国鉄201系電車
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国鉄201系電車 | |
中央特快に使用される201系(2001年5月13日、高尾~相模湖間にて撮影) |
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起動加速度 | 2.5km/h/s (2M2T,4M4T) 2.8km/h/s (6M4T) |
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営業最高速度 | 100 km/h |
設計最高速度 | 110 km/h |
減速度 | 3.5 km/h/s(通常) |
編成定員 | 560名(4連固定) 848名(6連固定) 992名(7連固定) 1,480名(10連固定) |
最大寸法 (長・幅・高) |
19,500×2,800×4,140mm |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1,500V |
出力 | 150kW/基(MT60) |
歯車比 | 1:5.6(15:84) |
駆動装置 | 中空軸平行カルダン撓み板継手方式 |
制御装置 | サイリスタチョッパ制御・弱め界磁制御(CH1/HS36、CS53、CS53A) |
ブレーキ方式 | 回生制動併用電磁直通空気制動 |
保安装置 | ATS-S、ATS-SN、ATS-SW、ATS-B、ATS-P |
国鉄201系電車(こくてつ201けいでんしゃ)は、1979年(昭和54年)に登場した日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車。
目次 |
[編集] 概要
国電としては初の電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)を採用し、電力回生ブレーキを装備した「省エネ電車」として設計・製造された。通勤形電車としては高速運転に優れている。
主回路以外についても、それまでの国鉄通勤形電車の概念を覆した新機軸が多数導入され、試作車完成の段階では次世代標準型通勤形電車として鉄道業界などから大きな期待が寄せられたが、当時の国鉄の財政事情では電機子チョッパ制御器の製造コストの高さがネックとなり、最終的に中央・総武・京阪神緩行線の3線区に対して合計1,018両が新製投入されるにとどまった。このため、その後の標準型通勤形電車は旧来の抵抗制御をベースとした界磁添加励磁制御方式を採用し、新開発のDT50系ボルスタレス台車と軽量ステンレス車体によって大幅な軽量化とコストダウンを実現した廉価な205系に移行した。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、東日本旅客鉄道(JR東日本)および西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承された。
また、本系列には派生系列として地下鉄乗り入れ仕様でアルミ合金製車体を備える203系が存在する。
[編集] 沿革
- 1979年(昭和54年)8月20日 試作車10両が中央快速線に投入。各種性能試験の後に営業を開始(中央緩行線でも運用)。
- 1981年(昭和56年) 量産車が投入。
- 1982年(昭和57年) 中央・総武緩行線にも投入。
- 1983年(昭和58年) 東海道・山陽緩行線にも投入。
- 1984年(昭和59年) 窓構造など細部の設計を変更。これ以降生産された車両は「軽装車」と称されることもある。このタイプのサハ201形(付随車・T)はJR西日本のみに存在する。
- 1985年(昭和60年) 製造終了。試作車10両を含む1,018両が製造された。同年3月14日のダイヤ改正から中央快速線はすべて201系で運用されるようになる。
- 1986年(昭和61年)3月3日 ダイヤ改正に合わせ首都圏各線で車両配置の見直しがあり、201系も多数が転属した。また、予備車から捻出された車両により武蔵野線にも運行開始(全編成の8両編成化と中央・総武緩行線への転用時に撤退)。
- 1986年(昭和61年)11月1日 快速が大月まで直通運転を開始し、201系も当駅まで乗り入れるようになる(その後、1990年3月10日からは富士急行線河口湖まで直通する列車も設定される。)。
- 1988年(昭和63年)12月 中央・総武緩行線東中野駅構内でクハ200-4を先頭とした10両編成の中野行が同駅に停車中だった103系10両に追突し、運転士と乗客の1人ずつ、計2人が死亡した。10両のうち最後尾のクハ201-3を除く9両が大破し廃車となり、後日中野電車区構内で解体された。103系もクハ103-278以外の9両が廃車された。詳細は東中野駅列車追突事故を参照。
- 1998年(平成10年) 中央・総武緩行線に201系・103系・205系の置き換えを目的とした209系500・950番台投入開始。その後継車種のE231系0番台投入(209系950番台も投入の数か月後にE231系900番台に改番)と合わせて同線で運用されていた201系は青梅線・五日市線・京葉線に転用され(205系も京葉線・武蔵野線・南武支線に転用)、既存の103系の置き換えを促進した。
- 2001年 展望型車両に改造した「四季彩」の運行が開始される。
- 2002年4月 青梅線・五日市線の列車がすべて201系で運用されるようになる。
- 2005年(平成17年) JR京都線・JR神戸線・JR宝塚線は12月1日以降321系へ、中央快速線は2006年12月以降E233系へそれぞれ交代が決定。最後まで京葉線で使用されていた試作車(900番台)は廃車に。
- 2005年(平成17年)12月15日 大阪環状線でスカイブルーの8両編成が運用を開始した。翌16日には桜島線(JRゆめ咲線)に初めて営業運転で入線した。その後関西本線(大和路線)でも201系の客扱いを実施している。
- 2005年(平成17年)12月20日 クハ201-3が廃車回送された。これは1988年の東中野事故の際に唯一廃車を免れた車両で、事故以降は予備車となり、ATS-P取り付け改造の際に一時的に使用されたのみでほとんど利用されることはなく三鷹電車区に留置されていた。事故以外での量産車の廃車は初めてだった。クモヤ145形2両に挟まれて回送した後、大宮運転区に2か月以上の間留置され、大宮総合車両センターで翌2006年3月上旬に解体された。
- 2006年(平成18年)9月 青梅線・五日市線専用で組成変更により運用に出ることのなくなったクハ201-76とクハ200-76の2両が長野総合車両センターへ廃車回送された。量産車の老朽廃車は初めてだった。この2両はトタ71編成が6両編成化された時の余剰車だった。
- 2006年(平成18年)10月18日 中央快速線のトタT6編成(クハ201-26以下10両固定編成)が長野総合車両センターへ廃車回送された。編成としては初で、同時に量産車のTの廃車も初となった。
- 2006年(平成18年)12月20日 関西本線(大和路線)でウグイス色の6両編成が営業運転を開始。
- 2007年(平成19年)1月18日 中央快速線のトタH6編成(クハ201-42以下10両分割可能編成)が長野総合車両センターへ廃車回送された。量産車の分割可能編成(H編成)の廃車は初めてである。
[編集] 主要機器
[編集] 電装品
主回路にCH1系チョッパ制御器とHS36補助制御器(試作車のみ)あるいはCS53系主制御器(リレー・スイッチ類を内蔵)を組み合わせて搭載し、これらによってMT60形主電動機を制御する。
CH1制御器で採用した電機子チョッパ方式は、主回路で最も大きな電流が流れる電動機の電機子回路をチョッピング制御するものである。だが、この方式には高速域からの回生制動時に失効しやすいという問題があり、1970年代初頭の段階ですでに高加減速性能が要求され、しかも発熱を極力抑えることが求められる地下鉄用には好適であるが、高速運転する近郊電車には不向きな方式であると評価されていた。このため、201系が開発された1970年代後半には、地下鉄以外の私鉄各社ではこれに代えて界磁チョッパ制御方式が普及しつつあった。しかしながら、1960年代後半より独自にチョッパ制御器の開発に着手していた国鉄においては、通勤形のみならず近郊形系列などへの応用を目指し、電動機の設計変更と主回路構成の工夫(直並列切り替え)によって、120km/hからの回生制動を実用可能とする制御システムの構築が研究されており、1974年(昭和49年)には103系を用いた現車試験によって、実用可能であることが確認されていた。
このことが示す通り、当時の国鉄はチョッパ制御器の採用について、力行時の抵抗器によるロスを削減することで得られるメリットよりも無接点・無段階制御で最高速度域から回生制動が実用可能であることのメリットの方を重視しており、主電動機であるMT60もこの目的に沿うように新設計されたものであった。
MT60は定格回転数1,850rpm、最高回転数4,850rpmと既存のMT54(定格回転数1,630rpm(全界磁)、最高回転数4,320rpm)やMT55(定格回転数1,330rpm(85%界磁)、最高回転数4,400rpm)といった前世代の標準型電動機と比較して明らかに高速重視の出力特性に設定されており、これによって高速度域での回生制動時に失効が発生するのを防いでいる。もっとも、ギア比が101系と同等の5.6に設定されているため低速域でのトルクが不足することになるが、これは磁気回路の増量を行い、定格出力そのものを引き上げることでクリアしており、このためMT60は国鉄の制式電車用直流直巻式電動機としては最強(当時)の150kW/h級電動機となったものの、本系列の低速度域の加速性能は103系と大差ないレベルにとどまっている。
また、回生制動を常用することを基本として計画されたため、本系列ではパンタグラフの架線からの離線による回生失効を防ぐべく、地下鉄乗り入れ用の301系などと共通の架線追随性が高いPS21形パンタグラフが採用された。特に、試作車の段階では主電動機の大出力化に伴う集電容量の不足も考慮して、各電動車1ユニットにつき2基ずつパンタグラフが搭載されるという念の入れようであった。
試作車の段階では国鉄の回生制動に対するノウハウの蓄積が不十分であったため、当初の予測以上に空制系への依存度が高くなってしまっている。このため、量産開始後も回生制動の動作パターン研究が進められ、増備の度にブレーキ系の改良が実施されることとなった。
これらの制御システムを操作する運転台の主幹制御器は、試作車において従来からの縦軸式回転型と新幹線電車に類似の横軸式前後操作型の2種類が比較されたが、試験の結果量産車では横軸式ハンドルとされ、ブレーキ弁は通常のME49(※1)が搭載された。
- (※1)JR東日本ではATS-P導入時に非常抜き取り対応のME48Pへの交換が実施された。
[編集] ブレーキ
空制系は応荷重装置付き回生制動併用電磁直通空気制動(SELR)が採用され、自動空気制動部のブレーキ制御弁として3圧力式の新型であるE制御弁が採用された。
[編集] 台車
試作車においては、301系と同様に乗り心地を重視して車体直結(ダイレクトマウント)式の空気バネ台車が採用され、主としてブレーキ装置の相違から、DT46X・Y(動力台車)とTR231X・Y(付随台車)の計4種が試用された。これらはいずれも軸箱支持方式がシリンダをゴム製シーリングで被覆した円筒案内式であった。
この台車はダイレクトマウント方式の採用が検修設備の非対応を理由とした保守陣の反対によって取りやめとなり、量産車では枕バリ部分をDT32/TR69系台車と類似のインダイレクトマウント方式(大径心皿方式)に変更し、軸バネ部のシリンダのシーリングを省略したDT46/TR231や、さらにこれの軸バネをエリゴバネに変更したDT46B/TR231Aに変更されている。
[編集] 車体
試作車の段階では、103系の構造を踏襲し、外板の材質も圧延軟鋼板が採用されていたが、量産車では台枠と側板の接合部がスポット溶接から連続溶接に変更されたため、103系で深刻な問題となっていた雨水の浸入による台枠の腐食がほぼ解決し、さらに外板材質が耐候性高張力鋼に変更されたことで、耐久性と車体剛性が大きく向上した。また、屋根部分はビニール布張りを廃止して塗り屋根方式に変更され、雨樋高さも車体洗浄の能率向上を狙って301系並みに変更されるなど、目立たない部分で重要な変更が加えられたことも特筆される。
試作車では、運転台付き車両について乗務員扉の開閉角度の改善を図って車体長を19.7mと中間車より0.2m長く設計されていた。ただし、これは分割・併合編成で中間に運転台付き車両が入る場合に整列乗車時の扉位置ずれの原因となることから量産車では中間車と同じ19.5mに戻され、これに伴い0.2m分拡大された運転台と干渉する直後の戸袋窓が省略された。
運転台は当時標準の高運転台式であるが、前面形状について刷新が図られ、試作車1編成5両の製造を担当した東急車輛製造の提案により、591系の平妻側運転台の形状をアレンジした左右非対称型のデザインが採用された。これは、前面の上半分の大半を用いた大きな開口部にジンカート処理と呼ばれる特殊な防錆皮膜処理を行った黒い鋼製パネルをはめ込んだもので、以後、この種のデザインは1980年代の日本における電車デザインの一つのスタンダードとなった。
冷房装置は、試作車がこの時期の103系と同じAU75B形であるが、量産車ではAU75Dとなり、クハ201-29など以降は室外機カバーをステンレスとし、省エネ・軽量化を図ったAU75Gとなった。平屋根構造の車内風洞を介して冷気が車内に送り込まれ、三菱電機が開発した「ラインデリア」と呼ばれる横流ファン(補助送風機)によって扇風機なしでも冷気がまんべんなく行き渡るように工夫されている。さらに、これとは別に通常の換気用通風器も屋根上に装備されており、押し込み式と呼ばれるFRP製で角形のものが採用されていた。もっとも、コストダウン要請が厳しくなった後期のいわゆる「軽装車」では、これは安価な鋼製に変更され、後に「軽装車」の多くを継承したJR西日本が201系について通風器の撤去を実施する一因となった。
窓枠は下段上昇・上段下降式のユニット窓が採用され、上段窓にバランサーが取り付けられたが、「軽装車」グループでは103系に準じた下段上昇・上段上昇式(行先表示器設置箇所は下段上昇・バランサーなし上段下降式)に逆戻りし、これに伴って構体設計が大幅に変更されている。
[編集] 接客設備
20年程度先を見越した接客設備を目指し、201系では様々な改善が図られた。その代表例としては、扉間の7人掛けロングシートのモケットを3-1-3に分割し、中央の1人分だけ色を変えることで座席定員通りの着席乗車を心理的に誘導するというデザイン面での工夫が挙げられ、これはモケット柄の1人ずつに区分するなどといった形で、他の鉄道事業者でも座席定員通りの着席を誘導するデザインが採用されるようになるなど、目立たないながらも以後の通勤電車のあり方を変えた改革であった(これはその後他形式でも更新や新造の際に採用した車両もある)。
また、試作車では当初客室内にはスタンションポールが設置されて、ラッシュ時の乗客の動線調査が実施された。これはその後の通勤電車における乗降問題に貴重な資料を提供したが、201系では非常に不評であったため、後に撤去されている。
車内のカラースキームは、当時の国鉄車両においては寒色系が一般的であったが、201系が新世代通勤電車ということもあって、壁面はベージュ、座席は濃茶色+中央部オレンジ、床面がウォームブラウンといった暖色系が採用された。ただし、客用扉はステンレス製無塗装のものが使用されていた。
[編集] 評価
201系は「101系以来の国鉄電車の変革」「今後の通勤形電車の標準型」と位置付けられ、新技術を満載した国鉄技術陣の自信作であった。特に前面はブラックパネルを用いた額縁状の「ブラックマスク」デザインの採用で、それまでの101系や103系のような「安っぽく画一的なデザインの車両を大量投入する」という国鉄のイメージを一時的に変えた。当時の国鉄が201系にかけた期待はただものではなく、原宿駅宮廷ホームを使用して営業開始前の試作車を一般公開し、広く世間に新世代通勤電車としてアピールを行ったという通勤電車としては異例の扱いからもそれが伺える。また、201系が営業運転を開始した1970年代後半は、オイルショック以来省エネルギーが叫ばれ始めた時代でもあったため、国鉄が省エネ車を採用した点でも注目を集めた。試作車が営業運転開始してからの約1か月間は、先頭車の前面に「省エネ201」という文字を表記した大きなヘッドマークを掲出していた。
もっとも、201系において採用された新機軸は、その大半が1970年代前半までに私鉄各社で試作あるいは量産化が進められていたものであり、しかも、量産車における採用の可否については混乱が見られることから、「新型車両は不用意に新たな労働を生む」とする労働組合との対立問題を抱え、新技術開発とその導入に様々な困難があった当時の国鉄の置かれた状況の難しさが見て取れる。
また、その建造コストはMT比(電動車と付随車の比率)でいう6M4Tの10両編成単位で比較した場合、量産開始の段階で同時期に生産されていた103系と比較して3億円以上高く、コストダウンを図った後期の軽装車でも103系(※2)に対しておよそ2億円の価格差があった。
- (※2)201系の生産が開始されてからは編成単位での増備は終了したが、増結用として一部について201系に準じた改良を施した中間車の生産が継続されていた。
後継となる205系と軽装車を比較した場合は、10両編成で約2千万円程度の価格差となり、低コストとされる205系であっても、実はイニシャルコストについては103系と比べてかなり高価であったことを指摘する声もある。しかし、205系はオールステンレス車体をはじめとして様々な箇所をメンテナンスフリー化しており、ランニングコストにおいて201系以前の車両よりはるかに低廉となっている。
- 付け加えるならば、電機子チョッパ制御は界磁チョッパ制御、界磁添加励磁制御に比して回生効率が高くなく、電機子チョッパ制御の嚆矢とも言える帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)6000系では、状態によってはほとんど内部回路の抵抗で発電ブレーキをかけている状態になっていることもある。
この結果、201系の増備は打ち切りとなり、これに代えて205系の量産が開始された。
結果的に、201系はその高コストゆえに中央・総武線系統と京阪神緩行線という国鉄時代は緊急性の高い線区に新製投入されたにとどまったが、運用の過酷さでは他線区の追随を許さない。これら3線区においてはその性能がフル活用されており、当初期待されたほどでなかったにせよ、省エネルギー効果も含めて所定の性能は発揮していることになる。
[編集] 現状
[編集] JR東日本
JR東日本には、10両固定編成、6両基本編成・4両付属編成で組まれている10両編成、6両編成、4両編成の4種類の編成があり、各編成を分けて運用することで、通勤形車両であるが多彩な行先の長距離運用でも使用されている。
[編集] 豊田電車区
- 中央快速線運用車両は富士急行線にも乗り入れる。ただし、同線への乗り入れを行うのは6+4編成のうち4両付属編成のみとなっている。
- 車体塗装色はオレンジバーミリオン(朱色1号)。
- 塗色や所属区は同じであるものの、主に中央快速線および青梅・五日市・八高線のうち中央快速線直通運用に就くもの(一部の間合い線内運用を含む)と青梅・五日市線の線内運用に限定されるものとで編成は分けられている。
- 2004年12月~2005年3月にドアステッカーの下部に「ひらくドアにちゅうい」ステッカーを貼付した。
- 登場当時は半数が武蔵小金井電車区に所属していたが、2004年3月に豊田電車区へ移籍した。そのため、編成札は移籍まで白地赤文字のものを使用していた。また、同時期に豊田電車区所属車は編成札を使用していなかったが、1996年に黄緑地白文字の編成札の使用を開始した。
[編集] 中央快速線用
- 中央快速線用の編成には10連貫通編成(T編成)と6+4連の分割可能編成(H編成)があり、青梅線・五日市線・八高線・富士急行線への乗り入れの関係で運用は分かれている。また、中央本線高尾以西に存在する狭小限界トンネルに対応すべく、当初は菱形のPS24、現在はシングルアーム式のPS35へパンタグラフが交換されており、一部の分割可能編成(H6・20~25編成)では霜取り用のパンタグラフを増設している。
- 2004年3月まで武蔵小金井電車区に所属していた編成は、H編成・T編成とも白地赤文字の編成札を使用していたが、豊田電車区への移籍時にT編成のみを黄緑地白文字の編成札に交換した。
- 外観上は、10両運転時に両端に組成される先頭車両の運転席窓下部に電動幕式の大きな列車種別表示器を備えている。一方、H編成の通常中間に組成される先頭車には板式の種別表示枠が設置されており、自動解結装置(電気連結器)が装備されている。2006年7月時点では板式の種別表示枠が取り外されている先頭車も出現している(後述の「置き換え」参照)。なお、種別表示枠は10両運転時に両端に組成される先頭車両にも列車種別表示器への取り替え前までは全編成に装備された。それ以前にも1987年3~4月の国鉄分割民営化前後に特製のヘッドマークを掲出して運転していた。
[編集] 青梅・五日市線内運用編成
- 青梅・五日市線の線内運用車はかつて中央・総武緩行線で使用されていたもので、塗色がカナリアイエロー(黄色5号)からオレンジバーミリオンに変更されている他、前述の軽装車が含まれている。なお、1986年3月3日改正より中央快速線から転用された6両編成が青梅・五日市線と武蔵野線の線内運用にも使われていたが、同線の全列車8両編成化と中央・総武緩行線への転用により撤退している。
- 転用の際に青梅線の青梅以西へ乗り入れ可能なのは4両編成に限定されているため、従来の6両基本編成から中間電動車2両を4両付属編成に移しており、中央快速線用のH編成とは6連と4連の組成順序が逆になっている。なお、中央快速線用は高尾寄りが6連、青梅・五日市線用は奥多摩寄りが4連である。
- 中央快速線用にある大型列車種別表示器はなく、助士席側の窓下に「青梅・五日市線」と表記したステッカーが貼付してある点が異なる。また、車内の扉横の座席に防寒用の風除けが取り付けられている他、ドア上部に掲出されている停車駅案内図も異なっている。
- 4両付属編成の各ドアには、軍畑駅(左側のみ)・川井駅(右側のみ)・奥多摩駅では電車とホームの間が広く開いている旨を表記するステッカーが追加で貼付されている。
- 編成の中には、後述する「四季彩」という観光用に改造された付属編成(4両)が1本ある。
[編集] 展望型電車「四季彩」
JR東日本では、豊田電車区で訓練車として使用されていた4両編成1本(クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134)を改造し、愛称の通り1両ずつ春(桜)・夏(ひまわり、2004年7月よりレンゲショウマ)・秋(紅葉)・冬(雪)のデザインを施した。また奥多摩向きのクハ200-134はすべての座席を川側に向け、その他の3両には川側にクロスシートを設置し、側面窓の一部も2段窓から固定式の1枚窓に変更された。2001年8月4日より運行を開始し、11月23日に公募により「四季彩」(しきさい)の愛称が付けられた。また、この「四季彩」編成は201系の4連で唯一シングルアーム式パンタグラフを装備する。
主に土曜・休日に青梅~奥多摩間を中心に運用され、送り込みを兼ねて立川発着の運用が1往復ある他、臨時列車では「川崎-奥多摩ハイキング号」として南武線川崎~奥多摩間で走ることや、「四季彩河口湖号」として富士急行線河口湖まで乗り入れることもある。また、2007年のゴールデンウィークには快速「むさしの奥多摩」として武蔵野線を経由して大宮駅まで乗り入れる。過去には、登場から数か月間だけ五日市線でも運用されていた他、長野支社に貸し出されて臨時快速「四季彩高原号」として中央本線小淵沢~大糸線白馬間を走っていたこともあった。また、大月駅開業100周年記念イベントの時には記念列車として運転していたこともあった。
また、平日は運用がなく拝島運転区で訓練車として使用される他、八高線の予備車も兼ねているが、実際に運用されたことは少ない。
なお、運行開始当初の外装による運行は2005年5月8日で一旦終了し、塗装を変更した後、6月25日の三鷹電車区一般公開での新塗装公開展示の後に7月2日より再度運行を開始している。
[編集] 松本地区への貸し出し
毎年8月15日の諏訪湖祭湖上花火大会と9月初旬の全国新作花火競技大会(ともに上諏訪駅近くの諏訪湖畔で開催)の観客輸送の応援用として、豊田電車区所属のH編成2本(20両)が松本地区に貸し出され、中央本線小淵沢~塩尻間と篠ノ井線塩尻~明科間で臨時列車(一部は定期列車の運用変更)として運行される。この場合はホームの長さと小淵沢・松本方面の双方に列車を走らせる関係上、送り込みを兼ねた小淵沢始発上諏訪行の快速以外は6両と4両に分けられて運用される。この地区ではトイレのない電車が少ないため、時刻表にも「通勤電車・トイレなし」の表記がなされる。それでも、通勤電車特有の利点(4ドア、詰め込みの利くロングシートなど)から4両でも115系6両編成を使用した時以上の混雑緩和の効果が出ている。なお、2008年3月までにE233系に置き換えられるため、201系による臨時列車の運転は2006年あるいは2007年をもって終了する予定である。
[編集] 京葉車両センター
- 車体塗装色はスカイブルー(青22号)。
- 京葉線の線内運用車はかつて中央・総武緩行線で使用されていたもので、塗色がカナリアイエローからスカイブルーに変更されている。また、転属の際に車内の非常通報用ボタンが丸型から角型に変更された。
- 尾灯は全車LED式に、運行番号表示器と側灯も一部を除きLED化されている。
- 転属当時は先頭車正面の行先表示器が白地黒文字だった。これは、幕を発注した際に「103系と同じ幕を作ってほしい」というJR東日本側の意図を、制作会社が「内容が同じ」ではなく「103系と全く同じ」と取り違えたため201系のブラックフェイスに似合わない白地黒字幕を装備することになってしまったためである(103系と201系の幕に互換性はない)。その後、2005年秋頃から黒地白文字に交換するとともに、側面のものも上部に「京葉線」を表記するものに交換し、フォントも新しくなった。現在ではケヨ72編成の中間に組成される先頭車の正面表示器のみが白地黒文字(京葉線)表示となっている。
- 2007年2月には、中央快速線で使用されていた10両貫通編成も転属されている。これは同年3月18日のダイヤ改正での武蔵野線の列車増発に伴い、同センターの京葉線用だった205系編成2本(ケヨ22、23)を武蔵野線に転用させるための不足補充分である。京葉線に転属した中央快速線の元トタT32編成は、電照式ヘッドマークが撤去されて跡がパテで埋められ、分割編成のクハの組成位置にサハが2両連続して並ぶように組成変更された(JR東日本でのサハ201の2両連続組成は初)。また、同車の編成表示札は「70」となっている。なお、中央快速線から転属後に方向幕を新しいものに交換している。さらに、翌3月には中央快速線の元トタT130編成が転用され、こちらの編成は「74」となって営業を開始している。
[編集] 置き換え
- 中央快速線などで使われている201系は登場から25年以上経過しており、長距離にわたる高速運転や日中も走行する運用が多いことから走行キロが伸び、老朽化が進んでいる(全検・要検から次の全検・要検までおよそ2年で到達する走行距離)。そのため、JR東日本では2006年12月26日から中央快速線に新型通勤車両のE233系を投入して、201系を置き換えている(201系714両中「四季彩」の4両を除く710両をE233系688両で置き換える)。2007年4月現在では青梅・五日市線用の編成組み換えをした際に余剰となった制御車(Tc)2両(クハ201-76・クハ200-76)および中央線快速用の10両貫通編成17本(T5~7・9・18~21・25・29・103・104・108・110・117・122・123編成)と6+4両編成2本(H3・6編成)が廃車回送された。また、T32・130編成はすぐに廃車回送されずに京葉線に転属されている。
- 2006年10月以降に落成したE233系では201系と同じ編成番号を持つ編成が登場したため、T編成から順次改称が行われている。2007年3月現在、T編成で改称されてたのはT101~104・108・110~117・122~124・126~128・131~133編成の22編成で、元の番号は現番号-100(T132とT133を除く。T33はT133を経てT132に、T34はT133に変更されている。)である。このうち2007年4月までにT103・104・108・110・117・122・123は廃車されている。さらに、2007年3月のダイヤ改正でH編成の一部が分割を行わなくなったため、それらの編成もT編成(100番台)として営業が行われている。H編成で改称されているのはT103「2代目」(←H2)・T104「2代目」(←H4)・T105(←H5)・T106(←H7)・T107(←H8)・T108「2代目」(←H9)・T109(←H10)・T110「2代目」(←H15)・T117「2代目」(←H18)・T118(←H19)・T119(←H20)・T120(←H21)・T121(←H22)・T125(←H23)・T129(←H24)・T130「2代目」(←H25)編成の14編成である。H編成からT編成となった編成の編成番号は、廃車となった201系のうち2代目として直接流用したものや、別に廃車となったT編成から新しく作り直したものも存在している。
- 2007年3月のダイヤ改正から分割を伴う運用に201系とE233系が共通で入っているため、201系については編成を順次6+4から4+6に組み替えている。しかし、全編成には実施しないため、対象から外れた201系H編成には「3月17日迄分割可能・3月18日より分割不可」の張り紙が貼付されていた。その後前述の通り「T100番台」化が実施されている。
- 組み替え対象となるH編成は7編成でダイヤ改正日以前・以後に組み替えを実施した編成には「3月1○日迄分割可能・3月1○-1○日分割不可・3月1○日より分割可能」の張り紙が貼付されている。当日に組み替えた編成には貼られていない。なおダイヤ改正後、これらの編成はH1編成を除き編成番号が振りなおされている。それぞれH2(←H11)・H3(←H12)・H4(←H13)・H5(←H14)・H6(←H16)・H7(←H17)となった。
- なお、この置き換えとの関連は不明だが、2005年に入り、検査入場した豊田電車区の6+4編成(H編成)は4・5号車の列車種別表示枠が撤去され、オリジナルに近い前面に戻されている。この工事を施行した編成は現在半数近く存在している(近年、特別快速の河口湖や武蔵五日市などへの分割時には中間車への特別快速の表示がないが、これも新車投入を見越しているものと思われる。)他、3月のダイヤ改正でH編成限定運用の「H運用」が減少し、その分だけ共通運用が可能な「T運用」(分割が全くない運用)が増えている。
- E233系への置き換え後は、チョッパ制御装置の部品上や保守上の問題で地方への転属や中小私鉄への譲渡の可能性は少ないと見られている。豊田電車区自身の収容量もさほど大きくないため、予備車として残す可能性もないと思われる。
- 京葉線においては、先述の900番台について老朽化が進んでいること、特殊部品を使用していて0番台と一部の部品が共通化できないこと、先頭車の一方が制御電動車(Mc,クモハ200形)のためATS-Pが搭載できないことなどの理由で、他の量産車編成に先駆けて2005年に廃車され、山手線からの205系転入で置き換えられた。ATS-Pが首都圏で本格導入された1989年頃から先頭車両を量産車の中間に組み込んで使用していたのはこのためである。このうちクハ201-902とモハ201-903の2両は10月14日に大宮総合車両センターで「地震での脱線想定負傷者救出訓練」に使用され、10月中に解体された(書類上の廃車日よりも実車の解体日の方が前であった)。900番台と編成を組んでいた量産車(ケヨ72・73編成)は組み合わせて10連となって、再び運用に戻っている。この編成は中間の先頭車もATS-Pを搭載し、6両や4両でも営業運転できる状態であるが、中間に組成された制御車に電気連結器が装備されていないため、現在も引き続き10両編成のみの運用に就いている(新・ケヨ72編成)。この編成は、試作車と組み替える前は三鷹電車区のミツ9(試作車はミツ10)編成であったため、三鷹時代とは車両の組成順番が違うものの、落成時に組成されていた編成に復帰した。
- 京葉線の201系においても、京浜東北・根岸線へのE233系投入に伴う209系500番台の転属、もしくはE331系により置き換えられる予定である。
[編集] JR西日本
[編集] 網干総合車両所明石品質管理センター
- 車体塗装色はスカイブルー。
- 近年では座席モケットが207系に準じたシーマンブルーに変更されている。スカート(簡易排障器)は民営化後にJR東日本とは違うものが取り付けられた。
- 弱冷車サボ受けが設置された。施工時期により、ビス止めタイプと熔接タイプがあったが後に撤去された。
- 2002年以降には、屋根上のベンチレーター(通風器)の撤去がC4編成(クハ201-64以下7連)から順次行われ、2005年以降は体質改善工事と同時にのみ行われている。2007年3月現在、ベンチレーターが残っているC3(クハ201-63以下7連)・31(クハ201-142以下7連)編成も体質改善と同時に撤去される見込みである。
- 2003年11月からは、製造後30年の使用を目指し、本格的に大阪環状線などの103系体質改善40N工事車に倣った「延命30N体質改善工事」(N30)も始まり、張り上げ屋根化、側窓の3枚窓化(下段は固定1枚窓、上段は2分割上昇窓の都市バスタイプ)、戸袋窓の埋め込み、フロントガラスおよび前照灯の構造が灯火類ガラス内収納式に変更、回生ブレーキ能力調整、化粧板など内装アコモデーションの更新などである。ただし、103系より10年分短い更新であるためか、荷棚や座席、妻窓は更新前と変わらない。また、1983年度までの製造分も上段上昇窓が取り付けられたため、車体に新たな隙間ができることとなった。
- スカートは、2004年から従来型より大型で鉄板を厚くしたものにする工事が順次行われている。
- 側面方向幕を従来の白地黒文字から103系などが使用している黒地白文字のものに交換した編成も存在する。
- 2005年12月1日から網干総合車両所明石品質管理センターに321系が投入され、201系は以下の他線区に順次転用されている。321系は2007年1月までに予定の7連39本すべてが製造完了しているが、同年3月の時点でもC14編成(クハ201-92以下7連)が運用されている(ただし、日常的に運用に入っているわけではない。)。他に残っている体質改善未施工の編成は各所に留置されている。
[編集] 森ノ宮電車区
- 車体塗装色はオレンジバーミリオン。ただし、2007年4月現在で204編成(運用離脱中)と222編成はスカイブルーである。
- 2005年12月15日に、クハ201-62以下7連(旧C2編成)にサハ201-96(旧C27編成)を組み込んだ8両編成が検査周期の都合から旧来のスカイブルーのままで運用を開始した。これらの編成は次回検査入場時にオレンジバーミリオンに塗装される予定である。
- 続いて、本来の車体色であるオレンジバーミリオンに塗装変更されたクハ201-64以下6連(旧C4編成のサハ以外)と旧C25編成のクハ201-136・クハ200-136を組み合わせた4+4の8両編成も登場した。その後も順次「TcMM'TTMM'Tc'」と「TcMM'Tc'+TcMM'Tc'」の2パターンに編成替えされ、既存の103系を置き換えている。
- 2007年3月現在運用されている編成はいずれも8両編成である。
- 方向幕は森ノ宮仕様の黒地白文字に交換されている。
- 体質改善未施工であった車両は転用と同時に工事を受けており、2007年3月現在、森ノ宮電車区で使用されている車両はすべて体質改善車である。
- スカイブルーのまま営業運転に入った編成のうち、右写真の編成など3本は後にオレンジバーミリオンに塗り替えられている。
- スカートの車両番号表記が消去されたものもある。
- 関西本線(大和路線)には大阪環状線からの乗り入れ列車として入線する。森ノ宮所属編成が少数であった当初は少なめであったが、2006年夏頃から入線する回数が増えている。環状線系統では基本的には103系と共通運用である。
- 201系転入により、森ノ宮電車区所属の103系は廃車または奈良電車区および日根野電車区への転属が進められている。
- 当初は京阪神緩行線の201系全車が転入する予定であったが、転配計画が変更になり、4M3Tの7両編成32本を4M4Tの8両編成16本と4M2Tの6両編成16本に組み替えることとなり、今後は6両編成が2本を除き関西本線(大和路線)に投入されることとなった(後述)。
- 岡山デスティネーションキャンペーンのラッピング車が存在する。2006年8月以降、103系にはこのようなラッピング広告車はなく、201系のみが対象とされている。
- クハ200-123のように、体質改善工事を施行したにもかかわらず車内の車両番号表記プレートが交換されていないものもある。
- 弱冷車表記の札の差し込み枠が全車両とも撤去され、ステッカー表記に変更された。
[編集] 奈良電車区
- 2006年12月から4M2Tの6両編成が順次配属されている。塗色は201系では初めてとなるウグイス色で、103系に引き続き先頭車の前面には白色の警戒帯が配されている。
- 103系は偶数向き先頭車がJR難波方先頭であるが、201系は奇数向き先頭車(クハ201)がJR難波方先頭となっており、奈良電車区の201系と森ノ宮電車区の201系は103系と違って向きが揃っている(奈良電車区の103系は全車が編成ごと方転されている)。このため女性専用車が103系ではM´車であるが201系ではM車にあたる。
- 最初の編成は、大和路線での試運転を行った後、同月20日から営業運転を開始した。2007年4月現在では6連5本30両が在籍する。
[編集] 特別編成
- 新造投入以来、上記の大阪環状線系統への転配属までは7両編成(TcMM'TMM'Tc')で運用されてきたが、阪神・淡路大震災後の特別編成で、8両編成(TcMM'TTMM'Tc')と201系としては最長の12両編成(6+6の編成・ TcMM'MM'Tc'+TcMM'MM'Tc')に組み替えられ、快速運用に入ったこともある。
- また、稀に和田岬線103系の代走でサハを抜いた6両編成で運用されることもあった。
- 2007年1月7日に、C5編成(クハ201-65以下7連)が編成ごと方向転換された状態で営業運転に入った。冬季の土曜だったため女性専用車や弱冷車の表示の問題はなかった。
[編集] 関連商品
- 鉄道模型では、以下の製品が扱われている。
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- Nゲージでは、メーカーである関水金属(KATO)が1980年に900番台編成の国電基本5色すべて(実際には存在しなかったエメラルドグリーンまで存在した)が、量産車は1997年に中央快速線仕様が、翌1998年には中央総武緩行線仕様と京阪神緩行線仕様がそれぞれ製品化された。また、同メーカーのブランド「ラウンドハウス」からも「四季彩」編成旧塗装タイプが製品化されている他、新塗装も製品化予定。また、グリーンマックスからも2006年8月に体質改善車オレンジ(大阪環状線仕様・8連貫通編成)が、10月に体質改善車スカイブルー(京阪神緩行線仕様・7連)がそれぞれ製品化されており、2007年4月下旬に体質改善車ウグイス(奈良電車区仕様・6両)も製品化される予定である。
- HOゲージでは、大手メーカーのエンドウが1980年前後にやはり試作車が、実車登場後間もなく量産車も製品化されている。
- また、プラレールやBトレインショーティーでも製品化されている。
[編集] 参考文献
- 交友社『鉄道ファン』2005年2月号 No.526 特集:201系四半世紀の歩み
- 特集:201系四半世紀の歩み〔補遺〕(交友社『鉄道ファン』2005年5月号 No.529 p140~p145)
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2006年4月号 No.774 特集:201系・203系電車