只見線
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只見線(ただみせん)は、福島県会津若松市の会津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):会津若松~小出 135.2km(基本計画上は起終点が逆転)
- 軌間:1067mm
- 駅数:38駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式 会津若松駅~西若松間)、タブレット閉塞式(西若松~小出間)
[編集] 概要
豪雪地帯を走る路線で、並行する国道252号は福島・新潟県境の積雪量が多いために冬季通行止めとなることから、冬季には只見地区から新潟県へ抜ける唯一の交通手段となる。このような特殊事情により、経営に困難のある非常な閑散路線でありながら、国鉄再建法による赤字ローカル線廃止の対象除外となり、現代に至るまで路線廃止を免れている。なお冬季の積雪量によっては只見線も運休する事が多い。
会津若松から会津坂下までは会津盆地の南方をU字状に大迂回、その先は山間部に入り、屈曲し小ダムの多い只見川沿いの谷間を、上流へと奥深く遡って行く。田子倉湖付近から長大な六十里越トンネルで県境を越え、破間川(あぶるまがわ)沿いに谷を下り、破間川が魚野川に合流する小出へと至る。
沿線の多くは只見川沿いの山村で、会津盆地・新潟県内も含め全線でローカル色の濃いひなびた車窓風景が続く。新潟寄りは非常な豪雪地帯で、冬期には除雪車が出動する。
[編集] 運行形態
1972年から1988年まで急行「奥只見」が運行されていたが、現在は普通列車のみの運行である。基本的に全列車線内折り返しで、運転頻度は1日6~7本程度。全線通しで運転される列車は3往復程度しかないが、磐越西線や上越線方面からの臨時列車が何本か設定されている。会津若松駅~西若松駅間は会津鉄道の列車も乗り入れる。列車の速度は遅く、全線走破には4時間以上を要する。会津若松駅から小出駅へ向かう方面が下り列車であり、その逆方面が上り列車である。
[編集] 使用車両
すべて郡山総合車両センターに所属。
- すべて非冷房・エンジン未更新車であり、ロングシート車(2007年現在キハ40 542、578、579の3両)も含まれる。これらは、便所も完全に撤去されている。また、40 550、40 2025は座席が削減された3列クロスシート車である。
- 特有の設備として、NTTドコモの衛星電話が装備されている。一部で列車無線が通じない区間があるからである。
他に臨時列車として新津運輸区所属のキハ58系や真岡鐵道のC11形蒸気機関車、小牛田運輸区のびゅうコースター風っこ等がシーズン中に入線することがある。
特記事項として、2007年2月10日~11日の只見雪祭り号臨時列車に秋田車両センター所属の元よねしろ用キハ58系が2連で入線した。
なお、会津若松~西若松間を走行する会津鉄道からの乗り入れ車両は会津鉄道の車両(気動車)を参照のこと。
[編集] 歴史
若松(会津若松)~会津柳津間は、軽便鉄道法により計画されたもので、会津線の名称で1928年までに開業した。会津柳津~小出間は、改正鉄道敷設法別表第29号前段に規定する予定線「福島県柳津ヨリ只見ヲ経テ新潟県小出ニ至ル鉄道」である。会津柳津からはそのまま会津線の延長として1941年に会津宮下まで、小出からは1942年に大白川までが只見線として開業した。
戦後は、田子倉ダムの建設のため、1956年に会津宮下~会津川口間が開業。会津川口から只見を経てダムサイトまでは、電源開発株式会社の専用鉄道として敷設され、1957年から1961年までダム建設輸送に使用された。田子倉ダム完成後は、会津川口~只見間を国鉄の営業線として使用するための改良が施され、1963年に国鉄線として開業した。また、大白川地区では1942年~1968年の間珪石の採掘事業が行われ、その運搬用としても利用されていた。全通前の昭和30年代後半~40年代前半が最も乗降客数・貨物輸送量数が多かったとされる。
1971年に地元住民の悲願であった只見~大白川間の開業により全通し、会津線の会津若松~只見間を分離して只見線と統合した。
[編集] 会津線(会津若松~只見)
- 1926年(大正15年)10月15日 【開業】会津線 会津若松~会津坂下(21.6km) 【駅新設】西若松、会津本郷、会津高田、新鶴、会津坂下
- 1928年(昭和3年)11月20日 【延伸開業】会津坂下~会津柳津(11.7km) 【駅新設】塔寺、会津坂本、会津柳津
- 1934年(昭和9年)11月1日 【駅新設】七日町、根岸、若宮
- 1941年(昭和16年)10月28日 【延伸開業】会津柳津~会津宮下(12.1km) 【駅新設】郷戸、滝谷、会津檜原(仮停車場)、会津西方、会津宮下
- 1942年(昭和17年)6月1日 【仮停車場→駅】会津檜原
- 1956年(昭和31年)9月20日 【延伸開業】会津宮下~会津川口(15.4km) 【駅新設】早戸、会津水沼、会津中川、会津川口
- 1957年(昭和32年)12月~1961年(昭和36年)12月 会津川口~只見間 電源開発(株)専用鉄道貨物輸送実施
- 1963年(昭和38年)8月20日 【延伸開業】会津川口~只見(27.6km) 【駅新設】会津横田、会津蒲生、只見
- 1965年(昭和40年)2月1日 【駅新設】本名、会津越川、会津大塩、会津塩沢
[編集] 只見線(小出~大白川)
- 1942年(昭和17年)11月1日 【開業】只見線 小出~大白川(26.0km) 【駅新設】越後広瀬、越後須原、入広瀬、大白川 【信号場新設】一ツ橋(入広瀬~大白川間。専用線発着貨物取扱い)
- 1951年(昭和26年)3月1日? 【仮乗降場新設】藪神、魚沼田中、上条、柿ノ木
- 1951年(昭和26年)10月1日 【仮乗降場→駅】藪神、魚沼田中、上条
- 1954年(昭和29年)10月1日 【信号場廃止】一ツ橋
- 1954年(昭和29年)12月10日 【仮乗降場新設】黒又川(入広瀬~柿ノ木(仮)間)
- 1965年(昭和40年)7月15日? 【仮乗降場廃止】黒又川
[編集] 全通以後
- 1971年(昭和46年)8月29日 【延伸開業】只見~大白川(20.8km)旅客営業のみ 【駅新設】田子倉 【路線統合】会津若松~只見間を会津線から分離して只見線と統合。只見線 会津若松~小出(135.2km)
- 1972年(昭和47年)10月2日 客車普通列車を廃止し旅客列車をすべて気動車化。
- 1974年(昭和49年)10月31日 蒸気機関車が最後の運転。
- 1980年(昭和55年)10月1日 【貨物営業廃止】大白川~小出(-26.0km)
- 1980年(昭和55年)12月1日 【事故不通】(早戸~会津宮下で線路に落石があり、上り回送列車が乗り上げ脱線、先頭車が鉄橋脇に転落した事故による。運転士が負傷。運行再開月日は不明)
- 1982年(昭和57年)8月1日 【貨物営業廃止】西若松~只見(-85.3km)
- 1987年(昭和62年)4月1日 【承継】東日本旅客鉄道(第1種・小出~会津若松(基本計画では起終点が逆転))・日本貨物鉄道(第2種・西若松~会津若松 3.1km) 【仮乗降場→駅】柿ノ木
- 1999年(平成11年)4月1日 【第二種鉄道事業廃止】西若松~会津若松(-3.1km)
- 2001年(平成13年)12月1日 【駅→臨時駅】田子倉(冬季休業化。時刻表に臨時駅の表示なし)
- 2004年(平成16年)10月23日 【災害不通】只見~小出(新潟県中越地震による)
- 2004年(平成16年)11月20日 【運行再開】只見~小出
- 2005年(平成17年)3月12日 【事故不通】只見~会津坂下・会津宮下(バス代行)(会津水沼~早戸間の斜面が雪解けに伴い大規模に崩落、その土砂に下り列車が乗り上げ先頭車が脱線した事故による。同年4月8日運行再開)
- 前後の冬の豪雪と後述の橋げた接触事故とあいまって半年間近くがバス代行という異常な事態になった。
- 2005年(平成17年)6月9日 【事故不通】只見~会津宮下(バス代行)(只見線を跨いで只見川に架かっていた町道の橋梁の撤去作業中に、橋げたが一部落下、列車が接触破損した事故による。同年7月1日運行再開)
- 上記事故による只見線用車両4両破損のため2005年(平成17年)7月~2006年(平成18年)3月の間、小牛田(キハ40548)・秋田(キハ481507)・八戸(第1次キハ40558、キハ48539・第2次キハ40593、キハ481547)各区より車両を借り入れて運行。秋田車は冷房車のため利用客に好評であった。また、八戸区第2次車両は翌年3月まで只見線で運行された。
[編集] 過去に運行された優等列車
[編集] 多層階建て急行「いなわしろ」
1968年に、従来「あいづ」として仙台駅~喜多方駅間を運行していた準急列車の名称を変更し、会津線会津田島駅・会津川口駅(季節列車として只見駅まで延長)・喜多方駅の3方向からの列車を会津若松駅で取りまとめて仙台駅へ向かう形態で運行を開始した。
この列車の特色は、気動車の機動性を生かし超多層階建て列車として運用されたことにあろう。キハ55系等のほか、会津線系統直通には、本来普通列車用だが単行運転可能なキハ52形等が充当された。
併結相手は会津若松駅~仙台駅間の急行「あがの」(喜多方駅発の「いなわしろ」が無い号便に限る)、郡山駅~仙台駅間の急行「いわき」である。沿線は豪雪地帯であり、冬期間のダイヤ確保は、併結相手が遅延して何時間経ってもやってこない状況が生じるなど苛烈を極めたが、主要道の除雪もままならない時代でもあり、地域住民の貴重な足として運行され続けた。1982年、東北新幹線開業に伴う大規模ダイヤ改正に伴い廃止された。
多層階建ての列車の宿命として、複雑な運転系統に伴う運用上の錯綜があった。ここではその例として、1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正時の上下の「いなわしろ2号」の場合を挙げる。
- 下り「いなわしろ2号」
- 上り「いなわしろ2号」
- 「いなわしろ2号」は仙台始発であるが、始発時点で水戸行きの「いわき2号」を併結。福島駅で「いわき2号」の福島始発列車を併結し、郡山駅で「いわき2号」と別れて磐越西線に入り、会津若松駅で会津田島行き、会津川口(只見)行き、喜多方行きの3つの列車に分割されてそれぞれの終点に向かった。
「いなわしろ」、「あがの」、「いわき」と行き先が異なる上、それぞれ連結する相手の号便が異なること、多層階になった後も福島駅で分割・併合するなどしたため、時刻表の表記も各駅の乗車案内も困難を極めた。何よりも乗客自身、乗っている号車が目的地にたどり着くのか確認することすら苦労したようである。
[編集] 冬季運休急行「奥只見」
奥只見(おくただみ)は、1972年10月より1988年3月(実質1987年11月末日)まで小出駅~会津若松駅間に運行されていた列車である。定期列車であったが、利用度および車両運用を配慮して冬季の12月から翌年の3月まで運休する措置がとられていた特異な列車であった。表定速度は、只見線の線路条件の悪さ、運転士が1人乗務のためタブレットの通過取り扱いができないことによる交換駅全停車などにより40km/h程度に留まり、全線走破には3時間半程度を要した。車両は一貫して58系気動車で、非冷房車の3連であった。なお、1971年8月から同年10月までは、臨時列車として運転され、只見駅から上越線経由で上野駅まで乗り入れていた。上越線内では当時上野駅~秋田駅間に運転されていた急行「鳥海」と併結運転していた。
2006年7月15・16日には浦佐駅~会津若松駅間で復活運転が行われる予定だったが、その日は大雨の影響により運休となり、9月23日に改めて運転された。
[編集] 駅一覧
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
会津若松駅 * | 0.0 | 東日本旅客鉄道:磐越西線 | 福島県 | 会津若松市 |
七日町駅 | 1.3 | |||
西若松駅 * | 3.1 | 会津鉄道:会津線 | ||
会津本郷駅 | 6.5 | |||
会津高田駅 | 11.3 | 大沼郡会津美里町 | ||
根岸駅 | 14.8 | |||
新鶴駅 | 16.8 | |||
若宮駅 | 18.9 | 河沼郡会津坂下町 | ||
会津坂下駅 * | 21.6 | |||
塔寺駅 | 26.0 | |||
会津坂本駅 | 29.7 | |||
会津柳津駅 | 33.3 | 河沼郡柳津町 | ||
郷戸駅 | 36.9 | |||
滝谷駅 | 39.6 | |||
会津桧原駅 | 41.5 | 大沼郡三島町 | ||
会津西方駅 | 43.7 | |||
会津宮下駅 * | 45.4 | |||
早戸駅 | 51.2 | |||
会津水沼駅 | 55.1 | 大沼郡金山町 | ||
会津中川駅 | 58.3 | |||
会津川口駅 * | 60.8 | |||
本名駅 | 63.6 | |||
会津越川駅 | 70.0 | |||
会津横田駅 | 73.2 | |||
会津大塩駅 | 75.4 | |||
会津塩沢駅 | 80.9 | 南会津郡只見町 | ||
会津蒲生駅 | 83.9 | |||
只見駅 * | 88.4 | |||
(臨)田子倉駅 | 95.0 | |||
大白川駅 * | 109.2 | 新潟県 | 魚沼市 | |
柿ノ木駅 | 112.4 | |||
入広瀬駅 | 115.6 | |||
上条駅 | 118.7 | |||
越後須原駅 | 123.1 | |||
魚沼田中駅 | 127.0 | |||
越後広瀬駅 | 129.5 | |||
藪神駅 | 131.6 | |||
小出駅 * | 135.2 | 東日本旅客鉄道:上越線 |
- *は交換可能駅
国鉄・JRの他の駅名と被らないように地方名の「会津」(この地域の旧国名は「岩代」であるがこちらは使われていない)を冠した駅が非常に多い。根岸駅が根岸線根岸駅と同名なのは、根岸線の駅のほうが遅れて開業したことによる。