細川亨
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細川 亨(ほそかわ とおる、1980年1月4日 - )は、西武ライオンズ所属のプロ野球選手。ポジションは捕手。背番号は27番。ニックネームは「キヨシ」(顔が氷川きよしに似ていることから)。
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[編集] 人物
強肩強打が持ち味の捕手で、2001年伊東勤の後継を期待されて入団、2003年に93試合出場し頭角を現す。
伊東が監督就任した2004年、ポジションを争っていた野田浩輔の負傷もあり、初の100試合出場(116試合)を果たすなど、以降現在に至るまで西武ライオンズの正捕手候補として活躍している。2004年4月4日の北海道日本ハムファイターズ戦では、プロ野球史上63度目のサイクルヒットを達成した。また犠打の名手でもあり、2005年の犠打数27はリーグトップ。
2005年はリード面では一定の信頼を得たものの、例年通りの打撃不振で打率が1割台に低迷。また守備面ではリーグ最多の捕逸数を記録し、さらに企図数は少ないものの盗塁阻止率もリーグワースト2位と、攻守両面での不安を露呈した。捕逸ワーストという数字が示すほど実際は捕球技術が拙劣というわけではないが、つまりそれは単純ミスが多いという裏返しでもあり、その結果2006年は開幕戦スタメンを3年振りに明け渡し、その座を勝ち取った高卒新人・炭谷銀仁朗に鮮烈デビューを許す結果となった。
正捕手争いの上では、野田浩輔ら他の選手に比べ豊富な経験を生かしたリード、長打力、バント技術の巧みさ、また捕手として重要な条件である身体の丈夫さが武器となり、他の選手との差を大きくつけた。また交流戦で阪神・赤星憲広の盗塁を二度刺すなど、本来は強肩も持ち味である。2006年の春季キャンプで伊東勤監督から「スナップスローを心がけてみろ」と指導を受けた結果、盗塁阻止率が昨年と比べ大幅に改善、2006年はリーグ1位の盗塁阻止率と本来の持ち味が出された結果となった。
2006年は、先述の通り盗塁阻止率がリーグ最高の.469を記録すると同時に、年間通じて捕逸無しとこちらも向上。前年リーグ最下位・準最下位の辛酸を嘗めた両部門で一転リーグトップに転じるという長足の進歩を見せた。更に打撃でもフォーム改造(後述)の奏功もあって終盤好調を維持するなど改善の兆しを見せ、また最大の懸案であったリードも伊東監督に「落ち着いてリード出来るようになった」と信頼を得るなど、全面において大きく評価を上げた一年となった。
この年で日本球界を去ることになった松坂大輔が登板するときは炭谷ではなく細川がバッテリーを組み、また当初は炭谷が組んでいた涌井の登板時にも終盤では先発するなど、レギュラー争いを一応は制した格好であるが、しかし依然炭谷ら若手との競争は熾烈を極めており、当面は現在同様、伊東の引退以来チームの懸案事項である正捕手候補としてしのぎを削ってゆくことになると思われる。
細川はかねてから伊東監督の現役時代に付けていた背番号27を希望していたが、2006年12月29日に晴れてその背番号を受け継ぐことになった。
2006年シーズン前半は例年以上の打撃不振に見舞われたことから、シーズン中盤からバッティングフォームを大幅に変え、ランナーがいてもいなくてもバントの構えからヒッティングに切り替えるバスター打法を取り入れた。これが結果的に大成功であった。このフォームは最短距離でバットが出るようになることから大幅に三振を減らしただけでなく、8月頃からは主力打者顔負けの高打率に本塁打も量産し、恐怖の8番打者としてスポーツ紙に取り上げられるなど注目を集めた。しかし打率はやはり1割台に終わってしまった。この好調が2007年以降も続くようなら、守備だけでなく打撃でも大きく成長することになる。
プロ野球界では珍しい青森県の出身で、アマ球界中も一貫して青森県でプレーしていた。
ニックネームの「キヨシ」は伊東が名付け親であり、ホームゲームでの登場テーマには氷川きよしの「きよしのズンドコ節」が使われているが、このCDは細川本人が自前で購入したものである。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m83cm、88kg
- 投打 右/右
- 出身地 青森県東津軽郡平内町
- 血液型 B
- 球歴・入団経緯 青森北高校 - 青森大 - 西武ライオンズ(2002年-)
- プロ入り年度・ドラフト順位 2001年(自由枠)
[編集] プロ時代の戦歴
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
年度 | チーム | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 失策 |
2002 | 西武 | 2 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | 0 |
2003 | 西武 | 93 | 216 | 195 | 21 | 39 | 12 | 1 | 5 | 68 | 14 | 1 | 9 | 0 | 9 | 2 | 64 | 4 | .200 | 1 |
2004 | 西武 | 116 | 366 | 313 | 34 | 68 | 21 | 1 | 11 | 124 | 39 | 2 | 23 | 1 | 22 | 6 | 104 | 5 | .217 | 5 |
2005 | 西武 | 113 | 348 | 289 | 25 | 56 | 12 | 1 | 8 | 94 | 32 | 0 | 27 | 1 | 29 | 2 | 86 | 4 | .194 | 3 |
2006 | 西武 | 99 | 312 | 266 | 22 | 53 | 13 | 1 | 7 | 89 | 27 | 0 | 26 | 1 | 15 | 4 | 68 | 3 | .199 | 4 |
通算成績 | 423 | 1246 | 1067 | 102 | 216 | 58 | 4 | 31 | 375 | 112 | 3 | 85 | 3 | 75 | 14 | 323 | 16 | .202 | 13 |
[編集] 背番号
0 大崎雄太朗 | 2 柴田博之 | 3 中島裕之 | 4 高木浩之 | 5 和田一浩 | 6 後藤武敏 | 7 片岡易之 | 8 平尾博嗣 | 9 赤田将吾 | 10 佐藤友亮 | 11 岸孝之 | 12 河原純一 | 13 西口文也 | 14 小野寺力 | 15 大沼幸二 | 16 涌井秀章 | 17 山崎敏 | 19 長田秀一郎 | 20 山本淳 | 21 石井貴 | 22 野田浩輔 | 23 許銘傑 | 24 松永浩典 | 25 正津英志 | 26 星野智樹 | 27 細川亨 | 28 岡本篤志 | 29 三井浩二 | 30 ジェーソン・ジョンソン | 31 吉見太一 | 32 石井義人 | 33 江藤智 | 34 クリストファー・ギッセル | 35 岩崎哲也 | 36 山岸穣 | 37 銀仁朗 | 38 西川純司 | 39 貝塚政秀 | 40 ジェフリー・リーファー | 41 木村文和 | 42 アレックス・カブレラ | 43 原拓也 | 44 高山久 | 45 水田圭介 | 46 G.G.佐藤 | 47 帆足和幸 | 48 松川誉弘 | 49 上本達之 | 50 田沢由哉 | 51 大島裕行 | 52 栗山巧 | 53 福地寿樹 | 54 アレックス・グラマン | 55 黒田哲史 | 56 黒瀬春樹 | 57 田中靖洋 | 58 松坂健太 | 59 山本歩 | 60 中村剛也 | 61 星秀和 | 62 朱大衛 | 63 藤原虹気 | 64 石橋尚登 | 65 内田和也 | 66 宮越徹 | 68 田原晃司 | 69 東和政
83 監督 伊東勤 | 71 土井正博 | 75 荒木大輔 | 80 森山良二 | 78 立花義家 | 81 植田幸弘 | 72 清水雅治 | 79 笘篠誠治 | 87 原井和也 | 74 二軍監督 渡辺久信 | 76 田辺徳雄 | 77 石井丈裕 | 86 潮崎哲也 | 89 森博幸 | 88 相馬勝也 | 70 河田雄祐 | 98 大迫幸一 | 99 坂元忍 |
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