町田駅
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町田駅(まちだえき)は、東京都町田市原町田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・小田急電鉄の駅である。
目次 |
[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
[編集] JR東日本町田駅
- 島式ホーム2面4線を有する地上駅。橋上駅舎を持つ。
- 横浜線の全ての定期列車が停車する。
- 土休日に走る臨時特急「はまかいじ」の設定当時からの停車駅である。
- 改札口は中央改札・ターミナル口(旧原町田駅付近)の2箇所。それぞれ2階にある。
- 中央改札は、北側(小田急町田駅西口・バスセンター側)が中央口北口、南側(ヨドバシ側)が中央口南口となっている。
- ペデストリアンデッキ上の屋根設置に伴い、北口の駅名標の確認が困難な状況になっている。
- ターミナル口はごく最近まで有人改札で、Suicaが使えなかった。
- 中央改札は、北側(小田急町田駅西口・バスセンター側)が中央口北口、南側(ヨドバシ側)が中央口南口となっている。
- 2005年から続いていたバリアフリー・リニューアル工事は終了し、エレベーター・エスカレータ専用通路が設置され、新設コンコース脇にNEWDAYS・BECK'S COFFEE SHOP等が設けられた。
- この工事前はエスカレータは上りのみ、エレベータはホームと駅事務室を結ぶ車椅子専用であった。
- 工事前にあったエスカレータの部分は階段になっている。
- 横浜線の東神奈川~八王子間のほぼ中間駅である。
- 横浜支社所属。電報略号:マチ
- 横浜線の全ての定期列車が停車する。
[編集] JR線のりば
北東側(上り線進行方向左側)から
- のりば
1 | ■横浜線 | 新横浜・菊名・東神奈川・横浜・大船方面 |
---|---|---|
2 | ■横浜線 | 新横浜・菊名・東神奈川・横浜・大船方面(待避線) |
3 | ■横浜線 | 橋本・八王子方面(待避線) |
■横浜線 | 新横浜・菊名・東神奈川・横浜・大船方面(当駅始発) | |
4 | ■横浜線 | 橋本・八王子方面 |
- 日中は当駅で全ての下り快速の前を走っていた各駅停車は快速の待ち合わせをする。また2006年3月18日より、上り快速の前を走っていた各駅停車の快速の待ち合わせは大半の列車を町田駅から中山駅に変更した。これは快速が菊名駅に停車するようになった為である。(ただ従来通り町田駅で行う列車も土休日に3本存在する)
- 内側の線路の内、2番線は上下ともに発着可能、3番線は下りの到着及び上下の発車が可能である。
- 上りの当駅始発は主にラッシュ時は3番線、早朝・日中・夜間は3番線となる。
- 以前は早朝に2番線発の下り電車が存在したが、現在は乗り場の案内にあるとおり定期列車は上り電車だけである。
[編集] 小田急町田駅
- 島式2面4線の高架駅(新宿寄りは地平、相模大野よりは高架)。
- 駅ビル(小田急百貨店)の中2階のど真ん中を鉄道が貫くという、珍しいスタイルで建築された駅である。
- 2005年7月に行われた調査により、改札外天井部分にアスベストを含有した吹き付け材が用いられていることが確認されたため、撤去作業が行われた。2006年6月に作業は終了している。
小田急電鉄の管区長・駅長所在駅。町田管区として登戸~町田間、町田管内として柿生~町田間を管理している。
- 駅が南側から北側に向かっての傾斜地にあるため、以下のような状態になる。
[編集] 小田急線のりば
1 | ■小田原線 | 本厚木・小田原・箱根湯本・片瀬江ノ島方面(待避線) |
---|---|---|
2 | ■小田原線 | 本厚木・小田原・箱根湯本・片瀬江ノ島方面 |
3 | ■小田原線 | 新百合ヶ丘・新宿・○千代田線 綾瀬方面 |
4 | ■小田原線 | 新百合ヶ丘・新宿・○千代田線 綾瀬方面(待避線) |
- 新宿方に引き上げ線が1本あり、江ノ島線からの電車を中心に、当駅で折り返す列車がある。
- 上り電車を2番線着として、折返し下りとして運転することも可能な構造である。
- 現在の到着は回送のみであるが、以前は町田2番線止まりの折返し下り電車が存在した。
- この駅は新宿駅と同様の発車ベルがあるが各方面最終電車の発車時及び輸送混乱時にのみ使用をしている。
[編集] 歴史
[編集] 横浜線町田駅
- 1908年9月23日 横浜鉄道が開通した際に、原町田駅として開業。
- 1917年10月1日 国有化され、国鉄の駅となる。
- 1972年3月5日 開業時から行われていた貨物取扱が廃止。
- 1980年4月1日 駅前の再開発に伴い、小田急線の町田駅側に移動し、町田駅に改称。
- 1983年10月31日 ターミナルプラザ開業。ターミナル口の使用開始
- 1987年4月1日 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
- 1996年4月27日 臨時特急「はまかいじ」が運行開始し、停車駅となる。
- 2005年9月20日 3番線 誤乗防止のため上りだけメロディー変更。新しい曲は「スプリングボックス」。
- 2006年2月 改札内コンコースの延伸工事完了。エレベーター・エスカレータ専用通路使用開始。(店舗は未開業)
- 2006年4月 改札内コンコースにNEWDAYS、Beck's等店舗がオープン
[編集] 小田急小田原線町田駅
- 1927年4月1日 すでに横浜鉄道に原町田駅があったため、新原町田駅として開業。「直通」の停車駅となる。(尚、「各駅停車」は、新宿駅~現在の向ヶ丘遊園駅である稲田登戸駅間のみの運行であり、当駅までの運行はなかった。)
- 1927年10月15日 「急行」が登場し、停車駅となる。
- 1944年11月 太平洋戦争(大東亜戦争)の戦況悪化に伴い、「急行」の運行が中止される。
- 1945年6月従来、新宿駅~稲田登戸駅(現、向ヶ丘遊園駅)間のみの運行の「各駅停車」が全線で運行されることとなり、「各駅停車」の停車駅となる。(同時に、「直通」は廃止される。)
- 1946年10月1日 「準急」が登場し、停車駅となる。
- 1948年9月 「桜準急」が登場し、停車駅となる。
- 1949年10月1日 「急行」が復活し、停車駅となる。
- 1955年3月25日 「通勤急行」が登場し、停車駅となる。
- 1957年 夏季のみ運行の「快速急行」(現在、運行されている快速急行とは、一切、関係なく、単なる海水浴客輸送用の臨時列車である。)が登場し、停車駅となる。
- 1960年3月25日 「通勤準急」が登場し、停車駅となる。
- 1964年11月5日 「快速準急」が登場し、停車駅となる。
- 1967年4月27日 特急ロマンスカー(「えのしま」)が停車するようになる。同年8月には「あしがら」も停車するようになる。
- 1976年4月11日 町田駅に改称。
- 1996年3月頃 特急ロマンスカーの小田原・箱根方面と江ノ島方面との分割併合をこの駅で行うようになる。
- 1998年8月頃 特急ロマンスカーの小田原・箱根方面と江ノ島方面との分割併合を隣の相模大野駅で行うようになり、江ノ島方面の定期ロマンスカーが全て通過となり、小田原・箱根方面のロマンスカーの一部(江ノ島方面と併合運転していたもの)が通過となる。
- 2002年3月22日 「湘南急行」が登場し、停車駅となる。
- 2004年12月11日 「快速急行」、「区間準急」が登場し、停車駅となる。
[編集] ICカードなどでの連絡乗車について
当駅についてJR東日本と小田急電鉄との間で連絡乗車の取り決めがなされていないため、当駅経由でJR横浜線と小田急小田原線を乗り継ぐ場合、それぞれの乗車券(回数券・磁気定期券・Suica定期券・PASMO定期券含む)を別々に購入する必要がある。
理由として、横浜線と小田急電鉄の元の駅名が「町田駅」では無かった(横浜線は原町田駅、小田急電鉄は新原町田駅)ために連絡乗車に対応しない、との説がある。
[編集] 駅名の由来
[編集] JR横浜線
駅開設当時の「原町田」とは、駅所在地の地名から名づけられた。その後、駅が小田急線町田駅側に移築されたことに伴い、「町田」と改称された。当時横浜線の主力だった103系が町田行として走る場合の方向幕では、当初は「町田」に置き換えられずに「原」の文字だけ消されて「 町田」となったものもあった。
[編集] 小田急小田原線
「原町田」に新しく設置された駅という意味で「新原町田」として開設された。その後、1976年に駅周辺が発展したことに伴い、「原」というのが駅名に付くのは「おかしい」という意見があったことから「町田」と改称された。
[編集] 横浜線の駅の移転について
かつて小田急小田原線と国鉄横浜線は乗り換え客はいたものの二つの駅の距離は離れており、バスターミナルもそれぞれ独立した場所にあったため利用客などから駅を移設して乗換えを便利にして欲しいという声が高まっていた。大勢の乗り換え客がそれぞれの駅に向かって走るので、経路になった道路は通称『マラソン道路』と呼ばれていた程である。そこで町田市などは横浜線の駅を小田原線と横浜線の交差地点近くに移設しようと計画したが、これに対して二つの間にある商店街が猛烈に反対を唱えた。というのも、乗り換え客の中には途中でこのような商店街に立ち寄る人も非常に多く、駅が移設してしまうとこのような客がいなくなるおそれがあったからである。その後も反対運動が続けられ4000人を超える署名が集められた。その後の交渉で、
- 現状のままにする。
- 横浜線の駅を小田原線の駅に近づける。
- 横浜線の駅を小田原線の駅に隣接させる。
の3案が出され、長い交渉をへて2.の案に決まった。こうして横浜線の駅は移設することになったが、これは商店街の声も一部配慮したものであった。利用客はこの案を完全には喜んではいなかった。利用客は本当は3.の隣接案を望んでいたからである。連絡通路による乗り換えには約5分かかり、利用客の中には乗換えが不便という声も未だにある。しかし現状は連絡通路の長さが乗換客による混雑の緩衝となっている面もある。
[編集] 駅周辺
周辺は神奈川県相模原市との市境が近く、JR町田駅南口付近は相模原市である。
駅近隣は、江戸時代の鎖国解除直後から、生糸の集散地として栄え、その流れで多くの商店が建ち並んだ。
横浜線原町田駅・小田急線新原町田駅が開業すると、駅近隣の発展は急速に進み、1960年代に駅周辺に団地が乱立して建設されると大丸(現在は撤退)、緑屋(現在は撤退)、ダイエー(現在も規模を縮小しながらも食料品スーパー「グルメシティ」として営業中)等の百貨店、スーパーマーケットが駅前に進出し、商業地としての地位を確実なものとした。
今日では東急百貨店、109、丸井、長崎屋、西友、ヨドバシカメラ、ドン・キホーテ、ジョルナ、ソフマップ、ブックオフ、ザ・ダイソー等の大型店が林立し、さらには庶民的な商店街や若者向けの店も数多く、神奈川県民も多く訪れる東京都有数の商業地として著しく発達している。
横浜線原町田駅跡地は1983年に商業ビルとして再開発され、テナントとして東急ハンズが入居している。
商業地域からJR町田駅を挟んだ反対側エスカレータを降りて目の前にヨドバシカメラがあり、そして徒歩数分の町田市と相模原市の境界線近くに風俗店やラブホテルが数多く並び、一部では西の歌舞伎町という声もある。
JR町田駅から小田急町田駅までの間の通路は通行人の往来が激しく、またマルチまがい商法の勧誘やホストの客引きや風俗店による違法なティッシュ配りなどが激しく、これらの行為を警察は犯罪率の増加を示しているとして懸念している。
その一方で、駅からしばらく歩くと、緑や公園が多く存在し、緑が豊かな街としての一面もある。駅周辺にある公園のひとつである芹ヶ谷公園には、町田市立国際版画美術館があり、古今東西の多くの版画が常に展示されている。
東京都町田市と神奈川県相模原市(昔の武蔵国と相模国)の境界とされた境川はかつては激しく蛇行しており、河川改修によって流路が直線化された後も両市間では一部区間を除いて都県境が非常に入り組んだまま残されている。そのため、JR町田駅中央口南側のヨドバシカメラ周辺は境川の北側ではあるが一部は神奈川県相模原市に属する。
JR中央口と小田急西口との間にはペデストリアンデッキが2つあるが、丸井側のみに屋根があり、旧大丸側には屋根がない。これは丸井側が横浜線の駅移転と共に建造されたものであり、JRと小田急の連絡通路として使われたが、やがて常に全体が溢れかえるほど混雑したことから、旧大丸側にも1993年に追加でデッキが建造された。
JR中央口と東急百貨店との間のペデストリアンデッキ上には回転するオブジェが存在し、鳩が乗ったまま回転している光景も良く見られる。このデッキにも屋根がないため、一時期は傘を貸し出すサービスを行っていたが、2006年末頃にオブジェを取り囲むような形で屋根が設置された。
東急百貨店の新館と本館との間の道路上の、町田駅中央口ペデストリアンデッキ向かいに、将来多摩都市モノレールの町田駅が出来ることになっているが、延伸できるかどうかは微妙な状態である。なお、東急百貨店の両館の間を結ぶ連絡橋は、この計画があったために5階という高い位置に作られたと思われる。
駅周辺の上空は厚木海軍飛行場への空路となっていて、爆音を聞き、空を見上げると軍用機の下部を見る事が良くある。1964年には駅周辺の繁華街で軍用機の墜落事故(町田米軍機墜落事故)が発生し、事故現場周辺にいた4名が死亡するという惨事になった事もある。
[編集] 百貨店・スーパーマーケット
[編集] 銀行
[編集] 書店
[編集] 予備校・塾
- 代々木ゼミナール
- 河合塾
- 駿台予備学校
- 東進ハイスクール
- 四谷学院
- 城南予備校
- 早慶外語ゼミ
- 市進予備校
- 早稲田塾
- DSKパーソナルスクール
- 東京個別指導学院
- 臨海セミナー
- 日能研
- 四谷大塚
- SAPIX
[編集] 路線バス
町田駅周辺には、町田バスセンター(JR駅前アーケード~小田急線高架下)、町田ターミナル(JR横浜線ターミナル口にある東急ハンズビル1階)、町田駅(小田急町田駅東口踏切北側)と、3つのバス停留所がある。これら3つを合わせた乗車人員は多摩地区で1位、都内でも渋谷についで2位と非常に多くの人が利用している。なお、これらについては、当該記事を参照のこと。
[編集] 町田駅関連の画像
[編集] その他
[編集] 乗降人員数(JR東日本町田駅)
利用者数は1日平均乗車人員104,452人(2005年度)である。JR東日本では第28位であり、JR東日本の東京都多摩地域の駅では立川(150,009人 第15位)、吉祥寺(139,245人 第18位)についで多く、横浜線では最も多い。
[編集] 乗降人員数(小田急町田駅)
- 281280人(2005年度)
- 277304人(2000年度)
- 292456人(1995年度)
- 299216人(1992年度・当駅の乗降人員数最高値年度)
- 287587人(1990年度)
- 236259人(1985年度)
- 197393人(1980年度)
- 154830人(1975年度)
- 132032人(1970年度)
- 86434人(1965年度)
- 42215人(1960年度)
- 25979人(1955年度)
- 17176人(1950年度)
- 14672人(1946年度・<1945年度は資料なし>)
- 5234人(1940年度)
- 928人(1935年度)
- 1333人(1930年度)
- 1139人(1928年度・小田原線開業年)
1992年度から2000年度にかけて、利用者数が減少したものの、現在は増加傾向にある。また、当駅の乗降人員数は、小田急電鉄線内の駅では新宿駅につぎ、第2位である。(2005年度現在)
[編集] 隣の駅
- 小田急電鉄
- ■小田原線