北陸地方 (広義)
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北陸地方のデータ | ||
4県の合計 | ||
面積 | 25,204.59km² | |
総人口 | 5,556,732人 (2005年3月31日) |
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人口密度 | 220.47人/km² (2005年3月31日) |
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北陸地方(ほくりくちほう)は、日本海に面する日本の地域の一つで、新潟県・富山県・石川県・福井県の4県の総称。天気予報、交通、歴史地理学、土木、地理の教科書など、地理学に関連する分野で、この範囲が用いられる。名称は五畿七道の北陸道に由来する。中世以前は北国(ほっこく)と称した。
※地域範囲の異なる二つの北陸地方について『ウィキペディア(Wikipedia)』では便宜上「(狭義)」・「(広義)」として区別する。断りのない場合、このページにおいては「(広義)」を指す。
目次 |
[編集] 範囲
- 狭義の北陸地方(富山県+石川県+福井県。下左図。北陸3県と呼ぶこともある。)
- 広義の北陸地方(新潟県+富山県+石川県+福井県。下右図。北陸4県と呼ぶこともある。)
歴史的には、古代に「越国」と呼ばれた地方を多く含み、若狭国から越後国までの範囲で、明治時代頃までは「ほくろく」と読まれていた。
この北陸地方の道路を指して、「越路」「北陸道」と呼ぶ事もある。社会科における範囲では、新潟県までを含めて「北陸地方」としている。
広義の北陸地方を示す際に、単に「北陸地方」と言うのではなく、敢えて「新潟県を含む北陸地方」「新潟県を含む北陸4県」と表現する事がある。
[編集] 分類の傾向
中央省庁による新潟県の分類が曖昧で、東北地方、北陸地方、関東地方と様々である(→新潟県#新潟県の分類)。同じく福井県の分類も曖昧で、北陸地方、近畿地方、中部地方と様々である(→福井県#福井県の分類)。
2006年に国土交通省の国土審議会圏域部会が調査したアンケートで、県の数や組み合わせを自由に選んで良いと言う条件ながら、福井県・石川県・富山県で、40%の住民が、福井県・石川県・富山県の3県を広域地方計画区域として望ましいと考えると言う結果が報告され、新潟県を含める4県案は5.8%で、新潟県でも4県を回答した住民は4%であった[1][2]。
このような二分割の動きや、曖昧な地方分類の背景として、地形的要因だけではなく、中央省庁のエリア区分に起因する所も大きい。特に中央省庁のエリア区分は、出先機関を置いている太平洋側の都市への一極集中を促す枠組みが多く、親不知以東は東京管轄にされ、親不知以西は名古屋管轄にされている例が多い。
明治維新以後の中央集権体制では、中央省庁の出先機関所在地が経済の中心地になって肥大化している為、中央省庁の出先機関の所在地と管轄範囲が、地方経済や交流圏に反映される事が多い。この為、中央省庁による「北陸」の範囲が、親不知で分割されたら親不知を境に、牛ノ谷峠で分割されたら牛ノ谷峠を境に、交流が浅くなる現象が現れる。
「越国」領域の二分割の第一の動きとして、戦時体制下で電力会社が統合された時に、新潟県全域が東北6県のエリアに編入され、富山県・石川県・福井県越前地方の3県のみのエリアが作られた。第二次大戦後に経済団体が結成される時にも、この電力会社分割の範囲に則って経済団体が結成されている。この時に新潟県全域が東北経済連合会の枠組みに入れられ、富山県・石川県・福井県の3県が北陸経済連合会の枠組みに入れられた[3]。これらの経済団体が結成された後、3県共通のイベントや番組、北陸経済連合会などが「北陸」の語を多用しているが、3県の範囲を以って「越国」の語を用いる事は少ない。
尚、このような二分割の動きは、東北地方にもある(→東北地方#地域)。東北地方と北陸地方の共通点として、本社数がさほど多くない割には、物流や交通の拠点都市が多いという特徴が挙げられる。この為、拠点都市が生き残るには、細かく分割して、行政の中心地を多く残した方が好い、という考え方に至っている。
[編集] 中央省庁などの管轄例
以下に示すように、中央省庁の出先機関のエリア区分は、同じ省庁内でも統一されておらず、バラバラになっている。
- 新潟県・富山県・石川県・福井県が「北陸4県」とされる例
- 富山県・石川県・福井県が「北陸3県」とされる例
- 新潟県・富山県・石川県が「北陸3県」とされる例
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- 国土交通省の北陸地方整備局。福井県エリアは敦賀港湾事務所 のみ。大半は近畿地方整備局管下。
- 海上保安庁の第九管区海上保安本部。福井県第八管区海上保安本部管下。
- 新潟県が関東地方に、富山県と石川県が中部地方に、福井県が近畿地方に編入される例
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- 経済産業省:関東経済産業局(新潟県)、中部経済産業局(富山県+石川県)、近畿経済産業局(福井県)
[編集] 長野県と北陸地方を組み合わせる場合
スポーツ大会や国政選挙など、一定の人口を要する場合に、長野県が北陸4県と一緒にされる場合がある。この場合、「北陸5県」と呼ばれる事は少なく、「北信越(ほくしんえつ)」と呼ばれたり、長野県と新潟県が一緒にされる場合には信越地方と呼ばれる事がある。
- 北陸4県と長野県が一緒の枠組みに含まれる例
- 新潟県・長野県・富山県・石川県が「北陸4県」とされる例
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- 国土交通省:北陸信越運輸局。福井県は中部運輸局管下。
- 国土交通省:北陸地方整備局の河川事務所。福井県の河川は近畿地方整備局管下、長野県南部の河川は中部地方整備局管下。
- 北信越ベースボールチャレンジリーグ。福井県は含まれていない。
[編集] 自然地理
豪雪地帯として有名な地方である。特に、長岡市や上越市の周辺は、日本で五指に入る豪雪地帯となっており、スキー場が多く立地している。越後湯沢や妙高高原など、大規模なスキー場も集中する。なお沿岸部と内陸部では積雪量に大きな差がある。又、日本海に面しているために、気候では日本海側気候を呈している。
- 山脈:三国山脈、飛騨山脈(親不知)、両白山地
- 山:弥彦山、苗場山、妙高山、立山、白山、能郷白山
- 川:阿賀野川、信濃川、姫川、黒部川、神通川、犀川、九頭竜川、北川
- 平野:越後平野、高田平野、富山平野、砺波平野、金沢平野、福井平野
- 盆地:大野盆地、長野盆地
- 湾:富山湾、七尾湾、九十九湾、若狭湾(高浜湾、小浜湾、矢代湾、世久見湾、敦賀湾、内浦湾(宮津湾、栗田湾、舞鶴湾))
[編集] 北陸地方が被害を受けた災害
地震~()は主な被害県~
- 1586年1月18日 天正大地震(M8.1)(北陸全域)
- 1640年11月23日 大聖寺地震(M6 死者多数)(福井・石川)
- 1666年2月1日 越後高田地震(M6.4 死者1500人)(新潟)
- 1714年4月28日 糸井川地震(M6.4 死者100人)(富山・新潟)
- 1751年5月21日 越後・越中地震(M7.0~7.4 死者1541人)(新潟)
- 1828年12月18日 越後三条地震(M6.9 死者1681人)(新潟)
- 1858年2月26日 飛越地震(M7.1 死者209人)(福井・石川・富山)
- 1891年10月28日 濃尾地震(M8.0 死者約7,300人)(福井)
- 1948年6月28日 福井地震(M7.1 死者3769人)(福井)
- 1952年3月7日 大聖寺沖地震(M6.5 死者7人)(福井・石川)
- 1961年8月19日 北美濃地震(M7 死者8人)(福井・石川)
- 1963年3月27日 越前岬沖地震(M6.9 死者なし)(福井)
- 1964年6月16日 新潟地震(M7.5 死者26人)(新潟)
- 1993年2月7日 能登沖地震(M6.6)(石川)
- 2004年10月23日 新潟県中越地震(M6.8 死者67人)(新潟)
- 2007年3月25日 能登半島地震(M6.9 死者1人)(石川・富山)
気象災害~()は主な被害県~
- 1961年9月15日 - 17日 第二室戸台風(北陸全域)
- 1962年12月 - 翌2月 昭和38年1月豪雪(北陸全域)
- 1963年7月17日 - 20日 昭和39年7月山陰北陸豪雨(石川・富山)
- 1967年8月26日 - 29日 羽越豪雨(新潟)
- 1980年12月 - 翌3月 五六豪雪(北陸全域)
- 1983年12月 - 翌3月 昭和59年豪雪(北陸全域)
- 2004年7月12日 - 13日 平成16年7月新潟・福島豪雨(新潟)
- 2004年7月17日 - 18日 平成16年7月福井豪雨(福井)
- 2005年12月 - 翌3月 平成18年豪雪(福井・新潟)
- 2006年7月15日 - 24日 平成18年7月豪雨(福井・石川)
[編集] 歴史
北陸地方は、「日本海沿岸の地方王国」として、他の地方からは半ば独立した歴史を歩んで来た。
[編集] 古代
古代の北陸地方は越国(こしのくに)や陸道(くぬがのみち)と呼ばれており、地方王国の一つであった。八岐大蛇も越国出身と伝え、出雲王権の特徴である四隅突出型古墳が福井県や富山県などに見られることや、出雲崎(新潟県中部)などの地名の名残から、出雲文化の影響が強く見られる。
しかし、大彦命が越国を鎮めると、倭王権に服属した。この越国は、国造の時代には継体天皇の生地で、領土では木ノ芽峠以北に当たる。木ノ芽峠以南(嶺南)はヤマト王権の領土であった。
ヤマト王権が中央集権型統一国家を成立させると、越国は三分割された。当時の三関は、「東海道の鈴鹿関(鈴鹿峠)」「東山道の不破関(関ヶ原)」「北陸道の愛発関(愛発山)」を指していたので、律令時代には、若狭国(嶺南)から東の日本海沿岸が北陸地方と見なされた事になる。
令制国の国府所在地を見ると、越前国は武生、越中国は高岡郊外、越後国は直江津(上越市北部)に当たる。この国府所在地の位置を見ると、当時のヤマト王権の支配領域は、東は概ね米山峠までで、米山峠以北は出羽国(東北地方日本海側)と見なされていた事になる。しかし、後に支配領域を伸ばすと、天険たる鼠ヶ関と越後山脈が北陸道の北限となり、越国から分離される形で出羽国が設置された。
[編集] 中世
親鸞が直江津に流刑されて以来、北陸地方は浄土真宗の地盤となり、仏教勢力が力を揮う事になった。その頂点が加賀の一向一揆であり、この他にも永平寺などの有名寺院が立地するようになった。
戦国時代の北陸地方は、上杉謙信(春日山。上越市中部)、前田氏(金沢)、柴田勝家(福井)などの本拠地となった。
[編集] 江戸時代
江戸時代になると、北陸地方にも大小様々の藩(地方王国)が成立した。北陸の藩では、「加賀百万石」と呼ばれた前田氏の金沢藩を初めとして、前田氏の分家に当たる富山藩、越前松平氏の福井藩、牧野氏の越後長岡藩などが有名である。
又、平野と港が多いので、北前船が多く就航し、対近畿の海上交通も盛んであった。江戸時代の代表的な港町としては、直江津が有名である。又、江戸時代の北陸道は「北国街道」と呼ばれ、善光寺参拝の道でもあった。
幕末になり、開国を迎えると、新潟が開港五港の一つとなって盛え始める。この時期、米山峠以東では、奥羽越列藩同盟に加わる藩(越後長岡藩など)が現れ、戊辰戦争では薩長軍と敵対したが、敗北した。
[編集] 明治維新以後
江戸幕府が崩壊し、明治政府が中央集権国家を成立させると、廃藩置県で多くの県が成立した。
現在の新潟県は、新潟県(下越地方)、相川県(佐渡島)、柏崎県(中越地方と頚城地方)が分立したが、1873年6月10日には新潟県に編入された。現在の北陸3県には、新川県(現富山県)や石川県や足羽県(嶺北)が分立したが、1876年8月21日には全て石川県に編入された。しかし、1881年2月7日には石川県から嶺北が福井県として分離され、1883年には石川県から旧新川県が富山県として分離された。嶺南は、1876年8月21日以後は滋賀県に編入されたが、1881年2月7日には滋賀県から分離されて福井県に編入された。
明治に入ると鉄道が建設され、東京を中心にした陸上交通網が整備された為、江戸時代まで交通網の主演だった北前船は衰えた。この為、明治以後は陸上交通が中心の経済体制が築かれて行った。
[編集] 第二次大戦後
北陸地方は、国内でも有数の人口を持つ地方だったが、高度経済成長期に国土軸から漏れた結果、過疎化が顕在化した。しかし、田中角栄政権下で「太平洋ベルト地帯との格差の是正」が謳われ、北陸自動車道が建設され、北陸工業地域も形成された。これ以後は、それまでの「農業地域」から、「農工折衷型の地域」に変わり、日本海側最大規模の工業地域を持つようになった。
[編集] 産業
[編集] 農業
豊富な雪解け水を利用したかんがい用水を整備し、海岸のラグーン(潟)を干拓した広大な土地は、日本の代表的な穀倉地帯となっていて、コシヒカリなどの稲作がさかんである。それに伴い日本酒の醸造元も多く存在する。地域を象徴する「越(こし)」を冠する銘柄が目立つ。
[編集] 工業
石油の輸入が本格化する以前、水力発電を開発し、多くの電力を必要とする重工業が北陸工業地域として富山湾沿岸や上越市周辺に発達した。金沢の金箔、鯖江の眼鏡に代表されるような軽工業や冬の副業として発達した漆器、織物、そして和紙などの伝統工芸も多い。
[編集] 商業
近年の減反政策とモータリゼーションを反映してロードサイドショップなどの商業地の郊外への分散化が著しい。大規模な郊外型ショッピングセンターの進出は、関東地方に次ぐ規模となっている。
[編集] 地域
[編集] 東西ごとの特徴
特定の峠や山や断崖を文化圏の境界とする場合には、東側と西側の違いは、概ね以下の通りである。
[編集] 親不知で二分割する場合
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親不知以東(新潟県)
- 中心都市は新潟市。
- 県内には峠や山が多く、面積も広いため、下越地方では新潟、佐渡島では両津、中越地方では長岡、頚城地方では上越市が、各地域の中心地として発展している。
- 県全体の情報流通では、新潟市の県域放送のテレビ・新聞・FM・AM、およびタウン情報誌がメディアとして活用されている。他方、各地域圏(都市圏)ごとにcFMや地域紙も発達しており、地域ごとの情報流通も確立している。なお、北陸4県ともモータリゼーションが発達しているため、ラジオの訴求力が強い。
- 信濃川を基軸にした地方であり、弥彦神社への参拝の道としても発達した。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)のエリア(除糸魚川)。
- 家庭用電源の周波数は50Hzである(佐渡島と糸魚川市の一部を除く)。東北電力の供給範囲。
親不知以西(いわゆる北陸3県)
北陸3県の地方内の繋がりを参照されたし。
[編集] 米山峠と倶利伽羅峠で三分割する場合
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米山峠以東(頚城地方を除く新潟県)
- 新潟市・長岡市・三条市を始めとして製紙・金属加工・化学製品製造等の工業が立地している。
- 上越新幹線の沿線で、信濃川の流域。
- 地域呼称として、「北陸地方(越国)の北部」という意味で北越という語を使う事がある。(例:北越製紙、北越戦争)
- 幕末には奥羽越列藩同盟の一角であった。
- 特に三国山脈周辺は、全国最大規模のスキー場密集地であり、「雪国・北陸」を象徴する地域になっている。
- 幹線は南北軸の上越線・上越新幹線であり、三国峠を越えた群馬県や東京といった関東地方との交流が深い。
- 下越地方や中越地方の北部は、東北地方(特に庄内地方と会津地方)とも古くから繋がりも多い。
米山峠から倶利伽羅峠まで(頚城地方と富山県)
- 北陸工業地域でも、重工業が比較的多く立地する地域である。
- 幹線交通網は東西軸。
- 親不知近辺は、雷鳥の飛来で有名である。
- 立山や白馬岳や妙高山を初めとして、飛騨山脈の山々が峙えており、雪も多い為、こちらも「雪国・北陸」を象徴する地域となっている。
- 北陸新幹線の沿線になる予定。
- 戦国時代には浄土真宗の地盤であった。
- 太平洋側(南関東、愛知県など)と瀬戸内海側(京阪神)の両方から遠く離れているため、独立性が最も強い地域となっている。峠や山を越えた隣接地域同士の交流が多い。
- 軽工業地域が多い。
- 冬には雪も多いが、雪よりは雨の方が多い為、「弁当忘れても傘忘れるな」という格言を持っている。
- 幹線交通網は南北軸。
- 北陸新幹線の沿線になる予定。
- 戦国時代には浄土真宗の地盤であった。
- 近畿地方との繋がりが深いが、木ノ芽峠と親不知に挟まれた地域同士の交流が多い。
[編集] 交通
交通史については「北陸道」を参照されたし。
[編集] 主な鉄道
JR新幹線
JR在来線
その他の鉄道路線
[編集] 主な道路
高速道路
主な国道
[編集] 港
[編集] 空港
空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | ||
旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | ||
小松 | 246万6833人 | 237万0127人 | 新千歳・仙台・ 東京・成田・ 福岡・那覇 |
9万6706人 | ソウル・上海 |
富山 | 136万0310人 | 123万2705人 | 新千歳・東京・ 福岡 |
12万7605人 | ウラジオストク・ ソウル・大連・上海 |
新潟 | 123万6021人 | 100万6181人 | 新千歳・佐渡・ 中部・名古屋・ 大阪・神戸・ 福岡・(那覇) |
22万9840人 | (イルクーツク)・ ハバロフスク・ ウラジオストク・上海・ ハルビン・西安咸陽・ ソウル・グアム |
能登 | 17万0553人 | 15万8407人 | 東京 | 1万2146人 | - |
佐渡 | 9917人 | 9917人 | 新潟 | 0人 | - |
福井 | 26人 | 26人 | - | 0人 | - |
※出典は国土交通省航空局・空港管理状況調書(2005年度)。
※チャーター便の旅客数を含む。
※三大都市圏への便は太字。
※全国の空港の乗降客数は日本の空港#乗降客数を参照。
[編集] 北陸新幹線の開業効果予測と懸念されている問題
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北陸地方に重大な影響をあたえると思われる北陸新幹線開業の効果と問題。
- 開業効果の予測[4]
- 懸念されている問題
[編集] 出典
- ^ 国土交通省国土審議会第4回圏域部会議事概要 2006年1月18日
- ^ 国土交通省国土審議会第4回圏域部会資料 2006年1月18日 5頁
- ^ 富山県庁「越の国構想」第1章 2002年編纂
- ^ 北陸新幹線建設促進同盟会