第3回全国中等学校優勝野球大会
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出場校 | 12校 |
参加校数 | 118校 |
優勝 | 愛知県立第一中学校(初) |
試合数 | 15(ドロンゲーム含まず) |
総入場者数 | --- |
本塁打数 | 0本 |
第3回全国中等学校優勝野球大会は1917年(大正6年)8月14日から20日の間、兵庫県西宮市の鳴尾球場で行われた全国中等学校優勝野球大会である。
目次 |
[編集] 大会概要
前年までの豊中球場は、観客スペースが小さく、アクセスも輸送力の小さい箕面有馬電車しかなかった。そこで、阪神電鉄が当時の鳴尾競馬場内に2つの球場を作り、5~6,000人の観客席を設けて誘致した。
また、この大会よりオリンピックを参考にして入場式を採用した。
[編集] 出場校
- 東北
- 関東
- 甲信越・北陸
- 東海
- 京津
- 大阪
- 兵庫
- 紀和
- 山陰
- 山陽
- 四国
- 九州
[編集] 試合結果
[編集] 1回戦
- 慶応普通部 5 - 3 明星商
- 盛岡中 5 - 1 香川商
- 杵築中 6 - 3 長崎中
- 関西学院中 6 - 3 広島商
- 長野師範 4 - 3 愛知一中
- 京都一中 1 - 0 和歌山中
- 明星商 8 - 2 長崎中(敗者復活)
- 愛知一中 1 - 0 和歌山中(敗者復活)
[編集] 2回戦
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[編集] 準決勝
- 関西学院中 1 - 0 盛岡中
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
盛岡中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
関西学院中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | X | 1 |
- 愛知一中 3 - 2 杵築中
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
杵築中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 |
愛知一中 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | X | 3 |
[編集] 決勝
- 愛知一中(6回裏二死一塁降雨ドロンゲーム)関西学院中
(愛知一中)長谷川-伊藤 (関西学院中)内海-近藤
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
関西学院中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ||||
愛知一中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
6回表、関西学院中は9番四本が安打、バントで送り、2連続四球のあと4番内海二ゴロで先制。その裏、愛知一中が二死後四球で出塁後、突然の降雨によりドロンゲームとなった。当時のルールでは6回終了時で試合成立であった。
- 愛知一中 1 - 0 関西学院中(延長14回)
(愛知一中)長谷川-伊藤 (関西学院中)内海-近藤
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 計 | |
愛知一中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
関西学院中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
翌日の再試合は先攻後攻を交替した。愛知一中は4回の一死満塁、関西学院中は6回の二死三塁、11回の一死一、二塁の好機を逃し、それまでの大会で最長の14回に入った。14回表、愛知一中は二死一、三塁から6番山本の当たり損ねが三前内野安打となり、伊藤が生還して決勝点を挙げた。
[編集] 幸運に恵まれた愛知一中
栄冠を手にしたのは、一度は敗北の憂き目に会った愛知一中であった。長野師範に敗れたあと、2/3の確率でくじを引き当てて敗者復活にまわったことが幸運の第一。決勝であと一人まで追い詰められたときに突然の降雨で試合中止になったのが幸運の第二。しかも中止の理由が「審判が袴姿で、それ以上試合を続けることが出来なくなったため。」と愛知一中エース長谷川武治が回想したそうで、とことんまで幸運であった。組合せ抽選会の時に、敗者復活戦から勝ち上がっても優勝できるのか、と質問したのが実は愛知一中であった、というのも因縁めいている。
しかし、単なる幸運だけではなく、5日間で56イニングを完投した長谷川の力投も十分賞賛に値する。特に、敗者復活戦と2回戦は同じ日に戦い、試合間隔は4時間しか空かなかったにもかかわらず、2回戦の明星商を無安打17奪三振1失点に抑える快投ぶりだった。
なお、さすがに敗者復活校が優勝したのは物議をかもし、敗者復活戦は第5回大会から取りやめとなった。第4回は開催中止となったので、事実上、この大会が最後となり、愛知一中は高校野球史上唯一の敗者復活からの優勝校となった。また、全試合が1点差(負け試合も含む)というのも優勝校としては唯一である。
[編集] 関連項目
- 高校野球
- 日本フットボール優勝大会(同年度より開始した中等学校サッカー・ラグビー大会)
高校野球 | ||
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選抜高等学校野球大会 | 全国高等学校野球選手権大会 | 選手権大会地方予選 |
1924 |
1915 | 1916 | 1917 | (1918)中止 | 1919 |
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