早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部
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早稲田大学系属早稲田実業学校(わせだだいがくけいぞくわせだじつぎょうがっこう)は、東京都国分寺市本町1丁目2番1号に所在する私立共学校。学校法人早稲田実業学校が設置する。
略称「早実(そうじつ)」、他に「実業」、「早稲田実」などがある。
早稲田大学系属早稲田実業学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人早稲田実業学校 |
設立年月日 | 1901年4月20日 |
校是 | 去華就実 |
校訓 | 三敬主義 |
創立者 | 大隈重信 |
共学・別学 | 男女共学 |
小中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 |
所在地 | 〒185-8505 |
東京都国分寺市本町1-2-1 | |
電話番号 | 042-300-2121(中・高等部) |
042-300-2171(初等部) | |
FAX番号 | 042-300-1123(中・高等部) |
042-300-2175(初等部) | |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
- 運営主体は学校法人早稲田実業学校。大学とは別法人で、早稲田大学の系属校となっている。早稲田大学側もホームページ上でグループ法人として扱っている。
- 理事長は早稲田大学総長の白井克彦(2007年04月現在)。
- 学校長は早稲田大学教育・総合科学学術院教授の渡邉重範。
- 初等部校長は早稲田大学教育・総合科学学術院教授の町田守弘。
- 小中高の一貫教育を行い、早稲田大学への推薦入学制度がある。推薦率の向上や共学化に伴って人気が上昇し、首都圏では最難関校の一つに数えられている。
- 校名は「実業学校」だが、現在は実質的に実業教育を施していない。また「早稲田実業高校」という表記が散見されるが、これは間違いである。
- 古くから体育系のクラブ活動が盛んであり、多くの部が全国レベルの活躍をしている。
[編集] 沿革
1901(明治34)年、早稲田大学の前身である東京専門学校が大学としての基礎を確立したころ、早稲田大学の創立者である大隈重信の教育理念を実現し、その建学精神に基づいた中等教育をめざして大隈重信の周囲の者達により設立された。「豊かな個性と高い学力をもち、苦難にうち勝つたくましい精神力を兼ね備えた人物」を育成するために、校是として「去華就実」(華やかなものを去り、実に就く)を、また校訓として「三敬主義」(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)を創立当初から掲げてきた。以来、実業界を中心に多彩な人材を世に送り出し、また大正期に入るとスポーツ活動の充実を図り、質実剛健の校風が確立されていった。その後、戦災で校舎は廃墟となったが、関係者の尽力により復興を果たし、戦後の急速な発展を見た。2001年に創立100周年を迎え、それまで早稲田鶴巻町にあったキャンパスを国分寺に移転した。さらに2002年4月からは、早稲田大学の系列校では初めて中等部、高等部とも男女共学を実施、また初等部を開設するなど、早実第二世紀にふさわしいスクール・アイデンティティーの構築を目指し、学校改革に取り組んでいる。
- 1901年:早稲田大学の創設者たちにより早稲田実業中学として開校。初代校長大隈英麿。
- 1902年:早稲田実業学校と改称。二代目校長に天野為之。
- 1907年:早稲田鶴巻町に校舎を移す。
- 1917年:早稲田騒動により天野が早稲田大学を去り、早実も大学の傘下から離れる。
- 1926年:早稲田商科学校を併設。
- 1944年:早実工業学校を設置(翌年廃止)。早稲田商科学校は廃止。
- 1948年:学制改革により中・高の六年制となる。高等部第二本科(夜間)は四年制。
- 1963年:「早稲田実業学校の早稲田大学系列下編入に関する合意書」を調印。再び創立時の形態に戻り、早稲田大学の系列に復帰。
- 1964年:普通科を設置。
- 2001年:国分寺市本町の新校舎に移転。
- 2002年:商業科募集停止。男女共学を実施。初等部開校。
[編集] 学科
[編集] 校歌
- 早稲田実業学校校歌
1913年に制定された。作詞は相馬御風、作曲は永井建子。 六番から構成されるが、現在は一番と二番のみ歌われる。
[編集] 歌詞
一、
都のいぬゐ早稲田なる
常磐の森のけだかさを
わが品性の姿とし
実る稲穂の帽章に
去華就実のこの校風を
高くぞ持するわが健児
二、
国と国との隔てなき
民の利福を理想とし
世界を一に結ぶべき
大なる使命をになひたる
聖き活動我が早実の
未来の鍵はここにあり
※作詞者の死後50年以上経過しているため、2000年に著作権保護期間が終了していると誤解されているが、校歌は法人著作物なので著作権は保護されている。
[編集] 硬式野球部
早稲田実業学校高等部硬式野球部は、全国高校野球大会に計45回出場している。
春の選抜高校野球大会にはこれまで18回出場し、1957年の第29回大会では王貞治投手(現福岡ソフトバンクホークス監督)が投打に活躍し、決勝戦で高知商業を5-3で下し優勝している。
夏の全国高校野球選手権大会にはこれまで27回出場し、2006年の第88回大会では決勝戦で南北海道代表の駒大苫小牧を4-3で下し初優勝を果たした。前日の決勝戦では延長15回1-1で決着せず引き分け再試合となった。決勝戦での引き分け再試合は1969年の松山商対三沢延長18回引き分け再試合以来37年ぶり2回目(当時は延長18回で現行の延長15回制になってからは初)。
初優勝に大きく貢献した斎藤佑樹投手はこの夏の大会で69イニングスに登板、948球の投球でどちらも史上1位である。斎藤は西東京大会決勝においても200球を超える投球数を投げている。甲子園決勝戦以降、彼はその活躍と魅力でマスコミに大きくとりあげられ、その後の日米親善高校野球での投球や進路などに注目が集まったが、早大教育学部への推薦入学が内定した。
2006年ののじぎく兵庫国体では決勝戦でその年の夏の甲子園大会決勝戦で戦った駒大苫小牧と再び対戦することとなり、結果は1-0で駒大苫小牧を下し29年ぶり2度目の優勝を果たした。これで夏の甲子園大会・国体の2冠を達成した。
なお、ベッカム・カプセルを使用していたことについて批判の声もあったが[要出典]、対戦相手の駒大苫小牧[1]や柳川[2]も前年に使用していた。
夏の大会は学校を移転したことや、東京都の東西地区割りが変更されたこともあり両地区から出場。地区予選で旧東京都大会・東東京・西東京ブロックの3大会での優勝は史上初である。
第1回全国中等学校優勝野球大会(1915年・大正4)に出場した学校のうち、第1回大会で優勝した京都二中、大正期に連覇した和歌山中(現桐蔭)を除いて、深紅の優勝旗を持ち帰った初めての学校でもある。
なお、甲子園においてサヨナラ負けが最も多いという不名誉な記録もある。
2006年12月12日、毎日スポーツ人賞の新人賞を受賞した。
[編集] OB・OG
[編集] 政財界
- 松永東 - 衆議院議員 元衆議院議長 1909年卒
- 高瀬荘太郎 - 参議院議員 元文部大臣 1909年卒
- 木村茂 - 元千代田区長 1942年卒
- 福永正通 - 東京メトロ副社長 元東京都副知事 1960年卒
- 鎌田泉 - 白元創業者 1923年中退
- 酒井億尋 - 荏原製作所元社長 1926年卒
- 本吉敏男 - アシェット婦人画報社元会長 1942年卒
- 重光武雄 - ロッテグループ総師 1946年卒
- 岡部稔 - 岡部ホテルグループ社長 1960年卒
- 菅原一秀 - 衆議院議員(自民党)
- 萩生田光一 - 衆議院議員(自民党)
- 平将明 - 衆議院議員(自民党)、日本振興銀行役員
[編集] 学者
- 齊藤金作 - 刑法学者・早稲田大学法学部教授1920年中退
- 金貞泰 - 元韓国政府施設評価委員・教授 1945年卒
- 三島博信 - 医学博士・教授 1945年卒
- 山下精彦 - 医学博士・教授 1958年卒
- 北野宏明 - ソニーコンピュータサイエンス研究所取締役副所長 1979年卒
- 三浦つとむ - 言語学者
[編集] 文化芸能
- 堀秀彦 - 脚本家・演出家 1943年卒
- 都筑道夫 - 小説家・翻訳家 1946年中退
- ハル常住 - ゴルフジャーナリスト 1974年卒
- 竹久夢二 - 画家・詩人 1905年中退
- 林武 - 画家・教授 1910年中退
- 藤原義江 - オペラ歌手 1914年中退
- 一龍斎貞丈(5代目)-講談師 1926年中退
- 内海清美 - 和紙彫塑作家 1956年卒
- 大迫一輝 - 陶芸家 1978年卒
- テリー伊藤 - 番組プロデューサー・タレント 1968年卒
- 樋口淳一 - NHKアナウンサー 1970年卒
- 大多亮 - フジテレビプロデューサー 1977年卒
- 小室哲哉 - ミュージシャン・音楽プロデューサー 1977年卒
- 向坂樹興 - フジテレビアナウンサー 1978年卒
- 水谷彰宏 - NHKアナウンサー 1983年卒
- 野島卓 - フジテレビアナウンサー 1985年卒
- 斉藤一美 - 文化放送アナウンサー 1986年卒
- 田崎竜太 - 映画監督 1983年卒
- 清水次郎 - 朝日放送アナウンサー 1990年卒
- 石井輝男 - 映画監督 中退
- 松本晃彦-作曲家
- 松本龍 - 東日本放送アナウンサー
- 三浦康嗣 - ミュージシャン ポップユニット、□□□(クチロロ)のメンバー
- 南波一海 - ミュージシャン ポップユニット、□□□(クチロロ)のメンバー
[編集] スポーツ
プロ野球
- 岡田源三郎 - 元プロ野球選手、元明冶大野球部監督、野球殿堂
- 西池秀豪 - 元プロ野球選手
- 手塚勝巳 - 元プロ野球選手
- 日野弘美 - 元プロ野球選手 1933年卒 明治大卒
- 宮下義雄 - 元プロ野球選手 1934年卒
- 小田切茂造 - 元プロ野球選手
- 安永正四郎 - 元プロ野球選手 1934年卒
- 太田健一 - 元プロ野球選手 1937年卒
- 望月潤一 - 元プロ野球選手 1937年卒
- 小林善一郎 - 元プロ野球選手 1937年卒
- 宮下信明 - 元プロ野球選手 1943年卒 早大卒
- 王貞治 - 元プロ野球選手・現福岡ソフトバンクホークス監督、野球殿堂 1959年卒
- 荒川博 - 元プロ野球選手・監督 1949年卒 早大卒
- 海部和夫 - 元プロ野球選手 1949年卒
- 齋藤精宏 - 元プロ野球選手 1954年卒 早大卒
- 田中淳二 - 元プロ野球選手
- 佃明忠 - 元プロ野球選手 1954年卒
- 榎本喜八 - 元プロ野球選手 元祖「安打製造機」 1955年卒
- 河西宏和 - 元プロ野球選手 1955年卒
- 徳武定之 - 早慶六連戦で主将・四番 元プロ野球選手・千葉ロッテ・中日代行監督 1957年卒 早大卒
- 醍醐猛夫 - 元プロ野球選手 1957年卒
- 相沢邦昭 - 元プロ野球選手 1958年卒
- 河原田明 - 元プロ野球選手 1959年卒
- 醍醐俊光 - 元プロ野球選手
- 西田暢 - 元プロ野球選手 早大卒
- 内田桂一 - 元プロ野球選手
- 金村東 - 元プロ野球選手 1968年卒
- 荒川尭 - 元プロ野球選手、「右の王」東京六大学野球通算本塁打4位 1966年卒 早大卒
- 大矢明彦 - 元プロ野球選手・現横浜ベイスターズ監督 1966年卒 駒沢大卒
- 石渡茂 - 元プロ野球選手 1971年卒 中央大卒
- 田村登志親 - 元プロ野球選手 中央大卒
- 田野倉利行 - 元プロ野球選手 1973年卒
- 有賀佳弘 - 元プロ野球選手、東京六大学野球首位打者 1976年卒 早大卒
- 川又米利 - 元プロ野球選手・解説者 1979年卒
- 荒木大輔 - 元プロ野球選手・投手コーチ 1983年卒
- 石井丈裕 - 元プロ野球選手 1983年卒 法政大卒
- 板倉賢司 - 元プロ野球選手 1984年卒
- 上福元勤 - 元プロ野球選手 1984年卒
アマ野球
- 水上義信 - 六大学野球草創期の早大野球部投手 1925年卒 早大卒
- 高橋外喜雄 - 戦前の甲子園出場時の名投手 1927年卒 早大卒
- 本橋精一 - 戦前の甲子園出場時の名投手、戦死、早大卒
- 宮井勝成 - 元早実野球部監督、早実OB会会長、中央大野球部総監督。1946年卒、中央大卒。
- 和田明 - 元早実野球部監督 1955年卒
- 中屋恵久男 - 元社会人野球選手、学生日本代表。元西武・石毛宏典のライバル。 1975年卒 早大卒
- 清水隆一 - 元熊谷組監督 1978年卒 早大卒
- 弓田鋭彦 - 甲子園出場時投手、ベスト8 1978年卒 早大卒
- 山岡靖 - 甲子園出場時投手 1979年卒 早大卒
- 荒木健二 - 早慶戦で山岡靖・広岡資生(姫路東)との三者連続ホームラン。荒木大輔の兄 1979年卒 早大卒
- 阿久根謙司 - 元東京ガス監督 東京六大学野球ベストナイン2回 1982年秋早慶戦で優勝を決める決勝打 のち東京ガスで活躍 1980年卒 早大卒
- 和泉実 - 現早実野球部監督 2006年度夏の甲子園で全国制覇 1980年卒 早大卒
- 栗林友一 - 1980年度夏の甲子園準優勝時主将 1981年卒 中央大卒
- 小山寛陽 - 元関東一高監督 1982年卒 早大卒
- 小沢章一 - 元千葉英和高野球部監督、2006年逝去。 1983年卒 早大卒。
- 松本達夫 - 日本テレビチーフプロデューサー。捕手として荒木とバッテリー組む。1983年卒 早大卒。
- 斎藤佑樹 - 2006年度夏の甲子園優勝投手(春夏共に引き分け再試合を経験) 2007年卒 早大教在学。
その他
- 藤野素宏 - プロバスケットボール選手 日本人3人目のABAプレイヤー。
- 原田正彦 - 陸上競技選手、2002年箱根駅伝2区区間賞、1998年卒、早大卒
- 打矢二郎 - 早大ラグビー部フランカー、1989年度大学選手権優勝 1985年卒 早大卒
- 古賀聡 - 元Jリーガー、元Jリーグ鹿島アントラーズ所属、現:鹿島アントラーズユースコーチ 1988年卒 早大卒
- 外池大亮 - 現役Jリーガー、Jリーグ湘南ベルマーレ在籍、1993年卒、早大卒
- 佐々木崇 - 元Jリーガー、元Jリーグガンバ大阪、1993年卒、早大卒
[編集] 校賓
[編集] 関連項目
- 早稲田大学
- 早稲田大学高等学院
- 早稲田大学本庄高等学院
- 早稲田中学校・高等学校
- 早稲田渋谷シンガポール校
- 学校記事一覧
- 東京都高等学校一覧
- 実業学校
- 駒大苫小牧対早稲田実業決勝延長15回引き分け再試合
- 関西対早稲田実業延長15回引き分け再試合