幸手市
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幸手市(さってし)は、埼玉県東部に位置し、人口約5万4千の市である。埼玉県の市の中では人口が最も少ない。
江戸時代から日光御成街道と日光街道(奥州街道)の合流点に位置する宿場町として栄えていた。市内には徳川将軍が日光東照宮へ墓参する際に立ち寄った聖福寺や明治天皇が行幸した折に宿泊した行在所跡が残る。
近年では都心の地価下落による人口の都心回帰により人口が減少している。2004年度末頃から幸手駅東口の拡張工事が急ピッチで進められている。それに伴い幸手駅前にあった東武ストア幸手店は加須店に吸収され、不二家駅前店はベルク幸手南店(御成街道沿い)に移転した。西口開設は用地取得も進みある程度の進展を見せている。また近年市の南西部の国道4号沿いに多くの店舗が出店し利便性が増しているが、一方で市の中心部の商店街の集客力の減少が指摘されている。
目次 |
[編集] 地理
関東平野のほぼ中央、埼玉県の東北部、都心より約50kmに位置する。低地が中心であり、土地の起伏はほとんどないが、一部に低い土地がある。南北に東武日光線と国道4号が平行して走る。国道4号と市街地の旧道を中心として放射状に加須市、久喜市、野田市(関宿地区)など周辺地域への県道が伸びている。
[編集] 歴史
[編集] 沿革
[編集] 近代以前
- 「さって」の「さっ」は、アイヌ語(Sat=乾いた)に起源するという説もあるがあくまでも様々な説の一つである。正確な語源としては幸手の地名は、この地に日本武尊が東征に際して「薩手が島」に上陸、田宮の雷電神社に農業神を祭ったという言い伝えが残っており、「幸手」の市名はその薩手(さって)に由来すると伝えられている。
- 鎌倉時代から江戸時代の初めにかけては古河公方の家臣一色氏の領地であったが、その後、大部分は天領に、関宿向川岸・槙野地は下総国関宿領となった。このころ、五街道が整備され、日光街道の宿場町として現在の市街地の基盤が形成される。
[編集] 近代以降
- 1889(明治22)年4月1日 - 町村制の施行に伴い、幸手宿、内国府間村が合併し北葛飾郡幸手町となる。(現在の中・北・西・南・東・緑台・大字幸手・大字内国府間の地域)
- 1929(昭和4)年4月1日 - 東武日光線幸手駅が開業。
- 1954(昭和29)年11月3日 - 旧幸手町、行幸村、上高野村、吉田村、権現堂川村が合併し、幸手町となる。
- 1955(昭和30)年1月1日 - 桜田(さくらだ)村の一部(中川崎・下川崎)が合併。
- 1955(昭和30)年4月1日 - 八代(やしろ)村、豊岡(とよおか)村の一部(中島・花島・槙野地)が合併し、現在の市域となる。
- 1986(昭和61)年10月1日 - 市制施行。
[編集] 平成の大合併における幸手市の動向
当初、増田実市長(当時、以下「前市長」)と市当局では隣接する茨城県五霞町との合併を目指して法定協議会を設立し準備を進めていたが、越境合併の難しさや住民アンケートの結果久喜市との合併を望んだ幸手市民が多かったため、前市長の方策に多くの疑問の声が上がった。 こういった経緯により久喜市との合併優先を主張する住民団体が設立され、前市長のリコールを求める署名運動を展開し、規定数まで達したため前市長に対するリコールを発議した。これに対し前市長は「市民に判断を委ねる」として市長職を辞し、市長選挙が告示された。これにより、リコール発議は無効化した。 前市長の辞職を受けて事実上、合併先を決定することになる市長選挙が実施されることになり、この住民団体等は元・久喜市水道課職員の町田英夫を統一候補として擁立し、前市長と町田の一対一の対決が行われた。その結果、町田が当選し、幸手市長に就任した。そして市長に就任すると、五霞町との法定協議会を解散し、久喜市・鷲宮町との優先合併に方針を転換した。(久喜水道課職員の町田が市長候補として擁立されたのは久喜市との合併を成立させるために久喜市長との繋がりのある氏が選ばれたのであるが、これは暗に久喜市長がリコール運動から連なる2市1町の合併の鍵を握っている人物だという事を示している。)
2市1町の合併を目指して、久喜市・鷲宮町の合併法定協議会に合流する形で準備が進められ、最終的な手続きとして3市町において住民投票が実施された。その結果、幸手市と鷲宮町では賛成票が過半数に達したが、市名問題などから久喜市だけが反対票が賛成票を上回り実質上、2市1町(久喜市、幸手市、鷲宮町)による合併は頓挫した。この結果、幸手市を含めた2市1町は法定期限内にどこの市町村とも合併できないという事態に陥った。
この前市長のリコール運動から始まった合併騒動は色々な問題点を市民に突きつける結果となった。 様々な情報が錯綜した結果、住民運動が過熱し市民が正常な判断を下せたのか等、多くの疑問が残る。 また、この合併は久喜市だけが反対票が上回る結果となった事から久喜市長に多くの批判の声が集まった。 幸手前市長のリコール発議から始まる一連の合併運動を実質上リードしてきたのは久喜市長だったため、合併賛成派からは氏の脇の甘さを反対派からは他の自治体の内政に過度に干渉した行為に多くの批判の声が集まった。
合併が頓挫した大きな要因の一つに、住民投票に先立って公募され決定した、合併後の新市名の名称の影響がある。新市名は「桜宮(さくらのみや)市」と決定されたが、実はこの名称に久喜市民の多くが拒否反応を示したと思われる。「桜宮市」という名称において、幸手市は観光名所で有名な「権現堂堤」を有し、鷲宮町には関東最古の神社といわれる「鷲宮神社」を有している。反面、久喜市には「桜」も「宮」も大きな意味を持ついわれが無く、この名称に久喜市民の多くが違和感を示したと思われる。(住民不在の合併への警鐘となる)また、住民投票告示後、久喜市や鷲宮町では合併反対派が幸手はインフラ整備が不十分で、合併後多くの税金が幸手のインフラ整備だけに使われてしまうといった内容のビラを撒くなどしたため、これが久喜市民に浸透したと見られる(ちなみに、用法的には逆になるが、この手法は先に近隣の宮代町でも合併反対派が「宮代の税金が全て新市中心部となる春日部地域の開発に回されてしまい、宮代の町は寂れてしまう」という形でビラ宣伝するなど用いており、決して久喜地域のオリジナルのアイデアではない。なお、宮代町のケースでもこの様な宣伝が効果を発揮する形で、春日部市などとの合併計画を白紙化に追い込んでいる)。
[編集] 行政
[編集] 市役所
- 市長:町田英夫
[編集] 財政
歳入に占める借金の割合である実質公債比率が18%を超えたため、借金に当たる地方債発行に県の許可が必要な地方債許可団体に移行
[編集] 県の地方機関、出先機関
[編集] 地域
[編集] 健康
[編集] 病院
- 埼玉県厚生連幸手総合病院
[編集] 教育
[編集] 小学校
- 幸手市立幸手小学校
- 幸手市立権現堂川小学校
- 幸手市立上高野小学校
- 幸手市立吉田小学校
- 幸手市立八代小学校
- 幸手市立行幸小学校
- 幸手市立さかえ小学校
- 幸手市立長倉小学校
- 幸手市立さくら小学校
- 幸手市立香日向小学校
[編集] 中学校
- 幸手市立幸手中学校
- 幸手市立東中学校
- 幸手市立栄中学校
- 幸手市立西中学校
[編集] 高等学校
[編集] 専修学校
- 幸手准看護学校
[編集] 閉校となった学校
- 幸手市立栄第一小学校
- 幸手市立栄第二小学校
- 幸手市立幸手東小学校
- 幸手市立緑台小学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- 市東部は朝日自動車の宮代町の東武動物公園駅行きのバス路線が通じており、地域住民はほとんど市内の幸手駅を使用しない。また市の北西部(香日向地区等)の最寄り駅は鷲宮町の東鷲宮駅、市の南西部(栄地区等)の最寄り駅は杉戸町の杉戸高野台駅である。
[編集] バス
[編集] タクシー
- 幸手タクシー
- 共和タクシー
[編集] 道路
- 一般国道
- 埼玉県道
[編集] 施設等
- 幸手市民文化会館(アスカル幸手)
- 保健福祉総合センター(ウェルス幸手)
- コミュニティーセンター
- 幸手市立図書館
- ひばりヶ丘球場
- 武道館
- 行幸湖(権現堂調整池)2004年彩の国まごころ国体カヌー競技開催
[編集] 名所・旧跡・観光スポット
- 権現堂堤(桜土手)・・・埼玉県内有数の桜並木があり、本数は約1000本。
- マリア地蔵
- 義賑窮餓之碑
- 神扇スプレー倉庫爆発跡(現在は更地)
[編集] 出身著名人
- 遠藤柳作(元貴族院議員)
- 三ッ林幸三(元衆議院議員、幸手町長)
- 三ッ林弥太郎(元衆議院議員、科学技術庁長官)
- 三ッ林隆志(衆議院議員、三ッ林弥太郎の次男)
- 秋谷昭治(埼玉県議会議員、元議長)
- 橘守部(国学者、青年期幸手宿に在住)
[編集] 外部リンク
- 埼玉県の自治体等
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