藤子不二雄アニメ史
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藤子不二雄アニメ史(ふじこふじおあにめし)は、藤子不二雄(藤子不二雄A・藤子・F・不二雄)の漫画を原作として制作されたアニメ作品と、その概要の一覧である。
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[編集] 主なテレビ作品
[編集] 昭和30年代
- 進めシスコン (1963年12月20日-1964年3月27日)
- 毎週金曜18:15~18:45/フジテレビ系。番組枠内で15分放送
- 電通映画社、スタジオKAI、シスコ製菓、フジテレビ制作
- 朝食シリアル「シスコーン(シスコ製菓)」のマスコットキャラクター『シスコン坊や(初代のインディアンの容姿の少年)』を使ったクレイアニメ。オリジナルストーリーの漫画『シスコン王子』(藤子不二雄A)とのタイアップ作品。藤子も脚本に関わっている模様。カラーで制作されたが、放送局にカラー放送の装置がまだ無く、やむを得ずモノクロで放送されたという。アニメに手間がかかるために予算が合わず、放送期間も14回と短命に終わった。ちなみに番組枠前半は本作よりも2ヶ月前から放送していた、人形劇の『ピノキオ』。本作が始まると番組タイトルが上記の通りに変更された。
[編集] 昭和40年代
- オバケのQ太郎 (1965年8月29日-1967年3月26日)
- フータくん (1966年?)
- パーマン (1967年4月2日-1968年4月14日)
- 怪物くん (1968年4月21日-1969年3月23日)
- ウメ星デンカ (1969年4月1日-9月23日)
- 新オバケのQ太郎 (1971年9月1日-1972年12月27日)
- ジャングル黒べえ (1973年3月2日-9月28日)
- ドラえもん(1973年4月1日-9月30日)
[編集] 昭和50年代
- ドラえもん (1979年4月2日-放送中)
- 怪物くん(1980年9月2日-1982年9月28日)
- 忍者ハットリくん (1981年9月28日-1987年12月25日)
- パーマン(1983年4月4日-1985年7月2日)
[編集] 昭和60年代~平成
- オバケのQ太郎(1985年3月31日-1988年3月29日)
- プロゴルファー猿 (1985年4月2日-1988年3月28日)
- エスパー魔美 (1987年4月7日-1989年3月27日)
- ウルトラB (1987年4月5日-1989年3月27日)
- テレビ朝日系
- シンエイ動画制作
- 声の出演:ウルトラB…三田ゆう子、鈴本ミチオ…川島千代子、ほか
- 週刊単行本「藤子不二雄ランド」の巻末に連載された漫画をアニメ化。
- キテレツ大百科 (1987年11月2日、1988年4月3日-1996年6月9日)
- ビリ犬 (1988年7月11日-1989年3月27日)
- テレビ朝日系
- シンエイ動画制作
- 声の出演:ビリ犬…野沢雅子、タツオ…麻上洋子、ガリ犬…山田栄子ほか
- T・Pぼん (1989年10月14日)
- パラソルヘンべえ (1989年10月2日-1991年1月12日)
- 笑ゥせぇるすまん (1989年10月17日-1990年9月25日、1991年3月12日-1992年3月24日、7月7日-9月29日)
- チンプイ (1989年11月2日-1991年4月18日)
- テレビ朝日系
- シンエイ動画制作
- 声の出演:春日エリ…林原めぐみ、チンプイ…堀絢子、ワンダユウ…八奈見乗児ほか
- 21エモン (1991年5月2日-1992年3月26日)
- ポコニャン! (1993年4月5日-1994年4月1日)
- モジャ公 (1995年10月3日-1997年3月31日)
[編集] 藤子アニメコンプレックス枠
[編集] OVA
[編集] 藤子・F・不二雄のSF(すこし・ふしぎ)短編シアター
1990年3月~1991年10月、全6巻。
小学館ビデオよりリリース。藤子F短編作品の傑作を中心にアニメ化されたもの。 冒頭には藤子F本人が出演し、解説している。
- 第1巻
- 宇宙船製造法
- ひとりぼっちの宇宙戦争
- 第2巻
- 第3巻
- ミノタウロスの皿
- 声の出演:立花…古川登志夫、ミノア…本田智恵子 ほか
- ウルトラ・スーパー・デラックスマン
- ミノタウロスの皿
- 第4巻
- 第5巻
- 第6巻
[編集] 盛衰・社会的影響力など
[編集] 第1期(1969年頃まで)
「オバケのQ太郎」などの、東京ムービーによるモノクロ作品がリリース。 「オバケのQ太郎」「パーマン」「怪物くん」はTBS系の日曜日19:30~20:00が本放送枠だった。 「オバケのQ太郎」は連続した時間帯に放映されていた 「ウルトラQ」とともに、他局などから高視聴率・人気ゆえに「恐怖のQQタイム」と恐れられた。 スポンサーの不二家をはじめ関連商品も多く発売され、それゆえ社会的影響力は小さくなかったはずである。 しかし、これらの作品がモノクロであるゆえに1970年代以降ほとんど再放送されなかったこと、テレビアニメへの社会的認知度がそれほど大きくなかった、などから、後年への影響力は小となり、特に後2作品は1980年代の新作放送後は忘れられた作品となった。 これは「オバケのQ太郎」以外の作品はTVのカラー化に伴い、本来ならカラー作品にすべきところを制作側に資金が無くやむなく白黒作品にしてしまったことが大きい。 「ウメ星デンカ」の放映の頃には大半のアニメがカラー化されていたにも関わらず、あえなく白黒作品にされてしまった。そしてスポンサーが降板し、第1次藤子アニメブームは去ってしまう。再放送も70年代中盤からされなくなり、リアルタイムで見ていたはずの人たちからも語られることが少ない。現在ではフィルムの散逸が進み(特にウメ星デンカは殆ど残っていないとされる)、オープニング・エンディング集のビデオや特番のダイジェストで極稀に見られる程度である(これは権利側の方針という説がある)。
[編集] 第2期(1969年~1979年頃まで)
カラー作品がいくつか作られ放送されたが「新オバケのQ太郎」が人気を博した以外は人気は今ひとつだった。理由は、藤子不二雄アニメ以外にも幼児~児童向け番組が多かったこと、当時は巨大機動ロボットヒーローものが学年誌も含めた子供向け雑誌の目玉商品だったことなどが考えられる。但し、この時期に作られたカラー版の藤子アニメは、第3期前半まで比較的頻繁に再放送されていた。これは第一期を知らない当時の低年齢層の視聴者を中心に藤子作品の知名度を上げる事に一躍買っており、第3期へと続く爆発的藤子アニメブームの下地を徐々に作っていった。
[編集] 第3期(1979年~1985年頃まで)
テレビ朝日系で「ドラえもん」を皮切りに次々と作品(シンエイ動画作品)が放送開始されると、たちまち人気作品となり、社会的影響力も絶大となった。 当時小学校中学年以下だったメインのファンは言うに及ばず、小学校高学年・中学生などにも人気を博し第2期の藤子不二雄アニメ(この世代が幼少期に見たもの)が忘れ去られかけるほどである。 大人からも、大人同士の会話でこれらの作品での設定・表現などが比喩に使われるなど、広く認知された。藤子キャラ御三家として、『ドラえもん』、『忍者ハットリくん』、『パーマン』の頭文字をとり『ドラ・ハッ・パー』なる造語も流行した。 レギュラー作品の放送枠に日曜朝が含まれていたこと、相次ぐ劇場作品・特別番組の放送、およびテレビ朝日がこれらの作品群を「看板番組」としたことなどが一因であろう。 現代の藤子不二雄アニメの社会的影響は、主にこれ以降の作品によるものである。
[編集] 第4期(1985年~1995年頃まで)
メディアの多様化などでテレビアニメ自体の勢いが弱まり、そのため藤子不二雄アニメの快進撃も徐々に衰退していったものの、『エスパー魔美』や『プロゴルファー猿』、更には大人向けの『笑ゥせぇるすまん』など、視聴者の年齢対象を上げた作品が登場し、堅実にファンを増やしていったのもこの時期である。 また「キテレツ大百科」などシンエイ動画以外の製作会社やテレビ朝日以外の放映局にも広がった。
そんな中でも放映の続いた「ドラえもん」などについては、世代を超えて知られるようになった。 また、この頃から、「ドラえもん」でジャイアンがのび太に暴力を振るうシーンが減るなど、いじめ防止などを目的とした設定・表現の変更が見られた。 この時期には第1期の視聴者が親になっているはずだが、まだ親子2代の支持という感じではなかった。
[編集] 第5期(1995年~現在)
藤子・F・不二雄の死や少子化、さらには声優の世代交代を迎えた。第2期・第3期の視聴者が大人(一部は大衆文化・現代文化のオピニオンリーダー)にそして親となり、藤子不二雄アニメはまさに世代を超えた作品となった。CS放送や一部作品のDVD化により、若い世代にもファンを獲得しつつある。しかし、基本的には『ドラえもん』など一部のシンエイ動画作品と「キテレツ大百科」と「T・Pぼん」 に限られており、それ以外の作品に触れることは困難であるのが実情である。これら風化しつつある藤子作品の復刻、アニメ作品のDVD化や再放送を切に願う声が、ファンを中心に非常に多い。その影響か、最近コンビニなどの書籍売り場などで、廉価版コミックの販売が始まっている。
[編集] 関連項目
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