ニセコライナー
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ニセコライナーとは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が蘭越駅・倶知安駅~札幌駅間を函館本線を経由して運行する快速列車。
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[編集] 運行概要
朝に蘭越駅→札幌駅、夕方に札幌駅→倶知安駅間でそれぞれ1便のみ運行される。
[編集] 停車駅
蘭越駅 - (各駅停車) - 倶知安駅 - (各駅停車) - 小樽駅 - 南小樽駅 - 小樽築港駅 - 手稲駅 - 琴似駅 - 札幌駅
小樽駅~札幌駅間は快速運転を行うが、実質的には快速列車(エアポートも含む)は小樽駅~小樽築港駅の各駅に停車するため、蘭越駅~小樽築港駅間は各駅に停車する。
小樽駅以西の停車駅は函館本線の駅一覧を参照。
[編集] 使用車両
- JR北海道キハ201形気動車…1日1往復(下り3925D蘭越→札幌、上り3952D札幌→倶知安)
- なお、3925Dは3両編成、3952Dは6両編成で運転。3952Dで倶知安駅到着後同駅で一夜を明かしたのち、翌朝3両を分割して蘭越駅へ回送し蘭越駅から3925Dとして運転される。また残りの3両は倶知安駅始発の普通列車913D(小樽から731系と併結し913M)となる。
※列車番号は2006年3月18日現在
[編集] 沿革
[編集] 函館本線(長万部~小樽間)間における優等列車の沿革
- 函館本線では本線という格付けや、青函連絡船を介して函館駅より、北海道開発の歴史の中で歴史が古く日本銀行の支店や小樽商科大学が置かれた小樽や、北海道庁所在地である札幌とを直接結び且つ北海道各地へ直通する運行体系が取られていた。そのため、本節では主に函館本線の長万部駅~小樽駅間(通称「山線」)を経由・発着しあるいは函館本線内で完結する列車についての沿革を扱う。
- 1947年6月29日 函館駅~旭川駅間を運行する夜行急行列車7・8列車が設定される。翌1948年7月1日に列車番号1・2列車に変更する。
- 1949年9月15日 1・2列車、運行区間を石北本線網走駅まで延伸。但し、旭川駅以東は普通列車として運行。
- 1951年4月 1・2列車に「大雪」(たいせつ)の列車愛称が与えられる。
- 1953年4月5日 函館駅~札幌駅間を運行する急行列車として「あかしや」が運行される。なお、この列車は臨時列車の扱いであるが毎日運行された。
- 1954年5月1日 「あかしや」の運行区間を旭川駅まで延長する。
- 1955年6月1日 「大雪」の旭川駅~網走駅間を分離し、函館駅~旭川駅間の運行となる。
- 1956年11月19日 「あかしや」の表記をカタカナの「アカシヤ」に変更する。また、「大雪」を再び函館駅~網走駅間の運行とする。但し、石北本線区間については普通列車とする。
- 1959年9月29日 「アカシヤ」全区間を急行列車に格上げを行う。また、「大雪」の旭川駅以北乗り入れを廃止。
- 1961年10月1日 「アカシヤ」廃止。「大雪」運行区間を函館駅~札幌駅間とする。
- 1962年2月1日 岩内線岩内駅・蘭越駅~札幌駅間(札幌駅発の上り列車は共に岩内駅・目名駅行き)を運行する準急列車として、「ニセコ」・「らいでん」が運行を開始する。なお、両列車とも倶知安駅~札幌駅駅間が準急列車で、共に気動車が用いられた。
- 1962年10月6日 胆振線経由で札幌駅→倶知安駅→伊達紋別駅→札幌駅間を運行する臨時準急列車「いぶり」運行開始。
- 「いぶり」の運行は土日のみで、単独で運行された。
- 1963年6月1日 「大雪」の名称を石北本線急行列車に譲り、従来の「大雪」の名称を「ライラック」に変更する。
- なお、この「ライラック」にはこの運行区間で初めてキハ56系気動車が用いられた。
- 1963年10月1日 「いぶり」札幌駅→伊達紋別駅→倶知安駅→札幌駅間運行の列車を増発。また、同年12月には札幌駅~倶知安駅間を「ニセコ」と併結運転を開始する。
- 1965年10月1日 従来函館駅~釧路駅間を運行してた「まりも」の札幌駅以東を分離。分離した函館~札幌駅間を運行する急行列車に「ていね」の愛称を与える。
- 1966年3月25日 準急行制度の変更に伴い、「いぶり」と併結していた「ニセコ」が急行列車に昇格する。
- 100km以上運行される「いぶり」を併結していた「ニセコ」が急行列車に昇格したが、同列車を併結しない「らいでん」は準急列車のまま温存された。
- 1966年10月1日 ダイヤ改正に伴い以下のように変更された。
- 「いぶり」併結相手を「ニセコ」から「らいでん」に変更。このため「らいでん」は急行列車に昇格する。
- 「ニセコ」準急列車に降格するも、1往復増発し2往復となる。
- 1967年3月1日 函館駅~旭川駅間を小樽駅を経由する初の特別急行列車「北海」(ほっかい)が新設される。
- 1968年10月1日 「ヨン・サン・トオ」と称されるダイヤ改正により、以下のように変更される。
- 1971年7月 臨時夜行列車であった「ニセコ(上り・下り)4号」運行廃止。
- 1971年9月15日 「ニセコ(下り)3号・(上り)1号」のC62形牽引が終了。同列車が"(定期列車として)国鉄最後のSL牽引急行列車"となる。
- 1972年3月15日 下り「ニセコ3号」の運行区間を釧路駅まで延長する。
- 1973年10月1日 臨時列車である「ニセコ(上り・下り)2号」を廃止。定期列車2往復のみとなる。また、下りの釧路駅乗り入れを終了する。
- 1978年10月2日 「ニセコ」全列車函館駅~札幌駅間の運行となる。
- 1980年10月1日 ダイヤ改正により、以下の変更が行われる。
- 「ニセコ」気動車列車が廃止になる、客車列車のみ存続。
- 「らいでん」岩内線岩内駅乗り入れ廃止。
- 「いぶり」廃止。
- 1981年2月7日 「ニセコ」に使用される客車を在来型車両から14系客車に変更。
- 1981年10月1日 「北海」函館駅~札幌駅間の運行に短縮するが、1往復増発(「宗谷」の系統分割・格上げによる)し、2往復で運行される。
- 1984年2月1日 急行「らいでん」廃止。代替として小樽駅~札幌駅間に快速列車(当時は愛称なし)が設定される。(快速列車の歴史を参照)
- 1986年11月1日 「北海」廃止。「ニセコ」が臨時列車に格下げとなり、「山線」から定期の優等列車が消滅した。
- 1988年12月 ニセコ駅~札幌駅間(一部は新千歳空港駅まで運転)に、スキー客向けの臨時特急「ニセコエクスプレス」が設定される。以後毎年冬に運転されている。
- 現在の名称は「ニセコスキーエクスプレス」。また現在はニセコ駅~札幌駅の系統のみが存続している。
- 「ニセコエクスプレス」の愛称を持ったキハ183系気動車(5000番台)が使用されている。
- 2004年~2005年冬運転時は2往復設定。
[編集] 「ニセコライナー」およびその前身となる快速列車の沿革
- 1984年2月1日 急行「らいでん」廃止の代替として、小樽駅~札幌駅間に快速列車(当時は愛称なし)が設定される。倶知安方面へ直通する便を中心に設定され、小樽駅以西は各駅停車で運転されていた。
- 1988年3月 快速マリンライナー(岡山駅~高松駅間のマリンライナーとは別物)設定。
- 快速区間は小樽駅~札幌駅で、停車駅は「南小樽駅・小樽築港駅」「南小樽駅・小樽築港駅・手稲駅」「南小樽駅・小樽築港駅・琴似駅・桑園駅」などのパターンがあったが、のちに「南小樽駅・小樽築港駅・手稲駅」のパターンのみとなる。(夏季に臨時的に小樽発のみ銭函<臨>停車)
- また、札幌方面行の1本(長万部駅→札幌駅)のみ全区間で快速となる便があったが、1997年3月から長万部駅→小樽駅間が各駅停車に戻っている(キハ150形の導入によるものと思われる)。
- 函館本線の札幌駅以東および千歳線に直通する便も多く設定されていた(これらの区間では各駅停車。ただし千歳空港駅(現・南千歳駅)発着便については快速空港ライナー(現・エアポート)の補完として全区間快速の便もあった)。
- 2000年3月11日 「マリンライナー」の名称を廃止。エアポートの小樽乗り入れを毎時1本から2本へ増発、いしかりライナーの快速区間を「札幌駅~江別駅」から「手稲駅~札幌駅~江別駅」に拡大させ、小樽発着の「マリンライナー」をそれぞれ吸収、倶知安駅方面へ直通する列車はニセコライナーと改称し、停車駅に琴似駅が追加される。
- 2006年3月18日 キハ201形によって運行される3925Dと3952Dを除く、2往復の札幌駅乗り入れが廃止され、1往復体制に。それと同時にキハ150形がニセコライナーの運用から離脱(キハ150形の札幌乗り入れは普通列車として1往復のみ存続)。
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