広域関東圏
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広域関東圏のデータ | ||
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広域関東圏(こういきかんとうけん)とは、関東地方1都6県に、その周辺県を含めた場合の地方名。
一般的には、関東1都6県に、静岡県、山梨県、長野県、新潟県の4県を含めた1都10県を指す。場合によっては、福島県を含める場合もある。
なお東三河地方(愛知県東部)も広域関東圏の一部と捉える意見や事例も極めて限定的ではあるが存在する。
目次 |
[編集] 形成の経緯
[編集] 明治維新以前
鎌倉幕府の領土は、箱根峠と碓氷峠から東で「坂東」「関八州」と呼ばれた8国(相模国・武蔵国・下総国・上総国・安房国・常陸国・下野国・上野国)以外にも、伊豆国・駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国・越後国も含まれていた。今の都府県で言えば、神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県・茨城県・栃木県・群馬県・静岡県・愛知県東部・愛知県中部・山梨県・長野県・新潟県に当たる。
しかし、戦国時代や江戸時代には、箱根峠以西・小仏峠以西・碓氷峠以西の地域(例外:富士川と箱根峠の間)は、「関東」との交流は、今のような深いものには至らなかった。これは、戦国時代には各武将が京都を志向して支配圏を伸ばした事と、江戸時代には関が設置された為、箱根峠以西・小仏峠以西・碓氷峠以西が「関東」から遮断された事に起因する。
[編集] 明治維新以後
関東1都6県に隣接する県には、福島県・新潟県・長野県・山梨県・静岡県の5県がある。これら5県は、首都圏整備法(1956年)で山梨県が首都圏、東北開発促進法(1957年)で福島県と新潟県が東北地方、中部圏開発整備法(1966年)で長野県と静岡県が中部圏とされ、開発計画に伴う公共事業の窓口として、これらの枠組みで知事会や経済団体などが形成され、「地方」の枠組みともなって来た。
つまり、中央省庁の出先機関の管轄エリアによって「地方」の範囲が改編可能であり、中央省庁の出先機関所在地が、知事会・企業・経済団体の本拠地になって、人・物・金・情報が、中央省庁の出先機関所在地を中心に循環し、中央省庁の管轄エリアがそのまま交流圏に反映されている。しかも、中央省庁の出先機関の管轄エリアは、地理的・歴史的・交通的な類似性や、地域バランスの3点を、全く考慮していない。
従って、首都・東京が本社所在地で、中央省庁の出先機関所在地が支社所在地として経済の中心地になり、中央省庁の出先機関の管轄エリアを、企業がそのまま踏襲しているのが実状である。
[編集] 静岡県・山梨県・長野県・新潟県
東京に本拠地を置く企業のエリアには、関東1都6県・山梨県・長野県・新潟県の3県を加えた関東・甲信越という枠組みがよく見られる。
「甲信越」と呼ばれる3県は、県境においては相互の人的・経済的交流があるものの、特に明治維新以後はそれぞれが各々東京と直接繋がる形で発展し、しかも3県共通の地理的同質性が存在しない。このため、「甲信越は関東1都6県の外縁部」とも言える。
山梨県・長野県筑摩地方・長野県伊那地方の一帯は、律令時代には東山道(除山梨県)の沿線で、江戸時代には甲州街道と中山道(除山梨県)の沿線であった為、「関東と畿内の間の内陸側」として、高速道路(中央自動車道+名神高速道路)が1982年までに全通している。又、戦国時代には武田氏の支配圏に置かれた為、太平洋側の静岡県や愛知県東三河地方との繋がりが深い。
新潟県の下越地方と中越地方は、幕末には奥羽越列藩同盟に加盟した歴史的経緯から、山形県庄内地方や福島県会津地方との一緒のブロックに含まれる事もある。特に下越地方は、庄内地方や会津地方と隣接しており、交通網でも羽越本線と磐越西線の合流地になっている面から、庄内地方や会津地方との繋がりが極めて深い。
新潟県頚城地方・長野県水内地方・長野県佐久地方の3地域は、江戸時代には北国街道の沿線として発展した地域である。これらに中越地方を加えた4地域は、「関東と畿内の間の日本海側」に当たり、北陸自動車道沿線とは国道18号や国道117号で繋がっており、豪雪地帯でスキー場密集地という地理的同質性を共有している。中でも頚城地方は、鎌倉時代には浄土真宗の開祖である親鸞の地盤で、室町時代には関東管領で守護大名の上杉氏の地盤であった為に、東北・関東・近畿の三方へ足掛かりを伸ばす「前線」ともなっている。
静岡県は、歴史的には今川氏や徳川氏や後北条氏の支配圏に属した為に、山梨県や神奈川県との繋がりが深い傾向が見られる。律令時代と江戸時代には東海道の沿線で、「関東と畿内の間の太平洋側」として、東名高速道路や東海道本線の沿線になっている。しかし、内陸側に位置する山梨県(富士山麓)や伊那地方(天竜川流域)とは、切り離される事が多かった。
又、静岡県(太平洋側)と頚城地方(日本海側)との連関を見ると、大井川以西は、歴史的には掛川と糸魚川を結ぶ「塩の道」が整備され、中山道と塩の道の接点が塩尻であった。大井川以東でも、清水と直江津の間で中学生の交流会が実施されている。
現代は第三次産業の比率が大きくなっている為、東京との経済的連関が深く、歴史的にも関東との繋がりが深い地域の状況を踏まえて、静岡県・山梨県・長野県・新潟県を含めた枠組みが重視されるようになった。この場合の地方の枠組みが「広域関東圏」である。
構成都県を判り易くした「関東甲信越静」(かんとうこうしんえつせい)との名称も用いられる。静岡県から見た「広域関東圏」の俗称には、他にも幾つかの例が存在しており、中には関東駿甲信(かんとうすんこうしん)、これに新潟県を含めた関東駿甲信越(かんとうすんこうしんえつ)というものもある。
「広域関東圏」では、1948年には既に関東地方知事会が設置され、新潟県を除く関東甲信静(かんとうこうしんせい)の枠組みが見られる。この範囲には、関東地方・山梨県・長野県・静岡県が含まれている。
経済の範畴でも、現在では関東1都6県に、静岡県・山梨県・長野県・新潟県の4県を加えた枠組みを、一つのエリアと捉える傾向が目立って来ており、食品・飲料メーカーなどでは、新製品やエリア限定製品を発売する際に、この1都10県で先行発売や限定発売をするケースが増えている。
このように、政権所在地という歴史を持つ東京や鎌倉を中心点にしている点で、広く東日本の文化圏として、人・物・経済・文化圏の流れが類似している。
[編集] 福島県
福島県も関東地方に隣接している為、少なからず経済的・人的交流がある。特に浜通りや中通りの磐越自動車道以南では、新産業都市の指定以降、京浜工業地帯の企業の工場が多数進出して、東北地方の中でも特に関東志向が強いと言われている。中でも、浜通りの磐城平以南は、常磐線の複線化や常磐自動車道の開通が早かったために、茨城県北部との交流も多い。
交通面でも、東北新幹線「なすの」の一部が郡山駅まで延長運転したり、常磐線「スーパーひたち」が東京方面においていわき駅(磐城平)を始発終着とする例が見られるなど、観光客のみならずビジネス客の移動の足となっている。又、磐城平と新潟を結ぶ連絡線も、従来の磐越東線・磐越西線に加えて、磐越自動車道の開通によって、浜通り(太平洋沿岸)から下越地方(日本海沿岸)までの交通的一体性も強まっている。
その為、特に工業面において、場合によっては広域関東圏に福島県を含める事がある。しかし、浜通り、中通り、会津地方の各地域は、歴史的経緯や文化圏から見ると、東京や鎌倉を中心地とするブロックに入るとは見なされない事が多い。
[編集] 東三河地方(愛知県東部)
愛知県のうち東三河地方は、遠州灘に面し、伊那谷と隣接しているために、文化・交通・歴史の面で、天竜川流域の遠江地方(静岡県西部)や伊那地方(長野県南部)との繋がりが深い。又、戦国時代には今川氏や徳川氏の支配圏に置かれた為、伊那地方以外にも、山梨県や駿河湾沿岸との歴史的連関が大きい傾向が見られる。しかし、内陸側に位置する伊那地方とは、中央省庁によって切り離される事が多かった。
現在、天竜川流域の東三河地方・遠江地方・伊那地方の3地域では、「三遠南信地域交流ネットワーク会議」が結成されて、3地域間の交流も活発化している。交通面でも、「塩の道」を踏襲する路線が、鉄道では飯田線と大糸線(豊橋~塩尻~糸魚川のルート)であり、一般道路でも、伊那地方から遠州灘沿岸に入るには、国道151号で東三河地方を通らねばならない状態である。高速道路でも、東名高速道路と中央自動車道を結ぶ三遠南信自動車道が建設中である。
経済産業省の所管事業の一部において、上記の広域開発計画との兼ね合い(例:関東経済産業局)から、あくまで関東地域を管轄する政府部局の管轄外であるが、所管事業範囲として愛知県東部(東三河地域)を加えるという事例も存在している。
【付記】経済産業省・関東経済産業局における行政区域は、あくまでこの項で述べる関東甲信越静1都10県であり、一部業務においては福島県が管轄区域となるケースも存在する。しかしながら愛知県については中部経済産業局における行政区域内のため、本項には直接的には該当しない。詳細についてはこちらを参照されたい。
[編集] 県民総生産
広域関東圏を構成する1都10県の県民総生産の合計は216兆0689億円で、全国計の43.6%、人口は5044万で全国の39.5%を占める(2003年度県民経済計算より)。下記には1都10県および、その外縁部にある県の数値も含めてまとめてある。
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[編集] 付記
[編集] 関連項目
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