笑点の大喜利
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笑点 > 大喜利
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笑点の大喜利(しょうてんのおおぎり)では、日本テレビの「笑点」の大喜利コーナーについて記載する。
それ以外については笑点を参照。
目次 |
[編集] 概説
いわゆる大喜利。通常は後述の演芸コーナーの後に行われるが、時々演芸コーナーでも「アナウンサー大喜利」などと題して行う。その際は通常の大喜利のメンバーが司会や座布団運びを務め、回答者はアナウンサーや芸能人の場合が殆どである。
三波時代まではCMが終わって画面が切り替わった時点で、既にメンバーが着席していたが、圓楽時代以降は笑点のオープニング曲にあわせて、上手から小遊三→好楽→木久蔵→昇太→楽太郎→たい平→山田の順に着席し、一旦全員の姿が映された後で、司会者(歌丸)が現れ、席に着いた後に扇子を一打ちして、大喜利が始まる。
大喜利開始の際に司会の歌丸は「○○の(な)メンバーのご挨拶からどうぞ」と言い、続いて司会席に近いメンバー(現在は小遊三)から順に短めの挨拶(行事の告知が多い)となる。
1年間の締め括りでは3本締めとして、会場のお客さんと共にその年を締めるが、2006年5月14日の放送開始40周年記念特番のエンディングで、この3本締めが急遽行われた。
また毎年11月ごろになると、大喜利終了後に3人の大喜利メンバーが来年のチャリティー付笑点カレンダーの告知をする。
[編集] 監獄
アトラクションとしての大喜利は昔からあった。寄席でも存在し、テレビでも行われていた。だめな答えのペナルティとして、(あたかも羽子板遊びのように)「顔に墨を塗る」ということなどが行われていた。
新番組「金曜夜席」ではすべての発想をリセットして、どういう構成にするかを一から考え直した。アイディアを出す主力になったのは出演者(大喜利メンバー)自身である。そのうちの誰かが「(江戸時代の)牢名主はどうだ? 昔の監獄では、受刑者にも序列があった。受刑者のうち、畳を積み上げて座っている奴が偉いンだ」と提案した。すかさずそのアイディアが採用となった。ただし、高座では畳は運べないので、畳を座布団に変えた。こうして作られたのが「良い答えには座布団を積み上げ、良くない答えには座布団を減らす」という新番組独自ルールであった。
[編集] ルール
- 司会者(現在は歌丸)が3問出題し、挙手制で指名された回答者が機知を利かせた答えを返す。
- 良い回答には座布団が与えられ、悪い回答や文句として既存する回答、司会者の気分等によっては剥奪される。歌丸時代からは「歌は禁止してますから」とメンバーが歌を延々と歌ったり、司会者を無視して延年とネタを披露した場合1枚~2枚没収。さらに度が過ぎると全部没収となる。落語のネタを用いた場合も2枚程度の没収はある。
- 剥奪される枚数は司会者の気分等によって変わるが、大抵は1~2枚、多めで3~5枚、最悪の場合は全没収となる。
- 「歌丸禿げネタ」は多くても3枚没収、だが昇太・楽太郎らの「歌丸死亡ネタ」・「ジジイネタ」は全部没収が基本。
- 司会者以外でも、回答者や座布団運びが座布団を与えたり、没収したりする(山田を罵倒すると、必ずと言っていいほど突き飛ばされて持っていかれる場合が多いが、その後歌丸によって1~2枚与えられることがたまにある。特にたい平)。
- また答えるのに躓いたり、回答が面白く無かった場合は、自ら1枚座布団を返上することもある(特に昇太、木久蔵)。
- 10枚獲得すると、アシスタント達から紙吹雪による祝福を受けながら「豪華賞品」が贈られる。:なお座布団10枚が達成された翌週は、全員座布団1枚からのスタートとなる。
- 前田時代には「大喜利ナンバーワン」と称し、後述の通り前田が中央に座り、赤白二組に分けて前田の左右に座り、座布団5枚を奪い合うルールとなっていた。
[編集] 座布団
現在座布団を作っている会社は荻原舞台美術で、重さは1枚4キログラム。10枚重なったときでもバランスが保てるといわれている。ちなみに現在、座布団は出演者全員が10枚獲得する事態を考えて60枚用意されている。
[編集] 出題
最初のお題は、多くが最近の話題をネタにしたものが多いが、時々「あったらいやなシリーズ」や「誰だったらどんなシリーズ」が出ることもある(歌丸司会者就任後はあまり出ていない)。ご当地での収録では土地柄にちなんだ問題が用意される。
問題ではたまに「例のもの」として小道具が用いられる。その時は司会者が「山田君、皆さんに例のもの(又はパターン)を配って下さい」と促し、山田が「はい、かしこまりました」と受け答え、山田を含めて3人の座布団配りが「例のもの(パターン)」をメンバーに配る。
例のものとして一番多いのは「フリップ」で、折り込み句(ご当地名等を平仮名にし、一文字ずつ文の最初に置いて川柳や都々逸調に詠む)シリーズや穴埋め問題などでも登場する。
中には「かつら」が出てくることがある。この時は、歌丸がかつらを被った姿が必ず映し出される。その他の定番としてチャイム(デパートなどでの呼び出し)やコップ、帽子、マイク、鍋などがある。
時には1問目から3問目まで、その日の問題全てに道具を使った問題が出ることもある。
[編集] 大喜利メンバー
スタッフが容易に識別できるよう、回答者は衣装の色によりラベリングされている(導入は1970年6月21日放送分とされている)。それ以前は高座の着物を着用していた。
現在、高座着は黄緑・赤・桃・紫・橙・青・黄・銀の8種類だがここでは歴代のメンバー落語家の配色を一覧にして並べることとした。なお、メンバーにつけているピンマイクのスポンジ部分も高座着と同色にあわせている。
2006年11月6日放送の「極上の月夜」で林家木久蔵が語ったところでは、高座着に色をつけたのは、カラー放送が始まった際に映像の調整をするためだったという。そのため各人は深く考えずに適当な色の着物を選んだが、これが番組本編内で定着してしまい現在に至ったのである。
5月から10月までは羽織を着ない。ただし例年8月の放送では、1週はメンバー全員同じ柄の浴衣を着用(2006年度は2週)、またもう1週(2005年度、2006年度は2週)は全員が白の衣装で登場する。
- 現在のメンバー(舞台下手よりの並び順。四角は着物の色)
- ■桂歌丸(1966年5月15日-1969年3月30日降板・1969年11月9日復帰- 2006年5月21日放送分から正式に司会者へ)
- ■三遊亭小遊三(1983年10月16日-)
- ■三遊亭好楽(1979年9月9日~1980年10月26日■→1980年11月2日~1983年10月9日降板■→88年4月3日復帰■、 83年3月27日までは林家九蔵)
- ■林家木久蔵(1969年11月9日-、■→1971年7月18日■)
- ■春風亭昇太(2006年5月21日-)
- ■三遊亭楽太郎(1977年8月28日-)
- ■林家たい平(2004年12月26日-、出演当初は師匠こん平の代役だったが2006年5月21日放送分から正式メンバーとなった)
- 出演経験メンバー(出演開始順)
- ■→司会就任後(当初は黒の紋付袴履きなど)■三遊亭圓楽(1966年5月15日-1969年3月30日・1970年6月21日-1977年3月27日・4代目司会として1983年1月9日-2006年5月14日)
- 春風亭梅橋(当初柳亭小痴楽の名で出演・1969年3月30日に梅橋を名乗る、故人)(1966年5月15日-1969年3月30日)
- ■林家こん平(1966年5月15日-1969年3月30日降板・1972年9月30日復帰-2004年9月5日一時降板)
- ■三遊亭小圓遊(4代目、当初三遊亭金遊の名で出演・1968年9月29日から小圓遊を名乗る、故人)(1966年5月15日-1969年3月30日・1969年11月9日-1980年10月12日)(10月5日急逝のため)
- 鈴々舎馬風(5代目、当時:柳家かゑる)(1969年4月6日-1969年11月2日)
- 春風亭一柳(当時:三遊亭好生、故人)(1969年4月6日-1969年11月2日)
- 春風亭栄橋(1969年4月6日-1969年11月2日)
- 三升家小勝(8代目、当時:三升家勝二)(1969年4月6日-1970年6月14日)
- 柳家さん吉(1969年4月6日-1970年6月14日)
- 三遊亭圓歌(3代目、当時:三遊亭歌奴)(1969年11月9日-1970年6月14日)
- 三遊亭金馬(4代目)(1969年11月9日-1970年6月14日)
- ■柳家つば女(6代目、当時:柳家小きん、故人)(1969年11月9日-1972年7月23日)
- ■三遊亭圓窓(6代目)(1970年6月21日-1977年8月21日)
- ■三笑亭夢之助(1977年9月4日-1979年9月2日)
- ■桂才賀(7代目、当初古今亭朝次の名で出演・1985年9月1日から才賀を名乗る)(1980年11月2日-1988年3月27日)
- 座布団運び
- 1966年5月15日-1967年1月22日 三升家勝松(現:桂文字助)
- 1967年1月29日-1969年11月2日 毒蝮三太夫(当初本名である石井伊吉の名で出演、1968年12月15日から毒蝮三太夫に改名)
- 1969年11月9日-1970年6月14日 三遊亭笑遊 (現:5代目三遊亭圓遊)、三笑亭夢丸
- 1970年6月21日-1971年7月11日 小野千春、桂米助(ヨネスケ)
- また、若手の落語家がアシスタントとして座布団運びの手伝いをする(現メンバーの楽太郎もアシスタント経験者である)。現在は三遊亭愛楽、桂花丸、林家ひらりがアシスタントを担当している。
[編集] 歴代席順
笑点ではメンバー交代があると大抵席替えが行われるが、メンバー自身の希望等の理由により席替えする事もある。
最近では、歌丸が回答者から司会者に昇格し、昇太が加入した時の様に、メンバーの入れ替えがあっても席替えが行われずに、前のメンバーが座っていた場所に新メンバーがそのまま入るケースが続いている。(厳密な意味での席替えは、1992年に小遊三と好楽の座る位置が入れ替わったのを最後に行われていない。この時は好楽が師匠圓楽が隣の席で、回答後の多くに「師匠どうですか?」と尋ねていた為萎縮気味で、1つ置いた席の方が力を発揮出来るのではないかとスタッフが考えた為。)
因みに歌丸は、回答者時代に屡馬鹿(木久蔵のキャラ)と腹黒(楽太郎のキャラ)の間が嫌で、「よー、席変えようよー」と漏らしていた。結局受け入れて貰えなかったが、2004年3月7日の放送では、2問目の途中で木久蔵と楽太郎が座る位置を交換(しかしすぐ元に戻る)した為、歌丸は「同じじゃねーか」と言っていた。
期間 | 司会 | 回答者(左側が下手) | 備考 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1966年5月15日~ 1969年3月30日 |
立川談志 | 小圓遊 (金遊) |
こん平 | 圓楽 | 梅橋 (小痴楽) |
歌丸 | 放送開始当時の席順。
この間に金遊が小圓遊を襲名、小痴楽が梅橋と改名。 |
||||
1969年4月6日~ 1969年11月2日 |
談志 | 勝二 | 好生 | かゑる | 栄橋 | さん吉 | レギュラーメンバー総入れ替え。 | ||||
1969年11月9日~ 1970年6月14日 |
前田武彦 | 木久蔵 | 勝二 | 小圓遊 | 歌奴 | 金馬 | 歌丸 | 小きん | さん吉 | 新しく司会となった前田武彦の席は左端ではなく、歌奴と金馬の間の中央部分。それまでのレギュラーの中で勝二とさん吉のみがメンバーに残る。歌丸、小圓遊が復帰し歌奴、金馬、小きん、木久蔵が加入。 | |
1970年6月21日~ 1970年12月13日 |
前田 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | 圓楽 | 小きん | 小圓遊 | 歌奴、金馬、勝二、さん吉が卒業。圓楽が弟弟子の圓窓を連れて復帰。現在のメンバー数が確立。 | |||
1970年12月20日~ 1972年7月23日 |
三波伸介 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | 圓楽 | 小きん | 小圓遊 | 司会が三波伸介に交代。 | |||
1972年7月30日~ 1977年3月27日 |
三波 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | 圓楽 | こん平 | 小圓遊 | 小きんが卒業し、こん平が復帰。 | |||
1977年4月3日~ 1977年8月21日 |
三波 | 歌丸 | 木久蔵 | 圓窓 | こん平 | 小圓遊 | 圓楽が卒業。この間は5人で大喜利を行う。 | ||||
1977年8月28日~ 1979年9月2日 |
三波 | 歌丸 | 木久蔵 | 楽太郎 | 夢之助 | こん平 | 小圓遊 | 圓窓が卒業し、夢之助、楽太郎が加入。欠員が無くなる。 | |||
1979年9月9日~ 1980年10月12日 |
三波 | 楽太郎 | 木久蔵 | 歌丸 | 九蔵 | こん平 | 小圓遊 | 夢之助が卒業し、九蔵が加入。 | |||
1980年10月19日 ・10月26日 |
三波 | 楽太郎 | 木久蔵 | 歌丸 | 九蔵 | こん平 | 同年10月5日に小圓遊が死去。この間は小圓遊を追悼する意味で、残りのメンバーで大喜利を行う。 | ||||
1980年11月2日~ (不明) |
三波 | 楽太郎 | 木久蔵 | 歌丸 | 朝次 | 九蔵 | こん平 | 朝次がピンクの着物で加入。これにより九蔵の高座着はピンクから水色に変更になる。 | |||
(不明)~ 1982年12月26日 |
三波 | 九蔵 | こん平 | 歌丸 | 朝次 | 楽太郎 | 木久蔵 | メンバーの順番が入れ替わった。 | |||
1983年 1月2日 |
愛川欽也 | 歌丸 | 九蔵 | 楽太郎 | 木久蔵 | 朝次 | こん平 | 三波が急死。この日は司会を前半のゲスト大喜利がこん平、後半のレギュラー大喜利を愛川欽也が担当。 | |||
1983年1月9日~ 1983年10月9日 |
三遊亭圓楽 | 好楽 (九蔵) |
こん平 | 歌丸 | 朝次 | 楽太郎 | 木久蔵 | 圓楽が司会者として復帰。この間に九蔵が好楽と改名。 | |||
1983年10月16日~ (不明) |
圓楽 | 楽太郎 | 木久蔵 | 小遊三 | 歌丸 | 朝次 | こん平 | 好楽が卒業し、小遊三が加入。 | |||
(不明)~ (不明) |
圓楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 才賀 (朝次) |
この間に朝次が才賀を襲名。 | |||
(不明)~ 1988年3月27日 |
圓楽 | 才賀 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 才賀が左端に移動。右端では指名される回数が極端に減ったため、スタッフが司会に近い席に移動させたようである。 | |||
1988年4月3日~ 1992年3月29日 |
圓楽 | 好楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 才賀が卒業し、好楽が復帰。 | |||
1992年4月5日~ 2004年9月5日 |
圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平 | 小遊三と好楽の座る位置が交替。 | |||
2004年9月12日~ 2004年12月19日 |
圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | こん平が病気療養の為一時降板。この間は5人で大喜利を行う。 | ||||
2004年12月26日~ 2005年10月16日 |
圓楽 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平 | こん平の代理として弟子のたい平が加入。 | |||
2005年 10月23日 |
桂歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 楽太郎 | たい平 | 圓楽が脳梗塞で一時降板。以後たい平と山田を除くメンバーが交替で司会を行う。 | ||||
2005年 10月30日 |
三遊亭楽太郎 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | たい平 | |||||
2005年 11月6日 |
三遊亭小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平 | 1992年以来、好楽が先頭に座る。 | ||||
2005年 11月13日 |
三遊亭好楽 | 小遊三 | 木久蔵 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平 | |||||
2005年 11月20日 |
林家木久蔵 | 小遊三 | 好楽 | 歌丸 | 楽太郎 | たい平 | 歌丸、回答者として最後の大喜利。 | ||||
2005年11月27日~ 2006年5月7日 |
桂歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 楽太郎 | たい平 | この回より歌丸が司会者を勤める。 | ||||
2006年 5月14日 |
三遊亭圓楽
・桂歌丸 |
小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 楽太郎 | たい平 | 40周年記念特番。圓楽が司会に復帰するが、この日限りで番組を勇退。 | ||||
2006年5月21日~ 現在 |
桂歌丸 | 小遊三 | 好楽 | 木久蔵 | 昇太 | 楽太郎 | たい平 | 歌丸が正式に司会者就任。たい平が正式メンバーとなり、昇太が加入。 |
- なお、新春スペシャルなどの時に3対3の対抗戦形式で大喜利を行う場合、通常とは異なる司会者を真ん中に配置した特殊な席順となる。
[編集] 補足
[編集] 歴史
メンバーチェンジについては上記の歴代席順を参照。
- 1965年 「金曜夜席(笑点の前身)」が放送される。
- 出演は談志、圓楽、歌丸、小痴楽、柳家きん平、三遊亭円弥(後の三遊亭圓彌)、西〆子。後に円弥が降板し、こん平が加入。
- 1966年 笑点放送開始(カラー放送)。
- 直前に自殺したきん平に代わり金遊(後の小圓遊)がレギュラーに。座布団運びは勝松。
- 1967年 座布団運びが石井に。
- 1969年 4月、圓楽らレギュラー全員が談志と対立し降板。新メンバーで大喜利を行う。
- 視聴率が極端に低下したため、11月に司会が前田になり、再びメンバーチェンジを行い、大喜利が八人制となる。座布団運びは笑遊と夢丸。
- 1970年 6月、メンバーチェンジで大喜利が現在の六人制になり、座布団運びが米助と小野に。カラー着物の導入はこの時から。
- 12月に司会者が三波伸介に。
- 1971年 座布団運びが松崎に。
- 1972年 座布団の色がピンク色から現在の紫色になる。
- 1980年 10月5日に小圓遊が死去。
- 1982年 12月8日に三波が死去。
- 1983年 1月2日の正月特番のみの放送を愛川欽也が司会を担当し、翌週1月9日から圓楽が司会として復帰。
- 1984年 座布団運びが現在の山田に。
- 1985年 放送回数1000回を突破する。歌丸が2000回までやろうと宣言。
- 1996年 放送時間が17:30~18:00に短縮。
- 2006年 1月22日に放送2000回達成したが、圓楽とこん平が療養中のため通常放送。歌丸が今度は5000回までやろうと宣言。
- この日で、『笑点』(番組の歴史を写真でたどり、出演者や番組製作に関わった人々のコメントで構成された本)が刊行。番組の直後に宣伝も行われていた。
- 3月26日に圓楽がオープニングの案内役として復帰するが、大喜利の司会は引続き歌丸が担当。
- 5月14日の放送開始40周年記念特別番組の放送を最後に勇退を表明。翌週から歌丸が正式に第5代目の司会者になる。
[編集] 座布団10枚の豪華賞品
- 以下の内容以前には「イギリスに行って本場のダービーが見られる(馬券が買えるわけではなかった)」「富士山頂に自分の像が建てられる」等があった。
- 小圓遊が「長良川の鵜飼い」を獲得。(1971年8月1日放送)
- 小圓遊がレコード「マドモワゼル」を出した。(放送日不明 1972年 小圓遊、笑点で最後の座布団10枚獲得)
- 歌丸がギリシャマラソンを獲得した。(1975年9月7日・9月14日放送)
- これは豪華商品史上最も豪華であり、松崎と聖火を揚げてアテネ市内を走った。
- 木久蔵が「善光寺参り」を獲得。(1977年1月23日放送)
- こん平が「美女と沖縄バカンス」を楽しんだ。(1981年4月19日放送)
- 歌丸が「家一軒」を獲得。だが家は犬小屋だった。(1983年1月16日放送 圓楽、司会者就任後初の座布団10枚獲得)
- 歌丸と木久蔵が皇居一周マラソンに挑戦。(1983年10月23日放送)
- 小遊三と歌丸が「エアロビクス入門」を獲得した。(1986年4月13日放送)
- 普段から卓球で体を鍛えている小遊三はフットワークを披露したが、歌丸は早くもヘタヘタになってしまった。
- 都営地下鉄新宿線の車内に、歌丸の中吊り広告が編成中の1両全てに張り出された。(1987年11月22日放送)
- こん平が珍説のさぎ参りを獲得。(1988年2月21日放送)
- 才賀がゴルフ・イン・ハワイを獲得。(1988年3月6日放送 才賀、笑点で最後の座布団10枚獲得)
- 好楽が「テレホンカード」獲得。(1988年5月22日放送 好楽、復帰後最初の座布団10枚獲得)
- 木久蔵が「プロ野球入門」を獲得した。(1988年9月18日放送)
- 歌丸が「クィーンエリザベス2の夕べ」で、豪華客船で美女とクルージング。(1989年5月21日放送)だが美女は、歌丸の恐妻、富士子夫人。
- 木久蔵が奥の細道を獲得。だが実際は、東京都内の裏路地だった。(1989年11月12日放送)
- こん平に「黒潮紀行」のセットが贈られた。(1990年7月22日放送)
- 小遊三が「花火指南」を獲得。(1990年11月25日放送)
- 楽太郎が「カール・ルイスと対決」を獲得した。(1991年6月2日放送)
- こん平が「徳川家御埋蔵金」を獲得。(1991年12月25日放送)だが贈られたのは徳川家の五枚の雑巾。(徳川家の5枚雑巾(御埋蔵金))。
- メンバー全員が「岩清水を飲む権」を獲得した。(1992年5月10日放送)
- だが山田が汲んだ岩清水を途中でこぼし、代用として鰯を漬けた水(いわし・水)をメンバーに飲ませた。
- 放送を見てこの事実を知ったメンバーは、この一件を機に山田降しの答えが増えた。
- 好楽が「美女と茶摘」を獲得。小遊三も同行し、美女に囲まれながら美味い新茶を摘むことができた。(1993年5月23日放送)
- 木久蔵が「レイの世界」を体験。(1993年11月14日放送)
- 滝に打たれる為にお寺を訪れたが、実際居たのは怖い和尚だけで、寒空の下、滝に打たれた。その水温は0度(レイ)。
- 歌丸が「白樺高原の休日」を獲得。(1994年3月6日放送)
- 「秋の香り満載」という圓楽の言葉に、松茸を連想した楽太郎だが、結果は銀杏。放送前日明治神宮の銀杏並木で、雨の中スタッフが拾い集めてきたもので、笑点での座布団10枚賞品史上、最安価(タダ)。
- こん平と小遊三が川中島の決戦で対決。(1995年4月16日放送)
- 新潟出身のこん平が上杉謙信、山梨出身の小遊三が武田信玄に扮し、座布団10枚の御祝儀をかけて川中島で卓球勝負した。結果は小遊三の勝ちとなったが、こん平の影武者作戦で御祝儀はまんまとこん平のものになってしまった。
- 木久蔵が稲刈りに挑戦する権利を獲得。大苦戦するものの、何とか稲刈りが出来た。(1995年10月22日放送)
- 好楽が「一攫千金を夢見て宝石翡翠を取る権利」を獲得。(1996年9月15日放送)
- しかしこの時期には翡翠が取れないらしく、やむを得ず圓楽に似た細長い石を持ち帰ることになってしまった。
- こん平が、長嶋茂雄監督におめでとうの座布団を贈る権利を獲得。(1996年10月13日放送)
- 楽太郎が「木久蔵に弟子入りできる権利」を獲得した。これは獲得直後に会場で実現。(1997年5月4日放送)
- 木久蔵が「那須トリックアート」を獲得し、木久蔵の絵画が出現。(1997年9月14日放送)
- 木久蔵が「私が木久蔵です大作戦」を獲得。(1999年1月24日放送)
- 圓楽に言われて新幹線に乗ったが、車窓から見えてきたのは広大な雪原にポツンと立っている巨大な木久蔵の看板だった。
- 小遊三が「楽園パラオのバカンス」を獲得。(1999年6月20日、6月27日放送)
- 現地で楽太郎とこん平に本当の目的「パラオに寄席『第2若竹』を作ること」を知らされる。言葉や文化の違いに戸惑ったものの、見事成功し、さらにパラオの人々に落語「桃太郎」 を披露した。
- 歌丸が「世界の大スターに会える権利」を獲得。しかしその大スターとは山田隆夫だった。(1999年9月5日放送)
- 木久蔵が「一日幼稚園園長先生」を勤めた。(1999年12月12日放送)
- 元気な園児たちとダンス、お絵描き、お弁当の時間を過ごし、最後は本業の落語で大爆笑。一日園長先生の大役を果たした。
- 歌丸がスーツに着物、ドレスといった写真集を作り、圓楽の自腹で限定10冊を視聴者へプレゼント。(2000年12月3日放送)
- 木久蔵が「木久蔵ラーメン」をタイに出店、番組の特別編として「木久蔵ラーメンinタイ」を放送。(2001年7月8日放送)
- 小遊三が「2001年宇宙の旅」を獲得。しかし実際の商品は「府中の足袋」(府中市で2001円で売っていた足袋)だった。(2001年8月12日放送)
- 楽太郎が、「笑点オリジナルスノーボード」を獲得。だが現在は使われていない。(2001年12月16日放送)
- こん平が「花見場所取りセット」を獲得。その品々には、圓楽のシール付きオマルまであった。(2002年3月31日放送)
- 小遊三が「夏草や 兵どもが 夢のあと(松尾芭蕉の句)」を獲得。(2002年8月25日放送)
- くさや(夏、くさや)の本場・新島に行き、くさや作りを体験した。更に魚のくさやを賞味し、最後は色々な魚のくさや干しを食べて、まさにくさや三昧の一日となった。
- 歌丸が「三顧の礼」に引っ掛けて、千円札1枚(3個の0(レイ))を獲得。(2003年4月6日放送)
- こん平が「旅は道連れ世は情け」に引っ掛けて、山田とタヒチ島へ。(2003年8月10日放送)
- 歌丸が「似たもの夫婦」に引っ掛けた「煮た物フーフー(煮込みうどん)」を獲得。(2003年12月27日放送)
- 楽太郎が「古池や蛙飛び込む水の音」に引っ掛けたバリ島ツアーを獲得(好楽とこん平も同行)。(2004年4月18日放送)
- 歌丸が「濡れ手で粟のひとつかみ」を獲得。(2005年5月8日放送 歌丸、解答者として最後の座布団10枚獲得)
- これはフィリピン紙幣「ペソ」が入っている箱から、現金つかみ取りゲームの要領で1度掴み取る(ひとつかみ)。更にその掴み取ったペソを元手に、「セブ島カジノツアー一攫千金の旅」へ。
- 現地で楽太郎を交え、スロットマシンで1000ペソ稼ぎ、ルーレットで一攫千金を狙うが、楽太郎のイメージカラーある『黒』を嫌って赤に賭け続けた結果、大敗。
- 小遊三が「明日は明日の風が吹く」を獲得。(2005年10月16日放送 翌週から圓楽は一時降板)
- しかし商品は圓楽家の押し入れから出てきたという10年前の扇風機だった。
- たい平が「少年よ大志を抱け(クラーク博士の名言)」を獲得。(2006年5月7日放送 たい平、初の座布団10枚獲得)
- だがもらったのは、「タイ〔の〕石を抱け」にちなんだタイの大きな石だった(証拠写真付き)。またこの日は山口県周南市での収録だったため、たい平は重たい石を東京まで持ち帰る羽目になってしまった。
- ちなみに、この回の翌々週放送分(40周年記念特番の次の週)から昇太が新たにメンバーに加わったため、このメンバーでの大喜利は、偶然にもこの回で最後だった。
- 好楽が「芸は身をたすく」を獲得。(2006年12月24日放送)
- 送られたのはレイザーラモンHGの衣装で(ゲイは身をたすける)、上手で着替えて再登場した。
- この回は2006年最後の放送で、歌丸が「10枚獲得者が出なくても1番多い人に賞品を渡す」と明言したが、好楽はしっかり10枚獲得した。このときは紙吹雪ではなく、この日の2問目で「例の物」として出されたクラッカーで祝福を受けていた。
ちなみに現在のキーワードは「天災は忘れたころにやって来る」である。(2007年1月7日放送分~)
かつては本当の豪華賞品・ギャグネタ商品がほぼ交互で贈られたが、このところ続けてギャグネタ商品しか贈られていないのは、予算削減のせいと思われる。
[編集] メンバーのキャラクター
回答者は、それぞれのキャラクターを活かして回答する。
【注意】メンバーのキャラクターや罵倒ネタは、全て大喜利の中だけの話です。
<現在の出演者>
- ■桂歌丸(司会者)
- メンバー最年長で細身であることから死去ネタが多い。また髪が薄いことからハゲとも言われる。(特に楽太郎、昇太)。
- また妻の富士子を恐妻扱いしたり、落語芸術協会会長の役職から、会長を「怪鳥(怪しい鳥)」と喩えられる。
- 体は一見弱そうだがツッコミは鋭く、回答者時代は政治経済、社会ネタで毒舌発言も多かった。また自らを東京大学出身であることにするネタもあった(好楽も時々発言する)。
- 司会者就任後、大喜利の挨拶時は毎週『○○(罵倒ネタ)なメンバーのご挨拶をどうぞ』と発言する。最初に挨拶する小遊三はこれに突っ込みを入れることも多い。また山田の挨拶では、メンバー紹介で使ったネタと関連したもので『○○な山田君どうぞ』という。これらは時々『○○のご挨拶です』と、一部を省略して発言することもある。
- ■三遊亭小遊三
- 犯罪や窃盗、変態、貧乏(ホームレス)扱いされており、本人自身もネタにしている(特に好楽、楽太郎、たい平)。
- ホームレスネタでは段ボールの家に住む話が出る。最近ではたい平から「銀杏拾い」というネタが登場した。また窃盗に関するネタを言ったときには、時々昇太を道連れにして「連れの昇太は捕まった」と言うことがある。
- 本人は時折ナルシスト・色男キャラを装っているが、もちろんそうは思われていない。また、たまにホモキャラと見られる行動にでることもある。時にはとんでもない下ネタを言ってメンバーを脱力させたり、座布団を没収されることもある。
- また他のメンバーの回答を悪く言うものの、自身も同じような内容の回答をして歌丸に突っ込まれることもある。
- ■三遊亭好楽
- 一歩引いて周りを引き立てる存在のため、当初は特にキャラクターは無かったが、最近は熟年フリーターや暇人、仕事が無い(アルバイトなど)というキャラクターが付いた(特に小遊三・楽太郎)。時々小遊三に雑用扱いされることもある。
- 持ちネタは今まで通りマイナス思考ネタ・正統派ネタが多いが、同じ内容の言葉を連発し、座布団を没収されることもある。
- ■林家木久蔵
- メンバーから与太郎・馬鹿扱いされたり、自身の独演会や一門会、落語会などを批判される。
- 木久蔵を代表するものとして「木久蔵ラーメン」があり、「不味い」などといった散々な罵倒を受けている。また歌丸の司会者就任後は、笑点の司会者を狙っている(歌丸を降板させようとしている?)回答が見られるが、その度に歌丸は「あんたが司会やったらこの番組めちゃくちゃになっちゃうよ!!」と言っている。
- また他の回答では単純な駄洒落ばかり言っているため、歌丸や観客に先に答えを言われてしまうことも多い。歌丸が司会に就いてからは、あまりにも駄洒落が多いためお説教を言われてしまうほど。また持ち歌(いやん、ばか~ん)に持ち込むと山田に突き飛ばされたり(歌丸に突き飛ばされたこともある)、歌丸によって途中で打ち切られることも多い。
- 時々回答で詰まると「あのね~ぇ」と言って誤魔化す(ごまかす)。その際、歌丸は「もう指さない!」や「ちょっと黙っててくれねえか?」といい、木久蔵を休ませてしばらく指名しないときがある。
- また他のメンバーが答えに詰まり、歌丸が「他に!?」と聞くとすぐに手を上げるので、歌丸は「不安がいっぱい」と言っている。
- さらに新しい漢字を作る問題では、漢字を書かずに絵を描いて答えているため、歌丸に毎週「字を書きなさい!」と言われる。
- ただ、最近は「いやん、ばか~ん」のネタの使用頻度や先に答えを言われる頻度は以前に比べると少なくなっている。
- ■春風亭昇太
- 未だ独身である事や、背が低いことからチビ・子供、さらには芸が伸びないと言われる(特に楽太郎)。昇太自身が回答で独身ネタを言うと、毎回歌丸から「早く嫁貰いなよー」と言われている。最近では小遊三から「窃盗団」、楽太郎から「ブラック団」、山田から「チビッ子団」のメンバーとされているが、いずれも本人は乗り気でない。
- 当初は解答が不発に終わることを揶揄されたが(特にたい平)、現在は楽太郎と並び、歌丸を罵倒するネタを多用している。
- 時々、悪い回答のため歌丸の指示で座布団を没収されるときは「持ってかないで~」と言って山田に必死にしがみつくも、山田に蹴飛ばされて結局持っていかれることがある。
- 挨拶時は、様々な良くない状況を言った後「それじゃダメじゃん!春風亭昇太です」と言う。最近は好楽らが真似している。
- ■三遊亭楽太郎
- イメージとして挙げられるのが腹黒(特に小遊三、昇太、たい平)。他のメンバーに対して最も暴言を吐くのも楽太郎だが、かつては山田を「一家でタダ食い」と罵倒したため、突き飛ばされたこともある。またこん平の持ちネタである「視聴者参加型挨拶」で行われる、大きな声で「ちゃらーん」と言うのを「うるさい!」と言って歌丸と共に耳を塞いだり、挨拶で次のこん平が「ちゃらーん」を言わないように、また客が一緒になって言わないように牽制していた。
- (「ここにいらっしゃる知的レベルの高い方々は、まさか客席で『ちゃらーん』などと言うことはないと思いますが」)
- また他の回答者より時事ネタを多用し、知的な話(政治経済、社会)を長々と言う持ちネタもある。挨拶でこれをやった場合、次のこん平は必ず「私にはそういう難しいことはよくわかりませんが…」と言っていた。圓楽が司会者だった頃は、長々と喋った末、呆れた圓楽のお開き宣言の後、他のメンバーが挨拶しているにも関わらず、延々と喋り続けたこともある。
- また他のメンバーが回答に詰まったとき、問題の締めとして最近の社会問題ネタを話し、座布団を貰うことが多い。
- 最近では、昇太・たい平と3人で「ブラック団(当初「フレッシュヤングチーム」)」を結成したが、2人は乗り気ではない。
- ■林家たい平
- 師匠のこん平に毒を盛ることで、自らがレギュラーを獲得したというネタをよく使われる(特に楽太郎)。
- 持ちネタは外国人パブ(フィリピン)、芸能人(春風亭柳昇など)や動物(ニワトリなど)などの物真似やバンジージャンプなどのジャスチャーがある。また最近はCDデビューがきっかけで「芝浜ゆらゆら」の歌の披露、DVDや本の宣伝が加わっている。また圓楽が司会だった頃は、圓楽が自分の名前を覚えてくれないことをネタにしていた。
- 最近で最も山田をいじるのは彼である(これは師匠こん平時代から引き継いでいる)。また楽太郎を外国人パブネタで巻き込んだ後、次に指名された楽太郎が、山田に「やれ!」と言ってたい平を突き飛ばさせることもある。ただ、最近は山田を罵倒するネタは以前よりは控えめになっている。
- ちなみに、現在の持ちネタである「外国人パブ」は、圓楽がたい平の名前を忘れてしまって「誰だっけ?」と言い、楽太郎に「たい平です」と教えてもらって、再び指名された時に初めて発言した。結果、圓楽は呆れて、たい平の答えを聞かずに「もういいよ」と言っていた(第1971回/2005年6月12日放送)。
- ■山田隆夫(座布団運び)
- 回答者ではない(稀に回答することも)ので、大喜利の挨拶以外で持ちネタを披露する機会はなく、罵倒されるばかりである。
- 主な罵倒内容は、歌が下手(声が裏返る)、番組降ろし(クビ・卒業・引退)、子作り、旅番組ネタ(特にたい平、楽太郎)。
- 挨拶では必ずと言っていいほど歌を歌うが、時々声が裏返るとメンバーは「下手だな」と言うことがある(特に歌丸、たい平)。
- さらにスキーや海に行ったことを話すときは「○○(場所)でゴザを敷いて子作り」と言ったり、新幹線に乗った時は「いや~最高だったな!子供料金で」と言う(地方収録に多い)。
- 最近では子供キャラがついた昇太と共に、「チビッ子団」を結成したが、昇太は乗り気でない。
- また、回答者を激しく突き飛ばすこともしばしばある(特にたい平。かつては楽太郎も突き飛ばしたことがある)。
- 以前この場面は全てカットされており、会場で見ている客だけが知っていたが、1990年代半ばごろから放送でも使われるようになった。稀に飛び蹴りすることもあり、最悪の場合は隣の回答者も犠牲になってしまうことがある。
- またこん平を突き飛ばして座布団を没収しようとした際、避けられて座布団に倒れこみ、1枚も取れなかったことがある。
<かつての出演者>
- ■三遊亭圓楽(4代目司会者)
- 2006年5月14日を最後に笑点から勇退したが、現在でもネタとして取り上げられている。楽太郎が圓楽を罵倒すると、歌丸が「(この事を)後で圓楽さんに電話しておくから」などと付け加える。
- 他には「顔が大きい、長い」といった顔に関することや馬(競馬場、馬頭観音など)、若竹の借金、居眠りなどがある。
- かつては、圓楽のサイン色紙を鍋敷き代わりに使うというネタを、歌丸と楽太郎が多用していた。
- ■林家こん平
- 本人の故郷である「千谷沢村(チャーザー村)」を肥溜め落っこち・ホラ吹きさせたり、「視聴者参加型挨拶」で行われる「ちゃらーん」を"うるさい"と言われたり、食いしん坊・大食いネタを言われる(特に木久蔵・楽太郎)。
- また地方収録では、必ず以下のように挨拶をする。
- 1週目…「○○(収録場所)で生まれて新潟で育ったこん平が帰ってまいりました」
- 2週目…「友人・知人から数々のお土産をいただきました。なお、私の鞄にはまだ若干の余裕がございます!」
- また山田いじりが大変多いため、よく突き飛ばされることも有名(弟子のたい平が受け継いでいる)。
[編集] 罵倒合戦
- 一見仲が良さそうに見える笑点メンバーも、大喜利となるとメンバー同士で罵倒ネタ合戦に発展することがよくある。
- 特に歌丸VS楽太郎、たい平(こん平)VS山田は、現代のレギュラー同士による罵倒合戦の代表格といっても過言ではない。
- 大喜利におけるメンバー同士の罵倒合戦の歴史はかなり古く、放送開始の昭和40年代当初は、歌丸VS小圓遊の仁義なき戦いが繰り広げられていた。小圓遊が歌丸を「ハゲてる」と罵倒すると、歌丸が小圓遊を「バケてる(化け物)」と罵り返したりしていたが、やがてお互いの家族親戚をも悪口の対象にするまで発展していった。最初は面白がって見ていた視聴者の中には、大喜利の答えで勝負すべしと言う声もあったくらいであった。
- 1972年8月27日に「和解式」と題して、歌丸と小圓遊のお互いが握手しあう回を放送した事がある。しかし収録後、「バイ菌がうつるといけないから」とそれぞれ別々の手洗い場で石鹸で丹念に手を洗っていたほど、二人のキャラ作りは徹底していた。
- その後、大喜利で下火になった罵倒合戦は高座やイベント会場でも続けられ、1980年に小圓遊が死去するまで続いた。
- 罵倒ネタの中には、罵倒ネタであると同時に本人の持ちネタ(自虐ネタ)であるものも少なくない。また罵倒ネタは本職の落語の高座でも触れられることがある。
- 但しこれら罵倒ネタは高座上の事であり、プライベートでは関係が悪くない。圓楽/楽太郎師弟と歌丸/楽太郎がその典型であり、あれ程喧嘩をしていた歌丸と小圓遊も、本当は売れない時代に一杯のラーメンやかけそばを分け合って食べたり、空港や列車の中などで談笑するところが目撃されている。(「いつみても波瀾万丈」桂歌丸の回より)。小圓遊の葬儀では、歌丸は友のあまりに早すぎる死に号泣し、初代司会者・立川談志は「キザの小圓遊でやれば良かったのだ」と、死を悔やんでいた。
[編集] 大喜利 名場面 ハプニング集
中立的な観点:この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため、偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくは、この記事のノートを参照してください。 |
- 3問目、メンバーが遺影を持って在りし日の思い出を語る問題で、「例の物」として遺影が手渡されるが、その遺影はなんと圓楽の遺影で、歌丸の座布団が没収された後、木久蔵→好楽→小遊三→こん平→楽太郎と次々に全部没収された。
- 2000年放送(放送日不明)
- 「三○○」の穴埋め問題の際、歌丸が「三途の川」と回答した後、こん平が「チャーザー村の駅にはありません→三番線ホーム」と回答するが、歌丸に「駅なんかねえじゃねえかよ!!」と突っ込まれた。
- 次に木久蔵が「三等重役」と回答するが、圓楽に「何をそんな古臭い」と言われて、好楽の「三面鏡」には逆に「何をキザなことを…」と呆れられて、楽太郎は「三段論法」の説明を長々と続けた挙句に打ち切られてしまい、最後には答えていない小遊三にも「持ってっちゃえ」と言ってメンバーの座布団を立て続けに没収となった。
- 圓楽が2問目の終了後、「酒は米の水、水戸様は晩に水、意見する奴は向こう見ず」と言って、おひらき宣言。
- しかしスタッフの「もう1問あるよ」の声で終わりではない事に気づき、「ええ~…と思ったのは早とちりでもう1問あります!」と訂正し、3問目を行った。
- (2006年5月14日放送の笑点40周年記念特別番組、2007年2月18日放送の「いつみても波乱万丈・林家木久蔵」でも一部が放映された。この時歌丸は腹膜炎の手術の直後で座布団の乗り降りが困難なため、歌丸の前に座布団を積む方式が取られたが、圓楽は、歌丸の前に座布団を沢山積み上げて、歌丸を見えなくさせようとしていた)。
- 圓楽の司会引退の際、「スッキリ!」では、この事件が圓楽が降板を意識するきっかけになったと説明していた。
- 3問目、熱い蕎麦を食べて一言言う問題で、木久蔵が「いつも返品のラーメン食べているから、日本蕎麦は美味い」と答えて座布団を1枚もらった。その直後、歌丸が「木久蔵ラーメン、美味いじゃねぇか」と発言すると、木久蔵は歌丸に感謝の気持ちで握手をし、自身の座布団を1枚歌丸に渡すという名シーンが見られた。
- だがこれ以降、笑点の中で歌丸が木久蔵ラーメンを「美味い」と言ったことは無く、いつも罵倒してばかりである。
- 2問目、「さとうきび畑」の一節(「ざわわ、ざわわ…」)を生かし、様々なものを歌って紹介する問題で、好楽が「一番人気のペット犬→チワワ」と答えるものの、会場のお客に答えを言われてしまった。
- 次に楽太郎が「SAGA佐賀!→はなわ」と言うものの、これも先に言われてしまい、この後のこん平→歌丸→楽太郎→こん平→木久蔵と次々に答えを言われてしまうという、珍しいシーンがあった。
- 2問目、仙台名産の牡蠣をテーマに、口をグッと噛み締めて問いかけに答える問題で、歌丸が「万感胸に迫り、万感胸に迫り…、いやんばんか~ん、ここがお乳なの、あはん」と演技付きで回答した。結果、座布団3枚が没収された。
- これについて圓楽は「万感胸に迫るなんて何か凄い事言うなと思ったら、いやんばんか~んだって!」と半ば呆れていた。また楽太郎は、落語芸術協会会長の歌丸がいつも批判している「いやんばか~ん」の演技をするとは思っていなかったらしく、「会長ですよ?」と圓楽に聞くと、圓楽は「怪しい鳥(怪鳥)だよ!」と言っていた。
- 冒頭の挨拶後、1問目で使う例の物(フリップ)を配らせるため、山田に指示したところ、普段は「はい、かしこまりました」というのだが、このときに限り1問目は「あいよ!」、3問目は「おう!」と返答した。
- 1問目、「心」を使って新しい漢字を作る問題で、歌丸が日の丸を描いて「大和魂」と回答した。普段は座布団を没収されないような回答だが、楽太郎は2枚没収を指示。この意外な指示に観客はどよめき、山田も「(座布団が)無くなっちゃいますよ?」と確認するも、楽太郎は「いや、気分だからいいの!」と言った。
- 直後、歌丸がフリップを裏返して「心ここにあらず」と回答すると、楽太郎は座布団を一気に5枚持ってこさせるよう指示した。その際に運んでいた座布団がたい平にぶつかり、弾みでたい平は転倒した。たい平は山田に「早くどいてくれよ!!」と言われて慌てて起き上がるものの、楽太郎はたい平の座布団を2枚没収した。
- 座布団は重いことから乱雑に置かれてしまったうえ、歌丸に「お前(山田)ちゃんと並べろよ!」、楽太郎からは「早くしろよ!!」と急がされたため、山田が「5枚なんて初めてじゃ…」というと、楽太郎はあっさりと4枚没収を指示。たい平の座布団と合わせると6枚の没収となったが、疲れてヘタヘタになってしまった山田は、座布団を引きずって持っていった。
- めちゃくちゃな楽太郎に司会に、歌丸が「お前(楽太郎)さー、遊んでんじゃねーんだからよ!!」と言うも、楽太郎は「いや、私はね、今ね、権力のすばらしさに酔いしれています!」と言っていた。
- 3問目、故・石原裕次郎の台詞「俺は海の男よ!」をネタにした問題の冒頭で、メンバーが帽子を被り、歌丸も女性に扮するためカツラを被ったところ、メンバー全員が自発的に上手へ引き上げるという、極めて珍しいシーンがあった。
- 歌丸は「では今週の笑点は終わりにしたいとおも…戻って来い!バカヤロもう!」とメンバーを呼び戻し、山田に「みんなの1枚ずつ持ってって」と指示し、全員の座布団を1枚ずつ没収した。その直後に木久蔵が「マッチの軸みたい」と罵倒したところ、もう1枚没収となり、座布団が無くなった。
- ちなみに昇太や木久蔵、楽太郎、小遊三は歌丸司会者就任後、歌丸を罵倒する発言が増えた。
- 3問目、童謡「くつがなる」をネタに隣の人と手を繋いで「♪お手手繋いで○○行けば」と歌う問題で、楽太郎が山田を含むメンバー全員と手を繋ぎ、「♪お手手繋いでーお通夜に行けばー」と歌い、歌丸が「どうしたの?」と聞くと、楽太郎が歌丸を見て「遺体がしゃべった!」と言い、他のメンバーも便乗して「おお!?」と反応した。
- 罵倒された歌丸は、山田に「全員の全部持ってって」と指示し、メンバー全員の座布団を全部没収した。この結果、三波→圓楽時代からは久しぶりの、そして歌丸の司会者就任後では初の座布団全没収となった。
- 全員の座布団が全て没収されたため、この翌週(8月20日放送分)の大喜利は、全員座布団0枚からのスタートとなった。
- 3問目、歌丸が扮するサンタクロースの妻の「仕事行ったら?」の問いに返答する問題で、昇太が「あんた(歌丸)はあの世に行きなさいよ」と言った。これに爆笑した楽太郎は、自身の座布団全てと、たい平の座布団の一部を昇太に積み重ねて合計12枚としたものの、罵倒された歌丸がこれを許すわけが無く、座布団は全て没収された。あまりにも没収枚数が多いため、山田は「重たいよー!」と言って、アシスタントと2人がかりで運んでいった。
- 3問目、回答者が2つの言葉を叫び、歌丸がやまびこになって繰り返す問題で、好楽が「富士子!愛しているぞ!」と言ったところ、歌丸は慌てて「今週の放送はこれまで」と打ち切ってしまった。その直後の挨拶で、メンバー全員が「富士子!愛してるぞ~!」と絶叫したところ、歌丸は「うるさいんだよ!」と言って楽太郎の頭を扇子で叩き、楽屋へ引き上げた。
[編集] 関連項目
- 座布団
- 大喜利
- 落語芸術協会
- 木久蔵ラーメン
- 芝浜ゆらゆら(たい平が2006年10月に発売した、演歌のCDシングル)
- ブラック団
- 笑点 大博覧会 DVD-BOX(笑点40周年を記念して発売された5枚組のDVD-BOX。大喜利が多数収録されている。)
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