東京都立新宿高等学校
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東京都立新宿高等学校(とうきょうとりつしんじゅくこうとうがっこう)は、東京都新宿区内藤町にある都立高等学校。
東京都立新宿高等学校 | |
過去の名称 | 東京府立第六中学校 東京都立第六中学校 東京都立第六新制高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
創立記念日 | 1921年10月4日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 単位制(全日制は進学重視型) |
学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 13180G |
所在地 | 〒160-0014 |
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電話番号 | 03-3354-7411 |
FAX番号 | 03-3225-4402 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
府立六中を前身とする都立進学校。創立以来、約25000名の卒業生を送り出し、各界に数多くの著名人を輩出してきた。2003年より進学重視型単位制に移行。土曜授業の実施や、主要教科の多くで習熟度別授業を実施している。進学指導では国公立大学への現役合格を前面に打ち出しており、全クラスが国公立クラスである。2007年度からは、国公立大学進学に更に重点をおくため「国公立対応クラスⅡ」を設置している。新宿駅に至近という好立地にあり、入学希望者が都内広域に及ぶため受験倍率は例年高い。入試においては英数国の3科目で自校作成問題を出題している。創立以来の「文武両道」の伝統を脈々と受け継ぎ、部活動、学校行事が盛んである。「自主・自律」を校是とし、校則は必要最小限のものにとどまってる。標準服はあるが着用義務はなく私服での通学も可能である。
戦前は満州国師道大学学長も務めた阿部宗孝校長によって、戦艦三笠の「興國之鐘」(※補足)が置かれるなど、他の府立中学の例に漏れず忠君愛国教育や一部に軍隊式教育を採り入れた厳格さでも特に知られていた。また、現在に至るまで学園祭や同窓会の呼称ともなっている「朝陽(ちょうよう)」の名は、明治天皇の御製「さしのぼる朝日のごとくさわやかに もたまほしきは心なりけり」に由来する。
※補足 「興國之鐘」とは、日露戦争時に活躍した戦艦三笠の時鐘(じしょう・時刻を知らせる鐘)の名で、三笠除籍後にその鐘が府立六中に下賜され、校内の鐘楼に掲げられて六中の象徴となっていた。終戦後、進駐軍による接収を逃れるために、その鐘は校内の地中奥深くに埋め隠されたといわれる(以後、何度か発掘作業が試みられたが発見されていない)。今でも校内の地中のどこかに、この「興國之鐘」が眠っているという言い伝えが残っている。第二の校歌ともいえる「六中健児の歌」の一節に「興国の鐘は響けり」とあるのは、この鐘のことである。
戦後は、1957年に東大現役合格者数で首位の座に立ったこともある国内屈指の進学校であったが(1968年までは毎年70~100名が東大に合格していた)、その後の学校群制度の導入、全共闘運動の波及による学園紛争の拠点校として次第に敬遠されるようになり、東大合格実績上位校の座は下りることになる。以後は都立進学校の中でも一際低迷した感は拭えなかったが、近年の都立校の制度改革で進学実績は漸増ながらも着々と上向きつつある。今後の動向が注目される一校である。
[編集] 沿革
- 1921年 - 東京府立第六中学校として開校。当初は府立四中に間借り。翌年、新宿御苑の一角(現在地)に校舎完成。
- 1923年 - 校章・校歌制定。塩見朝陽舎(現・館山寮)落成。
- 1929年 - 「六中健児の歌」できる(以後、現在まで臨海教室などで歌い継がれている)。
- 1943年 - 都制実施に伴い、東京都立第六中学校と改称。
- 1948年 - 東京都立第六新制高等学校と改称。
- 1949年 - 新宿御苑の一部3,300坪を、さらに運動場として使用許可される(現・グラウンド)。
- 1950年 - 東京都立新宿高等学校と改称。男女共学となる。
- 1952年 - 新校歌制定。
- 1956年 - 第一回・対戸山高校対抗戦行なわれる。
- 1958年 - 生徒会報誌「轍(わだち)」第一号発行。
- 1967年 - 学校群制度による最初の高校入試が実施される。駒場とともに21群に属す。
- 1969年 - 新校舎(前校舎)完成。所在地が新宿区内藤町から渋谷区千駄ヶ谷に変更。
- 1982年 - 学校群制度が廃止されグループ選抜となる。戸山、青山、駒場、都立大付属、広尾、目黒、赤城台とともに21グループに属す。
- 2003年 - 進学重視型単位制高校に移行。
- 2004年 - 新校舎竣工に伴い、所在地が渋谷区千駄ヶ谷から、再び新宿区内藤町に変更。
- 2006年 - 都立高校の地域区分がこれまでの旧学区を基にしたものから、新たに設けられた各学校経営支援センター別に変更され、新宿高校は中部学校経営支援センター(東京都庁)に属すことになる。
※なお、定時制課程は、1924年私立東京六中夜学校、1933年東京府立六中夜間中学、1941年東京府立興國中学、1943年東京都立第六中学校第二部、1948年東京都立第六新制高等学校を経て、1950年東京都立新宿高等学校となり現在に至る。
[編集] 教育課程
※全日制は2005年度から各学年8クラスずつの計24クラス構成になった。2年生から文・理系に分かれるが、クラスによっては男子が理系で女子が文系の、文理混合クラスとなる。
※定時制は2007年度から募集停止・補欠募集のみとなり、現在2・3・4年のみ在籍している。2010年3月に閉課予定。
[編集] 交通・周辺環境
※新宿区(内藤町)と渋谷区(千駄ヶ谷)の区境に位置し、現在は新宿区側に校舎、渋谷区側にグラウンドがある。
※新宿御苑に隣接するため、新宿という喧騒の中にも関わらず緑に囲まれた環境の中にある。
[編集] 部活動
陸上競技部 男子ソフトテニス部 女子ソフトテニス部 硬式テニス部 卓球部
男子バレーボール部 女子バレーボール部 男子バスケットボール部 女子バスケットボール部
水泳部 山岳部 軟式野球部 硬式野球部 サッカー部 柔道部 バドミントン部
ラグビー部 剣道部 ソフトボール部 チアリーディング部 ダンス部
放送研究部 化学部 生物部 音楽部 演劇研究部 美術部 写真部
茶道部 華道部 管弦楽部 映画研究部 軽音楽部 料理研究部
漫画研究同好会 地理歴史研究同好会 ファッションクリエイティブ同好会 弓道同好会 ジャズ研究同好会 電脳同好会
※定期戦として戸山高校との対抗戦である「戸山戦」(学校行事の項で後述)が毎年行われている。
[編集] 学校行事
- 朝陽祭(ちょうようさい)
- 全日制の文化祭で毎年9月上旬に行われる。2004年度(平成16年度)まで世田谷区民会館で行われる区民部門、校内にて一般公開される校内部門、一般公開されない後夜祭部門があったが、2005年度(平成17年度)からは新校舎竣工に伴い区民部門が廃止され、校内部門が拡大、大がかりな演劇・パフォーマンスも大体育館のステージや小体育館(剣道場)を利用して行われるようになった。校内部門については種類別に人気投票を行い、種類別優勝、全体の優秀賞、最優秀賞を決定、後夜祭にて発表する。後夜祭部門は近年参加者の減少が続いており、今後文化祭実行委員会の一番の議題になるものと思われる。
- 北斗祭(ほくとさい)
- 定時制の文化祭。
- 臨海教室
- 六中の創立当時から続いている新宿高校の代表的な行事の一つ。7月下旬から8月上旬にかけて4日間×4期にわたり、1年生全員を対象に館山寮で行われる。3日目の大遠泳(沖の島までの約1.5キロの遠泳)の完泳率は毎年90%以上にも及ぶ。
- 戸山戦
- 1956年以来続いている戸山高校との運動部対抗戦で、毎年6月上旬に行われる。これまでの総合勝敗結果は18勝26敗7引分け(2006年度現在)。戸山高校では「新宿戦」と呼ばれる。
- 運動会
- すべての学年が、東西南北の4つの軍に分かれて争う。
- セミナー合宿
- 入学直後に実施される宿泊行事。学習習慣の確立とオリエンテーションを目的として行われる。
[編集] 校外施設
- 館山朝陽舎(館山寮)
千葉県館山市香(こうやつ)字西浜にある施設で、塩見朝陽舎とも呼ばれる。創設は1923年5月のことで、2004年に同窓生の寄付のもと改修工事が行われた。1学年の臨海教室や水泳部の合宿の際に利用される。一般の利用も可能。
- 水上朝陽舎(水上寮)
群馬県利根郡みなかみ町小日向にある施設。1929年創設で、やはり老朽化が目立つ。2学年の林間教室(尾瀬ハイキングや谷川岳登山)の際に利用されていたが、2006年より閉寮している。
[編集] 著名な卒業生
[編集] 政治・行政
- 塩崎恭久(衆議院議員、内閣官房長官)
- 保坂展人(衆議院議員、教育ジャーナリスト) - 定時制中退
- 緒方靖夫(参議院議員)
- 不破哲三(元衆議院議員、日本共産党前議長)
- 上田耕一郎(元参議院議員、不破哲三の兄)
- 岩佐恵美(元参議院議員)
- 葉梨信行(元衆議院議員)
- 浜野剛(元衆議院議員)
- 中本太衛(元衆議院議員)
- 斎藤次郎(元大蔵事務次官、東京金融先物取引所理事長、「斎藤組」と呼ばれた主計局人脈を率いた)
- 両角良彦(元通商産業事務次官、電源開発総裁、相談役) - 宇都宮中から転校
- 豊島格(元通産省・資源エネルギー庁長官、元アジア石油社長、元コスモ石油副社長、世界貿易センター会長、小泉純一郎の義兄)
- 吉原健二(元厚生事務次官、元厚生年金事業振興団理事長、全国国民年金福祉協会連合会理事長)
- 長野厖士(元大蔵省証券局長、弁護士)
- 速水優(元日本銀行総裁、元日商岩井・現双日元社長)
- 白川元春(元統合幕僚会議議長、空将)
- 小寺弘之(群馬県知事) - 芦屋高から転校
[編集] 法曹
- 臼井義眞(NY州、第一東京弁護士会)
[編集] 経済
- 山之内秀一郎(東日本旅客鉄道(JR東日本)元会長、宇宙航空研究開発機構(JAXA)元理事長)
- 石井幸孝(九州旅客鉄道(JR九州)元会長)
- 勝俣恒久(東京電力社長、KDDI取締役、尾瀬保護財団副理事長)
- 松沢卓二(富士銀行頭取、経団連副会長)
- 東條輝雄(三菱自動車工業元会長)
- 勝俣宣夫(丸紅社長)
- 青井忠雄(丸井会長、青井浩社長の父)
- 出光昭(出光興産会長)
- 向笠慎二(大林組社長)
- 吉原信之(三陽商会最高顧問)
- 岡部有治(メルシャン社長)
- 垣添直也(日本水産社長)
- 小栗宏夫(肥後銀行頭取)
[編集] 学問
- 金田一春彦(国語学者)
- 林健太郎(東京大学元総長、日本育英会元会長、国際交流基金元理事長、元参議院議員、故人)
- 前田大作(ルーテル学院大学教授)
- 森本雅樹(鹿児島大学名誉教授、兵庫県立西はりま天文台公園顧問)
- 豊口協(長岡造形大学理事長)
- 示村悦二郎(元北陸先端科学技術大学院大学学長)
- 大野平吉(広島大学名誉教授)
- 安彦一恵(滋賀大学教授)
- 鎌田元康(東京大学教授)
- 小林正彦(東京大学教授、元副学長)
- 北村敬子(中央大学副学長、元商学部長)
- 京極高宣(日本社会事業大学学長)
- 内山尚三(法博、札幌大学学長、法政大学名誉教授)
- 平川直弘(東北大学名誉教授)
- 藤原彰(一橋大学教授、元陸軍大尉)
- 小林節(慶應義塾大学法学部教授)
- 浦川道太郎(早稲田大学法学部教授)
- 藤木英雄(東京大学法学部教授 / 「藤木説」で著名、夭折)
- 後藤昭(一橋大学法学研究科法務専攻教授)
- 平井宜雄(東京大学法学部教授)
- 秋山虔(東京大学名誉教授、国文学)
- 奥武則(法政大学社会学部教授、日本ニュース時事能力検定協会理事)
[編集] 文化・芸能
- 坂本龍一(作曲家)
- 池辺晋一郎(作曲家、東京音楽大学教授)
- 中村敦夫(俳優、元参議院議員)
- 加賀乙彦(作家)
- 蟹江敬三(俳優)
- 川端香男里(川端康成記念会理事長)
- 加藤芳郎(漫画家) - 定時制
- 坂本忠雄(元文芸雑誌新潮編集長、開高健記念会会長)
- 絲山秋子(小説家、文學界新人賞・川端康成文学賞・芥川賞受賞)
- 新井寛(日本文学美術教会理事長)
- 胡桃沢耕史(小説家、オール読物新人賞・日本推理作家協会賞・直木賞受賞)
- 萬Z(量産型)(作曲家、作詞家、歌手)
- 小川節子(女優)
- 田島和子(女優)
- 小沼勝(映画監督)
- 小平裕(映画監督)
- 大嶋拓(映画監督)
- 加藤廣(小説家、元山一証券経済研究所顧問、元埼玉大学経済学部講師)
- 舘形比呂一(舞踊家)
- 馬場憲治(写真家)
[編集] 放送・マスコミ
[編集] スポーツ
[編集] その他
- 梅澤博(仏料理・シェ松尾取締役)
- 寺内大吉(作家、増上寺法主)
- 志位正二(陸軍少佐 / シベリア抑留ののち「ラストボロフ事件」自首)
- 津野田知重(陸軍少佐 / 「東條英機暗殺計画」未遂)
- 小林友一(陸軍少佐、第23軍参謀、のち偕行社理事長)
- 中井一夫(海軍少佐 / 米戦史にて「近代サムライ中井大尉」・空母エンタープライズに体当たり(1942年2月1日)、GF長官より感状)
[編集] 関連書籍
- 『五十年の歩み 府立六中=新宿高校』 五十周年記念誌編集委員会編 - 1973年出版。都立図書館等に所蔵してある。
- 『むかし〈都立高校〉があった』 奥武則 平凡社 - 本校出身の筆者による著作。
- 『東京府立中学』 岡田孝一 同成社 - 筆者は両国高校等に勤務してきた。全国から嘱目されるエリート養成機関であった都立ナンバースクールの実像を描く。