溝口 (川崎市)
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また、JR南武線武蔵溝ノ口駅および東急田園都市線溝の口駅を中心に発展した川崎市北部の中核都市、およびその駅前市街地に集積する各施設についても本稿で記す(この場合、溝口および周辺の町域を含む)。
目次 |
[編集] 地理
当町は、地理的には川崎市の中央部に位置し、機能的には川崎市の副都心として、市北部の行政および商業の中核機能を担っている。
鉄道網では、川崎市を縦断するJR南武線(武蔵溝ノ口駅)と、川崎市を横断し東京都心と神奈川県中央部を結ぶ東急田園都市線(溝の口駅)が交差する。 道路網では、国道246号(大山街道)と国道409号(府中街道)が交差する。 また、周辺地域からの路線バス便が溝口駅前に集中しており、地域交通の要衝となっている。
[編集] 地名の表記について
駅名は「武蔵溝ノ口」「溝の口」となっているが(駅名の由来については武蔵溝ノ口駅#駅名の由来を参照)、昭和初期までの地名は、もっぱら「溝口」または「溝ノ口」と表記されていた。
現在、町名としては「溝口」が公的に定められた表記であるが、一般には駅名から引用して「溝ノ口」「溝の口」と表記されることも多く(いずれの場合も読みは「みぞのくち」)、これらの表記が混用されている。
自治体が管轄する施設では、公式の表記である「溝口」に概ね統一されており、たとえば公的施設や川崎市バスの行先表示、駅前再開発ビルへの入居テナント(地権者を除く)の店名、市道での道路標示などは、固有名詞としての駅名とは関係なく「溝口」「溝口駅」の表記で統一されている。
一方、東急関連の東急バスや東急ストアなどでは「溝の口」が、JR東日本関連施設では「武蔵溝ノ口」またはその省略形として「溝ノ口」が用いられている。
また郵便局やNTT東日本営業所など比較的古くから立地している施設の多くでは、かつて地名でも表記されていた「溝ノ口」がよく用いられている。
なお、本項で地名(駅名など固有名詞以外)を表記する際には「溝口」を用いる。
[編集] 周辺
[編集] 駅周辺(北口・東口)
南武線武蔵溝ノ口駅(北口)および田園都市線溝の口駅(東口)が接続するターミナルとして、また溝口の玄関口として商業地が集積しており、ペデストリアンデッキ(駅前歩道橋、通称「キラリデッキ」)およびバスターミナルが整備されている。
[編集] 路線バス
主に府中街道経由(武蔵小杉駅、向ヶ丘遊園駅方面)および武蔵新城駅、蟹ヶ谷方面行きと新横浜駅行きの路線バスが発着する。なお、前述の地名表記の違いにより、当ターミナルを川崎市バスは「溝口駅(前)」、東急バスは「溝の口駅」と表記している。
- 新横溝口線 溝の口駅 - KSP前 - 日産スタジアム前 - 新横浜駅
- 川31 溝の口駅 - 高津駅前 - 宮内 - 小杉十字路 - 小杉御殿町 - 東横線小杉駅 - 川崎駅
- 溝02 溝の口駅 - 高津駅前 - 宮内 - 小杉十字路 - 小杉二丁目 - 小杉駅
- 溝03 溝の口駅 - 高津駅前 - 宮内 - 小杉十字路 - 新丸子駅西口 - 小杉駅
- 溝22 溝の口駅 - ゼネラル正門 - 蟹ヶ谷
- 溝の口駅 - 高津営業所(入出庫線)
- 溝の口駅 - かながわサイエンスパーク(KSP)(※)
- 溝の口駅 - 高津駅 - NECインフロンティア(関係者のみ)
- ※通勤時間帯は乗車証が必要(KSPコミュニティで取扱)、他の時間帯は無料。
溝口駅発着 (時刻情報)
- 溝04 溝口駅 - 新城駅前 - 中原駅前 - 小杉駅
- 溝05 溝口駅 - 高津駅前 - 市民ミュージアム前 - 小杉十字路 - 小杉二丁目 - 小杉駅
- 溝06 井田営業所 - 新城駅前 - 溝口駅前 - 梅林 - 久地駅前 - 向丘遊園駅東口
- 溝06 井田営業所 - 新城駅 - 溝口駅前 - 梅林 - 久地駅前 - 登戸駅
溝口駅南口発着
- 溝15 溝口駅南口-向丘出張所-南平-犬蔵-宮前平駅
- 溝15 溝口駅南口-向丘出張所-南平-犬蔵-宮前平駅-宮前区役所
- 溝16 溝口駅南口-向丘出張所-南平-犬蔵-蔵敷-聖マリアンナ医科大学前
- 溝16 溝口駅南口-向丘出張所-南平-犬蔵-北部市場前-鷲ヶ峰営業所
- 溝17 溝口駅南口-向丘出張所-蔵敷-菅生車庫
- 溝17 溝口駅南口-向丘出張所-蔵敷-稗原-長沢入口-柿生駅
- 溝18 溝口駅南口-向丘出張所-蔵敷-稗原-鷲ヶ峰営業所
- 溝18 溝口駅南口-向丘出張所-蔵敷-稗原-鷲ヶ峰営業所-聖マリアンナ医科大学前
- 溝19 溝口駅南口-森林公園前-向丘出張所-おし沼
[編集] 官公庁
- 神奈川県高津合同庁舎(高津県税事務所)
- てくのかわさき(生活文化会館)
- 川崎市地名資料室などが併設されている。
- 川崎北労働基準監督署
- 高津警察署(最寄りは高津駅)
[編集] 商店街・公共施設
- ノクティ(NOCTY)
- 溝口駅前交番
- マルエツ溝ノ口店
- 長崎屋溝ノ口店
- ベスト電器溝の口長崎屋店
- イトーヨーカドー溝ノ口店、パークシティ溝の口(久本、東芝跡)
- 東急ストア溝の口店(東急田園都市線溝の口駅に併設)
- 灰吹屋薬局(本店は大山街道沿いにあるが、現在本店は営業しておらず駅前に出店している)
- 十字屋商店(食品スーパー)
- ポポロ
- 溝ノ口中央通郵便局(特定局)
- 三井住友銀行溝ノ口支店
- みずほ銀行溝ノ口支店
- 横浜銀行溝口支店
- 城南信用金庫溝ノ口支店
- 東京スター銀行溝ノ口支店
- 川崎市立高津高等学校、川崎市立高津中学校、川崎市立久本小学校、川崎市立養護学校
- 総合高津中央病院
- 安藤整形外科病院
- 他に開業医が多く立地する
- 東京電力高津営業所(久本)
- 駅周辺にパチンコ店多数
- ムサシボウル(モンブラン内のボウリング場)
- カラオケの鉄人溝の口店
[編集] 企業の本社
- 文教堂(久本)
- イッツ・コミュニケーションズ(久本)
- タイコエレクトロニクス日本法人(久本)
- ノエル(旧野村不動産)(二子)
- ミツトヨ(坂戸)
- 富士通アクセス(坂戸)
- 多摩川新聞社(坂戸)
- 地域紙「多摩川新聞」(旧「高津新聞」)の発行をはじめ、地域にまつわる書籍の発刊を行っている。かつては溝口に本社があったが、2002年に坂戸へ移転した。
- 高砂製作所
- かながわサイエンスパーク(KSP)(坂戸、池貝鐵工所跡)
- 溝口駅前より直行バス、または徒歩約20分。
[編集] 名所・旧跡
- 当駅前より案内板あり。
[編集] 駅周辺(南口)
先の駅前再開発により、南武線武蔵溝ノ口駅に直結する自由通路、および駅前バスターミナルが設けられた。
[編集] 路線バス
平瀬川沿いを走り神木本町・向丘出張所方面へ、および市民プラザ方面への路線バスが発着する。なお、前述の地名表記に従い、川崎市バスは当ターミナルを「溝口駅南口」と表記している。
- 溝15 溝口駅南口 - 宮前平駅・宮前区役所前
- 溝16 溝口駅南口 - 犬蔵 - 聖マリアンナ医科大学
- 溝16 溝口駅南口 - 犬蔵 - 菅生車庫
- 溝17 溝口駅南口 - 平 - 蔵敷 - 菅生車庫・柿生駅
- 溝18 溝口駅南口 - 鷲ヶ峰営業所 - 聖マリアンナ医科大学
- 溝19 溝口駅南口 - おし沼
- 溝21 溝口駅南口 - 末長 - 野川 - 有馬第二団地前
- 溝23 溝口駅南口 - 市民プラザ - 梶ヶ谷駅 (※)
- 溝23 溝口駅南口 - 末長 - 千年 - 井田営業所
- 溝25 溝口駅南口 - 末長 - 能満寺 - 高田町
- ※市民プラザを経由しない便がある。
- 企業送迎バス(東急駅前に発着、関係者のみ)
- 富士通ゼネラル
- 関東自動車学校
なお、溝21~25系統(市民プラザ線)は、溝口駅南口バス停を出発すると次は「市民プラザ線溝口駅」バス停に停車する。これは、駅前再開発がなされる以前は道路が狭隘であったために、市民プラザ線は溝口駅南口バスターミナルに進入することができなかったため、狭隘区間の手前に市民プラザ線専用のバスターミナルとして設けられたものである。 駅前再開発によって問題は解消したため、現在市民プラザ線のバスは現在は溝口駅南口に発着するようになったが、現在も同バス停は中途の停留所として残されている。溝口駅南口行きのバスに乗る際は注意が必要である。
[編集] 官公庁
- 高津区役所・保健所(下作延)
- 川崎北税務署(久本)
- 高津社会保険事務所(久本)
[編集] 商店街・公共施設
- 溝口駅南口よりバス、または梶が谷駅より徒歩。
[編集] 企業の本社
- 富士通ゼネラル(末長)
- 溝口駅南口より企業送迎バス、または北口より溝22系統。
[編集] 名所・旧跡
- 溝口駅南口よりバス、または久地駅より徒歩。
- 久本神社
- 久本山
- 久本横穴墓群
[編集] 街道・主要道周辺
[編集] 高津駅、国道409号方面
溝口一丁目、溝口三丁目および二子付近。 下記施設の最寄りは高津駅である。
- 高津警察署
- 高津消防署(二子)
- NTT溝ノ口交換局
- 川崎溝ノ口郵便局(特定局)
- 川崎市立高津小学校
- 帝京大学医学部付属溝口病院
- 川崎信用金庫高津支店
- 高津スポーツセンター(二子)
- 溝ノ口パールホテル(二子)
- 日立情報システムズ
[編集] 大山街道(旧道)方面
- 大山街道ふるさと館
- 旧高津町役場の跡地に建てられ、現在は大山街道の歴史的経緯を紹介する展示を行うとともに、近隣住民主催の企画展等への場所提供、および公民館的機能を担っている。
- 川崎市立高津図書館
- 高津こども文化センター
- 現在は児童文化施設および児童公園になっている。
- 溝口神社
- 宗隆寺
- 二ヶ領用水大石橋
[編集] 国道246号方面
溝口二丁目から溝口六丁目付近。
- 「すくらむ21」(旧高津市民館)
- 高津区役所建設センター
- 川崎市総合教育センター
- 東急バス高津営業所
- 川崎市歯科休日診療所(久地)
- ルームズ大正堂、トイザらス
- PC DEPOT 溝ノ口246号店
- トナミ運輸川崎支店
- 佐川急便世田谷店
[編集] 歴史
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かつて平瀬川に架かっていた「栄橋」の跡(2006年 5月29日撮影)
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旧府中街道、左手の公園は旧高津小学校(後に高津図書館、現在は子ども文化センター)。(2006年 5月29日撮影)
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[編集] 地名の由来
多摩丘陵方面から流れてくる「溝」のような細幅の小川が姿を現す場所、つまり「溝」の入口となることから、「溝口」(みぞのくち)と呼ばれるようになったと考えられている。
多摩丘陵の豊かな森が貯えた水を集めて多摩川へ注ぐ平瀬川は、現在では流路が付け替えられ、久地方面へ流れているものの、かつては溝口町内に向けて流れていた。また、武蔵溝ノ口駅の南西には今でこそマンションが建ち並んでいるものの、かつては「久本山」と呼ばれ豊かな森があった。
街道筋に古くから開けた町であり、またかつては人手のあまり入っておらず豊かな森であった多摩丘陵への入口であったことを、この町名は物語っている。
なお、平瀬川の流路が付け替えられて以降、急速に都市開発が進んだ今では、もはやその遺構を辿ることは難しいが、隣接する下作延との町境付近に「栄橋」交差点(大山街道と南武沿線道路の交差点)が残っている。かつてはこの付近に平瀬川を渡る橋が架けられており、今ではその橋自体の名残を見ることはできないものの、橋の存在を伝える碑が交差点付近に設けられている。
[編集] 江戸時代以前
律令制の下で統治機構に組み込まれた以降、溝口を含むこの付近は武蔵国橘樹郡(「たちばなぐん」または「たちばなのこおり」)と呼ばれる地域であった。
この橘樹の中心となる郡衙が近隣の影向寺(ようごうじ、現在の宮前区野川)付近に置かれたと推定されており、また武蔵国国府と各地を結ぶ道が整備されるようになり、当町を通る府中街道もその頃に整備されたと言われている。 なお、現在の国道409号が「府中街道」と呼ばれているが、その西側に並行する小径が旧道である。
一方、箱根越えの東海道が開かれる以前は、足柄峠を越える足柄道が専ら歩かれていた。この足柄道と府中街道が交差する場所に、溝口の集落が開けた。
[編集] 江戸時代
江戸時代に入ると足柄道は矢倉沢往還として整備され、1669(寛文 9)年には二子とともに宿駅となり、東海道の脇往還として利用された。また、当時は雨降山(あふりやま)とも呼ばれ信仰を集めた大山詣でが江戸中期以降特に盛んになり、矢倉沢往還は大山街道と呼ばれ参詣者に利用されるようになった。
この大山街道は渡船「二子の渡し」で多摩川を越えていたため、ここ溝口と隣接する二子はともに宿場町として栄えることとなる。
また、厚木方面からの荷物が大山街道経由で溝口まで運ばれ、ここで積み替えられて江戸方面へ運ぶ人に受け渡されるなど、商業および物流の中継地点としても発展した。
[編集] 鉄道の開業
1927(昭和2)年3月9日、南武鉄道(現在の南武線)川崎〜登戸間の開業とともに武蔵溝ノ口駅が設置された。また同年 7月15日には玉川電気鉄道溝ノ口線(開業当時は軌道線、現在の東急田園都市線)が開業し、南武鉄道の駅に並行して溝ノ口駅が、および府中街道沿いの二子との境界付近に高津駅が設置された。 なお、溝ノ口駅は街道筋に発展した当時の溝口中心街より離れて設置されており、旧市街には高津駅が最寄りである。
以降、それまでは大山街道・府中街道の街道筋に発展してきた商業地が、次第に駅前に移りはじめ、駅前商店街および官公庁が駅前に集積するようになる。
また、鉄道開業後は南武鉄道沿線を中心に工場・研究所が多数立地するようになり、溝口駅からの通勤圏には東芝(久本)、日本電気(久本)、三豊製作所(坂戸、現ミツトヨ)、池貝鐡工所(坂戸)、高砂製作所、日本光學、 八欧電機(末長、現富士通ゼネラル)、品川通信工業(坂戸、現富士通アクセス)、日本通信工業(北見方、現NECインフロンティア)、三井金属鉱山(久地)などが立地した。さらに戦前は旧陸軍施設も立地していたことから、南武鉄道および溝ノ口線は通勤利用が盛んであった。
[編集] 駅前商店街の形成
溝口駅前は古くから街道筋の商業地としては開けていたが、昭和初期に鉄道が開業した以降は駅前への商業施設の集積が進み、川崎市内においては川崎駅前に次いで商業地地価が高い地域となった。
開業以来、長いこと南武線武蔵溝ノ口駅の改札口が東側のみに設けられており、また南武線のすぐ西側には山が迫っていた地形もあり、南武線改札口のある溝口町内に商店街が集積していった。また近隣からの路線バス便が多く着発していたこともあり、駅を中心とした街の集積が進んだ。
[編集] 国道246号東京・横浜バイパスの開通
高度成長期のモータリゼーションを背景として、ここ大山街道では大正年間に県道1号に、後に国道246号に指定され、幹線道路として交通量が飛躍的に増大してゆく。
しかし一般に旧市街を通過する道路は拡幅余地に限りがあるため、街道筋の各中心街を迂回するバイパスが各地で計画され、そのひとつの東京・横浜バイパスは従来からの溝口市街を迂回するものとなった。溝口地区の新道は1974年から供用開始され、1978年の新二子橋供用開始、1980年の宮前区有馬までのバイパス全通を経て1982年の全線4車線化に至り、旧市街は街道筋としての利を喪った。その一方、新道沿いにはロードサイド型の大規模店舗が見られるようになった。 なお、現在はバイパス側が国道指定され、旧道は国道指定を解除されている。
[編集] 駅前再開発
駅前が商業地として発展したものの、無計画に発展したため道路網の整備などはなかなか進まず、狭く入り組んだ道路による流動性の悪さや、駅施設の老朽化、駅から遠くて狭いバスターミナルの不便さなどが問題になっていった。
そこで、駅前再開発が計画されることとなる。駅前に立地していた高津郵便局や高津区役所などが近隣に移転し、その跡地を再開発事業用地として駅前再開発が始まり、1999(平成11)年3月に駅前商業ビル「ノクティ(NOCTY)」および武蔵溝ノ口駅駅舎、ペデストリアンデッキ(駅前歩道橋、後に「キラリデッキ」と命名される)が完工することで一段落した。
この駅前再開発事業により、かつて入り組んでいた駅前の南武沿線道路が大幅に整理され、また広いバスターミナルが駅前に整備され、地上駅舎であった武蔵溝ノ口駅には橋上駅舎と南北自由通路が設けられ、特に路線バスを含めた自動車の流動については大幅に改善した。
また駅前に整備されたペデストリアンデッキは再開発ビル(ノクティビル)に直結され、かつては小さな商店が込み入って立地していた駅前の風景は大きく変貌した。ノクティビルには再開発用地の地権者および丸井が入居し、かつて駅から離れていた高津市民館も駅前再開発ビル内に移設され、再開発地域内に限っては大きく利便性が向上した。
いっぽう、再開発対象となった駅前の一部地域を除く既存商店街については、かねてより再開発は検討されているものの進んでおらず、近頃では商店街縮小が進んでいる状況にある。
[編集] 既存商店街の抱える問題
市の都市計画では車道と歩道を確保する計画が立てられているが、元々かなり狭い道路であるため、市の計画を実施する場合は角地にある一部商業ビルの敷地の大部分が道路用地として削られ、該当する建物は事実上建て替えが出来ないといった矛盾を抱える。また計画中には駐輪帯の確保が考慮されておらず、自転車で来店する客が多い商店街の実情に合っていないという問題も指摘されている。
もともと溝口周辺は多摩川の扇状地であるため地形が平らで、また古くから発展した住宅街のため路地が狭く、地域住民の足として自転車が広く活用されており、環境負荷の低い輸送手段が根付いている現状は社会の要請に合致していると言えるが、しかし市の都市計画では専ら自動車中心の道路整備が進められており、歩行者や自転車などの既存利用者にとっては必ずしも利用しやすい街並みになっていない実情がある。
たとえば、直近の再開発で造られたペデストリアンデッキ(駅前歩道橋)の商店街方面出口が大変狭くて利用しにくい、再開発事業で用意された駐輪場も早朝深夜の電車利用者および昼間の買物客の利用実態に則していない、歩行者・自転車での来客が大半を占めるにもかかわらず四輪車通行止めなどの措置が全く取られておらず危険である、買物客用駐輪帯が確保されていないため買物客の自転車が雑然と置かれてしまう、などの具体的な問題点が、以前より市議会や市民会議などで再三指摘されてはいるものの、実態としては改善されていない。
このような状況に加え、近年は市街地が徐々に縮小している傾向がある。 高津郵便局跡、ザ・プライス跡(旧イトーヨーカドー溝ノ口店)や劇画館跡など、駅近隣のかつては中心商業地であった場所にも大規模マンションが建ち始めている様子から、商業地としての価値が低下し、商店街が縮小している様子もうかがえる。
かつての街道筋の宿場町は、川崎市北部の商業および行政の中心地として発展してきた。しかし近年発展した交通網による買物客の都心への流出や、郊外型スーパーの乱立による商圏撹乱、それらによる在来商店街の空洞化といった、他の近隣商業地域が抱えるのと同等の問題に、やはり直面している。
[編集] 明治以降の行政区画
- 1878年(明治11年) - 神奈川県橘樹郡溝ノ口村。
- 1889年(明治22年) - 二子村など近隣7ヶ村と合併し高津村大字溝ノ口になる。
- 1927年(昭和 3年) - 町制施行、神奈川県橘樹郡高津町になる。
- 1937年(昭和12年) - 川崎市に編入、神奈川県川崎市溝口になる。
- 1951年(昭和26年) - 飛地が宮前(みやさき、現在の宮前区)に編入。
- 1972年(昭和47年) - 政令指定に伴い行政区が設置され、神奈川県川崎市高津区溝口になる。
- 1997年度(平成9年度) - 住居表示施行。このとき二子、坂戸、久本、下作延との町境を一部変更している。
- 2002年度(平成14年度) - 久地の住居表示施行にあわせて町境を一部変更。
[編集] 町内の名所・催事
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高津区民祭で賑わう大山街道(2006年 7月30日撮影)
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- 例年、7月の最終日曜日に溝口・二子の大山街道沿いで開催される。パレードや二ヶ領用水(大石橋付近)での灯籠流しなどが開催され多くの人が繰り出し賑わう。
- また、この期間に合わせて大山街道ふるさと館では地域にゆかりの著名人による展示が開催される。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 溝口駅北口地区 第一種市街地再開発事業(川崎市)
- かわさきのお医者さん(川崎市)
- 駅構内図 武蔵溝ノ口駅(JR東日本)
- 駅施設図 溝の口駅(東急)
- 川崎市大山街道ふるさと館
- かわさきの文化財(川崎市教育委員会文化財課)
- 大山街道サミット
溝口・二子地区を中心とし、大山街道の歴史を活かしての沿道地域の活性化を目的とする市民活動。 - 溝口大山街道振興会
- 多摩川新聞社