本田美奈子.
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本田美奈子. | ||
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基本情報 | ||
本名 | 工藤美奈子 | |
愛称 | 美奈子 | |
生年月日 | 1967年7月31日 | |
血液型 | A型 | |
学歴 | 堀越高等学校 (堀越学園)卒 | |
出身地 | 東京都葛飾区柴又 | |
死没地・日 | 2005年11月6日 | |
ジャンル | J-POP | |
職業 | 歌手 女優 |
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活動期間 | 1985年 - 2005年 | |
レーベル | 日本コロムビア | |
事務所 | BMI | |
共同作業者 | 岩谷時子 井上鑑 |
本田 美奈子.(ほんだ みなこ.、1967年7月31日 - 2005年11月6日)は、日本の歌手、女優、タレントである。本名は工藤 美奈子(くどう みなこ)。英語表記は『Minako Honda.』。
目次 |
[編集] 来歴
- 東京都葛飾区柴又生まれ(出生場所は東京都板橋区上赤塚町(現赤塚)の成増産院)、埼玉県朝霞市育ち。
- 東京成徳短期大学附属高等学校(現:東京成徳大学高等学校)普通科入学(芸能界デビューのため転校) → 堀越高等学校(堀越学園)卒業。同級生にいしのようこ、岡田有希子、長山洋子、南野陽子、森奈みはるらがいる。南野陽子とは堀越学園編入試験の頃から一緒だった。
- 血液型はO型→A型(臍帯血移植により変化)
[編集] 人物
『スター誕生!』決勝で落選。その後、原宿にてスカウトされ少女隊のオーディションを受けボンド企画に入る。1984年第8回長崎歌謡祭でグランプリ受賞。翌1985年アイドル歌手としてデビュー、同年、数多くの新人賞を受賞。
工藤夕貴と従妹関係にあるという噂があるが、このことについて工藤は、本田の逝去後において、マスコミ取材に対し「噂である」と否定している。芸名の由来については、本田より先にデビューした工藤夕貴と、名前が被らないようにとの配慮を理由に、世界的に活躍してほしいという意味を込め、自動車メーカーの HONDA に因んで付けたもの(当時松田聖子(MAZDA)が全盛期だった)としている。
1988年ロックバンド "MINAKO with WILD CATS" を結成、シングル『あなたと熱帯』、アルバム『WILD CATS』などを発表。その後、解散。
1990年中目黒にカラオケ喫茶「本田美奈子の店・5555(みなこ)」をオープン。
1992年上演のミュージカル『ミス・サイゴン』のオーディションに合格。 主役のキム役に選ばれ、その高い演技力が好評を得る。同年第30回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞。この作品は 1年半のロングランとなった。以降、ミュージカル女優としての活動が中心となる。
2003年5月、初のクラシックアルバム『AVE MARIA』をリリース。声楽的発声・歌唱法によるボーカルで、クラシック音楽界への進出となった。クラシック関係者の間では賛否両論ではあったが、クラシックという古い音楽を、現代の日本人にとってリアリティーのあるものにしているという点で、評価が高まっていた。
2004年11月、テレビ番組に出演した際に細木数子のアドバイスを受け、画数が31画となるよう名前の後に「.(ドット)」をつける改名(読み方は変わらず)を行った。
2005年1月、風邪と思い病院へ行ったところ急性骨髄性白血病と診断され緊急入院。現在の医学では白血病は必ずしも不治の病ではないが、彼女の場合染色体に異常があり、最初の治療で寛解導入できなかった予後不良のタイプだったという。骨髄移植は適合者がいなかったためにできず、3回の化学療法による治療後、5月に臍帯血移植を受け、7月末には一時退院できるまでに回復したかに見えた。が、わずか1ヵ月後に染色体異常が見つかり再発が判明。再移植は出来ず、アメリカ製の新薬の抗がん剤投与で一時は小康を得たが、再び染色体異常が見つかり間もなく容態が悪化、2005年11月6日午前4時38分逝去。享年38。
同時期に白血病と診断され入院したお笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸と、闘病中互いに文通などで励ましあっていた。その後、中島は2006年12月20日に逝去した。
その後、葉山たけし、寺田恵子らは本田のことをブログで語っていた事もあった。また、特別番組『天使になった歌姫・本田美奈子.』・『LIVE FOR LIFE in ASAKA 2006』を始め、『たけしの誰でもピカソ』・『題名のない音楽会21』・『ミュージックフェア21』・『徹子の部屋』・『ドリームプレス社』で本田を特集した。
また本田が歌手デビューするきっかけとなった長崎歌謡祭を主催・製作した長崎放送は、彼女のメモリアル・コンサートを、ぜひとも彼女の天使の歌声がマッチする平和都市・長崎で開催したい、という企画を立てているらしい。
[編集] エピソード
- 当初は演歌歌手志望だったらしく、「歌った歌をテープに持ってくるように」と言われて、持ってきたテープは演歌を歌ったものだったそうである。後に朝霞市で行なわれたコンサートでは、八代亜紀の『舟歌』や朝霞音頭を歌っていた。フジテレビ「ミュージックフェア」でも1回、石川さゆりと坂本冬美の3人で着物を着て、演歌を歌った事がある。
- 『好きと言いなさい』でデビューする予定だったが、本人の強い希望で、『殺意のバカンス』が先にリリースされた。アイドル色の強い『好きと言いなさい』よりも、歌唱力を求められる曲でデビューしたかったからと思われる。
- 当初は秋元康、松本隆らが作詞、筒美京平がほとんどの作曲を手がける事が多かった。1990年代になってからは、THE BOOMの宮沢和史、楠瀬誠志郎らが楽曲製作を行う傾向になった。なお一時期、本田は楠瀬とデュエットをしている。1996年には、『shining eyes』で初の作曲を手がけた。
- デビュー年の 1985年においては、各種歌唱賞の新人賞部門の最有力候補であり、実際に新人賞を獲得した数は枚挙に暇がない。
- ただし、賞レースの総本山ともいえる大晦日の『日本レコード大賞』(TBS)においては、新人賞は受賞したものの、最優秀新人賞は受賞出来なかった(同賞を受賞したのは、TBS系テレビドラマ『毎度おさわがせします』に出演していた中山美穂)。
- 『NHK紅白歌合戦』に未出場。当時の NHK的に「へそ出しルック」で腰を振りながら歌っていたのがマイナス要因になったかと思われる。また、デビュー当時の所属事務所であるボンド企画(本田が亡くなるまで二人三脚の間柄だった高杉敬二が社長)が所属歌手の紅白出場にさほどこだわらなかったのも要因かもしれない(同社所属だった紅白出場歌手は松崎しげると杏里のみ。)。
- オリコンチャートで1度も1位獲得をしたことがない。(最高位は『HELP』『Oneway Generation』『孤独なハリケーン』の2位。アイドル時代の彼女の代名詞的ソング『1986年のマリリン』は3位止まり)
- 何度となく出演した『ザ・ベストテン』でも一度も1位獲得をしたことがなかった。1985年6月6日に「スポットライト」で初出演の時には、名乗る時に本名と芸名が混じって「ほんどう…」と言っていた。
- C-C-Bのラジオ番組『C-C-Bのいたずらジャック・ポット』にゲスト出演した際に、ビートルズのことを話していたリーダーの渡辺英樹が「ビートルズとか分かる?」と言ったら、「分かる!「ずうとるび」の反対!」と言った時には、、C-C-Bのメンバー全員大爆笑となった。隣の部屋で見ていたマネージャーやスタッフも含めて大爆笑となったそうで、すぐ後に「ジョークで言ったの!!」と自己フォローしていた。
- 好きな食べ物は豚汁とザーサイ。特にザーサイは食べ過ぎて医者に止められる程で、『私の大好物 ビジュアル版』(文春文庫)のエッセイに記載がある。
- "MINAKO with WILD CATS" 時代の曲は発売当時は酷評の声が多かったが、本田の死後再評価の動きが高まって来ている。ちなみにバンドとしてのデビュー曲は忌野清志郎作曲(作詞は松本隆)の『あなたと、熱帯』。女性ハードロックバンド SHOW-YAが企画した女性ロッカーが集まったイベント「NAON の YAON」に出演した事もある。
- 上記のように、忌野清志郎が本田の音楽活動に関わったことがあるため、早稲田大学の学園祭である早稲田祭2005で忌野清志郎がライブを行なったときは、本田の追悼をした。なお、このライブは2005年11月6日で、本田の死の直後であった。
- 2002年年末放送の『ザ・ベストテン2002』にゲスト出演した際に、トークの途中で全く気合いを入れている様子もないまま、歌う時の声量で『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を歌い、すぐ脇に立っていた安住紳一郎アナを驚かせた。2006年7月26日放送の『ドリーム・プレス社』でもその模様が放映され、安住アナの表情も話題に上っていたが、これに対して安住アナは「そんなことをするという雰囲気を出さずに、いきなりものすごい量の声を(出していた)」とコメントをしている。この日の放送は『ザ・ベストテン』のセットで収録されており、最後に1位として『アメイジング・グレイス』が 9999 点として紹介されていた。
- アルバム『アメイジング・グレイス』は、本田の死後に売上が急上昇、オリコンの推定累計売上枚数は17万枚を突破、日本人が歌うクラシックアルバムとしては初のオリコン TOP10入り(7位)を記録した。『AVE MARIA』は22位、『時』も39位まで上昇している。また、同じ歌手のアルバムで、ポップスとクラシックの両方とも TOP10入りしたのも初のケースである。
- フジテレビで死後に放送されていた追悼番組は、本来は本田美奈子.が白血病からの復帰を前提として製作されており、難病を克服した本田の姿を放送するはずであった。しかし、一度は退院するものの、思わぬ病状悪化で本田は帰らぬ人となってしまった。このことは番組のナレーションを勤め、制作にも大きくかかわっていたとされる小倉智昭も『とくダネ!』で同番組のPRの際に「元気な姿で放送できなかったことが残念だ」といった趣旨の発言をしていた。
- 訃報のほとんどで、代表曲として『1986年のマリリン』を挙げていたが、その後の音楽番組の追悼企画では『つばさ』がオリジナル曲の中の代表曲として紹介されることがあった。2006年4月20日発売のアルバム『心を込めて...』のライナーノートには、『つばさ』がオリジナル曲として最も人気を得た曲と記述されている。死後は追悼番組の影響もあってか『アメイジング・グレイス』を代表曲として扱う例も増えているが、ファンの間では『ジュピター』を本田のクラシック音楽中の代表曲とする意見も多い。なお、岩崎宏美のアルバム『Dear Friends III』(2006年9月27日発売)には、多くのリクエストを受け、『つばさ』が収録された。
- ゴールデン・アロー賞は、先述の演劇新人賞のほか音楽新人賞(第23回=1985年度)、グラフ賞(第24回=1986年度)、そして芸能功労賞(第43回=2005年度)と計4度受賞している。芸能功労賞受賞時の享年38は、芸能功労賞の前身にあたる特別賞を受賞の太地喜和子(第30回=1992年度)、逸見政孝(第31回=1993年度)の享年48より若く、他界後の受賞者としては最年少となった。
- 彼女の公式ファンクラブは、没後、所属事務所に問い合わせが殺到し、会員数が生前の4倍以上に膨れ上がった。
- クイーンのギタリストブライアン・メイ(本田とのつながりが生まれたきっかけはこちらを参照)は彼女が亡くなった日に彼女との思い出の写真とともに彼女を追悼するメッセージを自身のホームページに掲載した。現在でもブライアン・メイの公式ページで亡くなった日の過去ログで閲覧可能。
[編集] “LIVE FOR LIFE”活動
本田は、急性骨髄性白血病で闘病のため入院中、同じ病気に苦しむ入院患者とのコミュニケーションや、ファンや業界関係者からの応援メッセージにより励まされた。そして、この難病を克服して再びステージに立つことが、同じように難病と闘う人へのエールとなる、と考えていた。
彼女の遺志を継ぎ、遺族や生前の友人、仕事で関わった関係者が“LIVE FOR LIFE”活動として、白血病をはじめとする難病に苦しむ患者を支援するために、各種イベントや募金活動を行っている。
特筆すべきものは、本田の出身地である埼玉県朝霞市で行われた追悼展であった。これは現職の市長が陣頭指揮にあたり、“LIVE FOR LIFE”事務局・所属事務所などの企画協力によるもので、開催2日間(うち1日は朝霞市民のみ)で約5000人の観客を集めた。地元朝霞の人たちをはじめ、休日かつ入場無料ということもあり全国からファンが集まった。内容も生前の写真や衣装の展示のほか、約50分におよぶフィルムコンサートが行われた。
2006年6月、骨髄移植推進財団と正式にパートナーシップを結び、骨髄バンクの普及啓発活動を支援することになった。2006年7月から1年間の予定で、公共広告機構(AC)の骨髄バンク支援キャンペーンに起用され、2007年1月以降は、評判が良かった為、頻繁に流すようになった。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 殺意のバカンス(1985年4月20日)
- 好きと言いなさい (1985年7月20日)
- 青い週末 (1985年8月31日)
- 限定5万枚。ハート型カラーレコード。
- Temptation(誘惑) (1985年9月28日)
- 1986年のマリリン (1986年2月5日)
- Sosotte (1986年5月1日)
- 東芝「イマージュ」CMソング。
- HELP (1986年7月23日)
- 公共広告機構キャンペーンソング。
- the Cross -愛の十字架- (1986年9月3日)
- 作曲はゲイリー・ムーア
- Oneway Generation (1987年2月4日)
- TBS系ドラマ『パパはニュースキャスター』主題歌。
- CRAZY NIGHTS (1987年4月22日)
- GOLDEN DAYS (1987年5月11日)
- イギリスのみリリース。ブライアン・メイがプロデュース。
- HEART BREAK (1987年6月22日)
- 孤独なハリケーン (1987年9月9日)
- 松竹映画『パッセンジャー』主題歌。
- 悲しみSWING (1987年11月25日)
- あなたと、熱帯 (1988年7月6日)
- 「MINAKO with WILDCATS」名義。
- Stand Up~Full Metal Armor (1988年11月30日)
- 「MINAKO with WILDCATS」名義。
- 勝手にさせて (1989年5月31日)
- 「MINAKO with WILDCATS」名義。
- 7th Bird "愛に恋" (1989年10月11日)
- オートラマ7周年CMソング。
- SHANGRI-LA (1990年7月4日)
- つばさ (1994年5月25日)
- ら・ら・ば・い~優しく抱かせて (1995年5月10日)
- 僕の部屋で暮らそう (1995年7月26日)
- TBS系『TICOS』主題歌。
- Fall In Love With You -恋に落ちて- (1995年11月6日)
- TBS系『ウェディングベル』EDテーマ。
- shining eyes (1996年7月21日)
- 風のうた (1999年11月21日)
- フジテレビ系アニメ『HUNTER×HUNTER』EDテーマ。
- Honey (2000年10月21日)
- デビュー15周年記念。
- 星空 (2001年1月24日)
- ナージャ!! (2003年2月21日)
- 新世界 (2004年5月14日)
- 生涯最後のシングルとなった。
- 好きからはじめよう (2006年11月6日)
- 死後に未発表曲としてWEB限定販売されている楽曲
[編集] 非売品シングル
[編集] その他
- wish
[編集] オリジナルアルバム
- M'シンドローム (1985年11月21日)
- LIPS (1986年6月4日)
- CANCEL (1986年9月28日)
- OVERSEA (1987年6月22日)
- Midnight Swing (1987年12月16日)
- WILD CATS (1988年8月5日)
- 「MINAKO with WILDCATS」名義。
- 豹的(TARGET) (1989年7月5日)
- 「MINAKO with WILDCATS」名義。
- JUNCTION (1994年9月24日)
- 晴れ ときどき くもり (1995年6月25日)
- AVE MARIA (2003年5月21日)
- 時 (2004年11月25日)
- 心を込めて... (2006年4月20日)
- 優しい世界 (2006年12月6日)
- Sweet Memories (2007年4月18日)
- Classical Best-天に響く歌 (2007年4月20日)
[編集] ベストアルバム
- MINAKO COLLECTION (1986年12月20日)
- Look over my shoulder (1988年10月26日)
- LIFE -Minako Honda. Premium Best- (2005年5月21日)
- アメイジング・グレイス (2005年10月19日)
- 収録曲の『アメイジング・グレイス』は公共広告機構キャンペーンソング。
- 収録曲の『アメイジング・グレイス』は日本テレビ系のドラマ『最後のナイチンゲール』主題歌。
- I LOVE YOU (2006年3月29日)
[編集] ライブアルバム
[編集] サウンドトラック
- パッセンジャー (1987年10月26日)
- Miss Saigon -日本公演ハイライト盤- (1992年4月8日)
- Miss Saigon -帝劇公演完全ライブ盤- (1993年5月19日)
- 王様と私 -特別公演全幕ライヴ盤- (1998年2月18日)
- 十二夜 -ハイライト・ライヴ録音盤- (2003年11月14日)
[編集] その他アルバム
- ゴールデンベスト (1987年6月5日)
- バラードコレクション (1989年6月7日)
- best now (1989年9月13日,1990年11月14日)
- SHANGRI-LA -BEST POP COLLECTION- (1990年12月12日)
- Stand up -BEST BEAT COLLECTION- (1990年12月12日)
- Big Artist Best Collection (1994年12月7日)
- TWIN BEST (1998年5月13日)
- 2000 millennium BEST (2000年5月24日)
- Golden☆Best (2003年6月25日)
- NEW BEST 1500 (2005年8月24日)
- CD&DVD THE BEST (2005年12月7日)
[編集] CD BOX
- 美奈子・全仕事 (1987年8月5日)
- 本田美奈子BOX (2004年12月15日)
[編集] ビデオ / DVD
- The Virgin Live In Budokan
- DANGEROUS BOND STREET
- DRAMATIC FLASH
- DISPA 1987
- MINAKO in L.A.
- 勝手にさせて
- TROPICAL HOLIDAY
- TROPICAL HOLIDAY In HAWAI
[編集] 舞台(ミュージカル)
- ミス・サイゴン(東宝・帝国劇場)(キム役)
- レ・ミゼラブル(東宝・帝国劇場、劇場飛天、中日劇場)(エポニーヌ役)
- ミュージカルひめゆり(ミュージカル座)(キミ役 主演)
- 屋根の上のバイオリン弾き(ホーデル役)
- 王様と私(青山劇場・帝国劇場)(タプチム役)
- ミュージカル十二夜(帝国劇場)(ねこ役)
- レ・ミゼラブル in コンサート(東京芸術劇場・梅田コマ劇場)(エポニーヌ役)
- クラウディア(日生劇場・大阪フェスティバルホール他)(ヒロイン・クラウディア役)
『ミス・サイゴン』に関しては、ハイライト盤(スタジオ録音)と、実況録音盤(帝国劇場にて収録)の2種類のCDが販売されている。また「十二夜」のナンバーのうち『ララバイ』(斉藤由貴作詞)は、生前では最後(白血病による入院2週間前)にレコーディングされ、アルバム『アメイジング・グレイス』に収録された。
『レ・ミゼラブル』は2005年公演でファンティーヌ役で出演予定だったが、白血病治療に専念するため休演し、新たな代役は立てず同時にキャスティングされていたマルシア・井料瑠美が本田の出演予定日を勤めた。クラウディアの2005年公演も同時に休演、こちらはプライベートでも親交のあった工藤夕貴が代役を勤めた。
[編集] 出演
[編集] TVドラマ
- 月曜ドラマランド 微熱 MY LOVE(1985年、フジテレビ)
- パパはニュースキャスター(1987年、TBS) - ドラマ主題歌『One Way Generation』を歌うとともに、本人役でゲスト出演
- フローズン・ホラー・ショー(1987年、フジテレビ)
- 火曜サスペンス劇場 名無しの探偵(7) 愛の幻影(1990年、日本テレビ)
- 実録犯罪史シリーズ 新説三億円事件(1991年、フジテレビ)
- 陽のあたる場所(1994年、フジテレビ)
- 夢の帰る場所(1994年、関西テレビ)
- 遠山金志郎美容室(1994年、日本テレビ)
- 妊娠ですよ(1994年、関西テレビ)
- ハート(2001年、NHK総合)
[編集] TV司会
- 大都会の遊び方(BS朝日)
[編集] 映画
- パッセンジャー -過ぎ去りし日々-(1987年)
- ダンディーとわたし(1991年)
- 実録日本ヤクザ抗争史 鯨道4 残侠譜 完結編(2001年)
[編集] CM
- カルビー ポテトチップス
- 牛乳石鹸共進社 シャワラン
- グリコ キャデリーヌ
- グリコ ジャイアントコーン
- グリコ ポッキー
- 埼玉県 魅力いっぱい彩の国
- 東芝 SUGAR CD
- 東芝 扇風機イマージュ
- 東芝 リモコンWalky
- 佐藤製薬 ストナエース
- 労働金庫
- ローソン
- オッペン化粧品(企業CMで、本人がCMソング「つばさ」を熱唱しながら出演)
- 公共広告機構 骨髄バンク支援キャンペーン
[編集] 広告
- 青葉台東急スクエア
- 朝霞警察署
- オートラマ
- サッポロ かんぞう奉行
[編集] ラジオ
- KIDS IN TOSHIBA かぼちゃークラブ(1985年5月1日 - 、ニッポン放送)
- ラジオ DE ME HER アイドルナイトパーティー(1985年10月11日 - 、文化放送)
- ジェミニ・ミュージックパートナー ときめいて美奈子(1985年10月12日 - 1986年4月5日、TBSラジオ)
- とびだし美奈子とそれゆけおぼっちゃま(ニッポン放送)
- Spirit of the radio with Minako(1989年4月1日 - 1990年4月1日)
- 本田美奈子 Blue Spring Club(1996年、FM秋田・FM福井・FMとやま・FM中九州・FM青森・FM岩手・FM徳島・FM香川・FM鹿児島・FM新潟)
[編集] 書籍
- 好きといって…
- あぶない危ない少女
- 果汁120パーセント
- SPARKLING
- 私・激(シゲキ)して -夏
- その気になって -カッ飛んじゃおうゼ
- BATHROOM ANGEL
- CANCEL
- WHAT'S
- APPETIZER
- SAIGON
- 時間のない島
- ボーカルスコア「AVE MARIA」
- ボーカルスコア「時」
- 本田美奈子.メモリアル
- 天国からのアンコール vol.1 1986年のマリリン
- 天国からのアンコール vol.2 2006年のマリリン
- ボーカルスコア「心を込めて…」