佐野仙好
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佐野 仙好(さの のりよし、1951年8月27日 - )は、群馬県高崎市出身のプロ野球選手。右投右打。愛称は名前を音読みした「センコー」。
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[編集] 来歴・人物
前橋工業高校、中央大学を経て1973年にドラフト1位で阪神タイガースに入団。プロ入り当初は掛布雅之と三塁手のレギュラー争いをしていたが、1977年から外野手に転向。この年の4月29日、川崎球場の大洋ホエールズ戦で飛球を追って捕球した際、コンクリートフェンスに激突して昏倒し頭蓋骨を骨折。救急車がグラウンドに呼ばれるほどの重傷であったが、奇跡的に回復。(この事件を教訓として全球場のフェンスにラバーが張られるようになった。)レギュラーに定着してからは勝負強い打撃を見せ、1981年には最多勝利打点(15)のタイトルを獲得した。
1985年のチームの優勝の際には6番レフトとして活躍し、5月20日の読売ジャイアンツ戦では5点ビハインドの場面で槙原寛己投手から代打満塁本塁打を放ち、逆転勝利に貢献した。そして、10月16日のヤクルトスワローズ戦では優勝を決定付ける同点の犠飛を放った。1989年に引退した後は守備・走塁、打撃コーチ等を歴任し、1998年からは編成部スカウト(関東担当)として吉野誠らを担当している。
[編集] 通算成績
- 出場試合 1549
- 通算打数 4826
- 通算得点 491
- 通算安打 1316
- 通算二塁打 171
- 通算三塁打 13
- 通算本塁打 144
- 通算打点 564
- 通算盗塁 45
- 通算犠打 22
- 通算犠飛 53
- 通算四死球 385
- 通算三振 452
- 通算打率 .273
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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