埼玉県立浦和高等学校
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埼玉県立浦和高等学校 | |
過去の名称 | 埼玉県第一尋常中学校 埼玉県第一中学校 埼玉県立浦和中学校 敬和中学校(夜間中学) |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 埼玉県 |
共学・別学 | 男子校 |
課程 | 全日制、定時制 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒330-9330 |
埼玉県さいたま市浦和区領家5丁目3-3 | |
外部リンク | 埼玉県立浦和高等学校 |
埼玉県立浦和高等学校(さいたまけんりつ-うらわ-こうとうがっこう)は埼玉県さいたま市(旧浦和市)浦和区の高等学校。
※特記が無い場合は全日制の課程について記述している。
目次 |
[編集] 概要
1895年(明治28年)埼玉県第一尋常中学校として創設された旧制浦和中学校を前身とし、戦後、新制埼玉県立浦和高等学校となった。開学以来男子校である。また、東京大学合格者数は県内1位で、全国でも上位にランキングされている。最寄り駅は京浜東北線北浦和駅。東口から約徒歩12分。水泳部やカヌー部、剣道部などのインターハイ出場も多く、部活も盛んである。過去にはサッカー部が全国高等学校サッカー選手権大会にて1952年(昭和27年)、1954年(昭和29年)、1955年(昭和30年)と3度の優勝経験がある。全国高等学校クイズ選手権では、2005年(平成17年)の第25回大会と2006年(平成18年)の第26回大会で優勝し、大会史上初の複数回優勝と2連覇、並びに第一回世界大会制覇(ただし参加は日韓二ヶ国のみ)を成し遂げた。通称・「浦高」(うらこう)。
[編集] 校訓
- 尚文昌武(しょうぶんしょうぶ)
- 文を尊び、武を昌んにするという意味。二代目校長による造語である。
[編集] 学校行事
学業面のみではなく、国営武蔵丘陵森林公園における新入生歓迎マラソン、浦和~古河間50kmの古河強歩大会、遠泳を行う臨海学校、有志のスキー教室、クラス対抗のスポーツ大会などがあり、スポーツにも力を入れている。このほか、文化祭(浦高祭)をはじめ、学校行事はかなり豊富である。体育行事の多さから新入生は入学当初、自分たちは「浦和体育専門学校」に入学したのかと囁き合うが、じきに浦高のこの教育に染まってゆく。クラス対抗の文化大会もあり、こちらもスポーツの大会には及ばずとも白熱する。神奈川県立湘南高等学校とは、全校を挙げて運動部定期交歓戦兼文化部交流会(いわゆる「湘南戦」。湘南側では「浦高戦」と呼んだ)が毎年5月に開催されていたが、湘南側の共学化等の影響により、イベントとして長期低落傾向に入り、2002年の第46回を最後に廃止された。埼玉県立熊谷高等学校とは100年に1度という約束で、開校100周年の年に「熊高戦」が行われた。
[編集] 施設
住宅地の中にある割には野球とサッカーを同時に行える広さのグラウンドやテニスコート2面、体育館(近年まで2つあった)、開閉式の水泳場などがある。4月や10月などは学校の塀の内側にある走路を、歓迎マラソンや強歩大会に耐えるため体育着で走り回る在校生の姿を見ることができる。校舎はA、B、C棟、芸術棟(現在の埼玉県立大宮中央高等学校の前身である埼玉県立浦和通信制高等学校の跡地に立てられた)、家庭科棟などに分かれる。A棟とB棟の間の中には昔の表玄関があり、パルテノンと呼ばれる。また、食堂のある麗和会館という建物もある。他に、運動部室棟、文化部室棟(その造りから『長屋』と呼ばれている)などが設置されている。図書館はA棟の3階にあり、自習しやすい場所である。
[編集] 学生生活・学風
自由な校風であり、細かな規制は存在しないが、入学時にバイクの免許は取らないようにとの覚書は提出する。生徒は学ランを制服として着用する。校規検査は行われない。イギリスのパブリックスクール・ホイットギフト校と兄弟校となっている。卒業生には公費で留学していた人もいる。「雨天決行の原則」というのがあり、雨が降ろうと行事を中止しない。学校の回りはコンビニエンスストアや飲食店も存在し、昼時には在校生が出てきて賑わう。
[編集] 歴代校長一覧
代 | 氏名 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|
1 | 石川正 | 1896年7月 | 1897年11月 |
2 | 藤井宣正 | 1897年11月 | 1900年11月 |
3 | 高橋重蔵 | 1900年11月 | 1908年7月 |
4 | 平山正 | 1908年9月 | 1913年4月 |
5 | 渡部タマキ | 1913年4月 | 1917年1月 |
6 | 岡野章太 | 1917年1月 | 1920年7月 |
7 | 小林隆助 | 1920年7月 | 1927年8月 |
8 | 今井精一 | 1927年9月 | 1941年11月 |
9 | 五十里秋三 | 1942年3月 | 1952年3月 |
10 | 下山懋 | 1952年4月 | 1954年4月 |
11 | 木村泰夫 | 1954年4月 | 1965年3月 |
12 | 西川好明 | 1965年4月 | 1967年3月 |
13 | 柳瀬忠 | 1967年4月 | 1971年3月 |
14 | 小関一郎 | 1971年4月 | 1973年3月 |
15 | 矢代登 | 1973年4月 | 1977年3月 |
16 | 前田耕平 | 1977年4月 | 1980年3月 |
17 | 村越五郎 | 1980年4月 | 1982年3月 |
18 | 吉川正就 | 1982年4月 | 1984年3月 |
19 | 小林泰雄 | 1984年4月 | 1986年3月 |
20 | 長谷川肇志 | 1986年4月 | 1989年3月 |
21 | 鈴木勲二 | 1989年4月 | 1992年3月 |
22 | 菅野達也 | 1992年4月 | 1995年3月 |
23 | 渡邊修一郎 | 1995年4月 | 1997年3月 |
24 | 細田信良 | 1997年4月 | 2000年3月 |
25 | 倉橋政道 | 2000年4月 | 2003年3月 |
26 | 桐生貞雄 | 2003年4月 | 2006年3月 |
27 | 前島富雄 | 2006年4月 | 現在 |
[編集] 著名な卒業生
[編集] 芸術・文化
- 増田三男 - 彫金家。人間国宝(重要無形文化財保持者)。1944年(昭和19年)から1976年(昭和51年)まで浦高の教師として工芸を担当
- タケカワユキヒデ - ミュージシャン、ゴダイゴのメインボーカル
- 五十嵐隆 - ミュージシャン。Syrup 16gのボーカル、ギター担当
- 愛川欽也 - 俳優、タレント。ただし中退
- 田中保 - 洋画家、サロン・ドートンヌ会員
- 高田誠 - 洋画家、日本芸術院会員、文化功労者、元日展理事長、埼玉県民栄誉賞、紺綬褒章
- 永田二郎 - 洋画家
- 渡辺武夫 - 洋画家、日本芸術院会員、元埼玉県美術協会会長
- 川村親光 - 洋画家、埼玉文化賞受賞、埼玉県美術家協会会長、一水会運営委員、日展評議員
- 小松崎邦雄 - 洋画家
- 沢野久雄 - 作家
- 加藤克巳 - 歌人
- 仁田三夫 - 写真家
- 杉田豊 - グラフィックデザイナー、絵本作家
- 大谷羊太郎 - 推理作家、第16回江戸川乱歩賞
- 渡辺克也 - オーボエ奏者、ベルリン・ドイツ・オペラ首席
- 阿部悟郎 - ゲームクリエイター、文化庁メディア芸術祭大賞
- 三遊亭ぬう生 - 落語家
- 杜澤泰文 - 俳優、「太陽にほえろ!」「もっとあぶない刑事」などに出演
[編集] スポーツ
- 宮部保範 - アルベールビル冬季五輪のスピードスケート代表。
- 犬飼基昭 - 元浦和レッズ社長。
- 渡辺隆正 - 元浦和レッズ選手、浦和レッズハートフルクラブコーチ。
[編集] マスコミ
- 堀尾正明 - NHKアナウンサー
- 寺島淳司 - 日本テレビアナウンサー
- 山口豊 - テレビ朝日アナウンサー
- 轡田隆史 - ジャーナリスト
- 泉浩司 - NHKアナウンサー
- 小見誠広 - NHKアナウンサー
- 林弘典 - 関西テレビアナウンサー
[編集] 研究
- 村上淳一 - 法学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員
- 菅野昭正 - 仏文学者、東京大学名誉教授、日本芸術院会員
- 田中明彦 - 国際政治学者、東京大学東洋文化研究所長
- 柴崎正勝 - 化学者、東京大学大学院薬学系研究科教授、日本学士院賞
- 岩澤康裕 - 化学者、東京大学大学院理学系研究科長・理学部長、紫綬褒章
- 中里実 - 法学者、東京大学大学院法学政治学研究科教授、ハーバード大学法科大学院客員教授、専攻は租税法
- 宇治達郎 - 胃カメラ開発者
- 川村貞夫 - 病理学者、東邦大学名誉教授
- 武井武 - フェライト・コア発明者、TDK創始者、米国セラミックス協会名誉会員賞、米国セラミックス協会が「武井武賞」を創設
- 縄田和満 - 工学者、東京大学大学院工学系研究科教授
- 古沢明 - 物理学者、東京大学大学院工学系研究科助教授
- 酒井哲朗 - 生理学者、琉球大学医学部教授
- 根来龍之 - 経営情報学者、早稲田大学教授
- 椎橋章夫 - Suica開発者
- 高橋弘 - 元ハーバード大学医学部准教授
- 九里幾久雄 - 浦和大学名誉教授、九里学園副理事長。新しい歴史教科書をつくる会理事
- 町田龍一郎 - 生物学者、筑波大学大学院生命環境科学研究科助教授
- 安倍隆士 - JAXA宇宙工学研究科教授・教育センター長
[編集] 政治・行政
- 二見伸明 - 元運輸大臣、元衆議院議員(公明党 → 新進党 → 自由党)
- 武正公一 - 衆議院議員(民主党)、松下政経塾出身
- 福島豊 - 衆議院議員(公明党)、医師
- 長谷川憲正 - 参議院議員(自由民主党 → 国民新党 → 新党日本 → 国民新党)、元郵政審議官、元フィンランド大使
- 名尾良孝 - 元参議院議員(自由民主党)、元埼玉県議会議長、1991年(平成3年)参議院議員宿舎から飛び降り自殺。中央大学法学部卒
- 大河原良雄 - 元駐米大使。東京大学法学部卒。
- 安倍勲 - 元国連大使
- 須之部量三 - 元外務事務次官、元駐韓大使
- 緒方信一郎 - 元衆議院事務総長、元日本道路公団総裁、元国立国会図書館長
- 杉田和博 - 世界政経調査会会長、東京電力顧問、元内閣危機管理監、元内閣情報調査室長、元警察庁警備局長
- 駒崎義弘 - 衆議院事務総長
- 石川亨 - 自衛隊海将、前統合幕僚会議議長
- 佐藤優 - 元外務省主任分析官
- 根本崇 - 千葉県野田市市長
[編集] 経済
- 岡本圀衞 - 日本生命保険社長、三菱UFJフィナンシャル・グループ監査役
- 桑原洋 - 日立マクセル会長、日立製作所副会長
- 木村惠司 - 三菱地所社長
- 大澤秀次郎 - 元新日本石油社長、元経団連副会長
- 浅野純次 - 東洋経済新報社会長
- 大根田伸行 - ソニー最高財務責任者
- 荻野洋 - NRE社長
- 櫻井孝頴 - 第一生命保険相談役、日本経団連評議員会副議長
- 小島民雄 - 元集英社社長、会長、現在は顧問
- 川本宜彦 - サイサン会長
- 須賀等 - UBS投資部門最高責任者、元三井物産投資部門社長
- 加瀬豊 - 双日社長、俳優の加瀬亮の父親
[編集] 法曹
[編集] 医療
- 仲田寛 - 元埼玉県医師会長
[編集] その他
- 若田光一 宇宙飛行士
- 池坊雅史 - 元大蔵省キャリア、前池坊短期大学学長
- 立迫浩一 - 東京六大学野球首位打者、東大野球部選手
- 藤田進 - 東京学芸大学在学中に行方不明、北朝鮮による拉致の疑いが強いとされる
- 平柳育郎 - 海兵70期首席卒業、のち戦死
[編集] 関係者
[編集] その他
- 1927年(昭和2年)「少年倶楽部」に掲載され話題を集めた佐藤紅緑の小説「あゝ玉杯に花うけて」の舞台の一つとなった。この小説は、浦和を舞台に主人公と浦和中学生(現在の浦和高校)の青春を描いた少年小説で、1929年(昭和4年)に映画化され浦和町でロケが行われた。当時の浦和中学は、鹿島台の一角に所在し、跡地には知事公館、地方合同庁舎、浦和警察署、浦和税務署などが建てられている。浦和中学校の名残は、当時防風林であった浦和税務署前の2本の樫の木にわずかに残っている。
- 「浦和高等学校」という校名の公立高等学校は他にさいたま市立浦和高等学校があり、来校者が混同することがある。こちらを参照。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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