松永浩典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松永 浩典(まつなが ひろのり、1984年2月24日 - )は、プロ野球・西武ライオンズ所属の投手。
長崎県長崎市(元・西彼杵郡三和町)出身・174cm75kg・左投左打・背番号24。
[編集] 来歴・人物
三和町立蚊焼小学校(現・長崎市立蚊焼小学校)、三和中学校(現・長崎市立三和中学校)を経て長崎海星高等学校に進学した。なお、同級生には楠本学(福岡大学 - 2006年から松下電器野球部)がいる。
2000年秋季九州大会で海星高校野球部はベスト4に入るが、この時2年生だった松永はエースで4番を務め、投打にわたって活躍し、注目を浴びるようになる。翌2001年春の第73回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦で仙台育英学園高等学校と対戦。試合は仙台育英の左腕エース・芳賀崇との息詰まる投手戦となったが、延長10回・3 - 4でサヨナラ負けを喫した。なお、仙台育英はこの大会で準優勝している。
海星高校野球部は同年の甲子園春夏連続出場を目指したが、長崎県大会3回戦で諫早高校に4 - 5のサヨナラ負けを喫し、夏の甲子園出場はならなかった。
投打ともすぐれた野球センスが注目される中、翌2002年春に三菱重工長崎硬式野球部に入部した。なお、この時に与えられた背番号18は前年にプロ入りした杉内俊哉の背番号を受け継いだものである。
入社早々から投手としてオープン戦に登板機会を与えられる。細身ながら130km/h前後の速球と80km/hそこそこのスローカーブを繰り出し、社会人の強打者を相手に思い切りのいいピッチングを披露した。
その後、徐々に体も大きくなり、速球が145km/hを記録するなど球威もついてきたが、肩や手の故障もあり伸び悩んだ時期もあった。2005年を迎えるにあたり、一時は外野手転向も考えたが、投手出身の牧瀬寅男監督から投手続行を勧められ、思いとどまる。
社会人4年目を迎えた2005年は思い切りのよさが戻り、JABA岡山大会、JABA九州大会では優勝に貢献するなど春先から好投が続いた。都市対抗野球、日本選手権では目立った戦績を残せなかったが、素材のよさが注目され、希望枠で西武ライオンズ入団が決定した。
2006年8月3日のロッテ戦にて、6回1死までを1失点、8奪三振の好投を見せ、プロ初勝利をマークした。
[編集] 関連項目
0 大崎雄太朗 | 2 柴田博之 | 3 中島裕之 | 4 高木浩之 | 5 和田一浩 | 6 後藤武敏 | 7 片岡易之 | 8 平尾博嗣 | 9 赤田将吾 | 10 佐藤友亮 | 11 岸孝之 | 12 河原純一 | 13 西口文也 | 14 小野寺力 | 15 大沼幸二 | 16 涌井秀章 | 17 山崎敏 | 19 長田秀一郎 | 20 山本淳 | 21 石井貴 | 22 野田浩輔 | 23 許銘傑 | 24 松永浩典 | 25 正津英志 | 26 星野智樹 | 27 細川亨 | 28 岡本篤志 | 29 三井浩二 | 30 ジェーソン・ジョンソン | 31 吉見太一 | 32 石井義人 | 33 江藤智 | 34 クリストファー・ギッセル | 35 岩崎哲也 | 36 山岸穣 | 37 銀仁朗 | 38 西川純司 | 39 貝塚政秀 | 40 ジェフリー・リーファー | 41 木村文和 | 42 アレックス・カブレラ | 43 原拓也 | 44 高山久 | 45 水田圭介 | 46 G.G.佐藤 | 47 帆足和幸 | 48 松川誉弘 | 49 上本達之 | 50 田沢由哉 | 51 大島裕行 | 52 栗山巧 | 53 福地寿樹 | 54 アレックス・グラマン | 55 黒田哲史 | 56 黒瀬春樹 | 57 田中靖洋 | 58 松坂健太 | 59 山本歩 | 60 中村剛也 | 61 星秀和 | 62 朱大衛 | 63 藤原虹気 | 64 石橋尚登 | 65 内田和也 | 66 宮越徹 | 68 田原晃司 | 69 東和政
83 監督 伊東勤 | 71 土井正博 | 75 荒木大輔 | 80 森山良二 | 78 立花義家 | 81 植田幸弘 | 72 清水雅治 | 79 笘篠誠治 | 87 原井和也 | 74 二軍監督 渡辺久信 | 76 田辺徳雄 | 77 石井丈裕 | 86 潮崎哲也 | 89 森博幸 | 88 相馬勝也 | 70 河田雄祐 | 98 大迫幸一 | 99 坂元忍 |