チャコの海岸物語
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チャコの海岸物語 | ||
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サザンオールスターズ の シングル | ||
リリース | 1982年1月21日 1988年6月25日(再発) 1998年2月11日(再発) 2005年6月25日(再発) |
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録音 | 1981年11月~12月 VICTOR STUDIO KRS STUDIO |
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ジャンル | ロック | |
時間 | 7分35秒 | |
レーベル | ビクター音楽産業 | |
プロデュース | サザンオールスターズ | |
レビュー | ||
チャート順位 | ||
ゴールド等認定 | ||
売上枚数 | ||
サザンオールスターズ 年表 | ||
栞のテーマ (1981年) |
チャコの海岸物語 (1982年) |
匂艶 THE NIGHT CLUB (1982年) |
『チャコの海岸物語』(チャコのかいがんものがたり)は、サザンオールスターズの14枚目のシングル。1982年1月21日発売。発売元はビクター音楽産業。
目次 |
[編集] 解説
愛しい人「チャコ」へ向けたラブソング。当時のサザンとしては珍しい、歌謡曲やグループサウンズを意識した楽曲になっている。サザンの代表曲の1つでもある。
当時アルバムはヒットしていたものの、シングルセールスは1980年から低迷していたサザン。そんな状況を打破するために、当時大流行していたアイドルグループ、たのきんトリオをヒントにし、テレビ出演を増やし、音楽番組だけではなく「8時だョ!全員集合」などのバラエティ番組にもゲスト出演した。
この「チャコの海岸物語」のヒットにより、再び人気が盛り返すきっかけとなった。発売翌週のオリコンシングルチャートでは初登場46位であったが、当時メンバーの桑田佳祐と原由子の結婚も話題となり、徐々にチャートを上昇。最終的に最高2位となる代表曲となった。年末にはアーティストとして全日本有線放送大賞最多リクエスト歌手賞を受賞、この曲で同賞の最多リクエスト曲賞も受賞し、大晦日には1979年以来3年ぶりにNHK紅白歌合戦にも出場した。この曲のヒットにより人気が盛り返したことが、今の活躍がある大きな要因であると言っても過言ではない。
最も、この曲は桑田自身がイロモノの位置付けで製作した楽曲であり、いわく「街で流れていても『へぇー』ぐらいしか思わない、好きだけど嫌いな曲」で、ヒットはしたものの、バンドとしては微妙な曲となってしまった。1990年に日本テレビ系の音楽番組「歌のトップテン」に出演した際、「サザンの歴史上、最低のヒット曲です」と発言したこともある。
この前に発売された13thシングル「栞のテーマ」も低迷期にあいまって売上は低いが、一般的にも知名度と人気は非常に高く、この曲と同じくらい知れ渡っているのではないかとも考えられるほどである。
ちなみに同曲は同年発売のアルバム『NUDE MAN』には収録されず、コンピレーションアルバム『バラッド '77~'82』にも収録されなかった。後にベストアルバム『すいか』『HAPPY!』に収録されたものの、これらの作品は限定盤であったため、爆発的ヒットとなった『海のYeah!!』に収録されるまではヒット曲でありながら音源入手が困難な曲でもあった。80年代に発売されたシングルではサザン最大のヒットである。
[編集] 紅白歌合戦でのパフォーマンスとその後
同曲で1979年に「いとしのエリー」出場して以来、2度目の紅白出場となったサザンだが、ここでの桑田のパフォーマンスが物議を醸したのは有名である。同曲の演奏が始まるや、ボーカルの桑田が国民的歌手とまで言われた三波春夫を真似ながら登場。三波は同番組の常連であり、この時も同じ会場に居合わせていた。派手な着物と顔は白塗りといった格好で、曲の間奏中に「神様です」「受信料は払いましょう!」「裏番組はビデオで見ましょう!」などの発言をする。また、この物まねはこうした発言だけでなく、曲自体も演歌調に歌っていた。
当時は現在と違い非常に厳粛な雰囲気であった紅白の中で、このようなパフォーマンスは視聴者から大バッシングを受け、NHK側から詫び状を書かされる事態となった。この件による抗議の電話も鳴り止まないほどであったとも言われる。この問題となった発言が有名になっているが、間奏の際に発したセリフであるために最後のセリフは言い切れないまま歌い出している。
桑田は「詫び状を書かされるくらいなら二度と出ない!」という趣旨の発言もしているが、翌1983年にも「東京シャッフル」で3度目の出場をしている。ただこの年のヒット曲は「ボディ・スペシャルII」であり、更に出場時にはメンバー全員楽器を持たず、ミュージカル風の演出で歌われた。普段のサザンにはこのような演出はまず無く、かなり疑問が残る出演である。
更に翌年1984年にも出演確実といわれ交渉が進んでいたものの、直前になって落選。82年の出場時の事件などから、既にNHK側との確執があったとも言われ、この落選以降紅白を避けるかのように大晦日は自身の年越しライブを行っている。この年越しライブというのも当時は珍しく、現在では一般的になったアーティストが12月31日から翌年1月1日に掛けて行う“カウントダウンライブ”のハシリでもある。桑田自身もこの騒動が紅白との確執を生む元凶であるとも語っている。
近年では紅白自体の人気の低下が懸念され、視聴者を対象に出演して欲しいアーティストやスキウタアンケートを実施しているが、そのアンケートでもサザンやその楽曲が多数選出されている。現在ではNHKの交渉が行われるまでも無く、NHKから交渉中と発表される以前から国民には“出演しないアーティスト”との印象も植え付けられており、年越しライブが行われない年でも実質出演拒否状態となっている。当時NHKはサザンがここまで息の長い国民的バンドになるとは想定していなかったのか、結果的には当時のNHKの強気な態度が裏目に出る格好になったと言える。厳粛で輝かしい、そして何より高視聴率であった当時と、低視聴率やマンネリに悩まされ人気低下が続く現在での権威の違いも出演拒否を許諾せざるを得ない原因でもある。
なお、サザンとしての出場はなくなったが、1991年には原由子がソロとして「花咲く旅路」で出場。しかしこれを最後にサザンのメンバーが出場することもなくなっている。
大きな騒動はあったものの、この後NHKの音楽番組「ポップジャム」に出演し、2005年にもライブイベント「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の模様のダイジェストが放送されるなど、NHKとの関係自体は修復している。
ちなみに、1995年に開催された単発コンサート『ホタル・カリフォルニア』でこの曲を演奏した際、紅白出演時に行った三波春夫の真似やセリフをいくつか挟んでおり、この模様は現行盤として存在している同コンサートのビデオやDVDにも収録されている。
なお、この騒動はある意味紅白のサプライズ演出の元祖ともなり、同じように紅白ではその後も1991年にはとんねるずによるパンツ1枚パフォーマンス、1992年には本木雅弘によるコンドームパフォーマンス、2006年のDJ OZMAによる裸体ボディースーツパフォーマンスなどで同様に苦情を殺到させているが、その度にサザンのパフォーマンスが前例として挙げられる。
[編集] 収録曲
- チャコの海岸物語
(作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:サザンオールスターズ 弦管編曲:八木正生)
歌いだしの歌詞「抱きしめたい」が有名であるが、実は歌詞カードには記載されていない。カラオケなどでも""などが付いた表記がなされる。2番の「愛してるよ」というセリフ及びそれに続く「お前だけを」という歌詞も記載はない。タイトルになっている“チャコ”とは元歌手で現テイチクエンタテインメント社長飯田久彦の愛称であり、愛称や名前をタイトルにした楽曲はサザンの中で他にも数多く見られる。歌い方は当時人気絶頂のアイドル田原俊彦を意識したものになっており、普段の桑田の歌声とはかなり違ったものである。発売直後コンサートで歌われた際には、メンバーの野沢秀行が女装で登場し、桑田とコントのようなパフォーマンスを繰り広げる様子がDVD「ベストヒットUSAS」に収録されている。 - 翔(SHOW) ~鼓動のプレゼント
(作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:サザンオールスターズ)
ドラムの松田弘ボーカル曲。シングルでは初のメインボーカル曲である。作詞は本人のものではないが、当時松田と妻の間に宿っていた長男に向けて歌われている曲である。生まれた長男にはタイトルのまま「翔」と名づけられ、後2005年に発売されたアルバム『キラーストリート』収録曲の「愛と死の輪舞」では父と同じくドラム(スネアロール)を叩いている。『キラーストリート』の歌詞カードには"松田翔:Snare Roll"としてひっそりとクレジットされている。
[編集] 参加ミュージシャン
- 桑田佳祐:Vocal(#1)、Guitar(#1,2)
- 大森隆志:Guitar(#1,2)、Chorus(#1)
- 原由子:Keyboards(#1,2)、Chorus(#1)
- 関口和之:Bass(#1,2)、Chorus(#1)
- 松田弘:Drums, Chorus, Vocal(#1,2)
- 野沢秀行:Percussion(#1,2)、Chorus(#1)