三岐鉄道北勢線
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北勢線(ほくせいせん)は、三重県桑名市の西桑名駅から三重県いなべ市の阿下喜駅までを結ぶ三岐鉄道の鉄道路線。
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 概要
軽便鉄道として敷設された路線で、現在でも開通当時のままの762mm軌間となっている。日本に残る数少ないナローゲージの路線である。様々な経歴を経て近畿日本鉄道(近鉄)の路線となっていたが、累積赤字により近鉄が廃止の意向を打ち出したため、2003年(平成15年)4月1日地元自治体の支援により三岐鉄道が経営を継承した。
[編集] 運行形態
西桑名~東員、楚原間の区間運転列車を含めて毎時ほぼ2~3本運転されている。列車は全てワンマン運転を行っているが、まれに車掌が乗務する場合もある。 三岐鉄道の運営になって以来、リニューアル工事の進捗にあわせて年1~2回のペースでダイヤ改正が実施されており飛躍的に利便性が向上している。
ダイヤ 改正日 |
列 車 本 数 | 阿下喜→ 西桑名間 運転時分 |
ダイヤ改正内容・特記事項 | |||
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西桑名~ 東員間 |
東員~ 大泉間 |
大泉~ 楚原間 |
楚原~ 阿下喜間 |
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2003年 (平成15年) 4月1日 |
上42本 下42本 計84本 |
上19本 下18本 計37本 |
上19本 下18本 計37本 |
上18本 下17本 計35本 |
52分 | 近鉄より譲受のダイヤ。昼間、北大社-阿下喜間で列車運転間隔が2時間開くこともあり。 最終 西桑名発21:30阿下喜行き 22:00楚原行き 22:30北大社行き |
2003年 (平成15年) 9月1日 |
上43本 下43本 計86本 |
上22本 下22本 計44本 |
上22本 下22本 計44本 |
上21本 下22本 計43本 |
52分 | 西桑名発阿下喜行き最終1時間30分繰り下げ。西桑名発23:00とする。 昼間、北大社-阿下喜間の列車運転間隔を1時間に。 |
2004年 (平成16年) 4月1日 |
上44本 下44本 計88本 |
上39本 下39本 計78本 |
上35本 下35本 計70本 |
上22本 下23本 計45本 |
大泉東・長宮・六石駅廃止、大泉駅開業。 北大社-楚原間増発。昼間、西桑名-楚原間の列車運転間隔を30分に。 |
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2005年 (平成17年) 3月26日 |
上46本 下46本 計92本 |
上41本 下41本 計82本 |
上36本 下36本 計72本 |
上23本 下24本 計47本 |
坂井橋・六把野・北大社駅廃止、星川・東員駅開業。 西桑名-楚原間、昼間運転間隔を30分→原則27分に。 大泉駅折り返しの列車を4本設定。 |
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2005年 (平成17年) 7月1日 |
上46本 下46本 計92本 |
上41本 下41本 計82本 |
上41本 下41本 計82本 |
上23本 下24本 計47本 |
49分 | 大泉駅列車行き違い設備完成。列車行き違い待ち時間短縮。 大泉折り返し列車を全て楚原折り返しに。 |
2006年 (平成18年) 4月1日 |
上45本 下45本 計90本 |
上41本 下42本 計83本 |
上41本 下42本 計83本 |
上30本 下31本 計61本 |
47分 | 北大社信号場内曲線改良、上笠田駅廃止、阿下喜駅2線化設備完 成。楚原-阿下喜間増発。(同区間、一部時間帯27分間隔に) 夕方~深夜下り列車の大半を阿下喜行きに。 |
今後の予定 | 今後も高速化工事の進展に伴い、年1~2回ペースでダイヤ改正が行われる予定である。
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[編集] 運賃・切符
- 通勤定期は1・3・6ヶ月定期の3種類がある。通学定期については、1・3・6ヶ月定期のほか、学期定期として1・2・3学期定期および前・後学期定期(原則として当該学期の始業式から終業式当日まで有効)が設定されているのが特徴である。
[編集] 普通券・回数券・定期券
- 普通券・回数券・定期券は、エンコード券となっている。
- 回数券は、通常の回数券(10枚分の価格で11枚発券)と、5枚分の価格で6枚発券される昼間割引回数券(平日10~16時・土日祝日は終日使用可能)がある。
- 往復券も券売機で購入できる(ただし、割引なし)。
- 北勢線内の駅員配置駅(西桑名駅・星川駅・東員駅・大泉駅・楚原駅・阿下喜駅)には、硬券の入場券が常備されている。
- 近鉄名古屋線を介して、前後の三岐鉄道線の運賃通算は行わない。
- 北勢線と近鉄名古屋線(一部区間)、養老線(一部区間)、湯の山線、内部線、八王子線との間に連絡定期券が発売されているが、連絡乗車券の設定はない。
- JR線との連絡定期券、連絡切符は設定されていない。
- 北勢線-近鉄名古屋線-三岐線の3線またがりの連絡定期券、連絡切符は設定されていない。
[編集] 阿下喜温泉往復割引切符
阿下喜駅北東にある阿下喜温泉「あじさいの里」の温泉入浴券と北勢線各駅からの往復乗車券をセットにした切符である。西桑名~七和間発は1000円、穴太~東員間発は800円、大泉~麻生田間発は600円で、北勢線内の駅員配置駅(西桑名駅・星川駅・東員駅・大泉駅・楚原駅・阿下喜駅)にて販売されている。
[編集] 大穴馬券
北勢線内の大泉駅・穴太駅・馬道駅の各駅名の頭文字を採った「大穴馬券」が発売されている。この「大穴馬券」は、北勢線内の駅員配置駅(西桑名駅・星川駅・東員駅・大泉駅・楚原駅・阿下喜駅)にて販売されており、現在発売中のものは第3弾である。第2弾からは、乗車券の裏面に上げ馬神事で有名な猪名部神社(最寄駅は東員駅)のご朱印が、1枚1枚押してある。また、第3弾からはオリジナル祈願絵馬が付いており、これに願い事を書いて駅の設置場所に取りつけた絵馬は、猪名部神社に奉納されることになっている{この扱いは2007年(平成19年)3月31日まで}。全国的に見てもユニークな乗車券であり、人気がある。第3弾については絵馬タイプと左馬タイプがあり、各400円。
- 2005年(平成17年)2月25日‐「大穴馬券」第1弾発売開始。馬券タイプと左馬タイプがあった。なお、本「大穴馬券」に名古屋競馬のロゴを特別に印字し、名古屋競馬場にて競馬ファン向けに配られたことがある。
- 2005年(平成17年)11月24日‐「大穴馬券」第2弾発売開始。今回から、絵馬タイプと左馬タイプとなった。
- 2006年(平成18年)12月19日‐「大穴馬券」第3弾発売開始。
[編集] 歴史
北勢線は開業以来幾多の鉄道会社によって運営をされてきたが、北勢線の転機としては下記の4つの時期に集約される。
[編集] 北勢鉄道創立
1909年(明治42年)に軽便鉄道法が公布されると、員弁川沿線の各町村間に鉄道敷設の気運が高まった。1912年(明治45年)には、富田軽便鉄道との免許取得合戦に勝ち、北勢鉄道株式会社として設立免許された。3年の年月をかけて、1914年(大正3年)に大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmを開業したのを皮切りに、1915年(大正4年)桑名町(後の桑名京橋)~大山田間0.7kmが、1916年(大正5年)楚原~阿下喜東(後の六石)間4.6kmが開業した。一方、近隣の藤原岳に産出する石灰岩およびセメントを運搬するために鉄道の敷設が計画され、三岐鉄道(三岐線)の前身である員弁鉄道が当時の北勢鉄道線が利用できないか調査を行ったが、同線は到底大量貨物輸送には適さないとの調査結果を受け、結果的に員弁川対岸に三岐鉄道線(三岐線)の建設が行われることとなる。現在の北勢線における、残る六石-阿下喜間については山間の険しい位置にあり、かなりの難工事が予想されなかなか着工できずにいた。この間、同区間を無賃の自動車で運行するなどしていたが、1931年(昭和6年)六石~阿下喜間1.4kmが開業し全通すると同時に全線を電化した。これは、員弁川の対岸で三岐鉄道(三岐線)が富田-東藤原間を開業するわずか15日前であった。北勢鉄道線と三岐鉄道線は員弁川をはさんで並行する形となったが、北勢鉄道線は立地条件の良さもあって三岐鉄道線に比べ圧倒的に多い旅客輸送量を記録した。
[編集] 三重交通へ統合
1930年(昭和15年)に陸運統制令が公布され、1932年(昭和17年)に、三重県下自動車輸送業及び鉄・軌道運送事業の合併が閣議決定された。その後、幾多の変遷を経て、県内の北勢電鉄・桑名電軌・三岐鉄道・三重鉄道・安濃鉄道・松阪電鉄・神都交通・志摩電鉄と乗合自動車業者を合併させることとした。しかし、北勢電気鉄道は合併による損出が多大であること、三岐鉄道においては貨物輸送が主体で乗合自動車の兼業が無いことを理由に統合に反対した。結果的に、県当局及び合併関係業者の協議会では貨物輸送が主体の三岐鉄道(三岐線)、廃線が前提の桑名電軌および安濃鉄道の3社を除外した県内全業者を合併する件が決定したが、相変わらず北勢電気鉄道のみが反対意志をひるがえさなかった。結果的に北勢電気鉄道は三重交通に合併・統合されるわけであるが、三重交通発足時の合併条件に格段の配慮が払われた。すなわち、北勢電気鉄道と新都交通の株式のみを三重交通の第一種株式(第二・三種と比べ配当率が優遇される)とすることとし、他の被合併会社の第二・三種と差をつけたのである。これは、当時の北勢電気鉄道が他の鉄道会社と比べ、経営状態が良かったことを物語っている。また、この統合によっても三岐鉄道(三岐線)は単独会社として存続し、その後近鉄とも合併することはなかったが、これが現在の北勢線の受け皿となったわけである。
[編集] 三重電気鉄道を経て近鉄に合併
当時、近鉄名古屋線・近鉄山田線などの幹線鉄道路線を近鉄が、北勢・湯ノ山・志摩線などの支線鉄道路線を三重交通が運営していた。一方、バス路線はその大半を三重交通が運営していたが、1961年(昭和36年)に運輸営業を廃止した近鉄伊勢線(江戸橋駅-新松阪駅間)の代替バスを近鉄が運営するなど、三重県内の鉄道・バス事業は近鉄と三重交通で入り混じって運営をされていた。この状況を打開するため、近鉄と三重交通との間で、三重県内の鉄道路線は近鉄が、バス路線については三重交通が一元的に運営とする基本方針がまとめられた。これに従って、1964年(昭和39年)に三重交通の全額出資で三重電気鉄道が設立され、三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡した上、1965年(昭和40年)に近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併することにより、三重県内の鉄道運営主体が近鉄に一元化された。これにより、北勢線は近鉄の路線となった。また近鉄時代には牽引運転やタブレットの廃止、ATSや列車無線の導入、ワンマン化など徹底した近代化が行われた。廃線表明直前にはもはや、ただ線路の幅と運転速度が小さなだけで、技術面・保安面は通常の私鉄ローカル線と全く同じレベルに引き上げられている。
[編集] 三岐鉄道へ運営移管
2000年(平成12年)に近鉄が経営改善のため北勢線の廃線を表明した。地元沿線市町では北勢線が地域の公共交通として重要度が高いことを理由として鉄道として存続させる方針を確認し、第三セクターでの運営等を検討した。しかし、2002年(平成14年)に近鉄が国土交通省に対して北勢線の事業廃止届を提出するに至り、北勢線の廃止時期が明確化されてしまった。地元沿線市町では、北勢線を第三セクターで運営するには機関の設立等が廃止までに間に合わないこと、および鉄道運営のノウハウもないことから、近隣で鉄道を運営していた三岐鉄道に対して北勢線の運営を依頼することとした。これに対して、三岐鉄道は「北勢線を延命存続するのではなく、リニューアルして運行を引き継ぐ」という方針で北勢線の運行承継を決定した。北勢線の三岐鉄道での運営スキームとして、(1)沿線市町は、「近鉄からの北勢線鉄道用地取得費の沿線市町負担分」+「10年間の運営資金(リニューアル費用+赤字補填)」として55億円を拠出する、(2)近鉄は鉄道用地を有償で沿線市町に、鉄道施設(軌道・車両など)を無償で三岐鉄道に譲渡することとした。この結果、北勢線の鉄道用地は沿線市町の所有となり、鉄道の運行・運営および鉄道施設(線路・駅舎設備など)と車両の所有を三岐鉄道が行うこととなった。これは、沿線市町が鉄道設備の所有・維持管理までは行わないことから、一般に言う「上下分離方式」には当たらない。ここで特筆すべきは、リニューアル計画で新駅設置や曲線改良工事等を行う場合、工事費用は三岐鉄道側の負担(沿線市町からの運営資金・補助金・自社資金)となるが、土地取得に要する費用は沿線市町の負担となる点である。2003年(平成15年)4月1日には、近鉄が三岐鉄道に北勢線鉄道事業を譲渡し三岐鉄道による北勢線の運営が開始された。なお、これは全国初の民間事業者間での鉄道事業譲渡・譲受のケースとなった。この北勢線の譲渡・譲受の形態および運営スキームは、後の南海貴志川線→和歌山電鐵への鉄道事業譲渡・譲受の場合でも採用された。
[編集] 年譜
- 1912年(明治45年)1月16日 北勢鉄道株式会社として設立免許される。
- 1912年(明治45年)8月10日 北勢鉄道創立。
- 1913年(大正2年)5月3日 桑名町(後の桑名京橋)~阿下喜東(後の六石)間工事施工認可され着工。
- 1914年(大正3年)4月5日 大山田(現在の西桑名)~楚原間14.5kmを開業。
- 1915年(大正4年)8月5日 桑名町(後の桑名京橋)~大山田間0.7kmが開業。
- 1916年(大正5年)5月10日 星川駅廃止。
- 1916年(大正5年)8月6日 楚原~阿下喜東(後の六石)間4.6kmが開業(三重交通・近鉄の社史では8月5日開業との記載があるが、当時の鉄道院文書・官報では8月6日に開業となっている)。
- 1927年(昭和2年)9月8日 星川駅が貨物駅として開業届出。
- 1929年(昭和4年)5月17日 阿下喜東(後の六石)~阿下喜間延長免許。
- 1930年(昭和5年)2月5日 阿下喜東(後の六石)~阿下喜間土木工事施工認可。
- 1930年(昭和5年)5月19日全線の電化工事施工認可。
- 1931年(昭和6年)7月8日 六石~阿下喜間1.4kmが開業し全通。同時に大山田駅を西桑名駅、大泉駅を大泉東駅に、阿下喜東駅を六石駅に改称。全線が電化、北大社変電所(300kw回転変流機2台)運用開始。車両8両新製配置(モハニ50形50~55{旅客・荷物合造電車。後の三重交通モニ221形→近鉄モ二220形221~226}、デ21形21・22{電気機関車。後の三重交通71形71・72→近鉄デ40形45・46})。
- 1932年(昭和7年)11月1日 星川駅旅客営業開始。
- 1934年(昭和9年)6月27日 北勢鉄道が北勢電気鉄道に社名変更。
- 1938年(昭和13年)5月3日 西別所~蓮花寺間に稗田前駅開業。
- 1940年(昭和15年)11月 電力事情悪化により1往復の列車運転を休止。
- 1941年(昭和16年)6月1日 1往復の列車運転を復活。
- 1942年(昭和17年)10月9日 第一回三重県旅客自動車運輸事業統合審議会開催、関西急行鉄道を除く鉄道・軌道・自動車全事業者の合併を決議。
- 1942年(昭和17年)10月23日 統合主体業者打合会が開催される。北勢電気鉄道・神都交通・三岐鉄道{当時三岐線のみを運営}・三重鉄道・志摩電気鉄道・松阪電気鉄道・南紀自動車が出席。
- 1942年(昭和17年)12月20日 北勢砂利興業株式会社を設立し砂利採取販売事業を分離。
- 1943年(昭和18年)8月6日 県当局および統合関係業者協議会開催される。三岐鉄道(当時三岐線のみを運営)・安濃鉄道・桑名電軌を除外した全業者の合併を決議。
- 1943年(昭和18年)12月24日 臨時株主総会において合併契約を承認・可決。
- 1944年(昭和19年)2月11日 北勢電気鉄道ほか6社(神都交通・三重鉄道・松阪電気鉄道・志摩電気鉄道・三重乗合・伊賀自動車)が合併し、三重交通(母体会社は神都交通)が発足(申請1月15日、認可1月31日・2月1日・2月15日)。
- 1944年(昭和19年)3月1日 北勢線の路線名称制定。
- 1944年(昭和19年)7月1日 西別所~蓮花寺間の稗田前駅、坂井橋~七和間の星川駅、北大社~大泉東間の大木駅、長宮~楚原間の畑新田駅休止。
- 1945年(昭和20年)2月1日 西桑名車両区を阿下喜駅構内に疎開させる。
- 1945年(昭和20年)7月19日 桑名町~西桑名間が戦災のため運輸営業休止(申請8月12日、認可10月29日)。
- 1947年(昭和22年)2月10日 西桑名~阿下喜間の列車運行間隔を従来の30分間隔から35分間隔として上で、所要時分を52分運転から57分運転にスピードダウンさせた(多客と電力事情の悪化、車両の出力不足が原因)。
- 1948年(昭和23年)9月24日 桑名京橋~西桑名間の運行再開。桑名町駅を桑名京橋駅に改称(新駅名は一般公募による)。
- 1949年(昭和24年)3月26日 車両1両新製配置(モニ221形{後の近鉄モ二220形}227)。
- 1949年(昭和24年)9月22日 集中豪雨により一部区間で運転休止。9月25日に復旧・開通。
- 1950年(昭和25年)1月16日 阿下喜駅構内で列車脱線転覆。重傷者5名を出す。
- 1950年(昭和25年)6月16日 車両3両新製配置(サ101形104~106)。
- 1950年(昭和25年)12月15日 車両4両新製配置(サ151形{後の近鉄サ150形}151~154)。
- 1951年(昭和26年)1月17日 車両2両新製配置(サ151形{後の近鉄サ150形)155~156)。
- 1951年(昭和26年)10月18日 電力事情悪化のため、当分の間6列車を運転休止とする。
- 1952年(昭和27年)2月22日 客車11両のブレーキ装置を改良し貫通制動とする(STE直通ブレーキ)。
- 1952年(昭和27年)9月 員弁川砂利採取線で使用する蒸気機関車(21形21)を森製作所にてディーゼル機関車へ改造(D21形21)。
- 1953年(昭和28年)9月 桑名京橋駅付近に北勢線初の自動踏切警報機を設置。
- 1954年(昭和29年)9月1日 豪雨のため西桑名車庫が浸水し、検査車両・モーター等が冠水する。
- 1954年(昭和29年)10月5日 北大社変電所の300kw回転変流機1台を水銀整流器に更新し運用開始。
- 1954年(昭和29年)10月28日 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
- 1957年(昭和32年)11月25日 通学客で満員の上り電車が過速のため上笠田~麻生田間の下り勾配S字カーブ(山田川橋梁桑名寄り)で脱線転覆。死者3人、重傷者3人、軽傷者多数を出す。
- 1959年(昭和34年)9月26日 台風15号(伊勢湾台風)の直撃を受け5日間不通。西桑名車庫浸水。
- 1960年(昭和35年)2月1日 内燃動力を廃止。
- 1960年(昭和35年)10月6日 上笠田~麻生田間S字カーブ修正の短絡線開通。
- 1961年(昭和36年)6月27日 集中豪雨のため上笠田-麻生田間土砂崩壊。7日間運転休止。
- 1962年(昭和37年)車両1両三重線(後の湯ノ山、内部・八王子線)より転属配置。(サ151形{後の近鉄サ150形}157{サ166を改番})
- 1961年(昭和36年)11月1日 桑名京橋~西桑名間(0.7km)廃止(認可9月25日)。国道1号線の混雑対策による平面交差解消の為。
- 1964年(昭和39年)1月7日 三重電気鉄道設立(三重交通100%出資)。
- 1964年(昭和39年)2月1日 三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡。
- 1964年(昭和39年)3月 車両16両三重線(後の湯ノ山、内部・八王子線)より転属配置(サ360形363~368{後の近鉄サ130形133~138}6両、サ2000形2001~2007{後の近鉄サ140形141~147}7両、モ4400形4401M1+4401T+4401M2号車{後の近鉄ク200形202+サ100形101+サ200形201)3両)。車両3両廃車(サ100形104~106)。
- 1964年(昭和39年)6月 西別所変電所(500kw水銀整流器1台)運用開始。
- 1965年(昭和40年)4月1日 近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併し近鉄の路線となる。
- 1966年(昭和41年)3月 車両の連結器を軽便で使われていたピン・リンク式(通称:朝顔式)から、柴田式自動連結器を小型化したもの(柴田式3/4上作用自動連結器(CSC91形自動連結器))に交換する。同時に車両のブレーキを自動ブレーキ化する(SME・STE→AMA・ATAブレーキ)。
- 1966年(昭和41年)10月1日 貨物営業休止。
- 1967年(昭和42年)4月1日 麻生田変電所(300kw水銀整流器1台:内部線浜田変電所から移設)運用開始。
- 1968年(昭和43年)3月 北大社変電所に残っていた300kw回転変流機1台を撤去。
- 1969年(昭和44年)5月15日 休止中の稗田前駅、星川駅、大木駅、畑新田駅廃止。
- 1972年(昭和47年)2月 西別所変電所の500kw水銀整流器1台をシリコン整流器に更新し運用開始。
- 1974年(昭和49年)7月25日 藤川橋梁の橋脚1基が増水のため傾斜。七和~上笠田間において30日間バス代行輸送を行う。
- 1976年(昭和51年)11月 北大社・麻生田変電所の300kw水銀整流器各1台をシリコン整流器に更新し運用開始。
- 1977年(昭和52年)5月10日 北大社車庫竣工。
- 1977年(昭和52年)5月11日 西桑名駅移転。西桑名~馬道間0.1km短縮。
- 1977年(昭和52年)10月11日車両8両新製配置(モ270形271~276、ク170形171・172)。
- 1977年(昭和52年)車両11両(モニ220形225~227、サ130形133、サ150形151~157)を内部・八王子線に転属させる。
- 1978年(昭和53年)8月26日 単線自動閉塞化。ATS使用開始。
- 1990年(平成2年)8月31日 車両1両新製配置(モ277形277)。
- 1991年(平成3年)11月15日 列車無線使用開始。
- 1992年(平成4年)9月15日 北勢線電化当初より使用していた220形電車4両(モ220形222・224、ク220形221・223)を除籍(8月16日~9月15日の日祝日にさよなら運転を実施)。
- 1992年(平成4年)9月18日 ワンマン運転開始(3両編成のみ)。各駅にホームミラー、乗車証発行機設置。
- 1999年(平成11年)3月16日 ダイヤ改正。昼間帯、北大社~阿下喜間1時間ヘッドに減便。
- 2000年(平成12年)7月3日 近鉄が経営改善のため北勢線の廃線を表明する。
- 2000年(平成12年)8月3日 桑名・員弁広域連合構成自治体(桑名市、員弁郡・桑名郡各町)が「北勢線問題勉強会」に参画。
- 2001年(平成13年)2月2日 「近鉄北勢線利用促進協議会」が設置される。
- 2002年(平成14年)2月4日 桑名・員弁広域連合自治体協議会において、北勢線を鉄道として存続させる方針を確認。
- 2002年(平成14年)3月18日 桑名・員弁広域連合長(桑名市長)が三岐鉄道に対し北勢線の鉄道存続への協力を要請。
- 2002年(平成14年)3月28日 近鉄が国土交通省に対して北勢線の事業廃止届を提出。
- 2002年(平成14年)6月7日 桑名・員弁広域連合が三重県知事に対し北勢線の鉄道存続に対する支援を要請。
- 2002年(平成14年)8月21日 三重県知事が北勢線の鉄道存続に向けて支援する旨回答。
- 2002年(平成14年)9月4日 北勢線沿線市町(桑名市・東員町・員弁町・北勢町)が三岐鉄道に対し正式に北勢線運行を依頼。三岐鉄道は運行承継を決定。
- 2002年(平成14年)11月8日 「北勢線運営協議会」が設置される。
- 2002年(平成14年)11月11日 「北勢線対策室」が設置される。
- 2003年(平成15年)1月8日 国土交通省へ近鉄から三岐鉄道への鉄道事業譲渡譲受認可申請が行われる。認可は3月6日。
- 2003年(平成15年)4月1日 近鉄が三岐鉄道に北勢線鉄道事業を譲渡。三岐鉄道による北勢線の運営が開始される(運賃は三岐鉄道の賃率に改正されたが、列車ダイヤの改正は無し)。
- 2003年(平成15年)10月24日 砕石運搬車(保線作業に使用)3両が導入される。
- 2003年(平成15年)10月31日 架線自動張力調整装置(テンションバランサー)が西桑名~楚原間に設置される。
- 2004年(平成16年)4月1日 北大社~楚原間の大泉東駅・長宮駅を廃止し大泉駅開業。麻生田~阿下喜間の六石駅廃止。
- 2004年(平成16年)4月13日 北勢線施設整備株式会社(北勢線に関する鉄道活性化補助事業を行なう半官半民の第三セクター)が設立される。
- 2004年(平成16年)5月1日 列車行き違い駅(馬道・在良・七和・楚原駅)の左側通行化工事完成。
- 2004年(平成16年)5月2日 三岐鉄道塗色(黄色)の車両が初登場する。
- 2005年(平成17年)3月26日 在良~七和間の坂井橋駅を廃止し星川駅開業。穴太~大泉間の六把野駅・北大社駅を廃止し東員駅開業。北大社駅は信号場に格下げ。星川・東員駅の開業式典は3月19日に実施。
- 2005年(平成17年)3月27日 東員町のコミュニティバスが運行開始され、東員駅・穴太駅が接続駅となる。
- 2005年(平成17年)5月25日 旧大泉東~大泉間で高圧配電設備(信号・駅舎電源)使用開始。
- 2005年(平成17年)6月24日 北勢線初の高速化改造(弱め界磁段追加)電車が出場。(271+146+171号車)
- 2006年(平成18年)3月14日 東員~大泉間の出発・場内(北大社信号場のみ)信号機三位式三現示(GYR)化{従来は三位式二現示(YR)}。
- 2006年(平成18年)4月1日 楚原~麻生田間の上笠田駅廃止。
- 2006年(平成18年)4月11日 東員~大泉間の戸上川に架かる茶屋川橋梁の橋脚1基が傾き、付近で下り電車が脱線。東員~阿下喜間が不通となる。死傷者は無し。4月13日から大泉~阿下喜間が、5月23日から東員~大泉間が列車運行再開。
- 2006年(平成18年)6月1日 いなべ市のコミュニティバス「アイバス」が運行を開始し、楚原駅・大泉駅が接続駅となる。
- 2006年(平成18年)7月12日 楚原~麻生田間の旧上笠田駅構内軌道を曲線改良工事により直線化、供用開始。
- 2006年(平成18年)8月4日 北勢線初の冷房電車運行開始(272+147+172編成)。出場は8月2日。
- 2006年(平成18年)10月18日 東員~北大社信号場間の橋梁(第20号溝橋)が撤去される。その結果、北勢線の橋梁は総数47箇所となる。
- 2006年(平成18年)12月23日 北勢線2本目の冷房電車運行開始(271+146+171編成)。出場は12月22日。
- 2007年(平成19年)1月21日 北大社信号場~大泉間の旧大泉東駅構内軌道を曲線改良工事により線形変更(5→1曲線)、供用開始。
[編集] 駅一覧
[編集] 現在営業区間
北勢線には数多くの駅が設置され駅間距離も短かった事から、過去にかなりの駅が廃止され、駅の整理がなされてきた。また、北勢線が三岐鉄道の運営になって以来、三岐鉄道が立案した「北勢線リニューアル計画」によって駅の廃止・統廃合が進められ、新駅および既設駅の一部については、車で駅に送ってもらい電車を利用する「キスアンドライド」や、車を駅に止めて電車を利用する「パークアンドライド」の推進を図るため、無料駐車場や駅前ロータリーの整備がなされた。これらの整備が実現した駅のほとんどにおいて駅利用者が飛躍的に増大し、最近の北勢線の利用者増の原因となっている。 なお、現在のところ、この「北勢線リニューアル計画」で示された計画の大半が実現(工事完成)しており、駅関係で計画が実現していないのは下記の駅を残すのみとなった。
- 西桑名駅を現在駅の北側まで延伸し、JR・近鉄桑名駅との乗り継ぎ改善を図る事。
- 駅前が非常に狭く、駅に通ずる道も狭くて不便である蓮花寺駅を小移転して、「キスアンドライド」や「パークアンドライド」が実現可能な駅とする事。
- 阿下喜駅の駅前ロータリーを整備する事。
取り消し線を引いた駅は廃止駅。 廃止駅の廃止年は休止期間があった場合は休止年を記載した。 乗車人員は2005年度(平成17年度)の値を記した。
駅 名 | 営業 キロ |
行違 設備 |
乗車人員 | 開業年 | 廃止年 | 接 続 路 線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
実数 人/年 |
順 位 |
|||||||
西桑名駅 | 0.0 | 無 | 805,805 | 1 | 1914年 | - | 東海旅客鉄道:関西本線 近畿日本鉄道:名古屋線・養老線 |
桑名市 |
馬道駅 | 1.1 | 有 | 73,154 | 11 | 1914年 | - | ||
西別所駅 | 2.0 | 無 | 74,751 | 10 | 1914年 | - | ||
? | 無 | 1938年 | 1944年 | |||||
蓮花寺駅 | 3.3 | 無 | 103,696 | 6 | 1914年 | - | ||
在良駅 | 4.1 | 有 | 50,211 | 12 | 1914年 | - | ||
5.0 | 無 | 1914年 | 2005年 | |||||
星川駅 | 5.5 | 無 | 174,526 | 3 | 2005年 | - | ||
七和駅 | 6.9 | 有 | 116,585 | 5 | 1914年 | - | ||
穴太駅 | 8.0 | 無 | 102,178 | 7 | 1914年 | - | 員弁郡 東員町 |
|
9.1 | 無 | 1914年 | 2005年 | |||||
東員駅 | 9.7 | 有 | 187,440 | 2 | 2005年 | - | ||
北大社信号場 |
(10.3) | 無 | 1914年 | 2005年 格下 |
||||
? | 無 | 1914年 | 1944年 | |||||
12.1 | 無 | 1914年 | 2004年 | いなべ市 | ||||
大泉駅 | 12.4 | 有 | 86,243 | 9 | 2004年 | - | ||
12.9 | 無 | 1914年 | 2004年 | |||||
? | 無 | 1914年 | 1944年 | |||||
楚原駅 | 14.4 | 有 | 144,604 | 4 | 1914年 | - | ||
16.1 | 無 | 7,482 | 14 | 1916年 | 2006年 | |||
麻生田駅 | 18.1 | 無 | 37,586 | 13 | 1916年 | - | ||
19.0 | 無 | 1916年 | 2004年 | |||||
阿下喜駅 | 20.4 | 有 | 93,092 | 8 | 1931年 | - |
[編集] 廃止区間
※名称は廃止時点のもの
桑名京橋駅 - 西桑名駅
[編集] 施設
[編集] 線形
- 曲線半径80mの急曲線が楚原駅~麻生田駅間にあり、これ以外にも半径100m・140m等の急曲線が多数存在し、列車の高速化を阻んでいる。(現在は無いが、過去には西桑名駅構内に半径40mの急曲線が存在した。)
- 最急勾配は、楚原駅桑名方に33パーミルが存在する。これ以外の最急勾配は25パーミルである。
[編集] 軌道
- 軌間は762mmである。「特殊狭軌」又は「ナローゲージ」と呼ばれる。
- 使用軌条(レール)は、過去には軽便鉄道規格の古典的な15k・22kレール(それぞれ1m当たり15kg・20kg)が使用されていた。現在では、レールの重軌条化が進み、本線では40N・30kレール(まれに50N・37kレールも有り)が使用されるが、近い将来40N・50Nレールに統一される見込みである。また、北大社車庫内には22kレールが残っている。
- 半径300m未満の曲線には脱線防止ガード(護輪軌条)が設置されている(一般的には、脱線防止ガードの設置基準は半径200m以下の曲線であり、これよりも設置基準を厳しくすることで安全性が確保されている)。
- マクラギは、軌間が特殊なことからPCマクラギは用いられておらず、大半が木マクラギである。
[編集] 分岐器・転轍器
- 分岐器は、特殊狭軌用のものが用いられ、部品が特殊な上に、分岐側の曲線半径が小さいため列車通過制限速度が厳しく(15・20・25km/h)列車の高速化を阻んでいる。
- 転轍器は、本線においては、三岐鉄道の運営移管以降に新設・改良されたもの(東員駅・北大社信号場・大泉駅・阿下喜駅)については電気転轍機(東員駅の運転指令から遠隔制御される)が用いられるが、これ以外の従前から設置されているもの(馬道駅・在良駅・七和駅・楚原駅)は旧式の発条転轍機(列車の車輪で分岐器を転換させバネの力で復位させる)である。
- 大泉駅のみに乗越分岐器および安全側線が設置され、列車行き違い時の上下列車の駅構内同時進入が可能となっている。
[編集] 橋梁
主な橋梁のみを記す。
駅 間 | 橋 梁 名 | キロ程 | 径間 | 橋台数 | 橋脚数 | 桁・橋梁種別 | 河川・道路名 | 所 在 地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
星川-七和間 | 嘉例川橋梁 | 5.7 | 16.3 | 2 | 2 | 鉄桁 | 嘉例川 | 桑名市 |
七和-穴太間 | 弁天川橋梁 | 7.5 | 15.1 | 2 | 2 | 鉄桁 | 弁天川 | |
穴太-東員間 | 藤川橋梁 | 9.4 | 15.4 | 2 | 2 | 鉄桁 | 藤川 | 員弁郡 東員町 |
東員-大泉間 | 茶屋川橋梁 | 11.0 | 54.6 | 2 | 7 | 鉄桁 | 戸上川 | |
楚原-麻生田間 | 六把野井水拱橋 | 13.1 | 9.1 | 2 | 0 | コンクリートアーチ | 六把野井水 | いなべ市 |
明智川拱橋 | 15.5 | 19.8 | 2 | 2 | コンクリートアーチ | 明智川 | ||
山田川橋梁 | 17.0 | 43.3 | 2 | 6 | 鉄桁 | 山田川 |
- 北勢線の橋梁は軽便鉄道規格の簡素なものが多く、桁長さが短く、桁厚さが薄く、橋脚数が多いのが特徴である。
- 橋台・橋脚は西桑名駅~楚原駅間については石積みのものが、楚原駅~阿下喜駅間については無筋コンクリート製のものが多い。
- 楚原駅~麻生田駅間には六把野井水という江戸時代初期から作られた農業用水があり、それをまたいでいるが、その橋梁「六把野井水拱橋」は「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選」の認定を受けている。コンクリート製のアーチ橋で、しかも斜橋となっており、土木技術的にもきわめて貴重なものである。その並び(阿下喜方)には明智川をまたぐ「明智川拱橋」(通称:北勢線眼鏡橋)があり、こちらはコンクリート製の3連アーチ橋となっており、北勢線列車の好撮影地である(いなべ市下笠田の国道421号線跨線橋の桑名方にあり。最寄駅は楚原駅となる)。
- 嘉例川橋梁・藤川橋梁・茶屋川橋梁は、北勢線高速化工事の一環として行われる曲線改良工事によって、別線にて付け替えられる予定である。
[編集] 車庫
- 北大社信号場内にある。
- 車庫内で車両の列車検査・月検査を施工するが、定期検査(全般検査・重要部検査)を行う施設が無いため、定期検査時は車両の主要部品を車庫外に持ち出して他の車両工場で検査を実施する。
- 車庫への入出庫のために、東員駅~北大社信号場間に回送列車が設定されている。
[編集] 変電所
- 西別所変電所、北大社変電所、麻生田変電所の3箇所の変電所がある。
- 北大社変電所は北勢線高速化工事の一環として出力増強工事が行われる予定である。(その後、西別所変電所と麻生田変電所は撤去予定)
[編集] 電路設備
- 架線は、シンプルカテナリー方式である。
- 電柱の木柱→コンクリート柱化工事が進行中である。
- 架線自動張力調整装置(テンションバランサー)が西桑名駅~楚原駅間に設置されている。
- 北勢線高速化工事の一環として、き電線の増強工事が行われる予定である。
[編集] 信号・連動装置・CTC
- 常置信号機として、場内信号機、出発信号機、誘導信号機(東員駅のみ)、入換信号機(東員駅・北大社信号場)、中継信号機が設けられている。場内信号機直下には、代用手信号機が併設される。
- 信号機は、大半の区間において3位式2現示(黄色:Y、赤色:R)を採用するが、東員駅~大泉駅間は3位式3現示(緑色:G、黄色:Y、赤色:R)となっている。
- 七和・東員・大泉・楚原駅および北大社信号場では列車折り返しが可能である。このうち七和・大泉・楚原駅では下り列車が下り本線に列車が入線しそのまま上り方向に折り返す。一方、東員駅では上下方向から上り本線、下り本線のいずれにも入線可能で、かつ上下どちらの方向にも出発が可能である。これは、東員駅で北大社車庫への出入庫列車との車両取替えが行なわれることに対応させるためである。
- 列車集中制御装置(CTC)が設置され、東員駅の運転指令において全駅の信号制御および電気転轍機の制御が可能となっている。情報伝送は光ケーブルを使用する。
- 連動装置は、三岐鉄道の運営移管以降に新設・改良されたもの(東員駅+北大社信号場、大泉駅、阿下喜駅)については第一種継電連動装置が、これ以外の従前から設置されているもの(馬道駅・在良駅・七和駅・楚原駅)は第三種継電連動装置となっている。
[編集] ATS
- 多変周式・連続照査型の「近鉄型ATS」を採用している。車両が地上子からの信号を受信・記憶し、車両の速度を常時監視し、速度が超過した場合は直ちに非常ブレーキが動作するシステムになっており、原理上、車両の速度超過は起こり得ない。
- ATSの速度制限段としては0・15・25・35・45km/hの5段となっているが、現在進行中の「車両の高速化工事」によって70km/hの制限段が追加された。ただし、地上側が対応していないため70km/hの制限段は使用されておらず、運転最高速度も45km/hのままである。
- 西桑名駅・東員駅留置線・阿下喜駅には終端用ATSがあり、線路終点部分での列車の過走を防止するようになっている。
- 急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には速度超過防止用ATSが備えられている。
- 地上子は通常2本のレールの間に置くが、北勢線は軌間が狭いため、このように設置した場合に上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。この為地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。
[編集] 踏切
- 第1種踏切(警報機・遮断機付き)73ヶ所、第3種踏切(警報機のみ)3ヶ所の合計76ヶ所の踏切がある。第4種踏切(警報機・遮断機共なし)はなく、全踏切で自動化されており、中小私鉄路線としては近代化が進んでいる(なお、これらの設備の大半は近鉄時代に整備されたものである)。
- 東員駅にて、北勢線全線の踏切の集中監視を行っている。(以前は、西桑名駅・北大社駅・阿下喜駅の3箇所で、それぞれのエリアごとに監視を行っていたが、東員駅開業に伴い、同駅で一括して行えるようになった。)
- 西桑名駅を出てすぐのところにある踏切(西桑名第2号踏切)は、762mm(北勢線)・1067mm(JR関西本線)・1435mm(近鉄名古屋線)の3種類の軌間を望めるところである。
[編集] 標識
標識は三岐鉄道が三岐線のみを運営していた時点では、三岐特有なものが多用されてきた。一方、北勢線は以前は近鉄の路線であったことから近鉄タイプのものが使用されてきたが、現在では、例えば、速度制限標識等を三岐線・北勢線共にJR仕様のものに変更するなど、両線を同一の標識デザインとする変更が行われつつある。
[編集] 車両
7編成24両の車両が在籍する。現在、車両の冷房化・高速化改造工事が進行している。近鉄時代より編成に番号(K71など)が付されている。なお三重交通・近鉄時代の形式は制御電動車(cM)・制御車(cT)・付随車(T)がそれぞれ「モ」「ク」「サ」だったが、冷房化・高速化改造編成から三岐線と同じ「クモハ」「クハ」「サハ」に改められている。国鉄・JR以外でクモハを使用している私鉄は稀である。
[編集] 現有形式
[編集] 編成
↑阿下喜 方
編成 | 車番 | 形式 | 寸法 (長×幅×高mm) |
自重 (t) |
定員 (座席) |
台車 | 主電動機 | 制御装置 | 電動発電機 | 静止型インバ|タ | 空気圧縮機 | 冷房 装置 |
高速化 改造 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
K71 | 271 | クモハ 270 |
15600×2110×3670 | 15.9 | 72 (28) |
KD219 KD219A |
38kw×2 | 有 | 無 | 無 | 無 | 有 | 済 |
146 | サハ 140 |
11380×2130×3256 | 10.3 | 54 (24) |
NT-7K | 無 | 無 | 無 | 有 | 無 | 有 | 済 | |
171 | クモハ 170 |
15600×2110×3190 | 14.8 | 73 (28) |
KD219 KD219A |
38kw×2 | 無 | 有 | 無 | 有 | 有 | 済 | |
K72 | 272 | クモハ 270 |
15600×2110×3670 | 15.9 | 72 (28) |
KD219 KD219A |
38kw×2 | 有 | 無 | 無 | 無 | 有 | 済 |
147 | サハ 140 |
11380×2130×3256 | 10.3 | 54 (24) |
NT-7K | 無 | 無 | 無 | 有 | 無 | 有 | 済 | |
172 | クモハ 170 |
15600×2110×3190 | 14.8 | 73 (28) |
KD219 KD219A |
38kw×2 | 無 | 有 | 無 | 有 | 有 | 済 | |
K73 | 273 | モ 270 |
15600×2110×3670 | 15.6 | 75 (40) |
KD219 | 38kw×4 | 有 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 |
136 | サ 130 |
11380×2130×3190 | 9.0 | 65 (32) |
KD219G | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
142 | サ 140-1 |
11380×2130×3256 | 9.1 | 62 (29) |
NT-7K | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
141 | ク 140 |
11380×2130×3256 | 10.4 | 61 (28) |
NT-7K | 無 | 無 | 有 | 無 | 有 | 無 | 無 | |
K74 | 274 | モ 270 |
15600×2110×3670 | 15.6 | 75 (40) |
KD219 | 38kw×4 | 有 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 |
137 | サ 130 |
11380×2130×3190 | 9.0 | 65 (32) |
KD219G | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
144 | サ 140-1 |
11380×2130×3256 | 9.1 | 62 (29) |
NT-7K | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
142 | ク 140 |
11380×2130×3256 | 10.4 | 61 (28) |
NT-7K | 無 | 無 | 有 | 無 | 有 | 無 | 無 | |
K75 | 275 | モ 270 |
15600×2110×3670 | 15.6 | 75 (40) |
KD219 | 38kw×4 | 有 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 |
138 | サ 130 |
11380×2130×3190 | 9.0 | 65 (32) |
KD219B | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
145 | ク 140 |
11380×2130×3256 | 10.4 | 61 (28) |
NT-7K | 無 | 無 | 有 | 無 | 有 | 無 | 無 | |
K76 | 276 | モ 270 |
15600×2110×3670 | 15.6 | 75 (40) |
KD219 | 38kw×4 | 有 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 |
135 | サ 130 |
11380×2130×3190 | 9.0 | 65 (32) |
KD219G | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
134 | ク 130 |
11380×2130×3419 | 10.5 | 57 (28) |
KD219E | 無 | 無 | 有 | 無 | 有 | 無 | 無 | |
K77 | 277 | モ 277 |
15600×2110×3670 | 13.8 | 72 (24) |
KD219F | 38kw×4 | 有 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 |
201 | サ 200 |
10750×2130×3171 | 10.4 | 65 (30) |
ND106K | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
101 | サ 100 |
10700×2130×3171 | 7.6 | 68 (32) |
ND106AK | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | 無 | |
202 | ク 200 |
10750×2130×3190 | 11.0 | 63 (28) |
ND106K | 無 | 無 | 有 | 無 | 有 | 無 | 無 |
↓西桑名 方
[編集] 過去の在籍形式
- 北勢鉄道1形蒸気機関車
- 北勢鉄道4形蒸気機関車
- 21・31形
- 北勢鉄道8形蒸気機関車
- サニ401・411・421・サ451形
- モニ220・モ220・ク220形
- 71形
- サニ431・サ100・150形
- 61形
- D21形
[編集] 利用状況
[編集] 北勢線の輸送実績変遷
北勢線の過去からの輸送実績を下表に記した。北勢線と三岐線は員弁川の左岸・右岸にほぼ平行して敷設されているが、過去は北勢線の方が圧倒的に輸送量が多かった。特に1945年(昭和20年)~1975年(昭和50年)にかけては北勢線の輸送量は三岐線のそれに比べ1.5~2倍程度あった。これは、北勢線が三岐線に比べ、沿線の人口が多いことや沿線の開発が進んでいること、起点駅(北勢線:JR・近鉄桑名駅、三岐線:JR富田駅)の優劣の差があることが挙げられる。ところが、1975年(昭和50年)以降、北勢線の輸送量は激減の一途をたどり、1994年(平成6年)には三岐線の数値を下回ってしまう。また、最近では三岐線の輸送量の6~7割程度まで落ち込んでいる。これは、三岐線が、起点駅(近鉄富田駅)への乗り入れ・乗り継ぎ改善、列車のスピードアップ、駅のパークアンドライド・キスアンドライド施設の拡充、車両の冷房化などの施策を実施し効果を挙げているのに対し、北勢線においてはこのような施策は実施されておらず、この差が輸送実績の差に明確に表れているといえる。過去、近鉄時代の北勢線では1977~78年(昭和52~53年)に新車8両の導入・信号の単線自動化・ATS新設・西桑名駅の小移転等の大規模な近代化工事が実施されたが、この時期においても北勢線の輸送量が大幅に上昇ことは無かった。ただ、この近代化工事は北勢線の保安度向上を図るという点では画期的かつ意義深いものであった。このように輸送量が激減してしまった北勢線ではあるが、過去の統計(北勢線の輸送量が三岐線のそれに比べ1.5~2倍程度あったこと)に基づけば、まだまだ潜在需要があるといえ、今後の取り組み如何では輸送量が伸びる余地が充分にあるともいえる。近年、旅客の減少傾向が続いていたが最近では下げ止まり、2005年度(平成17年度)には上昇傾向に転じている。2005年度(平成17年度)は、2004年度(平成16年度)と比較して、旅客数で約7%、収入で約11%増加した。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。データのある年度のみ記載した。表中、1965年(昭和40年)以降における最高値を赤色の枠で、最低値を青色の枠で囲んで表記している。 1958年(昭和33年)以外の三重交通時代の北勢線単独輸送人員データが無いため、三重交通鉄道線輸送人員(北勢線・三重線・松阪線・志摩線{神都線は含まない}の合計)から、1958年(昭和33年)のデータをもとに按分計算したものを()書きにて表中に記した。また、1965年(昭和40年)から1974年(昭和49年)にかけては、西桑名駅での近鉄他線区乗換人員データが無いため、このデータのある1958年(昭和33年)と1975年(昭和50年)のデータをもとに按分計算したものを[]書きにて表中に記した。
年 度 | 北勢線輸送人員(乗車人員) 万人/年度 |
三岐線 輸送人員 {参考} |
三重交通 鉄道線 輸送人員 {参考} |
北 勢 線 特 記 事 項 | 北勢線 運 営 主 体 |
|||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | |||||
1914年(大正3年) | 大山田(現:西桑名)-楚原間開通 | 北勢鉄道 | ||||||
1925年(大正14年) | 64.6 | |||||||
1929年(昭和4年) | 75.6 | |||||||
1931年(昭和6年) | 22.5 | 北勢線・三岐線全通 | ||||||
1932年(昭和7年) | 66.4 | 35.1 | ||||||
1935年(昭和10年) | 73.0 | 41.7 | ||||||
1939年(昭和14年) | 104.0 | 56.4 | ||||||
1942年(昭和17年) | 214.8 | 79.3 | ||||||
1944年(昭和19年) | (251.7) | 126.7 | 1216.2 | 合併により三重交通による運営になる | 三重交通 | |||
1945年(昭和20年) | (331.1) | 193.9 | 1600.3 | |||||
1946年(昭和21年) | (397.8) | 227.4 | 1922.4 | |||||
1947年(昭和22年) | (465.5) | 227.9 | 2249.9 | |||||
1948年(昭和23年) | (296.2) | 169.1 | 1431.3 | |||||
1949年(昭和24年) | (289.8) | 152.9 | 1400.3 | |||||
1950年(昭和25年) | (300.8) | 166.3 | 1453.6 | |||||
1951年(昭和26年) | (318.8) | 183.5 | 1540.6 | |||||
1952年(昭和27年) | (291.7) | 182.5 | 1409.8 | |||||
1953年(昭和28年) | (297.9) | 183.8 | 1439.7 | |||||
1954年(昭和29年) | (308.0) | 203.3 | 1488.6 | |||||
1955年(昭和30年) | (317.1) | 199.9 | 1532.6 | |||||
1956年(昭和31年) | (340.9) | 211.8 | 1647.7 | |||||
1957年(昭和32年) | (355.4) | 213.3 | 1717.7 | |||||
1958年(昭和33年) | 206.8 | ←←← | 156.8 | 363.6 | 213.8 | 1757.2 | ||
1959年(昭和34年) | (373.2) | 234.5 | 1803.7 | |||||
1960年(昭和35年) | (417.8) | 265.8 | 2019.2 | |||||
1961年(昭和36年) | (450.0) | 284.9 | 2173.2 | |||||
1962年(昭和37年) | (480.5) | 310.6 | 2322.0 | |||||
1963年(昭和38年) | 328.2 | |||||||
1964年(昭和39年) | 334.5 | 三重電気鉄道に移管 | 三重電気鉄道 | |||||
1965年(昭和40年) | [421.5] | ←←← | [193.1] | [614.5] | 390.3 | 合併により近鉄による運営になる | 近畿日本鉄道 | |
1966年(昭和41年) | [436.9] | ←←← | [170.3] | [607.1] | 410.1 | |||
1967年(昭和42年) | [420.6] | ←←← | [165.5] | [586.1] | 401.6 | |||
1968年(昭和43年) | [405.8] | ←←← | [169.5] | [575.3] | 394.1 | |||
1969年(昭和44年) | [408.3] | ←←← | [182.6] | [590.9] | 389.6 | |||
1970年(昭和45年) | [411.3] | ←←← | [174.7] | [586.0] | 389.4 | |||
1971年(昭和46年) | [423.5] | ←←← | [151.3] | [574.8] | 411.1 | |||
1972年(昭和47年) | [423.9] | ←←← | [149.7] | [573.5] | 413.3 | |||
1973年(昭和48年) | [441.8] | ←←← | [162.7] | [604.5] | 432.4 | (三岐線輸送量最大を記録) | ||
1974年(昭和49年) | [446.5] | ←←← | [156.8] | [603.4] | 429.0 | |||
1975年(昭和50年) | 437.0 | ←←← | 160.1 | 597.1 | 426.3 | |||
1976年(昭和51年) | 422.5 | ←←← | 131.0 | 553.5 | 411.6 | |||
1977年(昭和52年) | 417.5 | ←←← | 131.6 | 549.1 | 415.6 | 新車8両導入・西桑名駅小移転 | ||
1978年(昭和53年) | 418.3 | ←←← | 132.2 | 550.5 | 395.1 | 単線自動化・ATS設置 | ||
1979年(昭和54年) | 416.7 | ←←← | 120.8 | 537.5 | 404.1 | |||
1980年(昭和55年) | 416.6 | ←←← | 123.1 | 539.7 | 414.0 | |||
1981年(昭和56年) | 396.8 | ←←← | 114.1 | 510.9 | 421.3 | |||
1982年(昭和57年) | 376.7 | ←←← | 110.7 | 487.4 | 410.3 | |||
1983年(昭和58年) | 376.3 | ←←← | 108.4 | 484.7 | 396.5 | |||
1984年(昭和59年) | 367.8 | ←←← | 100.8 | 468.6 | 374.4 | |||
1985年(昭和60年) | 357.4 | ←←← | 98.3 | 455.7 | 371.5 | |||
1986年(昭和61年) | 358.3 | ←←← | 97.6 | 455.9 | 373.2 | |||
1987年(昭和62年) | 349.0 | ←←← | 90.2 | 439.2 | 369.8 | |||
1988年(昭和63年) | 344.2 | ←←← | 85.4 | 429.6 | 377.6 | |||
1989年(平成元年) | 128.7 | 200.0 | 82.9 | 411.6 | 374.3 | |||
1990年(平成2年) | 124.3 | 208.5 | 84.1 | 416.8 | 392.9 | |||
1991年(平成3年) | 123.9 | 210.3 | 85.5 | 419.6 | 394.3 | |||
1992年(平成4年) | 117.3 | 201.8 | 86.4 | 405.5 | 397.2 | |||
1993年(平成5年) | 111.6 | 194.3 | 83.6 | 389.5 | 391.7 | |||
1994年(平成6年) | 104.9 | 187.4 | 78.9 | 371.1 | 375.8 | |||
1995年(平成7年) | 99.4 | 182.0 | 81.7 | 363.1 | 361.9 | |||
1996年(平成8年) | 92.9 | 175.1 | 77.9 | 345.9 | 356.6 | |||
1997年(平成9年) | 86.6 | 161.7 | 69.9 | 318.2 | 329.0 | |||
1998年(平成10年) | 79.3 | 154.4 | 66.9 | 300.7 | 329.2 | |||
1999年(平成11年) | 75.6 | 154.5 | 63.6 | 293.7 | 318.9 | |||
2000年(平成12年) | 70.6 | 152.6 | 58.6 | 281.8 | 318.4 | 近鉄が北勢線廃止を表明 | ||
2001年(平成13年) | 63.4 | 140.8 | 57.2 | 261.4 | 320.3 | |||
2002年(平成14年) | 55.0 | 130.7 | 55.0 | 240.7 | 313.2 | |||
2003年(平成15年) | 52.7 | 98.4 | 55.0 | 206.1 | 316.4 | 近鉄から三岐鉄道に運営移管 | 三岐鉄道 | |
2004年(平成16年) | 47.6 | 88.0 | 56.7 | 192.3 | 320.5 | 北勢線輸送量過去最低(開業当初除く) 2008年までに高速化事業 |
||
2005年(平成17年) | 51.4 | 86.4 | 67.9 | 205.7 | 326.3 | |||
2006年(平成18年) | 2008年までに桑名延伸 2009年までに車両冷房化 |
[編集] 北勢線と並行バス路線
以前は、北勢線西桑名~阿下喜間に完全に並行してバス路線があり、北勢線よりもバスの方が早く運転本数も多かった。最近では、北勢線で高速化および列車増発・終列車の繰り下げが行われる一方、バスにおいては北勢線の利便性向上に伴い、バス利用者の逸走による減少から減便・最終便の繰り上げ・益生駅前(最短経路)経由便の廃止等が行なわれた。現在では、桑名対星川以遠の各区間、桑名~西別所間で平行バス路線が設定されているが、西別所~星川間には平行バス路線の設定は無くなった。また、大半の時間帯において、バスよりも北勢線の方が早く運転本数も多くなった。その結果、北勢線の利用者および駅周辺では飛躍的に利便性が向上したが、駅のない地域のバス利用者の買い物・通院などにはかえって不便になった(平行路線バスルート上の医療施設は3ヵ所、内1ヵ所はバス廃止により公共交通手段がまったく失われた)。
- 桑名-阿下喜間の鉄道とバスの比較
年 月 日 | 交通 機関 種別 |
運 転 本 数 | 運 転 所 要 時 分 | 運 転 時 間 帯 | 大人 運賃 |
---|---|---|---|---|---|
2003年 (平成15年) 4月1日現在 |
鉄道 | 1日17.5往復 概ね1時間に 1~2本(朝ラッシュ時) 1本(朝ラッシュ以外) 0.5本(11~12時台) |
概ね52~60分 (時間帯によっては52~71分) |
西桑名発5:42~22:30 (阿下喜行き最終は21:30) 阿下喜発5:46~21:50 |
460円 |
バス | 概ね1時間に2本 | 概ね46~53分 (時間帯によっては44~56分) |
桑名駅前発7時頃~20時半頃 阿下喜発6時頃~19時頃 |
660円 | |
2003年 (平成15年) 9月1日現在 |
鉄道 | 1日21.5往復 概ね1時間に 1~2本(朝ラッシュ時) 1本(昼間) 1~2本(夕方から深夜まで) |
概ね52~60分 (時間帯によっては52~74分) |
西桑名発5:34~23:00 阿下喜発5:37~22:18 |
460円 |
バス | 概ね1時間に2本 | 概ね46~53分 (時間帯によっては44~56分) |
桑名駅前発7時頃~20時半頃 阿下喜発6時頃~19時頃 |
660円 | |
2005年 (平成17年) 3月26日現在 |
鉄道 | 1日23.5往復 概ね1時間に 1~2本(朝ラッシュ時) 1本(午前中) 1~2本(午後から深夜まで) |
概ね49~55分 (時間帯によっては49~62分) |
西桑名発5:38~23:00 阿下喜発5:38~22:19 |
460円 |
バス | 概ね1時間に2本 | 概ね46~53分 (時間帯によっては44~56分) |
桑名駅前発7時頃~20時半頃 阿下喜発6時頃~19時頃 |
660円 | |
2006年 (平成18年) 4月1日現在 |
鉄道 | 1日30.5往復 概ね1時間に 1~3本(朝ラッシュ時) 1本(午前中) 2本(午後から深夜まで) |
概ね47~56分 (時間帯によっては47~62分) |
西桑名発5:36~23:00 阿下喜発5:37~22:27 |
460円 |
バス | 平日1日24往復 概ね1時間に2本 (昼間一部時間帯では 1時間に1本) |
概ね46~53分 (時間帯によっては44~56分) |
桑名駅前発平日7:10~20:20 阿下喜発平日6:15~19:10 |
660円 | |
2006年 (平成18年) 12月20日現在 |
鉄道 | 1日30.5往復 概ね1時間に 1~3本(朝ラッシュ時) 1本(午前中) 2本(午後から深夜まで) |
概ね47~56分 (時間帯によっては47~62分) |
西桑名発5:36~23:00 阿下喜発5:37~22:27 |
460円 |
バス | 平日1日17往復 概ね1時間に1本 (一部時間帯では1時間に2本) |
概ね53分 (時間帯によっては51~53分) ※最短経路の益生駅前経由便廃止 |
桑名駅前発平日7:10~20:00 阿下喜発平日6:00~18:10 |
660円 |
[編集] 北勢線活性化・リニューアル事業
北勢線の活性化をはかるため、大きく分類して、「北勢線高速化事業」「西桑名駅乗り継ぎ円滑化事業」「北勢線近代化事業」「その他リニューアル事業など」の4事業が進められている。
[編集] 北勢線高速化事業
2004年(平成16年)4月より、5ヵ年の計画で、「北勢線高速化事業」(国・県・市町による幹線鉄道活性化補助事業)が開始され、当初阿下喜→西桑名間52分であったものを10分短縮して42分運転にすることを目指している(現在のところ、阿下喜→西桑名間47分運転を達成している)。主な事業内容としては、駅の新設、列車行き違い設備新設、阿下喜駅2線化設備新設、一部の駅の廃止・撤去、旧駅構内曲線改良駅撤去、橋梁改修、北大社変電所出力増強、電路支持物改良・き電線増強工事などがあり、このうち一部の工事は完成・施設供用開始している。
[編集] 西桑名駅乗り継ぎ円滑化事業
2006年(平成18年)4月より、3ヵ年の計画で、「北勢線西桑名駅乗り継ぎ円滑化事業」(国・県・市町による幹線鉄道活性化補助事業)が開始され、北勢線西桑名駅は現在よりも北側に移設され、線路も起点側に延長される計画である。また、本事業とは別にJR・近鉄桑名駅も橋上駅舎化の上、現在よりも南側に移設される計画で、両駅間での乗り換えの利便性が向上される。
[編集] 北勢線近代化事業
2004年(平成16年)4月より、「北勢線近代化事業」(国・県・市町による鉄道軌道近代化設備整備費補助事業)が開始され、車両の冷房化・高速化工事、駅務機器の自動化システム整備、東員駅舎整備、CTCの整備等が行われている。
[編集] 車両の冷房化・高速化
近鉄からの運営移管時は、使用されている車両の全てに空調設備がなかったが、2006年(平成18年)8月から空調設備を装備する車両(3両編成の1本のみ)の運行を開始した。今後の計画として、2006年(平成18年)12月には3両編成の1本、2007年(平成19年)には2本、2008年(平成20年)には2本、2009年(平成21年)には1本の編成に空調装置を装備させ冷房化率100%を達成させる計画である。空調装置は一般の電車のように屋根上に装備するのではなく、客室内の床上に設置されている(15m車は1両当たり2台、10m車は1両当たり1台)。
また、冷房化と同時並行で車両の高速走行対応化工事(70km/h)も施工されている。具体的な改造内容としては、モーターの分散配置、制御段に弱界磁段を追加、ATS制御段を追加したことなどである。ただし、地上側の軌道・信号設備が高速化未対応のため、現状での運転最高速度は従前通り45km/hにとどまっている。
[編集] 駅務機器の自動化システム整備
(1)無賃乗車の防止、(2)降車駅での旅客の精算を不要とし旅客へのサービス向上を図る、(3)駅務員等の人件費節減を図るため、各駅に自動券売機・自動精算機・自動改札機・旅客案内放送装置・インターホン・監視カメラの配備が進行中である。東員駅 において各駅(西桑名駅・馬道駅上りホーム・蓮花寺駅を除く )の遠隔監視(各駅の状況の確認、各駅の自動券売機・自動精算機・自動改札機遠隔操作、各駅への旅客案内放送の実施、各駅からのインターホンでの問い合わせ対応、各駅のシャッターの開閉)ができるようになっている。
[編集] 東員駅舎整備・CTCの整備
西桑名駅および北大社駅に分散していた現場運転・駅務部門を新設する東員駅に集約し、あわせて東員駅にCTCを整備し各駅の信号制御を東員駅から集中監視することとした。本工事は、2005年(平成17年)3月に終了した。
[編集] その他リニューアル事業など
合理化、高速化の一環として駅の統廃合などが行われている。 軌間に比して車両が大きいため、走行中の揺れは他の鉄道と比べてかなり大きい。これを解消するために軌道強化工事(レールを重たく丈夫なものに交換する等)が継続的に実施されている。 近鉄時代は、同じく762mm軌間の近鉄八王子線・近鉄内部線と共に、対向列車との行き違いを行なう駅では右側通行であったが、三岐鉄道に移管後は一般的な左側通行に改められた。