福地寿樹
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福地 寿樹(ふくち かずき、本名は福地和広、1975年12月17日 - )は、プロ野球西武ライオンズに所属する外野手(2006年までは内野手登録)。
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[編集] 人物・来歴
佐賀県立杵島商業高校では3年夏の県大会でベスト4。しかし佐賀県高校選抜では4番を務めるなど非凡な才能を発揮。1993年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。1995年から1998年までウエスタン・リーグで4年連続盗塁王。1999年に登録名を「和広」から「寿樹」に変更した。2003年はセ・リーグ2位タイの盗塁数を記録。
2004年は二塁手のレギュラーの座を狙える状態だったが、開幕前に右足首靱帯断裂の大怪我。その影響で大幅に出遅れた。漸くシーズン最終戦・最終打席(10月14日・横浜ベイスターズ戦の9回二死)でシーズン初安打となる二塁打を吉見祐治から放ち、その試合で広島打線をその時点まで無安打に抑えていた吉見のノーヒットノーラン達成を阻止した。広島はその10日前、10月4日の阪神タイガース戦で井川慶にノーヒットノーランを許しており、福地の一撃によって同一月に2度のノーヒットノーランを喫する史上初の不名誉を免れた。
2006年3月23日、青木勇人とのトレードで西武ライオンズに移籍し打撃開眼、誰も予想しなかった好調な打撃を見せた。大幅にパワーアップを果たした福地は交流戦に入ってから1番バッターとして定着し、競争の激しい西武外野陣の中で見事に右翼手のレギュラーを掴み取った。また広島時代にはたった1本しか打てなかったホームランも西武に移籍してからは2006年シーズンは4本も打っており、いずれもいい場面でのホームランである。彼の最大の持ち味である盗塁も自身最高となる25個を決め、プロ13年目にして最高のシーズンとなった。
2007年はオープン戦から好調で、センターのレギュラーだった赤田将吾を抑えて1番センターで開幕スタメンの座をつかんだ。
- その類い希な俊足が最大の特徴。また、ただの俊足にとどまらず、いわゆる「3S」と呼ばれるスタート・スライディング・スピードの盗塁技術3つをきっちり備えている。そのため試合終盤の大事な場面で代走に出てきても、警戒をかいくぐりあっさり盗塁を成功させるというシーンが非常に多い。9回に代走で登場し相手投手の1球目に二盗、続く2球目に三盗を成功させたことがある。
- 阪神の赤星憲広に「スタメン奪取すれば、盗塁王争いの最大のライバルに躍り出られるから恐ろしい」と、そのクセのある走力を絶賛された(赤星は、福地のパ・リーグ移籍を聞いて、ライバルが減ったと喜んでいたという)。
- その足の速さと当時の背番号から、カープファンからは「マッハ44」の愛称で親しまれた。
- 弱肩であり、2006年の巨人戦で清水隆行の中飛を獲り、送球するも間に合わず、犠飛でサヨナラ負けした際、豊田泰光に「しっかしあのセンター(この試合は福地がセンターだった)、肩弱いね~」、「そのまんま走って(球を)送った方が良いくらい」と酷評されてしまった。反面、俊足を活かしたファインプレイも多く、チームのピンチを救う場面も多々見られる。
- 佐賀出身の福地と熊本出身の高山久とは九州同士で仲がよく、遠征先で一緒に食事をしたり共に体重管理の指導を受けたりしている。
- 福地がプロ初の満塁本塁打を放った2006年7月11日の試合では高山が代打で登場しサヨナラ安打を放っており、「あいつ3分でヒーローになりやがって。オレは4時間以上も試合に出てるのに」と笑いながらコメントした。
[編集] 西武ライオンズでの変身
福地寿樹にとって、西武ライオンズへの移籍は文字通り野球人生の転機となった。そのターニングポイントとして彼は、移籍直後の二軍調整中に広島時代の大先輩でもある河田雄祐コーチによるアドバイスを挙げている。同コーチは福地に対して「とにかく振り切ること」をアドバイスしたといい、広島時代叩きつけることばかりを心がけていた福地の打撃観が、これによって大きく変わることになったという。スイングに思い切りの良さが戻ったことで打率、長打力とも格段に向上し、かつての代走専任から一転、上位打線のスタメン出場も多くなるという好結果を生んだのである。
反面、最大の武器がやはり走力であることにやはり変わりはなく、接戦の終盤でセーフティーバント・盗塁と立て続けに決めて一人でチャンスメイクしたり、暴投で二塁から一気に生還したりと、足によって試合を動かしてゆくプレーを次々と披露。スピード感にパワーをも備えたその活躍には枚挙に暇がなく、黄金時代の西武野球再現を待望するファンの人気も急上昇している。
2007年は開幕戦から1番バッターとして出場しており、盗塁王の期待もかかる。
[編集] プロフィール
- 身長・体重 183cm・81kg
- 血液型 O型
- 投打 右投両打
- 出身校 佐賀県立杵島商業高校
- ドラフト年度・順位 1993年4位
- 守備位置 外野手、二塁手
[編集] 所属球団
[編集] 背番号
[編集] 経歴・タイトル
[編集] 年度別成績(一軍)
年度 | チーム | 試合数 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | 広 島 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1995年 | 広 島 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1996年 | 広 島 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997年 | 広 島 | 2 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1998年 | 広 島 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999年 | 広 島 | 14 | .240 | 6 | 0 | 1 | 4 |
2000年 | 広 島 | 51 | .059 | 1 | 0 | 0 | 11 |
2001年 | 広 島 | 52 | .571 | 4 | 0 | 2 | 10 |
2002年 | 広 島 | 53 | .258 | 25 | 0 | 5 | 16 |
2003年 | 広 島 | 91 | .258 | 41 | 1 | 4 | 20 |
2004年 | 広 島 | 19 | .059 | 1 | 0 | 0 | 0 |
2005年 | 広 島 | 30 | .182 | 2 | 0 | 0 | 8 |
2006年 | 西 武 | 91 | .289 | 85 | 4 | 22 | 25 |
通算 | 403 | .261 | 165 | 5 | 34 | 94 |
[編集] 関連項目
0 大崎雄太朗 | 2 柴田博之 | 3 中島裕之 | 4 高木浩之 | 5 和田一浩 | 6 後藤武敏 | 7 片岡易之 | 8 平尾博嗣 | 9 赤田将吾 | 10 佐藤友亮 | 11 岸孝之 | 12 河原純一 | 13 西口文也 | 14 小野寺力 | 15 大沼幸二 | 16 涌井秀章 | 17 山崎敏 | 19 長田秀一郎 | 20 山本淳 | 21 石井貴 | 22 野田浩輔 | 23 許銘傑 | 24 松永浩典 | 25 正津英志 | 26 星野智樹 | 27 細川亨 | 28 岡本篤志 | 29 三井浩二 | 30 ジェーソン・ジョンソン | 31 吉見太一 | 32 石井義人 | 33 江藤智 | 34 クリストファー・ギッセル | 35 岩崎哲也 | 36 山岸穣 | 37 銀仁朗 | 38 西川純司 | 39 貝塚政秀 | 40 ジェフリー・リーファー | 41 木村文和 | 42 アレックス・カブレラ | 43 原拓也 | 44 高山久 | 45 水田圭介 | 46 G.G.佐藤 | 47 帆足和幸 | 48 松川誉弘 | 49 上本達之 | 50 田沢由哉 | 51 大島裕行 | 52 栗山巧 | 53 福地寿樹 | 54 アレックス・グラマン | 55 黒田哲史 | 56 黒瀬春樹 | 57 田中靖洋 | 58 松坂健太 | 59 山本歩 | 60 中村剛也 | 61 星秀和 | 62 朱大衛 | 63 藤原虹気 | 64 石橋尚登 | 65 内田和也 | 66 宮越徹 | 68 田原晃司 | 69 東和政
83 監督 伊東勤 | 71 土井正博 | 75 荒木大輔 | 80 森山良二 | 78 立花義家 | 81 植田幸弘 | 72 清水雅治 | 79 笘篠誠治 | 87 原井和也 | 74 二軍監督 渡辺久信 | 76 田辺徳雄 | 77 石井丈裕 | 86 潮崎哲也 | 89 森博幸 | 88 相馬勝也 | 70 河田雄祐 | 98 大迫幸一 | 99 坂元忍 |