菊川駅 (静岡県)
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菊川駅(きくがわえき)は、静岡県菊川市堀之内官有無番地にある東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。
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[編集] 駅構造
島式と単式の複合型で、駅舎側(南側)から1番線(単式)、2番線、3番線(島式)となっている。
- のりば
- 1番線 ‐ 当駅発と当駅終着の列車の発着に使われる。
- 2番線 ‐ 下り(浜松、名古屋方面)
- 3番線 ‐ 上り(静岡、東京方面)
駅舎に隣接する1番線は一部の列車が発着するのみで、通常は跨線橋を渡り2番線または3番線を使用する。3番線の北側には留置線がある。この留置線は上り貨物列車の待避用に使用されてきたが、2002年のワールドカップ開催時に下り側の信号機が整備されエコパスタジアムでの催事等には臨時列車の発着にも利用されている。
[編集] 駅周辺
- 菊川市役所
- 常葉学園菊川中学校・高等学校
- 菊川インターチェンジ - 東名高速道路
駅の南側は菊川市の中心市街地で、商店や住宅が立ち並んでいる。昭和50年代に計画された中心市街地再開発事業が2006年現在においても継続中であり、再開発の長期化による商業の衰退がみられる。近年は駅から1kmほど南の菊川インターチェンジ周辺で宅地・商業地開発が盛んであり、これらに対応する送迎用ターミナルの整備が計画されている。
北側は茶畑などが広がる丘陵地帯である、駅の近くには緑ヶ丘や柳町といった住宅街が整備されたものの、駅には旭テックの本社が隣接しており北口がないため、駅を利用するには遠回りをしなければならない。
現在、駅北の柳町・潮海寺地区と駅南との交通の便を向上するアンダーパス築造工事が進行中であり、駅に北口を新設する構想もある。
[編集] 歴史
- 1889年4月16日 - 堀ノ内駅(ほりのうちえき)として開業。
- 1956年4月10日 - 菊川駅に改称。
- 1975年3月1日 - 開業時からの貨物取扱が廃止。
- 1992年11月28日 - 自動改札機を導入。
駅の向かいには軽便鉄道である堀之内軌道の堀之内駅前駅が存在したが、1935年(昭和10年)に廃止された。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] その他
両隣の掛川駅と金谷駅が旧東海道沿線にあるのに対し、菊川駅は旧東海道を外れて5kmほど南下した場所にある。特に菊川駅と金谷駅の間は、それまで東西に走っていた東海道本線が南北に走るほど、大きく方向を変えている場所である。(菊川駅‐金谷駅間は、関ヶ原付近と同様にR400(半径400m)の急カーブが多い区間である。)
これには東海道本線建設時、旧東海道を通る日坂ルートでは急な山を越えなければならず技術的に困難であったことや、日坂村(現在の掛川市日坂)の住民らから、農業への悪影響(蒸気機関車の吐く煙によって茶葉に煤がつく、振動で茶の根が緩む、等)を懸念した根強い反対運動が起こったこと、代替案として考えられていた海岸ルート(現在の御前崎市を通るルート)でも根強い反対運動が起こったうえに旧東海道沿線の市街地を大きく外れてしまうこと、それと対照的に、堀之内村(現在の菊川市堀之内)の住民らが県知事への陳情を行うなど積極的な誘致活動を行ったことから、現在のルートに決まったとされている。
これらの経緯は、児童書「ちいさな村に汽車がきた ~東海道本線菊川駅ものがたり~」(ISBN 4265013147)にもとりあげられている。
なお、駅の誘致活動を行った住民らは、1889年(明治22年)に堀ノ内駅(菊川駅)が開業すると、駅周辺の商業地としての発展を願い、駅前から自主的に移転して別の場所に、旧くからの堀之内村の住民の集落であることを示す「旧村」(きゅうそん)という農業集落を形成した。旧村はその後旧村自治会となり、現在の菊川市堀之内自治会となっている。いまでも駅前の土地の多くは旧村地区の地主が所有している。