多摩ニュータウン
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多摩ニュータウン(たまニュータウン)は東京都八王子市・町田市・多摩市・稲城市にまたがる多摩丘陵に計画された日本最大規模のニュータウンである。
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[編集] 概要
開発主体は住宅・都市整備公団(現:都市再生機構)並びに東京都及び東京都住宅供給公社。開発面積は約3,000ヘクタール、計画人口は342,200人で、東西14km・南北1~3kmに及ぶ新住宅市街地開発事業及び土地区画整理事業である。1965年に都市計画決定し、翌年には事業計画の認可を受けて1971年3月26日、多摩市諏訪(多摩市)地区・永山(多摩市)地区において第1次入居が開始された。
多摩ニュータウン計画面積(新住宅市街地開発事業 2,225.6ha、土地区画整理事業 666.5ha、合計 2,892.1ha)
- (新住宅市街地開発法による開発事業計画決定地域の分)
種別 | 面積(ha) | 比率(%) |
住宅用地 | 785.6 | 35.3 |
商業業務用地 | 77.6 | 3.5 |
教育施設用地 | 212.6 | 9.6 |
その他公益的施設用地 | 229.2 | 10.3 |
道路用地 | 421.7 | 19.0 |
公園緑地 | 432.9 | 19.4 |
その他公共施設用地 | 4.8 | 0.2 |
特定業務施設用地 | 61.2 | 2.7 |
合計 | 2,225.6 | 100.0 |
多摩ニュータウン計画人口(新住宅市街地開発事業 282,000人、土地区画整理事業 60,200人、合計 342,200人)
[編集] 沿革
戦後の高度経済成長期、東京区部での深刻な住宅難にともなって地価は著しく上昇し、その結果として地価の安かった市部が急速に宅地造成されることになった。しかし民間主導の無計画な開発は劣悪なスプロール化をもたらすことになる。このような乱開発を防止するとともに、居住環境の良好な宅地を大量に供給することを目的として、1965年に多摩ニュータウンが計画された。
2005年で開発事業を終了したが、売れ残りの用地が244ヘクタール、人口は約20万人で、最終的に赤字となった。 売れ残りの土地の中でも、駅からすぐそばの土地には最近分譲マンションがいくつも建設されてきており、街並みは大きく変わろうとしている。
[編集] 計画都市
多摩ニュータウンは3つの階層に計画的に配置されている。中学校区を基本単位として、幹線道路を境に21の住区に分けられている。1住区は面積約100ha、住宅3,000~5,000戸、人口12,000~20,000人が計画されている。 各住区には原則として中学校1校、小学校2校を設置し、食料品・日用品等の商店、交番、郵便局、診療所などの住民サービス施設の集まる「近隣センター」が配置されている。 さらに、住区をいくつかあつめて地区を構成しており、地区の中心(鉄道駅)には「地区センター」が配置されている。 ニュータウンの中心である「都市センター」としては、多摩センター駅周辺が定められている。
[編集] 商業
多摩ニュータウンの商業的な特徴としては中小規模の郊外型商業施設の進出が盛んであり、主に多摩境地区、尾根幹線別所地区、多摩センター地区、堀之内地区、若葉台地区など広い商圏を形成している。
近年では特に郊外型の大型店が増加傾向にあり、カインズホームやケーヨーデイツー・コーナン・ユニディなど大規模ホームセンターと、ドン・キホーテのような総合ディスカウントストア、ケーズデンキ・コジマ・ラオックス・ベスト電器・ヤマダ電機(2007年3月予定)の家電量販店などが多数進出し、隣接する相模原・町田地区や八王子・立川地区などを巻き込んでの競争状態に突入している。
[編集] 各地域の特色
[編集] 全体的
主に多摩ニュータウンを形成する多摩市域、八王子市域、稲城市域、町田市域について記述する。
[編集] 多摩市域
多摩市域には1971年(昭和46年)に多摩ニュータウンの第1次入居地区となった諏訪・永山地区や、同ニュータウンの中心として計画された多摩センター地区などが含まれる。
多摩センター地区は業務・商業・娯楽のそれぞれの形態が場所別に分離されており、駅南口より延びるパルテノン大通りを中心に数々の施設が立地している。
主な行政施設として多摩市役所多摩センター駅出張所、多摩中央警察署、多摩郵便局、東京都住宅供給公社多摩窓口などが設置されている。
文化施設としては、複合文化施設パルテノン多摩や多摩美術大学美術館をはじめ、1990年には屋内型テーマパークの「サンリオピューロランド」が開業し国内外から観光客を集めている。
企業としてはベネッセコーポレーション東京支部や朝日生命保険多摩本社などが進出しており、今後も2007年にはCSK研究所、2009年にはJUKI本社が移転の予定である。
商業施設としては2000年度のそごうデパート撤退にともない後継テナントとして三越、大塚家具が開店、京王プラザホテル多摩の向かい側には「丘の上プラザ」イトーヨーカドー多摩センター店、2005年には駐車場跡地にワーナー・マイカル・シネマズ・スポーツオーソリティを核テナントとした複合商業施設「丘の上パティオ」も建設された。
- 聖ヶ丘
- 1984年(昭和59年)入居開始。第4住区を構成。聖ヶ丘という地名は公募で、近くに聖蹟記念館があることに由来している。比較的一戸建てが多い。区域には多摩大学や都立桜ヶ丘公園、陸上競技場と武道館を開設している多摩東公園がある。
- 諏訪
- 1971年(昭和46年)の第1次入居時に入居開始。第5住区を構成。諏訪という地名は諏訪神社と連光寺の小字、諏訪越、諏訪坂に由来している。区域にはマンモス団地が立ち並ぶ。
- 永山
- 貝取
- 1976年(昭和51年)の第2次入居時に入居開始。第7住区を構成。貝取という地名は大字貝取から由来している。
- 1976年(昭和51年)の第2次入居時に入居開始。第8住区を構成。豊ヶ丘という地名は落合の小字豊ヶ岡に由来している。
- 落合
- 1976年(昭和51年)の第2次入居時に入居開始。第9・10住区を構成。落合という地名は大字落合に由来している。区域に多摩ニュータウンの中心地区である多摩センター地区がある。
- 鶴牧
- 1983年(昭和58年)入居開始。第11住区の東部を構成。鶴牧という地名は落合の小字鶴牧に由来している。多摩センター地域の西部は鶴牧区域にあり、多摩中央警察署や集配局の多摩郵便局などがある。
- 唐木田
- 愛宕
- 1972年(昭和47年)入居開始。第17住区を構成。愛宕という地名は愛宕神社に由来している。区域はマンモス団地が立ち並ぶ。
- 南野
- 第7~11住区の尾根幹線道路以南で構成される。南野は大部分が旧町田市小野路町で多摩市の南であることが名付けれらた。区域には恵泉女子大学や市営野球場を備えた一本杉公園がある。
[編集] 八王子市域
八王子市由木地区(旧南多摩郡由木村)には旧来よりある「堀之内・別所・東中野・大塚・松木・越野・南大沢・下柚木・上柚木・鑓水・中山」の11の区域と新たに設置された「松が谷・鹿島」の2区、計13地区がある。別所・中山・上柚木・松が谷・鹿島地区を除き、多摩ニュータウン開発以前から住んでいる住民が大変多い。由木村は1964年(昭和39年)8月1日に八王子市に編入された。1971年(同46年)に東京都から新住宅市街地開発事業の対象地域とされ、多摩ニュータウン開発が行われた。
由木地区の11区域のそれぞれの詳細は次に掲げるとおりである。
- 大塚
- 東中野
- 現在のバス停「東中野」付近一帯である。かつては「中野」と称したが、八王子市中央部に「中野」があったため、「東」が名まえについた。明治期より「由木東小学校」がある。ここも多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。また、中央大学がある。なお、「由木東小学校」は、学制が布かれた際、「生蘭学舎」という名まえで設立された。設立者は新撰組の隊員であった。
- 堀之内
- 現在の「京王堀之内駅」の北側一帯である。かつては京王堀之内駅付近のこと(現在の八王子市堀之内3丁目)を「堀之内日影地区」と、野猿街道沿い(バス停の「由木堀之内」付近・現在の八王子市堀之内2丁目)を「堀之内日向地区」と呼んでいた。多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。ニュータウン開発の際、家を新築した住民が多く、昔ながらの家々は少ない。昨今は、その住民らがマンションを建てる例も見られる。中央大学や東京都立大学(首都大学東京)、東京薬科大学の学生も多く住む。また、東京薬科大学や京王電鉄の京王資料館もある。尚、一時期、「八王子市の東の玄関口」と称されていた。
- 別所
- 現在の「京王堀之内駅」の南側一帯である。多摩ニュータウン開発をするまでは丘陵地帯であり、住民もほとんどいなかった。現在は、住都公団(当時)が建設した公団住宅が多く立ち並んでいる。東京四谷にあった四谷見附橋を移設した長池見附橋もある。
- 松木
- 現在の「京王堀之内駅」の西側一帯、バス停「浅間神社前」・「フェアヒルズ入口」一帯である。多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。ニュータウン開発の際、家を新築した方が多く、昔ながらの家々は取り壊された。
- 越野
- 現在のバス停「帝京大学中高校」一帯である。野猿街道沿いは多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多いが、街道裏手には開発後に来た住民の家々が立ち並んでいる。
- 南大沢
- 現在の「南大沢駅」周辺である。現在のバス停では「大田橋(旧南大沢)」・「南大沢駅」一帯である。かつては「大沢」と称したが、今の八王子市北部の加住町の中にも「大沢」があったため、明治時代にそれぞれ「南」・[北」が名前についた。多摩ニュータウン開発以前は大田川沿いや日向など農家が点在していたが、ニュータウン開発時の土地買収で今のように住宅が整備された。駅開設直後は駅舎周辺一帯が更地であった。しかし、それゆえ思うがままに開発が出来たため、東京都立大学(当時)の誘致やショッピングセンター等が出来た。現在南大沢1丁目に警察署、3丁目に消防署の建設計画がある。
- 下柚木
- 現在のバス停「由木中央小学校」・「由木折返場」一帯である。明治期より「由木中央小学校」がある。ここも多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。また、山々や林も若干残っている。
- 上柚木
- 現在の「南大沢駅」北側一帯である。多摩ニュータウン開発をするまでは丘陵地帯であり、住民もほとんどいなかった。現在は、住都公団(当時)が建設した公団住宅が多く立ち並んでいる。
- 中山
- 現在のバス停「中山」一帯である。中山地区は多摩ニュータウン区域の域外に位置する。
- 鑓水
- 現在のバス停「鑓水中央」一帯である。八王子周辺は古くから養蚕業が盛んだったが、開港場・横浜へ向かう街道(愛称「絹の道」)もあって、財をなした生糸商人が多く、「鑓水商人」と呼ばれた。当時を偲ばせるものとして「絹の道資料館」や1878年(明治11年)に造られた「小泉家屋敷」がある。近年、急速に宅地化が進んでいる。
また、上記の11地区とは別に多摩ニュータウン造成時に大塚の新住宅地域に新しい町として 鹿島、松が谷の2つの地区が新設された。
- 鹿島
- 1976年(昭和51年)に入居が開始される。第17住区の西部を構成する。区域には八王子市役所由木東事務所がある。鹿島という地名の由来は昔、このあたりに鹿島神社があったからといわれている。
- 松が谷
- 1976年(昭和51年)に入居が開始される。第18住区の大部分を構成する。区域には大塚公園、大塚西公園、望地公園、東中野公園と公園が多く、野球場、テニスコート、プールが設備されている。またデジタルハリウッド大学や、外国語科がある東京都立松が谷高校もある。松が谷という地名の由来はこのあたりに松が谷戸という谷があったから、といわれている。
鹿島・松が谷の2地区は、八王子市と多摩市との境に位置し、多摩市役所や多摩センターに近いため、生活圏は完全に多摩市に組み込まれている。そのことから、1982年に両地区住民が八王子・多摩両市に対して「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を求める陳情が提出されたが、旧由木村が八王子市に編入される際に起こった衝突(当時、由木村は「八王子市編入派」と「日野市編入派」の対立が並々でなく、新聞等で報道される程の事件や運動が起こっていた。最終的には、住民投票によって「八王子市編入」が「日野市編入」を上回ったため、八王子市に編入された。)を恐れて、「鹿島・松が谷地区の多摩市編入反対」の陳情を出した。これに対して、多摩市議会は「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を可決したものの、八王子市市議会は「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を否決して、現在も「鹿島・松が谷地区」は八王子市に留まることとなる。
[編集] 稲城市域
稲城市域は多摩ニュータウンの東端に位置し、「ファインヒルいなぎ」のネーミングを持つ。
- 向陽台
- 長峰
- 向陽台地区と若葉台地区の中間に位置し、第2住区を構成する。稲城中央公園がある。
- 若葉台
[編集] 町田市域
町田市域は多摩ニュータウンの西端に位置し、「町田グランネットタウン」のネーミングを持つ。
- 小山ヶ丘
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- 京王相模原線:稲城駅、若葉台駅、京王永山駅、京王多摩センター駅、京王堀之内駅、南大沢駅、多摩境駅
- 小田急多摩線:小田急永山駅、小田急多摩センター駅、唐木田駅
- 多摩都市モノレール:多摩センター駅、松が谷駅
- JR南武線:南多摩駅
また近隣とは路線バスもそれぞれ整備され、連絡している。
[編集] 道路
- 多摩ニュータウン通り
- 後述の南多摩尾根幹線を含めた正式名称は東京都道158号小山乞田線。町田市小山町の多摩ニュータウン入口交差点を起点に鎌倉街道に接する多摩市乞田の乞田新大橋交差点までの区間。全線片側2車線で文字通り多摩ニュータウンを東西に結ぶ大動脈。
- 交差する鎌倉街道などの幹線道路とは平面で交差しており、信号の間隔も短いため乞田新大橋交差点を中心に慢性的に渋滞を起こすこともあるが、昼夜の交通量に大きな差があるため夜間は非常に閑静な佇まいを見せる。
- 野猿街道
- 南多摩尾根幹線
- 多摩ニュータウン通りと並び、多摩ニュータウンを代表する幹線道路。正式名は都市計画道路多摩3・1・6号線(1989年(平成元年)以前は多摩1・3・4号線)。広域交通ネットワークの東西交通網として1966年に都市計画決定された鶴川街道~町田街道間の延長13.8km・幅員32.5m~58mの都道である。終点の町田街道から先も現道があり、これは神奈川県道である。この道路を経て、将来的に圏央道に繋がる構想がある。最大幅員が58mもあるのは非常に広い中央分離帯を確保しているためであり、将来的にはここに多摩都市モノレールが導入される構想がある。
- 計画では中央に4車線の本線、その両側に各1車線の側道が配される。現在では側道部分はほぼ全通しているが、本線部分の着工は沿線住民の反対と都の財政事情により大きく立ち遅れており、物流拠点や商業施設が近年増加している現状にキャパシティが追いついていない。また、信号が少ないため多摩ニュータウン通りや鶴川街道のバイパスルートとして使われることが多く交通の流れは比較的速い一方、尾根伝いにルートが続き起伏も激しいため事故や渋滞が頻発する危険な道路となっている。
- 多摩ニュータウン計画の当初からあった計画にも関わらず、入居してきた住民が後から反対するという外環道や小田急複々線高架計画(世田谷区)と似た事態が発生した。やむを得ず現状は永山団地・諏訪団地付近の上り車線予定地を緩衝帯に用い、居住環境に配慮している。
- 2005年(平成17年)7月には町田市小山町~八王子市別所二丁目の本線部分が供用されるなど徐々に整備は進んでいる。
- 現在、沿線の別所地区には総合ドラッグストアのカワチ、家電量販店のケーズデンキがあるが、そこに隣接して「ぐりーんうぉーく多摩」という大規模な複合商業施設が2007年春にオープンする見込みで、核テナントとなるコーナン、ニトリ、ベルク、ヤマダ電機の建設が進行している。
[編集] 多摩ニュータウンの大学
多摩ニュータウン区域内およびその近隣地域には以下の大学・短期大学・高等専門学校が立地している。
- 中央大学
- 首都大学東京(旧称:東京都立大学)
- 帝京大学
- 国士舘大学
- 明星大学
- 多摩大学
- 東京薬科大学
- 多摩美術大学
- 大妻女子大学
- 駒沢女子大学
- 恵泉女学園大学
- デジタルハリウッド大学
- サレジオ工業高等専門学校
- ヤマザキ動物看護短期大学
[編集] 多摩ニュータウンを舞台にした作品など
- 多摩丘陵を舞台に、ニュータウン開発を進める人間と狸たちとの攻防を描く。
- モデルとされているのは聖蹟桜ヶ丘駅周辺
- 主に稲城市向陽台・多摩センター駅周辺・南大沢(首都大学東京付近)
- THE DETECTIVE STORYのロケ地として頻繁に使われた。
- 多摩市を中心に放送しているコミュニティ放送局
- 定年ゴジラ
- 多摩ニュータウンをモデルとした架空のニュータウンを舞台とする重松清の小説。NHKでドラマ化された。
- どこまでもいこう
- 主に多摩市永山で撮影。
- ふたりはプリキュア・ふたりはプリキュアMaxHeart
- さよなら5つのカプチーノ
- 南大沢近辺(パーラーキング等)が登場する。
- ケイゾク 特別編
- 作中に出てくる「八王子西方駅」のホームが南大沢駅上りホーム。
[編集] 近隣のニュータウン(住宅地域)
[編集] 近隣のマンモス団地
- 旧公団整備
- 公社整備
- 町田木曽住宅(木曽団地)-町田駅(町田市木曽町・本町田)