ちばグリーンバス
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ちばグリーンバスは、京成電鉄により当時のバス営業所の一つである佐倉営業所(車庫名は田町車庫)が分社化されたことにより設立となった会社である。現在でも佐倉市内のほとんどの路線を独占に近い形で営業している。また、有楽町駅・新橋駅から京成佐倉駅への深夜急行バスも運行している。
ちばグリーンバスとしての営業開始は2000年7月16日で、そのときにほとんどの路線の移管が行われている。ただし、都市・公団線(現・北総鉄道)の印旛日本医大駅開業の関係で後述の印旛学園線のみ7月22日に移管されたので、厳密には佐倉営業所は同年7月21日まで存続していたことになる。
なお、京成時代は本車庫である田町車庫の他に、花見川団地線を主体とする花見川車庫も担当していたが、2000年7月16日の分社化にあたりこれは長沼営業所の分車庫となった。また、田町車庫担当路線の角栄団地線もこれと同時に花見川車庫担当に変更になり、京成による運行を継続することになった。
目次 |
[編集] 沿革
[編集] 戦前
ちばグリーンバスは京成電鉄より分社化により設立した会社であるが、その京成としての佐倉地区のバス路線は地元の事業者の買収により成立している。すなわち、「房総の乗合自動車(佐藤信之, 侖書房)」によれば、「佐倉駅周辺のバスは大正時代に佐倉駅近くの兼坂旅館による兼坂自動車(のち佐倉自動車)が千葉~佐倉および支線の並木~岩富を開通したことに始まる。」とある。ここでの岩富は現・岩富バス停ではなく岩富町付近、すなわちバス停では町方あたりを指す。その後昭和になって岩富(=町方)支線が八街まで延長(今のちばフラワーバス八街線の原形)され、のちに佐倉に至る線も成田まで延長された(この時点では成田鉄道(現・千葉交通)は千葉まで路線を乗り入れていない。)。
その後佐倉自動車の全線は成東自動車(後の京成電鉄成東営業所、現・ちばフラワーバス)に譲渡された。これ以後、佐倉のバスはしばらくの間成東に営業所を置くことになる(佐倉に分車庫に相当するものがあったかどうかは、資料がないために不明。)。そして、終戦前年の1944年には成東自動車が京成に買収されることとなり、佐倉地区のバスも同様に京成に移った。従って、佐倉地区の京成バスは当初から独自の営業所があったわけではなく、まずは成東営業所の管理のもとに運行されていた。
[編集] 戦後の路線の拡張
戦後しばらくの営業所の状況は不明であるが、京成五十五年誌によれば、1955年に田町車庫が運用を開始したとある。そのときは現在の国立博物館入口停留所の南側に車庫が設置された。その5年後の1960年には、成東車庫が営業所として独立した。すなわち、成東営業所は1944年に設立したものの、その後、いずれかの時期に、一旦廃止(千葉営業所の車庫に格下げ)されたということであるらしい。ちなみに、1960年の成東営業所の新設(再設)の際に、佐倉~成東を直通する路線もいくつか設定されており、佐倉と成東との連絡が強化されたと言うことができる。
その状況の中で、佐倉地区においても市内を網羅するようにバス路線が新設されていった。下に1966年当時(京成電鉄五十五年史)の成東営業所の路線を示す。
表: 1966年当時の成東営業所の路線
線名 | 区間 | 佐倉地区に関係 |
---|---|---|
東金急行 | 成東駅~東金駅入口~京成千葉駅 | |
東金 | 成東駅~東金駅入口~京成千葉駅 | |
八日市場 | 東金駅~成東~八日市場駅 | |
新八街 | 成東駅~八街駅~吉倉~京成千葉駅 | |
八街 | 成東駅~八街駅~町方~京成千葉駅 | |
岩富 | 成東駅~八街駅~神門~田町車庫 | ○ |
片貝 | 成東駅~成東海岸~片貝 | |
小松 | 成東駅~成東海岸~南浜 | |
蓮沼 | 成東駅~白幡四ツ角~蓮沼南 | |
松尾 | 成東駅~松尾駅 | |
八街南 | 山田台~十文字・四木~勢多・吉田~八街駅 | |
日向 | 成東駅~日向駅 | |
伊篠 | 和田支所~神門~佐倉駅~京成佐倉駅~赤十字病院 | ○ |
馬橋 | 佐倉駅~京成佐倉駅~上本佐倉~馬橋入口~和田支所~神門 | ○ |
馬渡 | 臼井駅~京成佐倉駅~神門~西御門 | ○ |
七栄 | 七栄~上本佐倉~京成佐倉駅~佐倉駅 | ○ |
志津 | 大和田駅~志津駅入口~月山神社前~先崎・京成佐倉駅 | ○ |
大関 | 田町車庫~高崎~瓜坪~大関~八街駅 | ○ |
武射田 | 東金駅~求名~武射田 | |
成田 | 京成千葉駅~神門~京成佐倉駅~成田山門前 | ○ |
臼井 | 岩戸~臼井駅~四街道駅~鎌池~京成千葉駅 | ○ |
井野 | 四街道駅~下志津~志津駅入口~井野 | ○ |
上志津 | 四街道駅~月山神社 | ○ |
下横地 | 成東駅~小松岡 | |
※片貝急行 | 京成千葉駅~片貝海岸 | |
※成東海岸急行 | 京成千葉駅~成東海岸 |
※京成電鉄五十五年史より(一部加筆)
佐倉の場合、鉄道に関して言えば、JR(国鉄)より京成の方が立地条件的に優位に立っており運行本数も多かった。しかし、京成の場合、佐倉市域から八千代、習志野、船橋等に行くには便利であるが、県庁所在地の千葉に行くには不便である。これらを解消すべく、佐倉市内の京成各駅からは千葉駅に至る路線が張り巡らされるようになった。(このことは隣の八千代市も同様である。)なお、佐倉市内の場合、1966年当時、京成各駅から千葉に至っていた路線は、上志津線、井野線、臼井線、成田線が該当する。特に臼井線は戦後の1953年の開通であり、四街道を通ることもあって、それなりの存在意義があった。
[編集] 成田駅乗り入れの中止
昭和40年代になると、千葉交通との乗り入れにより運行された成田線は分割されることとなり、京成は京成千葉駅~京成佐倉駅、千葉交通は国鉄佐倉駅~京成成田駅となった。また、同じく成田方面に至っていた佐倉市内線(和田~神門~京成佐倉駅~京成酒々井駅入口~赤十字病院)も分割され、それぞれ和田線(田町車庫~京成佐倉駅~神門~和田)、日赤線(国鉄佐倉駅~京成佐倉駅~京成酒々井駅入口~日赤病院)となった。
[編集] 佐倉営業所、花見川車庫の開設
その後、1971年4月1日に田町車庫は独立して佐倉営業所となった。すなわち営業所としての始まりは比較的最近である。なお、花見川車庫(出張所)はこれよりも前の1970年に開設されており、当初は成東営業所担当だった。
[編集] モノレール千葉駅開業の影響
その後、国鉄民営化による総武本線の本数の充実とスピードアップにより、長大なバス路線を走らせる意義徐々にが薄れてきた。
平成元年、すなわち1989年になると、神門停留所の南側に第三工業団地停留所が新設され、そこまでの折返便が設けられた。これを機に佐倉駅~神門間を走る各線は、神門を境に運行本数に差ができ始めた。
さらに大きな転機となったのは、1991年の千葉都市モノレールの千葉駅乗り入れである。このとき、船橋営業所から成東営業所までに至る大規模な路線改変が行われた。佐倉営業所については、臼井線の四街道駅での分割、千葉線の都賀駅での分割、が行われ、佐倉~千葉間を直通する路線が無くなった。
しかし、昭和末期までは佐倉市内の路線網はほぼ維持されていたと言える。
[編集] ちばグリーンバスの設立
以上のような路線のシェイプアップを経て、佐倉営業所はちばグリーンバスとして独立分社化した。独立にあたり、花見川各線と角栄団地線は輸送密度の点から京成による直轄の運行に耐えうると判断され、 分社の範囲から外れた。これに伴い、角栄団地線は花見川車庫担当となり、その花見川車庫は長沼営業所の所管となった。
グリーンバスとしての独立後は、本佐倉線の成田市からの撤退、高崎線、神門線の八街市からの撤退等、輸送密度の低い区間の整理を推進するとともに、松ヶ丘線、物井線のようにJR佐倉駅周辺の営業線の新設を行い、市外輸送から市内輸送への特化を進めている。
[編集] 現行路線
[編集] 神門線(和田方面)
- 田町車庫~京成佐倉駅~神門~工団中央~和田
- 田町車庫~京成佐倉駅~神門~第三工業団地
- 田町車庫~京成佐倉駅~神門~宮本~和田
- 1957年6月10日:佐倉市内線(酒々井局前~京成佐倉駅入口(現・栄町(西側))~佐倉駅~神門~和田支所)が開通。(なお、この時点で既に千葉駅~佐倉駅~成田が運行されている。)
- 1957年6月20日:田町車庫~佐倉駅~和田支所が開通。
- 1960年11月1日:伊篠~京成佐倉駅入口~神門~和田支所に延長。伊篠線と呼称。
- 1965年頃:赤十字病院~京成佐倉駅入口~神門~和田支所に延長。
- 1969年頃:日赤線(佐倉駅~京成佐倉駅~赤十字病院)と和田線(田町車庫~京成佐倉駅~佐倉駅~和田支所)に分かれる。
- 1989年6月20日:工団中央経由便が開通。第三工団発着便が開通。
- 2000年7月16日:ちばグリーンバスとなる。岩富線、馬渡線と併せて神門線となる。
神門(ごうど)線は京成佐倉駅(または田町車庫)からJR佐倉駅を経由して神門(ごうど)まで南下し、各方面に散らばる路線の総称である。京成時代は行き先に応じて和田線(和田行き)・岩富線(八街行き)・馬渡線(西御門行き)の3線(1998年9月まではこれに加えて千葉線もあった。)がそれぞれ名前を名乗っていたが、末端部の運行本数がかなり少なくなってきた(第三工業団地折返便が最も多い)ため、グリーンバス化にあたり名前をまとめられた。
ここで採り上げた和田発着便は神門から東側に進み和田支所・和田まで至る。昭和40年代には佐倉市内線という名称で市内幹線の役割を担っており、和田まで行く便の頻度も約1時間おきであった。しかし、その後は減便が続き、特に1989年に第三工業団地折返便ができてからは和田まで行く便の減少が顕著である。
[編集] 神門線(岩富方面)
- 田町車庫~京成佐倉駅~神門~工団中央~新田場入口
- 田町車庫~京成佐倉駅~神門~宿向~新田場入口
神門線のうち新田場入口発着便はもともと岩富線と呼ばれており、佐倉~岩富~八街駅間を走っていた。JRと並行する区間がほとんどなく、平成初頭は佐倉~八街間に1時間に1本程度の頻度で走っていたが、その後、第三工業団地停留所ができそこまでの折返し便が急増した。結局、2003年4月にこの線の佐倉市内の東端である岩富地区の新田場入口停留所までに短縮され、市内で路線完結するようになった。また、新田場入口停留所では折り返しできず、第三工業団地折り返し場と新田場入口停留所は距離がそれほど離れてないため、バス自体はそのまま第三工業団地折り返し場へ向かう。なお、現在はほとんどが工団中央経由で、ルート的には直線の宿向経由は平日1往復のみ。
[編集] 神門線(馬渡方面)
- 田町車庫~京成佐倉駅~馬渡局入口~並木~西御門
- 1962年9月20日:臼井駅~馬渡(現・旧道沿い、馬渡局入口の近く)~八坂神社~飯塚入口を開通。
- 1965年頃:臼井駅~馬渡~八坂神社~西御門に延長。
- 昭和40~50年代:田町車庫~馬渡~西御門に短縮。
- 昭和50~60年代:田町車庫~馬渡~並木~八街駅を開通。
- 1991年6月12日:馬渡経由八街駅便を廃止。
- 1994年6月16日:田町車庫~馬渡局入口~並木~西御門に変更。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。岩富線、馬渡線と併せて神門線となる。
西御門(にしみかど)発着便(旧名馬渡線)は神門から西へ折れ、馬渡地区を経由してから並木まで行った後、県道経由で八街側に戻って、坂戸から佐倉市南端の西御門に入る。この路線は今も昔も中型車を使用している。以前は神門から先で旧道を走り、八坂神社(八坂神社入口ではなく神社の鳥居の目の前)から坂戸までショートカット運行していた。この神門~馬渡~八坂神社~馬渡坂下~坂戸間は道が狭く、特に八坂神社~坂戸間はワンマン運行が困難であった。また、終点の西御門も平成初頭までは折返場がなく、ワンマンでの折返しが困難であった。このため、当時の馬渡線はワンマンカーになってからも、途中の八坂神社より誘導員が乗車していた(その誘導員は車庫との移動のために千葉線八坂神社折返便に便乗することもあった。)現在は並木を経由するようになっている。
西御門は佐倉市の南端であり、千葉市との市境も近い。実際、西御門から新八街線の内小間子まではそう遠くなく、歩いて行ける。
なお、以前は西御門→京成佐倉駅→市役所→田町車庫という便も存在しており、これはJR駅から直通するのでなく、二番町経由で京成駅まで坂を下り、その後もう一度坂を上ってから市役所側に入るというものだった。このルートでは、走行する道路に重複区間があるものの、停留所では重複するものがなかった。
この他、1991年6月12日までは田町車庫→馬渡→八坂神社→並木→八街駅という便が1本だけあった。八坂神社~並木も旧道経由であった。同統計書により、この便が昭和61年以降運行されていたことはわかるのだが、それより前については、統計がないので詳しくわからない。なお、同便は八街駅に着くと、飯塚入口まで回送し、そこから再び並木・八坂神社・馬渡経由で田町車庫に戻っていた。
[編集] 臼井線(四街道方面)
- 京成佐倉駅~臼井駅~千代田小学校~四街道駅(聖隷病院非経由)
- 京成佐倉駅~聖隷病院~臼井駅~千代田小学校~四街道駅
- 1953年8月10日:初代京成千葉駅~貝塚~高野山~四街道駅~飯重入口(旧道沿い、間野台小学校近く)~前・臼井駅~印旛沼(今の船戸大橋南詰付近、のち岩戸と改称)を開通。
- 1965年頃:前・京成千葉駅~岩戸に延長(田町車庫出入庫便もあった)。
- 昭和:前・京成千葉駅~高野山~前・臼井駅~京成佐倉駅に変更。
- 昭和:京成佐倉駅~前・臼井駅~畔田を開通。
- 昭和:祐光三丁目経由に変更。
- 昭和:前・京成千葉駅~四街道駅~千代田車庫(現・千代田団地入口)を開通。
- 昭和:臼井駅移転により、暫定ルート(新臼井田経由でなく、296号経由)で新駅経由に変更。
- 昭和:新臼井田経由に変更。
- 1991年6月12日:京成佐倉駅~四街道駅と四街道駅~高野山~千葉中央駅に分割。千葉便は千葉営業所担当となる。畔田便は畔田経由四街道駅発着便に延長。
- 平成:国立病院医療センター(現、聖隷病院)経由便を新設する。
- 平成:山の神~臼井駅間を新道経由でショートカットし、間野台小学校停留所経由となる。
- 1998年1月17日:全便畔田を経由しなくなる。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。志津線と臼井線を併せて臼井線となる。
京成佐倉駅または田町車庫から臼井駅に向かい、そこから南に向かって千代田団地・栗山などを経由しながら、四街道駅へ至る路線である。1998年1月16日までは途中畔田を経由する便や羽鳥線(田町車庫・京成佐倉駅~JR佐倉駅~羽鳥~四街道駅,初期は千葉始発,末期は臼井線の一部と見なされたらしい)もあった。1991年6月11日までは京成佐倉駅~千葉中央駅を運行していたが、現在は四街道駅を境に千葉四街道線と分割されている。(これによって、佐倉営業所の車はJR千葉駅・千葉中央駅に乗り入れなくなった。)全線を通して利用する人はあまりいないだろうが、臼井駅を境にして細かく効率よく利用されている路線である。なお、従来は国立病院療養センター経由がなかったが、もともと経由していた志津線が減便(ほとんど廃止に近い)され、1時間に1本の経由を確保することができなくなったために、現在ではこの線に経由便が半数程度充てられている。
[編集] 臼井線(志津方面)
- 志津駅南口~東邦大佐倉病院~臼井駅~聖隷病院~田町車庫~京成佐倉駅(→JR佐倉駅)
- 志津駅南口←東邦大佐倉病院←臼井駅←聖隷病院←田町車庫←市役所←JR佐倉駅
- 田町車庫~京成佐倉駅~栄町~JR佐倉駅
- 1958年7月10日:大和田駅~下市場~志津駅入口~京成佐倉駅~国鉄佐倉駅を開通。大和田~先崎や佐倉駅~先崎などの支線も開通(月山神社~先崎間はのちに今宿線となる)。
- 1968年頃:勝田台駅~志津駅入口~京成佐倉駅~国鉄佐倉駅に短縮。
- 1980年1月16日:上志津入口~臼井駅~国立病院健康管理センター(現・聖隷病院)~国鉄佐倉駅に短縮および変更。
- 1984年9月1日:志津駅南口~佐倉西高(現・東邦大佐倉病院)~臼井駅~国立病院健康管理センター~京成佐倉駅を開通。
- 1997年10月1日:上志津入口便を廃止。その代わりに志津駅南口便をJR佐倉駅まで延長。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。志津線と臼井線を併せて臼井線となる。
佐倉から志津方面に至る路線はもともと志津線と言い、1958年に今の国道296号線に沿って臼井駅、志津駅入口、下市場を経由して大和田駅まで開通した。開通当時は沿線の駅間距離が長いことから、鉄道に変更する路線ながらも機能を果たしていたが、その後、勝田台駅、ユーカリが丘駅の開業に伴い、路線短縮(勝田台駅への短縮、その後上志津入口まで)および減便となった。この間に、臼井駅周辺については、同駅が上野側に500m移設されたこと等から、王子台を通るようにルートが変更された。結局、王子台三丁目~上志津入口間は乗客がほとんどなく、1997年に廃止された。
現在運行されている東邦大佐倉病院を経由するものは、1984年に開通している。当初は「佐倉西高経由」と称し、角栄団地線の出入庫便に、数便が追加された程度であったため、他線に比べ運行頻度および運行間隔ともに実用的とは言い難かった。上志津入口便が廃止されたことにより、その一部の便が振り当てられて若干増便されてきた。ただし、志津駅南口~臼井駅の折返便が多い。
[編集] 大日線
- 志津駅南口~志津図書館~上志津原~大日今宿~大日中央~四街道駅
- 1958年7月10日:志津線(大和田駅~先崎および佐倉駅~先崎)を開通。
- 1959年12月1日:上志津線(四街道駅~上志津(中志津のやや西)~志津駅入口、のちに月山神社)を開通。
- 1960年3月10日:井野線(前・京成千葉駅~四街道駅~下志津(東邦大佐倉病院の近く)~矢橋台(矢橋台坂下とオーケーディスカウントセンターのちょうど中間)~井野(現・梵天塚停留所の300mほど東))を開通。
- 1962年頃:四街道駅~上志津~先崎と四街道駅~下志津~井野に変更。
- 不明:高野山~上志津~先崎と高野山~下志津~井野に延長。高野山~上志津~井野もあった。
- 1987年頃:四街道駅~上志津~志津駅南口と四街道駅~下志津~志津駅南口と井野~志津駅入口~先崎に分割。
- 1989年:内陸バス大日線開通に伴い、大日中央発着便の新設。
- 1990年12月頃:志津駅南口発着便の一部を山王病院(構内)まで延長。
- 1991年9月頃:下志津経由便をすべて東邦大佐倉病院・ユーカリが丘駅経由に変更。
- 1996年7月20日:上志津経由便を志津図書館経由とする。
- 1997年10月1日:井野~先崎を廃止。
- 2000年2月16日:志津駅南口~志津図書館~四街道駅に短縮。東邦大佐倉病院経由便は廃止。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。大日線と呼称変更。四街道駅~大日中央間は京成も運行(平日のみ)。
大日線は、志津駅南口と四街道駅を結ぶ路線である。もともとは、臼井線(志津方面)の項で触れた志津線と、上志津線、井野線の3線があったが、複雑な路線改変の後に、2000年2月以降は志津図書館を経由する一本の路線となった。なお、途中の大日中央以南は千葉内陸バスも同一区間で運行を行っている。これは、1989年に運行開始されたが、大日中央停留所はそのときに設けられたものである。
[編集] 染井野団地線
- 臼井駅~消防署~地区センター~染井野南
- 臼井駅→消防署→地区センター→臼井駅
- 1992年9月30日:臼井駅~染井野南を開通。
- 平成:地区センター折返線(循環便)を開通。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。
京成臼井駅から南側に向かう団地路線である。約1/3の便が循環線となる。終点染井野南は千代田小学校停留所とほとんど同じ場所にある。
[編集] 本佐倉線
- 田町車庫~京成佐倉駅~酒々井町役場~京成酒々井駅
- JR佐倉駅~京成佐倉駅~酒々井町役場~京成酒々井駅
- 京成佐倉駅~酒々井小学校~京成酒々井駅
- 1924年1月20日:[兼坂自動車]千葉駅~並木~神門~京成佐倉駅が開通。(のち成田駅まで)
- 1943年4月21日:京成となる。成東営業所担当。
- 昭和:千葉交通と相互乗入れを開始し、京成千葉駅~成田山門前に延長。
- 1956年12月14日:七栄線(国鉄佐倉駅~京成佐倉駅~酒々井局前~七栄)が開通。
- 1960年11月1日:馬橋線(田町車庫~上本佐倉~馬橋入口~和田支所~神門)が開通。
- 昭和:成田線が京成千葉駅~京成成田駅に短縮。
- 昭和:千葉交通との相互乗入れを解消し、千葉線(京成千葉駅~神門~京成佐倉駅)と日赤線(国鉄佐倉駅~京成佐倉駅~日赤病院)に分割短縮。なお、千葉交通は京成成田駅~国鉄佐倉駅の運行(佐倉線、現在廃止)となる。
- 昭和:七栄線が国鉄佐倉駅~京成佐倉駅~墨入口に短縮し、日赤線の一部となる。
- 昭和:馬橋線が京成佐倉駅~馬橋入口に短縮され、日赤線の一部となる。
- 1987年:墨入口便が国鉄佐倉駅~酒々井町役場経由京成酒々井駅折返場(暫定停留所であり、現停留所よりわずかに国道寄り)に行き先を変更される。
- 平成:京成酒々井駅停留所完成により、同停留所発着便が現位置まで延長され、日赤病院便が同停留所経由となる。
- 平成:京成酒々井駅~酒々井小学校~馬橋入口便が開通。
- 平成:日赤病院便が公津の杜駅経由となる。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。本佐倉線と呼称変更。
- 2003年2月1日:日赤病院便が田町車庫~酒々井小学校~伊篠に短縮。
- 2004年6月1日:伊篠便が京成佐倉駅~酒々井小学校~京成酒々井駅に短縮。
本佐倉(もとさくら)線はJR佐倉駅、田町車庫、京成佐倉駅から京成酒々井駅に向かう路線である。全区間が京成電鉄本線に並行しているが、若干線路より離れたところを走っており、現在でも一定数の乗客は存在している。
同線はもともと成田線、佐倉市内線、馬橋線、七栄線という4つの線がそれぞれ短縮されて一つの路線にまとまったものである。以下、平成初期までの各線の経緯を示す。
成田線は戦後まもなく千葉交通との相互乗入れを行うことで京成千葉駅~成田山門前を運行していた。その後、路線長が長すぎることからか昭和40年代に京成は京成千葉駅~京成佐倉駅、千葉交通は国鉄佐倉駅~京成成田駅間の運行に分割された。ただし、京成にはこの他に佐倉市内線として、和田~国鉄佐倉駅~京成佐倉駅~日赤病院間を運行していたので、これを国鉄佐倉駅または京成佐倉駅で分割し、日赤線として国鉄佐倉駅~日赤病院間の運行を継続した。(和田~京成佐倉間は和田線となり現在は神門線の一部となっている。)この便は、その後減便にこそなったが、平成初期まで区間をそのままに維持し続けた。
七栄線は1956年に富里町(現・富里市)の中心地である七栄まで開通した。当時、七栄地区は千葉交通が既に路線を走らせており、京成が乗り入れたのは佐倉への足を新しく設けたかったということのようである。結局、京成としてはこの路線しかなかったことから中途半端な存在となり、あまり時を経ず(昭和40年代頃)に途中の墨入口までに短縮された。その後、ここで折り返すことがあまり効果的でなかったことや、酒々井駅西側の中央台が町として発展してきたことから、1987年に、途中の横町(酒々井町)で方向を変え中央台経由で京成酒々井駅に向かうようにルートを変更した。なお、京成が七栄から撤退したことで、千葉交通が代替路線を運行したが、紆余曲折を経て結局廃止になってしまった。現在、酒々井駅方面から七栄に至るバス路線はない。
馬橋線は1960年に開通し、当初は田町車庫~上本佐倉~馬橋入口(南酒々井駅のやや北)~南酒々井駅~和田支所~神門という区間だった。このうち、馬橋入口~和田支所~神門間については佐倉市内線(のち、和田線)と重複する区間が長く、同線で輸送のほとんどをカバーできることから早々に短縮され、京成佐倉駅~馬橋入口間のみとなり、日赤線の一部となった。これにより、独自区間は上本佐倉~馬橋入口間だけとなった。しかし、この区間は途中停留所が新堤入口の一つしかなく、終点の馬橋入口停留所も南酒々井駅に近接していたため、独自便として運行する意味はあまりなく、平成初期には4往復の運行にすぎなかった。
以上を経て、平成初期にはJR佐倉駅・京成佐倉駅~日赤病院・京成酒々井駅・馬橋入口として運行を行った。JR佐倉駅発着便も京成佐倉駅を経由していたが、京成駅付近の道路が一方通行であったため、迂回上に運行していた。そのルートを下図に示すが、JR佐倉駅行便については、印旛支庁停留所を二度通っていた。
[編集] 高崎線
- 田町車庫~京成佐倉駅~高崎~和田~瓜坪
- 1960年1月10日:大関線(田町車庫~高崎~瓜坪~大関~八街駅)が開通。
- 2000年7月16日:ちばグリーンバスとなる。高崎線と呼称変更。
- 2003年4月1日:田町車庫~瓜坪に短縮。
高崎線は、1960年に大関線の名称で田町車庫~高崎~瓜坪~大関~八街駅間を開通したのが始まりである。1956年に開通した岩富線(現・神門線)と同様に八街駅を発着する路線であったが、岩富線が佐倉市内の背骨を縦貫するのに比べ、大関線は東側のやや住居密度の低いところを走り、しかも南側は榎戸駅~八街駅を完全並行していた。このため、総武本線の運行頻度が上がるにつれて並行区間の存在意義は薄れていき、過半数の便が佐倉市内である途中の瓜坪までの運行となった。その後、瓜坪~八街駅間を廃止しているが、現在では総運行回数自体が極めて少なくなっており、残存区間も安定しているとは言い難い状況である。なお、この線は独自区間に狭隘な道路が存在することから、必ず中型車で運行される。
[編集] 白銀ニュータウン線
- 田町車庫~京成佐倉駅~佐倉高校~高岡~白銀ニュータウン
- 田町車庫~鏑木町一丁目~JR佐倉駅~合同庁舎~白銀ニュータウン
- 1990年:田町車庫~佐倉小学校入口~白銀ニュータウンを開通。
- 1998年:佐倉高校経由に変更。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。
- 2001年8月1日:田町車庫~鏑木町一丁目~JR佐倉駅~合同庁舎~白銀ニュータウンを開通。
1990年に開通した比較的新しい路線である。開通当時は1時間に1本だったが、現在は住宅が建ち並び本数もかなり増えている。路線長が短いながらも、車窓の景色はころころ変わるのが特徴である。1998年より佐倉小学校経由から佐倉高校経由となり、線形の改善と同時に新規需要を期待できるようになった。なお、白銀ニュータウン停留所の先は国道51号線とぶつかっているがそこにはバスが走っていない。
2001年8月より朝夕に限ってJR佐倉駅発着便が運行されることとなった。この便はさらに西側に鏑木町一丁目経由で田町車庫に至る出入庫便があるが、本数はほとんど無い。
[編集] 順大線、印旛学園線
- JR酒々井駅~京成酒々井駅入口~順天堂大学~学園台(順大線)
- 京成酒々井駅西口~順天堂大学~印旛日本医大駅(印旛学園線)
- 1989年:JR酒々井駅~京成酒々井駅西口~順天堂大学~学園台および京成酒々井駅折返場(暫定停留所)~京成酒々井駅西口~順天堂大学~学園台を開通。
- 平成:京成駅発着便を京成酒々井駅西口発着に短縮。
- 1995年3月11日:平日の一部の便をJR酒々井駅~順天堂大学~学園台~日医大北総病院に延長。
- 2000年7月22日:ちばグリーンとなり、日医大北総病院便が京成酒々井駅~(学園台非経由)~印旛日本医大駅に変更され、印旛村補助対象路線となる。学園台便の路線名を順大線に変更。
順大線および印旛学園線はJR酒々井駅または京成酒々井駅西口から順天堂大学を経由して印旛村方面に向かう路線である。グリーンバスの中で唯一佐倉市を通らない路線である。
この路線の走る地区(以下、平賀地区)はもともと同地区南側の仲の台を南端として、それ以北の道路しかなかった。また、この地域には、阪東自動車が木下駅・京成臼井駅等から六合小学校を経由して仲の台(現在の仲の台停留所と同じ場所)までのバス路線を運行していた。すなわち、その当時は京成酒々井駅から直線距離が近かったにも関わらず、印旛村の最も不便な場所になっていた。
その後、平賀地区に順天堂大学と住宅地(平賀学園台)ができることとなり、京成酒々井駅西口~仲の台を結ぶ道路が作られた。こうして、酒々井駅近辺が既運行エリアにあった京成バスが、平成初頭に学園台までの路線を開通することとなった。なお、開通当初、京成駅始発便については、東側の京成酒々井駅折返場を始発としていた。他線との接続の意味合いもあったのかもしれないが、大多数の乗客が西口で乗降していたために、程なく西口発着に短縮された。
この路線の開通により、仲の台~学園台入口間は阪東自動車と路線が重複することとなった。当時の阪東の路線は既に六合小学校への通学路線としての役割しかなく、学園台の街開きに伴い、1990年4月に平賀小学校ができると、路線の存続意義が無くなり、程なく廃止となった。しかし、中学校へのアクセス等、平賀地区と役場を結ぶ路線は必要であるため、阪東路線の代替として、京成が学園台便の一部を日医大北総病院にまで延長した。なお、延長便は平日に3往復のみ運行され、学園台を経由してから病院に至っていた。
2000年7月22日に印旛日本医大駅が開業し、印旛村主導のもとに同駅の周辺路線(都市交通、大成交通、ちばグリーン)をすべて補助対象に切り替えられた。これにより、学園台線は学園台を発着する便がちばグリーンの自主運行路線、印旛日本医大駅発着便が印旛村補助対象路線に区分され、それぞれ順大線、印旛学園線と改称した。後者の印旛学園線は大幅に増発された上に毎日運行に切り替えられた。村外との駅を結ぶ補助対象路線は、運賃が一律に300円(運賃が200円の村内循環路線もあったが現在は全廃)と定められた。すなわち、京成酒々井駅~学園台入口間については、印旛学園線が300円、順大線がグリーンバス本来の区間制運賃であり、運賃額が異なることとなった。なお、両線は、この区間において停留所が若干異なっている。
[編集] 佐倉南高校線
- JR佐倉駅【南口】→大崎台団地→佐倉南高校→JR佐倉駅【南口】
- JR佐倉駅【南口】→佐倉南高校→大崎台団地→JR佐倉駅【南口】
- 1998年4月1日:JR佐倉駅~(循環)~JR佐倉駅を開通。
- 2000年7月16日:ちばグリーンとなる。
[編集] 松ヶ丘線
- JR佐倉駅【南口】~大崎台二丁目~藤治台東公園~松ヶ丘
- 2002年11月1日:JR佐倉駅【南口】~松ヶ丘を開通。
松ヶ丘線は、JR佐倉駅と佐倉インターの間に位置する藤治台、松ヶ丘両団地を中心とする地域住民の要請により運行を開始した路線である。「佐倉」をもじった「ハローチェリー」の愛称を持ち、専用塗装の車両で運行されている。
両団地は丘陵地にあるが、この線の開通以前はバスの宅地内への乗り入れがなく、バスを利用するには坂の上の佐倉街道まで出なければならなかった。たとえば、同街道を走る神門線に「松ヶ丘団地」という停留所があるが、団地からここまでの間には急な坂があり、しかも数百mから1km近い徒歩を強いられることとなる。松ヶ丘線はこうした不便を解消するため、住民自らルートの選定に参画し、小型車両によって宅地内の隘路をきめ細かに走るルートとなっている。
[編集] 物井線
- 京成佐倉駅~市役所~JR佐倉駅【北口】~第二工業団地中央~物井駅
- 京成佐倉駅~新町~JR佐倉駅【北口】~第二工業団地中央~物井駅
- JR佐倉駅【南口】~第二工業団地中央~物井駅
- JR佐倉駅【南口】~佐倉南高校入口~物井駅
- 2003年11月1日:JR佐倉駅~物井駅線の運行開始。
京成佐倉駅と四街道市の物井駅を結ぶ路線であり、主に第二工業団地や新興住宅地である山王地区への連絡手段として活用されている。物井駅に乗り入れるバス路線は、この線が最初である。本数が多いのは京成佐倉駅を発着する便であり、1時間に1本程度運行されている。この便は朝夕の一部が市役所非経由となる。一方、JR佐倉駅南口発着便は、物井駅と佐倉南高校の連絡を主眼においたものであり、平日朝夕のみ運行である。朝は物井駅から南高校入口を経由して佐倉駅に向かい、復路は工業団地経由で物井駅へ、夕方はその逆という運用が基本である。
[編集] 佐倉観光循環線
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- 京成佐倉駅~国立歴史民俗博物館~JR佐倉駅~旧堀田邸~京成佐倉駅
- 2007年2月10日運行開始。
[編集] 深夜急行バス
- 新橋駅・有楽町駅→JR船橋駅・JR津田沼駅→八千代台駅〜大和田駅〜勝田台駅〜京成佐倉駅
京成電鉄が運行していた路線の移管を受けたもの。 2006年10月2日からJR船橋駅・JR津田沼駅での乗車扱いを開始。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
発行事業者 | 東急バス・京王電鉄バス・西東京バス・関東バス・西武バス・国際興業・小田急バス・立川バス・京浜急行バス・東武バス・神奈川中央交通・相模鉄道・川崎鶴見臨港バス・江ノ島電鉄・箱根登山鉄道・京成バス・船橋新京成バス・富士急湘南バス・千葉中央バス・千葉海浜交通・千葉内陸バス・ちばレインボーバス・東京ベイシティ交通 |
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