ドラゴンスレイヤー英雄伝説、ダイナソア、ソーサリアン、ザナドゥ、ハイドライド3などであった。
- 帰岡後使用する事もなく廃棄した後はしばらくパソコンを持たなかったが1997年晩春にWindows機を購入。東芝製だった。当時は既にインターネットも一般的に知られるようになっていたがこの時は加入する余裕はなく、結局オフラインで使用していたが起動時の遅さに苛つき、またソフトもあまり購入できず自然と遠のいていった。[8]
- 1998年夏に発売されたiMacに感銘を受け、翌年の秋に購入を決意。実際に購入したのは2000年2月26日、iMac DV SpecialEdition(400MHzグラファイトカラー)であった。同時に購入量販店のネット回線に加入。最初はダイヤル回線であったが3ヶ月後にISDN回線に変更。2002年2月に現在所に転居した際にケーブル回線に変更。2006年1月に現在のMac miniを購入。Mac miniIntel化発表の数週間前であった。iMac購入時のOSは9、2001年秋にOS X(Ver.10.0Cheeter)を購入・インストールしたがマシンのスペックの貧弱さ故に使用せず。OS Xを本格的に導入したのは2005年2月、バージョンはPanther。一年後にTigerにアップグレード。
[編集] 編集・執筆に参加した主な項目
[編集] 自らが立ち上げた項目
- サンデーベスト - 基本的には自分がリスナーとして関わってきた'88年から'02年の番組終了までの記憶・記録を元に執筆。
[編集] 本登録前に使用していたID
[編集] 備考
- ^ 血液型はA型だが、中学進学までは何型か知らなかった。
- ^ 結局原稿料は貰わず終いであった。
- ^ 実はこちらの方が3ヶ月先に劇場公開されている。
- ^ しかし、寄席や独演会などにまで行って落語を聴いた事はない。
- ^ 前年夏から「コサキン増刊号」だけは聴いていた
- ^ 「仏像と銅像がケンカしたらどちらが勝ったか」といったような内容だったと記憶している。
- ^ ゲストはみうらじゅんだった
- ^ 後に広島の従姉に譲渡。
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