涌井秀章
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涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、プロ野球・パシフィック・リーグの西武ライオンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手。背番号は16番。最速151km/hの速球、連投を苦にしないタフネス。その他カーブ・スライダー・シンカー・カットボールなどの変化球も投げ分ける。報道ステーションでは若干二十歳のエースと呼ばれている。
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[編集] 横浜高校時代
- 2003年春の甲子園に1学年上の成瀬善久と共に出場した。準決勝までは成瀬のリリーフとして好投を続けてきた。決勝戦では先発登板したが、広陵の上位打線につかまり3-15と大敗した。
- 2004年の国体決勝で投げ合い勝利した日本ハムの同い年、ダルビッシュ有とはお互いに良いライバル関係であり、親友でもある。
- 涌井は2004年夏の甲子園(報徳学園戦、相手投手は現東北楽天ゴールデンイーグルス所属の片山博視)でもホームランを打ったり、練習試合では4番打者として出場した経験もあるためバッティングも上手いといわれている。
- 松坂を指導していた横浜高校のコーチは、「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147キロを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。
- ドラフト直前は最速148km/hとキレ味鋭いスライダーを評判に、西武・オリックスが指名を名言。ただ、オリックスは2位での指名を名言しており、西武が涌井を獲るには1位での指名を余儀なくされる(涌井は1位指名クラスの選手であり、「余儀なくされる」という表現が正しいかは分からない)。結局、西武の単独指名となった。
[編集] 西武ライオンズ時代
- 2004年のドラフト会議で西武に1巡目で指名される。プロ入りまでの球歴が松坂大輔に似ている事もあり、メジャーリーグに移籍した(当時はまだ移籍していない)松坂の後継者として期待がかけられる。
- 2005年シーズンには、西武の投手としては同じ横浜高校の先輩である松坂大輔以来となる高卒ルーキーでの開幕1軍入りを果たした。しかし、開幕4戦目に先発したものの7失点で敗戦投手となり、次の登板も5失点で敗戦投手となると、2軍降格となった。再昇格後の6月18日に、交流戦最終戦のヤクルトスワローズ戦で、念願のプロ初勝利を挙げた。だがその後は勝ち星に見放され、再び2軍降格となった。
- 2006年3月26日のオリックス・バファローズ戦では高卒ルーキーの炭谷銀仁朗捕手と「10代バッテリー」を組み、7回1失点の好投で勝利投手となった。10代バッテリーでの勝利は1989年、横浜大洋ホエールズの石井忠徳(現在内野手の石井琢朗)-谷繁元信以来17年ぶりであった。2年目の急成長で開幕3連勝も飾った。4月23日の楽天戦では同じく炭谷とのバッテリーで自身初の完投および完封勝利を飾り、10代バッテリーによる完封はドラフト制度導入後初の快挙となった。
- 炭谷銀仁朗捕手とは相性がよく、炭谷が一軍に復帰し先制点を挙げるなど活躍した06年6月6日のヤクルト戦でも先発を務めて勝利し、交流戦の最終試合(06年6月20日広島戦)で自身10代最後の試合(翌日が20歳の誕生日であった)にも炭谷とのバッテリーで勝利を挙げた。
- 2006年6月にはリーグ1位の防御率を記録し、3勝1敗の好成績を残し自身初の月間MVPを受賞。期間中、登板した4試合を全て完投している。
- 西武ライオンズ発足後、背番号16を背負うのは涌井を含めたった3人しかおらず(1979年-1989年:松沼雅之、1990年-2004年:潮崎哲也…いずれも右投げの投手)、しかもその間、空き番になったシーズンはない。
- 2006年、監督推薦でオールスター初出場。2回で打者9人に対し、奪三振1、被安打3で自責点2の成績でオールスター新人賞獲得はならず。この日始球式に出たPUFFYに先輩の松坂が、『涌井のケータイの着メロは「愛のしるし」だ』とバラし、涌井はPUFFYからサイン入りCDをプレゼントされた。
- 同年の8月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦に先発した際は6回までノーヒットノーラン(四球1つ)と好投し、「西武ライオンズ発足以来パ・リーグ公式戦通算2000勝目」を飾った。なおこの「通算2000勝」は当初西武球団広報や通信社の記者にも気付かれず、インターネットのBBSに投稿された一西武ファンの情報によって初めて明らかになったことが文化放送ライオンズナイターの中川充四郎公式サイトで公表された。
- 同年オフ、日米野球にも出場。ノビのあるストレートとブレーキの効いたカーブでメジャーの強打者を翻弄。ライアン・ハワードやジャーメイン・ダイなどを抑えた。その中でダイは、「いずれメジャーで通用する素晴らしい投手だった」と弱冠20歳の涌井を褒め称えた。この日投げたカーブを、上原は「欲しいですねぇ(笑)」と語るほどキレが良かった。
- 投球フォームのバランスが良く、リリースポイントが非常に前である。肘が柔らかく、フォームについては巨人の上原が「非常にバランスのよいフォームだ」と褒めた。
- キャンプでは「カミソリシュート」の異名を持った平松政次氏にシュートを伝授された。
- 2007年4月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦の5回表に、プロ野球史上12人目となる1イニング4奪三振を達成した。
[編集] 人物
- 2005年シーズンオフ、チームメイトの赤田将吾選手のサイトに場を借りてファンへのメッセージを掲載したが、まるで女子高生のメールのような顔文字を多用した文章を披露、ファンの間で話題になる。チームメイトからも一風変わったキャラクターとして可愛がられているらしく、この辺の雰囲気は松坂よりも、ライオンズ二大エースを形成するもう一人・西口文也を彷彿とさせるものである。
- ポーカーフェイスとしても知られ、中学時代からピンチやホームランを打たれても表情を崩さない。中・高校時代は「ユニフォームを着ると性格が変わる」と言われるほどポーカーフェイスとともに日常生活とのギャップが激しい。しかし、高校3年の夏の甲子園報徳学園戦後の取材で、彼女からもらったペンダントを見ていたのを見られ、それについて聞かれたときは嬉しそうに表情を崩す一面も見られた。
- 意外にもゲーマーであり、好きなゲームは実況パワフルプロ野球。
[編集] 略歴
[編集] アマチュア時代の戦歴
- 2003年 春の甲子園準優勝。
- 2004年 夏の甲子園でエースとしてチームをベスト8に導く。
- 2004年 彩の国まごころ国体(埼玉国体)決勝で先発登板、完投勝利で優勝を飾った。
[編集] プロ時代の戦歴
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝 | 負 | S | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 四球 | 死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | |
2005 | 西武 | 16 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | .143 | 253 | 55 | 1/3 | 62 | 11 | 23 | 4 | 57 | 2 | 0 | 45 | 45 | 7.32 |
2006 | 西武 | 26 | 8 | 1 | 2 | 12 | 8 | 0 | .600 | 734 | 178 | 161 | 16 | 53 | 8 | 136 | 7 | 1 | 79 | 64 | 3.24 |
[編集] 関連項目
0 大崎雄太朗 | 2 柴田博之 | 3 中島裕之 | 4 高木浩之 | 5 和田一浩 | 6 後藤武敏 | 7 片岡易之 | 8 平尾博嗣 | 9 赤田将吾 | 10 佐藤友亮 | 11 岸孝之 | 12 河原純一 | 13 西口文也 | 14 小野寺力 | 15 大沼幸二 | 16 涌井秀章 | 17 山崎敏 | 19 長田秀一郎 | 20 山本淳 | 21 石井貴 | 22 野田浩輔 | 23 許銘傑 | 24 松永浩典 | 25 正津英志 | 26 星野智樹 | 27 細川亨 | 28 岡本篤志 | 29 三井浩二 | 30 ジェーソン・ジョンソン | 31 吉見太一 | 32 石井義人 | 33 江藤智 | 34 クリストファー・ギッセル | 35 岩崎哲也 | 36 山岸穣 | 37 銀仁朗 | 38 西川純司 | 39 貝塚政秀 | 40 ジェフリー・リーファー | 41 木村文和 | 42 アレックス・カブレラ | 43 原拓也 | 44 高山久 | 45 水田圭介 | 46 G.G.佐藤 | 47 帆足和幸 | 48 松川誉弘 | 49 上本達之 | 50 田沢由哉 | 51 大島裕行 | 52 栗山巧 | 53 福地寿樹 | 54 アレックス・グラマン | 55 黒田哲史 | 56 黒瀬春樹 | 57 田中靖洋 | 58 松坂健太 | 59 山本歩 | 60 中村剛也 | 61 星秀和 | 62 朱大衛 | 63 藤原虹気 | 64 石橋尚登 | 65 内田和也 | 66 宮越徹 | 68 田原晃司 | 69 東和政
83 監督 伊東勤 | 71 土井正博 | 75 荒木大輔 | 80 森山良二 | 78 立花義家 | 81 植田幸弘 | 72 清水雅治 | 79 笘篠誠治 | 87 原井和也 | 74 二軍監督 渡辺久信 | 76 田辺徳雄 | 77 石井丈裕 | 86 潮崎哲也 | 89 森博幸 | 88 相馬勝也 | 70 河田雄祐 | 98 大迫幸一 | 99 坂元忍 |
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